はてなキーワード: 反抗期とは
父親がいわゆる毒親なんじゃないかと思っている。フェイク入れてるので矛盾あるかも。
虐待という虐待をされた、という記憶はない。せいぜい小学生の頃暴力を振るわれたり、言うことを聞かなかったから家を追い出されたりしたくらい、と書いたところで、これも虐待なんだろうなと思う。
だから別に今すぐに家を出なきゃいけない理由は無いんだけれど、もう一日たりとも父親と一緒に暮らしてはいけないという気持ちがある。
父親の性格と私の性格が絶望的に相性が悪い、というのも理由の一つだが、最近、父親が退職した。リタイアというやつだ。
これまでは家には寝に帰るだけだった父が、毎日家にいる。何をするでもなく。
それだけなら別に害は無いのだが、寂しいのか何なのかとにかく私に干渉することが多くなった。
うるせ~~~~~~~~!!!!!!!!!!!知らね~~~~~~~~!!!!!!!!!!!
って感じだけど適当に流している。
まあそれだけなら私が我慢すればいいだけなんだけど、父親はとにかく気分屋で、家族のあずかり知らぬところで機嫌を損ねて、ドアを大きい音で閉めたり、母や妹に嫌味を言ったりする。そのくせ弟はお気に入りみたいでほとんど何も言わないところも腹が立つ。
自分の機嫌くらい自分でとれよ、いくつなんだよジジイ、って思うけど、
やっぱり私はまだ父親に対する恐怖心があるみたいで、全然何も言えない。
家を出たい、という気持ちはある。
だけど、私が家を出たら、母や妹のケアは誰がするのだろうか。
母はもうほとんど諦めているから、まだマシかもしれないけど、反抗期真っただ中の妹と両親の緩衝材的役割を務めている(と自分では思っている)私がいなくなったら、どうなるのか、とか思ってしまう。
いやお前そんなに自分が家族にとって大事だと思ってるのかよウケるな、と自分でも思うけれど、
父に嫌味を言われたり怒鳴られたりした後の妹のケアは自分がやって来たし、母の愚痴も毎日聞いている。
自分が家を出ることで、弟や妹が辛い思いをしてほしくない。
自分の幸せよりも弟と妹の幸せを願っているというほどではないかもしれないけど、
もし自分が自分のことを何よりも優先していたら、さっさとこんな家出ていると思う。
もちろん、父親以外の家族のことが好きだから出たくないという気持ちもある。
だけど、父が仕事を辞めてから、それ以上に家を出たいという気持ちがわいてくる。
とりあえず家を出られるだけの貯金だけはしている。
父には何も話していない。父どころか母にも。
機嫌がいいときは、私の話も聞けるみたいだ。
前までは私が一人で旅行に行くことに対してもキレていたのだが、最近はそんなこともなくなった。
父は、家族の誕生日をお祝いすることにものすごいこだわりがある。
誰一人そこに欠けていてはならない。
私が旅行の日程をさらっと言ったときも、「(妹)の誕生日は?」とまず気にした。
私は別に、当日じゃなくてもお祝いできればいいじゃない、と思うのだが、父はそうではないらしい。
世の中には、人生における至上命題が「他者のあらを探すこと」という人たちが一定数存在する
他者というのは、同級生であったり、職場の部下であったり、恋人であったり、家族であったりするが、基本的に彼らが”強者”サイドに立てる何かしらの要素を持っている相手になりやすい
アラを探して何をするかといえば、そこを責めるのだ
責めることで、精神的優位性を得られることになる
それはたとえば、「晩ご飯何がよい?」と聞かれ「何でもよい」と答えておきながら、出てきたモノが微妙だとナンクセをつけること
それはたとえば、旅行の行き先を二択まで絞っておきながら最後に相手に決めさせ、行った先が激混みで文句を言うこと
それはたとえば、絶対にミスが生じるような作業を部下にさせ、ミスが出た時点でそれ見たことかと説教を始めること
彼らの目的は晩ご飯の満足度を上げることでも旅行を楽しむことでも部下を成長させることでもない
相手を責める理由を作り、責めることで "自分が相対的に上に立てた" という一時的な満足感、という名の錯覚を得ることだ
確実に関わってはいけないタイプの人間なわけだけど、彼らも好きでそういう精神状態になっているわけではないというのが難しい
この辺りは自分も独学なので誤認や知識不足もあるだろうが、だいたいは育ってきた環境に依存するらしい
反抗期での衝突の不足であったり親からの愛情の不足であったり安心感の不足であったり、いまでいう自己肯定感の欠如の源流に近いものもあるのだろうか
そういう歪んだ環境で育った人間が、自分(の育った環境)に問題があったと認識すること自体が難しい
他人に指摘されたところでそれを受け入れるほどの心の余裕がない彼らには、自分で症状を認める以外の選択肢はないのかもしれない
わたしがひとたび用事があるといえば、目的地までのルートと道の状態とその日の天気を逐一調べて報告してくる。折半の約束の家事も、暇だからと勝手にして、「やっておいたよ」と報告してくる。
役に立つ、こともある
役に立たないこともある
大半は役に立たない
それがなんともうざい。聞いてもないのに教えてくる。頼んでもないのにやってくる。先回り先回りでわたしのする筈のことを奪う。何度も「大丈夫だからしなくていいよ」と言っているにも関わらず一向にやめない。
旦那は親切だ。でもウザい。鬱陶しい。
困ったときは助け合いたい。でも困ってないとき、自分でできることは自分でやりたいし放っておいて欲しい。その旨を何度伝えても伝わらない。だから腹が立つ。
……というような愚痴を人に話すと、「反抗期か」と突っ込まれる。たしかに、お節介世話焼きな旦那とそれに反発するわたしは、まるで母と反抗期の子供のようである。
ということは、わたしが子供だからいけないのだろうか。確かに旦那よりは5つ歳下だが、この歳になってその程度の歳の差、家庭内では無視して欲しい。この感情はわがままなのだろうか。
どうすれば旦那の親切を素直に受け入れられるようになるのだろう。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。
我が家は学歴にコンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃から「いい大学に出て、良い会社に就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃から他の子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去をトラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。
