はてなキーワード: 事象とは
「セクシュアリティ研究を専門とする大学教授(異性愛者)」と「高卒の同性愛者」では、どちらがよりLGBTに詳しいか?
とか、
「英語研究を専門とする言語学者(日本語ネイティブ)」と「英語ネイティブの高校生」では、どちらがより英語に詳しいか?
とか、そういう下らない問いに一言で答えられると思ってる人が多すぎるんじゃないだろうか。
学問的な結論として認められうるエビデンスとしては全く不十分でも、当事者のナラティブとしては価値があるという話は往々にしてあるわけで。
※具体的な事例を思い浮かべた時に「俺ら」と「あいつら」の立ち位置が固定されてしまうなら、逆の立場として当てはまる事象はないか見つかるまで探してくださいね。必ずあるので。
好みのタイプは?と聞かれると、実は返答に困る。
「美人」と言うのだけど、実際のところは「不細工でなければ特別美人でなくていい」。
「上品な人」と言うのだけど、実際のところは「下品でなければ特別上品でなくていい。
「細身の人」と言うのだけど、実際のところは「太くなければ特別細くなくてもいい」。
これらの例において「Aである」という事象と「Aでない」という余事象なら、余事象のほうが多いはずだからもっと自分のタイプに入る人との出会いがたくさんあるはずなんだけどなー。
実際には全然ない…なぜだ。
御用学者と揶揄する人たちもいるが、彼らの立場では家族以外の人間との会食は禁止など口が裂けても言えない。禁止して飲食店全員に損害補償することも不可能。だったらせめて高リスク事象を周知するほか手立てがない
neetia 2020/11/15 07:45
https://b.hatena.ne.jp/entry/4694218889520629890/comment/neetia
本当に"学者"ならばそのようなバランス取りをすべきではない。学者には「口が裂けても言えない」科学的事実など存在してはならない。
それは政治家の仕事であって、政府与党の立場に阿って科学的事実を捻じ曲げるのであれば"御用学者"以外の何者でもないよ
「私は科学者で、医者で、公衆衛生の専門家だ。最善の科学的な証拠に基づき助言を行う立場にある。私は経済に関する助言は行わない」
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-usa-idJPKBN22O2UK
アメリカのファウチはこう言って、トランプや共和党はファウチの言うことなど聞かなかった。その結果は火を見るよりも明らかである
また飲食店全てに補償することは不可能ではないよね。やりたくないだけで。
しかも今の状態で営業を許可した所で、結局売上の半減やそれに近い状況が起こり、倒産も相次いでいるのだから、「店を開けていれば補償する必要がない」と言わんばかりの態度なのは実に愚かである。
GoogleやAmazonが出てきた時、このままじゃヤバいと大騒ぎしていたが、結局何もできずに終わった。
中国のように、検索技術も、ロジスティクスに必要なロボット技術も持てなくなっている。
優秀な人材をアメリカに留学させつつ、帰国した人材を活用するといったことも出来ていない。
プログラミング人材が必要だと言われているが、Webに偏りがある。
航空機設計がとん挫したが、他の産業に必要な物理現象や、大規模なシステムをプログラミングできる人材を育てられなかった。
品質管理はなんとか立ち上がったので部品は作れているが、システムが作れない。
結果、Appleから物理限界に近い無理難題を吹っ掛けられつつ、札束で殴られて無理な契約でノウハウは筒抜け、
利益は出ている間はいいが、Appleがそっぽ向かれた時点で事業を畳まないといけなくなる。Intelですらそうだ。
アメリカは返品文化で豊かになったが、返品されたものは使いまわされず、ほとんど廃棄だった。
アメリカに住んでいる消費者には優しいシステムだが、その負担はどこが被っているのか?
Facebookから顔出し文化が日本に来て、TwitterやYouTubeにまで広がり、
毎日のように問題やスキャンダルに多く人の時間と労力を奪っているし、日本の集団リンチとの悪い面との相性が合わさり酷い物になっている。
日本政府は小さな政府を目指した結果、コロナで何か大規模な対策を取ろうとしても何もできなくなっていた。
民間に目を向けると、転売のような流通やシステムの間に入ってマージンを取るのが当たり前になっている。
社会倫理には反するが、グレーゾーンをつかない方が馬鹿だとなっている。
GoToのように自分に責任がなく政府を責任を負わせられるものはドンドン活用している。
ふるさと納税もルールの範囲内なのだから使わない方が馬鹿だとなっている。
アメリカの一部にあるような、お金持ちは社会に還元するような行動をしないといけないといった規範があるわけでもなく、
中国のように近親、親戚を助けないといった規範があるわけでもない。
日本に1億以上の資産がある富裕層は100万世帯以上いるが、どうだろうか?
