はてなキーワード: 踏み込みとは
そっか。嫌な言い方してごめん。
言ってみる前に、その地域で受けられる行政支援とか病院とか調べておくと、その場で話がしやすいかも。
責任を持つって曖昧な表現だったけれど、覚悟するとかではなく、付き添ったり代わりに調べ物をしたり書類を揃えたり、実稼働が必要になってくる。何をしたら状況を切り抜けられるまで手伝い続けられるかの把握調査にもなると思う。
(別のトラバを見たら実家なんだね。だとすると受けられる行政支援は少ないのでそちらはあまり調べなくても良いか。逆に一時的にでも家を出て暮らすことを考えた方が良いかも。踏み込みすぎにはなる…)
場合によっては、ショックでもう会ったり連絡したりできなくなるかもしれないし、手伝うつもりで声をかけていると伝わりますように。
よほど異臭がするとか服が毛玉だらけとか社会的にダメそうだったら指摘したほうがいいかもだけど、女性はプライドもあるだろうしし基本言わなくていいと思う。多分激務で若干セルフネグレクト気味では(経験済み)。
・連絡のレスがめちゃくちゃ遅いorない
・SNSでみる限り自炊せずウーバーや外食ばかり、または過度な飲酒や食事が見られる
この辺に当てはまってきたら、友人として「仕事お休みしたら?」と助言するのはありだと思う。
でも私は精神的に参っている知人を救ってあげようと偉そうに仏心を出したらものすごい依存・束縛されてしまいこちらまで病みかけたので、自分の精神・生活が安定しているのが大前提で踏み込みすぎないのが吉だと思うよ。ドライな意見でごめんね。
あとこれはADHDの自分が激務でしかばね状態で、特性上楽しみなもの予定でも遅刻したり化粧が間に合わなかったりが多く、当時の彼氏に振られた一言だったからギクッとした。(今は服薬して全くないです)
学生時代に友達と3人で深夜にドライブしていたときに起きた事件だけど。
ドライブの途中から後部座席でずーっと爆睡していた俺がふと目覚めると、根っからの車オタクのB君が運転初心者のA君に対して助手席からなにやら怒っていた。
「120出せ!!いいから出せよなにやってんだよ!!」
とA君がイライラしながら返すとB君は
「バカお前、こんな夜中の幹線道路じゃ飛ばすのが当たり前なんだよ。せめて100出せ!!周りに迷惑するから!!」
と呆れて言った。
真に受けたA君がアクセルを踏み込み100くらい出したら、真後ろについて走ってたシャコタンのヤン車がすぐさまF1グランプリみたいな挙動で僕らの車をぶち抜き一瞬で真ん前を陣取って急ブレーキを踏んできた。
続けてそのヤン車がかっ飛ばして遠く先へ行ってしまったかと思うと、今度は真っ赤なブレーキランプを凄い速さで点滅させて急減速し、僕らを追いつかせた。
その後、急発進、急減速を何度か繰り返してようやくヤン車は本当にどっかへ行ってくれた。
運転席のA君がわなわな震えながら
「お前の言う通りにしたらめちゃくちゃ怒らせたじゃねえかよ……」
「プリウスごときがいきって飛ばしてんじゃねえよって向こうも怒るよそりゃ」
と完全に他人事でつぶやいた。
A君はしばらく絶句していた。俺も衝撃を受けていた。
前々から疑ってはいたけど多分B君は発達障害だったんだと思う。今でもそう思う。
A君は黙って車を路肩に停めると、
「おめえ降りろ。二度と連絡してくんな」
と凄んで車外に出ると、喚き散らすB君の襟首をつかんで本当にそのまま引きずり下ろし、俺だけを乗せてとっとと車を出してしまった。
俺にはこういうことが絶対にできない。
「こんな目に遭わされたら相手をやっつけて当然だ。その行動をもっともらしく非難なんてされたらとてもじゃないけど許せねえ」
的なシチュエーションで
↓
②「ていうかカッとする奴とか軽蔑するわー」と敵に回られて冷めた態度でヘゲモニーを握られる
こういうコンボをかまされて絶望のドン底に落とされた幼少期のトラウマがあって暴れたり揉めたりが本当にできない人間になってしまった。
つい数か月前に俺自身凄い理不尽な体験をしたのだけれどやっぱり怒りをぶちまけられずに終わった。
突然友達から「明日俺の草野球チームの試合があるんだけどどうしても9人揃わないから来てほしい!」と頼み込まれて野球素人だけどしぶしぶ了承し、当日そいつと一緒にグラウンドに出向いたら、
13人くらい普通にそろっていて、他のメンバーから「誰こいつ」的にひたすら困惑され、仕方なくベンチでぼーっと試合を見守っていたら、
メンバーのオッサンから「黙って座ってないでバット引きに行けよ!」とか「ファールボール取りに行けよ、相手チームにだけやらせて悪いと思わねえのかよ」と普通に怒られまくる、
という理不尽の塊みたいな目に遭わされたけど、俺が実際に取れた行動といったら
程度にすぎなかった。
その場でブチ切れるとかやっぱりどう考えても不可能だった。
だから、酷い目に遭わされたときにその場で暴れたり大揉めできるタイプの人が本当に羨ましい。
そういう人のほうが人間として正しいとすら思える。
そういうタイプの人間になるにはどういうコツがあるんだろうか?
