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2015-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20151211000410

悪いところもあるよ。利点だけね

Magic Mouse

タッチセンサーで4方向にスクロールできる。横方向スクロールは慣れると本当に無いと困る

バカみたいに電池食う。1〜2週間で電池変えてる気がする。Thunderboltのヤツに変わる前に電池のヤツとエネループ買うべき

フォント

ヒラギノをはじめとする日本語フォントはもちろんだけど

ゴディバファンケルロゴで有名なOptimaアルマーニロゴで使われてるDidot 、ユニバーサルミュージックロゴで使われているCopperplate gothicなど

海外の有名なフォント最初から結構入ってる。

そして印刷web製作など商用利用OK。これはAppleに問い合わせたから間違いない

ミッションコントロール

magic mouseを二本指で軽く二回叩くと今立ち上がってるアプリ一覧みたいな画面になる。この画面で複数デスクトップを作って使い分けることも出来る

ドック上のアプリアイコンの上でこのジェスチャーをするとそのアプリの開いてるウインドウ一覧になる

ブラウザ立ち上げ過ぎた時に便利

隠す

そのアプリを立ち上げたまま表示を全部消す

ブラウザ立ち上げ過ぎて他のアプリウィンドウがどっかいった時に便利

プレビュー

音楽ファイルならその場でプレビュー再生できるとかプレビュー機能が強いと思うけど、今のウィンドウズ知らないから分からん。もしかしたら同じかも

ターミナル

まったく分からないけど、分かる人には素晴らしいものらしい。OSの設定を変えるのに時々このターミナル必要になったりする

買収

AppleLogicってDTM用のソフトを開発・販売している。

Logicは元々emagicという会社が作っていたものWin版とmac版の両方が販売されていたが、Appleがemagicを買収。Win版は容赦なく打ち切られた

最近も同じ事があった。CamelAudioというソフトウェアシンセサイザーで有名な会社Appleが買収

Win版はもちろん打ち切り代表Alchemyはなんと無料Logicに搭載された

Winユーザーからしたら迷惑この上ないことだが、Alchemyをただで手に入れたLogicユーザーとしてはすげー嬉しい。Alchemyホント素晴らしい

Apple結構Macユーザーメリットがあればwinユーザーがどうなろうが知ったこっちゃないって感じがある気がする

あんまりいい事じゃないとは思うんだけど、まあMacを使っていればAppleの囲い込み被害に合わないで済む安心感というか、まあそういうのはある。特にDTMでは

2015-10-25

痛いイモヲタだけどさ

友人はビートルズヲタ20年超えてて他のアーティストもそれなりに聞くけど、ビートルズが別格みたい。

そんな友人とこの間ビートルズの話をしてて

アルバム毎に音楽性がもう全然違うんだよね。ファーストアルバム最後アルバムなんて、もう別グループだよ。」って言っててさ

しかに、そうなんだけど、そんなバンドいっぱいいるぞ?

音楽が今みたいに多様性があるわけじゃなかったから、そのなかでやってたビートルズはすごいよ。

それはわかる。でもな、でもな…。

YMOアルバムを一枚ずつ聴いてもらいたい。

やばいぞ。

どれも音楽性が違いすぎるからホントやばいぞ。

ジャンルとかも全然異なります

同じバンドではないみたいです。本当に。やばいぞ。

ほんの一例だけど

「Citizens of science」と「perspective」は同じ作曲者とも思えないし同じバンドの曲には思えない。

ボーカルがユキヒロさんか教授かの違いだけではない。

私は中学YMOを知ってから10年近くファンを続けている。

専門的な知識はないど素人だが、素人なりの直感でもこんなに稲妻が走ったことはない。

平沢進とかも聴いてみたけど、音楽性はそんなに変わらずだ。

デーボやクラフトワークも、筋がとおってる。

音楽性が変わりまくる=いい事とは限らないけれど

音楽性が変わりまくるバンドとしては、YMOが最高だと思う。

ちなみに、あんまり色んなバンドを知りません(爆)

追記/専門的な知識がないとヲタ騙っちゃいけないんですか??

好きで、10年以上聴きつづけてるんだけどこれはYMO素人なんでしょうか…。

OMOYDEも持ってるし、ライブアルバム市場に流れてる範囲で全部持ってますよ。。。

ただ、音楽的なことと、シンセサイザーとか機材のことはよくわかんないです。

追記2/誤字です。↑ヲタ語っちゃ~ですね。ご指摘サンクスです。

くるりは、メンバー変わってるから同じ定規て計ってよいのやらって感じではあるけど

固定メンバーの人たちの作品もいろいろ変化に富んでいるのかな。

ちょっと聴いてみます

2015-08-26

寒川 綾奈

寒川綾奈最近気になる。元々はSilent Sirenサイレントサイレン)は、日本ガールズバンドだったらしい。

寒川綾奈(そうがわ あやな、2010年 - 2012年7月31日) - シンセサイザーキーボード担当

1988年10月20日まれ和歌山県出身A型身長:167cm。

愛称は「やな」。

けっこうな学歴があるのがビックリしました。青山学院らしい!

注目、寒川さんでした。

2015-07-07

動画は見てないけど思った事(直接関係ない事の方が多い)

ボーカロイドについては衰退ではなくブームが過ぎただけなんじゃないかなとは思う。他の音楽にしても10年以上続くってなかなか無いと思うし。昔から今に至るにつれてシンセサイザー立ち位置が変わっていったように、ボーカロイド楽器の一つとなったのならそれはもう成功なんじゃないかと。

ただ、初音ミクが出た頃私は「声が出るMIDI」だと思ってたかキャラクター性があんなに売れるとは思わなかった。そこは本当にすごい。

私はMIDIによる耳コピが好きなんだけど、聞くのは昔から好きで「よし自分でも耳コピしてみるかー!」と思った頃に丁度JASRACのあれがあって、一人暮らし始めてnifty入って「これからFMIDIにどんどん投稿するぞー!」と思った二年後にFMIDIが閉鎖してうーんと思っている所にボーカロイドニコニコ動画を知って。私の場合ボーカロイドを「メロディ音色に悩む楽器楽器ではなくそのまま声にすればいいのか!」という方向でわくわくしていたけど当時はまだニコニコJASRAC提携する前だったから作っても投稿はしないでいた。翌年JASRAC管理楽曲もOKになったからわーいと思った頃にはボーカロイドはなんかものすごいことになっていた。どうにもタイミングが悪い。今もオリジナル曲に比べるとカバー曲で有名な作品が少ない事に関してはなんだかなあな気持ちでいる。

それより耳コピMIDIはもうブームにはならんのかな…ならんだろうな…始めた時から波に乗れた事が一度も無い事がちょっと悔しい。10年早く生まれたかった。好きだから続けるけど。TMIDIとかの鍵盤画面を見ながら「このパートはここでこんなことをやっているのかー!」と思うのが大好きなので変にWRDすらいらないと思っている点では昔から私は変人なのかもしれない。

ついでに曲は川井憲次服部隆之最近だと澤野弘之とかが好きです。要するにサントラ好きです。サントラは初めから縁の下の力持ち的な部分はあるので多分どうしようもない。

2015-01-24

ジャズは古臭いと思ってるあなたに捧げる10

今この増田を読んでるあなたは、「ジャズ」、と聞いたとき、何を思い浮かべますか。

十中八九、そこらへんのファーストフード店喫茶店で流れている、”おしゃれ”な音楽を思い浮かべるでしょう。あるいは、スウィングガールズ効果で、吹奏楽界隈でも一時期流行ったSing Sing Singのような曲も、頭の中で流れるかもしれません。

