はてなキーワード: 第1志望とは
勝ちたいだとか、負けたくないだとか、あいつは成功しただとか、失敗しただとか。勝ち組だとか、負け組だとか、そういった話題を目にするたびに心底思う。
「・・・くだらない」
最近はもう少し穏当に
「自分とは住む世界も見えてる世界も違うのだから、どうでもいい」
というくらいには受け止められるようになってきた。
僕にとって、「勝ち/負け」はほんとうにどうでもいい。「勝つための努力」とか「勝つための駆け引き」とか「勝つためのハック」とか、そういった類のことが自分の人生に割り込んでくるたびに「頼むから、そっとしておいてくれ」と、そう思う。
これは「勝ってまで欲しいものがないからだ」とか、そういった話ではない。僕にとっては、そもそもゲームが違うのだ。
僕は、大事な選択肢が目の前にある時、「結果、そのどちらに転んでも、それでよかったと受け止められる」ように努力する。そのために、環境を整えて、選択肢を吟味して、自分の過去を振り返り、将来に思いをはせて、最終的に納得するように環境と自分の心の持ちようを仕向ける。ここに「勝った」も「負けた」も介入する余地がない。
僕は中学生の頃に憧れた「留学生活」を実現するため、第1志望の公立高校と、併願受験をする私立高校の双方に「留学」という目的が達成できるよう仕向けた。
僕は、いま通っている大学学部学科の1つだけを公募推薦で受験した。落ちたら、さらに羽を伸ばしてバックパッカーにでもなろうと思っていた。受かったら、キャンパスライフという新しい世界を「さて、どんなもんか」と見てやろうと、そんなつもりだ。この時成し遂げたかったことは「環境の大きな変化」だったからだ。
このように、僕は大事な岐路が訪れるとき、常に「現状の分析を徹底し、自分が求めているものを徹底し、どう転んでもそれを受け入れられるように準備する」。そのための思考や、選択肢の吟味は、きっと並大抵の人より努力してきたと思う。
彼らの中で1番良い進路は例年東大現役合格が3~4人程度の県立高校だった(ちなみに自分もひっそりとここに進んだ)。
高校進学まもなく、
「東大行きたい」と公言してる人は体感値で3割くらいいた記憶がある。
自分はというと、
「共通テストで9割取って、さらに二次試験で英語国語地歴×2数学1A2Bを課される頭おかしいとこ目指すわけないだろ」
結局、高校3年の夏頃にもなると東大目指す同級生は激減しており、
秋に開催される最後の駿台東大実戦はうちの高校からはたったの20人しか受験していなかった。
だいたいが早稲田(ほぼ教育社学文構たまに商や政経)か横浜国大か、あとなぜか明治に進学していた。
私は早稲田は全滅、慶応は経済商落ちて文と法に受かり、バンザイして法へ進学した。
スポーツの世界で何年に一度か現れる"勉強もめちゃくちゃ出来るプロ注目選手"が、記者に乗せられてしまったのか「東大受験」を公言することがあるのだが、
やはり彼らは東大にほぼ受からず私学に進学する(なぜか早慶落ちての立教が多い)。
中卒になる者も反社になる者もぜーんぶひっくるめた同世代のバスケットのなかで、「バケモノみたいに頭がいい」と評される者たちでも、
そんな彼らの中の上澄みでも結局は上の下程度の学力でしかない、
という現実を間近で目撃した私が疑問に思うのは……
どうやったらそうなるの?
生えてくるの?
聞くところによると学年の東大現役合格率で30%以上叩き出す高校(我の代の母校は1%未満か……)なんかだと、生徒同士でこんな感じの価値観が共有されてるらしい。
身の回りにいそうだけど1人もおらず想像すらつかない人種なので、彼らの生態も謎だし、後天的に育成可能かどうかも分からないし、受験までに何をやって生きてきたのか気になる。
自称進学校出身。勉強時間の記録シートには1時間とか2時間とか書いたけど、ほんとうは宿題しかやってない。0時間がふつう。1時間は少ないらしく、先生には目をつけられていたらしいが、自分と同じようにみんなも勉強してないと思い込んでいたから、特段気にしなかった。4時間なんて集中できんだろと思ってたし。
そんなこんなで勉強しないのが当たり前の生活を送っていたから、第1志望の国公立に落ち、「まぁ、仕方ないよね」という気持ちでセンター利用で私立に行った。偏差値は60程度。勉強しなければこんくらいの立ち位置の大学に入るんかと思った。
ただ話を聞いてみれば、浪人生とかふつうにいて驚いた。でも、思い返せば試験会場には赤本持って直前まで勉強してる人や、進学校の制服を着た人がザラにいたし。勉強しないと入れない大学なんだろうと思った。
でも、そのとき思ったのが「ほんとうにこの人勉強したのかな」だった。0時間とかないと思うし、まぁ30分とかかなって。マジの話だ。
さっき調べてみたら2時間勉強してる人は4割いるらしい。そんなに人生を無駄にしてる人がいるのか。ただただ参考書読んでるだけとか。そういう勉強してる人、たぶん自分の想像してる以上に多い。
勉強時間を増やせという前に、勉強方法を教えてやればいいのにと思った。あるいは思考力。
この問題ができなかったら次はできるようにしよう。そのための最適解を導く。そういったことが自然とできる思考力を身につかせること。無理なら、せめてそう道筋を提示してやること。
それすらできない生徒を何万人も生み出していたとしたら、それは教える側の罪だと思う。
自称進学校出身。勉強時間の記録シートには1時間とか2時間とか書いたけど、ほんとうは宿題しかやってない。0時間がふつう。1時間は少ないらしく、先生には目をつけられていたらしいが、自分と同じようにみんなも勉強してないと思い込んでいたから、特段気にしなかった。4時間なんて集中できんだろと思ってたし。
そんなこんなで勉強しないのが当たり前の生活を送っていたから、第1志望の国公立に落ち、「まぁ、仕方ないよね」という気持ちでセンター利用で私立に行った。偏差値は60程度。勉強しなければこんくらいの立ち位置の大学に入るんかと思った。
ただ話を聞いてみれば、浪人生とかふつうにいて驚いた。でも、思い返せば試験会場には赤本持って直前まで勉強してる人や、進学校の制服を着た人がザラにいたし。勉強しないと入れない大学なんだろうと思った。
でも、そのとき思ったのが「ほんとうにこの人勉強したのかな」だった。0時間とかないと思うし、まぁ30分とかかなって。マジの話だ。
さっき調べてみたら2時間勉強してる人は4割いるらしい。そんなに人生を無駄にしてる人がいるのか。ただただ参考書読んでるだけとか。そういう勉強してる人、たぶん自分の想像してる以上に多い。
