はてなキーワード: 競技者とは
ゴルフのような繊細なスポーツでは、しばしば体が動かせないという症状が発生する。
これはプロゴルファー特有の症状で、アマチュアゴルファーには無縁である。
なぜプロゴルファーに発生するのか?
それは、プロとして一流になればなるほど大事な局面でミスをするという失敗体験が積み重ねられるためである。
ミスの蓄積が脳にインプットされ続けることによって、脳の信号にエラーが起こる。
すると正常な動きができなくなり、一流のプロゴルファーが素人のようなミスをする。
これは恋愛においても見受けられる。
俗にいう「こじらせ女子」「こじらせ男子」は医学的にはイップスの症状と合致する。
アメリカ・ミネソタ州の大病院メイヨー・クリニックの研究では、すべての競技ゴルファーのうち33 - 48%にイップスの経験があるという。
また、イップル発症ゴルファーの過半数以上が25年以上プレーしている熟練競技者であった。
偶然なのか、「こじらせ女子」「こじらせ男子」の恋愛経験も25年以上だという説が濃厚だ。
14才、中学二年生の時に初恋をしたと過程すると25年後には39才。
その間、数多くの出会いと別れを繰り返すことによって脳が恋愛に対して正常な信号を送れなくなる。
発症者は、周りの者から「こじらせ女子」「こじらせ男子」などと揶揄され、人間的に問題があると誤解を招くなどの弊害をきたす。
ほぼタイトルで言い切ったけど補足。
フィギュアスケートのように、採点競技は上位成績者等のエキシビジョンをやってほしい。
もちろん高得点の演技は高い難易度で競技者のレベル差が基本的に反映されるのは間違いない。
とはいえ、スノーボードハーフパイプの解説が話題になったように、単純にかっこよい演技や、その競技の文化性がうかがえるような渋い演技などを見てみたい。
言い過ぎなのは認めた上であえて雑に表現するけれど、採点競技はとにかくジャンプして多く回転してナンボみたいになっている。
これに高さ速さ等が加わって採点が決まる。
それもいいんだが、フィギュアスケートでの徹底してショーアップした演技とか、ハーフパイプであえて回転せず美しく高いグラブとかを見ると、
まだまだ競技には色々な魅力があることに気付くし、そのうえで大会中はこんな演技をしたんだなと分かる気がする。
あと、選手がのびのびやるところを観れるのも良い。
観客とのコミュニケーションとか、一発勝負では見れないようなチャレンジも楽しい。
id:BigHopeClasic です。
ホッテントリ入りした以下の記事は、両角友佑というカーラーの知性を示すものとして、さらに幅広く読まれてほしいと思います。
両角友佑が語るカーリング界のリアル「今の強化方法には限界がきている」
https://pyeongchang.yahoo.co.jp/column/detail/201802250010-spnavi
ただ、この記事を読む上で注意しなければならないのは、「両角とSC軽井沢の利害」と「日本カーリング界の利害」が微妙な重なり方をしていて、その切り分けを読む側が慎重にしなければならないというところにあります。この2つの利害は、かなりオーバーラップしているのですが、しかし完全に同一ではなく、そこを見誤ると、過度に両角とSC軽井沢に平衡を傾けてしまうことになります。そのことについて、補助線を引いてみたく書きました。
ブックマークコメントを読むと、多くの方が今年の日本選手権の開催日程と世界選手権の代表選考に疑問を感じたようです。このインタビューだけを読めば無理もないと思います。しかしこれが、非合理的で理不尽な決定なのかというと、むしろこれはかえって優れて合理的な選択なのです’(ただし、最後に書きますが「合理的に過ぎた」面が出てしまいました)。
私はカーリングについては素人なのですが、素人なりに日本カーリング協会(JCA)の運営に思うところがないわけではありません。高田明会長が関与していたらずいぶん違うだろうな、などということを夢想する程度には、コンテンツの魅力をフルに活用しきれていないとは思います。が、理想とは程遠く至らないところもありながら、少なくとも非競技者の目から見ては、決定的に落第の運営とまでは思っていません(知り得る情報が少なすぎるということはあります)。