転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビで放送されていたスラムダンクを兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元のバスケチームに入りたいと両親に相談をした。
父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃんは大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。
それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。
塾からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。
やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所に引越し、1ヶ月に1度程度会う関係になった。
母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。
次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元の美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋(美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキで駄菓子屋へ自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。
店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気の髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。
中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校をサボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。
俺が高校生になった頃。よく姉が仕事の休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。
姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプの居酒屋のランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。
姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。
話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂「性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。
そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋のバイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。
その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。
そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認も理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲からの偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想に従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。
社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。
半年後、姉は彼氏と同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。
姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。
思っていたのに。
髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。
「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」
「だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」
嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。
彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後から女である事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズやユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。
「お前みたいな厨二病のメンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりとのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。
俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」
俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋は改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。
ふせったー内で身内にずっと吐き出していたが、日本沈没2020を観て思った事をここに張っていく。匿名だし、増田なんて多分本当に日本沈没2020に興味がある人ぐらいしか見ないだろう。でもその人が見てくれたら何よりもうれしいことはない。増田の作法がわからないので何もかも間違ってたらすみません。
たしか一昨日ぐらいに日本沈没2020をネットフリックスで全話見た。批判されていたのは知っていたが、湯浅監督の作品がすべて好きだったから自分の目で確かめたいと思った。結果悪い意味で打ちのめされて、日本沈没2020を観た次の日はずっとふせったーに籠って、まる一日をかけて30000文字ぐらいの感想(あらすじがほとんどかもしれない)を書いた。ただ30000文字だから、ものすごい長い。なのでその1日でわかった要点をまとめるとこうなる。