勉強時間を増やせという前に、勉強方法を教えてやればいいのにと思った。あるいは思考力。
この問題ができなかったら次はできるようにしよう。そのための最適解を導く。そういったことが自然とできる思考力を身につかせること。無理なら、せめてそう道筋を提示してやること。
それすらできない生徒を何万人も生み出していたとしたら、それは教える側の罪だと思う。
こんなの書いてる場合じゃない。分かってる。スマホなんて見てちゃだめだ。
いくら頑張っても、どれだけ数式を解いても歴史を覚えても、数万人の上がいる。
こんな点数、褒められたって嬉しくない。分かってる。努力が足りないのは。
憧れの大学。B判定まであと20点。この前はあと10点だった。その前はA判定まであと何点、だった。
わたし以外全員消えてくださいお願い。
近いってだけでここを選ばないで。賢いならもっといい大学目指しなよ。
私はここに行きたいの。あたまが追いつかないけれど。
国語英語数学理科社会、文系はまだ楽?そうね、数IIIに比べればお遊戯みたいなものだよね。
理系の方が偉い?社会人の方が偉い?京大目指すあいつの方が偉い?そうねあなたが全部正しいよ。
がんばれがんばれ全員蹴散らす気で努力しろ、でも受験はチーム戦。隣の席の友達はライバル。ここは安全校って、私の第1志望ですけど。(笑)
ごめん。頑張ろう。
私がこのブログで書く内容を簡潔にまとめると、高校の頃の担任に言われた呪いの言葉についてだ。
彼は簡単に放った言葉だったと信じたいけれど、これから先の人生の中で何度も何度も私を引き止める言葉たちだから、どうせならここに全て置いていきたい。
どうかこのブログが担任のアカウントまで届きますように。決して高校の目には止まりませんように。担任の鍵垢、知らないけど。
私は去年まで高校生だった。3年間クラス替えが無いクラスで、結果的に担任も変わらなかった。
まず最初に伝えたいのは、全国の女子高生がみんなJKブランドを持っていたら大間違いだということ。JKブランドを持てるJKは限られていて、少なくとも私の高校にはJKと呼べそうな子はいなかった。
当たり前だ。制服が泣きたくなるほど地味な偏差値60前後の自称進学校なんてそんなものだ。みんなJKブランドなんか知りませんという顔をして、晴れの日は暑い、雨の日は重くなる膝下スカートを履いて登校する女子高生だった。たまに都心に出る時はスカートを引っ張るんだけどすぐに落ちていくし、ウエスト部分がゴムじゃないから巻くとお腹の部分が膨らんでいた。
校則も厳しかった。メイクをすることも髪を下ろすことを禁止していたため、中学校とほとんど変わらなかった。「ここを望んだのだからここのルールに従いなさい」こんなことを集会で言われた記憶がある。
こんな高校生活だったから早くに女子高生を諦めた私(周りはどうか知らないけれど)は大学では自由になりたいと願った。だから1年生の夏休みの宿題だったオープンキャンパス巡りで都内の女子大を中心に巡った。
オープンキャンパス巡りは夏休み明けの個人面談で活用する媒体だった。担任になりたい職業や行きたい学部を絞っていく。1年生の秋だったから、みんななんとなくの個人面談だった。
私は今のところの第1志望を担任に伝えた。すると困った顔をされてこう言ったのだ。
「そこの大学に通う子と○○(私の苗字)は会話が合わないよ?うちと偏差値が5〜10違う高校の子が通うんだけど、わかりやすく言うと中学校の頃みたいな感じかな。その子たちと一緒に勉強してもいいの?」
いますぐ志望校を変えろとでも言いたいのか。さもその女子大に通ったことがあるかのように担任は話していた。私は「会話が合わない」という言葉が何よりも悲しかった。16年間生きてきた中で会話が合わなかったことは無かったし、偏差値で人を測る担任が素直に怖かった。今の私だったらてめえの物差しで勝手にはかるんじゃねえ、くらいのことは言う。
これが1つ目の呪いになった。
2つ目の呪いは2年生の修学旅行前に起きた(起こした)。前述した通り、私のクラスは3年間クラス替えがない。その中で1年半一緒にいた友人がいた。運動会も文化祭もその子たちと回っていたし、修学旅行の班も
早慶は落ちた。
みんな国立に受かったことを褒めてくれたけど、4年間ずっとずっとMARCHに行けばよかったと後悔し続けた。
大学辞めようと、入り直そうと何度も思った。
うちの大学には田舎の自称進学校からの成り上がりとか、埼玉の陰湿な女子校上がりの子とか、頭いい都立高校の落ちこぼれとか、微妙な人材の集まり。
サークルもインカレなんかなく、つまらなかったから大学から近くない都心に引越して私大の子たちとばっかり遊んだり、インターンに行ったりしていた。
大学の授業なんて先生がホワイトボードに書くこと全てメモする必要なんで全然ないと思うのに、真面目にノートにカリカリして課題の話で盛り上がる人たちが大嫌いだった。
家が遠くて通学が大変とかバイト辞めたいとかそんな話ばっかり。
人数も少ない学科で女子ばかりでグループに分かれていつも授業受けててお前ら中学生かと。
自分は話す人がいなかったわけじゃないけど、わざわざ人と時間割決めるとかダサいと思ってたから1人で授業受けてた。
就活も、周りの人は公務員や教員志望ばかりでインターンも行かずのんびり真面目に勉強している人たちが多くてしんどかった。
10人中10人がMARCHとうちの大学かだったらうちの大学を選ぶと思うけど、わたしはMARCHに行けばよかったとずっと思っていた。
最後の最後に、東大とか早慶卒がいっぱいいる第1志望の大手企業に就活で行ったら、人事の人がたまたま同じ大学で気に入ってもらえて、内定をもらうことができた。
もう半年後には卒業するけど、これからもっともっと広い世界に出るのだから、自分の大学をちょっとでも好きになれるように社会人として羽ばたいていきたいな。
とってもとっても楽しかったし、落ち着いた雰囲気と優しくて温かい学校で、何の不自由もなくそこそこ沢山の経験も出来ました。
みんなでワイワイ騒いだり、好きなことを好きなだけ体験出来るような場所で、そこそこのレベルのふつーーの学校だったけど私はめちゃくちゃ満足して卒業しました。
話は遡りますが、中学校の受験校に対して親は特に何にも言わずに私の好きなように選ばせてくれたので、気に入った学校を4校受験しました。
1校だけ、めちゃくちゃ好きで好きでとても行きたい学校がありました。何より制服がめちゃくちゃカワイイ〜〜!!!