で、日本選手権の日程と世界選手権の代表選考に関する話になります。過去3回の五輪年の日本選手権は、2006年、2010年、2014年と五輪後の熱が冷めやらぬ3月上旬に開催されており、五輪代表がそのまま参加していました(世界選手権の代表選考については、年によって異なります)。それをなぜ今回「五輪前に日本選手権を開催し、そこに五輪代表を参加させない」かたちに変えたのか。
まず、五輪代表と世界選手権代表が異なることについては、今年の場合でも決して珍しくはなく、むしろ例を多く見ます。次に、五輪の前に国内選手権を開催し、五輪代表をそこに参加させないという例については、カナダがその方式を採用しました。カナダは昨年12月に五輪代表選考会を行って、五輪代表チームは五輪に集中させカナダ選手権への出場を免除、カナダ選手権を五輪直前の1月末から2月に開催し、その優勝チームを世界選手権に派遣します。したがって、他にも例がある、という点では、異なことをしているわけではない、ということになります。
もちろん、世界一のカーリング大国であるカナダの猿真似だからいいのだ、という単純な話でもありません。五輪代表と世界選手権代表を分ける、という点には「より多くのチームに世界最高レベルの大会の経験を積ませる」という意味があり、日本選手権の開催時期を前倒しにするのは、「世界選手権への参加の準備に十分な時間をかける」という意味があります。
カーリングの世界選手権は毎年3月下旬に開催されますが、開催年によってその意味が全く異なります。具体的には、五輪出場権を争う「五輪前年と前前年の大会」と、それがかからない「五輪開催年とその翌年」にわかれます。前者は、その時点で国内最強のチームを派遣して、しゃにむに五輪の参加権を勝ち取りに行く大会です。他方後者は、名誉と実績という点を除けば「強化のために消費できる」大会です。国内2番手以下のチームを派遣するタイミングとしてはベストです。
そうは言っても、その世界選手権の代表選考会に五輪代表チームがいれば、そこはそれなりの確率で五輪代表チームが勝ちます。もちろん五輪代表チームを除く最上位チームを派遣する、でも構わないのですが、それはそれで差し障りもありそうです。また、五輪代表チームを除いてできた日本選手権の出場1枠を他のチームに割り振る、というのも、強化の点では意味があります。なにより、3月上旬に開催して優勝して、さあ半月後に世界選手権開催地のカナダやアメリカやヨーロッパに行ってください、となっても、みんなアマチュアですからね、そう簡単にスケジュールの都合がつくわけでもありません。五輪代表チームを除いても有力チームは準備もできるかもしれませんが、そこは一発勝負、伏兵が勝つ可能性だってあります。
というわけで、この判断自体は極めて合理的なもので、異論を挟む余地は本来ありません。あえて難じるとすれば、合理的に過ぎたことでしょうか。
今回の盛り上がり方は、単純に男女が両方出場して、かつ成績を上げて露出が増えた、という要素以上のものがありました。現場を取材する記者の記事が良質化し、それがSNSで強力に拡散する、という点がそれを強力に後押しし、より本質的な情報が多くの人に届けられたといえるでしょう。
その効果として、まさに今、このタイミングで、国内でのSC軽井沢の試合の機会を作ることは、パブリシティという観点からはこれ以上のものはなく、その機会をみすみす喪失しているように見えるからです。
さて、ここで、現状分配しうるすべてのリソースをSC軽井沢に集中させていいのか、という、悩ましい、正解の見えない問題が発生します。
今このタイミングで国内での露出機会があったとき、その果実のほとんどはSC軽井沢が持っていくことになります。それは、来季以降の活動が今の段階では確定的ではないというSC軽井沢にとっては、この上もない利益となるでしょう(2006年、2010年の日本選手権で、3位の常呂中学校(robins)、2位の常呂高校(WINS)がメディアの注目を集めた、という事実はあります。しかしそれは、彼女たちのプレイレベルと残した結果に加えて、彼女たちが女子中学生、女子高校生だったという付加的な価値も大きく寄与していました)。