これは、まさにそうした人々のための増田です。広いジャズ世界の中でも極々一部の曲を聴いてジャズを知った気になる、あるいはジャズはどこか古いものだと思ってしまう、これほどもったいないことはありません。

前置きが長くなりますが、以下から本題です。動画サイトへのリンクも張っておいたので、気に入った方は今後のジャズ界の振興のためにもAmazonなりiTunesなりなんなりで高音質のものを買ってください。

"Not Yet" by Michle Camilo

http://youtu.be/tZOCdrwGch4

最高。何も考えずに聴きに行くべし。

これだけだとあまりにも不親切だからもう少し何か書くと、Anthony Jacksonのベースライン聴くだけでも絶頂できます

"Barcelona" by Metropole Orkest

http://youtu.be/-GcTk91J0iE

二発目は稀代のコンポーザー/アレンジャーVince Mendozaを擁するメトロポールによるバルセロナ。聴けば分かるように、オーケストラビッグバンドコラボレーションが、一昔前の映画音楽でよく見られたような、ストリングスストリングス独立していて、前でなんかジャズの奴らがごちゃごちゃ遊んでいるというものではなく、不可分のものとして一つの芸術作品を作り上げていますはい意味が分からないという人は、ぜひ一度だまされたと思って聴きに行っていましょう。

"Cerulean Skies" by Maria Schneider

http://youtu.be/HS-x4-_tCAE

演奏慶應義塾大学Light Music Society通称慶応ライト。恐らくこれを聞いた人は、これがジャズなの!?と驚くでしょう。ジャズです。心が洗われるような、美しいその音楽性には涙を流すほかありません――大自然の息吹を感じるのです。Maria Schneiderはこの他にも多くの曲を出していますが、初期のアルバムもっとジャズ色が強めな一方、最近アルバムクラシックにかなり傾倒しているので、この曲が収録されているSky Blue前後作風が好きです。

ちなみに、この演奏は生で聴いていました。

"As Seen from Above" by Jan Garbarek

http://youtu.be/Fzeb7paMftM

これもまたきれいな曲です。前曲よりもフュージョン寄りですが、ドンキーコング2のとげとげタル迷路と、どことなく似た雰囲気を持っていると思いませんか?独特なソプラノサックス音色と共に歌い上げられるメロディミニマル雰囲気を生み出しているバック。気分は海の中に漂っているようです。少なくとも私は広大な海原に一人放り出されて息を止めたまま海流に流されるままの自分夢想しながら聴いています

"Expansion" by The Orchestra

http://www.nicozon.net/watch/sm9452541

北欧ビッグバンドでは有名どころの一つです。ディスコ音楽ジャズの融合という、見た目だけだとゲテモノ間違いなしですが、いざ聴いてみると違和感はありません。まあ、もともとジャズもみんなで楽しく歌って演奏して踊るものだったのですから親和性は元々高かったのでしょう。映像からも分かるように、踊っています。というか、思いっきディスコです。ちなみに、このバージョンショート版で、アルバムにはロング版が収録されており、ロング版のテナーサックスソロは必聴です。

"Tortoise and the Hare" by Yellow Jackets

http://youtu.be/hMGz0-fJ-Xw

Yellow Jacketsのナンバーはどれもかっこいいのですが、今回はこの「ウサギとカメ」をチョイスしました。ピアノの美しいイントロドラムによって加速するドライブ感、そしてサックスのどこかゆったりとしたフレーズと絡み合うせわしないピアノ――ここに、ウサギとカメの名称の由来が来ているのだと私は勝手に思い込んでいます。これはかっこいい曲だ。

"Return of the Kung Fu World Champion" by上原ひろみ

http://youtu.be/rk7_dXIKt0Y

みなさんもグラミー賞を取ったということでご存知の上原ひろみ。ですが、この人の曲を実際に聴いたことがある人ってどれくらいいますか?ということで、数ある曲の中から、変わり種に入りそうな、シンセサイザーがかわいらしくピコピコ鳴っていて、どことなく8ビット香りも漂ってくる、ただでさえ聴いていると体力が奪われるのに、ライブから余計に疲れる、カロリーの高い曲をチョイスしました。目まぐるしく変化していく曲調にあなたは目を回すこと間違いなし。

"First Circle" by Pat Metheny

http://youtu.be/LEmL6tIaYWU

ジョジョエンディングテーマ演奏していることでネット界でにわかに脚光を浴びているPat Methenyによるナンバー。この人も良い曲をたくさん持っているのですが、今回はメセニーらしさがぞんぶんに出ている曲を選びました。よくわからない拍子、男声ヴォーカル、爽やかな雰囲気はい、メセニーですね。ただ、こだわりのエレキギターの音を聴けないのが残念です。

本当はメセニーの世界を余すところなく堪能できるOrchestrionを紹介しようと思ったのですが、長すぎるのでやめました。

"Phobos" by Darcy James Argue's Secret Society

http://youtu.be/bEd6fIq-WnM

名前からして古臭さを一切感じさせないですね。フォボスとか、宇宙にまで行っちゃいましたよ。そしてこのバンド名も厨二病溢れる名称。曲も退廃的な雰囲気を漂わせちゃって、なんか厨二病っぽいです。テナーサックスソロ厨二病っぽいです。

"Toys" by Vertu

http://youtu.be/9NcEo9I_flU

曲調がしょっちゅう変わる曲その2。とにかくにぎやかで豪華で壮大で荘厳でいかめしくていかつくて以下省略。とにかく聴いていて飽きません。疲れません。おなか一杯になりにくいです。上原ひろみのものと比べたら、耳にやさしいです。あえて無駄にでかい虚栄心を張ったスケールの曲なので、ラストにふさわしいでしょう。

いかがでしたでしょうか。

ジャズの新たな世界は開けましたか

2014-02-09

現代音楽歴史超簡略版

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905

ベートーベン事件の論評は間違いだらけ

まりに気の毒な当代一流の音楽家新垣隆

この記事のブコメは割と現代音楽の高尚な作曲家様が商業及び無知な人たちを見下してるのウゼェという感じが多く見受けられて、そういえば日本音楽の授業とかだと現代音楽についてってあんまり触れてなくてなんとなくそういうのが原因な気もした。

そこで日本現代音楽界とか教育Disるのもいいんだが手っ取り早い方法としてここに現代音楽の超大雑把な歴史を書こうと思う。

大まかさ重視だし自分もかじった程度なので細かいところは気にしないでくれい。その上でこれはさすがに語弊があるとか難しくてわかんねーよってとこはフォローお願いします。

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まず、本当におおまかな2大ジャンルして「無調」と「偶然性」がある。前者が先で後者が後の時代

まずショパンとかがいたロマン派とかの時代の後半から調性音楽をどんどん複雑にしていって和音とかもそれまでは不協和音とされていたものも許容されていくようになる流れがあって(ちなみに中世ぐらいはドとミは不協和とされてたのよ)、そのうち「無調」を目指すようになる。

一番有名なのがシェーンベルクって人で、この人は「既存技法にとらわれてちゃ新しいもんなんて出来ないぜ!」ってことで「12技法」ってのを作った。

これは何かってうと、まず1オクターブ12音を自由な順番に並べて、「そのまま並べる」「逆から並べる」「最初の音を中心に上下逆さまにする」「上下逆を逆から並べる」っていう4種類の音列を作る。

で、この4種の音列だけで曲を作るってものなんだ。順番があってれば始めの音はどの音程でもいいし、同じ音名ならオクターブが入れ替わっても良い。リズムについては特に指定はない。

