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はてなキーワード: 反抗期とは

2020-06-04

anond:20200604101502

それ中学生くらいじゃね

反抗期真っただ中の子が上はオッサンは下はガキと言ってバカにするのはいつの時代も同じ

自分もガキなくせに

anond:20200604085127

パパくさーいと言うのは第一反抗期で、うるせえババアと言うのは第二次反抗期なので年齢が全く違うんだが

第一反抗期の子の言う事にいちいち怒ってる方が大人として駄目過ぎるわ

まあ実際に言われた父親は軽く流してネタにしてるだけなのに

横やりで本気で怒ってる幼稚なバカがいる、って話ではあるんだろうけど

パパくさーい

娘に厳しいことを言われててトホホ

みたいなツイートバズる人権侵害がーとかおっさんには何を言ってもいいのかとかこれが母親だったらなんとかかんとかって紛糾する奴いるけど

子どもちゃん反抗期が来てパパ臭いとかうるせーババアみたいなことを言えるのって健全な家庭の証だと思うけどな

そういうの言えない雰囲気の家庭で育った子どもの末路ってだいたいこどおじこどおばじゃね?

父親が気まぐれでちゃぶ台ひっくり返して妻子が土下座するような家庭が望みなのか

2020-05-31

anond:20200531092447

そういうの熱心な学校じゃなかったのでなーんにもやらなかったので

すぐサヨクガー言いたがるネトウヨ気持ち分からん

戦争悲惨だよ的な教育はあったが。国語とか道徳教科書にそういう話載ってるし)

学校行事の時に国旗掲揚はしてたし、君が代入学直後の音楽の授業で習ったが

国旗国歌の大切さを押し付けるような教育別にやらなかったし

因みに中学生の時に反抗期で皆君が代歌わなくなったが(校歌もそれ以外の歌も歌わないのが流行った)

別に無理やり歌うよう押し付けるような事もなくスルーされた

2020-05-21

anond:20200521162054

(素でやってるなら)性依存症

(イキリでやってるなら)反抗期

2020-05-12

anond:20200512231024

反抗期なんだよ

本当に賢明な人はすでにSNSを退会しているかシェアする価値のある、ideas worth spreadingなコンテンツへのリンクだけシェアしている

2020-04-27

知らない間に姉が虐待されてたっぽい

会社の先輩と話してて気付いたっていうか教えられたっていうか。

うちの家系は男主義というか田舎によくある男なんだからというタイプの家なんだけど昔から男の子でしょ」「お前は男なんだから」って言われるし、姉は女だからこんなの言われなくていいよなとか思ってた。

父方の親族も母方の親族もその傾向はあったけど、どっちかっていうと母方の方がまし。

途中で離婚して俺も姉も母方のほうに引き取られたから、そういう扱いもだいぶ減った。

姉はすげー気が強くて、あれこれ口うるさく言ってくるし、だいぶわがまま人間で俺はすげぇ苦手だった。家を出て行った時はすっきりした。

姉が家を出て行って連絡なんてほとんど取らないし、たまに用事があって家に来ることがあっても挨拶もしない。

お互いもう大人だしって過去のこと受け流すには面倒な記憶が多くて、すげぇ微妙距離感で過ごしてる。

姉が虐待されてたっぽいって知ったのは、ついこの間のことなんだけど。

先輩とリモート飲み会してる時にたまたま家族の話になって、それで知った。知ったって言ったところでこれを書きながら「本当に虐待なんてものがあったのか?大げさなんじゃないのか?」って気持ちの方がでかい

俺にとってその先輩は尊敬してる人で今の職場でめちゃくちゃお世話になってる。

プライベート遊んだりすることはなかったんだけど、リモートだしやってみるかってことでお互い飲みながら楽しく会話してた。

お互い家族の話とかして、こういうこと話したこと今までなかったし、と酒の勢いもあって愚痴半分で姉の話をしたのがきっかけだったと思う。

「俺の姉はろくでもない人間なんで、正直嫌いっすねww」みたいなノリで話してて、昔にあれこれ言われたこととか、そういうのを話してるうちに、最初は笑って聞いてた先輩が相槌打たなくなった。

ほろ酔いで先輩のそういうのに全然気付けなくて、「姉には相当八つ当たりとかされましたし、俺は姉に虐待されてたようなもんっすよww」て言った瞬間に「いや、虐待されてたのはお姉さんでしょ」って言われた。

俺の話を聞いてなかったのか?と一瞬思ったけど、冗談だと思って「いやいやww」て言ったら先輩は少し黙ってから「その話はこれ以上笑って聞けないから別の話にしよう」って言い出した。

まぁ聞いてても楽しい話じゃないだろうしってことでちょっと気まずい空気になったけどお互いに話題をかえてまた話してた。

だらだら話して空気も元に戻りはじめたころに、先輩の言ったことが気になってっていうか納得いかなくて「話戻していいですか」って聞いて許可を取ってから「姉が虐待されてたってどういうことですか?話の流れ的に俺が姉に虐待されてた側だと思うんですけど」って聞いた。

先輩はすごい悩んで「たぶん増田くんが聞いて楽しい話じゃないし」「断片的に聞いただけだから断言もできないし」とか色々しぶってた。

「先輩が感じたことを聞かせてくれればいいです」って俺が言ったらなんとか話してくれた。

俺が先輩に愚痴った話の中で先輩が感じたことだ。

■俺の愚痴母親は何も言わないしむしろ俺に甘いんだけど、姉がうるさかった。母親が甘いか反抗期とかなかったですもん」

→先輩の意見「それはお姉さんが母親の代わりをしてたんじゃないのか。世話になった記憶はないのか」

→俺(世話になったことあるな。いやでも家族だしそんなもんだろ)