①「日本沈没2020」は右京先生の「日本沈没」を元にした作品で、ノベライズがある
②そのノベライズは、湯浅監督が書いたものではない。なので日本沈没2020のストーリーを描いた脚本家は湯浅監督ではない・・・
③湯浅監督はこれほどなく忠実に「日本沈没2020」をアニメ化していた
もうこのことさえ知ってくれればあとはどうでもよくなる。反日だのなんだの騒いでいる人もあほらしくなる。何故って日本沈没2020を視聴したらそんなことは言えなくなるからだ。これはもうそういう次元の作品じゃないんだ・・・・・。感想内で何度も書いたけど、逆に本当に見たのか気になるぐらいだ。反日だの陰謀だのなにもかもが虚構だ。批判すればするほど滑稽に見えて、考察すればするほど何もなくて空しくなる。こんな虚無のストーリーもなかなかないんだけど、そこで湯浅監督の表現力とぶつかってしまってビッグバンが起きたのは不幸だった。
丸一日かけて日本沈没2020に浸かってしまったのは多分私がアニメがどう作られているかに詳しくなかったのが原因だ。だから脚本も湯浅監督が作っているのかと思ってしまった。そこが間違いだった。これは自分の無知を恥ずかしく思った。OPとEDもしっかり見るべきだったんだなぁ。今度からはしっかりチェックしますね。
下記からはふせったーに書いたものをそのままコピペしたものになる。読んでもいいし読まなくてもいいけど、とりあえず置いておく。これから日本沈没2020を観ようかなと思っている人の参考になるとすっげーうれしい。また、途中で湯浅監督をぼろくそに言っているが、それは脚本家の存在を知らなかったためです。申し訳ありません。
長すぎるので2つに分けます。
無限に文句言ってしまうので改めて感想をまとめたいと思いました。本当に無限に文句言えるんですけど、それすら監督の予定調和の中な気がしてそれにもキーッ!むかつきますわぁ!!の悪役令嬢になって地団太を踏んでしまうことになるのですごいアニメだった。1話から振り返りをします。
序盤は普通に日本沈没2020の始まりだ・・・!て感じで、すごい描写が良かった。リアル感のある揺れ方とかでここで一度トラウマがよみがえって気分が悪くなった方もいるんじゃないかと思う。陸上の練習中に地震で被災し、足にけがをしてパニックになって周りの友達を助けずに逃げてしまった主人公、歩の心情も、無力感と罪悪感にまみれていてよかった。14歳だもの・・・。ただ、逃げているときに歩が父親が庭に飾ったイルミネーションのことを思い出していて、それで家族が集まる場所の証になったのが「神社に飾り付けられたイルミネーションだった」時には思わず2度見をしてしまった。電気の消えた町の中で燦然と輝くイルミネーション神社の絵はまるで悪夢のようだったし、何かの幻覚なんじゃないかと思った。
突拍子すぎてよくわからなかったし、貴重な電気をイルミネーションで全部使うなや!としか思えないのがすごい(このしばらくあとにイルミネーションは電気ぎれで切れる)。ただの地震やないぞ・・・!?普通にあちこちで人が死んでる災害やぞ・・・!?なんかもっとあったんじゃねぇのか!?しかも七色に輝くゲーミングイルミネーションでもうだめだった。ここで嫌な予感がした人は正しいと思うし、大部分の人間が「何故イルミネーションを?」と思ったのではないかなと思う。肯定的な意見があったら教えてほしい。あとどこから調達したのか普通に気になるな・・・。
まぁイルミネーションはさておきとして、神社にはイルミネーションを目印にして家族が集まっていた。水泳が得意らしいお母さんと、日本語と英語を織り交ぜて話すやけにむかつくクソガキのゲーマー弟と、建築の仕事をしているお父さんだ。あと近所の知り合いのお姉ちゃんと、引きこもりの陸上の先輩がいる。この引きこもりの先輩は、なんかイケメンの有名人らしくて同じく避難してきた近所のおばちゃん集団にヒソヒソと噂をされていた。
日本沈没2020ではそういう今話すことじゃねぇだろ?みたいな感じの描写が異常に多い。それも湯浅監督のツイート通り、表したかった「リアル」なんだと思うが、日本沈没2020なんてビッグタイトル以外のタイトルでやってほしいところだ。あと一応私自身も東北の震災は経験してるし周りがパニックになるところも見てたけど、流石にあの状況であそこにいるの引きこもりのあの子でしょ・・・?とかいう人間はいなかったなぁ・・・正直家族とか知り合いのことが気にかかりすぎてそれどころではないよ・・・好意的に見れば、先輩のことを説明する一番の近道とも言えなくもないのかもしれない。ただ、この先に先輩の引きこもり描写が何か意味があったのかというと、特にないのでやっぱり必要ないと思う。だからやはり、人間の悪意だけをあえて描いているのだと思う。そこは作品を通して徹底的に描かれているから、意図的だろう。
それから突然お母さんが家族写真を撮ろう!と言って・・・・まぁ、どうなるかわからないから写真に残しておきたい気持ちはわかるけど、震災時に写真を撮るような心理状態にはならないと思うので、ここも え?急に写真を!?となってしまった。この写真も後々最終話の伏線(?)だったことがわかる。あんまり伏線って言いたくないけど、まぁ写真を撮るのにも理由はあったという話。
そこから急に木の下に座り込んでいた引きこもりの先輩の腕に、雨かと思ったら血が降ってくる。あと死体?も降ってくる。空を見上げるとヘリコプターから人が落ちていて、イルミネーションされた木にも死体がクリスマスの飾りみたいな感じで乗ってた。
死体が降ってくるときに音がするわけでもなく、最初私は木に元から死体がひっかかっていたのかと思った。死体はイルミネーションで輝いている枝に乗っていたので、そう考えるとお父さんが死体を無視したことになってしまう。だからやっぱりヘリコプターから落ちてきたんだろう。でも重力の関係でそこにひっかかるまえに枝が折れるし、血もビチャビチャ降ってくるんじゃないか?なんかいつの間にか怪我をした人達も避難してきて、これにて第一話が終わる。
ここの空気が完全にゾンビ物だったので、このままゾンビ物が始まるのかと思った。いっそここで日本沈没2020ゾンビ大パニックとかに路線を変えてたら湯浅監督最高!て言えたのだが、残念ながら日本沈没2020は日本沈没2020のまま10話まで続いていく。1話目の感想終わり。
朝になり、なんかユーチューブとかネットで記事を探していた人達が騒ぎ出す。ユーチューバーのカイトという人がなぜか沖縄沈没の瞬間をドローンで撮っていて、こいつは一体・・・?となる 沖縄沈没の瞬間をドローンで撮れるユーチューバーは正直意味がわからない。なんでドローンで沖縄全体を観察してるんだよ。どういう規模のユーチューバーなんだ。国が雇ってんのか?