それから時系列的に順番だけじゃなくて和音の上から順に1,2,3番目みたいなのも有り。これ以外は何でも許される。ただ音の並べ方によっては調性があるものも出てくるのでそれは使わないようにしてたみたい。

まりルールを最低限にすることで既成概念にとらわれない曲ができたわけだ。ある意味これは「言い訳」的でも有り「どんなもの音楽的か?」は作曲家自身に委ねられる。

でもそれじゃ和音の取り方とか特にリズムの作り方とかは今までの概念とか染み付いてきたものからは抜けだせないんじゃない?と思う人もいるんじゃないかと。

シェーンベルク弟子たちがそう考えて、より主観性排除する方向に向かうわけです。

どうするかというと、音列1〜12番までにそれぞれ強弱や、音の長さとかを割り当てていく。「総音列技法」とか「セリエリズム」とか呼ばれたりする。

どう考えてもめちゃくちゃなリズムだろこれ、みたいなのがこういうのだったりする。メシアンの「音価と強度のモード」とか。

そうするとどうなっていくかというと段々作曲者が考える必要性がなくなっていく。

同時にこの頃コンピュータとか電子楽器が出てきまして(まだ研究所とかしか持てないレベルだけど)、ある程度のアルゴリズムを決めたらあとは技術者に任せて音を作ってもらえば良くなってしまう、ということになってくる。

(実はこの辺の技術開発がシンセサイザーや録音技術の向上にもつながって、今日の我々の聞く商業音楽の礎(踏み台かな?)になっているというのは多分事実で案外重要ポイントだと個人的には思ってるよ。)

でも当然こんな流れを続ければみんなおんなじように一聴意味不明ものばっかり出来上がって行き詰まってくるのはだれでも予想がつくことで。

ここまでが「無調」。

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そんな中登場したのがみんな大好きジョン・ケージ

彼がやったことをざっくり言うと「お前ら既成概念から外れた音楽作ろうとしてたのに何そんな頭固いことやってんの?もっと音楽って自由だろ?」みたいな感じで

サイコロ演奏順がその時々によって変わるとか、人によって解釈の異なる五線譜以外の楽譜とか(これはケージ最初ではないけど)、果てには皆さんご存知「4分33秒」が出てくる。

ちなみに4分33秒が有名ですけど実はその後に「0分00秒」っていうのも作ってて、演奏しなくていいどころか始まらないし終わりもしない、存在はあるけど存在しないみたいな不思議なことになってしまうわけだ。

このへんはそりゃあもう革新的だったんですが当然、さっきのよりも深刻な袋小路に入り込んでしまったわけです。

このへんは現代美術もおんなじような流れがあるけど「やれることやり尽くしちゃった」です。だって音楽なのに音楽存在しなくてもいいんだよ。

さあ、この後どうします?っていうのが現代音楽の現状と言っていいんじゃないかと。(当然皆この後もいろんな取り組みはしてるし、このへんの見解は分かれるとは思うけど。)

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ちなみにあんまり触れなかったものとしては未来派スペクトル楽派、ミュージック・コンクレートとかがあるんで興味があればググってみてね。

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以上を踏まえた上でイトケンさんの記事に対する個人的な思いとしては

調性音楽を作るのは現代音楽を作っていくより圧倒的に楽だ、っていうのは現代音楽の道に入る人らはみんなまず調性音楽から勉強していって、その上でないと現代音楽が作れないってことだと思う。歴史の積み重ねつながりを知らんと無理だし、調性音楽の仕組みも理解してないと無理。

ただ調性感のある音楽は大したことがないから著作権放棄する作曲家ばかりなのかは自分作曲家ではないしよくわからんが、上の流れで見たように、もはや調性感があるかないかなんて昨今じゃどうでもよくなってるんじゃないかということがあるのでそれはどうなの、と思う所あり。

あとブコメでも多分触れてたと思うけどあまちゃんテーマを作った大友良英さんはおそらく一般大衆には理解され難いノイズミュージックバリバリやってた人です。

そういう人がなんであまちゃんテーマのような超親しみやすい曲を作るのか?ということは結構考えて行くと興味深いのではないかと思うが、自分の考えはまとまってないのでやめとく。

2013-09-07

MTV81のクリプトン・フューチャー・メディア社長インタビュー翻訳

 MTV81なるサイトクリプトン・フューチャー・メディア伊藤社長インタビューが載っていた。初音ミク英語版が発売される直前のタイミングで掲載されたようだが、ちょっと探しても日本語訳が見当たらなかったので適当に訳してみた。URLは以下の通り。

http://www.mtv81.com/features/interviews/the-father-of-hatsune-miku-on-the-future-of-music-and-everything/

*****引用はじめ*****

 初音ミクのお父さん――未来音楽、そして全てについて

 Mark Jarnes 2013年8月30日

 J-ファンはおそらく今では「初音ミク」が何であるかご存知だろう――もしかしたら「違う! 初音ミクが『誰』であるか、だ!」とすら思っているかもしれない。

 CGアイドルの6回目の誕生日彼女最初に発売された2007年以来)を――そして「初音ミクV3英語版」の発売を――記念し、僕らは彼女のお父さんと会った。伊藤博之クリプトン・フューチャー・メディア創業者――初音ミク創造者に。

 MTV81は今年のジャパン・エキスポパリで、ソフトウエアとしての、歌手としての、そしてミューズ音楽女神]としての初音ミクについて聞くため、日本で最も先端的な考えを持つ人物の1人にどうにか会うことができた。また、伊藤との会見は滅多にないため、僕らは彼に、音楽とあらゆるもの未来に関する展望についてもまさに訊ねることにした。

 まず、初音ミクの6回目の誕生日おめでとうございます! そしてもちろん「初音ミクV3英語版」の発売も。

 ありがとう。ご存知の通り長くもあり短くもある難しい時間が経ったけど、ミクがデビューして以来の6年間、私たちはいくつかの試行錯誤をくぐり抜けることができ、そしてどうにか成功裏にシーンをつくりあげてきました。思うに私たちは、技術的な意味でも企業としても次の一歩を踏み出す時なのでしょう。引き続き掘り進めるけど、おそらくは違う角度で。

 そしてもちろん、私たちはミクのムーブメントを拡大し築き上げていきます。より大きな言い方をするなら未来を作り続けます――コンテンツ統合する場所を人々に提供するだけでなく、明るい未来を作ります

 日本には本当の意味伝統文化技術の混合物があります。ミクが日本のために、そしてこれだけ多くの技術の出発点であるその企業のために、物事をエキサイティングにしてくれることを期待しています。今から将来に目を向け、よりよい未来を作ることに集中する必要があると考えています

 壮大な展望ですね。1995年クリプトン・フューチャー・メディア設立した時からそう考えていましたか? それとも事態の進行に合わせてそう思うようになったのですか?

 95年の時からぼんやりとしたビジョンは持っていました。今ではそのままにしないよう、それを補完しようと試みています。今や変化を引き起こせる立場にいるため、未来私たちの手で作るような方向に向かうことは魅力的だろうと考えています

 私たち初音ミク創造世界に紹介したのはそのようなものとしてであり、以来彼女が成長し続けるよう挑戦しています。いくらかの波紋を起こすことはできたと考えていますし、今は次の一歩を考えるべき時です。

 音楽制作世界から人間の声を排除するのがあなた意図ですか?