誤解を避けるために言うと、両角が自己の利益だけを目的にこの発言をしたとは、私は毛の先ほども考えていません。彼は心底日本のカーリングの全体利益を考えてこの発言をしているのであり、そして言っている内容は正しいと思っています。ただ、悩ましいのは、この問題、正解が一つではなく、そしてその較量が難しいということで、そのことを心に留めないといけないということです。
部外者が立ち入れるのはここまでになります。日本選手権がない代わりに、3月14日から18日まで、青森市では日本ミックスダブルスカーリング選手権が行われます。今回の五輪から始まったこの種目、残念ながら日本は国際実績が足りず出場を逃しましたが、次の北京五輪への出場を目指して強化に入っています。この大会には、各地の予選を勝ち上がってきたペアのほか、強化委員会の推薦指定枠で日本代表から両角友佑ー吉田夕梨花、山口剛史ー藤沢五月、清水徹郎ー吉田知那美の3ペアが出場します。
推薦指定枠は昨年から導入され、早速初回で阿部晋也-小笠原歩組が優勝しています。即席の代表ペアと勝ち上がってきたペアのどちらが上に行くか、それも含めて興味深いところです。
下町ボブスレー応援キャンペーンというページで応援メッセージの寄せ書きの写真を公開している。大多数はがんばれ!めざせ金メダル!などの純粋な応援なのだが、某所で日本チームに敵意をむけた書き込みがあるとの話がでた。
8月13日に開催した「大田の工匠NTG展」のフォトギャラリー
http://hpd.co.jp/sbo/photo03.html
こうなったら ジャマイカチーム! 行け!! 打倒JAPAN~!!
打倒 JAPAN!!
http://hpd.co.jp/sbo/photo01.html
大田の工匠NTG展(NTGはNext Generationの略らしい)というイベントでの寄せ書きだ。日本代表に採用を見送られたことへの逆恨みだろう。まさかこんな事を工匠展を見に着ただけの親子連れが書いたりはしないだろうから(もし親子連れにこう書かせるような話がされてたとかならもっと怖い話だが)、下町ボブスレーの関係者が書いたと思うのが自然だろう。
勿論下町ボブスレーに関わった人全員がこんなメンタルだというつもりは毛頭ない。しかし一部には確実に逆恨みで日本負けろという空気が造成されてたのだろう。それがこぼれ出たのが寄せ書きだ。
名匠やそれを率いる人が人格者である必要性はないが、マンガ化やNHKのドラマ化などが既に行われていて後に引けない事情もあったのだろうが、競技シーン的には全く関係ないのに使わないなら違約金だと迫るのは完全にプロモーション上の失策である。失敗したなら失敗したで話のまとめようはあっただろうに、「競技の道具メーカー」としては競技者本位であるべきなのに、競技者を差し置いてメーカーが主役になることに固執した結果が一連の醜い言動に繋がっている。
構造的にはかなり違うが、プロモーションの失敗という観点では神戸のクリスマスツリーに通じるものがあるとおもってる。自分達の傲慢さに気づけない運営は大衆にそっぽ向かれるよ
箱根駅伝の問題点は、コースの特殊性と扱いの「ガチさ」が釣り合っていないことだと思う。
特殊性とは言うまでもなく山登り・山下り(5区6区)のことだ。見ての通り急坂であり、陸上競技としては一風変わっている。
このような大会もあっていいと思う。しかし、この特殊さの割に競技者の取り組み方、メディアの取り上げ方、視聴者の受け止め方が「ガチ」過ぎはしないだろうか。
つまり、現状では正統派なスポーツとして扱われているが、もう少し色物扱いの方が良いのではないか。
その度合いをほかのもので例えるなら、鳥人間コンテストと同格くらいが丁度いいと思う。
制度というより意識的な問題なので具体的な施策は思いつかないが、競技内容を変えないならこれが理想だ。
逆に「ガチさ」に合わせて競技内容を変更し、かつ「箱根」の名を残すとすると、芦ノ湖を一人あたり一周するのが良いのではないだろうか。