私の理想を全部詰め込んだ、お姫さまみたいな雰囲気の、お淑やかで麗しい学校でした。
普通に落ちました。
ぶっちゃけ、当時の私では背伸びしたようなチャレンジ校でした。
千葉・埼玉の1月受験で運良くそこそこの学校に引っかかった私が、調子こいて強気に出た賭けのような受験でした。
「志望している」というのも恥ずかしくて、「志望校」というのは隠しているようなレベルでした。
その代わりに第1志望と公言していた学校がありました。そこも制服が特徴的で凄く素敵で可愛かったです。
レベル的には行けるか行けないかは五分五分………ちょっと盛ったかも。
そこは5年生くらいから意識してた所でした。校舎は古くて汚いけどやっぱり素敵な学校でした。
落ちました。
2回受けたけどサクラが散りきって、何も残りませんでした。
私が通うことになったのはその学校の滑り止めとしてみんなが受けるような学校でした。
全然勉強してなかった私自身としては、それでもかなり満足の結果でした。
制服は超典型的でなんの特徴もなかったけど、小学校の友達は「3つの中で一番ここが可愛い」と言ってくれたお陰で救われたのもあるかもしれません。
そこでめちゃくちゃ仲の良い友だちに出会えたし、最初に言ったような幸せな時間を過ごせました。
本当に、本当に、なんの未練も後悔もなかったはずなんです。
でも、浪人した今年、そして今日、ふと、本当になぜか突然、「あのセーラー服を着たかったなぁ」と予備校の映像授業を受けながら思ってしまいました。
考えてみれば6年間、あのカフスを忙しなく動かして楽しそうにお喋りしてる子や、あのスカートを電車で揺らしながら英単語を一生懸命覚えてる子、あのタイを下げている子を何度も何度も何度も何度も見かけました。
重そうなスクールバッグを持って歩いている子の背中にあるセーラー襟の校章を眺めるしか出来ないのが悲しくて俯いたところで、自分のボタンの取れたブレザーが目に入るだけなので余計惨めになるだけでした。
チャレンジ校!!多分落ちるけど別に周りにも言ってないし!!!って当時軽〜〜く思ってたけど予想よりも根深かったのか、忘れられませんでした。
中学時代よりも高校生、特にまた受験生になってからの方がその想いが強くなったように思います。
いつも私は彼女たちを憧れや羨望で見ていたけど、彼女たちはもちろん私なんかが目に入ることはなくて、生涯で一度も交わることはないんだなぁ、とボンヤリ思っていました。
なんかここまで書いたら有識者の皆さんには学校がバレてしまうと思いますが、その学校には姉妹校的なのがあって、めちゃくちゃレベルは落ちるけど別の場所に同じ学校がありました。
当時はそこの受験なんて考えてなかったけど、今朝、なぜか今になってそこの学校でもいいから行きたい気持ちでいっぱいになりました。
今まであんまり考えないようにしてたけど、急にそんな欲望が出てきちゃって、7年前のことに未練タラタラな自分がうんこすぎて今すぐ流してしまいたい。
ここまで読んでくれてありがとうごさいました。
大学受験に失敗した。予備校に通うお金もなく、宅浪する覚悟もなくて、後期で受かった地方国立大に通って2年目。眠れないのは隣人の騒音のせいじゃない。
第1志望の学科には合格できなかったけれど、最初のうちは長く続いた受験勉強から解放されたということもあり、自分なりに楽しもうと思っていた。でもダメだった。
周りと自分のやりたいことが全く違うのが苦痛だった。遊んでばかりいる人がやたらと目について、「本来自分はここにいるような人間じゃなかった」なんて考えるようになってしまった。
そんな態度が周りに伝わったのか、元々のコミュニケーション能力の低さが原因なのかはわからないけれど、友達もあまりできずに今は1人で講義に出ることがほとんどだし、サークルもやめた。バイトの同期は違う学科でほとんど会えない。土日は家から一歩も出ないことのほうが多い。今まで一度もできなかった彼氏は、今もできないままだ。
なんとなくフォローを返した大学の知り合いのインスタグラムのストーリーには、毎週のように飲み会の様子があがる。
予備校に通っていた高校のときの同級生は、志望の大学に合格して楽しそうに毎日を過ごしているみたいだ。
親のことは大事だけれど、奨学金を借りずに大学に行けている人のこと、留学できている人、予備校に通える余裕があった人を見ると、羨ましくてたまらなくなる。
具体的に何が辛い、というのははっきりと言えないけれど、ぬるま湯につかったような毎日に、ぼんやり死にたいなあと思っている。やりたいことがないわけではない。好きなもの、楽しみなことがないわけでもない。だけれど、それすら面倒に思えてくるほど毎日が億劫で仕方がない。
大学に入ってから顔への執着が酷くなった。周りの目線が怖くなった。
講義で当てられると泣きそうになった。
狭い講義室が怖くなった。
「大学生なのに」充実していないことをみんなに悟られるのが心底嫌だ。
夏休みに帰省するけれど、大学に行かない生活が長く続くと、もう行けなくなるのではないかと不安になる。かと言って中退する勇気もないし、今まで大学に払ってきたお金が無駄になるかと思うとこのままなんとなく通って卒業して、なんとなく就職するのだろう。
なんのために生きているのかほんとうにわからなくなってきた。
来年に自分が自分であるために、自分が自分を認められるために書いてみようと思った。自己満足?その通りです。これはこうでしょ!みたいなものでもなく曖昧で漠然としているものだけど。
高3生です。受験生です。
社会人か主婦か色々な人がひしめくなか、クソガキが書いてる時点でまともな人間じゃないのは察してください。普通の高校生ならこんなとこ(たぶん)いない、はず…
本題に入ります。
自分は小学生から手のつけられないクソガキでカッとしたら悪口の前に周りに暴力を振るったり、その度に親に迷惑をかけたりしていました。そのせいで、とあること(事情があって詳しくは匿名でも書けません、相手にバレたらヤバいので)が起きてしまい、それは小学生に重大に追及するほどのことではないはずだったのですが、相手の親がモンスターペアレンツで厄介なことになってしまいました。面会かを何かした時、相手の親に暴言吐かれまくってしばらくトラウマでした。