クラウドファンディングも既にお金を持っている人が、さらにお金を集めるような事象が出てきている。
村人が行動せざるをえない情報を意図的に改ざんして流したのは大きな罪でしょう
(罪の定義が村人が村人の行動に対しての裁量の範囲内だったとして)
むしろその少年が村人が行動する動作が見たいという欲求を満たすために不必要で実態のない情報を使って行動させ
その行動がコストに見合ったリスクとリターンを得るべくして構成されていたのに完全に虚実としてコストのみ消費させる
村に対し損害を成すことであるのにその支払いを求めなかった事は村人たちの善意でしょう
団地の非常ベルを鳴らすと非日常的な状態が展開するので楽しいから押すのは非常ボタンを設置している団地の責任ではないですよね
オオカミ少年の問題は事実の伴わない物語を口走るいわゆる「嘘」を発言することが楽しかったわけではなく
狼がこようがこまいが狼対策で行動をする村人たちの姿 そのコストを浪費する姿を見ることが楽しかったことが問題です
他の何かの行動で問題行動を回避し満足感を得るように行動を制限させるべきは親の仕事で彼の行動を制限したり教育してその警報部分を触らせないようにする必要があったのは監督者の責任ですが
監督者が愉快犯を教育していないことが悪いという言い方もおそらくできますが この物語で大切なのはこれを教訓として特定の読み手に特定の知見を得てもらうためです
それは無邪気に嘘をつくような若年者に おまえに罰がくだるぞという教育方法で自分のデメリットでしか物事の価値をはかれない相手に 嘘はよくないという事柄を伝えるためです
監督者の責任で嘘をつくことが 自分を育ててくれて保護してくれてる相手に損害を与え申し訳ない思いをし それは自分自身の損失よりさらに大きい反省をする感受性のある相手にならば監督者の責任を問う物語になっていたでしょう
あと余談ですが「嘘」というのが「ただの言葉の羅列でつかいどころによる何か」みたいな定義にされているでしょうか
現状まだ発生していないことに対するものすべてを嘘といえば嘘になるかと思いますが それは「予定」となにが違うのでしょうか 「約束」は嘘に「まだなっていない」だけで嘘と呼んではいけないのでしょうか
現実になる可能性の低い見込みのものを敢えて または情報を伝達された人がおおよそ予想するであろう事を反映しない結果に至ることをしっていて 情報を伝達することがおおよそ「嘘」の類でしょう
それならば手品も嘘になりますし ぜったい行くといっておいていけない可能性があるけどする約束は嘘になるでしょうか
結果当事者となる人が先に予定していたものと異なる結果になった時点のことを嘘といって その可能性を排除するために事前に失敗の予測を「嘘(の可能性)」として認識するのではないでしょうか
すると今日の夜「狼がきた」という嘘(狼が来るのは明日の夜)でその発生時点から行動して有効な対策が打ち終わる時点までにおいて狼が来なかったら「嘘」で行動を終了して撤退するはずです
しかし翌日狼が来たら「誤差1日で予言が的中した」と言えなくはないですが言う意味はありません むしろ対策行動にでるタイミングをずらしたというのはフェイントをかけた形になり意図的な侵害行為でしょう
少年が正常な精神状態でなかった場合狼がみえてしまっていた可能性があったとしてもその少年を「管理」や「治療」することがなかったことが村人の善意だったのかもしれませんし またその行動を制限しなかったことが「少年が行動したかったことの自由を制限した」ことでもないので良心ではあるでしょう
どう考えても少年の無知による楽しみとそれが楽しかったとしても支払うべきコストには見合わないことを知らなかったことが問題でしょう
無知は罪だったこと その無知による他者へ行動を要求する傲慢さは支払いをもとめられること この構造を理解してもらうために少年という悪が罰を受けるという説明的な物語になるのは合理的でしょう
少年はすこしも救われるべきではないし発言する前からそれが事実とはことなることを情報として発信することには大きく問題があることを知ってもらう必要はあります
少年が自分だけは助かるなどという選択肢はありません 一人で生きていけるなら少年は嘘をつく旅に出て一人で暮らしてもいいはずです 少年は村人をつかってあそびたい 村人の中に居て共に生きていくうえで問題行動をしたいという破壊的な問題要素そのもです
嘘をついても反省すれば許されるという許容が村といった自治を形成する組織で適用されるものか 村とはどんな組織か 教育とは何か を「嘘ついたら死ぬぞ」でしか知見を得られない知識レベルの人に教えることはできません
オオカミ少年は死んで当然でした