■俺の愚痴「姉は塾に行ってやっと底辺高校の俺にむかついたんですよ。自分だって同じ底辺だったくせに塾行かずに行けたからって口うるさいんですよね」

姉は俺に口うるさかった。その中でも高校受験大学受験の時がやばかった。

俺は馬鹿で塾に行ってやっと底辺高校に行けるレベルだったんだけど、姉はその高校には塾に行かずに入ってた(滑り止めの私立にいけないっぽいか志望校落とした?みたいな話は聞いた)

→先輩の意見「お姉さんは塾に行かなかったんじゃなくて、母親に行かせて貰えなかったんじゃないのか?」

→俺(そんなことないだろ。進研ゼミみたいなのやってたし)

■俺の愚痴大学受験の時も母親に「男の子なんだから大学出て」って言われたか受験しましたけど、俺は大学行く気なんてなくてわざと落ちたんですよねwwそれ姉に言ったら自分だって大学行かずに専門選んだくせにむちゃくちゃ怒られてうるせぇって思いましたww」

→先輩の意見「お姉さんは本当に大学に行かないという選択をしたのか?親に言われたり、家計のことを考えたりして行けなかったのではないのか?」

→俺(そういや大学受験勉強してた気がする)

■俺の愚痴受験費用いくらかかってると思ってんのとかって怒られましたね」

→先輩の意見増田くんとお姉さんの年齢差でお姉さんは金額を知ってて増田くんは知らない。それはお姉さんが母親からお金相談をされていたのではないか?親が子供に「お金がない」とか「お前にいくらかかってる」とかいうのは金銭的な虐待の一つ」

→俺(へ~虐待なんだ~。姉はバイトしだしてから家にお金入れてたな。俺はいれなかったけど)

□先輩の質問「お姉さんに守られたり、面倒見てもらったりした記憶は本当にないか増田くんが「男なんだから」と言われて育ってるってことはお姉さんは君の知らないところで「女の子なんだからお姉ちゃんなんだから」って言われてる可能性が高い」

→俺(八つ当たりもされまくったが、やばいときに面倒みてもらったこといっぱいある。母親がいないとき朝は早起きして弁当作ってくれたこととかある。他にもなんか、言われてみれば確かに?みたいな。いやでも俺に八つ当たりしていい理由にはならなくね?)

■俺の愚痴「姉が家出て行ってから母親かもめっちゃ俺に姉の愚痴いいますもん。やっぱ姉はクズなんですよねww」

→先輩の意見「お姉さんがいる間は、母親はたぶん増田くんの愚痴をお姉さんに言ってた思う。だからお姉さんは君にあれしろこれしろって言ってたのではないか

→俺(それは知らないからわからない)

他にもいっぱい「もしかして?」と思うことはあったけど、印象に残ってるのはこんな感じ。

正直先輩の考えすぎだと思うんだけど、先輩の家もお姉さんがいて似た様な状態だったらしい。それで、お姉さんは結婚して先輩たちと離縁?したとかでもう連絡も取れないんだと。

最後にお姉さんと会ったときに今までなにも言わなかったのに、泣きながら色々暴露されて先輩も「何言ってるんだろう」ぐらいの感覚だったらしい。

時間が経って実の親にそれとなく確認したら全部本当で、(でもでもだって、とかで全部先輩を理由にされてぞっとしたらしい)俺も俺の母親の行動も自分たちと被ってどうしてもそう聞こえてしまうとのことだった。

全体的な先輩の意見は「増田くんも虐待されてる被害者の一人だけど、お姉さんも被害者だと思う」「お姉さんのことを加害者だって言うなら、置かれた状況に気付いてない増田くんも加害者だよ」って感じだった。

自分から聞かせてくださいって言ったから「わかりました」みたいな感じで話を終わらせたし、先輩とはその後も別に普通で変わりなくやってる。

でもやっぱ納得いかないんだよな。俺は悪くないし、姉が虐待されてたとか思えないし。テレビでみるようなやつとかはなかったし。

俺は悪くないだろ。姉が悪いだろ。

2020-04-21

辛いことを辛いと言わず

今年に入ってから、辛いことを辛いと相手に伝えるようになった。

滅多なことでは人にそんな感情は持たない。

からは穏やかで優しそうと言われるし、実際イライラすることもほとんどない。仕事趣味楽しい

まりにも辛いことを自分の中で抱えてしまい、 相手に伝えたことが始まりだった。

もう30すぎのおっさんだが、 年を取って精神が貧弱になってしまったのかもしれない。

受け入れて我慢することが男だというような、妙な価値観に疑問を持ったからかもしれない。

今、急に思い出したけど、感情を抑え込むのは、兄が反抗期を迎えて、親に大きな声を出しているのを見てああはなりたくないと強く思ったのも影響しているんだろう。 また家の中では弱い立場だったので感情を押し殺して耐えることに慣れてしまっていたのかもしれない。

相手に伝えることで改善してほしいという欲求はある。そのために伝えるのだから

しかし、伝えることそれだけで心がスッと軽くなる 不思議現象に当惑している。

伝えるというだけの行為にこのような効果があることを発見のように感じている。

思春期の頃からこういう事がちゃんとできていればもっと良かったのになと思った。

2020-04-20

anond:20200420162647

親が本読んでる姿を日常的に見ていれば自然と本を読むようになる

本を読む習慣のあるこどもは自然国語力をつけてゆく

国語力のあるこどもは反抗期に平気で親を論破してくるようになる

バシーン!※壁

(泣)