はっきり言えば、銃剣道自体は剣道や柔道、空手なんかと変わらないただのスポーツだ。
武道と言ったほうがいいのか。
今回、ネットで銃剣道そのものに対するネガティブなコメントが増えたが、まあ殆どは……
実戦で意味がないというのはもっと謎で、実戦とは何を想定しているのか。
日常のとっさの時に剣道や柔道や空手より役に立たないものでもない。
どうも記事を読むと「選択体育の武道で銃剣道を選んでもいいように項目を追加した」というようなことが書いてある。
どこにそんな地域があって、誰が選ぶのだ。
となると、指導法の研究会が開催され、指導要領が整備され、かなりの人手が割かれることになる。
学校は培った指導ノウハウと道具がそろっている昔からの種目を選びたいだろう。
結構な予算を投入して、人手も割いて鳴り物入りで導入した銃剣道が全国で採用数ゼロとなれば、責任問題にもなるし、単純に裁可した人物は恥ずかしい。
ここで、各県教委に圧力がかかる。
ここで考えられるオーダーは次の通り。
『各県で少なくとも3校は銃剣道を実施できるように推進すること』
実績次第で、様々な飴と鞭を用意して、どうにかそろえば全国で150校の実施となり、まあ顔は立つ。
水泳人気の向上を狙って、世界水泳連盟は競技に使用する水着の面積を小さくするよう定めた規定を今年7月に施行する見込みです。
この規定によると、競技の際、水着の面積が体の面積に対して男性は3%以下に、女性は10%以下になっていないと失格処分になるということです。
また同連盟は放送各局に対し、競技者の局部が水着から露出した場合も特殊な処理を行わず放送するよう呼びかけています。
これを受けて、大学関係者らで作る団体から風紀の乱れを指摘する意見書が同連盟と国へ提出されました。
一方で、世論調査では「非常に歓迎する」「まあまあ歓迎する」という意見が合わせて80%を超えたため、今後水泳競技の視聴率は大幅に上昇することが見込まれます。
この世論調査の好意的な結果を受けて、人気低迷に悩むマイナー競技でも競技用ユニフォームの露出を増やす動きが見られているということです。
この規定に反対する一部男性競技者が、局部を興奮状態にさせることで体の面積を増やすという事例が報告されています。
同連盟の幹部はこの問題に対して「別の意味で注目度が高まるので結果オーライだ」と語っていて、黙認する姿勢をとる模様です。
今年開催されるリオデジャネイオリンピックでは競技用ユニフォームの面積縮小傾向が確定的で、スポーツ人気がますます高まりそうです。
・1/3くらいは体育教師に
・整体師とかマッサージ師の資格取ったりしてボディメンテナンス系の仕事に就く人もちらほら
男子学生に「体力を活かして営業」という道があるのに比べると選択肢は少ないが
外から見ているよりもずっと「普通に就職」してる人は多いよ。なんだかんだで体力ある人は重宝がられる
体育会だったからイメクラに務めざるを得ないわけじゃないよね、選んだ進路や職種の問題でもある。
彼女に関しては「ハンドボールで食う」と思っちゃったのが間違いだと思う。
ハンドボールってたぶん男子選手もほとんどが食えてないんじゃないか
素直に体育大に行った方がイージーな人生だっただろうね。
いろんな分野に挑戦したけど。
結局、個人の努力なんてのは大したこと無い。
何かを成し遂げるときに、知識を整理したり、統計を取ってデータで示したり。
その集大成で出来た高速道路をいかに爆走するかってのが、若い競技者に求められていることだ。
爆走する能力も大事だが。結局後に残るのは、その過程でいかに新しいインフラを作るかだ。
この、インフラを作るってのが、いかに大事かってのを最近痛感する。
いかに分類して、整理して、データ出して、まとめるか。
研究の場合はマジの論理しかありえないが。インフラ整備の場合は、競技との擦り合わせが大事だ。
競技の理屈が論理を超える場合が多い。つまり、論理によって到達できない部分がある。
同じ体で生まれているわけじゃないから、視力がいい人でしか成立しないプレイや。身長が高い人じゃないと成立しないプレイがある。