嘘が許される社会形成について教育について話を書くのであれば かなう可能性のない自己責任の約束を行いそれが守れなかったときに後悔と反省を踏まえ自己犠牲により対象となる包括組織に報いるべきでしょう
そんなのはジャンプのヒーロー漫画でしょっちょうやってるので、オオカミ少年を小難しい大人の話にぼかして問題である嘘(ついてる時点ですでに破綻しているので社会的に裁定が下される時点で罪で悪)をなにかしらいい話にフィーチャーする必要もないでしょう
シンプルに「嘘ついたら死ぬ」ストーリーの単純で明快な話を ごちゃごちゃと手を加えて意味の解らない話にするならもうむしろ狼少年以外でもなんでもいい話です
おそらく元増田が混ぜ込みたい「嘘とは範囲がひろくていいウソわるいウソ(罪とされるされないの差のあるものがある)」は、嘘という名前になっている時点で「嘘(害悪)」です。
根拠がない警報を鳴らし続けることが特訓になるとして、そのコストを無駄に支払わせる決議権がなんの同意もなしに唐突に少年などにふりそそぐものでしょうか 社会が崩壊してます
嘘は嘘です 失敗した予定は失敗した理由を挙げて次回に反省をして改善をしていくことで 嘘≠失敗 ではない履歴にのこせます
狼がきていないけれども 狼が来たぞと警報をだしてみた もしきてたらすごいことなので というのは 記録して反省してどうすべきか考えれば「狼がきていない時の状態でも緊急体制をとっておく」でしょうか
いつでも対応できることでしょうか そのコストを払えるだけの村の収益を大きくすることでしょうか そんなビジョンの話はまた別です この童話は「当事者は責任をとる」がそんな漢字を知らない子供にもわかるようにしたものです
それを言い伝えるほうの大人がいい年して情報の扱い方もわからず達成できなかった事象についてなんでも嘘といったり改善できる過去の失敗を嘘といったり語彙が足りないことには嘆かざるをえないでしょう
趣味+人、仕事+人、食事+人、というように人という因子は何にでも関わってくる
だから素晴らしい「友人」「恋人」のような存在が居れば全ての事象がアップグレードされる可能性がある
逆も然りで、その相手と上手く行かなくなったら突然全てがダウングレードされる危険性もある
全てが楽しめなくなるんだ
だから人付き合いが上手い人は1人に偏らないように分散して安定を図っている
私は下手なので全てがダウングレードされていく
子供の頃、幸せではないにしろ楽しかったと思うのはこのダウングレードが無かったからだろう
下手な人は、上手くなろうと複数の人と人付き合いを築こうとはなかなか思えない
一人に依存するのは確かにリスクだが、一人が最高だった場合、それだけで全てのアップグレードが期待できる
一発逆転が見込めるんだ
薄い目に賭けて更に負ける
リスク分散している人はリスク分散できていない人に対して人として自立していない未熟者と思うようだ
鬱陶しくなる
そしてまた下手くそな人は失敗する
それはわかる
1,2日で炎上していることを調べるといった、タイムリーな状況を知りたいといったのは、役に立っているし、
プログラミングの一部については調べれば出る。
だが、「バ美肉おじさんがボイスチェンジャーで声を変えようとした場合、音の高さを合わせても機械音がするのは、物理的な事象の何に差があるのか」
という疑問を解決できない。
フォルマントとピッチを変更しても、思ったようにならないバ美肉オジサンは多かったことだろう。
ネットを調べれば、色んなソフトを試した結果は手に入るわけだが、どれも失敗している。
書籍に関しては声に関していくつか書籍があり、買ってみたが解決には至らなかった。
近視乱視遠視の度が進んだのでは。
メガネの度を合わせにいき、ついでにブルーライトカットレンズにすればいいのでは。
まあ他の増田がいうように老眼が一番高そうな可能性だけど、それも100円ショップのメガネでだってどうにかなるくらいよくある話だろ。
まさかたかが老眼ごときよくある事象に賢い増田が増田にわざわざ書き込むまで気づかないなんてことはあるまいから遠視近視乱視のほうを先に挙げてみた。
顔の問題じゃない。
これは「グレタを基地害扱いせよ」という特定権力層の意向が忠実に国民に反映されているだけの事象だ。
つまり、サザエが既に昭和で役目を終え、平成を終えても未だに貴重な放送資源をその本来価値に明らかに見合わない形で占有し続けているという歪んだ事象が、「サザエを延命し、昭和の古き良き大家族主義の価値観を国民に根付かせよ」という特定権力層の意向を忠実に反映させているだけであることとほとんど変わらないのだ。
この状況を恐ろしいことだと思わないだろうか?