そのこともあり、地元の公立中学だけは死んでも行きたくなかったので、以前から取り組んでいた中学受験に本格的に取り組みました。
結果として、第1志望は落ちましたが、それ以外は受かりました。志望校コース的なとこ一緒に通ってた友達は受かってたけどそこまで苦しくなかった。試験受け終わってこれダメだな、ってなってたから。でも辛かった。同じクラスで自分だけが第1志望に受からず(恐らく)、塾の卒業パーティーは行かなかった。
そして中学入ってからも暴力の癖は直らず、周りに迷惑をかけ続けた。そして、中学3年間を最悪にした一番の原因の先生に出会う。(担任になる)
その先生は典型的な熱血系の先生で、当時本当に辛くて記憶から大半が抹消されてるんだけど、まあとにかく死んでくれと思っていた。
どれくらい酷かったかというと、中1の終わりに、『今日誰とも話さなかった!』とか思ってたこととかですかね。精神障害者かよ。
中2になると、先生はまともになったが、今度はガイジクラスの一員(ほかの学校は知らないけど、自分の学校は問題児を固める傾向にある)になってしまった。たぶん中1の担任のせい。〇ね。
いい人もいたが、半数ぐらいは相性が悪く、しょっちゅう喧嘩だったりを繰り返してた。このころも同じように記憶にあまりない。そして、原因も忘れ去ってしまったが、半年くらい不登校になった。
ここまで書いてなかったが、自分はゲームが好きで、親に妥協してもらって買ってもらったiPodで遊びまくってた。異常なレベルで。そして不登校近く?から数年ドハマり続けるゲーム(ソシャゲ)に出会ってしまった。
(この書き込みの趣旨とあまり関係ないので、詳しくは控えますが、そのゲームは後々また出てきます。)
いつ行ったかすら覚えてないが、精神科にある程度行った。鬱みたいな症状診断されたっけな。たぶん。
不登校はとりあえず切り抜けて(どうやったかすら覚えてない)、中3になった。
この頃くらいにようやく暴力の癖が抜けて(どうやったか覚えてない)現実にようやく少し溶け込めるようになったが、問題が。
クラスに余計なことをしたり、自分がしないでと言ったことを勝手にやって『お前が悪い』みたいな態度でいたり、ただただ嫌だった。最後は勝手に向こうが呆れて干渉しなくなった。そのくせに某行事では自分のグループを受け持ってきたり、精神が壊れそうだった。
その中、唯一の楽しみが先程話題に出したゲームだ。ハマりにハマっていわゆるトップランカーのレベルまでなった。
そのゲームは続けつつ、高1になった。
ここからクラスにも教員にも、相当マシな人間が多く、気分は楽だったが、ここまでクソッタレな人生だった自分には、友達は誰一人いなかった。みんなしょうがなく関わってるか、興味がないだけだった。現状を打破しようとしても時間が浪費され、その鬱憤をゲームで晴らしていただけだった。
でもその興味がないなりに気遣ってくれて、嬉しかった。
高1の夏休み、ゲームで、人間関係でこじれてしまい、ゲームを辞めてしまった。Twitterなども人間関係も全部なくした。そのとき何故かわからないが、自分は壊れてしまったのだと思う。
夏休みが終わってから、なぜ思ったかはわからないが、リアルに向き合おうと、できることをやった。
全く意味のない授業の板書、人間関係、その他もろもろ、やっていたんだと思う。だが少しだけ前のゲームをやっていたりした。
そして高2になり、覚悟を決めて、そのゲームをまた辞めて、受験に向き合うことにした。(当時偏差値40くらいかな、やばいでしょ)
あとは高2は勉強だらけだから略。人間関係もマシにはなったが中1のころの遺産があった程度。
そして高3になり今に至る。
受験は自分の存在証明みたいなスタンスで、受からなかったらセンター改革の件もあるからヤバいが、なんだかんだ楽しくやれている。
周りは某大学志望だらけなので、そこはやめて成績的に自分が有利な大学にした。
友達もいるが、心の奥底で誰も信用できないし、からっぽな自分がそこにいるだけ。
親は中1から中3あたりは本当に酷かったが、高1で自分でどうにかした。どうしたかは覚えてない。
勉強出来なきゃ本当に人生終わりそうなので、勉強を頑張りたい。だから明日からスマホを、最近話題になったタイムロッキングコンテナを使って自制してみようと思う。
だけど人間性は残ってるから、少しだけ人に認められたかった。自分は自分に、受験に受かってようやくスタートラインとしか評価できない。
3月入ってから2週間も経っていませんが、すでに第1志望の会社に落ちました。とても辛いです。
どうせもう縁が無いだろうからぶっちゃけると某アイドルゲームを作ってるB社です。
割と前から就職したいと思っていて、インターンシップにも参加して、早期応募で採用面接等を受けました。
1次面接からずっと「この会社とは何かズレてる気がする。人はめっちゃいいけど、なんか違う。」って心のどこかで感じてたんですよね。
ただ、まあ割と楽に最終の役員面接まで行けたので上手く行くと思ってました。
はい、最終で落とされました。この会社は割と早くに連絡をしてくるので1週間近く経ってる時点で怪しいとは感じていました。
お祈りメールを受け取ったときもそこまで落ち込みませんでしたね。割と自分的には鬱になるのでは?ぐらいに考えていたのですが、あっさり受け入れました。
で、その会社が第1志望ですでに選考を受けていることは親に伝えていましたから、結果を報告しました。
すると「ちょっとゆっくりしてから探したらいい。最悪、院に行ってもいいから。」と言われました。
正直、お祈りメールを受けたショックよりこの親の優しさに泣きそうになりました。
よく考えると僕が何かの選考で落ちるって相当久々なんですよね。
僕は中学受験をしましたが、その学校には割とすんなり入ることが出来ましたし、大学もあまり苦労せずに入ることが出来ました。
