はてなキーワード: 偏狭とは
どこまで、どうなのかわからないが、
おちょくられてる気もするが、、、
価値観の違いってあるかもね。
下層民と結婚するまで「ホルモン」や「インスタントラーメン」を
食べたことのない人は実在するのは知っている。
ほんとの金持ちのひとと話してるときょとんとされることは多々ある。
あとは、おいらは金とか学歴じゃないんだけど、
もう結構な年だったよ。
なかなかとけないんだよね。そう生きるのが当たり前みたいな。
あとは、多分地方をでなければ東京弁も知ることがなかったと思う。
というか方言が通じないことを知ることになるとは思わなかったと思う。
テレビで見ててもね。
ただまあ、知る必要はないかもしれないけれど、防御策のために
方がいいよ。まあ、増田にも多いかもしれないけれど。
http://anond.hatelabo.jp/20140307175603
http://anond.hatelabo.jp/20140307182358
例えばだが、「箸の持ち方が正しくないやつ」を嫌うやつって居るじゃん?
偏狭なやつだなと思うだろうけど、実際はそうでもないんだよ。
嫌いなヤツが正しくない箸の使い方してるとイライラするってだけなんだよ。
それを主語を大きくして「箸の持ち方が変な奴は死ねばいい」とか言っちゃうんだよ。
じゃあなんで最初に「嫌い」になるのかって?
自分に対して辛く当たってくるとか、明確な理由がある場合も多いが、
そうでないならたぶん、外見とか声とかだよ。
いまのひとたちをみているとどうにも、想像力が足りなくて、配慮が欠けているように思う。
現代の日本社会では、多くの人が、決まった社会経験をして、似たような環境で暮らしてきた。典型的には、学校教育。
そうして、偏った社会常識ができあがり、「空気読め」という話が出てくる。
人生経験が過疎で、偏狭な世界観のなかで生きているのでしょう。だから、想像力も足りないし、他人が異質であることも受け入れられないし、他人への配慮も足りない。
自己中心的な世界観のなかで生きているので、自分の感覚と相違するものの存在が受け入れられない。自己が脅かされたように(反射的に)きわめてたやすく感じ、だから他者に怒る。
怒りは掃き溜めを求め、イジメにもなる。いじめるのにまともな理由なんてない。都合のいい掃き溜めが見つかったから吐いていくのだ。
また、例えば、某巨大掲示板で個人情報漏洩が起こって痛い目に遭ったひとたちがいたそうだが、「匿名」だからといって何でもかんでも吐き垂れていくから、万が一にでもバレたときにはそうなる。
現実には、誰かが悪いわけでもない、「悪玉」がいるわけでもなく、全体的に、構造的に、破綻しているのだろう。人間というものの本質的な悪なのだと思う。その、自己の内なる悪に対して洞察が足りないのでしょう。
例えば「非定型うつ」だとか、私には不思議なものでもなんでもない。たとえば職場がトラウマならば出勤不能になる。学校がトラウマならば不登校になる。トラウマに触れられなければ、ほかのことはできる。
いまの日本社会は恐ろしいところだ。人間の本質的な悪が自制自律されていないのだから。当然ながら、例えば「ブラック企業」だって出てくる。「ブラック企業」は、日本社会の構造的な失敗だ。
近ごろは、戦争経験者もとても少なくなった。人生の苛酷さ、人間の本質的な恐ろしさ(そして言うまでもなく、自分自身も恐ろしいものなのだ)を心の底からわかっている人が少ないのかもしれない。
私個人のことを言えば、いままでの人生で、虐待もイジメもストーカー被害もパワハラも受けたし、親類で殺人事件もあった。私の人生は、みなさんとは正反対に、過密なのかもしれません。
私は、人間の本質的な恐ろしさを知っているので、自分自身に対する自制自律は幼い頃からずっと強固だし、いまの日本社会とみなさんが怖いです。昔以上にますます恐ろしい目に遭って、いまはもうかなり重度の「精神障害者」でございますから、就職どころかどこぞのコンサートに行くのも困難ですし、電車に乗るのも非常な困難を伴います。人間が恐ろしいので、入院もできていません。おそらく大概の場合は薬漬けにされて入院しているレベルなのでしょうが。
http://anond.hatelabo.jp/20131115132145
http://anond.hatelabo.jp/20131114111136
ひろゆきは今回被災したフィリピンの子供を助けたいなら黒柳徹子に送金した方がフィリピンの子供にお金が使われるって言ってるだけで、日本ユニセフの中抜きを批判してるわけじゃないでしょ。論点がズレすぎ。
■返信
oktnzm