「主語が大きい」という言葉は有名になりすぎて誰でも脳死で批判できる領域に成り下がったが、「主語が小さい」ことはあまり問題にされない。
嫌韓が盛り上がっていた頃から指摘しているのだが、差別を行う人々は時に「一般的に成り立つはずの事象を、あたかも特殊なことのように話す」ことがある。
例えば、「韓国は下水設備が貧弱で、水洗トイレでもトイレットペーパーを流すことが出来ない」ことを嘲笑う人がいる(いた)。しかしそれは全く逆で、「日本は下水設備が優秀で、水洗トイレにはトイレットペーパーを流すことが出来る」というのが正しい。「トイレットペーパーを流すことが出来る」のは、そもそも世界的に見て日本の方が特殊なのである。(最近は海外も状況が変わっているらしいが。)
このような論理は女性差別やオタク差別などでもしばしば用いられる。
「女は嘘をつく」と言うが、そもそも「人間は嘘をつく」のである。「女は感情的」と言うが、そもそも「人間は感情的」である。
「二次元表象が犯罪や差別を助長する」と言われる時、「二次元表象以外が犯罪や差別を助長する」可能性は無視される。「たとえ二次元でも小児性愛を肯定的に描くことは、現実の小児性愛の肯定に繋がる」と主張する人は、「たとえ成人でも対人性愛を肯定することは、現実の小児性愛の肯定に繋がる」とは言わない。
某日、仕事が早く終わったため、何かやることを考える。晩飯を食うには早く、すぐ帰るのも面白くない。帰りの電車で何かないかと探っていると風俗街のある駅が次の停止駅だった。思い立ったが吉日、ソープに行くことを決めた。この時点でノープランである。とにかく目的の駅で降りたはいいものの行くべき場所も何もわからない。道端でググって紹介サイトを巡り良さそうな店を探し、昔の記憶を頼りに「そういう区画」を目指す。縁がないと思っていたが「そういう区画」特有の暗さの中に目立つ明るさのおかげで掘り当てることができた。
初ソープなので無難に60分で22k。店はおっぱい重視で系列店もある規模も小さくないという初心者にしては悪くないところを選んだと思う。足を運んでドアを開ける。今まで見たことのない向こう側はピンク色だった。
あれよあれよという間にテンションの高い黒服に説明をされながら女の子を選ぶことに。写真とその他数値を見つつ選べた。ここで表示されるパラメータ、実物と違うやつだ。顔も加工がありそう。本物がモビルスーツみたいな人かもしれないこともある。これらはTwitterで学んだ。写真と数値の補正を脳内で解除しつつ、よさそうなOさんを選ぶ。運良く一番待ちも短く、入浴料を払ってから30分ほど待ち。
待合室に入ると30-40代の男性が3人ほど。平日の夕方、ちょうど仕事終わりたてか?彼らは呼ばれた瞬間、そそくさとこの部屋を去っていく。わかる、見られたくないもんな……。目の前のテレビは大統領選のニュースをずっとしていた記憶がある。俺の心は初めてのソープでこんなに緊張しているというのに、アメリカのトップなどどうでもいいのだ。この時の緊張具合といったらない。以前、気まずさとか気持ちの問題で全く勃たなかった事があったのでトラウマになっている。今回もそうなれば金払って何しに来ているかわからなくなってしまうので友人へのウザ絡みLINEでテンションを普段に戻しにかかる。「いきなりソープ来た報告をする狂った人間にどうコメントしろと言うのだ」と一蹴された。
お手洗いを済ませ、少しすると番号を呼ばれた。向かう先ににOさんがいる…。廊下に出るといくつかの確認。運命の瞬間。「はい、ではごゆっくり〜」とスタッフの掛け声とともにカーテンが開けられる。「どうも〜Oです!私で良かったですか?」顔を向けるとカーテンの奥にはカワイイ系のお姉さんがいた。モバマスの誰とか言われても履修してないしテレビは数年見てないので例えろとか言われてもわからないが可愛いと思った。細くはないくらいの体型で好み。服うっす。おっぱいでっか。見ていいんか?倫理観おかしくなるぞ?電車でも目の前に女性がいたら目を逸らすし近寄られたら逃げるくらいの気概でいる俺が見てもいいのか?