2020-04-19

anond:20200416231657

性転換ガチるなら変声期前がいい

親が頭ごなしに言ったところでメンヘラゲイビッチになるだけ

中途半端市販品買い揃えても第二次性徴おっさん化する

どっちにしても専門医相談しろ

反抗期相まってろくなことにならん

ソースは俺

2020-03-30

anond:20200330102427

そもそもそういう事言ってる奴って自分の親が嫌いな奴が多いと思う

ただの反抗期なのかガチ毒親持ちなのかは知らんが

2020-03-13

過去のつらい思い出の話をする。

おはようございますこんにちは。こんばんは。

わたし最近になってやっと意識を獲得した人型の動物です。

などとおかし自己紹介になってしまったのには理由がありまして。

というのも、わたし人生を振り返った時、そのうちの半分は「自らがおかれた環境下で生きることにいっぱいいっぱいだった動物」だったというのを最近になって自覚したタイプの生き物だったからです。

この気付きから過去記憶フラッシュバックが止まらなくなり日常生活が滞ってしまった為、こうして書き出すことにしました。ネットの海に流して供養することが目的記事になります

友人や知り合いに吐き出せるような話ではないし、読んでいて気分が良くなるものでは決してないのと、あくまで「わたし」の為のごくごく個人的文章であることを理解された上で読み進めてください。

また、精神的なネグレクトを受けたと感じた側からお気持ちなどがあるので、そこら辺を見て落ち込みそう/気分を害しそうな人は見ない方がいいと思います

書こうとしたはいもののどこから話せばいいのかな……そうだ、きっかけですね!

これを思い返すことになったきっかけは兄を相手家族の話をしたことだと思います

わたしは兄と二人兄弟で、小さなころから同じ家で過ごしました。兄もわたし所謂オタク趣味にしていて、いつも何かしら共通話題があり、この日もひょんなことから幼いころに感じていた家族についての話になりました。

この書き方だとあまりそういう風には見えないと思うのですが、兄とわたしが話すとき父についてのシリアスな会話はタブーのようなものでした(少なくともわたしはそう感じていました)。なのでこのときわたしは、もう2人で擦り合わせをする機会はこの先訪れないかもしれないと思い、勇気を出してシリアスな話を切り出しました。

真っ暗な井戸の底のほうまで下ろしたと重い桶を、慎重に引き上げていくような心地でした。

家族構成するメンバー祖母、父、母、兄、わたしの5人。祖父もいましたがわたしが幼いころに亡くなった為、「わたし家族」と聞いてまず頭に浮かぶのはこの面子です。

兄と話していて思い出したのは毎晩の食卓のこと。始まりはいつも概ね穏やかな食事でしたが、時間が進むにつれわたしの緊張感は高まりました。

それはなぜか?

答えは「父と祖母の怒鳴りあいがいつ始まるかわからいから」です。

間に母が入り両者を宥めるところまでが1セットの物騒なコミュニケーションは、晩ご飯時間中にどんなきっかけで始まるか、どのくらい続くか、何回起きるかなどわからない尽くしのハリケーンみたいな現象でした。

簡単喜怒哀楽にうっすらとした自我ふりかけただけの「小さなわたし」にとって、父と祖母が行う激しい親子のコミュニケーションは「こわいこと」として分類されたんだと思います。それがほぼ毎日続くうち「一日の終わりに起こるうんざりすること」にもなったのは自然な流れだったんじゃないかな。繰り返し体験するうちにその特殊コミュニケーションに巻き込まれるのも、火種になるのも嫌で、食卓の上で誰かに会話を振られても可もなく不可もない答えを返していたし、誰かの琴線にふれてしまわないよう、割とつねに気を張っていました。

自分食事が終わるとすぐに「ごちそうさま」と言って食器を下げて、兄と一緒に別の部屋へ退散しました。まあ古い家だったので別の部屋へ逃げても怒鳴り声が聞こえてくるわけですけれども。

なぜにこにこと笑っている父や祖母が、一瞬で鬼の形相になってしまうのか。

「それはそういったコミュニケーションの形なんだよ。二人はちゃんと仲が良いか大丈夫心配いらないよ。」

などとハグしてもらったり、教えてもらうきっかけもないまま体験する毎夜の嵐は、わたしの心を大変疲れさせたのではないでしょうか。(ないでしょうかってなんだよって自分でも思うんですが……そのころにあったであろう学校行事や友人とのこまかい記憶などがうすぼんやりしか残っていない為「ないでしょうか」としか言いようがない……)

また怒鳴りあいコミュニケーション祖母と父の間だけではなく、父と母の間でも行われていました。父母の特殊コミュニケーションの日程は決まって土曜日祝日開催。つまり顔を合わせて長く話すようなことがあると、口論としてヒートアップしていったわけです。

小学校から帰ったら夜ご飯と共に家族口論。土日祝日は両親の口論ランダム勃発、のちに夜ご飯タイフーン上陸

以後、このうんざりするようなタイムスケジュールわたし高校卒業してから少しするまで延々、ずっと毎日、十数年続いていきます

たここまで読んでうっすらとお気づきの方もいるかと思いますが、これはコミュニケーション値が大変低い家族の中でなるべくしてなり、起こるべくして起きた地獄しかない日々の思い出を吐き出す記事でもあります。この先も気をつけてください。

そうなんですこの家族、全員が全員ともコミュニケーション数値がおそろしいほど低かった。

ここでいうコミュニケーション値が低いというのは「人との関わり方が上手くない」ということで、人に頼る方法での問題解決能力が著しく低いことを指します。

別の言い方をすると「感情を消化させることが不得意」であったり「困ったことは大体自分一人で解決しようとすること」にあたるのですが。なんとこの家族祖母、父、母の3人が3人とも「本当に困った時は家族相談せず自分一人で決断するタイプ人間」だったのです。

少なくとも小さい子供の前で困ったときに「困ったな~」と息抜きにでも呟くような人間がいませんでした。口下手なので子供の前でふざけることとか本当になーんにもしないの。かっこいい大人背中を見て育てってか?え?口から言語を扱ってから言え!バーカバーカ!