 違います。結局のところボーカロイド人間の声に代わるものではなく、むしろシンセサイザーです。不完全さの中に魅力があり――時に本当に機械っぽい音がすることがその声に『個性』を与えているのだと思います。完全に人間の声を真似られるのなら、それは魅力的ではないでしょう。

 たくさんの初音ミク動画製作者であり、自身アイドルファンだと公言しているわかむらPは、初音ミクは「理想的なアイドル」だと言っています。それについてどう思います

 多くの異なった価値と考え方があり、もし100万人のユーザーがいるのなら100万の異なった考え方がある筈です。

 私は特定の価値にこだわりすぎないようにしています。多くの考え方こそがより豊かでより多様な創造に至ると考えています重要なのは多様な切り口を持つことで――そこから進化が始まります初音ミクは多様な創造、例えば音楽動画及び他の種類の技術ハブになってきました。

 音声合成技術日本音楽制作シーンにとても巨大な衝撃をもたらしてきました。ボーカロイドあなたクリプトンでの仕事は、音楽制作世界における進化でしょうか?

 そうだと思います。それは人間の声を代用する目的で始まった技術ですが、人々が印刷された文章としてすぐに同じ情報を共有することを可能にしたワープロ発明のように――ただし音楽的な意味で、重要効果をもたらすようになると思います(微笑)。

 初音ミク英語版の発売とインターフェイス改善により、より多くの人々が使うことで、それは音楽を作るクリエーターの標準的な道具になるでしょう。それとともに、予想不能な、全くユニークなミクの使い方をした、より多くのタイプ音楽制作されるでしょう。

 次に何が起きるか私には分かりませんが、これがある種の音楽革命であると私は信じており、そしてこの革命技術私たちは貢献し続けたいと思っています

 どのようにして英語圏の国々に革命を持ち込もうと計画していますか?

 文化は国ごとに違います日本では「サブカル」が本当に人気が出るようになり――多くの場合それがほとんどメインストリームになっています音楽と同様に、人気のあるジャンルも異なります米国欧州では、おそらくそれはEDMであり、その前にポストロックでしょう。

 従ってそこが成功のカギとなるでしょう。誰が初音ミクを使い、どのような音楽を彼らが支持しているかが。

 彼女は国際的に連携した活動をすべきだと聞いたことがあります。それについてコメントはありますか?

 初音ミクは国ごとに異なった受け取られ方をしています。ひとたびミクが誤解されると、それがデフォルトの理解となってしまうでしょう。

 不幸なことに、特に外国彼女はしばしば誤解されています。何人かの人が動画サイト初音ミクコンサートに対する嫌悪感を表明しているのを見ました――ですが、数十万のアーティストクリエーターが参加し貢献しているイベント象徴がミクであると適切に紹介すれば、共感を得られると私は確信しています

 バーチャルアーティストというアイデアに警戒感を持つ人がいます。だから彼らにコンサート映像を示すだけではうまくいかないでしょう。彼女を注意深く紹介する必要があります。それが私たち意図です――各国のアーティストと協力し関係をつくることで、各国とその文化的分野における彼女への確かな入り口を作り出すのが。

 あなたが見たい他の国々での初音ミクの使われ方というのはありますか?

 私たち日本人がミクについて興味を抱いた点と全世界の人々の受け止め方は全く違うでしょう。

 より重要なのは私たちの望みより彼らが何を見たいと望むかだと思います。だから今のところ私は明確な考えを持っていません――そして異なる文化おいて何が受け入れられ支持されるか、想像することもできません。考えるのも恐ろしいほどです!

 初音ミク日本リードする何人かの実験的なクリエーター、例えば冨田勲渋谷慶一郎に使われてきました。これまでミクに対して「ミューズ」という言葉が使われています――あなたにとっても彼女ミューズですか?

 (微笑)そうだと思っています初音ミクは多くのインプットアウトプットを持つコンテンツで、人々が彼女を通じていくらでも作品を創造できる基盤を生み出していますソフトウエアはしばしばアップデートされてきましたが、私たち最初の段階で特定の戦略を抱いていたわけではありません。「へえ、そうなるのか、ならその場合はこうしなくちゃな」

 インプットアウトプットについては、我々技術供給者にできるのはユーザーポリシーを発展させることだけです。なぜなら私たちは実際には自らコンテンツ創造できる立場にないからです。事態から学ぶのは本当に興奮します。増加するアウトプットを通じて何年も気づいてきたことに取り組むことで、私たちは刺激を受けてきました。

 もっと未来を見てください! そういえば「フューチャー」は御社名前でもありましたね――初音ミクとそして全般的な未来に対するあなたビジョンを、ぜひとも聞きたいです!

 多くの人々がコンピューターを使い始めてたったの20年です。そして今ではそれらは私たち生活に完全に組み入れられています私たちは今や「ネット」と呼ぶ透明なクリスタルのディスプレーを通じて大量の情報を共有し、リアルタイムニュースアップデートしています

 そしてそれが過去たった20年に起きたことなのです。続く20年の期間を、そしてさらに50年や100年の未来を考えたとき私たちは本当にまだスタート地点にいるだけです。コンピューター発明から一時しか経過しておらず、そして本当の衝撃は今から数十年、あるいはおそらく数世紀を経てようやく気づかれるのでしょう。

 その時には我々の身体構造も発展していると想像します。例えば私たちは今、衣服を着ています。当然のことです。しかしそれは私たちの体毛が進化あるいはある意味退化の結果として著しく減ったためなのです――私たちはもはや裸ではいられないのです。

 もっと話してください! どこでコンピューターが関わってくるようになるのでしょう?

 コンピューター人間の脳の拡張です。従ってそれは私たち芸術本能や、あるいはむしろ特別な判断に関わる何かを発展させるのにもっともふさわしいと思います。なぜならそれらはコンピューターができないことだからです。私たちはこれらの物事にのみ取り組み、自分たちに必要ない機能と縁を切り、残りをコンピューターに任せるべきなのです。

 過去の人間の進化過程おいては2つの大きな跳躍がありました。まず農業人間生活に劇的な変化をもたらしました。[ここで産業革命の話が入ったと見られるが、インタビューには掲載されていない]そして情報革命です――しかしそのインパクト私たちはまだ評価しきれていません。革命が起きていること、そしてたとえ数十年あるいは数百年かかるとしてもそれが私たち人生を形作っていることは明白だと私は信じています

 コンピューターがよりよい仕事としてできる暗記、あるいは「1+1」のような計算重要ではありません。私たちコンピューターができないことを向上させるべきなのです――私たち人間にしていることを。それが人間頭脳を人工的なもの区別しているのです。遠い未来における私たち生活技術想像するのは私たちなのですから、それこそが不可欠なのです。

 私たちは今まさに過程の中にあり、初音ミクもそれに深くかかわり得る、というのが未来創造についての私の考えです。それは音楽産業の変化に関する狭い視野の話にとどまりません――私たちは変化と進化のより大きな波の中におり、そして私はこの動きに貢献する機会を失いたくありません。

 ですが私は近い未来、次の2、3年について正確には分かりません――それはちょっとした調整の問題だと私は思っています

*****引用終わり*****

 せっかくクリプトンの人が大好きなトフラーの「第三の波」について話しているのに、その肝心な部分をインタビューに収用しきれていないってのはどうなのよ。それとも最近の人はトフラーも知らないんだろうか。

2013-07-02

アニメ惡の華がやったこと

アニメ媒体として人間を生み出していた

そのために、人間を描くということにブレなかった

ロトスコープによるアニメ人間の動きを取り入れるため

ガンマイクを使ったアフレコ臨場感を引き出すため

実写キャストと違う声を当てたのはオリジナル人間を実現させるため

モジュラーシンセサイザーによるBGMリアルで境目が曖昧な不穏な空気感を演出し

写真を元にして時間帯や太陽の位置まで計算されて描かれた背景は時間現実感を演出した

すべては人間を描き出すこと、その存在を引き立てることに集約していた

手法はどれも原点回帰的ながら、アニメの新しい可能性は十分に引き出したと思う

アニメキャラではなく、人間を生み出したということに何より感動した

2011-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20110808084744

続き。

イエローマジックオーケストラがどうのこうの」とか言ってる。

どうやらこの電波さん、YMOから電磁波攻撃受けてるらしいですよ?