"徹子に送金した方がフィリピンの子供にお金が使われるって言ってるだけ" それならわざわざ公開質問する必要ないよね。質問の意図はなんだろう?ひろゆきの気持ちになって考えてみよう。
アグネスは日本ユニセフを運営しているわけじゃなくて、広告塔として宣伝してるだけの人だから、日本ユニセフじゃなくてアグネスに公開質問状を送ったって事は、日本ユニセフの運営ではなく、宣伝の方法に文句があるのかな?と思ったよ。
黒柳徹子は団体では無く個人なわけだから、このアグネスの文章は嘘ではないんだけど、ちょっとこの表現はどうかな〜、ひろゆきもここに疑問を持ったのかな?と、俺は思ったよ。
他にも色んな意図を想像したけど、実際の所ひろゆきがどういう意図で公開質問をしたのかは本人にしかわからない。
・「ボランティア実務に関わる人はタダで働くべき」というイメージの流布
・「マクドのポテトは原価率が〜!」って得意げに吹聴する高校生とどこが違うの
・他人様の金の使い道にあれこれ口出すのがおこがましいわ。
■追記
@hiroyuki_ni: 論点にしてないことを解説して、反論した気になってる人って、会社とか学校でもそうなのかなぁ、、、
■返信
oktnzm
質問の意図がわからないなら "徹子に送金した方がフィリピンの子供にお金が使われるって言ってるだけ" とは言えないね。おわり。/エジソンみたいな純粋な気持ちで質問したはずだとか言わないと。
"徹子に送金した方がフィリピンの子供にお金が使われるって言ってるだけ"ってのは、質問の意図の事ではなく、↓のことです。
説明がヘタですいません。
ひろゆきがアグネスdisのために日本ユニセフ協会についていやらしい書き方をしてるんだけど。
http://hiro.asks.jp/90907.html
「今一番大事なのは、子供達の為に私たちもできることを考える事です。」
と仰られていますが、アグネスさんが募金先にあげている日本ユニセフ協会は、2012年度、募金の81%しか、ユニセフ本部に送っていません。
一方、ユニセフ親善大使をされている黒柳徹子さんは、募金の100%をユニセフ本部に送っているそうです。
黒柳徹子は個人口座を2つ公開してて、そこに入金された寄付金をそのままユニセフ協会本部に拠出してるのに、日本ユニセフ協会は81%しか拠出してない。子供のためを思えば徹子に寄付するべきだ、という論法なんだけど。ようするに「金抜きすぎ」というほのめかしだ(実際、秒刊SUNDAYはひろゆきのこのエントリを「日本ユニセフピンハネ疑惑」と要約してる)。
しかし「81%を上部団体に拠出し、19%を自前の運営・活動に割いている」という経営実態は、日本ユニセフ協会のやってる活動内容を見るかぎり、相当のパフォーマンスだ。実際、ユニセフへの拠出額 | 日本ユニセフ協会を確認すれば:
がわかる。そして、日本ユニセフ協会のこの誇らしい宣言を見よ。
2012年度、当協会は、みなさまからお預かりした開発途上国の子どもたちを支援するためのユニセフ募金(161億1,252万円)の81%にあたる130億円(下記計算書の※15)を、ユニセフ本部に拠出することができました。これは、世界36の先進国・地域においてユニセフを代表するユニセフ協会(国内委員会)の中で、最高額となっています。また、81%という拠出率も極めて高いレベルを維持しています。
日本ユニセフ協会の国内活動費に使われるのは癪だから黒柳徹子氏に寄付するほうがいいのだ、という考え方もあるかもしれないし、それが一律に間違ってるとは思わない。しかし、黒柳徹子氏のWebを見る感じでは、年間の寄付額はおそらく1億には満たないだろう。そして個人口座では、130億円/年の寄付金の出納をマネージすることは不可能だ。また、善意で無償奉仕を行う個人ボランティアを引き合いに出して日本ユニセフでの19%の資金利用が「ピンハネ」「中抜き」だと叩くのは、ボランティア活動やNPO活動全体にとって、非常に悪い結果を招く。つまり:
からだ。
「100%持ち出しの金持ちをお手本にすべき」「ボランティア実務に関わる人はタダで働くべき」というイメージの流布は、こうした活動の継続性を著しく悪化させる。ボランティア系団体を無償または低コストな善意だけで廻そうとすると必ずどこかで破綻する。ちゃんと優秀なマネージャーと専従スタッフがいて、業務知識と経営資産を継承できる体制がないと、萌芽組織が生まれてはまた壊れ、そのたびに尽力した善意の関係者たちは疲弊してその世界から離脱していく。