失礼、話が逸れました。

それで、そんな大人の姿を見て育った「わたし」という子供はどうなったのか?

家庭内で困ったことがあっても家族相談してはいけないんだ」とすっかり思い込んでしまいました。

するとどうでしょう自分が困ったときにどうしたらいいのかわからなくなり、解決の糸口がガチでわからず、何かあると問題には触れず解決を先送りにし、心に不安わだかまりを抱えたまま癒し時間に任せて過ごしていくことばかりを覚えていったのでした。

おしまい

……いやもちろんおしまいなんてことはなく、「わたし」の人生はそこで終わらず続いていったので、普通に人との接し方がよくわからない人型の喋る動物が大きくなっていっただけなんですが。(なんですかこれ、言葉にするとめちゃくちゃ怖いな……)

途中でなんとかならなかったのか?という問いには「残念ながら……」という回答しか差し上げられないんです。本当に。残念ながら。

そもそもなぜなんとかならなかったのか。

それは「わたし自我形成される期間中、親への信頼なくなったこと」が多分大きく関係しています

わたしの両親は共働きで、週休2日の週5勤務。母は帰宅したら少し休憩をしてご飯作りを始め、父は帰ってきたら風呂に入ってご飯の前の晩酌をする。まさにひと昔の夫婦って感じでした。

これだけ書いたら「なんだ、普通家族じゃん」って感じなんですが。ここに「夫婦はどちらも自分一人の時間がないとしんじゃうタイプ人間で、作業趣味息抜きも一人で没頭したいタイプ」、「なお2人は仕事クタクタ疲れたコミュ障」という特性が加わると、どうなると思いますか?

結果をお伝えすると、2人の隙を見ては今日の出来事や楽しかたこと、悩み事などを話そうとしていた幼いわたしが、見えないシールドにはじき返されて転ぶばかりになりました。あと癇癪持ち酔っ払い相手(酔った時に話したことは覚えていないタイプ)にする真剣な悩み相談ほど、面倒で参考にならないものはないですよね…。(遠い目)

また、このインターバルにも思える時間を逃すともうだめです。チャンスはありません。最初の方に書いた、いつ雷が落ちるかな?ドキドキ☆晩ご飯タイム()になってしまう為、まともにお話しできるような時間おしまいです。解散

そして「何よりもただただ話を聞いてほしかったわたし」はこのころの経験から、そういった方面での親への信頼をじわじわと減らしていきました。もともとの内向的性格と、両親からいつ発せられるかわからない大きな声への苦手意識ゆえに、その不満を爆発させるような機会もなかった為だと思われます。我が子からのそういった信頼値がマイナスに傾いているなんて事実、両親は知らずに生きていることでしょう。わたしも今更そのころのことを知らせて、改めて地獄を見る気はまったく以てありません。

ちなみに、わたしは小さなころから「手のかからない」と評されてきたタイプなのですが、実情は「親への信頼度の低さゆえに何も話さなくなった子供」になります

忘れられない話なのでついでにここに書きますが、高校性のころ三者面談で割と信頼していた担任

おたくのお子さんのように子供を育てるにはどうしたらいいですか?」

と父を持ち上げたとき

「いやあ、放っておいただけですよ。」

と照れ臭そうに答えた映像がいまだ焼き付いて離れないんですね。「心の底からやめたほうがいい。」と思ったけど、そのときにはもう心の開き方がよくわからない動物になっていたので(あと不意打ちのショックで)、そのことを担任には伝えられなかったことが心残りでならないです。

(他にも、親がわたし子供のころの「手がかからなかったエピソード」を良き思い出のように話すのを聞く機会があると、心が荒れ狂って獣のようなかたちになってしまうんだよなあ。いつか本物の虎にならないよう注意します。)

あとこの記事を書くきっかけとして兄との対話がありましたが、兄曰く

高校大学くらいまでの記憶がとんとない。」

ということだったので擦り合わせのようなものはかないませんでした。ちょっと残念でしたね。



閑話休題

こんな環境の下でグレる気力もなくしたわたしが、体だけはすくすくと立派に育ち、高校生くらいになった時の話でしょうか。

父が仕事で体調を崩し、自宅で過ごすことが多くなっていたころです。

いつものように休日を家で過ごしていた両親とわたしが昼食を食べていたときわたしにとって衝撃的な事件が起きました。

ふいにしゃっくりを出てしまった母、それを見た父が

「母のしゃっくりは相変わらずかわいいな。」

と言ったのです。

…………h、?は?

ハァ????????????????????????????????(フォントサイズ最大)(太字)(赤色)

と、そのときは思わず内心ではバチクソにブチ切れる若者になってしまいました。その後「えへへ…(照れ)///」みたいな態度を返した母に対してもです。

突然のことに(非常に残念ながら)体は驚き固まり動かず。突然見せつけられるリアル夫婦の惚気(十数年間生きていて初めての!)とのにテンションの差でしにそうになりながら、息をするのがやっとだったわたしは、心の底から思いました。

お前ら仲悪いのんちゃうかい、と。(太字)(赤色)

その後わたしの遅めでささやか反抗期挨拶や会話を振られてもちゃんと返さない(面倒な人間相手にぶつかり合うのが面倒になっている為こうなりました)」が発動されることとなりました。

また、今思い返してみればという話ではありますが。

わたしの両親は「限りなくマイペース自分のペースが保てないとストレスを溜め爆発する」、「一人の時間がないとしんでしまタイプ」、「作業趣味息抜きも一人で没頭したい人間」、「疲れるとコミュニケーションの余裕がなくなる(もともとのコミュニケーション許容量が多くない)」という属性のほか、

「親である前に恋人

という隠れ属性を持っていたわけですね!すごい!