多分、そういう事情を知っているからこそ優しくしてくれるんだと思っています。
親って大切にしないといけないですね。昔、迷惑を相当かけたので本当に申し訳なく感じます。
ただ、実を言うとB社を受ける前に某白猫とか黒猫とかが付くゲームを作っているC社も受けて落ちてます。
ただ、ここは第1志望では無いですし、元々インターンシップに応募して落としたにも関わらず新卒採用受けてくれとかいう謎なことを言ってきたので試しに受けたという感じなので、ほぼほぼノーカンです。
さて、ここからが本題です。第1志望を最初に受けて、ここが通れば他の選考を受ける必要が無いと考えていたので、落ちた後のことを何も考えていません。
なのですが、本当にこれでいいのか迷っています。
今までの人生を振り返った時にゲームをそこまでやってきたかと言われたら、やってないとはっきり言えるレベルでやってません。
ゲーム自体は好きなんですけど、自分でプレイするのがとても苦手です。誰かがプレイしているのを見たり、自分でゲームを作ってみる分には結構面白いと感じるのですが。
ただ、今までゲームをそんなたくさん作ってきたかと言われてると、これも作ってないとはっきり言えます。
基本的にアイデア力が無いので、「こういうゲームがあると面白いかも」みたいなのが全然思いつきません。ただ、他人の意見を聞いてそれにアドバイスみたいな感じで意見を出すのは割と得意だったりします。
さて、こんな僕にゲーム業界でゲームを作ることが出来るのでしょうか?もっとゲームが好きで昔から色んなゲームをプレイしてきたっていう方のほうが向いてると自分では思います。
でも、他に興味がある業界がありません。自分で作ってきたものには、機械学習を用いた画像認識やWebアプリケーションなどがありますけど、これを仕事にしたいとは全く思っていません。
自分は飽きやすいので興味が無いことを始めたとしてもすぐにやる気が無くなります。多分、半年ももたないと思っています。
だからこそ、少しでも興味のあるゲーム業界を目指しているのですが、現実はとても厳しいものです。
自分がやりたいことも割とここ数年の間にコロコロ変わっているので、ゲーム業界に就職したとしても5年10年後には多分違うことをやりたいと思っている気がするのですが。
あと、もう1つ悩んでいることがあります。勤務地です。
B社を志望していたときは「絶対東京がいい」みたいなことを考えていたのですが、落ちてから冷静に考えると「別に東京じゃなくてもよくない?」ってなってきています。
正直、東京はたまに行く分には楽しいのですが、住むかってなるとなんか違う気がします。
ただ、イベントとか趣味関係(B社の某アイドルゲームですw)を考えると東京近郊に住んだほうが楽なんですよね。
今は実家の近くである大阪を中心に会社を探しています。あんまりないんですけどね。
いっそのこと全然違う場所に就職するのも面白いと考えています。例えば、金沢にあるD社とかはエントリーを考えていたりします。
どこで就職しても難易度はあまり変わらないとは思いますけど、東京よりかはちょっと離れた場所のほうが楽なのかなとかは思ったりします。
さて、ここまで色々書いてきましたが、多分殆どの人が「こいつ、文章書くの下手くそだな」って思っていると思います。自分でも思っているぐらいですからw
文章力が無いとエントリーシート書くのもなかなか辛いんですよね。
てか、自己PRとか志望動機とかってどうやって皆さんひねり出しているんですかね。正直、第1志望以外はほぼ適当に見つけた会社なので、志望動機なんて書けないんですよ。
エントリーシートを書いていると自分が今までどれだけ何もせずに人生を過ごしてきたかがよく分かります。
結局、自分がやりたいことを見つけることが出来ず、特にこれと言って特別なことをしてこなかった人には就活というのはとても辛いものということを少し実感しました。
「就活なんてまだ始まったばかりなのに何言ってんだ、こいつ」と言われるかもしれません。ですが、第1志望をすでに落ちている身としては今後の就活なんて消化試合みたいなものです。やる気なんて全く出ません。
親に言われた通り、院に進むのも手だとは思っているのですが、今の研究室でやっていることを院に進んでまでやりたいか?ってなるとやりたくないです。
大学3年生なので、さすがにそろそろ就活を本格的にやっていかないと思っている。
自分が狙っているのはゲーム業界であり、実力が割と重要視される業界である。
実は去年インターンで行った会社にすでにエントリーしており、次が2次面接である。
1次面接をなんとか乗り越えることが出来たからよかったのだが、2次面接と言えば大体はエンジニア面接である。
1次面接は志望動機などの技術以外のことを多めに聞かれるが、2次はエンジニア面接なので専門的なことを聞かれる。
もちろん今まで作ってきたものは色々あるので知識が無いわけではない。
ただ、言語などの学習スタイルが基本から身につけるのではなく、作りたいものを考えてからそれを実現するためにググりながら試行錯誤で学んでいくスタイルなので割と基本的なところを適当に覚えていたりする。
きちんと動けば特に問題は無いと考えながら生きてきたので、質問にはとことん弱いのである。
言語仕様やアルゴリズム、プロトコルなどについていろいろ質問されたのだが、ほとんど答えることが出来なかった。
これがトラウマになっており、すごくエンジニア面接に対して怯えている。
現在エントリーしているこの会社が自分の第1志望であり、もっと言うならこの会社以外に興味のある会社がない。
なので、ここで不採用になったら立ち直れない気がする。
割と自分としては向こうに好印象を持たれている気がするが、あてにならない。
不採用になったら、そのときは本当にどうするべきか考える必要がある。
興味がない会社に対して、志望動機を書けない。適当に書けたとしても面接で困る。
