はてなキーワード: 競技者とは
そもそもそれは「精神異常」なのか?
疑わしいな
おまえは「攻撃」と言っているが
それは単なるコミュニケーションでは?
ネトウヨのコミュニケーションは精神異常であるという学説もあるが
だが おまえはそのような具体例を示していないし
少なくともおまえが書いた例は
精神病の医学的定義はDSMなりICDを自分でググって確認してくれ
もうひとつ書いておく
何で他人の功績を自分の功績のように讃えたり、
身内の恥みたいに責め立てるのだろう
どこの誰だか知らない他人の、個人的な生活の一部なのに
この点に関しては
疑問に感じる気持ちはわからぬではない
その勝者の栄誉を称える
そのような考え方を実践することがオリンピックの理想なのだろう
その意味で考えるなら
他人の功績を自分の功績のように讃えたり
身内の恥みたいに責め立てる理由は
ということになる
理由を一般化するのは適切ではない
そもそも「個人的な生活」に
ルールは常に変化する
他人の功績を自分の功績のように讃えたり
身内の恥みたいに責め立てたい人は 好きにすればいい
世捨て人のように無関心を装って生きたい人も 好きにすればいい
そういう生き方があってもよいし どう生きるのもその人の自由だ
そのように多様性を受け入れたほうが
多様であること
それが自由の本質だ
オリンピックのニュースを見ていて、「金メダル取ると日本にとって何かいいことあるの?」と聞かれた。
選手本人がよい成績を目指して頑張るのはもちろん理解できるが、それを国が支援することにどういうメリットがあるのだろうということだった。
(念のため書いておくと、無駄だからやめろというよりは純粋に疑問に思っているようだった)
答えようとしたが、自分でも深く考えていなかったのでとっさに納得行く答えを返すことが出来なかった。
国民の教育水準を向上させたり研究活動で良い成果を出せば、その成果は国民に返ってくるわけだから国が支援するのは当然だ。
スポーツであっても、子供へのスポーツ教育や生涯スポーツのようなものは、健康増進やQOLの向上等に役立つだろうから、やはり国が関与するのは理解できる。
ただ、超一流の競技者を育てることに国としてどこまでメリットがあるのか、改めて考えてみるとよくわからなくなってきた。
考えられるのは「スポーツ科学の実践・研究の一環」「文化への投資」「国威高揚」あたりなのかなあ。
他に何かあるだろうか。
「オリンピック選手が自費で参加しているのは日本だけです」といった内容の選手達のインタビューを昔読んだ記憶があるけれど見つからない。
ググって見つけられたのは下の二つくらいだった。
http://bluetag.co.jp/contents/column/column04.html
現在でもオリンピックの出場権を獲得するための遠征では、多くの競技者が自己負担を強いられている」(アテネ五輪アーチェリー男子銀メダル・山本博)、「(競技を始めたばかりの)子供たちに自己負担で競技を続けると伝えるのは、あまりにも悲しい」(フェンシング・太田)といった窮状を訴える声が相次いだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/writing_spirit_haru/39794710.html
自費で遠征や合宿を行なっている競技」
が沢山存在することを、皆さんはご存知でしょうか???
うーん。これは競技によるのかな?
支援受けられなかったり、支援受けても叩かれたりで選手の人達は大変だな。
4 重要:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2014/02/09(日) 08:02:01.06 ID:qLgU2BKM0 [1/3]
■カーニーの方が得点高いのどうして?
・最終滑走だから
■でもミスしたよね?
・技に対する得点は決まってて、そこからミス分の0.2ptはしっかり引かれてる
・技の芸術度に対する点数が引かれてない(ミスはあったが技が美しかったということ)
■そんなにレベルの差があったの?
・いいえ、ありません(上村がもう一段高いレベルの技に挑戦して成功してれば表彰でした)
・最初の滑走はそれが基準点になり、モーグル最終滑走は比較的に点数が高くつけられる傾向もあります
・要するに準決勝が全てでした
追記
■いやいや、明らかに相手ミスってたじゃん!
