2020-11-07

anond:20201105101925

主語が大きい」という言葉は有名になりすぎて誰でも脳死批判できる領域に成り下がったが、「主語が小さい」ことはあまり問題にされない。

嫌韓が盛り上がっていた頃から指摘しているのだが、差別を行う人々は時に「一般的に成り立つはずの事象を、あたか特殊なことのように話す」ことがある。

例えば、「韓国下水設備が貧弱で、水洗トイレでもトイレットペーパーを流すことが出来ない」ことを嘲笑う人がいる(いた)。しかしそれは全く逆で、「日本下水設備が優秀で、水洗トイレにはトイレットペーパーを流すことが出来る」というのが正しい。「トイレットペーパーを流すことが出来る」のは、そもそも世界的に見て日本の方が特殊なのである。(最近海外も状況が変わっているらしいが。)

このような論理女性差別オタク差別などでもしばしば用いられる。

「女は嘘をつく」と言うが、そもそも人間は嘘をつく」のである。「女は感情的」と言うが、そもそも人間感情的である

二次元表象犯罪差別助長する」と言われる時、「二次元表象以外が犯罪差別助長する」可能性は無視される。「たとえ二次元でも小児性愛肯定的に描くことは、現実小児性愛肯定に繋がる」と主張する人は、「たとえ成人でも対人性愛肯定することは、現実小児性愛肯定に繋がる」とは言わない。

  • 全国各地にいる不特定多数の皆さんはどう思いますか?

  • 二次元表象まではなるほどで読んだが、最後の一文がマジでわからん それは主語の大きさとかでなくて別の話やろ

記事への反応(ブックマークコメント)

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