はてなキーワード: MS OFFICEとは
Home and Studentが約四千円。
国内で売ってるPersonalに相当するやつで普通に買ったら3.2万円。
怪しいけど、何年も前から商売をやってるみたいだし、支払いはペイパルでクレカ番号は相手に渡らないし、思い切って買ってみた。
で、英文メールで24時間以内にプロダクトコードを送るって返信がきて、待ったけど翌日になっても送ってこない。
不安になったけどGoogle翻訳を使って英語で問い合わせたら「本来はすぐ送るけど問題が発生してる。すぐ対応する」みたいな返事で、その後すぐにプロダクトコードが送ってきた。
それでインストールしてみたら、Home and StudentでなくてProfessionalだった。これは6.5万円の製品。
人工知能は疲労しないので、それを癒やすための賃金が発生しない。人工知能が使う素材を収集する人間の人件費だけが発生する。
だから人工知能に代替されたタスクの利潤は徐々に下がっていって、人工知能を保有する少数の資本家に富は集中する。
例えばExcelがなければExcelシートを手書きする職人には価値がある。表を求める人は職人の苦痛を和らげるべく賃金を支払う。
しかしPCがあってMS Officeがざっくり正確に表を出してくれると、電力会社を通じて鉱山労働者に支払われる電気代とか、プログラマに支払われる
サポート契約費用とか以上の価値はそこに見出されない。だから人工知能が普及すれば人工知能にお金を稼いでもらうことはできない。
普及していない分野に持ち込んで安く結果だけを買いたたいて稼ぐことはできる。
ちなみにモラベックのパラドックスというものが提唱されていて、高収入の仕事ほど自動化してみると簡単なことが明らかになり消えていくと考えられている。
時々新メニューが登場してイラストや口頭で説明されるマックジョブ系ジョブが、コストを度外視しても最も難しいと言われている。
話はかなりぼかすが、数年前に転職した。
直接の原因としては、社内での評価が長年芳しくなかったことと、労働環境の悪化と、最後にパワハラに遭い、仕事を干されたためと、転職先で提示された年収が前職を大幅に上回っていたからである。
前職では新卒でとあるIT系企業に入社し、あるスマホアプリの開発を行っていた。
5年ぐらい経過し、当初10人いたチームが退職やら他プロジェクトへの異動などで最終的に自分1人になり、サーバの管理からバグ修正、深夜の障害対応やユーザから来るわけの分からないメールや頭のおかしい人間からの電話の対応、売上を上げるための企画や他社との渉外も全部プログラマーである自分が1人でやっていた。会社の規模は拡大しており、それに伴い人をどんどん採用していたが、採用した人は全員新しいプロジェクトに割り当てられていったため、最後まで自分の環境が改善することは無く、残業時間だけが伸びていった。
最終的に、自分の人件費+サーバの運用費用がそのプロジェクトの売上を下回りそうになったためにプロジェクトは終了となり、サービスも終了した。
その後、自分は別プロジェクトへの異動を命じられたが、異動数日でそこでの上司の不興を買い、自分の運命は決定した。
原因としては、自分が原因でとある問題を引き起こしてしまい、自分で解決し、収束後に時系列でまとめた事態の経緯と、原因、そしてシステム的に再発を防ぐ手段を構築した旨をまとめて上司に報告したがそれを見て「二度とこのようなミスを起こさないように自分を律して頑張るという心構えが入っていない」という、IT企業としてそれはどうなの?という納得いかない理由で不興を買った。
最終的に上司から仕事を干され、何もすることが無い状態で何故か倉庫整理をしたり、「稼働が無駄だし、君に払う人件費を誰が稼いでるかとか考えて欲しい」と1ヶ月近く自己批判する文章を延々と書いては消し書いては消しと繰り返しており、エロゲのレイプ目のような状態で仕事をして、友人に相談しても「何もしないでお金がもらえるなんて羨ましい」と言われるだけで、最終的に心身ともに限界が来た(通勤中や定食屋で他人に八つ当たりして時に暴力沙汰になったり、ここには書けないような事をやったりした)のと、ちょうど転職話が来たので辞めた。
転職してから数年経ったが、環境が真逆で未だに困惑している。簡単に書くとこういうことだ。
大学では工学部ではない理系だったので右も左も分からないなりにがんばってみようと思っていた。
悪く言えば自分の能力に絶望して夢を諦めることになり都落ちした気分での就職だったのでやぶれかぶれだったというほうが近いかもしれない。
相性というか、背景の差とか常識の差みたいなものがあって、自分から見ると無駄の多い職場だなあと感じて研修期間が終わり本配属された。
本来の業務はいわゆる故障解析で、歩留まりを上げていくのが使命だった。
せっかくだから色んな所に首を突っ込み改善できそうなところは提案をしたり、自動化したり、それらのドキュメンテーションを書いてみたりした。
プログラミングの経験は皆無だったが、理論系卒が工学部に負けられんという謎のプライドでVBAから、Rやら自社製品の解析用環境の割と珍しいタイプのスクリプト言語など(特定されそうだからぼかすけど。)