もっと早くに知らせてほしかったな~~~~~~~~~~泣きそう!!!!!!!!!!!!!(もう泣いてる)

幼い子供の前で十数年!ガチシリアス雰囲気で怒鳴りあい時に片方と見ていた子供不安で泣くようなギスギスした特殊コミュニケーションが?!痴話喧嘩だったなんてことあるか?!?!?!?!?!?!!!知るか~~~~~~~~い!!!!!!!も~帰らせていただきますわ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!(実家が住む家)(秒で顔合わす)

ハァ……ハァ……

すみません、取り乱しました。

冒頭に書いた通りですが、最近になってやっと比較ちゃん人間としての心が正しく揺れ動くようになったので、これが「怒り」であり「悲しみ」だというのを”理解”して”発露”してしまいましたね。フフッ ウッカリウッカリ☆(棒読み)

そんなこんなでややダウナー気味の反抗期を迎え、両親との溝を更に深めたわたしですが、更なる問題が発生します。

私が大学に入ってすぐのころ、父が亡くなりました。

大病の末の結果なので、家族として心の準備はできていたと思っていたのですが、それでも誰かがいなくなるのは悲しいですね。

などと心から人間味のある言葉が出てくればよかったのですが、そんなことはなく。ただただ日々感じていたひとつ大きなプレッシャーから解放された自分の心を、不思議な目で眺めるわたしがいるだけの生活になりました。

特に大きく日常が変わることはなく、このまま過ごしていくと思っていました。しかしそのときわたしは気づいてしまった。

「あれ?もしかしてこの先もずっと生きなくちゃいけないのか……????」

そう、そこでわたしは「自分人生真剣に向き合うということをおろそかにしていた」ことに気づいてしまいました。

「家でプレッシャーを放ち続ける父母祖母のご機嫌を伺いその日その日を生きること(解放されるのは外出時と寝る時)」に人生の大半を費やしてきたわたしはどうも「自立する」、「新しいことに挑戦する」、「ペットを飼いたいと交渉する」など、両親との長めの話し合いが発生する場を悉く避けて通ってきたようです。本当に、ここまでまったくの無自覚でした。

まあ気づいたところで急に何かに目覚めるわけでもなく、まずもって気力がないので出来るわけでもありませんでしたが。「このままじゃいけない気がする」という漠然とした焦りから映画漫画アニメなどの創作物に対し、心新たに触れるようになりました。(もともと漫画アニメなどは好きで小さいころから見ていたんですが、日常からの逃避先がそこだった為か、内容を覚えていたりいなかったりするんですよね……記憶がない状態で楽しむアニメ漫画、めちゃくちゃ面白いよ!ヤッタネ☆)

その後なんやかんやで就職できて、何年か社会人経験し、先輩や同僚にもまれたり気の合うゆかいオタク友達との出会いがあったお陰で、やっと「人語を話すけど意思の疎通がはかれない人型の動物から「たどたどしいがやろうと思えばなんとか意志の疎通がはかれる人型の動物」にクラスチェンジできました。

こんなクソ重いありがとうを直接伝えることは憚られるので、ここで叫ぶことをお許しください。

特にかいオタク野郎のみんな~~有難うな~~~!!!これからも仲良くしてくれるよう頑張るよ~~~~!!!!!

相変わらず親に似てコミュニケーション容量が低いままではあるけど、それも含めてなんとかやってます。(しかしここまで来るのがあまりに長かったので、これまでに大変なご迷惑をお掛けした人のことを思うと、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。もうこんな(わたしを始めとした)人間未満みたいなもの出会わないようにと祈っております。日々が穏やかで良いものでありますように。)

自分では上記にある辺りの激しめの感情はとっくに昇華されたものだと思っていたのですが、疲れて余裕がないときバラエティなどを見て笑っている母をみると無性に苛立ち、シリアスに泣き出したくなってしまときがありますちょっと危険だなぁと思っています一種ボーダーラインだと思ってそういう時は寝て回復に努めるのですけれども。

この文章を書きながら全然昇華されてなくて自分でも笑ってしまいましたし、いつか本当に追い詰められた時に有事引き起こししまうようなぼんやりとした予感がありますお金が貯まったらちゃんと離れて暮らそうと思います。お互いの為にもね。

また未だに「健康精神状態運営された家族という団体」への憧れは強くあるようで。

誰かが手掛けた創作物キャラクターが心通わせる表現にふれると、あまりに眩しく尊く感じ涙を流したり、TLで健全コミュニケーションが成立し、信頼関係が成り立ったご家族アカウントを見かけると「本当に実在し(ていてくれ)たんだ」と感動してしまます。なんか、アレだ……太陽の光に当たってぼんやりと、あたたかく眩しいなと感じるような瞬間に似ています存在していてくれて本当に有難うございますわたし勝手に救われています

繰り返しますがこの文章は、それなりに情緒が育ちその当時の感情言語化、過去の振り返りおよび分析ができるようになってきた「わたし」が、その気づきとともに過去自分感情に圧し潰され、溢れだす記憶に涙が止まらなくなり、座り込んでしまった「わたし」のための個人主観記事です。

今何かに苦しんでる「あなた」を追い詰めるためのものではないので、もしもここまで読んでちょっと苦しくなっちゃった人は、とりあえず体をあたたかくしてゆっくり休んでほしい。休んで。寝て忘れてね。どうぞお大事に。

ときどき思い出に苦しめられつつ、寝ずに一気にこれを打ったので、ところどころぐちゃぐちゃな文章になっていると思うのですが、ここまでお付き合いいただき本当に有難うございました!