・技としての原型を成さないレベルのミスであればptが消滅します
・減点が少ないのは技としての基準点はクリアしているミスということです
■『女王』という肩書きがpt高いんじゃないの?
・もちろんあります
・前提として『女王』の異名を与えられる競技者は標準レベルが高いものです(どの競技でもそうですが)
・元が高いので減点があっても高位置をキープしてる訳です
■八百長じゃないの?
・残念ながら審判のpt振みれば分かる通り、全員が満場一致です
45 重要:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2014/02/09(日) 08:08:57.05 ID:i1HUumCP0 [1/7]
つまり一番手の上村が様子見として極端に低い点数になってしまった
もちろん審判も知ってる
その後の選手は本来なら上村の点数を基準につけられるべきだが、
それとは別問題として、カーニーのミスがほとんど無視されている問題がある
決勝だけ「アグッレシブさが大事だからちょいミスはおkだよ~」な基準に変貌している
でも上村だけは上記にある理由もあって普通にただの低い点にされてしまっている
145 重要:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2014/02/09(日) 08:21:01.31 ID:i1HUumCP0 [2/7]
>>79
ここの人たちが一番わかってると思うけど、決勝より前のラウンドでは
「あーやっちまったな」という選手は全員点が伸びなかったから、見ていてこいつはダメだと視聴者でもわかった
それが決勝だけおかしかった
上村 →攻めまくってミスも少なかったけど一番手だから点が出ない
カーニー →結構攻めてあからさまなミス連発したけど最終滑走者で実績もあるから不自然に高得点
こんなかんじだった
ミスをミスとして採点に入れないならもう採点基準は無いと思った方がいいかもね
214 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2014/02/09(日) 08:30:04.54 ID:qLgU2BKM0 [2/3]
>>145
『攻めまくった』という印象よりも『焦ってた』が正しいと思う
ざっと見た感じ重心が前にかかり過ぎてる
それからアッパーボディが崩れてしまってる(タイム意識したせいだと思う)
・フォールライン…スタートからゴールまで垂直に結んだラインを直線的に滑り降りているか
・カービング…雪面コンタクトを保ったカービングターンを行っているか
・アブソープション&エクステンション…スムーズなターンに結びつくコブの吸収動作
・アッパーボディ…フォールラインに向けて上下左右に振られることなく安定しているか
235 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2014/02/09(日) 08:33:28.66 ID:i1HUumCP0 [3/7]
あの難しいコースを1番手で思い切り攻めて、他の選手より1秒も速いタイムでフィニッシュ
高速ターンは見事で、どこからどう見ても全選手の中で最も難易度の高いターンを行っていた
それなのにあの点数だもんな
準決勝より格段に良い滑走だったのに準決勝より点数が低いって、もう採点ミス以外の何物でもない
理論上決勝の点数が上でなくてはならないのに、1番手滑走という理由だけで爆下げ
上村の渾身の迫力ある滑りがここまで評価されないんじゃ、もうモーグルに未来はないよ
あとは>>45>>145に書いた
278 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2014/02/09(日) 08:39:45.03 ID:qLgU2BKM0 [3/3]
>>235
見事な高速ターンに見えるだろ?