とりあえず手が出せそうなものは何でも調べてみてありものを改造してみたり勝手に作ってみたりして提案していた。
物怖じしない新人がぎゃーぎゃー騒いでいるぐらいのものだったと思うが、何にせよいくつかの改善が上手く実務にハマって成果として認められたりしだしたのが1年目。
この辺で気付いたことだが、製造業のITリテラシーは驚くほど低い。製造業と一般化するのはフェアじゃないかもしれないから厳密に言えば弊社の、という意味だが。
なんせまともにプログラムを書いたことが無い新人が半年で身に着けた程度のスキルで書いたプログラムで、1日かかってた仕事が1時間で終わったりするのだ。
ようするにMS officeの達人みたいなのがいっぱいいて、Ctrl+CとCtrl+Vが機能のすべてだと思っているということだ。
(そして彼らの口癖は「忙しい」だ、会議中も左手はCtrl+CとCtrl+Vを叩き続けている。)
2年目に気付いたのは、弊社エンジニアのITリテラシーが低くとどまっている要員のひとつに、実はITインフラチームがことのほかマトモだということがある、ということだ。
製造中のセンサーデータやらテストデータやらETL的にはおそらくえげつない部分で、かなり優秀な人間が居て上手くぶん回し切っている様子だった。
無骨だが使いやすいイントラ上のwebページが用意されて、グロテスクな部分を気にせずクリックだけで上述のデータを整ったものとして引っ張ることができた。
だから逆に言えば下々の人間はコピペでなんとか恰好を整えられるのだった。
彼らはモダンな発想があって、あるいはお偉いさんが「ビッグデータ」とか言い出したのかもしれないが、ともかく、HadoopやらAWSやらそういったものを導入しようと試みているらしかった。
私はそれに感動した。なんせWebスクレイピングみたいな方法で他人が社内プラットフォームや社内WIKIに上げた報告をまとめたり、製造時データと紐づけたり、それからグラフ描いたりみたいな業務が増えていたからだ。
それっぽく表現すればデータ分析屋さんということになるのだろうが、どぶをさらっているという表現のほうが近かったかもしれない。
何にせよそういったものを一気通貫、自動化できるポテンシャルがあると感じられた。
SQLもjavaも書いたことなんて無かったが、1年前やっていたことを考えれば同じことだ。何にせよ歓迎だった。しかも管理はIT持ちだ。餅は餅屋に頼むべきだ。それもできれば美味い餅屋に。
ところがその「ビッグデータ」プロジェクトは人手不足か、資金不足か、あるいは生みの苦しみか、ことのほか時間がかかっていた。(あとで聞いた話、外部コンサルで外れを引いたらしい)
自分もドメインの知識からの助言とか想定される使い方についての意見を伝えていったし(有難迷惑だった可能性は否定できないが)、もう少し待てばモノになると信じていたし、実際そうなった。
具体的な話ができないのだが、客先で起こった不良の原因をつきとめ、その改善効果の確認の為に数十億行のデータが活用された。彼らの力が無ければ常識的な時間では終わらなかった仕事だった。
残念だったのは彼らの優秀さの割に一般のエンジニアのスキルがあまりに低かったということだ。つまりそのプラットフォームを使いこなせる人間が著しく少なかったのだ。
そして上述の足踏みをしていた期間に心象を悪くしていたという問題もあった。とっかかりが難しい割に不安定だというレッテルを張られてしまっていた。
もうすこし悪いことに、同時期に企業買収が起こった。我々は黒字を出していたが同業他社(厳密にはその親会社に)に買われることになった。
そういう時に起ることは不要な冗長性の削減だ。子会社として存続する場合は知らないが、競合他社に吸収合併ということは、多くの部署にとってそのカウンターとなる部署が相手側にも存在するということだ。
つまりどちらにもある部署は統合するか一方を無くすかという戦争が始まるのだ。ITも例外ではない。(ITインフラ部署の無い会社はさすがに無いはずだ)
一方で製造業の本懐である「製品を作り、売る」という部分は比較的守られる。それこそが根源的な資源であり、利益を生む仕組みであり、既存の顧客への説明が必要だからだ。
そして私の仕事は歩留まり改善であり、故障解析であり、データ分析だ。何が起こったか。
(ここで簡単のために旧弊社を(旧)A社、買収した側の競合他社を(旧)B社と呼ぶことにする。)
今の旧A社から引き続いている業務をB社のプラットフォームで行えるように転換せよという下命である。
旧B社の製造データに対するアプローチはA社とまったく異なっていた。Web UIは美しく整っており、それっぽいグラフが簡単に表示され、A社側のお偉いさんからも好評を得ていた。
だがそのバックエンドは控えめに言って酷いモノだった。いくつもの情報を正常に保存できておらず、「それっぽい何か」を素早く返答することを第一義としているように見えた。
そして上述のように器用貧乏街道を歩んできた私に投げられたのは次の言葉だ
「増田くん、B社のプラットフォーム使うことは決定事項だから、君が自動化してたやつ全部そっちで動くようにしといて。よくわかんないけどプログラムとかてきとうにできるでしょ?」
もちろんhtmlもjavascriptもphpもRoRも一行も書いたことが無いのが当時の私である。