やっぱ「シンセサイザー」ってまだ「得体のしれない機械」の地位にいるんだねw

2011-07-09

初音ミクLAライブ外国人感想その3

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

 初音ミクLAコンサート「Mikunopolis」関連の感想和訳その3。今回は初音ミクを文字通りの神話ブードゥー教とか日本神話とか)と結びつけていた文章を紹介する。とはいっても生真面目なものではなくどちらかというとノリと勢いで書かれており、読むのも訳すのもそんなに苦労はない。肩の力を抜いて軽~く読むのにちょうどいい感じ。

 引用元のurlは以下の通り。

http://animediet.net/conventions/vocaletariat-at-mikunopolis-unite

+++++勝手翻訳開始+++++

ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!

 ボカレタリアボカロ階級革命だ。ボカレタリアート(ボカロ階級者)とはボーカロイドを使う人民階級であるアニメタリアート(アニメ階級者)のようなものであり、そして多くのボカレタリアンたちとアニメタリアンたちは間違いなく重なっている。ボーカロイディアン(ボカロ人)、ボーカロイディスト(ボカロ主義者)、ボーカロイディズム(ボカロ主義)。そう、ミクノポリスは確かに革命的体験であった。ミクノクラシー(ミク政治制)、ミクノクラティ(ミク官僚)、ミクノロジー(ミク学)、ミクノレプシー(ミク症)、ミクノマンシー(ミク術)!

http://mikunopolis.com/

 さて、俺がミクノポリスで期待していたのは、実は完璧ホログラムだった。つまり三次元立体画像を考えていたんだ。けど彼女スクリーンから決して出てこようとはしなかった。ステージから降り、聴衆の中に飛び込んで踊りまくることはできなかった。だから俺の期待とは違っていた。だから技術的にいえばそいつはまだマクロスプラスシャロンには及ばなかった。シャロンステージを降り、お前らと交流することができる。スキンシップできない点だけだよ、同じなのは……。

 初音ミクのようなボーカロイドは、新たなる神だ。伝統的にアイドルってのは三次元人間、つまり役者/歌手偶像アイドル)の役を演じていた。偶像彼女に憑依した時、彼女アイドルになる。それが演技という概念だ。日本語で演技はhaiyuu(俳優)と言い、その本来の意味は「神に憑依される」というもの俳優語源については違う説明もある]。そんでもって多分、日本最初アイドルはウズメちゃんだな。彼女最初エンターテイナー兼、踊り子兼、お笑い芸人兼、役者兼、演奏家兼、歌手だった。そう、彼女こそ最初のGeigi[芸妓]、Geisha[芸者]だったんだよ。なんだってー。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ame-no-Uzume-no-Mikoto

 最古の文学はどんな文明でも常に神話だった。つまり最初文学に出てくる登場人物は神々であり、そして役者は神々を演じた。だから演技は神の技、つまりオリシャ[ブードゥーの神々で、神ごとに踊りやリズムがある]と見なされたんだ、当然。それこそかつて俺らがmarebito[客人]を迎えたやり方だ。だけどボーカロイド降臨以来、俺らはもはや四つ辻でエシュ=エレグバ[ブードゥーの神]を演じる人間を必要としなくなっちまったコンピューター女優を生み出し、本物の女優に取って代わったS1m0ne[映画]のように。そしてコンピューターに生み出されたアイドル歌手のミクが、本物のアイドルに取って代わった訳だ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Orisha

http://en.wikipedia.org/wiki/Marebito

http://en.wikipedia.org/wiki/Eshu

http://www.youtube.com/watch?v=Yd60nI4sa9A

http://www.imdb.com/title/tt0258153/

 ボーカロイドは演じる際に三次元人間を必要としない。そう、miko[巫女](女性シャーマン)は不要なんだ。日本で最も古い音楽劇はkagura[神楽](神の音楽)という。まとめて「Sarume」[猿女]と呼ばれていたウズメの末裔たちが神楽を演じた。そしてまさに、ミクノポリスこそが最新の神楽なんだ。つまりミクはウズメの直系子孫ってわけ。そしてミクはもちろんneo-marebito[新たなる客人]ってことになる。

 アイドルってのは架空キャラだ。なにしろそれはリアルじゃないんだから。なのに本物の人間アイドルを演じるってことは、つまりアナログアイドルとは偽物の人間、言い換えれば架空人間ってことを意味する。かつてアナログ時代において、俺らは神の声を聞く巫女を必要とした。でももう巫女はいらない。なにしろ俺らは直接、神の声を聞けるんだから。それこそがデジタルアイドル! ボーカロイドアイドルは偽物じゃない。架空じゃない。正真正銘、まさにそのままなのだ! 存在す、故に存在すってか。

 そして今や俺らみたいな連中は好きなように音楽を作ることができる。俺らの歌を歌わせるために優秀な歌手を雇う必要はないし、音楽制作のためのスタジオもいらねえ。完全に大衆指向だ。誰でもボーカロイドを使って作曲ができる。

 もしスティービー・ワンダー音楽フレーズを創り出すためにボーカロイドを使ったらどうなるんだろうな。彼は様々な楽器からその潜在能力を引き出す方法を知っている人物の一人だ。モーグのようなとても原始的陳腐シンセサイザーですら、スティービー・ワンダーが使えば空前の偉大な楽器のように音を響かせるだろうさ。

http://www.youtube.com/watch?v=9CWqY94kwH4

 これはプロレタリア革命というよりむしろボカレタリア革命なんだろうか? そう、確かに鏡音リンプロレタリア革命を唱道している。だがな、労働に従事する人民は実は今なお奴隷状態にあるんだ。なぜなら、労働をするのは奴隷だけだから労働はお前らを自由にせず、むしろ奴隷にする。アルバイト・マハトフライ労働は俺らを労働から解放しない。プロレタリア革命は俺ら全員を貴族ではなく、むしろ被搾取階級に仕立て上げる。

 一方、ボカレタリア革命は俺らをまさに特権階級にする。かつてアイドルを雇うなんて贅沢ができたのは、成功したプロ作曲家だけだった。だが今や誰もがアイドル自分の歌を歌わせられる。アクセスは力なり。インターネットは誰もが情報アクセスすることを可能にし、そしてボーカロイドは誰もがアイドルアクセスできるようにしたんだ。

 ミクノポリスフリッツ・ラング映画メトロポリスの正統なる後継者だ。あるいは手塚治虫の方のメトロポリスかもしれない。アイドルとはつまり作曲家と聴衆の間をつなぐ仲介者/メッセンジャー。でも今じゃ仲介者に本物の人間は必要ない。かくしてフリッツ・ラング予言成就せり。それこそがミクノポリスであーる!