敬語の抜けないたどたどしい挨拶を返すと差し出される手。これは何だ?戸惑っているとどうやら手をつないで移動するようだ。指を絡めて、一歩を踏み出す。どんな距離感で行けばいいのかわからない。初めてのソープであることをネタにすることと手が冷たいことをネタに無言の間を埋めつつ、部屋に向かう。
初めて入った部屋は異世界だった。寝床と風呂場が合体した部屋は普通の物件にない構造なので常識の違うパラレルワールドに迷い込んだかと思った。しかもここで本番までするわけで。倫理観の壊れた世界に来たのかと思ってしまう。
湿気と倫理の高低差にやられている間にそそくさと服を脱がせてくれる。Oさんと身長差が結構あるので上は自分で脱ぎ、下は脱がせられた。下を脱がせられるのはいつ頃ぶりだろうか。親よ、俺ソープで服脱がせられてるよ。
今度は逆に脱がせる。パッパと済ませ、ブラジャーもホックを外して。ブラジャーのホック、構造が見てわかりにくい。外すのに力入れていいんですか? おっぱいでっけ〜。外した瞬間にかさが増したかのように広がるおっぱい。でっか。これ見てていいんですか?でけえ。スタイルも悪くない。ちょうどいいくらいの肉付きでむしろ好きなくらい。なんかいい匂いするし肌もきれいだし世の中にこんな生き物いるか?という気持ち。五感で生と性を実感する。
お互いが裸になった段階で二人で風呂場へ。といっても2歩歩けば風呂場である。バスタブ、シャワー、そしてあの椅子がある。流されるままに噂に聞くスケベ椅子に着席。スケベ椅子そのものは別のところで座ったことがあるので初めてではない。玉袋が宙にある感覚が面白い。
泡で身体を洗ってもらう。体を洗われるのも何年ぶりか。全身ということでちんこも含めて洗われる。それはそれとして、手持ち無沙汰なのが困る。手を動かせば胸に手が当たるし。いやこのあとそういうことするんだろうと思うけどそういう雰囲気ではないし。仕方ないのでめちゃめちゃおっぱいを見る。でけー。ロケット型、とか呼ばれるタイプだと思うが、生で見ると構造と動きからそういう形になるのも納得する。重くて密度があるのだろう。
この辺までの雑談で自分と年が同じことが判明(20前半)。ちょっと話しやすくなる。雑談の内容はとりとめのないもの。「仕事帰りに思いつきで行きたくなって初ソープ」とか「一人〇〇で何かする行動力がほしい話」とか「冬に入るから上着のお金がほしい話」とか「お店の子みんな仲いい話」とか。思ってたより普通に日常してるんだな、と思いつつ。
バスタブに浸かりつつ歯磨きとうがい。実家みたいなムーブだが、目の前には体を洗うOさん。動作と光景による日常と非日常のコントラストが美しい。後からバスタブにOさんも入ってくる。俺の図体がでかいので足でマルを作り、Oさんを囲むようにして密着、絡むように二人で入る。狭くねえか?これ大丈夫なやつ?やわらかいけど。この間もちまちま雑談。話すのが好きじゃない俺に対してOさんは話すのが上手い。気まずくなりたくない俺が開いた間を埋めようと話を振ってもほどよく返してくれる。会話のキャッチボールの返しやすい場所に玉を投げてくれる。ちらっと大変そうな話もした。
そしてこの段階でちんこは全く反応していない。とてもエロい環境にいるのは間違いないし実際そう思ってはいるけど勃たん。申し訳ないしもったいないよ…。前日全く予定に入れていなかったので普通に昨日シコったのも良くなかったか?