果たして旧A社のプラットフォームはB社のプラットフォームのデータソースのような扱いを受ける羽目になり、私はjavascript本格入門を片手にB社の事業所に出向くことになった。
そこで散々「旧A社のプラットフォームは遅い・使いづらい・不安定」と貶されながらチマチマとグラフを表示するページを書いている。
クオリティの低いバックエンドを作る集団が書いているサーバーサイドphpの酷さは素人目にも分かるレベルで筆舌に尽くしがたいものがあるが、
反面教師だと思って耐える日々だ。
最近分かったことは旧B社のバックエンドスクリプトがデータを引っ張るついでに意図的に旧A社のプラットフォームを攻撃しているということだ。DDoSとまでは言わないが、悪意100%である。
いわく旧A社のプラットフォームを畳むためには旧B社のプラットフォームが優秀であることを示す必要があるとのことである。(つまり旧A社プラットフォームが不安定かつ重くなることを意図しているらしい)
旧A社から継続されてる業務はまだそこ使ってるんですけど・・・
それはもちろん旧A社の上司に報告したが「見て見ぬふりをしろ」とのことだった。旧A社のITで何度もお世話になったひとに伝えると「知ってるけどね・・・」と悲しい目をして苦笑いしていた。
旧A社ITはその優秀さでそれらの攻撃をいなしつつあるようにも見える(私も素人に毛が生えたレベルだが、ソフトウェアエンジニアリングのレベルが二回りぐらい違うように見える)
道筋が欲しいとのことだったので。
あなたにMS OfficeなどのいわゆるOAスキルがあるのなら、地方に移住してみるのはどうか。
地方の、特に中規模な製造業などではOAスキルを持った人材が足りていない印象があるので、あなたの年齢(45歳前後を想定している)でも滑りこめるかもしれない。VBAどころか、エクセルの関数使えるだけで持て囃される。欲を言えばバッチファイルが組めたりするとなお良いが、これは滑り込んだその後の勉強でも間に合う。
製造の現場では検査項目の入力やら在庫の管理やら生産管理やらにPCが使われているのに、肝心の作業者たちがPCのことをまるで分かっていないので、驚くほど非効率なやり方が罷り通っていたりする。現場のことも分かる、PCのことも分かる。そんな人材が工場に数人いれば、冗談でなく日本の工場の生産性は3割上がるだろう。
PCを使わなくなった時のことは知らん。でも技術的なブレークスルーが無い限り、当面PCは現場に居座る。
あなたのようにPCリテラシーのある人間(このような長文はPCで書くだろうというあくまで憶測だが)が仕事にあぶれて嘆く姿は、需要と供給のマッチングがうまくいっていないことの証左だ。
出るところに出れば仕事は必ずある。
職員玄関で『若葉マーク』を渡されたのにも驚いたが、なによりも授業風景に腰を抜かした。
教科書を読めば分かるようなことを教員が白墨で板書し、生徒がそれを紙のノートにシャーペンで写している。
どうしてパワーポイントで授業しないの?
スーファミの研究しているウチの教授たちはほぼパワポ。定年間近のおじいちゃんはOHP
白墨、手汚れるだろ。
電子黒板とか意味不明なガジェットはいいよ。普通にパワポ使えよ。
ここまで書いた内容を先輩に話したら「どこの学校も同じだよ」と返された。知らなかった。
もう文科省に頼るのはやめよう。
問題は値段ですね。ちと高い。
お前は馬鹿なのか?
だから、お前の管理できる元で全部Google Docにしようがどうしようが構わんよ。
だがしかし、他の会社とやりとりしたりするのに、「ウチはGoogle DocなんでMS Officeとか辞めてもらえます?」とか言えますか?っての。
お前の作った資料が先方の方で開くにMS Office使って上手く開けなかったあどうすんですか?っての。
で、一般事務なんてのは、別にお前みたいに意識が高い()人ではないので、Google Docなんてものを入れたらそれだけで暫く大変になるんだよ。
敢えて必要ないならそのままMS Office使うだろ。わざわざ混乱起こす必要がない。
実際、どっかの役所がOpen Office入れるとか言って、結局元に戻したりしてただろ。
お前はそんなことも想像できないで働いてるのか?
オープンソースであることが問題なんじゃない。問題になるのは品質と普及度だ。
山形県のOpenOffice問題は、MS Officeとの互換性が完全じゃなかったことであり、OpenOfficeをみんなが使っていたとしたら問題なかった。
他のレスでも指摘されているようなLinuxやOpenOfficeの問題の根本は、品質が悪いことではなく、MSに市場を独占されているので普及が足りていないことだ。
普及してればハードメーカーも自社でドライバを出す等各種対応が進み、使えないなんて事はなくなり使いやすくなる。
「オープンソースは出来が悪い」と思っている人は、MSの強引な力がなかったらどうだったか、想像力を駆使して考えてみるべき。
元記事の増田です。
例えば50年後に完成された意識しないシステムが完成するとしましょう。
では50年経つ前の子供たちはどうするんですか?その子供たちはプログラマにもならないし従来通りのMS Officeも使わないんですか?