日本が第2のアトランティスになるとか陰謀論だとか、なんかツイッターのトレンドに上がってそうな感じの勢いで人々がありとあらゆるノイズをしゃべる。ネットにも記事がどんどん出ている。マスコミは情報を出さないというセリフすらある。携帯でテレビを見て情報を集める人がいない描写といい、ここは完全に日本マスコミへの風刺ですね。いたかもしれないけど見返す気はないです。
避難先になった神社はとても高い場所にある。というか神社って大抵そういう感じだよね。まわりに水が満ちてきたので、ここから脱出しようみたいな話になったんだが、避難先の神社にはコンビニの物資を大量に持ってきているコンビニの店長さんがいた。よって食料や水に困っているというわけではなかったし、普通ならここで安全な高台を捨てて歩くという発想にはならないと思うが、みんな神社を出た。歩は怪我をした足を保護することもなく、汚水まみれの水に浸かったので足が痛いみたいな描写がある。お察しの通り後で傷口から感染症になる。予定調和と言ってもいい。ここは別に違和感はない。まぁそりゃそうなるよねという感じだ。逆にならないほうが不思議なので、感染症になってくれてよかった。
神社にいた集団は、西に行くか東に行くかで途中で別れることになる。主人公たち(父母、弟、歩、近所のお姉さん、引きこもりの先輩)は西へ、他は東へ行くそうだ。ちなみに主人公たちが西へ行くのは弟が海外のゲーマー友人と連絡をとってどこに逃げたらいい?て聞いたことが理由なんだけど、別に根拠とかなくてゲーマーはただ「西に行け」と言ってるだけなのでマジか?て思った。予言か何かかよ。
別れる時に集合写真を撮る。ここは理解できるよ。ただ、2話で理解できた展開はここだけだった。
西へ向かって歩いてる最中に、謎のロードバイクに乗った男がなんか水を球体にしてそのまま飲めるやつを食べていたり、スケボーに乗った男が主人公たちを追い越すシーンがあるが、何を伝えたいのか全く分からないので、なにもわからなかった。歩かないで何かに乗れ!という意味だったのかもしれないですね。
道端に座り込んでいたおじいさんとおばあさんに、歩が家族にとって最後の水を「これが最後の水である」とわかっているのにどうぞと言う。おじいさんとおばあさんは普通にそのもらったペットボトルをもらったものだと思い、バッグへしまう。歩のえっ?という表情にこちらもえっ?となった。これどうぞ・・・て言われてそれが最後の水だと思うか?なんかこう、意図的に外してるのはわかるけど、外しすぎて意味わからんことになってるからマジで意味がわからん。
歩いた先にあるコンビニには何もなくて、歩がごめんねって言ってた。コンビニに何もないのがもうなんか災害起きてから1日後のそれじゃなくて、明らかに退廃後の日本・・・みたいな感じで時間間隔が何もわからなくなる。多分この世界の人々は自宅に備蓄とかしてない。
そこからなぜか山に登り、滝を見つけた。滝がある山で良かったですね。泳げないといってた弟をお母さんが滝つぼに突き落としたりしてて私がドン引きしたりした。そのあとは民家に降りて鳥がやけにリアルに死体を食べているところを見たり、お父さんがコメディ調でイノシシを仕留めたりした。野生動物を舐めるな。
イノシシを捌いて焼いてるときに歩が突然吐き出したので傷からの感染症がとうとう体に影響を?と思ったらなんか多分肉がダメな人っぽいだけだった。別にそれはいいんだけど人が飯を食ってるときに吐くのは人間として最悪だと思う。肉をみて気持ち悪くなるんなら猪をさばいてるときに吐きなよ。なんで焼いてるときに吐くんだ。