でも2箇所で減点対象なってるわな、吸着の部分で
【ソチ五輪】女子モーグル 上村愛子は4位、またもメダル獲得ならず・・・デュフォーラポイント姉妹が金銀 ★4
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1391900445/4,45,145,235,278
http://www.logsoku.com/r/mnewsplus/1391900445/4,45,145,235,278
7年後に心変わりもあるだろうからこのタイミングで思っていることを書いておこうかと思う。
オリンピック自体はスポーツ振興や若い競技者への目標、開催に伴う国際的な約束事を果たす責任を明確にするという点でメリットはあるとは思うのだけど
20代後半の地方住みの1人としては首都圏・もしくは東京国のオリンピックだなって感触が強い。
「東京オリピック」フレーズがそもそもノスタルジックというか過去の栄光を彷彿させる。
60代以上の年齢の人なら前回開催時のことがあるからあの感動をもう一度というのも分からなくもないけど
懐古的なところが見え、年寄りの好きなように進んでるなってところでまた憂鬱な気持ちになる。
都市単位で注目の集まる国際的な大イベント開催地はまたしても東京でした。
一般財団法人日本幼少年体育協会は「幼児・児童の体力づくり」「保育内容の向上」「チャイルドスポーツ指導者の養成」をとした事業を実施するため昭和51年に創立し、昭和57年12月、社団法人として改組発展してまいりました。平成22年4月よりは一般財団法人 日本幼少年体育協会と改称しました。
今日の少子化時代にこそ、幼児・児童の健全な発展は欠かすことの出来ない社会的な活動であり、今こそ、その必要性は設立当時の日本社会の背景による認識よりも重要となっています。
私たちの活動は絶えず、その時代の社会が要求する幼児・児童に関する事柄に対応した活動を続けています。しかもその内容は設立当時から終始一貫したセオリーを提唱するものです。是非皆さんも私たちの『たくましさ作りのムーブメント』にご参加ください。
理事長 柴岡 三千夫
◆柴岡三千夫 プロフィール
高知県出身、陸上自衛隊 少年工科学校 13期生卒、日本体育大学卒業。学校法人タイケン学園グループ理事長、一般財団法人日本幼少年体育協会理事長、社会福祉法人タイケン福祉会理事長、日本ウェルネススポーツ専門学校校長、日本ウェルネス高等学校校長を兼務。専門は幼児体育指導論。著書に『幼児の心理と水泳指導』(日本文化科学社)、『幼児体育指導教範』(タイケン)など多数がある。
学校法人タイケン学園グループでは、専門職の人材を全国で数多く輩出しています。平成10年4月の日本ウェルネススポーツ専門学校の開校以来、全国で専門学校・高等学校・財団法人・社会福祉法人等を運営し、着実な発展を遂げてきました。 各校ではスポーツ競技者、スポーツトレーナー、スポーツインストラクター、幼稚園教諭、保育士、幼児体育指導者、歯科衛生士、動物看護士、ペットトリマー、ドッグトレーナー、飼育技士等の専門職の人材を養成しています。
タイケン学園グループは、これまで積み重ねてきた教育プログラムを通して、皆さんが思い描く目標の達成に向けて成長していくことを願っています。
◆幼体検定
幼児体育指導者とは、幼児期の子どもたちに体育の面白さや素晴らしさ、からだを動かすことの楽しさを伝える指導者です。ところが、幼稚園や保育園での保育活動において「運動あそび」の指導者となると、専門性に欠けることが多いのが実情です。子どもたちと直に触れ合い、会話を交わしながらそれぞれの子どもにあった指導プログラムを組み立てるのが幼児体育指導者の役割です。
社会的に幼児への教育が関心を高める中、健康な身体を育てる幼児体育の専門家が注目を集めるようになりました。幼児は身体が発育段階であるため、その構造や特徴を理解して適切な運動指導を行なう必要があります。当協会では、幼児の身体や心を十分理解し、安全に楽しく運動が行なえる指導者の育成を行なっております。
「幼児体育指導者検定」では、幼児体育に関する基礎知識やお手本として相応しい運動指導法について、「発育発達」「幼児体育論」といった理論に関する知識と「リズム体操」「手具の体操」「マット運動」「ボール」「ゲーム遊び」などの実技について、その指導レベルを認定します。
更に上位級となる1級では、完成度の高い身体表現及びさまざまな状況に応じた幼児への指導法の習得、リズム運動や各種ゲームの創作力などのレベルを認定します。