またそういう行動を取ってもあとあと社会的な損を被らないテクニックにはどんなものがあるのだろうか?
ちなみに前述した運転手のA君は「あいつにこんな酷いことされた!!」とB君によって触れ回られていたけど、A君自身は周囲からの評価をなんら下げていなかった。
人間関係の変化は、アクションが起きたのちについてくる、という基本を知っておくことは大事。
だから、誰かと親密になりたいと思うなら、自らアクションを起こすことが結局は手っ取り早い。その際の基本方針の一例はこう。
距離を縮めたい場合は、そのぶん縮める力を加えなくてはならないので、折を見て現状維持よりも少しだけ相手に近寄り気味のコミュニケーションをすべきだ。ただし、一気に踏み込みすぎると反発されるので、塩梅は重要。相手が難色を示したらスッと引く潔さ、大切。
完璧な人間はおらず、虚勢は長続きしないので、きちんと自分の能力は活用しつつ、時には自分の欠点や弱みもさらけ出す。ちょっとした欠点は愛嬌になりうるし、自分が苦手な分野では相手に頼りたい、という意思表示にもつながっていく。
相手が面白がっていることに興味を示し、より興味が持てたら積極的に教わる。教わる過程で距離が縮まる。もし向こうがこちらの趣味などに興味を持ってくれたら、こちらも丁寧に教える。運よく共通の話題が2つできれば、喋る話題に困らなくなる。
相手に頼られること、あるいは相手に尽くすこと、というのは楽しいが、相手によっては一方的に貰うばかりの関係に罪悪感を抱くことがある。向こうを助ける機会が続いた際には、「もしよかったら少し頼らせてほしい」と具体的なお願いをするなどがあると、パワーバランスがお互いさまの関係に近づき、健やかな関係性になる。
で、恋愛の第一歩というのは何かというと、「頼り、頼られる関係になれるか」「同じ時間を気持ちよく過ごせるか」みたいなことを試し、確認する経緯であると私は思う。だから、まずは公共の場(仕事や組織内など、オフィシャルに近い場)でいろんな人と雑談し、互いに得意なことや好きなこと、そのほかの要素を知り、「この人と試してみようかな」と思えたら、ほんの少しだけプライベートを見せていく、というファーストステップに進む。お茶に誘ってみたり、長くおしゃべりする時間を作ってみたり。
ところで、「女性を誘惑できない」という表現になっているが、言い換えれば「女性の側が積極的に好いてくれる状態でない」という認識なわけで、もしかすると元増田は人間関係更新のファーストステップを女性から起こされたいのかな、と思いました。あるいは、相手からの好感度が高い状態から始めたいのか。
まあ、それはそれで全然悪くないんですが、どうしたって機会の数が目減りしちゃいますので、とにかく誰かと親密になる経験がしてみたいなら、その方針はオススメできないかなあ。
よくよく考えるまでもなく、ワイくんもロクに勉強していませんでした。大変申し訳ございませんでした
多少なりとも、好きなこと・興味のあることを仕事にしてるので、業務外でも楽しんで解決方法探したり、気まぐれで実験したり、バイトしたりはするが、所詮はその程度
市場価値を高めるべく(メラメラ🔥)・・・みたいなのはなにひとつとして業務外で取り組んだ事ありませんでした
でもまぁ、みんなよくよく考えるまでもなく、自分の能力で楽しく余裕でこなせる範囲の仕事しかしないよな
楽しく余裕でこなせる範囲外にあるものに踏み込むには危機感を利用すればいいというが、わかるようなわからないような・・・・・・・
夫がコンビニ店員にかなり入れ込んでいてやばい。その店員のXさんはお客さんに対してニコニコと愛想の良い若い人だ。
優しく世間話をしてくれる彼女に片思いというかかなり執着していてやばい。コンビニで客と店員として話すだけの接点しかないのに「アイツはオレの事が絶対好きだ」とか、「今日は話せた。Xちゃんと食事に行きたい」とか逐一私に報告する。非常にめんどくさい。
20歳も年上のオッサンに彼女はあくまでも[よく喋る常連さん]として接しているだけだから距離感を誤るなと私は夫に何度も諭しているけど、異常に彼女に踏み込みたがる。
コンビニでXさんにつれない態度を取られると帰って来て泥酔して毎日私に八つ当たりするようになってきた。
「オレの心に一方的に踏み込んで来た思わせぶりな態度を取るアイツが許せない」らしい。まじで怖い。酒の量も暴言暴力や被害妄想も悪化していてだいぶやばい。
夫は私がXさんに嫉妬しないのがおかしい、嫉妬しているならコンビニに怒鳴りこんでXさんに文句を言えとわめいて来る。
ただの客と店員の関係で一方的に執着して勝手に落ち込んでいるのは夫なのに、何故Xさんに私がそんな事をする必要があるのか。それが夫の言う誠意らしい。意味がわからない。
私は暴言は右から左なのでメンタルにあまり影響はない。身体のデカい子供が自分の思い通りにならなくて癇癪を起こしているようななものだ。力では勝てないから困るけど。
ものすごい形相でよだれ垂らしながら目の前で喚き散らす。もう人じゃない。
多分愛着障害とか発達とかそういうのだと思う。度の過ぎた構ってちゃんで夫への接し方がわからない。
憐れな人だなという目でしかもう見れない。
夫は自営の単独仕事で、社会との接点がそのコンビニくらい。完全に独りになったら無敵の人になって周りに危害を加えそうでそれだけは避けたいけど本当にもう手に負えない。
泥酔してさんざん暴言吐いて寝て夜中に起きて、コーヒー飲んで暗闇でスマホ見て自分から寝れない状況を作ってるのに寝れない!とか言って怒ってる。
病院に行こうと言っても、オレの心のケアを放棄するのか!とキレるのでなんかもうどうしようもない。
この3ヶ月くらいで急速に慣れてきた感じがある
ある程度反応できないレベルのスピードがないとフェイントもフェイクもなにも通用しない
どんなにコンビネーションを覚えても見てから余裕で対応されてしまう
相手の目線の先にグローブを置いて真っ直ぐ出せるようにすること
フィットネスとして練習するならハンドスピードをあげるのは限界がある
真っ直ぐ出せるようになればより相手は反応しにくい
ステップワークは基礎的な体力も筋力もいるしリズム感も必要だから習得が難しいけどやっぱり必要
バックステップは最悪できなくても亀さんになってガードしてたらすむかもしれんし
4.リズム感を作ろう
ワンツーフックとか一番に教えてもらうけど、そういうのは実際に使ってもすぐ読まれちゃうのでジャブジャブボディジャブからのツーボディとか、読まれにくいリズム感を自分なりに作ろう
空振りもガードの上から叩くのもめちゃくちゃ体力使うのでむやみやたら動いてしまうと1分かからずガス欠になる