こんなところまで読んでくれたあなたにも、ちょっと良いことがあるといいですね。

それでは。

2020-03-06

半年前に兄が帰ってきて、また出ていく

半年前、兄が海外赴任から帰ってきた。

当方(弟)20代半ば、兄は30近い。首都圏住み故に、双方実家暮らし社会人

私が兄を形容するにあたって、何よりもまず「畏怖」のようなものが挙げられる。

幼少期の兄はガタイがいい(というか太り気味)であり、私は痩せ型であったため、年齢差も相まって力関係の差があった。何かしらあると怒られたりつねられたりし、長期休暇などで家にいるとおっかなくてしょうがなく、仕事に出ている母親電話で助けを求めた記憶が残っている。

兄は中学からは塾に通うようになった。進学校を目指すようなハイレベルな塾で、競争が激しいのか課題が多いのか兄の機嫌は更に悪くなった。当時の私は、塾に行くと性格が悪くなるのではと兄を見て思った。

兄は中学から高校にかけての反抗期も激しかった。親と盛大に喧嘩をしており、私はいつか兄が家族を手に掛けるのではないか不安になった。高校定期テスト受験あたりでは輪をかけて機嫌が悪くなった。中学生だった私は、中学時代の兄を見たために塾には入らず、テスト前でも呑気にゲームをやるような生活をしていた。一方で成績は中学時代の兄よりも良好であったため、いけ好かなかったと思う。

兄は大学生になった。活動が盛んな運動部に入り、土日は家をあけることが多くなった。接触が減ったが、部活の影響で体格が良くなったため、揉めた際の迫力が増した。一方で私は兄と同じ高校に入った。文理選択では、兄と異なる系統を選んだ。単純な興味の面が半分、兄との比較がしにくくなる面が半分であった。

私は兄と異なる大学に進学した。兄のいる部屋と別の部屋で友人とスカイプ通話をしていたら、うるさいとすごい剣幕で怒られた。今度やったらパソコンをへし折るとのこと。私は兄がいないときのみスカイプを使うようにした。

兄は就職し、婚約者が出来た。兄の婚約者と私達家族食事する機会があった。普段ぶっきらぼうな態度は何処にというような気さくな言動をする兄の姿があった。あれが家の外での兄なのだろう。私はなんだか胃が痛くなり、手元にあった酒を呷った。

そして兄は海外へ赴任した。兄との相部屋は、人が一人常時いないのもあり随分と静かになった。社会人になっていた私は、労働に追われながらも兄のいない生活に慣れていった。

他方で、兄の優しかたことや、兄の尊敬できるところももちろんある。

幼い頃に、揺れる車の中で即席の話をよく聞かせてくれたこと。私の高校受験ときに、応援意図シャープペンシルを贈ってくれたこと。自分センター試験おやつのついでとはいえ、私にアルフォートを買ってくれたこと。私の大学受験就活に助言してくれたこと。

兄は大学時代部活動の一方で学業も怠らず、皆が羨む企業就職した。努力を嫌った私には出来ないことであった。

そんな兄が半年前に帰ってきた。帰国の予定日が近づくのと一にして、疲弊した感覚が襲ってきたことは記憶に新しい。

冒頭に書いたが、私は兄を畏れている面がある。知人に、「何かに怯えている感じに自信がなさげ」と評されることがあるが、多分その影響であろう。親には、自分気質理由他人に見出すなと言われる。遅きに失している感はあるが、私も恐怖を抜きにして兄や自分自身に向き合うべきなのだろう。

兄はこの度家を出る。海外赴任ではない、夫婦としての新生活だ。私にとっての兄のいる生活は、完全に終わりを告げる。余程のことがない限り、寝食を共にすることはないだろう。これが最後だと考えると、兄にしたこと、されたことを思い出し、得も言われぬ寂しさが湧いてくる。我ながら調子がいいものだ。

社長の「セクハラ」について

どの立場であろうとセックスに誘ったりする事はおかしくなくて、誘うだけでセクハラ扱いはおかしい。

それを拒否する権利社員にあるし、拒否した事によって社員が不当な扱いを受けなければいいと思うんだけど、

拒否されて不当な扱いをする奴が悪いのでは?

その時はノリノリで関係を持っておいて、終わった後に被害者面して告発する奴

女性には主体性が無いって言いたいのかな。

40代までの女性には契約行為をする場合、親の同意パートナー同意必要社会にしたいのかな?と思う。

黒人差別撤廃運動とかさ、ああ言うのって「黒人解放しろ」であって「黒人保護」を求めるモノでもないし

もっと大切にしろ無視するな!」

って反抗期の子供みたいな「甘え」だと思うんだが。

2020-02-29

虐待相談

長文になるが、私には相談出来る相手がいないため、ここにカキコすることにする。

私は、中学3年の女だが、昨日親に頭・頬・腕を約20発程殴られた。一言でいうと目立った外傷はないが、頬を主に殴られたと思う。頭は少々たんこぶが出来ていて、頬は触ると痛むが痣等は出来ていない。また、腕はよく見なければ分からない内出血があるのみである。ここまでは昨日の被害だが、私は親に日常的に暴行を受けている訳では無いけれど偶に返答ミスをすると1発殴られることがある。そして、『親だから 』という理由で今まで祖父等の親戚から貰った金で買った私物(DVDプレイヤー:8000スマホ1:7000円 購入した漫画小説類:約10000円 等)を簒奪破壊または捨てられている。なお、今はスマホ2(親非公認で購入した中古スマホ simなし)で打っている。