世間には真面目に働く人が沢山いて驚く。学生時代のバイト先の店も、非正規なのに真面目に接客する労働者が多くいた。就職先でも、2次請3次受けのメンバー達がしっかりと成果を出してくれている。いずれの人たちも、年齢と労働時間に見合った適正な賃金を得ているとは思えない。(一応免責しておくと、私にはまだ契約周りの裁量権がない。)
一方の私は不真面目で、人生で頑張った事といえばそれこそ2,3年間の受験勉強と数ヶ月間の就活の思い出くらいしかない。しかも受験は失敗し、第1志望とは程遠いランクの大学で妥協した。部活などもロクにやってこなかったので、面接では適当な嘘のエピソードを披露してそれなりの会社に潜り込んだ。仕事も完全にやる気がないし、適当にこなしている。
私には、どこにでもいる普通の人達がみんな真面目で勤勉過ぎるように見えてならない。正直何考えてるのか分からなくて恐ろしい。どうして?どうしてみんな、そんな条件の悪い仕事に懸命に従事しているんだろう?仕事が好きなのか?学生時代はその勤勉さをどこに向けてたんだろう。スポーツなどの活動に打ち込んでたのかな?なんかもっと、一発逆転とか狙いたくならないんだろうか。不条理さとか感じないのかな。本当に不思議だ。
今までの人生を振り返ってみて、やはり最初に思うのは「失敗だった」ということです。何が失敗だったか、どこからが失敗だったか。色々と考えてはみますけれど、明確に何が、どこからが、というのはわからず、強いて言うのであれば最初から、何もかもが失敗であったと思います。
幼稚園に通っていた頃、私は1人で遊ぶのが好きな子だったそうです。みんなが仲良く遊んでいる中、1人でいたのだと。そのような記憶は自分にはありませんが、今考えれば納得はできます。私の社会性の無さというものはその時点で明確に顕れていたのだと思うのです。
小学生の頃の記憶はあまりありません。あったとしても、嫌な思い出ばかりです。途中まではそれなりに、上手くやっていたかもしれません。私の社会性の無さ、性格の歪み、それらを隠すことが出来ていました。しかしそれらが露呈する出来事がいくつかありました。
一つ目は、小学五年生の頃だったかと思います。転校してきた男の子に、何故か好かれました。私も小学生でしたから、好かれていると思うと、相手が気になります。それが恐らくクラスの女子の気に障ったのでしょう。色々なことを言われました。一番言われたのは、男好き、ぶりっ子などという言葉です。
私は、クラスの女子のように、教室の隅に集まってコソコソと話すのが好きではありませんでした。外に出て、ドッジボールやバスケットボールをするのが好きでした。だから、男子と遊んでいました。それだけです。そこに男子に好かれたいなどという気持ちは一切無く、ただ自分のしたいようにしていただけなのです。それでもやはり、男好き、ぶりっ子と言われます。ですから、言葉遣いを男子のようにしました。今思えば、くだらない反抗心のようなものだと思います。勿論無駄でした。
二つ目も、小学五年生の頃です。クラスに虐められている子がいました。クラスの女子のほとんどが加害者でした。ほぼ傍観者であった私と2人を除いて、無視をしていました。その件は、クラスの女子全員が、被害者の家へ直接謝りに行くことで収束していきましたが、その時私はとても白けた気持ちになったことを覚えています。私がもしその子だったら(勿論私はその子ではないので勝手な推測でしかありませんが)、自分を虐めてきた相手が家まで押しかけてくる、なんて状況には耐えられません。この人達はドラマか何かの見過ぎなのではないか、この一連の状況を映画のワンシーンだとでも思っているのではないか。この頃から私は、心の底からクラスの女子を見下すようになりました。しかし、どんな理由があろうとも、こうやって他人を見下すこと自体、性格が歪んでいるのです。それに、最近まで気づくことが出来ませんでした。
中学生になり、女子校に進学しました。勉強をしていなかったため、第1志望の中学は不合格でしたが。
中学一年生の夏、知り合いの、特に付き合っていない男子に、セックスがしたいと言われました。断ったら嫌われると思い、了承しました。けれど、直前になって怖くなり、何も言わず約束を破りました。嫌われてもいいから、逃げたかったのだと思います。そこまでは良かったのですが、それを母に知られました。私が学校の宿泊行事に行っているあいだ、携帯のメールを見られたのです。妊娠してるのではないかと泣かれました。あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます。もちろん私がすべて悪いのですが、それ以降、なんとなく家族と距離を置くようになりました。
もともと小学生の頃、塾での成績が悪く、そもそも勉強していなかったことに対し叩かれたり、怒鳴られたり、やはりそれも私がすべて悪いのですが、そういったことがあったために家族とはそこまで仲がよくありませんでしたし、正直苦手でした。
話が逸れましたが、中学、高校はとても楽しかったのです。人生のピークだったように思います。私が私が友人だと思っている相手に友人だと思われているか。そういったことはここでは考えないようにします。中高と、友人に恵まれていました。
ただひとつ失敗があったとすれば、高校二年生のときです。ある人と付き合いました。その理由は、今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけです。そんな理由ですから、勿論振られました。振られて、精神を病みました。私が悪いにもかかわらず。病みたいのは相手の方だったでしょう。そのとき私は死のうと思いました。けれど死ねなかった。ここで死ななかったのが、最大の失敗です。