競技者をどのような分類にわけて、どの競技者向けに技術を作っていくか、ってのはインフラを使いながら、整備する作業になる。
http://anond.hatelabo.jp/20151108234357
1)ゴール系球技
敵味方に分かれて、方形や円形に仕切られた空間にボールを通すことを目的にする球技。
たまに線上をボール保持した選手が通過しただけで点になるヤツもあるが、あれも元は「通過することでボールを通す権利を得る」ことだった。
ボールを通すことを妨害するために強力なコンタクトが発生するのが特徴で(例外として、相互コンタクトを一切禁止するゴール系球技も存在する。競技名は「玉入れ」という)、その派手さとチーム戦術のダイナミックさゆえに最も人気のある球技。
相手方の対応可能な範囲に、ボールを空中に浮かせて送り込み、それを相互に返し続けることを目的にする球技。
勝敗を絡める場合は、対応可能なボールを送れなかった、対応可能な範囲のボールを処理できなかった、一定の高さを越えられなかった(この定義のためにネットが競技場に存在する場合が多いが、例外として「羽子板」というネットの無いラリー系球技もある)、という失策に対するペナルティを得点として換算するので「相手に打たせない」ことが目的に見えるが、本質的にはラリーが続くことを理想状態とするのが、ゴール系球技との大きな差異である。また、1対1でも試合形式を行うことが可能で趣味として簡便だが、見世物としてはゴール系より若干地味。
ボールに対する操作をルールとして定義し、それを達成することに対して相応のポイントを獲得することを目的にする球技。
時に達成の定義として円形に仕切られた空間にボールを入れることを伴うが、手球へのコンタクトは競技者間で完全に独立してかつ止まった状態からの操作に限定され、ボールを争うことはなく、むしろ精密性が問われる、かなり地味な競技である。その他、ボールを当てる数のみを競うパターン、ボールを特定エリアに置く数を競うパターンなど競技バリエーションは割と多い。対人ルールで行われる際は、精密さと同時に駆け引きが重要となり、チェスに擬せられることもある。
傾向として(ラリー系競技とは逆に)ボールを転がすものが多いが、例えば大玉転がしのように浮かせるプロセスが入ったりゴルフのように長距離の場合はボールを飛翔させることもある。
相手方に対して狙撃としてボールを射出し、殲滅したり敵の数を減らしたところで旗を奪ったりすることを目的にする球技。
遊戯としては戦闘行為としてプリミティブなきらいがあるため、メジャー競技であることは少ないが、単純明快遊戯として子供を中心に楽しまれる。
ドッジボールと雪合戦が代表的だが、ある意味ペイントボール辺りも有資格者ではあるか。
これらの球技はある意味、鬼ごっこという余りボールと関係のない遊戯にラリー系球技の要素を付加したものとは言えよう。
しかし、上にラリー系球技の特徴として「相互に返し続ける」ことを目的にしていると書いたが、これらの競技では投球に対する打撃という形で、非対称な形態を取るので「ラリー」にはならない辺りが、根本的に逆行している。にもかかわらず、ある種の「打ち返せなかったペナルティ」としてのアウトや、「打球を処理できなかったペナルティ」としてのヒットにより試合が進むという点では、ラリー系球技の得点パターンを踏襲している面もあるのだ。
また、例えば校庭で女子中学生が輪を作ってバレーボールのトス上げたり、蹴鞠で貴族がボールを蹴り合ったりするようなものと近い感じで、野球ではキャッチボールなどが「ラリー的なもの」として基礎練習において尊重されるのは、こうしたラリー系の精神を引き継いだものではあるのだろう。
その意味では、広義のラリー系球技に野球は含まれるべきなのだが、一方で完全に「ラリー系球技の鬼子」と言うべき立場であるのが、特異性であるとは言える。
ただ、その特異性ゆえに、多くの球技において禁じ手となっているところの「手でボールを操作する」行為に対して非常に自由度が高いのも特徴であろう。この手のまだるっこしさを排除したスポーツとしてはアメリカンフットボールも相当に自由度が高いが、あれはあれで前パスは各ダウン1回しか出来ないし未登録レシーバーがダウンフィールドでボールを獲れないとか制約はあり、野球の自由度よりは低い。