だから海外のNGO/NPOはしっかり給料出して堅固な組織を作り、行政とも強いパイプを築いて、運動の継続性を担保する。啓発のためにはTVCMも含めて広告宣伝だってバンバン使うし、効率的な事業運営のためには報酬積んで一般企業から敏腕マネジメント招いたりもするし、運動に貢献するなら物販の収益事業だってやる。というか、強い使命感と継続の意志があるなら、早晩そういう運営に移行してくのが当然の流れなのだ。oxfamとか(RED)とか。で、日本ユニセフ協会は、古典的ながら、比較的これに近い路線で確固とした組織形成をやってきたのがうかがえる。
でも、日本でそれをやると、なぜか叩かれる要因になる。「慈善活動にはコスト概念を持ち込んではいけない」「善意の運動は無償で担われるべき」という愚かしい思い込みが広く浸透しているからだ(個人的には、これは日本財団系の「誰が金を出したかが明瞭でない公営ギャンブルの収益の一部が、社会的エクスキューズのためにドカドカ慈善活動に突っ込まれる」という様式に我々が慣らされすぎた、というのもあるだろうと思っている)。これが、慈善的な社会運動へ参加してみよう、とか、組織してみよう、という行動へのハードルをどんどん引き上げていくことは言うまでもない。そんな理由で草の根における再分配の仕組みが活性化されないのは、社会全体にとっても大きな損失なのだ。
ひろゆきのこのあてこすりが、一応は「叩き」として機能してしまう理由もここにある。ひろゆきは世間の常識にとらわれない無手勝流のように言われるけど、この件に関してはもうズブズブに因習的で俗論にまみれた偏狭な日本人だということ。
てか、長々書いてはみたけどさあ、冒頭のエントリ読めばはっきりわかるよね、ひろゆきが子供の福祉にも日本ユニセフの活動実態にも全く興味がないってことが。アグネス叩きたい一心で持ち出してきただけの話で、しかもそのロジックが粗雑きわまりない。「マクドのポテトは原価率が〜!」って得意げに吹聴する高校生とどこが違うのこれって感じ。そもそもブコメで複数の人が書いてるように、裁判に負けても借金踏み倒し続けたり納税を回避してる奴が、こんなときだけ子供の人権の代弁するようなフリして他人様の金の使い道にあれこれ口出すのがおこがましいわ。
貧乳好きと言っただけで「じゃあ貧乳ならなんでもいいんだろうな!?」みたいな話をされること自体
自分が理解できないものを否定したいだけの偏狭な姿勢が感じられ、とても哀しい。
巨乳好きですって言って「じゃあお相撲さんでもいいんだろうな!?」とか言われたらどう思う?
そのような暴論がまかり通りがちなのは、ひとえにこちら側がマイノリティであるが故で、
というか。
「貧乳好きは貧乳のブスが好きじゃないなら嘘つきだ」というのであれば
巨乳のブスが好きじゃない自称巨乳好きは全員嘘つきということにならない?
いや、人の趣味嗜好を嘘だとか言いたがる気持ちがそもそもわからないけど。
そういうことはあるかもしれんけど
その例に関してはあんたがおかしいと思う。
そんな簡単な話でもないし、暖かい話でもないだろ
いや、俺は同性愛者でも中絶支持派でもないし、キリスト教信者でもない。大半のブコメ民も違うと思うけど
現に思いっきり現在進行形で同性愛者やら中絶排除を法制化しようとしてるのがカトリックだろ?
別に法王がコメント出したから世界は良くなるのか。そういう話でもない
それを法王コメントやら解釈をいくら言っても、原理主義的に聖書信じてる連中の意見は変わらんだろ
そもそもキリスト教の中心は聖書なんだから。そこ否定するのはそもそもキリスト教の否定に繋がる
無論、原理主義者じゃない限り、聖書を一字一句生活と対応させてる奴なんていないけど
罪に関する思想なんて聖書のメインだし、そう簡単に変わるとはとても思えない
また新たな対立の火種になるなんて見えてるじゃん。
現法王は聖書と現実の乖離から欧米で信者が減ってることを憂慮してそういう発言だしたんだろうけど
結局政治バランスの話、宗教と人権思想のすり合わせであって、正義の執行でもなんでもなかろう。
手放しで喜ぶような話か?
そもそも、聖書の文言否定して、現実に人権守って行こうとしたら
キリスト教、というか大半の宗教なんて消滅する流れしかないでしょ。
そもそも、法で迫害されてるロシアとかの同性愛者がこの話聞いたとして、「新ローマ法王の優しさはすばらしい!」ってなってスタンディングオベーションか?
そうなるべきなのか?そうならなきゃおかしい?
「でも、今まで散々迫害しやがった連中の親玉だろ?」って複雑な思いがする奴も居るでしょ。
いや知らんけど、少なくとも居てもいいし、おかしくはない。
まあ、あんたがこれで暖かい気持ちになったらそれはそれで良しだし
もちろんこれ聞いて世界の新たな一歩を喜ぶマイノリティも世界には大勢いるんだろうけど
苦虫噛み潰したような思いをする奴だっている
それは「異常」なのか?