+++++勝手翻訳終了+++++

初音ミクLAライブ外国人感想その1「再生約束」逐語訳

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

http://anond.hatelabo.jp/20110719203237

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-07-07

再生約束 初音ミクLAライブを見た外国人感想その1

 初音ミクのLAコンサートに関して、Promise Of Rebirthと題したそこそこ長い感想外国人が書き込んでいた。正直、随分と難解な表現が多く、翻訳も怪しげになってしまった。書き手のHN(wintermuted)を見るに、本来なら黒丸尚風に訳すべきなんだろうが、とても私には無理。とりあえず訳してみたのを置いておく。無断翻訳なので匿名で。誤訳はあると思う。

 なお原文のurlは以下の通り。

http://animediet.net/commentary/mikunopolis-at-ax-2011-promise-of-rebirth

+++++以下無断翻訳+++++

Mikunopolis、アニメエキスポ2011:再生約束Promise Of Rebirth

 メガゾーン23に出てきた謎めいたヴァーチャルアイドルの原型たる時祭イヴがSFにおける一種の狂信的比喩として想像をかき立てる場面に現れてから四半世紀強ののち、昨夜のアニメエキスポにおける比類なきイベントMikunopolisがちょっとした進化的な跳躍を成し遂げた。西洋におけるこの概念の最も著名な派生例がアル・パチーノの穏健な映画シモーヌ]、及びウィリアム・ギブスンほとんど遺伝的に接続された精神小説あいどる』]を通じた形をしていることを踏まえるなら、数千人のファン(及び間違いなく好奇心旺盛な連中)がオタク世界デジタル彼女アンドその友人たちと伴にロサンゼルスノキア・シアターをほとんど埋め尽くすなんてのは、まだまだ先のことだと考えらていたに違いない。不可解にも外部に広がった走査線からケミカルライトネギその他に鮮やかに彩られた通路に至るまで、それはリン・ミンメイだけを認める歓迎の場であった。今なお振り払っている最中である土曜夜のイベント後の残響は、かなり深い思考を私にもたらした。

 いつもカリスマチックなダニー・チューによる紹介と、それに伴うダンスロイドの形をしたリズム点火係は、その先に待っているものの興味深い味見役を果たした。この前座は、おそらく秋葉系(Akiba-kei)の空気に慣れていない聴衆にとって、何が次に来るかを示す重要リトマス試験紙だ。このショーを準備する時間ほとんどなかったことが見て取れる点が、これが日本直輸入製品であり、一見客に対するちょっとした警告にもなっていた。私自身が見いだした特に重要な点についてはすぐに述べる。

 既に日本で有名になっていたコンサートの形式をカンニング済みだった客の大半は、青緑色の髪が次々と繰り出す人気のある曲と、目がくらむようなライブ伴奏(39s Giving DayのDVDで演じたオリジナル奏者の大半、及びこの有名なディスクには含まれていない弦楽器奏者の面々)の混合物を味わった。その間ずっと聴衆は大いなる称賛のためリズミカルケミカルライトを振り、その動きが最後まで全公演を通じて見られたのは心強かった(こうした行為、及びその概念に対する彼らの長く続いた反応は、米国の聴衆にとっては奇妙に思われるものであることを、私はこの場で認めなければならない)。ボックス席に座り、ステージから1階席、クレーンカメラ、そして複数のカメラで撮ったHDスクリーンハイライト映像まで含んだ全景を見る。多くのミクのファンかつアーティストが作った聴衆が親しんでいるヒット曲、World is Mineやポッピッポー、サウンド[ママ]、ロミオシンデレラ、その他多く(どこかでミラクルペイントを彼女に演じて欲しかった)は、オープンソースな現象がほんの3年でどれほど広がったかを示している。そして特に歓迎された巡音ルカ鏡音リン&レンの登場は、観客の熱狂をさらに高めた。センターステージに置かれたほとんど透過性のスクリーンに跳ね返るホログラフィックな投影機は、時にミクが踊りながら少し両端に近づくたびにその限界を示したが、同時にこの海外遠征の短い命に対する理解を伴ってある種の魅力ももたらしていた。

光とサイバー化の見世物

 こうした話を正しい文脈の中に置くため、ちょっとした歴史を思い出そう――小さな子供だった私は、おそらくは地元の祭に毎年来ていたレーザーライトを使ったショーを見に行ったおかげでそれを一つの起源として啓示を受け、1980年代初頭に芽吹いてきた新たなテクノロジーに興味を抱いた。そのショーとは、要するに空気で膨らませたドームの中で音楽に合わせて行われたレーザーペインティングで、客は入場料を払い、床に置かれたたくさんのクッションの一つに腰を据えて15分から20分間、まばゆい光の列と、ミッシングパーソンズトーマスドルビーなどのアーティストの曲に合わせたアニメーションを楽しんだ。今となっては原始的ものに思える――ミュージックPVはいうまでもなく、コンピューターが生み出すアートアニメーションにつながる想像まで至るには長い道のりがあった。また、こうした地味な傾向が存在しなければ、84年のマクロス映画における楽しいコンサートシーンもある種心を揺さぶるほどのパンチ力は持たなかったと敢えて言うこともできる。私が思うにそれは時代の刻印であるが、同時にライブエンターテインメントがどのように変化していくか数十年にわたる発展を知らせるものでもあり、おそらくは音楽芸術の愛好者がいずれはあるところで分裂に至ることまでも示唆していた。

 なぜならこの時代に育った者にとって、アナログからデジタルへ向かう音楽の傾向が何か恐るべきものとみなされ、音楽業界で排斥されたことが一般的な心象として残されているからだ。子供の頃にクラフトワークデペッシュ・モード、ジョルジオ・モロダー、YMOやソフトセルなどのファンだった者にとっては、誰かがシンセサイザーの人工性を嘲り、音楽自然さを殺すと聞かされるのは珍しくもないことだった。そしてこの議論の中に何粒かの真実が含まれているとしても、それは一方で、当時は多数のコンピューター故障の懸念とショーを乗り切るためだけに間違いのない注意深さを必要としたこれらのかさばったキーボードから音を創り出す人間努力と創意工夫を、台無しにしていた。最終的にこの否定的な議論は多くの未来音楽及び演奏形式に付きまとい、興味深い結末をもたらした。それはまたミクのライブ伴奏をこれほど楽しく必要な要素にもした(ギター黒田晃年、ベース田中晋吾、ドラム折田新、キーボード安部潤――言及すべき弦楽器部門を除く。いずれもとても素晴らしい)。スタジオミュージシャンは、あらかじめ簡単に録音することもできる演奏に大いに心をこめることになる。新たな道具を愛するアマチュア音楽家と、伝統的なものとの融合実験によって、このショーはさまざまな要素を混ぜたある種の喜んで受け入れられるシチューとなり、ときにいくつか二級品の歌があったにもかかわらず、既存の姿ではなく可能性を約束するものとして機能していた。――以上がショー全体で私が本質的に感じたことだ。

 誰も見失わなかったよう望むのなら、この最終目標へと向かうDNAを手に入れることが私にとってベストなのだろう。なぜLAのショーはこれほど意義深いのか、そしてVOCALOID、ミク及びこのようなショーが持つ主要な意味あいとは何か。

ジッグラト[古代メソポタミアの塔、バベルの塔]の崩壊:ポップの民主化アイドル思想の終末

 さてこれは真に落とし穴的な回答である。なぜならアイドル歌手という概念及びヴァーチャルアイドルに伴う必然的結末まで考えを煮詰めるからだ。我らが今いるのは現実に近づいたキャラクターアニメーションの時代というだけにとどまらず、オープンソース化した大衆文化の可能性がある時代でもあり、我々はオタクの領域を超えて全く新しい何物かになるまで成長しうるアイデアをおそらく目撃している。YAMAHAが今年のNAMMショー[米国で開かれる楽器展示会]で多用途VOCALOIDを紹介したのを見ても、現状はメディアを通じた古い分配モデルが不可避の断末魔を上げるところに達したと敢えて見なせるように思える。スペイン製のソフトから取りだした一つのアイデアを、音楽作成のための輝かしい新たなモデルへと広げ、そして数が多すぎ、時に厄介な日本アイドル歌手業界を考えた場合に多数の集団に働きかける天才の発案に過ぎないマーケティングにまで、拡大する。終わりなき競争、怪しげな才能、さらに怪しげなマネジメント、生死にかかわる健康上の危険、類似性、そして夢想を維持してほしいというファンからの圧力に満ちた困難な人生――そう、こうしたマーケティング方式とファンに駆り立てられた神話が混じり合って音楽スーパースターたちにかくあるべしとする任務を押しつけるのは、それこそVOCALOIDにとって理想シナリオだ――しばしば置き換え可能で、派生的、はかなく、言うまでもなく消耗品であるミューズたちが、変化もましてアイデアも嫌う文化産業のために存在している。