この部分だけで解決しますねぇ。
追記
従来通りのMS Officeって一般人向けコンピューティングじゃないんですか?
あと気になる点は
は?
僕はこういう記事を書いたわけです。
http://anond.hatelabo.jp/20130920051551
するとこんなトラックバックが付きました。
http://anond.hatelabo.jp/20130921011214
このトラックバックに正直呆れてます。馬鹿という言葉は時として褒め言葉にもなりえるのでここは「愚か」を選択させてもらいますね。
本当にこのトラックバックを付けた増田は愚かです。無知とかそういうレベルの話ではなく、単純に人生経験が浅いんじゃないかな?って感じました。
僕はまだまだ人生の先輩から学ぶ立場なので、これで僕よりも年上であるのならば年上に対してほんの少しだけ失望してしまう。僕はそんなのは嫌だ。出来れば年下で居てくれ。
このトラックバックを付けた増田、そして同時に似たような思考回路しか持てていない増田へ対し、これらを僕よりも年下だと考えて「教育」「指導」をするために記事を書きます。
前提として先に言っておきます。今から語ることは「なにそんな当たり前の常識的なことをドヤ顔で記事にしてんの?」って嘲笑されるような内容です。
しかしトラックバックを付けた増田はその点がどうやら欠けているようなので僕は「教育」「指導」します。
もう一つ付け加えておきましょう。「そんなこと当たり前だから書かなかっただけ」みたいな言い訳は必要ありません。
この点がしっかりと「真に理解」していたのならばこんなトラックバックは付けません。
それでは引用してみましょう。
データの中身とか気にしなくても使えるコンピュータ(iPadなど)が技術者や科学者でない人間のコンピューティングの中心になっていくはず(我々コンピュータ産業に携わる人間が総力をあげてそういう方向にもっていかないといけない)なので、データの中身とか整理とか割とどうでもいい。そんなのはプログラムのしごと。
ここの部分です。これは非常に愚かな考えだとしか言い様がない。まさに愚考です。
僕はふと自分で書いた増田にどんなトラックバックが付いたかな?と確認したら唖然としました。こんなこともわからないのかと。
コンピューティングが一般ユーザが意識しない方向へ向かっていくのは確かです。この考えは間違っていないと僕は感じます。
この晒しあげ記事を読んでいる多くのIT業界関係者のほとんども同様の意見を持っていいると思います。
しかし、何が愚かか?と言えば僕の書いた記事へこのトラックバックを付けること自体が愚かなのです。
何故か?
このトラックバックには「子供の成長」「子供の将来性」という考慮がまるっきり抜け落ちているからです。
もっとはっきり言えば「子供が将来プログラマになり意識しないシステムを構築する可能性を完全に考慮していない」のです。
例えば50年後に完成された意識しないシステムが完成するとしましょう。
では50年経つ前の子供たちはどうするんですか?その子供たちはプログラマにもならないし従来通りのMS Officeも使わないんですか?
何で子供の成長を考慮しないんですか?時間の流れを考慮しないんですか?
とりあえず、この議論に首を突っ込みたい人は三宅なほみ氏の著書インターネットの子どもたちくらい読んでおくべきだと思います。
は?言葉は悪いですけど「は?」ですよ?
多分その本は良著なんでしょう。三宅なほみ先生は僕でも知っている素晴らしい人物だ。その三宅なほみ先生が書いた本だ最低限のレベルは確保してるでしょう。
しかしその良著を紹介する増田自身が「子供の成長」という最低限レベルの当たり前の常識的なことを理解していない。ダメでしょそれじゃあ。
現在二十代後半の自分は小学校でのコンピュータ教育が始まったタイミングの世代です。
始めは「学校へコンピュータ導入しました」みたいな申し訳程度な感じだったと記憶しています。
小学校でのコンピュータ教育の内容としてはCD-ROMを配布され、ODへ挿れるとソフトウェアが書き込まれたISOが自動起動して、そのソフトウェア上でコンピュータを学ぶという形式だったはずです。
学習ソフトウェアは勝手にフルスクリーンになるわけですが、今思えば無知な小学生がOSの設定を変えてしまわない配慮だったのだと思います。
実はこのあたりの記憶は曖昧なので学習ソフトウェアの内容は以下のような感じだったはずです。
これ以外もあったような気がしなくも無いですが、前提として私は小学生男子なので興味のないものは記憶からすっぽり抜け落ちている可能性が高いです。
この中で一番出来が良いのはパラパラマンガツールで、おそらくはプレゼンテーションなどを学ばせるためのものだったのでしょう。
時代を考えるとFlashが出始めの頃でありユーザーインタフェースや機能はFlash作成ツールから影響を受けていたようです。
ポケモンの戦闘シーンを完全再現したことでクラス内でヒーロになったのでこのツールには思い入れが深いですw
感覚として元も近いFlash作成ツールはParaFla!で、ParaFla!とペイントを足して2で割ってタイムラインシーケンスが無い感じでした。
地図を学ぶゲームも比較的良い出来で、ユーザーインタフェースはシムシティな感じでしたね。思いっきり影響を受けてるようでした。
確かストーリー仕立てになっていてクリックしてるだけで進み、地図記号とか学べるんじゃなかったかなあ?と記憶が曖昧です。
この学習ソフトウェア、どうコンピュータ教育に活かされていたか?と言えば、何にも活かされていませんでした。
教師は軽くマウスやキーボードの使い方を指導するだけで、あとは良い言葉を選ぶなら生徒の自主性に任せて、変な設定等を行わないように監視しているだけでした。
どういう指導要領になっていたかは知りませんが、コンピュータによるオートメーションを過剰評価して授業もオートメーション化出来るかも?と国は考えたのでしょうか?