うんざりするような話?
そもそも「正しさ」なんてそこまで確たるものなのか?
まあ正しさなんて存在しないとか、倫理は無意味だとか、そんなこというつもりはないけど
少なくとも暫定的で近似的な話なわけじゃん。
そもそも同性愛者を罪だとしてきたものってバリバリその「正しさ」じゃん。
いろんな価値観が衝突して、その中で政治力とか人間の良心とかいろんな要素が組み合わさってなんとか合意にいたるものでしょ。
世界が「よい方向」に向かってるとき、、それを認めない連中は異常者なのか?
全会一致で可決しなきゃおかしい?
疑う奴が居るのもあざ笑う奴が居るのも嘆く奴が居るのも反対する奴が居るのも反対する奴を攻撃する奴が居るのも当然だろ
どうもあんたの方が偏狭で恐ろしく感じる。
http://anond.hatelabo.jp/20130831224854
うーん、それはどうだろ。
一見もっともらしいけど違うと思う。
だって左翼団体や右翼団体のリーダーは依然として超偏狭で現実味のない主張をしてるよね。
リーダー経験が思考の複雑さやある種の寛容さを産むという主張であれば
結論からいうと
その思想に従わない「反動」を自信満々に罵って攻撃して取り締まるとか、
ブラックのワタミさんなんてまさにすごいリーダーシップなわけでしょ。
実際のリーダーの思考っていうのは
自分の方針と相性悪い奴を排除する。粛清するっていう方向に向かうんだ。
政治ネタでいうなら20年前に当時テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良って人が
自分の思想信念に基づいて完全に意図的に変更報道をしちゃった。
「庶民に余計な情報を与えるな」「これが正義だ」って感じのことをはっきり言ってた。事件化して供述もとられてる。
というより、リーダーの職責を経ることで独善性や排他性が増したのだと思う。
椿さんがそこまで出世してなければもう少し考え方に余裕や寛容さが残ってたかもしれない。
だって、
リーダーの仕事としては異物や反動を排除するのって正しいからね。
戦国大名でもそうだけど、自領を守れたとか拡大出来た家というのは
それをきちんとできなかった家は必ず衰退したり滅びたりしている。
家臣や親族を斬ったというとすぐ暗愚な殿様だ残虐な殿様だとなるけど
これも現代のイメージでいうことで、本当は斬れない殿様のほうが暗愚。
斬らないのは凡人でも優柔不断でも出来る。
民主主義的フィクションに毒された我々はリーダーの資質と言うものを勘違いしがちだけど
「専制と隷従・圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占め」た上で、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」んじゃないか。
今日,我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し,平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。
ここに,皇位を継承するに当たり,大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,
いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,
皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,
国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません。
日本国憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてある。つまり、
自分たちの安全を世界に任せますよと言っている。そして「専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思う」(と書いてある)。
自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているわけではない。
いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、
日本人が作ったんじゃないですからね。そんな憲法を持っている以上、外務省も、
自分たちが発言するのを憲法上義務づけられていないんだから、国際社会に
そこから変えていくっていうことが、私は大切だと思う。(ネット番組で)
http://www.asahi.com/politics/update/1214/TKY201212140595.html
http://anond.hatelabo.jp/20130707231436を受けて。
3点述べられているので、1点ずつお答えします。
まず1点目、「われわれはわれわれの問題を優先するべきであって、外国の出来事については「よそ様の問題」であってわれわれが口をはさむべきことではない」という主張について。
これは実は保守主義の主張です。たとえば「先進国は途上国から搾取しているのではないか」という議論に対して、
「それは途上国自身の問題であるからわれわれが口出しすべきではない」と述べるのは保守的な態度です。
2点目、「中韓の「偏狭」なナショナリズムは日本の侵略がその形成に大きな影響を及ぼしており、われわれがこれを批判しても感情的に受け容れられないのは当然である。
われわれとしては中韓の人々が自分の問題としてこれを克服するのをまつべきだ」という主張について。
これも1点目と非常に似た主張ですが、よりリバタリアン的性格が強いと考えます。他者を批判しても説得できないのだから放置するべき、という論法はリバタリアンが多用するものであり、
たとえば排外主義者たちの過激なデモに対して「反応すればより抵抗されるのだがら、無視するのが一番だ」とやり過ごすのがリバタリアニズムです。
3点目、「あらゆる問題について批判することが不可能である以上、「批判しないこと」が生じるのもやむを得ない。リソースは有限なのだから」という主張について。
この主張もどちらかといえばリバタリアンの主張です。レイシズムに関して、批判に参加せず傍観することも悪だというのが左派の主張であり、その主張に対して
「誰がどういう運動に参加するかは個々人の自由であり、道徳を強制すべきではない」というのがリバタリアニズムです。
このような態度は、なぜネット右翼はチベット問題や表現規制には批判的であるのに別の差別問題や外交問題には無関心なのか、という左派からの批判も擁護するでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20130707231436
第1の理由は、日本社会に対する批判はそれが「われわれの問題」であるから行っているのだ、というもの。
外国の出来事については「よそ様の問題」であってわれわれが口をはさむべきことではない、というわけだ。
(われわれ自身のことについてはともかく)他人に対して不寛容な態度で接するべきではない、との価値判断も背後にあるものと思われる。
たまたま同じ国や社会に住んでるとか同じ民族に属してるだけの他人に対して
民主的な代表ですらないあなたがたが自己同一視して「われわれ」などと括る、
そして他の国や社会や民族の成員と異なる責務を強いる、つーのは
括られる方・強いられる方にとって正当な扱いだろうか?