プレイの希望は「初めて」をタテに攻めてもらうことに。ベッドで横になり、Oさんが上からかぶさる。この時点でOさんの陰毛がないことに気がつく。胸を見過ぎ。キスから始まり、体重はかけてもらいつつ(好き)乳首舐めと手コキ。きもちえぇ……。俺は強めに扱いてもらうのが好きかと思っていたが、ゆるくしてもらう方が好みだったのかもしれない。そもそも普段の自慰圧が強すぎたのか。勃ってきてからそのまま咥えてもらう。 体で感じる柔らかさと刺激でちんこも元気になる。あんなに「いや、俺は清純派だから」みたいな顔してちょこんといただけだった息子が存在を主張する。自我の芽生えか?それもそう、ちょっと顔を下に向ければいい匂いするしくちゅくちゅ音するし全身にほどよく圧かかってるしすごい光景がある。性の宝石箱である。途中でおっぱいを触らせてくれと懇願。やわらけ〜。こんなに柔らかくてモチモチしたものある?安心感しかない。片乳を乳首舐めさせてもらいながら片乳揉む時間で一生を埋めたい。
ほどよく中断してフェラの続き少しと本番。慣れた手付きでテロテロ(このオノマトペが最適)とゴムをつけ、挿入。あったけえよ……。挿入の感覚を口頭で説明するのは難しい。ちんこがヌププ…と包まれていく。どちらかというとビジュアルを楽しむやつかもしれない。胸も一生揺れてる。騎乗位で足を開いてもらいつつ腰を振ってもらう。耳元には吐息がかかる。天井のシミを数えていると終わってしまう。景色を目に焼き付けた方が良かったが、インパクトが強すぎて逆に忘れた。
一度止まって、再びちょっと触らせてもらいつつ感動。肌も綺麗だし体のメンテ大変なんだろうなとか考える。Oさんも手コキで続けてくれていたのでちんこも全然余裕だった。開始前の心配は杞憂であった。
ちょっと出そうな感覚があったため、ペース配分の意識のため報告。すると突如競馬の最後の追い込みの如く腰の振りを早め、深くまで腰を落としてくる。え、自分今から射精するんですか?急にガチ射精させるモードに切り替わった。腰の運動がうますぎる。もうちょっとのんびりと行こうと思ったがこれは耐えられない。唐突すぎて「えっ!?ごめん!!!」と大きめの声を出して腰を抱えて奥に入れさせてもらいながらそのまま果てる。めっちゃ出た感覚を残してしばらく繋がったままでいてくれた。
それはそれとして唐突に出そうになった謎の驚きでちょっと声が大きくなってしまった。それに射精の瞬間に謝るのもなんかやばいやつな気がする。でかい声については謝った。
終わったけどここから何するんだろうか……。ちらっと見た時計は微妙に時間がある。大体のソープレポはあまり事後の話を書いていなかったのでここからは未知のエリア。終わりにはベッドで添い寝してもらいつつちょっとおしゃべりをする。手を繋いでもらいつつ足を絡めて抱きついてくれた。人肌を感じるのも久しぶりだ。「初めてで緊張してたけど普通に楽しめて良かった」と伝えると「普通の兄ちゃんって感じだったしわかんなかったよ」と返され、まだまだ俺も人として生活できる権利はあるなと安心するなど。他のお客さんの話とか帰りの話もしていた気がする。聞いてまずいことは無かったが、知らない世界があった。
そんな感じで雑談をしているとタイマーが鳴った。馴染みの深いカラオケの内線コールと同じ音だ。音を聞いてOさんが起き上がり、そそくさとシャワーの用意を始めた。ベッドに入る前の流れと同じように体を洗うようだ。先ほどより軽めに洗い直す。股間周りのみさっぱりするように少し念入りに。洗うためと言えどもイった後に触られるやつ、明確に性器を触りにきている感が強いのでまた別の趣がある。体も拭き服を着る。人がシャワーを浴びているのを直に見ながら服を着るのも新鮮である。
荷物を整理してお金を払って退室。致した後の虚無の時間に財布から出る野口と漱石は重みが違う。部屋を出る。帰りも手をつないでカーテンのあったところまで戻る。服を着て自分のにおいが戻ってきたこともあり、Oさんの甘い匂いが引き立つ。長い階段を降りていくと現実との境目が見えてきた。「またきてね?」「もちろん。ありがとう」などと社交辞令をしつつキスとハグをして出た。『キスとハグをして出た』などとあっさりした一文で済ませるべき事象ではないのだが、感覚が麻痺している。受付には最初に見た黒服の人にアンケートを差し出されたので記入し、そそくさと退店。外にはすっかり冷えこんだ街の空気と外套からふわっと現れるOさんの移り香がそこにはあった。明日もがんばろう。
・「行くとなんか変わるよ」というのをどこかで読んだがあれは嘘。陰の者は陰の者
自分アラサー過ぎた女だけどむしろ若い子怖い。キラキラしてる子すげえ怖い。
そういう子が仮にちやほやされてるとしても自分に害があるわけでもないし、むしろ自分への注意が逸れて助かるし。
冗談で「若い子うらやましい(笑)」みたいに言うことはあるかもしれないけど本心から「キーッ憎い!!!」みたいに思うことある????