また、私は親を『私の安全自由を脅かす存在 』として憎んでいるため、この機に虐待による保護児相(児童相談所)に相談するまたは起訴をしたい所だが、今は受験期のため騒動による合格内定取り消し可能性もあるのではないかと思っているため(未調べ)出来ずにいる。そして親にこちらの動きがバレて対策されては非常に困るため大っぴらには動けない。また、今は何とかスマホを死守している。なお、私は家族がどうなったとしても構わないと思っている。親をもし訴えられず、保護もされず『 家族』を続けることになるならば、社会人になった後は縁を切るつもりである兄弟姉妹(1人)には申し訳なく思うが、躊躇はない。本音を言うと×したいが生憎私には完全犯罪や未解決事件にできるような天才頭脳もなく、履歴・内申に傷がつくようなことはできない。また、この傷?打撲痕が完治してしまえば証拠が無くなり機会も失ってしまう。と、手詰まりなのでどうすればよいかアドバイスがほしい。

ここまでガキの拙い長文を読んでくれてありがとう文章意味が分からない所や質問があれば返信するよう努めるが、いつ叩き壊されてもおかしくない状況のため返信は保証しかねるのでご了承願いたい。そしてここには匿名ネットの民の意見が聞きたかったためカキコさせてもらった。思春期反抗期からそんなことを考えている、大人になればそんな考えはなくなる、や子供では無いだろう、遊び半分でこんなことは書くな、作り話だろう、と辛口コメントが来ると思うがここに書いてあるのはあくま事実と主張しておく。また学校コロナ卒業式まで無く、私には相談出来る相手がいないため、ネット偏見なしに見てもらえるといいなぁと思いつつ書いた。いいアドバイスが来ることを期待してます

2020-02-27

3年前に髪の毛を緑色にした

今までの仕事をやめてニートだった頃

今までお堅い仕事をしてた反動金髪にしてたんだけど、段々飽きてきて次の髪色どうしようか…と悩んでいた時に何を血迷ったか髪の毛を緑色にした。

因みにドンキで売ってるヘアバターを使って染めた。

サンプルを見た限りでは、塗布してから数分で薄い緑がかった金髪になると思っていたが、想像以上に緑色になった。


例えるならコンビニ弁当に入っているバランのような色合い


シャンプーで洗い流して、鏡を見た時はあまりの染まり具合に愕然とした。友人からは川の底に生えている苔と同じと言われ、親から悲鳴をあげられる始末だ。

外へ出れば、これでもかというぐらいの視線を浴びた。親子連れも爺さん婆さんもオタクヤンキーもガン見してくるのはこちから目を合わせなくても伝わった。まるでズボンが破けて尻が丸出しになっている人を見る様な視線だった。

緑髪になったおかげで、今まで着ていた服も合わなくなり考えた結果、古着屋で買った何処の国かも分からないパンクバンドTシャツを着まくった。

隣に住んでいた家の住人で反抗期真っ盛りの中学生からは、親に日頃向けている反逆精神を感じる事はなく、寧ろ得体の知れないモノを見たかの様な恐怖心を感じた。気のせいかから怒鳴り声を聞く事は暫く無かった。


一度銭湯露天風呂に浸かっていた時、何気なしに髪の毛を触ったら虫の死骸が出てきた事は今後の人生において一度きりだろう。

そんなこんなで、暫くして緑色から元の金髪に戻った時には髪の毛を黒く染める決心を固め、遅めのイケイケ期は幕を閉じた。


あれから3年経ち、若者が多い街に行くとピンク色や薄紫色に髪を染めた子達を見る度に彼らや彼女達も俺が味わった様な視線を浴びているのかなと思いつつも、やっぱり派手髪は若者特権だよなあとも思い、微笑ましく見ている。

2020-02-19

反抗期に親がひるめば暴力的な態度をとるようになる。

子供の中で不満や反抗心が渦巻いても、親に発散しないようにしなければならんと思うよ。

反抗を受け入れた同級生の親が不幸になった例は沢山知っている。

からうちでは見守るという名の放置はしない。

息子も娘も嫁に暴力を振るい始めた事があったから、2度と嫁に手を出せないようにキツイお仕置きをしておいた。

嫁も子供等をかばって俺に黙ってたんだよな。

子の体格が親の体格を抜いた時に反抗期到来という感じだった。

子供同士の集まりがあった直後に反抗的になったから、おそらく集団で親をバカにしたり軽視する話をしたんだろうと思う。

実際にそういう会話になったという事も息子からは聞いたし。

躾は必要だよ。

対外的には偉そうな事言ってるくせに、子に対して気の弱い親は本当に多い。

2020-02-18

anond:20200218015540

んで「その他の社会」でオタク社会に入ってしまうとその辺の感覚が狂うんだろうな、とは思う

小学校高学年か中学生くらいでオタク趣味ネット覚えてその世界に漬かって

学校友達はいいか、或いは同類オタクばかりになって

反抗期で親の言う事なんか聞かない

って環境で育つと「オタク世界TPO(=いつでもどこでも好き勝手にイキる奴がかっこ良くて偉い)」が全てと勘違いしたイキりオタクが育つんだろう

んで大人になる前にそこから卒業できないとそのまんま

2020-02-15

母親とのLINEしんどい

母親から日々送られてくるLINEしんどい

既婚30歳娘と実家にいる60歳母親ってどのくらいの頻度で連絡とり合うものなの

わず「親」「LINE」検索したけど、義実家への愚痴10反抗期愚痴しか出てこなかったよ

会社に遅れそうで急いでる朝、集中して仕事に取り組んでる日中、帰りたいけど必死資料つくってる残業中、帰宅して夫の食事を急いで作ってる最中…通知をチラ見して思わず顔をしかめてしま