「われわれ大和民族の義務として」等と言いながら
あんたら左翼はそれこそ顔真っ赤にして狂喜しながらおじいさんを叩くだろう。
(俺だってもちろんおじいさんに従う気はない。)
「われわれ」の理屈はこのベタな右翼のおじいさんと同レベルである。
そもそもあんた達が本当に「われわれ」なのかすら怪しい。
単に、中国や韓国側にアイデンティティを持つ(肉体的なことか精神的なことかは問わず)中韓側ナショナリストが
残念ながら、韓国人にはそれぐらいするような頭のおかしいナショナリストは居るし
日本人に成りすましてばれた韓国人というのもばれただけでも大量に居る。
そしてここで、
「われわれの問題」という物の言い方は結局
そこでの発言権のあるなしが属する国や社会や民族で判定されるものだということが露呈する。
それがフェアでまともな言説・批判であるなら、
発言者に特定の国籍なり住民票なり出自なりを必要とするわけはない。
(詐称・僭称とは言え仮にも左翼を名乗る人達にこんな講釈したくはないんだが…)
苦し紛れの言い訳だとは言え「われわれの問題」なんていうヤバい理屈を持ち出しちゃう奴は、
ちゃんと差別することなくどの国もフェアに扱う方がよっぽど楽である。
「左翼」の人達にはそれが出来ない・したくない秘密の事情があるのだろう。
あなたがたには、中韓の悪い部分が周知されるのは不快もしくは不利益なのだ。
第2の理由は、一部の国に対してのみ妥当するものだが、当該国の憂慮すべき現状を招いたのはわれわれなのだから受忍はやむを得ない、というもの。
話にならない。
また、中国にせよ韓国にせよチベットなりベトナムなりで凄惨な虐殺や性犯罪をしており
中韓はそれら被害国にどのようなスタンスで接しているだろうか。
これこそがよほどあんた達の本心に近いんだろう。
永遠に我々の言い掛かりに付き合え
と。
中韓の「偏狭」なナショナリズムは日本の侵略がその形成に大きな影響を及ぼしており、
そのように彼等を精神病みたいにいうならば、
半世紀治らなかったものに同じ治療法を続けて快癒を期待するのは狂気だ。
むしろこれまでの日本の態度は彼等の病状を維持もしくは悪化させるものであったと認めなければならない。
これは歴史に学べるかもしれない。
例えば中国についてはイギリスの、朝鮮については中国の態度にこそ見習うべきものがあるだろう。
2国とも、被侵略国が過去のことについてグチグチ言い掛けたら
きっぱり「過去のこと」「うるさいだまれ」という態度に徹している。
第3の理由は、あらゆる問題について批判することが不可能である以上、「批判しないこと」が生じるのもやむを得ない、というもの。
別にばれてないと思ってるわけではないだろう。
(ばれてないと思ってたら長々言い訳するわけもない)
例えばあなた方は並みの日本人に比べて大変中国や韓国に詳しい。
それでいて、並みの日本人でも耳に入る程度の中国人や韓国人による民族差別的な事件については言及すらしない。
「たまたまリソースが有限だったので」?「手が回らなかっただけで他意はありません」?