なのでATSUGIとかの騒ぎでアンチフェミ的な立場の人が「若い子への嫉妬だろ」って言うのがまったくもって理解できないんだが、現実でそういう人とかそういう事象を見聞きした人いるんだろうか。
そもそも何のたとえとして
「バナナの皮はみかんの皮のように剥きやすい」を持ち出したのかよくわからん
ネットを使っていると、その場その場での判断しかしなくなってきて、マズイと思っている。
昔だったら京大カード、コーネル式ノート、デジタルだとEvernoteやOneNoteなどがあるが、どうも便利になっていない。
私がわかりやすく説明してあげるわ!って感じで例え話出してくる人よくいるけど
全然話の構造が違うものをだしてくることが多いし、そうでなくても完全一致してることはまずないし
例えたモノのスルーした特徴が今回の事象に当てはまるとして合意取れたものと振舞われるし
例え話しだす人って話うやむやしにしたり相手の好意的解釈に付け込んで有利な合意取り付けたりしたいだけだと思う。
例え話しだすやつが癌
増田は気づいてるだろうけど「中年おじさんは傲慢だ」に主語がでかいで言い負かした気になってるのは自分が傲慢だと自覚の無い、もしくはそう思いたくないおじさんなんだよ
ATSUGIの件、完全にしっくりくる説明が見当たらなかったので(あんまり探してないけど)、自分で書くことにした。
あれって客体化の話なんじゃないの?
「タイツ」自体の魅力ではなく、「タイツを履いた女性」の魅力を描いたから反発を招いた。ATSUGIは「タイツを履いた女性」を売ってるわけではないし、ATSUGIの顧客は「タイツを履いた女性」を買っているわけではない。「タイツを選ぶ女性」が顧客なのだ。買う主体であるはずなのに、買われる存在として描かれちゃったらそりゃ反発はするだろう。
というところまではたぶんこれまでも言われてることだと思うんだけど。
私が違和感を覚えてるのは以下の2つです。
1.ATSUGIのタイツ萌え絵が批判されていることは、私のタイツ萌えも否定されている/他人のタイツ萌えを否定していい。
2.これはマーケティングの失敗であって、フェミニズムは関係ない。
1.ATSUGIのタイツ萌え絵が批判されていることは、私のタイツ萌えも否定されている/他人のタイツ萌えを否定していい。
そんなわけないじゃん。
ということもそれなりに言われていると思いますが、ここは強く否定したいところなので改めて言っておきます。
問題なのは、ATSUGというの企業が公の立場で顧客というタイツを履く現実の人々に面と向かって、タイツを履いている女性に性的な魅力を感じていますって言ったことですよね。まあ「性的な魅力」と感じるかは人それぞれだとは思うんですけど、私は性的に魅力的な絵が含まれていると思ったよ。特に公式ツイッターの推しの絵師さん?の絵のあのタイツの透け感、めちゃくちゃ魅力的だなと思った。
まあでも公の場で人が人に性的な魅力を感じていますと言うのは良くないんですよ。公の場で女性におっぱい大きいねとは言わないし、男性の乳首がTシャツに浮いててエロいなと思ってもエロいですねとは言わないでしょう。私は言うよ!っていう人がいたらちょっと考え直した方がいいと思うな。ピンポンダッシュで度胸試しするイキリキッズと同じようなもんだと思うよ。
ただ、私的な場で同好の士と楽しむ分には何の問題もないと思います。TPOを弁えようってことよ。欲望の主体には男性も女性もなったっていいし、そこには性的に見られる客体が存在する。その客体が、互いに同意の上で欲望をやりとりする相手なら何の問題もないけど、望まれていないのに一方的にぶつけるのは暴力ですよ。異性間でも同性間でもね。でも、直接ぶつけるわけじゃなくて、こっそり楽しむ分には責められることは何もないじゃないですか。そんなの自由だし抑えられることでもないじゃん。
ただ、インターネットって公私の区別がつけづらいところだし、オタクって身内ノリで暴走しがちだから、気をつけないと人を傷つけることにつながってしまう。これは自戒をこめて。私は今はTPOを弁えて発言には気をつけようと思ってるけど、若いころはイキリキッズだったなという反省もあるし、ときどきこの表現鍵なしのアカウントで言って大丈夫だったかなって反省することもあるので……。とにかく気をつけよう。日々反省ですよ。