まあコンピュータ教育が導入された最初期ですから実験的な意味合いも多分に含まれていたと思います。
パソコンの起動方法から始まり、ローマ字入力(小学校はひらがな入力)、そしてMS Officeへと入りいます。
このあたりは民間のパソコン教室と変わりがないかも知れません。
小学校で行われていた学習のオートメーション化への期待は無惨にも崩れたらしく、教師は手取り足取り教えてくれます。
それは新規フォルダや新規ファイルの作成方法、メールやWebブラウザの使用方法、その他今現在皆さんが日常的に使うであろうソフトウェアの指導が全く無いです。
どうやら学習のオートメーション化は不可能だと気づいたため、今度は思いっきり実用に振ってMS Officeマスターを育てるという選択をしたようです。
Wordでは文字の大きさや色、背景色、ワードアートの使用法、図の挿入、印刷などが中心に指導されます。
ワードプロセッサソフトが大好きな方は気付いたと思います。そうですWordなのにマークアップの指導が一切ありません。
完全に見た目の変更の仕方と印刷だけの指導であり、Wordなのにアウトラインとか完全に無視です。
見た目中心の指導を行うことはWordと変わらないですが、Excel関数の指導に入ると関数の意味をほとんど教えず「B1へ=SUM(A1:A5)と入力してください。はいA1からA5が足された答えがB1に表示されました。次は...」といった感じです。
生徒は教師の指示通り入力するだけで応用とかそういうの全くわかりません。しっかり理解してるのは見た目の変更の仕方くらいです。
時代ですね。こうして互換性無視なオフィスファイルは作られていったのでした。国がそう教えてましたから。
あっそうそうPowerpointとかAccessは授業でやりませんでした。
端的に言うのならば同上。
しかしPowerpointが追加されました。流石にPowerpointも教えないといけないと気付いたのでしょうか?
高校によっては工業高校や商業高校、高専ではもっとマシな指導をしていた可能性はあります。
ただやっぱり社会人から見るとツッコミ入れたくなるような指導が一部で取られていたと思います。国も手探りですから。
この年齢くらいになると学校の授業で覚えたと言うよりも独学でパソコンを習得してる生徒が殆どになっていました。
全くと言って良いほど学校の授業からは得たものがなく、エロ画像探しのほうがコンピュータリテラシーを僕に与えてくれました。
そして大学時代は教授のゴリ押しからOSがWindowsからEmacsに変わりました。
はてブで小学生向けにビジュアルプログラミングScratchが流行り始めてるんだなと知ったくらいでコンピュータ教育の授業の内情がどうなっているか全く知らないです。
なので僕が少年期に受けたコンピュータ教育を前提として「こうだったら良かったのに」というのを書きます。
コンピュータを扱うにおいてデータ管理というのは非常に大事です。
何故判りやすいファイル名を付けるのか?何故フォルダを作るのか?そういうことをしっかりと指導しなくてはなりません。
とりあえず僕も誰かに教える気になって書いてみたいと思います。
今だけ使えれば良いデータはどうせ直ぐに破棄するデータなので用途に合致すればどんな風に作っても構いません。チャットやっててウケを狙うためにネットからダウンロードする時にファイル名を「a.jpg」にするとかそういうことです。どうせ消します。
注意しなければいけないのは残り2つです。残り2つは前提として後々見たり使ったりするデータです。
このデータのファイル名を「a.txt」とかにしたら何のデータか全くわかりません。
つまり後々使ったりするってことは探すってことです。探すのに判りにくいファイル名にしてたら意味もなく違うファイルを開いて探しまわることになります。最近流行の「名前重要」です。
このジャンルのデータはある特定のフォルダ(ディレクトリ)に保存すると決めておけば探すとき非常に楽です。
そのため各OSは、例えばWindowsならば「マイドキュメント」や「マイピクチャ」「マイミュージック」などを用意してくれてます(ソフトウェアも空気を読んでデフォルトの保存先をそういうのにする)。
せっかく用意してくれているので使うようにし、もし自分でフォルダを作るときは名前重要ですから判りやすいフォルダにしておきましょう。
例えばTwitterであるジャンルの話を同好の士に読んでもらいたい場合どうしますか?ハッシュタグを付けますよね?