その「投げる」自由さの代償として、その自由さを定義する中での競技者の関係の特殊性やルールの複雑さが存在する訳だが、ともかくも手という最も人間が頼りにする部位でボールを掴んでプレーしたりそれを相手に走り回ったりすることが、野球の「球技」としてのエッセンスではあろうな、とも。
ことが競技だけに、何が「公平」かが難しく問われるだろうけど、一般には『男性ホルモン(又は女性ホルモン)を一定期間(少なくとも1年以上)服用して血液検査の結果で男性ホルモンの数値、女性ホルモンの数値が他の一般男性のスポーツ競技者(又は他の一般女性のスポーツ競技者)と同一レベルの範囲内なら、性別適合手術を受けているかいないかに関わらず、本人の望む性別で大会の参加を認めるべき』みたいな意見があるようだよ。スポーツにおける「公平」についての一つの考え方として。
あと、個人的には、体と体の接触がある、たとえば格闘系のスポーツなんかだと、更に厳しいレギュレーション(あるいはお断り)をする必要も出てくるんじゃないかなと思う。
日本の皆さん、これは強い警告だ。注意して聞いて欲しい。
ついにAppleWatchの試着が開始される。そして販売も控えている。
林檎信者(以後、信者)と対林檎情強局(Counter-appleism Intelligence Agency、以後CAIA)とが日々情報戦を行っているが、ここで私が手に入れたリポートを基に、真実を明らかにしたいと思う。
当面は、強い信仰心を持つ信者と、潜入したCAIA職員のみが試着することになるだろう。
しかし、Appleの生産及び流通の強大な管理能力を考えると、一般人がデバイスを購入できてしまう可能性が非常に高い。
「何やってるの?」「ああ、政府の陰謀を明らかにする告発文を」「モルダー、あなた疲れてるのよ」
そうした場合、大抵既に引き返せないほどにAppleに侵食されてしまっている。
残念なことだが、無理に衝動を抑えても反社会的な行動を取りかねない。
症状を抑えるにはコントロール、つまりゆっくりとした減林檎が重要だ。
簡単な診断方法として、以下を参考にして欲しい。
こうした場合、かなり重篤な信者の典型的な症例であり、AppleWatch購入が薦められる。
「あら?でもiPhone便利よ」「中毒者はみんなそう言うんだよ」「今どきそんなの流行らないわよ」
ただ、先程も言ったとおり急な断薬は禁断症状があり危険である為、コントロールした減薬が必要である。
つまり、新たな信者を創りだしかねない場合は、周囲の人間が強く止めるべきである。
近親者が注意すべき、AppleWatchを購入してしまいかねない人間の特徴をリストアップする。
リストを見れば判る通り、人類に対するiPhone、つまりAppleへの普遍的な依存を促すデバイスとなっている。
「でも、医学的には定期的な運動は健康に繋がるのよ」「管理された健康は、自由の侵害だよ」「気にしすぎよ」
日本では「スマートフォンを捨て、書を読み、友と語らおう」とする演説が行われたと聞き及んでいる。
本来、会食中にメールのチェックをしたり、SNSに投稿するのはマナーに反することだ。
礼儀正しい日本人は、職場外であっても上司との食事中には時計を確認しないと聞く。
嘆かわしいことに、常にiPhoneを身につけ、常に画面を見つめる人間が増えている。
これは由々しき事態であり、そう感じる常識的な人間は幸いなことにまだ多い。
腕時計という一般的な装飾品の形を取り、iPhoneを常に腕に付けるのと同じ作用が生じる。
今までランチ中にはメールをチェックしていなかった同僚が、腕時計を見るようになる。
SNSに依存していなかった友人が、腕時計の振動を気にするようになる。
更に、スケジュールやToDoリスト、居場所やメモに至るまで、全てをAppleに委ねることを促進する。
Appleが全てを把握し、Appleがアナタに対して命令するのだ。市民、運動の時間です、と。