自分も信じてない、小学生でも信じないような嘘を書くのはよせ。
世の中には「言うだけならタダ」なんてことは実は無い。
低レベルな嘘や破綻した嘘で言い訳をする人間には軽蔑が積み重なっていく。
全部相互に矛盾してるが特に1,2と3とは1ミリも並存し得ない。
繰り返しになるが、思いつく端から言ってみればいいというものではない。
そんなことやってれば「ああ、並べてあるのは全部嘘で、真の動機を隠してるんだな」というのが
よりバレバレになるだけだ。
これらの無理矢理な説明よりももっとずっとシンプルに彼等「左翼」の動機や正体を説明できる仮説はある。
あくまで仮説だが例えば…
とか。
増田では、この種の批判をよく見かける。
「左翼は日本人に対しては痛烈に批判するくせに、外国人が同じ行為をしてもスルーする。民族によって態度を変える左翼こそレイシストだ!」
しかしこうしたダブルスタンダードに見える態度をとる理由については、すでに説明がなされているので紹介する。
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama-hazama/20120822/1345648012
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama-hazama/20120822/1345648012#c1345698653
ここでは概ね3つの理由が挙げられている。
第1の理由は、日本社会に対する批判はそれが「われわれの問題」であるから行っているのだ、というもの。
外国の出来事については「よそ様の問題」であってわれわれが口をはさむべきことではない、というわけだ。(われわれ自身のことについてはともかく)他人に対して不寛容な態度で接するべきではない、との価値判断も背後にあるものと思われる。
つまり、「よそはよそ、うちはうち」「他人に優しく、自分に厳しく」である。
第2の理由は、一部の国に対してのみ妥当するものだが、当該国の憂慮すべき現状を招いたのはわれわれなのだから受忍はやむを得ない、というもの。
中韓の「偏狭」なナショナリズムは日本の侵略がその形成に大きな影響を及ぼしており、われわれがこれを批判しても感情的に受け容れられないのは当然である。われわれとしては中韓の人々が自分の問題としてこれを克服するのをまつべきだ、というのである。
つまり、「自分でまいた種」であり「こちらが恨む筋合いはない」というわけだ。
第3の理由は、あらゆる問題について批判することが不可能である以上、「批判しないこと」が生じるのもやむを得ない、というもの。
社会には無数の問題が存在し、その全てに関わっていくことはできない。そうである以上、各人の問題意識の所在や能力的適性――たとえば日本人であれば、日本の問題については情報も多く入手でき、言語の理解等において困難を生じることもないというようなもの――に沿って批判対象を選択していくことは仕方がない、というわけだ。
しかし左翼の賛同ブックマークが多いブログであるし、ここで述べられている理由について左翼からの異議も特に出ていないようであるから、ひとまずはここで挙げられているものが左翼の「ダブスタ」の理由であると考えてよいだろう。
「左翼こそレイシスト」増田氏におかれては、今回の紹介をふまえ、より充実した発展性のある批判を展開してくださることを期待している。
http://anond.hatelabo.jp/20130701115041
http://anond.hatelabo.jp/20130701115041
にて田舎者を差別し、本人のブログhttp://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/07/01/220257で「差別的な思考」を「表現」の問題に矮小化して謝罪を行った@gudahcanであるが、その後どうなったのか観察してみた。
考えてみれば日本の人口比は都市部と地方で半々です。それに地方は超高齢化して居て、そんな時代に大学で田舎者がうようよいるのはおかしいわけで、実は彼らの実家は地の利の仕事の自営業者とかで親が高卒なんですよ。時代が時代なら大学にも進学せず家業を継いでいるような若者が東京に集るのは危険だ
2013-07-06 12:52:34 webから | Location:
URL: | Timezone:Toky
http://twittaku.info/view.php?id=353360800548782082
そんなだから地方の商店街は「跡継ぎがいないから」と廃業してしまう。農民がいなくなり耕作放棄地が増える。すると、地方衰退がさらに激化する。 都会の過密は一向に変わらず「一世代遅れ」の若者が多すぎるために都市社会の基本形がアップデートされず昭和のままに。東京はそうして国際競争力を失う
2013-07-06 12:54:03 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353361173489528832
上京一極集中を廃止にしよう。そのほうが地方の未来も東京の未来も明るい。「高卒で当たり前」は本来は戦争体験世代までなんだよ。若者の親の時代(4~50代)は普通は大学いってるんだよ。首都圏育ちで親が高卒なんてほとんど全くいねーぞ。「親が高卒の田舎者」は単純に1世代遅れているんだよ
2013-07-06 12:55:25 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353361518693335040
地方出身の友人知人、大勢いる。個人に対する情はあるんですが、社会風土としての上京一極集中は絶やした方がいいと思うんだわ。こんなの間違ってる。こんな親の若い頃みたいな人間が自分ら世代とか自分より若い年齢の大学生に多いから東京は文化も労働環境も時代遅れのままで落ちぶれるんだよw
2013-07-06 13:04:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353363794732396544
地方出身者が地元に残った仲間との「格差」を口にするのを聞くと「いや、お前らがホイホイ東京に集るからそのしわ寄せが地方に発生してあんたの友人も格差に苦労するんだろ」としかいいようがないのだが、同じ口で「上京して村を捨ててよかった」と自画自賛するから本当に鬱陶しかったな
2013-07-06 13:20:39 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353367868806660096
良いヤツほどUターン就職するんだけど、嫌味っぽいやつばっかり東京に居残るんだよ。商業主義のカモみたいな、着飾って、ギョーカイ人でもないのにTOKYO全開の場所にいきまくって、利己主義で軽薄な人間ほど残るわけ。東京がつめたい町になるのは間違いなくこのせいだと思うんだよねw
2013-07-06 13:22:06 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353368233044213763
俺は地方の人は嫌いではないけど、東京に居残る田舎者はいやだなあ。東京(都会)の嫌味な部分を上辺ベタベタにぬったくって、田舎(地方)の悪い所、陰湿さとか村社会?とか封建仕込みは踏襲するあの感じ。ドヤ顔でTOKYOっぷりをひけらかすあの感じはマジで吐き気がするし