そうやって名前を判りやすくしておけば自分以外の他人が使う時も非常に楽なのです。
「でもよく使うデータを深い階層に置いてたら面倒じゃん」っていう意見はもっともです。
実はそのために「デスクトップ」という階層や「ショートカット」があるんですね。
デスクトップがアイコンだらけの人ってたまに居ますけど、きっとそういう人はコンピュータ教育は受けたけど保存されるデータの種類を知らない人です。あなたは悪くないですコンピュータ教育が悪い。
世の中には目の見えない人が居ます。そんな人たちがコンピュータを使えるように「読み上げソフト」ってのがあります。
まあいろんな意味で"文字通り"読み上げるためのソフトウェアなわけですが、このソフトは何も編綴もないテキストデータを読み上げるとめちゃくちゃ棒読みです。
それが更に平仮名ばかりで句読点もないテキストだと読み上げソフトは棒読みで一気に読みあげて目の見えない人はものすごく聞き取りにくいです。こんなテキストは目の見える僕たちでさえ読みにくいです。
そこで僕達は漢字を使ったり句読点を使ったりして可能な限り読みやすくします。実はこれがデータの中身にとって重要なのです。
句読点は文章を判りやすくする目印ですが、これを付けることをコンピュータの世界では「マークアップ」と言います。
読み上げソフトはマークアップされた文章だと、何処がタイトルで何処が本文というのが判別できるようになり、更に強調マークアップされている部分では音量を上げたりするので目の見えない人は非常に聞き取りやすくなります。
もしここまで読んである点に気が付いた人はかなり賢いです。その点とは「目が見えないのは機械も同じ」という点です。
マークアップされた文章は機械にとっても非常に判別がしやすい文章であり、実例をあげるのであれば検索するときに使う「Google」が検索結果へWebページのタイトルを載せてくれるのも、マークアップされたタイトルを拾い上げているからなんです。
Wordでも「見出し」と指定された行は機械的に判別され、アウトライン機能で文書の管理が非常にしやすくなったりします。
PDFでも同じでアウトライン表示されたり、読み上げソフトがPDFに対応していたらマークアップに合わせて読みあげてくれます。
少しだけ専門的になりますが、データベースとして使われているCSVファイルやJSONファイルも特定の記号を使われているのでコンピュータは楽に判断できるのです。
更にしっかりとマークアップしておけばPDFを電子書籍でよく使われているEPUBに変換するなど、他形式への変換が失敗しにくくなる利点もあります。
今まで行なってきたコンピュータ教育は正直「コンピュータ教育をしてますよ」という体裁だけを保っている教育の仕方だと思います。
コンピュータが使われるようになったから教育に導入し、MS Officeが使われるようになったからMS Officeを教え、IT市場が大きくなったからプログラミングを教える。
高速に変わっていくコンピュータの状況に合わせてしっかり教育は対応して居るように見えますが、現状のコンピュータ教育が見ているのはコンピュータの上っ面だけです。だから教育も上っ面になる。
コンピュータ教育ではタブレット端末の導入を現在検討しているらしいですが、どうみてもこれは上っ面な判断です。
コンピュータで高速に変わっていってるのは上っ面だけであり基礎の部分は。ハッカーが使ってそうないわゆる黒い画面、つまり端末(コマンドプロンプト/ターミナル)の頃とあまり変わってません。
その基礎を教えずしてOfficeだのビジュアルプログラミングだのを教えても生徒が得るものは何もないと言って良いと思います。
正直この記事は総合職さんやプログラマさん、エンジニアさんから見たら「なにそんな当たり前の常識的なことをドヤ顔で記事にしてんの?」って嘲笑されるような内容です。
その嘲笑されるような内容をコンピュータ教育はできていないわけです。
これWindowsじゃなくたって教えられること、最新ハードじゃない中古のPC-98でだって教えられること、中学生以上は持ってそうなスマホでだって教えられることです。
そんでもって、 Microsoft は持っている。僕同様、みんなも知ってると思うけど、なんと驚くべきことに、 Microsoft はそれをよく理解していない。実に。でも彼らは、純粋に、偶然、プラットフォームを提供するビジネスから始まって成長してきたから、プラットフォームを分かっているんだ。彼らはその領域で30数年やってきた。 msdn.com に行って、少しの間ブラウジングしてみればわかる。もし見たことが無ければ、驚く準備をしておいた方が良い。なぜならそれがとてつもなく巨大だからだ。何千の、何千の、何千もの API コールがある。彼らは巨大なプラットフォームを持っている。実際の処大きすぎて、全く統率が取れていないけれど、少なくとも彼らはやっている。
Amazon は自分のものにしている。 Amazon の AWS ( aws.amazon.com )は途方も無くすばらしい。行ってみてご覧よ。クリックして回ってみるんだ。全く恥ずかしくなる。僕らはこれらのひとかけらも持ち合わせていない。
Apple も、明確に、自分のものにしている。彼らは基本的にクローズな選択を、特にモバイルプラットフォーム周りでしているけれど、アクセシビリティを理解しているし、サードパーティ開発者の力もよく分かっていて、自分たちのドッグフードを食べている。それでさ、わかるだろ?。彼らは実に見事なドッグフードを作る。彼らの APIコールは Microsoft のそれに比べて実にクリーンで、ずっと昔からそれを維持している。
Facebookも持ってる。だからこそ心配になるんだ。ぐうたらな僕をここまでして書かせた理由はそれだ。僕は元来ブログするのも、プラスする(って言うのかどうか知らないけど)のも嫌いだ。そもそもGoogle+はぶっちゃけ話をするのにはひどい場所だけど、とにかくやらなきゃならない。Googleに成功して欲しいと思ったらね。で、僕は成功して欲しい!。まあ要は Facebook が僕を呼んでいるし、きっとそっちでやるほうがずっと楽なんだろうけど、Google は僕にとって家だし、だからこういう家族同士のお節介焼きのようなことをやっていこうよと言ってるわけだ。(訳注:この辺の訳怪しい。トラバで指摘いただいたのがすてきだったのでまるっと差し替え!。"アドバイス" thx !)