暫くして大学生になり、新しく異性の友人ができました。その友人と付き合うことになりました。これも今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけの理由です。何度も喧嘩して、頼み込んで復縁して。それを繰り返していくうちに、本当の終わりが来ました。思いの外すぐに立ち直り、1人でいるのも意外と良いものだと思いました。その過程で、今までの自分がどれだけ他人を傷つけ、苦しめ、依存し、時間を奪っていたのか、自覚しました。もう人と付き合うのはやめよう。そう思っていた矢先、別れた相手から連絡がありました。復縁したいという旨の連絡です。
その頃には私は自分にはなんの価値もないのだということが理解出来ていましたから、断るつもりでした。しかし、断ったことで相手を不快にさせていいだけの価値も、私にはありません。ですから曖昧な返事をし、気づけば付き合うことになっていました。
けれど相手にはもっと相応しい相手がいます。私といても幸せになれません。ですから、思い切って別れを切り出しました。
そして、4月から社会人になりました。私は仕事ができません。心も弱いです。他人が耐えられることに、耐えられないのです。
何より辛いのが、無価値な自分が、何も出来ない私が会社にいることで、他人に迷惑がかかっていることです。
私さえいなければ、上司も気持ちよく仕事ができるのに、私がいるせいで、注意をしなければいけない。ヒヤヒヤしなければいけない。余計な時間を使わせてしまう。
ここまで書いて、何を言いたいのかわからなくなってきました。
ただただ私は、消えたいだけなのです。こういった場所にこういったことを書けば、じゃあ消えろ、死ね、メンヘラと言われることはわかっているのです。全て分かった上で書いています。
迷惑をかけるくらいなら、生きていたくない。けれど死ぬのは怖い。
人と付き合いたい。誰かひとりに愛されたい。けれど付き合えば必ず不幸にする。私の心に問題があるから。
親孝行をしたい。けれどできない。私は結婚も出来なければ、幸せそうな顔を繕えるほどうまく生きられる人間ではないから。
親孝行もできず、付き合えば相手を不幸にし、働けば他人に迷惑をかけ、挙句の果てにはこうやってインターネットにどうしようもない文章を放り込む。
もっと書いてすっきりしたいことはあったはずなのですが、思い出せません。これだけ長々と書いて、言いたいことはこれだけです。
どうすれば、うまく生きられるのですか。
私はあの大学アメフト問題について、当該の学生たちは大変だろうな、と思っている。それは自分の中学生時代を思い出したからだ。
特定を避けるために細かいところはぼかすが。あるジャンルの部活で昔は全国大会で何連覇とかしていた、かなりの有名中学校。我々はその《すごかった時代》が終わって10年とか以上してからの入学生だった。
昔、そんなことがあったなんて知らないで入学してなんとなく入部して。でも伝統の誇りとか、部活の決まりとか、先輩との上下関係の厳しさとか、卒業生に練習を見ていただけるように連絡を取るとか、システムだけは生き残っていた。
公立中学だから先生は何年かしたら変わるわけで、あのすごかった時代の先生はすでにまったく関わってなくて、ただシステムだけが生徒から生徒、先輩から後輩に託されて、黙々と動いていた。
でも、自分の世代は、そんなにもう全国大会とか行けるようなレベルになれるとは思えなかった。もちろん、一生懸命に練習してはいるけど、行けるレベルは中学生なりに分かっていた。先生もその部活のジャンルの専門家というわけではないし、コーチも来てくださってはいたけど、やっぱりあの《本当にものすごかった》頃を再現できるとは思えなかった。
3年生が引退して部を引き継いだとき、自分たちにできることは、今はもう意味のなくなった理不尽な厳しさを捨てて、自分たちの下の世代を、もっとのびのびとさせてあげることじゃないかとみんなで考えた。先輩のことは尊敬もしているが、一方で相当に嫌な思いもしてきたからだ。顧問の先生ともそのような方針で一致した。先生も生徒同士で勝手に厳しすぎて、中学生らしくないとお考えだったのだ。
3年生の春になった。部活の決まりや理不尽な様々なこと、厳しすぎる上下関係について、新1年生にはそういうことを教えなかった。新2年生にははっきりとは方針を言わなかったが、秋の引き継ぎの時からの空気感でなんとなく伝わっていたようだ。おかげでやりたいことをのびのびと後輩と仲良くやれた。そのせいで1つ下の同性の後輩に恋までしてしまい、告白したが前向きに玉砕したのも今ではいい思い出だ(Tさん、あの時は心底から困らせてしまって本当にごめんなさい。でも笑って許してくれた素敵な後輩で、自分だったらああは対応出来なかった。今でも誇りに思っています)。
さて…夏の大会もそれなりに完全燃焼して終わり。やっぱり勝てなかったけど、それは後悔していない。
大会の翌日、荷物を取りに登校したら、先生が職員室で事後処理をしながら妙にサバサバニコニコされていた。
何十代も先輩から引き継いで来たものを勝手にぶち壊しにした自責感、楽な方向に逃げて卑怯だったんじゃないかという気持ちはずーっとあって、相当に悩んでいたから、先生には本当に救われた。
我々は2年生後半に部を引き継ぎ、夏の大会までの1年間、そしてその先も、卒業生の皆様方とまったく連絡を取らなかったわけで、色々と薄情者と思われてしまっただろう。それも覚悟の上の決断だった。全国大会で成績を残す、古豪復活、ということを夢見ないではなかったが、それよりも自分たちの足元を見つめての活動だった。先輩方には大変な非礼だったかもしれない。でも、現役生としては実りのあることができたんじゃないかと思う。
秋になり、部活の運営はTさんたち、我々よりもしっかりした頼れる後輩たちに安心して託した。それでも練習だけは受験ギリギリの11月下旬までやらせてもらい、なんとか第1志望、地区内公立での最難関高校に合格した。その高校は特にこの部活の強豪というわけではないが、その顧問の先生は形だけ見守る感じで、生徒は自分たちのペースでじっくり研究しているスタイルが気に入っていた。その高校でその部活をやるためだけを考えて、3年生の春からの部活と受験勉強とをしていたから、本当にうれしかった。ジャンルは野球では無いが、ちば先生の《プレイボール》に運営の雰囲気は近いだろう。まあ、あんなに夜中までとか練習しているわけではなかったけれど。おかげで、今でもそのジャンルのことは大好きだ。