「ワーカホリックを増やすとする根拠は無いわ」「James E. Katz博士の論文を読んだかい?インドや韓国でも」「疫学的な論文じゃ無いわよ」
CAIA職員は、一般にはAppleの人類に対する普遍的な支配に対抗する秘密組織として認識されていると思う。
しかし、実体としては相互依存状態にあり、冷戦構造を維持することで結果的にAppleの支配を増やす方向に働く。
結論から言ってしまえば、次のような一見批判に見える情報操作は、逆にAppleWatchへの興味を引き立てる。
「そんな組織はあなたの妄想よ」「即座にこれだけの反論が付くのは常識的に考えられない」「ファンにはアンチもつきものよ」
機械式腕時計へ植え付けられた幻想(それはまさに幻想と呼ぶに相応しい市場だ)がある為、宝飾品業界や時計業界は何も言えない。
「社会人は腕時計に幾ら以上かけるべきだ」とする言説は、日本社会にも根深いと聞く。
本来腕時計はその技術やデザインに惚れ込み、統一感を持たせるための宝飾品として身につけるものだ、
そういえる界隈は、日本円にして数百万円程度では意に介さない。
15万円の玩具は高いが、15万円の機械式腕時計を保有する日本人は多いだろう。
スマートフォンを取り出すという行為が不作法に見える、依存症に見えるという風潮を作り上げる土壌となる。
非常に残念なことに、Appleデバイスの連携や連続性は偏執的なまでに高められている。
まるで後方互換性を異常に意識して継続させようとした往年のMicrosoftを観るようだ。
我々はスマートフォンを見入る相手よりも、腕時計を付けるだけの相手を好ましく思うようになる。
病的なまでに連携するAppleデバイスと、発散し続けるAndroidデバイスのどちらをより好むかの問題となる。
往々にして、運動量計のノウハウを蓄積する企業と、そうでない企業が連携し、成功する例は少ない。
iTunesの際にAppleは示して見せた。技術ではない、CDを持ち運ぶ手間は少ない方が良い。
Macの際にもAppleは示して見せた。性能ではない、最低限の機能とデザインがあれば良い。
ニンテンドーは健全に検討していると言えるが、ビジネス向きとは言えない。
運動量計のような、スポーツ製品の方が実は連携しなくても良い。
Appleがしきりに宣伝する、スポーツ選手、エクストリーム競技、健全な競技者達はAppleWatchを必要としない。
それを身につけることで、そうなるであろうというイメージの刷り込みだ。
そして、運動量を気にする、運動をしないビジネスマンが腕時計を求める。
ガジェットではなく、腕時計だ。ビジネスの場に相応しい、ギークの"好まない"装飾品だ。
そういう人種は、腕時計と玩具を比較する。そして腕時計業界の幻想に引っ張られる。
どれだけの人間が、iPhoneの足りない部分、売れない理由を考え出しましたか。
今でも単体のデバイスとしてiPhoneよりも優れているものはとても沢山あります。
しかし、バックアップが自動的に取られ、水没しても新品の交換ですぐに復帰するデバイスは少ないでしょう。
そして、そのバックアップにはPCが居るのです。AppleIDも必要でしょう。
PCとスマートフォンとタブレットと、多数の端末を同期する手間は、どれだけのものでしょう。
Appleはそれを用意し、囲い込み、自由を手放すことで安らぎを与えるのです。
「サッカー競技規則」では、ファウルが与えられる条件は「第12条 ファウルと不正行為」に書いてある。
直接フリーキック
競技者が次の7 項目の反則のいずれかを不用意に、無謀にまたは過剰な力で犯したと主審が判断した場合、直接フリーキックが相手チームに与えられる。
- 相手競技者をける、またはけろうとする。
- 相手競技者をつまずかせる、またはつまずかせようとする。
- 相手競技者に飛びかかる。
- 相手競技者を打つ、または打とうとする。
- 相手競技者を押す。
次の3 項目の反則のいずれかを犯した場合も、直接フリーキックが相手チームに与えられる。
- 相手競技者を押さえる。
- 相手競技者につばを吐く。
直接フリーキックは、反則の起きた場所から行う(第13条―フリーキックの位置を参照)。