Microsoft と Amazon 、それに Facebook (たぶん。実際僕はよく見ていないんだ。だってすごく落ち込むからね…)の提供するプラットフォームに驚いた後に、 developers.google.com に行ってちょっとブラウズしてみて欲しい。ね?大きな差だろう?。まるで君の5年生の甥っ子が、巨大で強力なプラットフォーム企業がもしリソース的に独りの小学5年生しか人を割けないって時に作るようなものをデモしてみなさい、なんていう宿題でもでっち上げたみたいな感じだよ。
どうか悪く思わないで欲しい。 Developer relations チームが、これを外部に提供できる形にするためにとんでもない努力をしてきたってことを僕は分かっている。僕が知る限り、彼らはとにかくケツを蹴り上げつつけている。なぜなら彼らはプラットフォームを理解しているからさ。プラットフォームに対して実に冷淡で、しかも時には敵対心さえあらわにされるような環境の中で、彼らは英雄のように努力している。
僕は率直に、 developer.google.com が外部の人にとってどう見えるかを説明しているだけさ。全く幼稚に見えるだろう。 Maps API は一体どこにあるっていうんだ?。いくつかはなんだかよくわからないラボプロジェクトとやらに入っている。で、いざたどり着いてみれば、そこにある API は全くけちな代物だ。まさに本当の意味でドッグフードだ。オーガニックなんかとは無縁だね。僕らの内部 API に比べれば、まるで不格好な別物だよ。
Google+ についても、悪く思わないで欲しい。到底彼らだけが違反者ってわけじゃない。文化的なものが絡んでいるんだ。僕らが内部でやってることっていうのはさ、基本的には、惨めでマイノリティなプラットフォーム部隊が、無敵で予算も自信もたっぷりのプロダクト部隊に多かれ少なかれ負け続けている、そんな戦争なんだよ。
ゼロから構築したプログラマブルなプラットフォームになるべきなんだってうまく気づいたチームってのはみんな弱者さ。 Maps や Docs なんかが思い浮かぶ。 Gmail もなんとなくそっちの方に進みはじめたように見える。でも彼らがそのために予算を獲得するのは実に難しい。なぜなら、それは僕らのカルチャーじゃないんだ。 Maestro の予算なんか、 壮大な Microsoft Office プログラミングプラットフォームの足下にも及ばないちっぽけなものだ。ふわふわ毛皮のうさぎちゃんと、 T-Rex の対決みたいなものさ。 Docs チームだって、このスクリプティング機能が無ければ Office に太刀打ちできないってのはよく分かっているんだ。でも残念なことに、予算が付かない。つまりさ、そうじゃないとは思うんだけど、現状 Apps スクリプトが Spreadsheet だけで動作して、 API の一部としてキーボードショートカットすらない。まさにチームが愛されていないって思うしか無いよね。
皮肉にも、 Wave は偉大なプラットフォームだった。冥福を祈りたい。でもプラットフォーム的な何かを作るっていうことは、そのまますなわち成功を意味するって訳じゃあ無い。プラットフォームにはキラーアプリが必要だ。 Facebook そのもの(つまり、 wall やら friends やらなんやらというデフォルトの機能)が、 Facebook プラットフォームのキラーアプリだ。そして、 Facebook アプリが、 Facebook プラットフォーム無しで成功できると結論づけるのは、深刻な誤りだと僕は思う。
みんなは、外の人たちが Google は傲慢だって言い続けているの、知っているよね?。僕は Googler だ。だから、みんなと同じように、外の人たちがそう言っているといらいらとする。僕らは全般的に見て全く傲慢じゃ無い。僕らは、まあ、99%は傲慢じゃない。僕はこの文章をこう始めた(遠い記憶をさかのぼってよ)、 Google は「正しいことだけをする」って表現した。僕らはよかれと思ったことだけをしている。だから、人々が僕らが傲慢だって言うときは、まあ大抵彼らを雇ってあげなかったときか、僕らのポリシーに不満があるか、まあそんなようなところじゃないかな。彼らはそれで気分が良くなるから、傲慢だ傲慢だと言っているんだろう。
でも、もし僕らが、僕らは全ての人に対して完璧なプロダクトをデザインする方法を知っているだなんて、そんなスタンスを取るんだとしたら、僕を信用してくれて良いと思うけど、結構そういう話を聞くんだけど、僕らは飛んだ間抜けになる。それを傲慢って言ったり、無邪気さって言ったり、なんて言ってもいいけど、結局の処、それは愚かさに他ならない。全ての人にとって完璧なプロダクトなんて、無いんだ。