あと、人の欲望を全否定してくるやつのことは相手にしなくていい。あなたの欲望はあなた自身のもので、扱いにさえ気をつければ、否定する必要も否定される謂れもないよ。
2.これはマーケティングの失敗であって、フェミニズムは関係ない。
私はフェミニズム詳しくなくて、最近ちょっと別件で気になってたことを調べたときの付け焼き刃でしかないので、以下で述べることについては間違ってたら教えてくださるとありがたいし、この論を自分の意見としてどこかで言いたい方がいらしたら、鵜呑みにしないで各自調べてください。
最初に「客体化」の話だ、と言ったけど、私は、フェミニズムって客体化に抗ってきたんだと思ってます。だから、これはフェミニズムとは関係ないって言ってしまうのも、なんだか違うんじゃないかと思う。
一部に人格否定したり暴言吐いたりするようなのがいるから、「フェミニズムではない」って言いたくなる気持ちはわかるんだけど、それはフェミニズムの問題というよりは、日本人が「議論」が苦手って話なんじゃないかなぁ。なんか、誰かの言動を否定すると人格まで否定されたと思ってヒートアップしちゃったり、人格否定の応酬になっちゃうことってよくあるよね。いやいや事象を批判してるんだって。別に人間として嫌いって話じゃないってば。人格否定し始めちゃったらそれは批判として成り立たないよ。ただ、そこはフェミニズムの根本的な考え方とは関係ないと思うので、フェミニズムそれ自体を否定するのは違うんじゃないかなと私は思っています。
私は今、誰かに「結婚すべき」とも「子どもを産むべき」とも言われず、職場でも特に性別によって差別されているとも感じず、比較的自由に独り身を謳歌しています。この自由は、たぶん誰かが戦ってくれたから得られたものだと思っていて。だって75年前には女性は選挙権すら持っていなかったんですよ。それが、おそらくかなり恵まれた状況だとはいえ、私が比較的自由に生きられているのって、「女性の役割」を押し付けられることと戦ってきた人がいるからだと思う。それを全部否定してしまうのは、フリーライドしてるみたいであんまり好きじゃない。
もちろん普段の生活の場に論争が持ち込まれるのがしんどい人もいると思うので、そういう人はあったかくしておいしいもの食べてゆっくりしててほしいと思うんだ。ただ、自由でいることを目指すことを、否定はしないでくれたらいいなと思う。
あ、自分と似てる人かも。そう思いました。
「普通」の感覚になってみたくて、たまにAVは見てみるんですよ。ネットで無料で見れるやつ。
おかげで下ネタはいくらか読解できるようになったんですがw やっぱり、自分と関係ある事象とは思えなくて、動物園で檻の中のいきものを堀の手前から見ている気持ちというか、別の次元で起きていることを観察している感覚というか。身体が反応することもなく。
正直全然分からなくはあるんですが、それでも、自分以外の(大多数の)人にとっては重要な人生のイシューなのだとは理解しています。
自身も、有史以前から連綿と続いてきた行為の果てに生まれついてるわけで、遺伝子のリレーを途絶えさせてしまうことに、一抹の申し訳なさは ふとした時に感じるんですよ。でもまあ、70億個体もいれば、種の存続としては全く問題ないでしょ、とはすぐ思い直すんですがw
誰かが結婚しますとなれば、めでたいなぁと素直に思います。異性でも同性でも、番になって生涯添い遂げようと決意したことは、たとえそれが一時的な情熱の暴走であったとしても、きっととても尊いことで。でも何故かそこから、「自分もいつかは」って発想に至らないんですよね。
単にモテないから諦めがこびりついてるだけでは?と言われれば、そうなのかもしれません。でもアセクシャルという言葉に出会ったとき、少しだけ安心したのは確かです。名前が付いて、ちょっと落ち着いたというか。元増田のとおり、死ぬまで納得?証明?はできないんでしょうね。