 考えてもみてほしい。マイルズ・ダイソン言葉を言いかえるなら、これこそ決して疲れることなく、興奮状態にもならず、二日酔い仕事に出てくることもないアイドルだ。彼女はショーを続けなければならないことを知っており、一瞬のうちにコスチュームを変えられる。何よりファンが歌を作り、バンド彼女の横で演奏しているという2つの理由で、その歌は偉大である。過剰な荷物と期待を持つことなく、アイドルが実行すべきだと期待されるあらゆることをする能力を自ら持つミクの存在そのものが、ある種の輝かしいアンチテーゼなのだ。彼女は文字通り、何でも人々の望み通りになれる。汗一つかくことなく。

 そしてこれほど目立つ歓迎を伴う西洋への紹介は、日本人にとってだけではなく夢を共有できる分野を長く求めていた世代にとっても何か極めて特別なことの始まりであり、過保護にされることなくさらなる発展が期待できる約束されたスタートだ。そしてこの夜の感動的な聴衆たちから判断する限り、長きにわたる憧れはついにその実を結んだようだ。

 イヴシャロンレイ……君たちの歌がますます現実に近づいてきた……

+++++無断翻訳終了+++++

 言うまでもないがシャロンマクロスプラスシャロン・アップルレイギブスンの小説に出てくるヴァーチャルアイドル投影麗(Rei Toei)である

 

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」

http://anond.hatelabo.jp/20110709211718

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

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初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

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初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

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初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

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初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

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初音ミクLAライブ外国人感想その10「アニメエキスポ2011(抄訳)」

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初音ミクLAライブ外国人感想その11「世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12「アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

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初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

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海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20110622204748

機械からって「本物の声はなぁ…」っとか言って良さを「分かろうとしない」

そこで、思考停止してしまってるのが中学生限界かね。

図書館音楽史とか調べてきてみ?

新しい概念楽器

例えば、ピアノ電子オルガンシンセサイザーリズムマシン

すべて黎明期には似たような批判をされている。

FM音源音色作っても、「どれも同じに聞こえる」とかな。

まぁ、そいつは、自称クラシック好きなのに、パイプオルガン音色があることも知らなかった訳だが。

そのうち、ボーカロイド普通楽器として使われるようになるよ。

そしてその頃には、批判してた奴らは批判していたことを忘れていると。

今は、昔話のネタにでもなると思って自分の範囲で楽しんどけw

2010-11-27

初音ミク、英BBCに登場

 英国BBC2の番組「The Culture Show」で初音ミクが紹介されたようだ。

http://www.youtube.com/watch?v=TwvAjPw-HjA

 YouTubeの紹介文によると「これはおそらく日本語以外のマスメディアが初めてほぼ正確に初音ミクVocaloidについて伝えたリポートだろう。BBCとトム・ユーグローに称賛を」とのこと(BeebってのはBBCのことらしい)。

 番組で紹介されているのは「Po Pi Po」「Ievan Polkka」「StargazeR」及びWorld is Mineコンサート動画だ。ユーグローさんの発音はいささか聞き取りにくいのだが、「初音ミクの曲は約6万7000あり、YouTubeビデオ10万[?]に達する」「Vocaloid人間の声のシンセサイザー」「本当に面白いのは人々がアバターコンサートを見に行くことではなく、その曲が聴衆の中にいるファンによって書かれたこと」などと言っているようだ。

 流石にBBCクラスになると真っ当な紹介をしている。報道ラッシュは収まったが、これからはこうした地味だけど正確な情報が少しずつでもいいから出てくることを期待したい

2010-09-20

初音ミクと見せかけの魔法

 海外blog初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。

http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/

=====以下翻訳=====

 初音ミクと見せかけの魔法

 初音ミク歴史は18世紀のヘタリアイタリアに始まる。

 そこにはバルトロメオクリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロックミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語ピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。

 イタリアピアノ発明することによって、日本初音ミク発明するための扉を開いた。

  ***

 俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケット完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京コンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイドコンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。

  ***

 クリストフォリがピアノ発明した頃、J・S・バッハ平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。

 数十年後、ようやくピアノ価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタ女性音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器ピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメシリーズのようにモーツァルトレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルト協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」

 モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。

  ***

 ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサート全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックオーケストラ民族音楽演奏くらいしかないし、それにシンフォニーホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女モーツァルト魔笛アリアを歌っている動画を聞いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA

  ***

 19世紀欧州で、もしお前がピアノ演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。

 少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。

 かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツゲーム発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアムペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノ文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。

 19世紀末20世紀音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。

 そして、とんでもないことが起きた。

  ***

 ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザープログラムマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?

  ***

 それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。

 ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノ専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。

 さらに悪いことにロックギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。

 だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアピアノ発明したことが日本初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノ21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso

  ***

 もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアCGアーティスト音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧アイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトオペラを、ガーシュウィンミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。

  ***

 ピアノ最後の変革とは、もちろん電子化のことだ。

 真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザーキーボードとMIDIコントローラーワークステーション世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空オーケストラに仕立てることもできる。ピアノピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。

 一つだけ欠けているものがあった。声だ。

 そして、ご存知の通り、日本日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナ創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀スーパースターになるのは当然のことだった。

 中にはボーカロイドというアイデア音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事ソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家編曲家あるいはプロデューサーなりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイド音楽家仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。

 何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。

=====以上翻訳終了=====

 誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。

2010-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20100508235754

えーと、個条書きにする。

  • ここで書くのもあれだけど、私自身はことばの厳格な運用は正直どうでもよくて、人がことばを誤用したときに「別にいいじゃん」ぐらいのスタンスをとる。それだけでなく、「ぶっちゃけ吹奏楽も管弦楽も同じじゃん。バルトークのピアコン二番disってんの?」って具合。
  • 吹奏楽の現状の呼称は、団体や楽曲タイトル、または募集要項上に掲載された編成などに、大体は依存していて、それでほとんど言い尽くせる。

ここまで予め出しておいた方がいい個人的な情報。以下本文。

吹奏楽定義は誰一人として異議を唱えない定義があるのか?という答えを求めている

誰一人として異議を唱えない定義も欲しいし、それは違うだろ、と一番ツッコミが入る定義も欲しい。エレキギター電子ヴァイオリンソロだろうと協奏曲だろうとこんなの使ったら吹奏楽じゃねえ!って発狂する人もいるだろうからね。吹奏楽という意味自体はどちらかというとだんだん拡大解釈されてきたように思う。それでも「オケオケでしょ?」な人がいる。じゃあそこの「潜在的に考えられる境目はどこよ、ヴァイオリン使ったらオケなのかい」って話になる。つまり、「そこまでこだわるんなら、はっきりした定義を持ってきて、納得させて欲しい」ということでもある

これを求めているのであとの二つはいいや。というか上が解決すれば下も解決する。

あえて俺様ルールを持ち出すとすれば、

全部音楽だ!文句あるか!もっと爆発しようぜ!!