返信しなくちゃ、とは思うけどほとんどが「へ〜」としか返しようのない内容で頭が痛い

テレビで見た美味しいらしい店とか、ネットに出てた私の家や職場の近くの話とか、今日これから雨がひどくなるらしいけどまだ仕事なの?とか…

放置したり興味薄いリアクションすると、病気とかお金とか、無視の出来ない話題に変えてくるのもなんとなく嫌な感じで疲れる

いまはだいたい2日に一回、多いとき毎日、それも日に2〜3回連絡が来る

そもそも月に一度は呼び出されて直接会うし、話もそのとき色々聞いてるんだけどな

周りに相談したところで「お母さんかわいいじゃん」「仲良しで良い親子じゃん」くらいにしかとられないし、このくらいで親のことしんどいと思ってる自分ダメなのかも…と思ってしま

親とのちょうどいい距離感って、いまさらどうしたらいいもんですかね

2020-02-05

anond:20200205175107

俺の兄が甘やかされすぎたからか

反抗期でドクズになったのを目の前で見たからな。

兄がいたおかげで危機感を持てた。

兄も俺が変わったのを見て危機感を持ったらしく

ちょいクズで留まってくれてる。

2020-01-27

普通」と「既成概念」を小ばかにする人たちへ

普通って何だよ」

普通常識)って何だよ」。これを言っていいのは瑞々しい反抗期中高生までだと思ってる。二十歳過ぎてこれ言う奴は逮捕して送検して起訴して欲しいとさえ思う。だから大人になって「普通って何だよ」って言う奴が嫌いだ。大抵の場合これを大人になって言うやつはドヤ顔だ。なので俺は反射的に「教えてやんねえよ」と思いながらそいつを幼稚なやつと認定して見下すことにしてる。

というかそれを言う時点でお前は「普通」という言葉意味理解していないことを宣言しているのでこれまでの人生における人間関係において「普通」という言葉知ったかぶりしていたんだな?「普通はこうだよね」とか「普通の人」なんて言い回し二度とするんじゃないぞ?「普通うまい」とか言ってろよ。

そもそもお前が「普通」にケチをつける理由はお前の価値観なり美意識なりが「普通」と対立しているからだ。都合が悪いからだ。そして「普通」に対して分が悪い。だが自分が「普通」に寄せるのはイヤなので「普通」を否定するのだ。正確には否定しきる程のロジック自分の中に持ってないから「揶揄」するのだ。「普通って何だよ」とぼけて見せるのだ。知ってるくせに。卑怯者。教えてやんねえよ。

かと言って自分自身価値観と美意識を、問答無用説得力でもって「普通」の人たちに啓蒙し新たな「普通」になろうとは思っていない。あくま自分はトガっていたいのだ。個性的でありたいのだ。相対的に「普通」という概念が基礎になければ個性なんて成立しないのに。

「既成概念に囚われるな」

個性を求めて「既成概念に囚われないものを」と言って若者を唆す中高年の大人が嫌いだ。そんなこと言ってお前ら自身それほど「個性」が好きじゃないだろ?そんなにしてまで若者に嫌われたくないか老害って言われたくないか

どんなジャンルであっても大抵の若者は既成概念の塊である教育を、訓練を、経験を持っていない。そんな彼らに身に着けてもいない概念否定を言ったとしたら彼らはどうするか?どうしたらいいのかわからず「戸惑って立ち尽くす」か「奇をてらう」のだ。そしてお前らはそれを二つとも否定するのだ。そして説教と言うマウントを始めるのだ。まったくもって不毛だ。

世の中ってのは圧倒的に普通の、凡庸な、面白味の無い、退屈な人間達で占められている。俺はもちろんお前だってそうだ。だから自分個性だと思い込んでいるもののために普通バカにするのをやめないか?そして普通若者たちを「既成概念に囚われるな」などと自分が認めるつもりのない個性要求するのをやめないか?「みんなちがってみんないい」は結局人間動物園の混沌しか生み出さない。そして「みんなそろってみんないい」は決して全体主義ではない。「普通」の「既成概念」の退屈な凪のような秩序の中から初めて突出した本当の個性突然変異的に生まれると思うのだ。

普通バカにするなよ。既成概念をないがしろにするなよ。

2020-01-26

好きな女性タイプ母親だった

25歳。男性。 

もともと女性に対してグイグイ行くようなタイプではなかったが、

押すとある程度うまくいくことがわかってから積極的になるようになった。

しかし、気づいてしまった。

イケそうな人ばかり狙って、好きになってから付き合った人がいないことに。

もちろん、付き合ってから好きになったことはあるけど。

 

そこで、自分はどんな人を好きになるのか考えてみた。

その結果、母親のような人だった。

 

母親はまず容姿が整っている。

一緒に買い物とか行くと姉に間違われることもある。

友達からは、「お前の母親可愛いな」と言われたこともある。

 

次に、優しい。

反抗期にひどいことを言ったときや、兄妹喧嘩したときは怒られたが、

それ以外で怒られたことはない。

宿題や成績について何か言及されたこともない。

習い事をはじめ、やってみたいこと全部やらせてくれた。

いつも自分見方でいてくれた。

 

あと、一途。

うちの両親は、高校生の時から付き合って結婚したらしいが今でも仲が良い。

お金がなかった時代は、喧嘩ばかりしていたらしいが。

両親みたいな夫婦になりたい。

両親のように温かい家庭を築きたい。

 

以上、可愛く優しくて一途な人がタイプって何ともありふれた答えになった。

こんな人いたら誰でも好きになるよなあ。

2020-01-25

anond:20200125123011

ウチの子は穏やかで反抗期もないし賢くて学校先生からも褒められてて助かるわぁ~~

なんて油断してたらひきこもりになるか30代くらいで大爆発して縁を切られるやつ

年相応の子どもとして子どもらしく生きられないっていうのはやっぱり問題があってどこかでツケを払うはめになる

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