やたら被害者ぶりたがる人、そして被害者ぶったあとは自分こそが正義の味方なのだと過剰に暴力的な言動に務める人、これらがかなり目につくように思う。
目につくというのは一部が悪目立ちしているだけであり実際に暴れまわっているのはそこまでは多くはないのだろうが、目立つほどの行動に移していないだけで内心としてそういう傾向がありそうな人はかなりの数であるように感じる。
統計はない。
私の体感だ。
私のインターネットやリアルにおける周囲環境、人間環境が低品質であると言うだけなのかも知れない。
だが、そういった人間がそれなりの割合でいる空間というのが存在しているのは確かだ。
ハッキリ言うが、そういう人は得てして頭が悪い。
ある分野においては思考力や記憶力が優れていることもあるが、その分野以外に対しては極端に間抜け、ハッキリ言えば地頭が終わっているほどに「被害者になる≒正しい人間に近づく」という妄想の中で暮らしている傾向が強いように思う。
そもそもそういった考えがどこから産まれるのかを考えていくと、どうも世の中にある物語や歴史書の多くが「こっちの勢力は正しいですよ。何故なら『被害者』だからです」という文脈を多用しすぎていることにあるようだ。
思えば子供の見るような番組、プリキュアやアンパンマンでさえ、ヒーローの正しさを保証する最大の要素は「被害者の側についている」ということにある。
正当性の主張に対して「被害者であること」を利用するのは戦争や宗教対立のプロパガンダでも多数使われてきた歴史があり「我々は被害を受けている。だから相手に暴力を振るうのだ」から始まって、やり返された結果に対して「正当な怒りに不当な暴力が帰ってきた。やはり奴らは野蛮であり滅ぼすしか無いのだ」を繋げていくのはもはやテンプレートとさえ言って良いだろう。
だがそれらの「プロパガンダが用いられた」ことだけが歴史的事実であり、「そのプロパガンダは正しかった」ということは、たとえ勝者が掲げていたものであったとしても保証なんてされはしない。
頭の悪い人はどうもその辺まで踏み込むことが出来ないようなのだ。
「テレビや歴史の中における勝利者、正しい者達が「我々は被害者。故に正義」と語っているのだから、それは正しいはずじゃないか」と本気で思いこんでいるのである。
そしてその思い込みと自己愛が混ざりあうと「自分は正しい(と思い込みたい)。だから自分が被害者(の側であると思い込みたい)であることを必死にアピールしないと。被害者ぶれるチャンスはないだろうか?私はもっと正しい(と思いこんでいる)人間になりたい」と考えながらいつも被害者ぶる理由を探している怪物が誕生する。
この話を聞いているうちに諸君の頭の中にも多くの怪物が思い浮かんだのではないだろうか?
彼らがなんであんなにも積極的に被害者ぶりたがり、目にも入れたくないと言いながらケチをつけられる相手を必死に探し求めていたのは、それこそが彼らにとっての「正しい人間になろうとする努力」だったのである。
彼らは頭が悪いだけで、いやむしろ頭が悪いからこそ、根は社会道徳に対して従順で真面目なのだろう。
幼少期に受けた教育のままに必死に正しい人間になろうとして、それを褒めてもらいたくて仕方がないのだ。
だからいつも「正しくなるため」に被害者ぶれる理由を探し求めているし、それを見つけてまた一つ被害者になれたぞとアピールして誰かに「凄いね。君は被害者なんだ。つまり正しい人なんだね。エライよ」と言ってもらおうとしているのである。
地頭という言葉を使う奴でまともな奴見たことない 高学歴発達発達障害(主にアスペ)がいるので ニュアンスはわからんでもないけどな
ハックル先生ばりの「俺理論」+「俺証明」+「俺勝利宣言」じゃねーか。こういうのは漠然とした概念で勢いつけてやられるとそこそこ正しい分批判が難しくなるな。ハックル先生が...