2013-07-06 13:23:45 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353368648787828738
昼ドラマとか電話人生相談に出てくるような漫画みたいな姑的というか村八分社会に生きるしょぼい田舎者みたいな、そういう陰湿で「そんなことを気にするのか」という人の細かいことを槍玉にあげ、執着し、くどくどと文句を言いたがる、こういう人間は碌でもないよ
2013-07-05 11:29:38 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352977541092474881
そして、あくまで「スクールカーストの下目」なんだよ。「スクールカーストの一番下」ではない。そして、そういう人間は、近親憎悪から一番下をイジメるんですね。いじめられっ子はみんなそうだった つまり、生活保護を批判するのは「生活保護に依存しない貧乏人」だと思う
2013-07-05 12:26:23 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352991824043978757
なんつうの。ほら、田舎とかの自称進学校卒で、田舎の人間なのにチャライこともやんなかったり、つうかオラオラ系にはびびっちゃって、一方で引きこもりやオタクや偏差値の低い高校の子どもたちを蔑視しているような、そういうポジの人、日東駒専大学にはうようよいるけど、「性格悪いいい子」多すぎw
2013-07-05 12:40:20 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352995334777094144
日東駒専大学の中でもやはり数割程度だけど、こいつら、マジで閉塞感&存在感ヤベーよ。こういう人間たちは、偽でもいい子で「真面目系」だから自分自身は批判にさらされることはないので、極端になるわけですよ。あと、生きているフィールドが狭すぎるというのも問題だね
2013-07-05 12:41:29 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352995621457756160
そういう馬鹿が日東駒専大東亜あたりの中堅(または中の下)の大学には多い。マーチにも下流層あたりに数割はると思う。こいつらのなりふりってネットの足手まといみたいな匿名世論そのものでマジで面倒くさい。自分みたいな出すぎた杭でない限りは厳しい批判にさらされているんだよ
2013-07-05 12:49:48 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352997717041094656
田舎はオラオラ系至上主義だろ?田舎育ちでチャライ兄ちゃん姉ちゃんは案外いい人多いんだよ。で、田舎だとしょこたんとか土田みたいなアニメ被れた中間層がいないから、カーストの底辺がヲタになる。田舎出身のヲタはいい人多い。ほどよい進学校でほどよくガリベンして手抜きしてた人間が一番たちが悪
2013-07-05 13:05:14 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353001600580722689
田舎だと子どもじゃないのにアニメ見てるってだけで、逸脱者だろ。あれも面倒くさそうだけど、その逸脱経験があるから寛容なれるんなら、上京すりゃあいい生き方で切ると思う
2013-07-05 13:13:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353003669752516608
田舎の「ただのいい子」は限りなく偏狭だ。「頭がいい子」ならその頭脳をもってよく学び、視野を広め地元で一番の高校にいき、いい大学にいってエリートになる。「クラスメイトウケのいい子」はオラオラ系っぽくても弱い者に気にかけたり笑顔でお神輿かついでそうだ、田舎の「ただのいい子」は問題だわ
2013-07-05 13:17:50 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353004771931725824
偏差値ヒエラルキーでもスクールカーストのヒエラルキーでも上位ではない。けど、底辺でもない。国道の中央分離帯に生えてる並木みたいなありふれた存在の「いい子」は、高卒になるほどアレではなく、されど名門大に行くほど学もないから首都圏の中堅大にはうじゃうじゃいるんだよ
2013-07-05 13:19:39 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353005228028723201
都市部の「ただのいい子」なら別にいいんだよ。首都圏はやはり人口が多く流動性がある故に多様性がある。休日なんかには遊んだりする経験も豊富だろう。「疎か過ぎず密すぎない」クラスの付き合いの中にも地方と比べると多様性がある。首都圏と札幌仙台名古屋関西福岡はそんなもんかなあ
2013-07-05 13:21:27 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353005679084191744
@-------- 地方固有のよい文化や風土についてを貶める意図はないのですが、そういう点のみを読むと誤解されてしまうのも仕方がないでしょう。昔と違って今のネットユーザはじっくりと読みませんからな、ぱっと見た上で問題があったら批判をするでしょう。再考が必要かもしれないです
2013-07-02 16:15:33 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=351962332760514561
ホームの床に座りこんで通行客相手に堂々と巨大M字開脚してる女の子はヤバいな。県央ギャルはさすがにクオリティが違うわ
2013-07-03 23:16:36 Keitai Webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352430678316552193
彼女との痴話喧嘩にキレたのかゴミ箱を蹴っ飛ばし飲んでいたビール缶を線路に投げて三回くらい唾を吐いて叫んだ青年よ。県央人の立派な鑑だよ
2013-07-03 23:21:05 Keitai Webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352431806131343360
タイムラインが勉強になる。なるほどなあ・・・都市と地方の差ってこれかもな 「一般的な小中学生が洋楽に並程度の認知理解があるか、または並にも満たないか」
2013-07-05 13:40:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353010467783966722
@sasakitoshinao (承前)なんら過ちを侵していない人への理不尽な難癖による「炎上」ケースもたまにありますし、炎上に満たなくても、ネット上で些細ないざこざをおこしたがる人というのは、どこにでもいます。佐々木さんはこの辺についてはお気づきでしょうが、どう思われますか?