また、当協会では「幼児体育指導者検定」のほかに、幼稚園・保育園等の教育機関に携わる方々に対して健康教育と運動あそびにあり方、取り組み方、考え方や知育、運動プログラムの提供を目的とした「幼児体育健康教育講習会」の実施、幼稚園・保育園が保育時間内に設けている体育の時間に、指導員を派遣しての「幼児体育指導」なども行なっております。 子どもたちを心身を十分理解している幼児体育の専門家は、幼稚園や保育園のほかスポーツ施設や幼児教室などでその活躍が期待されます。
◆平成23年度
沖縄会場
東京Ⅰ会場
東京Ⅱ会場
大阪Ⅰ会場
福岡会場
8月20日~ 22日 会場:福岡市ももち体育館・ももちパレス
愛知会場
8月 27日~ 29日 会場:アイプラザーの宮(愛知県一宮勤労福祉会館)
◆お問い合わせはこちらから
日本のサッカー代表はたまにベスト16に行くことがあっても基本的に南米や欧州の列強に追い付くことはできません。追いつくためには日本の教育制度、スポーツの学校依存、究極的には日本の社会制度までにメスを入れなければならないからです。
現在の代表でも、半数以上はサッカーエリートであるクラブ出身ではなく部活サッカー出身だ。普通の感覚ならどれだけ「自分はやれる」とおもっても並の高校に行った時点でプロをあきらめてしまうの。とくに偏差値の高い学校にはいった競技者はプロを目指すのはよっぽどのかわりものだろう。
学校の部活動は短期間、具体的には2年または2年半で結果を求められる。求めるなというのが無理なのだ。競技者、および指導者(学校の教員)の双方にとってそれがメリットだからだ。2年で結果を出せばまた名門サッカー高校に進学できる。また2年半で結果を出せばJリーグ以外では最もメジャーなサッカー大会である。「高校サッカー選手権」にでられる。普通の高い才能であればこの大会にピークを持ってくることが目標なのだ。
南米、欧州ではもちろんちがう、クラブのユースではある意味子どもたちは商品なのだ、名門クラブであればそのトップチームに上げることが目標となる。そうでなくとも名門に売れれば大きな金が入る。日本の部活のように自分勝手な猛練習はしない。体が壊れたら誰も得をしないのだ。ユースでもジュニアユースでも週に4-5回、一日2-3時間の練習と週に1回の試合。日本のように年間練習試合をふくめ100試合もやるようなことはない(中堅校でもこのくらいやるところは少なくない)
逆に公式戦はリーグ戦が主体で多く、リーグなので絶対的な勝利にこだわることもない。指導者も競技者も目指すのはその先なので、個人の技術の向上、戦術理解が優先される。
また日本ではユース世代は競技者のサッカーレベルでチーム分けがされない基本的に「競技者の学力」でチーム分けがされる。高校の部活動なのだから当然だが、これがどれだけ異常なことかおわかりだろうか?
また日本では必ずしもサッカー経験者もしくは指導を志す者がサッカーを指導するわけではない、これまた異常なことなのだが事実だ、ジュニアユース時代に技術的なことを指導されなければどれだけ才能があっても伸び悩む。さらにユース時代も確率的には少ないが必ずしも専門家が指導するわけではない。(例えばわたしは長らく高校サッカー部の顧問をしていたが、なった理由は校務分掌上、若い男性であいているものが私しかその学校にいなかったという理由。当時全くサッカーには興味関心がなかった。)学力別に分けられた競技者がたまたま良い指導者、環境に当たればよいが、絶対にそうなるとは限らない。学力が関係なければ、後に日本代表になる可能性がないではないが、学力が高ければ指導者と関係なくその学力の高校(チーム)にいく。そして高い才能があろうとサッカー選手になる道はほぼなくなるのだ。
ここで「日本でも、今言ったように、学力と関係ない名門高校があるんだから、そこで注目されるのでは?」とおもうだろう。もちろんそういう選手も多いが、ここで現代表の来歴をみてみる。
日本代表CBの3人の来歴は非常に異色だ、田中はブラジル人を留学生としてとっているサッカーが盛んな新興名門進学校「渋幕」に留学した。その後、Jリーグに入り帰化した。これは前代表のアレックスやサッカーでないが朝青龍もそうだ。
中沢はサッカーエリートとは関係のない道をあゆみ、強豪でない三郷工技の部活動からブラジルのクラブに入り、帰ってきて三郷工技で練習していて練習試合でヴェルディとやったあとに練習生としてヴェルディに入った。