肉が食べられない?のでおなかがすいたよ~になってる歩のために、お父さんが山芋を取るな!の看板を見つけて山芋をさがしてそこらへんにあったスコップで山芋を掘る。長すぎて木の根っこ掘ってんじゃねぇのて思った。お父さんが掘り進めている間に、歩が蔦に覆われた「不発弾注意!」の看板を見つける。
というか不発弾注意!の看板がそこら辺にあるし、なんで山芋看板は蔦でおおわれてないのに不発弾注意の看板は繁殖した蔦でむちゃくちゃにおおわれてんだよ。どうやらここらへんの住民は不発弾で死なれるより山芋を取られる方が嫌だったっぽい。それか山芋と不発弾がセットになっていたので、この近くの山芋は不発弾の上に芽生えるのかもしれない。つまり山芋を掘ろうとしなければ、不発弾に出会うこともないので、結果として山芋を掘るな!という看板だけ綺麗にするのだ。ここまで考えて悲しくなった。
お父さんが不発弾で爆散四散する前の前振りがこれなんだけど、本当に意味がわからないから、これから日本沈没2020を見る人はここで止めといてもいいと思います。この適当なシナリオに対して、土くれと一緒にバラバラになったお父さんが降る光景とか、お父さんのちぎれた手とか、そういう描写に力入ってんのが本当に笑うしむちゃくちゃ笑った。全編通して死体描写だけは上手いんだよな。しかも2話はそこで終わる。え?ここで終わるんですか?お父さんと土と血の雨の中で!?てのにもびっくりした。
ちなみにここで山芋に対して、「お父さんがつくったこれ大好き!」て思い出すセリフがあるんだけど、山芋で何を作ったのかは最後まで明かされなかったです。2話の感想終わり。
3話 マイオリタキボウ
前回でお父さんが爆発したけど、特になにも思ってなさそうな顔で歩き続ける一行。その中でも歩だけはむっつりとした顔をしていて、お父さんが爆発したのを気にしていることがわかる。ここの部分は歩以外のみんなは、とりあえず生きる事を目標にしているのだということは伝わってくる。悲しむことはいくらでもできるし、今はまず命をつなぐことが大切だからだ。でもこの作品はあくまで「日本沈没」なのであって、他の国も全部滅びたわけではないので、主人公たちがここまでサバイバルする意味はさほど感じられないのがネックになっている。普通だったら神社で自衛隊や救援を待つんじゃ・・・。
ただその場合はこの物語は始まらないんだけど、でも何もこんな物語にしなくても良くない?
歩は無限に父親のことを考えていて、歩いている途中で癇癪を起して道端に座り込んでしまう。その癇癪の起こし方があまりにも幼稚で、お父さんがプレゼントしてくれた靴を脱いで投げ捨てたり(死んだお父さんのプレゼントなのに大切にしないんだ!?)何日も風呂に入ってないからお母さんが臭いとか、お母さんの顔が汚いとかちょっとわけのわからない暴言を吐く。お母さんのことが嫌いなのか?あまりにも酷いのでここはちょっとびっくりした。湯浅監督は歩に何をさせたかったんだろう。ここの考察を求む。ちなみに10話まで見たけど、特にお母さんが歩のことを邪険にしたとか、お母さんの子供じゃないとか、そういうのは一切なかったんだよな・・・。反抗期?お母さんかわいそうだ・・・。
都合よく通りかかった明らかにこの終末を楽しんでる感じの男の車に乗せてもらい、どこかへ移動。この移動もどこなのかよくわからないがどこかへ向かっている。ガソリンスタンドでガソリンを入れようとしたけど、機械が動いてないので入れられず暇になった男がタバコを吸いながら近所のお姉さんの肉付きのいいお尻を見て襲おうとする。ここまでは終末のテンプレ。