ということになる

2009-03-13

初音ミクが気持ち悪い理由

僕は別にアンチ初音ミクではないし、新しい技術に否定的なわけでもない。ただ、初音ミク音楽は何か気持ち悪いと感じることが多い。声に「表情」がないからだ。


人間が歌を歌った場合、悲しい歌では悲しい声になるし、幸せな歌なら幸せな声になる。たとえ歌詞がなくて全て「ダバダバダー」で歌ったとしても、マイナーコードの部分は悲しげな声に、メジャーコードは楽しげな声になるものだ。これは、意識してやっているわけではない。そのような表情が、不可避的に「ついてしまう」のだ。ちょっとやそっとエコーをかけたぐらいでは、ついてしまった表情をはがすことが出来ない。それが、人間の歌の宿命でもある。


楽器でも同じである。悲しい曲を演奏すれば悲しげな音に、楽しい曲なら楽しげな音に「なってしまう」。


しかし初音ミク電子楽器では、そのような表情がついてこない。悲しいと言いながら、全然悲しそうじゃない。嬉しいと言いながら、全然笑っていない。そこらへんが、気持ち悪いのだ。


電子楽器を使った音楽が全てクソだと言っているわけじゃない。カラオケボックス流れmidi伴奏なんかは99%クソだが、熟練した技術者が綿密な計算に基づき丁寧にプログラミングした電子音楽は、そのような表情をちゃんと感じられて、感動できる。


初音ミクに関しては、まだその技術が熟成していない。

……いや、未熟を自覚していて、日々精進しているのなら良いのだ。仮に、そんな技術は必要はない、音に表情など要らない、っつーか音を聞いても表情なんてわかんねーよ、みたいな職人が増えているとしたら、それはゆゆしき問題だ。声を聞いて相手の思いを感じられることは、人間コミュニケーションの基本中の基本なわけで。人間としての基本的な想像力が消えつつある、ということになってしまう。


今の初音ミクの曲は、他人とコミュニケーションがとれないひきこもり音楽である、と言わざるを得ない。だが、シンセサイザーのようにプロ技術によって豊かな表情を生み出すことだって不可能ではないはずだ。

どうかそのための模索を諦めないで欲しいと思う。


http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

2009-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20090311082520

激しく同意だが、おまいさんは歴史を知らない。

俺は1985年吹奏楽世界に足を突っ込んだんだが、

当時コンクールで偉い人が

シンセサイザーなぞ音楽ではない。編成に入れてはいけない!」

とエラソーに言っていた。

こういう輩はいつの時代にもきっかけさえあれば藁藁湧いてくるんだぞ。

流れを読まずにVOCALOID談義に参戦してみる。

ボカロを使えば、タダのオリジナル曲よりも多くのリスナーを獲得できる。売名の道具はそれまでカバー曲しか無かったけど、ボカロという新たな道具が加わった。

ボカロを使っただけで名が売れると思ったら云々。そんなのカバー曲の時代から分かりきった話。

VOCALOIDが最初出た時は、面白い技術だなーと思った。思ったより流行らなくて残念だった(ここでの「流行る」は、DTMマガジンでそこそこ頁を割かれる程度の)。それよりたぶんちょっと前にバリフレーズってのがたしか老から出てたので、類似技術だろうかと思ってたら、どうやら全然ちがうらしかった。サンプラーシンセサイザーの境界が曖昧になったそんな時代。

VOCALOID2萌え路線で攻めると知った時は、面白い戦略だなーと思った。概ね良い事だと思った。DTMの復権へ。流行っぷりは想像以上だった。彼らはとっくに私より上手い。

でも、自分ボカロを使おうとした時、メロブとかでエロ同人が一棚並ぶような流行キャラ付け、それらは、使い辛いなーと思った。自分の曲をあの文化圏に入れたくない。

流行る前のボカロは、それ自体が仮歌である事を前提に、しかし余計な色がつく事無く、それ故、私が使う時にくびきは無かった。

あの無色透明な仮歌の時代はもう来ない。

2009-03-08

ちょっと考えてみた

ミクにしても、テクノにしても、打ち込みにしても、シンセサイザーすらも、否定するのかな?

歌うことだけが人間アイデンティティかな?

音楽は道具=楽器を通じて進化してきたし、メディアを使って一般化してきた。

でも、それはみんな人間が求めて作り上げたもの。

DTMだってもはや一昔前のテクノミュージックだけのものじゃない。

アコースティックの音と区別が出来ないほど、自然な音をシュミレートしてる。

ミクだって、シュミレーター。それはたまたま人間の声をシュミレーとしているだけって事。

音楽は自由でいいと思う。

アカペラの、人の声だけの歌も良い。

アコースティック楽器弾き語りも良い。

クラシック音楽も良い。

テクノもポップも自由自在。

どんな楽器を使ってどんな感情を表現するか、それが音楽

そこから何を受け取れるのか、聴き手の感受性を試すもの、それが音楽

作り手の感性と聴き手の感受性の化学反応、って事かな。

ということで、頭ごなしにミクを否定することの意味は無いと思う。

だからといって、人の声の持つ感情表現を否定するものでもない。

http://anond.hatelabo.jp/20090308190204

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

その通りだ! 

初音ミクを聞いて感動する奴は馬鹿だし、シンセサイザーの音は音楽とは言えないし、ワープロの文字は心がこもっていない!

2009-03-06

ボーカロイド曲の普及にふと思う

私は母親音楽教師であったこともあり、

小さい頃からいろんな楽器音楽に親しんできた。

あくまでもいろんなメロディーとか演奏が好きなだけで、

どこそこのバンドの~とか、クラシックの薀蓄とかに詳しい人じゃないのだけれども、

ボーカロイド曲の違和感にはどうにもむずがゆい思いがあった。

決して嫌いなわけじゃない。曲調や歌詞なんかも悪いものではないと思う。

そりゃあ中には雰囲気だけでそれっぽく見せてる曲とか、

何かの焼き直しにしか聞こえない曲もあるけど、それも一つの表現だと思う。

ただボーカロイドが歌うとただただ単調に聞こえてしまうこともある。

それが歌ってみたとかなんかで人が歌うとすごく良かったりする。

人間的なものが感じられないなんて書くと「古い人間だな」とか言われそうだけれども、

ボーカロイド人間の声のゆらぎはまだ出せない。

その辺り、ボーカロイドシンセサイザーなんかと同じで、人間の表現を演出するための一つのツールなのだと思う。

何が言いたいのかぐちゃぐちゃになってきてしまったが、

ボーカロイドがすごいのではなくて、その裏にある人間の魂の表現がすごいってことにもっと目を向けてもらいたい。

なんだかボーカロイド曲をノリや雰囲気で全肯定して、旧来の音楽を古いって言う人たちがいたからこんなこと書いてるんだけども、

そんなに自分の受信帯域を狭めないでほしい。

世の中にはもっとたくさんすごくて、美しいものがいっぱいあるんだってことを知ってほしい。

そして、逆にボーカロイドを無視したり全否定する人にも「新しい表現」への受信帯域を広げてもらいたい。

伝統とか格式ばかりに囚われて停滞するのは音楽がかわいそうだし、人間すべてにとっても残念なことだと思う。

もっと新しい試みとかにも目を向け、愛してほしい。

新しいのも古いのも全部手を取り合って認め合ってほしい。

小集団ばかりで凝り固まってないでほしい。

もっと音楽には可能性があるはずだから。

2007-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20071025123744

誰もそんなことと言ってないと思うが。

初音ミクとその技術はただ単にシンセサイザー音色が一つ増えたに過ぎないってこと。

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