岩政は普通の地方進学校から数学の教師になるため東京学芸大に入り、ユニバーシアードなどで活躍して注目され鹿島に入った。
後者2人は本人のサッカーへの強い意志と偶然により、Jリーグに入り代表になったことになる。偶然がなければこのWカップのメンバーは違う人が入っていたということになる。ということはこの人たち以外にも日本代表に入れる才能を持ちながら途中でなんらかの事情で断念している多くの競技者が、掬いあげられずに、一サッカーファンとしてWカップを見ているはずなのだ。普通のフットボールネイションであれば代表に入るような才能であれば小さいころから注目され少なくともプロになる選択を与えられるのは必然でなければならない。
普通のフットボールネイションで岩政のような選択は非常に不可解に感じるだろう。代表になれるような才能があれば、16-7歳でプロ契約するのが普通。サッカーの能力が非常に高くかつ数学の教師になりたいのであれば、大学はサッカーのプロキャリアを終えたあとに行けばいいわけで、なにも、大好きであるサッカー競技者を断念して教師になる必要はない。岩政の選択は日本では非常に特殊で普通なら数学の教師になりサッカー部の顧問になる(もしくは校務分掌の事情でなれない)のが普通だろう。高校で普通の進学高にいった時点でプロサッカー選手になるという選択はない。冷静な頭で考えればリスクとリターンが合わないからだ。
日本ではあるレールからはずれると修正がきかないとおもわれている。サッカー選手を選択して失敗したら大学目指そうとかそういう選択は普通しないのだ、就職に一番有利なのは何の瑕疵もなく22年で大学を卒業した者であり、30歳くらいでサッカーのプロ経験者であってもいわゆる一流企業の正社員になるのは難しいだろう。であれば高い学力があってサッカーの高い才能がある場合、リスクをとってサッカー選手になるという選択は普通なくなる。このようなリスクテイカーに冷たい社会ではサッカー選手になるというのはなかなか決断しにくいのだ。岩政は非常にリスクの高いことをやって成功したことになる。
他にも多くの理由があるが、スポーツの学校依存、リスクテイカーに冷たい日本の社会制度を変えない限り野球のようなマイナースポーツで一番になることはあってもサッカー大国になることはないだろう。
部活動の問題についてはまたの機会に書きたいと思います。
私はフィギュアスケートにあまりと言うより全然興味が無かったので
はじめ、ネットで見た内容は真央は難易度の高い技に果敢に挑んでいるがヨナは無難な技だけで
技術的に低いのに高得点だと言う内容だったと思う。
スポーツの祭典であるオリンピックで技術的難易度の高いものに挑もうとしない姿勢で
高得点を叩き出していると言う状況から、当然私も真央の方が高く評価されてしかるべきと思った。
しかし、これについて嫁に見解を聞くと嫁はまったく逆の評価を下しており、このギャップに驚いた。
嫁の感想はヨナの演技はもう一度見てみたいと感じたが
真央はそう感じなかったと言うものだ。
嫁はもともと演技の難易度に興味は無く、ただ
自分が惹きこまれるか否か
自分が魅了されるか否か
かなり直感に頼った人間で
いつも私は自分の考えとのギャップを
非常に興味深く観察させて頂いている。
そして、ますます興味が出たので、ここで初めて彼女らの演技を見た。
NHKスペシャルか何かだったと思う。
正直な感想は
ヨナの演技も素晴らしかった。
真央の競技も素晴らしかった。
だった。
おそらく、フィギュアスケートと言う競技の評価基準が
スポーツと言うより、
表現力、観客を魅了させられるか否か
そういった方向にシフトしたために起きた議論なのではなかろうか。
もし、これが演劇やピアノ演奏?(基本この辺の芸術に疎い人間の書くことなので例の選定に自信無いですが)か何か
表現力や観客を魅了させられるか否かが大きく評価対象になるような演技として捕らえた場合、
ヨナの演技は女性的でしなやかで安心して見ていられて、全体的にまとまりを感じた。
精神を集中させてるタメのような動作の停止
あれは、技の難易度の高低など興味が無い人間から見たら
マイナスになるんじゃないかなとか
それだったら余裕を持ってこなせる技に絞って
心の余裕を持って、表現力などに力を入れてやった方が
もっと観客を魅了できるんじゃないかなとか。
今回の議論はフィギュアスケートと言うものが
そういった方向にシフトしたのに
残りの競技者及び、観客がオリンピックの競技としての感覚で捕らえて