近所のお姉さんはそれまで何も描写がなかったのに、いきなりつよつよカラテの有段者になり、男を撃退する。とはいえあんまり効いておらず、男がスタンガンを取り出してきて一瞬危ないことになるが、お母さんが棒で殴って助かる。ただ、男がむちゃくちゃタフすぎてお母さんも反撃を受けてやばいことになり、最終的にスタンガンを奪って結構長い電撃のカットのあとにようやく男を倒す。倒れた男の眼鏡をお姉さんが奪って引きこもりの先輩の割れた眼鏡と交換してあげるのが美談風に描かれているが、なにも美談ではないし俺が先輩だったらそんな眼鏡はかけたくないかな。
この描写ここまでいるか?お母さんがお腹のみぞおち当たりを殴られててすごいかわいそうだった。暴力描写にもめちゃくちゃ力が入っていた。力を入れるところを間違っていると思う。ストーリーとして必要なところに力を入れず、死体描写や暴力描写だけにやけに湯浅監督ならではの表現力とテンポを入れるので、結果として「日本沈没2020」から受ける印象が醜悪になる。狙っているのだろうけど最悪の一言に尽きる。
日本沈没2020は徹底的に「主人公たちがどこにいるか」を描写しないんだけど、そのせいでマジでどこにいて何をしているのかわからない。車のガソリンが切れたので、いかにも両脇に危険な感じがある謎の道をひたすらに歩く。近くに富士山が見えるので、多分山梨とか・・・静岡とかそこら辺なんだと思う・・・。あやふやすぎる・・・。
引きこもりの先輩を気遣った近所のお姉さんを見て、自分も気にかけてもらうために歩がわざと座り込む。近所のお姉さんは優しいので構ってあげる。どうしたの?と言われたのでおしっこ行きたい・・・という歩。さっき意地をはって喧嘩した手前、母親にトイレ行きたいからちょっと待っててと言えなかったんだね・・・。思春期?反抗期?だね・・・。
近所のお姉さんと連れションしにいったが(お姉さんは明らかにトイレに行きたい感じじゃなかった)、一歩の差でお姉さんが溜まってた毒ガスで死に、歩は生き残った。本当に一瞬で死ぬので、とても展開がスピーディー。空から謎の白髪のイケメンが謎の機械を使って下りてきて、そこは毒ガスがあるから立ち寄るな!と言ってくる。前触れもなく急に現れたので本当にびっくりした。
有名ユーチューバーのカイト(KITE)じゃん!と弟君が喜び、カイトが自分のことを知っていた弟君におかしをあげようとしたら歩がいきなりキレ始める。そのキレ方がまた異常で、あげようとしたお菓子を人から盗んだものだと決めつけて、取り上げようとする。そのお菓子は外国のお菓子で、カイトも外国の人なので盗んだものじゃないでしょと弟から言われる。ここ本当に思考が飛躍しすぎててわからない・
水っていうか泥みたいなやつが
検査もしてもらったけど血液検査もうんこの培養?も何も引っ掛からなくてストレスなんじゃないかということだった
トイレで早くおさまってくれってお祈りポーズしながら背中丸めてるのそろそろ辛い
無力感や会社の人たちへの申し訳なさやら腹痛やら吐き気やらでめちゃくちゃみじめになる
食事を取らなければそうたくさん出まいと食い物を控え目にして
脱水防止のために常温の水をカップに半分飲んだだけでギュルギュル言い出した時はどうなってるんだこの腹と思った 反抗期か?
後そろそろケツの穴が拭きすぎで擦り切れるんじゃないかと怖い
内科で調べてストレスじゃないかって言われたなら次はどこに行けばいい
メンタルクリニックと心療内科と精神科の違いもいまいちわからない
言葉の感じだと軽めの症状からメンタルクリニック→心療内科→精神科ってイメージ
まずメンタルクリニックか?
それともなんか軽めの相談会とか探した方がいいのか?