2013-07-06 15:45:37 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353404348778299392
おそらく、gudahcan本人は自分が差別的な思考をしていること、本人が批判しているネトウヨと同じ思考洋式であることに全く気付いていないのでしょう。
条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
今日は1条。
「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。
そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。
今日は2条。
「国会の議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。
「皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう。
今日は3条。
ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。
今日は4条。
自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇のフリーハンドの決定は不可能とされ、天皇の政治的実権は奪われているように思える。
だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認」はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。
今日は5条。
皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為をさらに委任することはできないということだろうか。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
今日は8条。
財政上も統制を加えるということなんだろう。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある。
1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
思うだけならいいこと。
恥ずかしながら、最近まで「自分の嫌いなもの・避けたいもの」を人に向かって吐く癖があった。
「あなたは○○はどう?」と問われた際に「いや~私は○○は苦手なんですよね」と申し訳なさげに言うだけならば
けれど、
私は私のことを語るときに、自分の好きなものより自分の嫌いなものを積極的に使って自分を説明してきてしまった。
それは余りよくないことなのでは…と気付いたのはつい最近のことである。恥ずかしい。
私は何を好きかで自分を語るということに、強烈な恥じらいを持っている。
○○が好きなんだと言ったときに、エーそんなの変!とからかわれたらどうしよう、という恐れが人一倍強かった。
好きな人、好きなもの、好きな音楽、好きな洋服…それらを堂々と好きだ!と主張することがとても恥ずかしかった。
そういうわけで、私は私の苦手なことを人にプレゼンしまくってきた。
苦手なことを主張するときには恥じらいは生じない。
「シェアハウスはできればしたくない、私には向いてないと思うんだ。」
「占いは信じてない、どうしても当たると思えないんだよね。」
などなどなど。
嫌いなもの+それを嫌うに至ったもっともらしい理由 の組み合わせを、友達にバンバン披露していた。
そしてそういった主張の先頭・もしくは末尾には
【まぁほかの人が楽しんでいるのを否定はしないけれど】【私がそう思うだけなんだけどさ、】という文言を添えて、
「私はあなた方が愛していることを認めてないわけじゃないんです!皆違って皆いい!」という意思表示を欠かさなかった。
実際にそう思っていたし、スキを認められなかったらどうしようという恐れを持っている私には、
他社の嗜好を価値観を否定しよう!という気持ちは一切なかった。
そういうことじゃないんだよね。
言わなきゃいいんだ。
嫌っていることなんて積極的に発表すべきことじゃないんだ。
その安心感が欲しくて何度も何度もいろいろな人に私は私の嫌いなものを伝え続けてしまった。
「ああ、そういう理由があるならば仕方がないね」と思ってくれる人ももしかしたらいるかもしれない。
でもだからなんなの。
許せないこと・認められないことを相手にぶつけまくって得られる評価なんて、
「ああ、偏狭な価値観をお持ちなのね」という諦めに近いものじゃあないか。
第一、その物を相手が愛していたとしたらばどうする?
理由があったら相手の好きなものを貶めてもいいの?
「まぁ人は人だからね!あなたがそれを好きでもいいんじゃないの!アハハ!」って言えば
相手は不快にならないの?
…そんな筈ないよね。
何かを嫌ってもいいし、苦手意識を持ってもいいし、認められなくてもいい。
でもそればかり主張していると、許せるものが少ない人間だと思われてしまう。
自分では傷つけるつもりがなかった「悪意のない」鋭利な言葉で人を傷付けてしまう。
なぜ今まで気付かなかったのだろう。
強烈に恥じていると同時に、私の言葉で気分を害してしまった人に対して本当に申し訳なく思う。