取り残されて気づいてないから起きた議論なのではなかろうか。
高得点を叩き出している側の論理は
「オリンピックでやってはいるが、あれは演技の良し悪しを評価される演技なんですよ。
難易度の高い技?そんなもの出来るかどうか分からないギリギリのラインで
こなしたってお客は魅了出来ませんよ?」
みたいな。
ただ、ここまで評価基準が変わるなら
もう、オリンピックでやるべき競技じゃないと思った。
だって、この評価基準で勝てる人って
今オリンピックで競ってる人以外にも
もっと優れてる人が出て来そうだと思う。
ある程度の身体能力があれば(それでもそんなに人数居ないことくらいは分かりますが)、
あとは、もっと容姿が素晴らしく
ttp://homepage.mac.com/dorichan/iblog/B967545526/C1452158473/E20100212144856/index.html
今回の国母君の服装問題と似たようなことがソルトレイクオリンピックの時にもおきました。
僕の目から見ても今までで最高の滑りをした中井君の得点がいまいちで、メダルの期待があったのですが、アメリカに金銀銅を持って行かれ5位入賞で終わりました。当時高校生で元々シャイな中井君、このときの得点は本人にも納得いかずふてくされモードで宿舎に帰りたいと僕に訴えました。競技が終わった選手は記者団のうじゃうじゃいるジグザグの通路を通り取材を受け、それから選手控え室に戻るというのが通常です。が、かなり落ち込んでいるので僕が彼をガードしてすべての記者を退け、控え室に戻らず車を出して宿舎に戻りました。
宿舎では自室に帰らず誰とも話をせずただコーチ部屋のソファーに膝を抱えて座っておりました。
中井君に取材を受けるように伝えてくれとの担当理事から電話がかかり、中井君に話すと、いまはそっとしておいてほしいと。その気持ちはすごくよく分かり、取材拒否の旨を担当理事に伝えました。
すると夕刻担当理事がコーチ部屋に来て直接説得。「取材を受けることも選手の仕事だ」とか、「誰のおかげでここにこれたのか」とか最後は「俺に恥をかかせるのか」などなど、、、、、中井君は沈黙。スタッフも全員何も言わず。僕だけ「理事、今日は勘弁してやってください」と、すると理事は「よしわかった」と部屋を立ち去りました。
その後コーチ全員理事の部屋に集合との連絡が来て部屋に行くと
「おまえらは選手に何を指導しているのか」「俺がどれだけ頭を下げて金をかき集めてここに来させてやっているのに恥をかかせやがって」とコーチ全員の前でしたが唯一口答えをした僕に対しての叱責でした。
解散の時に、「今晩、打ち上げ行くぞ」と、そして「古川、おまえは来ないよな」と、、、、
そのとき僕は、ああこれでクビだなあと直感しました。
僕は、その後中井君にどうしても今日の結果を納得してもらいたくジャッジに話を聞こうと、一人だけいる日本人のジャッジに連絡を取り夕食の約束を取り付け、いやがる中井君と友人の村上君をつれてチームの車でジャッジの泊まるホテルへ。ちょうどそこに全日本の技術員会の委員長もいたので(中井君が信頼していた数少ない大人)同席してもらいソルトレイク市内のレストランに行きました。
ジャッジは今日の採点を細かく中井君に説明してくれ、深夜の三時デニーズでコーヒーを飲む頃には今日の滑りの問題点を納得して理解してくれました。
ソルトレイクから帰国後、経費の精算をしに全日本スキー連盟に行き、次の大会、札幌でのワールドカップの書類と経費を預かっていこうとしたら書類に僕の名がありません。事務局の人もおかしいなあと。
そうなんです。クビにするのも面と向かって言わず書類上で名が消えていくのです。
大会終了後、勝てなかった選手はお偉いさんたちにとってはもうゴミです。だれもシャイな高校生の競技後の気持ちなど考えない。だれもそれをケアしようとしない。日本のスポーツの世界なんてこんな程度です。世の中が変化しスポーツの世界も変化しているのに、いまだにアマチュアリズムやスポーツマン精神、たてまえや、お偉いさんのメンツの方が一競技者より優先されます。まだ若い一選手に日本というものを背負わせるのは重すぎると思います。スポーツマン精神は競技者のなかから生まれるものなのにいつのまにか一般大衆の価値観で決められてしまっているようです。
国母君の服装のみだれって何処が基準なんでしょうか?ユニフォームの日の丸をはぎ取った訳じゃないし、一個人の価値観を押しつけすぎ何じゃないでしょうか?