また腹がなんか言い出した勘弁してくれ 許して
元々男児の方が発達遅いから、同い年の女児が教えなくても普通に自然に出来る事でも出来ない男児が多いんだよ
でも周りは出来るよう求めてくるし、出来ない場合は親が悪いとされる
なので仕方なく親が世話をやく
そのうち反抗期になって「出来るよう求めてくる周りの大人クソくらえ」となってますます本人は自分からする気がなくなっていく
んで出来ない大人の男の出来上がり
そういうのが多いから周りも「男なら出来なくても仕方ない」と言う認識になるし、大人だろうと何かやらかしたら親の責任だし
って悪循環
最近は出来ない男とは結婚しないって女が増えて、この悪循環も断ち切れつつあるようだけど
毛の処理くらいなら出来なくてもどうでもいいけど、もっと生きるのに必要な社会性すらない中年男は
親が面倒みられなくなるとどうしようもないんだよな
お母さまは私と似たような感情を持って育ったんですね。不思議と父にやり返す気持ちはないのです。丸くなってちいさくなって、いつの間にこんなに老いたのか、やり返したら崩れるのではないかと不安になります。もっとも、反抗期の頃に大喧嘩をして「オメーの介護はしねーから」「誰がお前の介護なんか受けるか」「言ったな、老人ホーム代ためとけよ!」というところは実行するつもりです。
悪くないと言ってくれてありがとう、泣きそうです。
一番衝撃だった母の顔を湯船に顔を沈めた時もお風呂場にスリッパが投げ込まれた時も3人で入浴していたので、姉も目撃者なはずなのに覚えていなかったのはやっぱり乖離なんでしょうか。姉は私のひどい反抗期を見て反抗期が終わったのか「お父さんは女々しい人だからさ、一人くらいは見方してあげないとね」と言っていたのが衝撃的で、ショックでした。私だけがずっと憎んでいるのかと。
私は父を許したい。
父は酒は全く飲めず、ギャンブルはしない。たばこは吸うが家の中では吸わず、どれだけ寒く暑くても必ず庭で吸っていた。地方公務員で残業はなく、決まって18:30に家に帰ってきた。
母は専業主婦で、子供二人は私立短大と私立大学を奨学金無しで出してくれた。
これだけ書くと素晴らしい父親だと思う。
実際に嫌いではないのだ。父親の吸っているタバコと同じ香りがすると懐かしいなぁとさえ思う。
父に暴力を振るわれたことはない。だからDVを受けてきた人からしたら「なんだそんなことか」になるのかもしれない。
だから大したことない。もっとつらい思いした人はごまんといる。と思うのだけど、それでも時々父に対し黒い感情が沸き上がり、「許していいの?忘れてしまうの?」と諭す自分もいるのだ。
まず、父は外面がいい。
人前ではキレない。人前では怒鳴らない。人前では嫌味を言わない。
でも帰ってきては毎日母に一方的にキレた。すべて些細なことだった。なんでこんなこともできないんだ、とキレた。
ご飯だよ、と呼んでご飯、箸、お茶が揃ってないとまだ出来とらんがや、と怒った。だから何よりも先に父のものを準備した。
あまりに喧嘩が多いので、まだ一人部屋が無かったころの心の休まる場所はトイレだった。トイレで壁の傷を眺めながら息をひそめた。
まだ父母姉私で川の字で寝ていた頃、先に布団に入っていた姉と私に向かって「こんなことなら〇〇(当時すごく流行っていたゲーム)はお前たちに買ってくるんじゃなかった。〇〇ちゃん(隣の家の幼馴染)にあげてしまおうか。」と言い、まだ寝付いていないのに気が付いているのかいないのか知っていたのか分からないが、いかに私たちが劣り〇〇ちゃんが優れているかを永遠と語った。豆電球が黄色く父親は黒かった。
「お前はお母さんや〇〇(姉)に比べて△△だな」とよく言われた。きっと同じ感じで姉も言われていた。
母とお風呂に入っていたらキレた父がスリッパを投げ込んできた。
また違う日は、キレた父が母の髪を掴んで浴槽に顔を沈めた。
父の部屋のカーテンをきれいにひいておかないと文句を言った。父の帰宅までにカーテンをひいておかないのは論外で、外に光が漏れてるだとか、ドレープが均等じゃないと怒った。
父は「誰のおかげで飯が食えて学校に行けてると思ってるんだ」「そんなに嫌だったら出てっていいぞ、(母方の)おばあちゃん家行くか。おばあちゃん家(隣の市)から学校通うんだぞ」と、子供には何も言い返せない言葉が口癖だった。
私はそんな父の血を受け継いだのか、キレてる父を見て育ったのか、短期でキレやすい性格に育った。
反抗期は長く、中学生から成人し、就職で家を出る大学卒業の時まで続いた。
一番ひどいときにはテンプレのように家出セットを作り心の支えとしていた。
「気に入らないなら出てけ」と言われ「こんな家出てってやる」と家出セットを取りに行こうとしたら胸倉をつかまれて「そういうことじゃないだろ!」と怒られた。
まだ自分で生きていく力が無かったころ、トイレの中で、キレる父の声を聴きながら強く「こんな家出てってやる」と何度も強く思った。