ところで、あの時の中学の顧問の先生は、我々の入学と同時にうちの学校に着任され、我々の卒業と同時に退職された。我々が最後の生徒たちになるって、もしかしたら早くお決めになられていて、だからあの夏の大会の翌日、妙にサバサバされていたのかもしれない。
我々の卒業後。3年になったTさんたちは、新任の顧問の先生がこのジャンルの経験者だったこともあり、のびのびと前向きな努力で地区大会で勝てたと聞いた。大会を見てはいなかったが、自分のことのようにうれしかったし、やっぱり我々の決断は間違っていなかったと思った。あのまま厳しさを貫いていたら、Tさんたちはこのジャンルを嫌いになってしまったかもしれなかったから。
長くなった。
あのアメフト部とは状況は全然違うけど、伝統を捨てたら捨てたで、そのジャンルを追求する熱い日々は待っていてくれるに違いない。
なんのジャンルの部活にしても、みんなでそれを追求し、熱くなれるのには変わりはないはずだ。
彼らがどうか、前向きな大学生時代をまっとうできるように祈りたい。
私などには想像も出来ない、大変な経験をなさっていると思う。どうかこれが、学生の皆さんの人生において、良き糧になりますように。
就活解禁して何ヶ月か経ったけど、いまだにやりたい仕事が見つからない。
大手企業に入りたいなんていう夢を持っているわけでもなかったので、いわゆる「努力」は全くしていない。
適当に行ったインターンの合説で、適当に椅子が空いてた企業のブースにいくつか座り、適当にインターンに応募し、そのまま選考に進み、2社から内定をもらった。片方は蹴ったけど、今内定を持っているほうの企業は(知名度はどうだかあんまりよくわからないけど)業界ではそれなりに功績のある企業らしい。
説明会も人並みに数はこなした。3月は毎日スーツ着て、いろんなところに行って、たくさん応募した。毎日緊張してたけど、新しい企業と出会えるのは結構楽しかったし、なんとなく面白そう?と感じた企業もあった。でも ESや履歴書はかなり我流で締め切り前日とかに書いてるクズだったのでそこで落ちたり面接落ちしたり。
上記の企業の内定をもらったのは3月末と4月のあたま。応募してた企業が少なかったのかな、4月中に選考がほとんどなくて、ぼーっとした毎日を過ごしてたら、就活飽きちゃった。
というのも、第1志望というものを決めていなかったからで。失敗するのがすごく怖い人間だから、絶対にここに行きたい!って決めちゃったら、そこに行けなかった時に立ち直れなくなるのが目に見えてて。あえて第1志望は決めておらず、軸も決めないでがむしゃらに気になった企業に応募してた。というか本当に自分の好きなものが分からなくて第1志望なんて決められるはずがなかった。
だから就活の終わりを決めてなくて、いつまでやればいいのかわからなくなった。今は、親からは「まだ就活続けるんでしょ?」ってプレッシャー与えられてるし、まわりの友達もまだもう少し選考ある〜!って言ってて、ここで終わらせたら社会不適合者なのか?とか、諦めてるだけなのかな?とか、会社に入ったらもっと他の会社にすればよかったって後悔することになるのかな?とか、ぐるぐるしてきちゃって、もうわからない。内定先からは承諾書を求められ、5月中に懇親会をやりますと言われ、完全に囲い込まれている(承諾書は法的なものでないから後から断れるというけれど、就活生側にだって良心はあるし、断ってしまったら筋が通らないと思う)。これから先、また選考受けて、全落ちして、結局今内定もらってるところに行くことになったら、その選考のために費やすこれからの数ヶ月全部無駄になるかもしれないと思うと、新しく他の企業に応募するのを躊躇ってしまう。
というか、今の時期から説明会から始めるの、めちゃくちゃ面倒くさい。経団連のスケジュール通り6月から説明会開始する企業もあるけど、就活生の感覚的にはかなり遅いよ!って感じ。自分は1月くらいからインターン参加したりしてたけど、そこから数えると半年近く就活してることになる。もっと前からインターン行ってた人もごまんといる。その人たちは長ければ1年近く就活してることになるわけだ。無理。企業からのメールを開く時の心臓が破れそうなほどの緊張の瞬間、お祈り文を見た時の悲しさ、何がダメで落ちたんだろうって悶々とする時間、面接で待ってる最中に言いたい内容を反復すること、グループワークで全く初対面の人たちと楽しくもないことを話し合わされて愛想笑いすること、大学の講義の数倍メモをとらなくちゃいけない説明会、煽られまくるwebテスト、出題意図が皆目検討もつかない意味不明のwebテスト、他にもたくさんあるけど、全部何も楽しくなかった。これをもう一度、同じモチベーションとクオリティでやれと言われても不可能。何を求めて就活しなきゃならないんだろう?それがわかる人や定まっている人はモチベーションを保っていられるのかもしれないけど、好きなことややりたいことがない自分にはもう続けられる気力もないし、目処も立たない。
就活してると、まるで就職することがゴールのように思えてくる。でも実際は、その後にどう働いていけるのかが問題。そこの点は、就活生には曖昧なデータでしか与えられない。開示していない企業だってある。会える社員も、ほぼ愛想の良い面接官だけ。そんなんで御社のことがわかるわけないだろ!自分がこの会社に入ってどう働かせてもらえるかなんて、面接官も教えてくれない。
だからこそ、この内定をどうすればいいのかわからない。ここで決めてしまっていいのか、まだ就活を続けなくちゃならないのか。自分でも半々の考え。決められない。内定をまだ持っていない人からしたら、贅沢な悩みだと言われてしまうかもしれない。ごめんなさい。それでも悩んでいるんです。自分はこれからどうすればよくて、どうなっていってしまうんだろう。