思うだけならいいこと。
恥ずかしながら、最近まで「自分の嫌いなもの・避けたいもの」を人に向かって吐く癖があった。
「あなたは○○はどう?」と問われた際に「いや~私は○○は苦手なんですよね」と申し訳なさげに言うだけならば
けれど、
私は私のことを語るときに、自分の好きなものより自分の嫌いなものを積極的に使って自分を説明してきてしまった。
それは余りよくないことなのでは…と気付いたのはつい最近のことである。恥ずかしい。
私は何を好きかで自分を語るということに、強烈な恥じらいを持っている。
○○が好きなんだと言ったときに、エーそんなの変!とからかわれたらどうしよう、という恐れが人一倍強かった。
好きな人、好きなもの、好きな音楽、好きな洋服…それらを堂々と好きだ!と主張することがとても恥ずかしかった。
そういうわけで、私は私の苦手なことを人にプレゼンしまくってきた。
苦手なことを主張するときには恥じらいは生じない。
「シェアハウスはできればしたくない、私には向いてないと思うんだ。」
「占いは信じてない、どうしても当たると思えないんだよね。」
などなどなど。
嫌いなもの+それを嫌うに至ったもっともらしい理由 の組み合わせを、友達にバンバン披露していた。
そしてそういった主張の先頭・もしくは末尾には
【まぁほかの人が楽しんでいるのを否定はしないけれど】【私がそう思うだけなんだけどさ、】という文言を添えて、
「私はあなた方が愛していることを認めてないわけじゃないんです!皆違って皆いい!」という意思表示を欠かさなかった。
実際にそう思っていたし、スキを認められなかったらどうしようという恐れを持っている私には、
他社の嗜好を価値観を否定しよう!という気持ちは一切なかった。
そういうことじゃないんだよね。
言わなきゃいいんだ。
嫌っていることなんて積極的に発表すべきことじゃないんだ。
その安心感が欲しくて何度も何度もいろいろな人に私は私の嫌いなものを伝え続けてしまった。
「ああ、そういう理由があるならば仕方がないね」と思ってくれる人ももしかしたらいるかもしれない。
でもだからなんなの。
許せないこと・認められないことを相手にぶつけまくって得られる評価なんて、
「ああ、偏狭な価値観をお持ちなのね」という諦めに近いものじゃあないか。
第一、その物を相手が愛していたとしたらばどうする?
理由があったら相手の好きなものを貶めてもいいの?
「まぁ人は人だからね!あなたがそれを好きでもいいんじゃないの!アハハ!」って言えば
相手は不快にならないの?
…そんな筈ないよね。
何かを嫌ってもいいし、苦手意識を持ってもいいし、認められなくてもいい。
でもそればかり主張していると、許せるものが少ない人間だと思われてしまう。
自分では傷つけるつもりがなかった「悪意のない」鋭利な言葉で人を傷付けてしまう。
なぜ今まで気付かなかったのだろう。
強烈に恥じていると同時に、私の言葉で気分を害してしまった人に対して本当に申し訳なく思う。