就職活動を始めた頃には父もだいぶ丸くなり、私の反抗期も終息に向かっていたため、本当に家を出ていいのか迷ったこともあったが、幼少期の刷り込みは大きく影響し、私は家から通えない場所へ就職した。
あの家から出たかった、その地が好きだった、という理由だけで就職を決めたので、時々これで良かったのかと悩んだりもした。
しかし、一人暮らしを始めてみると驚くほどに気性が穏やかになった。人にイラつくことが少なくなり、気分屋が落ち着き、キレることがなくなった。
年に数回帰るときはイライラしなくなった。父とにこやかに会話をし、時には二人っきりで短時間の外出もした。
でも時々、私と姉が寝ている部屋を開け、黄色い明りで少し明るい部屋と、入口に立っている真っ黒な父、そこから長々と発せられる嫌味。母の髪を掴み湯舟に沈める父を、フラッシュバックのように思い出してしまう。
ある時姉に上記の私たちの幼少期の父の言動の話をしたところ、「全然覚えていない」「よくそんなこと覚えているね」と言われた。私よりいくつか上で、私より記憶のハッキリ残る年齢だった姉が何も覚えていないという。
私が昔のことをいつまでも引きずりすぎているだけなのだろうか。
老いて丸くなった父を見て許そうと思う自分もいれば、でもこの人は私に嫌味をさんざん向けてきた人だから。という自分もいる。
私は父を許したい。
【追記】
両親特に母親は過干渉な人でいろいろ耐え兼ね就職と共に家を出た
親の目を伺ってびくびくしてばかりだった精神も驚くほど安定した
自分達がこんなに穏やかな親子関係が築けるようになるとは思わなかった
家を出て数年経った今、もし実家にいるときからこのようなよい親子関係を築けていたなら、自分の青春時代はもっとよりよいものになっていたのではないかと思うことが増えた
思春期をびくびくしながら生きていた後遺症が今も時おり顔を出すので、後悔に苛まれてどうしようもなくなるときがある
家を出たあと、一度母親に「子供の頃は厳しくしすぎて申し訳なかったと思っている」と言われたことがある
何を今更…とも思ったが「まぁ多少は厳しかったけど別に」みたいなことを言ったと思う
母親もとうに人生の折り返し地点が過ぎ、今ここで何か遺恨を残したらそう長くはない余生を娘とのもやもやを抱えたまま過ごさせるのかと思ったらそれ以上は言えなかった
僕は学生なのだが、休暇中は大量の課題と勉学を程々にしつつも、インターネットの海でバカンスを過ごしていた。
さて、本題に入ろう。新型コロナウイルスの流行によって更に露呈してきた「大人(笑)」について、少々愚痴を垂れ流させていただきたいのだ。
「大人」は何をもって大人とするか。僕はこの問いにいつも頭を悩ませる。
マスクを高値で転売し不要不急の飲み屋へ出歩き著名人を誹謗中傷し「自粛警察」ムーブをし、更に口を開けば「若者がー」。
こういう事を言うと「大人に反抗したがる尾崎豊のなりそこないがよォ」と言われそうだが、そんな人には、「反抗期」は「大人に反抗したがる時期」ではなく「子供と違ってなんでも出来ると思っていた大人が子供と同じくなんにも出来ないことを知ってそれに言及しだす時期」で、それを乗り越えると「もう皆何も出来ないんだから一々矯正しようと思うのも疲れた」と思いだすのが人間だと思っているので「あなたにもこんな感じの時期、ありませんでしたか?」とだけ言っておこう。
最近の話題で言うと、「センター試験の廃止」「外部試験の導入」が僕からするととんでもなくムカついた。ああでも安心して欲しい。大人の方々、初めからあなたたちに期待などしていない。特に教育関連の仕事に務める方々よ。しかし、期待していないにしてもこれはあまりにも酷すぎやしないだろうか。なんの中身も計画もなく、ただなんか国際的な国際に合わせて国際したかったんです国際🥺というのが伝わってきた。滑稽。
「身の丈にあった受験を」なーんてこと、思っていたとしても言わないのが大人(笑)の務めではなかろうか。身の丈にあった職業じゃないからその職辞めた方がいいですよ。
「私たちの時はこうだったからお前らも我慢しろ」理論はすごくサムい。そんな考えは大便と共にトイレへ流してからインターネットを使ってくれ。あとそういう大人(笑)に限って我慢してない。
「大人」っておっきくなった子供で、人間はもって生まれた価値観のベースからそう簡単には変われないんだよって、「大人」ってだけで信頼する同世代に言いたい。「大人」なんていないんだ。子供に手を出す大人は、あなたにとってどれだけ落ち着いてカッコよく見えたって、同年代から見ればただのハリボテだ。
この国を支えてくれているという点を無視した結果の文章でないことは分かっていただきたい。それはそれ、これはこれ。
ここまで喚き散らしておいたのだから、僕は「大人」な大人にならなくては示しがつかないな。
まず初めに「身の丈にあった」スーツでも買ってこようか。