世界の頂点に立てるような選手に普通の価値観を押しつける方が無理ってものです。
※日本選手団公式服装着用規定「(着用の規定)第2条 日本選手団に認定された者は、自覚と誇りを持って公式服装を着用しなければならない」
僕がナショナルチームから去った頃に国母君の活躍が目立ってきました。当時はちっちゃいのにずいぶん飛ぶなあという印象でした。
直接話をしたこともありませんが、
犯罪を犯した訳じゃないし、競技とは直接関係ない服装規定なるルールやくだらないお偉方のメンツなど適当にいなして自分のスタイルのすばらしい演技をしてもらいたいと思います。
部活の思い出
http://anond.hatelabo.jp/20090203200017
についたレス見てると「異常だ」とか書き手の人格まで云々されてるようだけど、だいたい余計なお世話か「異世界・異文化」への想像力がないってことじゃないかなと思う。
どんな競技でも、全国レベル・世界レベルのチームを率いるという経験がある人は少ないかもしれないけど、それでも自分がある程度以上の(お遊び以上の)団体を率いる立場に立ってみたことがあれば、上に書かれているような話は想像の範囲内ではある。別に「異常」とかそういうんじゃない。毎年人が入れ替わるような集団(学校の部活)を率いて全国レベルの水準を維持するためには、指導者への絶対的な帰依を強制する仕組みが必要なのは自明のことだろうし、洗脳の一番簡単なやり方の一つが「意味不明で理不尽な行為を強制し、一方で指導者への全人格的な帰依によってそこから救われる」という状況を作り上げることだからだ。
自分はその指導者が悪魔のような性格異常者だったとは別に思わない。単に「指導者として有能であろうとした真面目な人」であったにすぎないと思う。どこかを間違えたまま(そもそも学校の部活動に、常に全国的な水準を維持する義務があるのか?とか)指導を有効たらしめようと努力したら、その結果は大抵ああいう状況になるだろう。『最上の指導』ではないにしろ、それは少なくとも『無責任な最低の指導』ではない。カリスマでもスーパープレイヤーでもない一人の競技者が監督として素晴らしい結果を出すことを求められたら、ああいうやり方にしか辿りつかなくても別に不思議ではない。
だいたいね、アイスダンスとペアはどうなってんのよ。地上波とBSでもスルー。
フィギュア好きだから冬はスカパー入ってるんでかろうじてテレ朝チャンネル(CS)で見られるけど、
GPファイナルの翌日にロシア大会ってなんだ。一週間遅れかよ。
http://www.tv-asahi.co.jp/channel/contents/sports/0047/
競技の前の順位がわかるようにしてどうするのよ。見れりゃいいだろって姿勢満載。
中継内容もわかりやすく競技者のまとめ映像作るのはわかるけどさ、SPでもFPでも同じ映像、
それもGPシリーズ通して同じってんじゃいい加減飽きるっつーの。
GPファイナルのエキシビジョンだって余計なものが多すぎ。インタビューなんぞいらん。
過去の名演は面白いと思ったけど、全部見せないならいらん。別番組にして、全部見せろよ。そしたら見る。
結局早々にリアルタイムで見るのはあきらめて録画しておいたものを早送りで演技だけ見たわ。
あと角沢やめて。
男子の誰だかの演技で前半コケまくった後に「どこまで点を伸ばしてくるか」ってアホなの?
演技中にライバルの話と点の話ばっかり。なんの音楽でどんな表現をしたいのとかそういうことは
いえないのかね?「仮面舞踏会」がどんな曲か知らないんじゃないの?とさえ思うわ。