今までの人生を振り返ってみて、やはり最初に思うのは「失敗だった」ということです。何が失敗だったか、どこからが失敗だったか。色々と考えてはみますけれど、明確に何が、どこからが、というのはわからず、強いて言うのであれば最初から、何もかもが失敗であったと思います。
幼稚園に通っていた頃、私は1人で遊ぶのが好きな子だったそうです。みんなが仲良く遊んでいる中、1人でいたのだと。そのような記憶は自分にはありませんが、今考えれば納得はできます。私の社会性の無さというものはその時点で明確に顕れていたのだと思うのです。
小学生の頃の記憶はあまりありません。あったとしても、嫌な思い出ばかりです。途中まではそれなりに、上手くやっていたかもしれません。私の社会性の無さ、性格の歪み、それらを隠すことが出来ていました。しかしそれらが露呈する出来事がいくつかありました。
一つ目は、小学五年生の頃だったかと思います。転校してきた男の子に、何故か好かれました。私も小学生でしたから、好かれていると思うと、相手が気になります。それが恐らくクラスの女子の気に障ったのでしょう。色々なことを言われました。一番言われたのは、男好き、ぶりっ子などという言葉です。
私は、クラスの女子のように、教室の隅に集まってコソコソと話すのが好きではありませんでした。外に出て、ドッジボールやバスケットボールをするのが好きでした。だから、男子と遊んでいました。それだけです。そこに男子に好かれたいなどという気持ちは一切無く、ただ自分のしたいようにしていただけなのです。それでもやはり、男好き、ぶりっ子と言われます。ですから、言葉遣いを男子のようにしました。今思えば、くだらない反抗心のようなものだと思います。勿論無駄でした。
二つ目も、小学五年生の頃です。クラスに虐められている子がいました。クラスの女子のほとんどが加害者でした。ほぼ傍観者であった私と2人を除いて、無視をしていました。その件は、クラスの女子全員が、被害者の家へ直接謝りに行くことで収束していきましたが、その時私はとても白けた気持ちになったことを覚えています。私がもしその子だったら(勿論私はその子ではないので勝手な推測でしかありませんが)、自分を虐めてきた相手が家まで押しかけてくる、なんて状況には耐えられません。この人達はドラマか何かの見過ぎなのではないか、この一連の状況を映画のワンシーンだとでも思っているのではないか。この頃から私は、心の底からクラスの女子を見下すようになりました。しかし、どんな理由があろうとも、こうやって他人を見下すこと自体、性格が歪んでいるのです。それに、最近まで気づくことが出来ませんでした。
中学生になり、女子校に進学しました。勉強をしていなかったため、第1志望の中学は不合格でしたが。
中学一年生の夏、知り合いの、特に付き合っていない男子に、セックスがしたいと言われました。断ったら嫌われると思い、了承しました。けれど、直前になって怖くなり、何も言わず約束を破りました。嫌われてもいいから、逃げたかったのだと思います。そこまでは良かったのですが、それを母に知られました。私が学校の宿泊行事に行っているあいだ、携帯のメールを見られたのです。妊娠してるのではないかと泣かれました。あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます。もちろん私がすべて悪いのですが、それ以降、なんとなく家族と距離を置くようになりました。
もともと小学生の頃、塾での成績が悪く、そもそも勉強していなかったことに対し叩かれたり、怒鳴られたり、やはりそれも私がすべて悪いのですが、そういったことがあったために家族とはそこまで仲がよくありませんでしたし、正直苦手でした。
話が逸れましたが、中学、高校はとても楽しかったのです。人生のピークだったように思います。私が私が友人だと思っている相手に友人だと思われているか。そういったことはここでは考えないようにします。中高と、友人に恵まれていました。
ただひとつ失敗があったとすれば、高校二年生のときです。ある人と付き合いました。その理由は、今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけです。そんな理由ですから、勿論振られました。振られて、精神を病みました。私が悪いにもかかわらず。病みたいのは相手の方だったでしょう。そのとき私は死のうと思いました。けれど死ねなかった。ここで死ななかったのが、最大の失敗です。
暫くして大学生になり、新しく異性の友人ができました。その友人と付き合うことになりました。これも今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけの理由です。何度も喧嘩して、頼み込んで復縁して。それを繰り返していくうちに、本当の終わりが来ました。思いの外すぐに立ち直り、1人でいるのも意外と良いものだと思いました。その過程で、今までの自分がどれだけ他人を傷つけ、苦しめ、依存し、時間を奪っていたのか、自覚しました。もう人と付き合うのはやめよう。そう思っていた矢先、別れた相手から連絡がありました。復縁したいという旨の連絡です。
その頃には私は自分にはなんの価値もないのだということが理解出来ていましたから、断るつもりでした。しかし、断ったことで相手を不快にさせていいだけの価値も、私にはありません。ですから曖昧な返事をし、気づけば付き合うことになっていました。
けれど相手にはもっと相応しい相手がいます。私といても幸せになれません。ですから、思い切って別れを切り出しました。
そして、4月から社会人になりました。私は仕事ができません。心も弱いです。他人が耐えられることに、耐えられないのです。
何より辛いのが、無価値な自分が、何も出来ない私が会社にいることで、他人に迷惑がかかっていることです。
私さえいなければ、上司も気持ちよく仕事ができるのに、私がいるせいで、注意をしなければいけない。ヒヤヒヤしなければいけない。余計な時間を使わせてしまう。
ここまで書いて、何を言いたいのかわからなくなってきました。
ただただ私は、消えたいだけなのです。こういった場所にこういったことを書けば、じゃあ消えろ、死ね、メンヘラと言われることはわかっているのです。全て分かった上で書いています。
迷惑をかけるくらいなら、生きていたくない。けれど死ぬのは怖い。
人と付き合いたい。誰かひとりに愛されたい。けれど付き合えば必ず不幸にする。私の心に問題があるから。
親孝行をしたい。けれどできない。私は結婚も出来なければ、幸せそうな顔を繕えるほどうまく生きられる人間ではないから。
親孝行もできず、付き合えば相手を不幸にし、働けば他人に迷惑をかけ、挙句の果てにはこうやってインターネットにどうしようもない文章を放り込む。
もっと書いてすっきりしたいことはあったはずなのですが、思い出せません。これだけ長々と書いて、言いたいことはこれだけです。
どうすれば、うまく生きられるのですか。
とりあえずバズらなかったからって未練がましく再投稿するのをやめよう
ごめん、元の増田とは別人です 目の前で消えたからもったいないしサルベージしました
人に依存しようとするな。 他人のせいにするな。 自分で決めて行動しろ。
三行