デフォルトフォントサイズを設定できないブラウザについて話してこの話題を締めくくろうか。アクセシビリティへの侮辱ってやつについて語ろう。つまり、いずれ僕は年を取って、ほとんど目が見えなくなる。事実そうだと思う。僕は人生でずっと近視だったし、40歳にもなれば今度は近いものが見えなくなる。そうなればフォントの選択ってのは生死を分ける重要なポイントだ。それは君を完全にその製品から追い出してしまう。ところがどっこい Chrome チームってのははっきりと傲慢だから、彼らはゼロコンフィギュレーションプロダクトなんて言ってて、まったく厚かましくも、もし目が見えなかったり耳が聞こえないなりなんなりするなら、お前はファックユーだぜってなもんだ。残りの人生、全てのページを表示する度に Ctrl-+ を押せって言うんだよ。
これは彼らの問題じゃ無い。みんなの問題だ。僕らが徹底してプロダクト企業だということが問題だ。僕らは広くアピールするプロダクトを作った。例えば検索がそうだ。そのあまりにもひどい成功が、僕らの目をくらませてしまった。
Amazon もまたプロダクト企業だった。だから。 Bezos にプラットフォームの必要性を理解させるのには、外部の力が必要だった。その力ってのはどんどんと蒸発していく利幅だった。彼は追い詰められて、脱出方法を考えなければならなかった。でも彼の持ちえたものは、エンジニア達とコンピュータの群れだった。そこからどうにかマネタイズするには…?。結果論だけれど、そうして彼は AWS にたどり着いたわけだ。
Microsoft はプラットフォームとして始まった。だから彼らにはたくさんの習慣があった。
でも、 Facebook は…、彼らは僕を不安にさせる。僕はエキスパートではないけれど、でも、彼らは最初プロダクトとしてスタートして、そしてそれをうまく成功につなげていたことは確かだ。だから、彼らがどうやってプラットフォームへと変革を遂げたのか、僕にはわからない。それは比較的昔のことだったろうと思う。 Mafia Wars のようなものが現れる前に、彼らがプラットフォームにならなければならなかった時よりもずっと昔。
たぶん彼らは僕らを見て、こう自問したのかも知れない。「どうやったら Google を倒せる?。 Google に足りないものはなんだ?」
僕らが直面している問題はとても大きい。僕らがキャッチアップを始めるには、めざましい文化的な改革が必要だ。僕らは内部的にもサービス指向なプラットフォームを持っていないし、同じように外部的にもそうだ。この「自分のものにしていない」感じは、まさに会社全体を覆う風土病だ。 PM は分かってない。エンジニアも分かってない。プロダクトチームも分かってない。誰も分かっていない。たとえ一個人で分かっている人間がいたとしても、もしそれが君だとしても、僕らがそれを総力を挙げて緊急事態として扱わなければ、これっぽっちも意味が無いんだ。僕らはプロダクトをローンチして、それを後から魔法のように美しい外部拡張可能なプラットフォームに成長させられる、そんなふりをし続けることを、やめなければならない。何度もやって、だめだったじゃないか。
プラットフォームの黄金律「自分のドッグフードを食べろ」はこう言い換えることができる。「プラットフォームから始めろ。そしてそれをなんにでも使え」(訳注:"アドバイス" thx !)。後からちゃんとやるなんて不可能だ。少なくとも、簡単には無理だ。 MS Office をプラットフォーム化した人たちに尋ねてみればいい。あるいは Amazon をプラットフォーム化する為に努力した人たちに。遅れてしまえば、正しく立て直すのに10倍の苦労が必要になるだろう。ごまかしはできない。内部アプリが特別な優先アクセスを受けられるようなバックドアを秘密に仕込むなんて、どんな理由があっても不可能だ。難しい問題から、まず最初に解決しなければならないんだ。
僕は遅すぎると言いたいわけじゃ無い。けれど、待てば待つほど、致命的な遅れへとどんどん近づいてゆく。
この記事をどう纏めて終えればいいか、正直よくわからない。言うべきことは全て言ったと思う。この記事はできあがるのに6年かかっていると言える。僕が紳士的ではなくて申し訳ないと思う。プロダクトやチーム、個人を僕が誤解していたら申し訳ないと思う。もし僕らがたくさんのプラットフォームを実は作っていて、僕や、僕が話した人たちみんなが偶然知らないだけだったとしたら、申し訳ないと思う。
でも、僕らは今すぐに始めないとならない。