上級者とペアになってゆるく攻撃してもらいパリングして目と体を慣れさせよう
フォームの綺麗さっていうのは要するに一番ダメージを伝えるのに適した姿勢ってことだから常に気をつけた方がいい
、とまあ今書ける感想ってこんなとこ
数日前、ドラッグストアでコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24歳労働者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220528225125
勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネットの大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき、匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。
サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません。
いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。
「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」
さすがデュオ!
俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!
そこにシビれる!憧れるゥ!
女を好きな女の話をしましょう。
えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。
わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達。
仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。
LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会。
わたしは男の子も女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアルの女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。
なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。
自分のことを定義付けできたのは大学生になってから。女の子への初恋は中学生のとき。憧れの先輩がいた。
週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群な先輩は地区でいちばん頭のいい高校に合格した。卒業式の日、制服のボタンを貰った。翌年同じ高校に入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。
ただ当時のわたしはアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラスの男子と定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンのアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。
ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。
実際サーティーワンの男の子からはサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。
「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは
「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。
アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元の図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。
それは少女小説「マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。
マリア様がみてる、通称マリみてとの出会いはわたしの恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたしの精神世界はさながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたしの世界を一夜のうちに変えてしまった。
お、女の子のこと、好きになってええんか……。
先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉でもやもやっとさせなくてもええんか……。
近付きたいと思ってええんか……。
まじか…………。いや、まじか…………。
もう、絶句であった。
クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。
まじか。うわー。まじかー。
マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。
まじかー。
この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたしの高校生活が終わった。
マリみてどころの騒ぎじゃなかった。
盆と正月とクリスマスと創造神と破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命の誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。
まじ、衝撃であった。
セクシュアリティ、多様な性、LGBT、性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたしは過去18年間何ひとつ知らなかった。
ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。
と思わないでもなかった。
でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたしの選択肢ではないのか?
どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。
ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。
女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。
クィアの講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティは個人的なもので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたしは結構この言葉が気に入りだった。
個人的なもの。わたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいもの。わたしのものだから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものがわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。
その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。
いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。
2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。
舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからずわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。
わたしにとってわたしのセクシュアリティがわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティも彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。
で、わたしは別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言をしたことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのは「あなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。
ていうか別に、宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、
言う人もいる、言わない人もいる。
わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族や職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの。個人的なもので流動的なものだから。
だからこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたしの個人的なものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報や知識にアクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないかは心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。
離婚してからできた彼女は七人(約十年の間)。セックスの相性が良い時に限って、二年から三年ほど続く間柄だ。性交渉が楽しくって、趣味とか私生活の行動パターンがそれほどぶつからなければ、ほぼ同棲状態で日々楽しく暮らせる。
とは言えそろそろ結婚したいと思っている。流石に年齢も考えると安定した関係を構築したいと思っている。同棲状態でそれなりの期間過ごす経験を三人とお試しできたことで、自分がどういう暮らし方でどういう愛情関係だと問題なく健やかに過ごせるのか?のラインが見えてきた。多くを期待せず、お互いをちゃんと尊重し、消して暗黒部分に踏み込み過ぎず、お互いの楽しいことや追求したいテーマ(ほぼお仕事)を共有でき、愛しみ合えるなら良い。共に生きて支え合える関係がちゃんと作れたら、それはもう最高の伴侶なのだ。と、そう思えたらなんで今までこんなに右往左往したのだろうか?と思えなくもない。だけど、それに気づけた上に、そのタイミングで相性の良い彼女と交際開始できたのだから、実に有り難いとも言える。年齢差はほぼ親子くらいだし(30違うよ)、現住所は電車で一時間半ほどあるし、仕事も趣味もかなり異なるけど、お互い信頼できて、致しも心地よいのだから大変有り難い。今度海外出張から帰ってきたら改めて真面目にプロポーズするよ。楽しみ。
腕はちゃんと伸びきるようにしよう
目安として腕を伸ばした時に肩が顎あたりにつくようにすると伸びきってると思う
伸びきるのが難しいってのは、ジャブの返しでフックが来るんだけどそっちに意識がいきすぎて伸びきらずに腕を戻しがち
フックだけじゃなく相手の攻撃に対してカウンターで返すのは普通のことなので、その対応に気を取られる
特に初心者だと手を出すたびに毎回カウンターで返されてしまい、やることがなくなってパンチ出すよりガードすることに気を取られちゃうことになりがち
そうなるとより自分の射程がより短くなり相手が踏み込みやすくフックもジャブもなんでも入れ放題になってしまう
また伸ばしきらず手を戻すのは終始へんな力が入ってしまいハンドスピードがめちゃくちゃ遅い
そうではなく腕はちゃんと伸ばして自分の守備範囲をより広く確保できる方が実は安全
近距離攻撃は力の入った攻撃もしずらいので上級者向きだと感じるのでまずは腕を伸ばすジャブがしっかりできるよう練習する
ふらついた拳だと軌道が見えるので、初期モーションで余裕で相手が反応してしまう
でも一歩踏み込んでのパンチは上半身下半身別々のことを一瞬でやる器用さと筋肉が必要なので何度もなんども練習して身につけなきゃいけなくて大変
あら、そういう感じなのか
聞けてよかった
正直ツリーの全部の内容を把握できてないから何か無理解があったらごめんなんだけど、あなたが言うレベル以上の差別らしい行動をしようとしてる女性なんていないと思うよ
見知らぬ男と二人きりになるのを避けるのを助けてくれる(=あなたに親密な女性でなかったとしても、その振る舞い自体は理解してる)んだよね?