ペナルティーキック
ボールがインプレー中に、競技者が自分のペナルティーエリア内で上記の10項目の反則のいずれかを犯した場合、ボールの位置に関係なく、ペナルティーキックが与えられる。
「サッカー競技規則」はhttp://www.jfa.or.jp/match/rules/pdf/law_soccer_all_11_2013.pdfで読める(36ページ)。
あくまでJFAによる日本語訳なので、英語版を参照する場合はhttp://www.fifa.com/mm/document/footballdevelopment/refereeing/81/42/36/log2013en_neutral.pdfの36ページもしくはhttp://www.fifa.com/aboutfifa/footballdevelopment/technicalsupport/refereeing/laws-of-the-game/law/newsid=1290868.htmlをどうぞ。
「不用意な」って何?「相手競技者を押さえる」ってどこまでしたらアウトなの?という疑問については「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」が参考になる。
ファウルとなるための基本的条件
(略)
不用意な、無謀な、過剰な力で
〝不用意な〟とは、競技者が相手に挑むとき注意や配慮が欠けていると判断される、または慎重さを欠いてプレーを行うことである。
〝無謀な〟とは、競技者が、相手競技者が危険にさらされていることをまったく無視して、または結果的に危険となるプレーを行うことである。
〝過剰な力で〟とは、競技者がはるかに必要以上の力を用いて相手競技者を負傷の危険にさらすことである。
- 過剰な力を用いた競技者には、退場が命じられなければならない。
相手競技者をチャージする
(略)
相手競技者を押さえる
手、腕、または体を用いて相手競技者の進行や動きを阻止することは、相手競技者を押さえることである。
特にコーナーキックやフリーキックのときのペナルティーエリア内の相手競技者を押さえる反則に対して、早めに介入し、毅然とした対応をすることに留意する。
これらの状況に対して、
- 主審は、ボールがインプレーになる前に、相手競技者を押さえる競技者に注意しなければならない。
- ボールがインプレーになる前に、引き続き相手競技者を押さえる競技者を警告する。
- ボールがインプレーになったのちにこの反則が犯された場合、直接フリーキックまたはペナルティーキックを与えると共に反則した競技者を警告する。
守備側競技者がペナルティーエリアの外で相手競技者を押さえ、そのままペナルティーエリア内でも押さえていた場合、主審はペナルティーキックを与えなければならない。
懲戒の罰則
- 相手競技者を押さえて、相手競技者がボールを保持することを妨げる、または有利な位置を得ようとするのを阻止する競技者は反スポーツ的行為で警告されなければならない。
- 相手競技者を押さえて、決定的な得点の機会を阻止した競技者は、退場が命じられなければならない。
- その他の相手競技者を押さえる状況では、懲戒の罰則を与えてはならない。
プレーの再開
「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」はhttp://www.jfa.or.jp/match/rules/pdf/gudelines_11_2013.pdfで読める。上の引用部分は117-118ページ。
英語版はhttp://www.fifa.com/mm/document/worldfootball/clubfootball/01/37/04/28/law12-en.pdfで読める。
シミュレーションについては「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」の123ページに書いてある。
反スポーツ的行為に対する警告
競技者が反スポーツ的行為で警告されなければならない状況は様々である。例えば、
(略)
(略)