(代わりに謝るのはちょっと踏み込み過ぎな気はするけど、個人の考えの差として置いておけるように思う)
このサイトの女性っぽい投稿群においては「性犯罪を起こす男Aを回避するために、男全般を避けることは『仕方がない』『申し訳ないがそうするしかない』」という意見の人が多いと感じる
現実も含めて、避けて当然!なんて顔してる人なんてまず見たことない
そこに対してわざわざ「犯罪をしない男を避けるのは差別だろ!(=避けてはならない!)」と言われるなら、「差別ではない!(=避けざるをえない理由がある!)」と返事するだろう
失礼な言い方になるけど、字面上の正しさや世の人は間違ってるはずだという考えに囚われすぎてないかな?
自戒も含めていってるんだけどさ
この後どうなるのかは分からないけれど、キエフの陥落は1日後か2日後か数時間後か避けられないでしょう
ウクライナにとって非武装化の和平は受け入れられないから、和平交渉開始してもキエフ陥落で終わるとも思えない
それにウクライナには今はまだ出来ない奥の手が残ってる
いざとなればウクライナを横断するパイプラインを、ウクライナ西側の出口で破壊してやればいい
西側も困るウクライナも困る、だがノルドストームⅡが動かない今はロシアには致命的な傷になる
殺されるのなら殺してやればいいという奥の手がまだ残ってるし、切羽詰まったら西側は批判できないでしょう
ロシアだって分かってるから、川の西側までは踏み込みたくないだろうね
そうこうしてるうちに、ウクライナ西部を睨む西側の軍事的・経済的・外交的支援はより手厚くなりロシアは身動き取れなくなってしまうだろう
こんな気持ちになったのは何年振りだろうか。気になる女性ができた。
この1年は酷い有様だった。彼女を他の男に取られて人間不信に陥り、仕事も上手く行っていなかった。
そんな中で新しい上司と私生活で一緒に遊んでいる中に彼女は居た。
第一印象は人との距離感を保つ、どこか踏み込みづらい女性だと思った。しかし話していく中で、芯を持っている女性だと分かってきた。
正直、上司がくっ付けようとしているような気がしてならない。いつも彼女とのツーショットを撮っているのは気付いている。いいだろう、思惑に乗ってやろうじゃないか。
今度一緒にご飯を食べに行く。まだ告白はしないが、彼女の人となりをもっと知りたい。いつになるか分からないが、告白する時もきっとお酒が入っているのだろう。心の底からの気持ちが伝わるように手紙を書きたい。
免許を持っていて車の運転が出来るってのは「コイツを本当に怒らせたらある日突然軽トラで轢き殺される可能性が発生する」ということを暗に意味している。
「筋肉こそが最大の自己防衛。本気出せばお前殺せる」をいくら積み上げたところで、1ヶ月教習所に通ったらADHDでもとれる免許と50万で買った中古の軽トラに絶対勝てない。
怒らせちゃいけないを撒き散らすために必要なのは肉の鎧じゃない。
鉄の馬だ。
チンケなエンジンが生み出す100km/hのスピードはウサイン・ボルトでさえ逃げ切れない。
どんな筋肉の塊だって正面衝突で絶対殺せるクソデカの鉾、それをいつでも振り回せるというマーダーライセンス(罰則免除なし)が運転免許なんだ。
突然殺意に目覚めた社会人が何気なく中古屋で軽トラを買っただけの理由じゃ警察は止められない。
相手の通勤経路を把握し、待ち構え、アクセルを踏み込み、10分後には一塊のミンチと犯罪者がワンセット出来上がる。
怒らせちゃ駄目だと思われたいなら免許をもて。
誰だって殺せる。
オフの完全無防備を狙えば政府要人でもない限りは大体誰でも殺せるようになる。
ボウガンや猟銃なんかよりよっぽど強いぜ
25日午後3時半ごろ、群馬県大泉町西小泉の洋菓子店「不二家西小泉店」に、さいたま市の女性(44)が運転する乗用車が突っ込んだ。店のガラスが割れ、はずみで動いた店内の小型冷蔵庫と机に押され、来店していた60代の女性2人が足を打撲する軽傷を負った。
大泉署によると、車はワンボックスタイプで、県道綿貫篠塚線から店舗前の駐車場に入ろうとしていた。
女性はクリスマスケーキを買う目的で来店したといい、「歩道の段差を乗り越えようと、強くアクセルを踏み込み過ぎてしまった」と説明しているという。
女性の車には3人が同乗していたが、いずれもけがはなかった。事故当時、来店客は3人いた。
同署が詳しい事故原因を調べている。
高トルク低出力だから段差を乗り越えられて、
結果的に突っ込むことはできない