はてなキーワード: 真夏とは
25歳女。
理由は価値観が違って喧嘩がひどく、お互いに無理ってなりました。
たぶん原因は私。
私は価値観がかなり同じ人としか付き合えないんだなと思いました。
だから、ここに長々と私の価値観を書くので、これと完璧に同じ人を探したいです。
私はお金を大事だと思ってます。でも無茶な働き方をして体を壊すのも愚かだと思ってます。
お互いに楽な仕事をしながら好きな時に遊びに行ったり、のんびり家で映画やゲームでダラダラ過ごして、その時間を共有したいです。楽しみの種類は問いません。私が合わせられます。萌えアニメなども抵抗ありません。
楽な仕事をしてダラダラ過ごす為にも節約は大事だと思います。なので、
自動販売機でジュースを買うのはかなり反対です。無駄に思えてしまいます。水筒に水が良いです。古いマンションなんかで水道水がマズイ家なら工夫して下さい。
真冬以外にお風呂に入るのは反対です。水道光熱費がもったいないです。シャワーで我慢して下さい。
少し手や顔を洗うぐらいでいちいち温水になるまで水を垂れ流すのも嫌いです。温水は皿洗いなど、長時間水を使う時だけにして下さい。
真冬や真夏以外にエアコンを使うのも反対です。コタツや電気毛布、扇風機、服装などで工夫した上で、それでも我慢できない時だけエアコンを使って下さい。
極力外食は控えたいです。手抜きの節約レシピでも我慢できる人が良いです。
しかし、例えばたまにテレビなどで節約一家みたいな番組で出てくる、トイレットペーパーは何センチまで、みたいなものはやり過ぎに感じます。
結婚式も不要です。親戚などの関係でどうしても結婚式が必要な場合は赤字額を極限まで減らす努力をして下さい。
両親と同居は嫌です。でもダラダラ過ごしてても文句を絶対に言わない親でかつ裕福なら我慢できます。
趣味などにお金を使うのは反対しません。自制心さえあるなら、お酒やタバコも問題ありません。その代わり、その量は完璧にコントロールして下さい。飲まないと、吸わないと我慢できない、という人は無理です。
お金がかかる趣味でも、月々の平均額を完璧にコントロールできるなら問題ありません。例えば趣味に使うお金は月に2万円までと決めたら、ある月に10万円使ったら次に使えるのは5ヶ月後だときちんと意識して実行できる人なら問題ありません。
そうやって貯めたお金はダラダラのんびり過ごす為に使います。余るようなら子供を作ったり貯金したり投資したりしましょう。
私はこれらを全て守って実行してるので、そういう人を探していた、という人が居たら是非よろしくお願いします。
ちなみにDカップです。
1919年に行われたワシントンでの飢餓実験では、カロリー制限の有効性を否定する結果が出ています
。研究の対象となった被験者は、1日1400~2100キロカロリーの食事を摂ります。
これは、通常の摂取カロリーより30%削減された食事なのですが、実験参加者の総エネルギー消費量も30%減少していたことが判明しました。
これは、摂取カロリーを減らしたことで、体がバランスを取ろうとして消費カロリーも抑えたため。
摂取カロリーが減った分だけ、体は消費カロリーも減らすよう勝手に調整しているのです。
また、「ミネソタ飢餓実験」と呼ばれる1944年と1945年に実施された調査では、
第2次世界大戦後、何百万人も飢餓にさらされたのですが、当時は飢餓状態が人間の生理活動にどう影響するかは未知の情報でした。
そこで、カロリー制限をしている時期と、回復期における状態を理解する目的で実験が行われました。
被験者は平均身長178センチ、平均体重69.3キロの健康で、平均的な体格の若い男性36人。
はじめの3カ月、ごく標準的な食生活を送り、次の半年で体重24%減を達成するよう摂取カロリーが調整されました。
被験者たちは真夏の7月だというのに寒がり、夜には2枚の毛布にくるまらないと眠れないほど震えだしたのです。
そして、安静時の代謝量を計測したところ、通常時と比べて40%も減少していたことが判明しました。
精神的にも悲惨な影響が見られました。被験者は、強烈に食べ物に魅せられるようになり、集中力を失い、
なんと大学を中退する者まで現れたのです。その後の調査で、カロリー制限によって起こりうる数々のデメリットが次々と明らかになりました。
カロリー絞っても「やせられない」という逆説
https://article.auone.jp/detail/1/3/6/7_6_r_20190111_1547154003927377
春先から練りに練って、真夏にエアコン壊れてサーバールーム冷やすのにサマーウォーズ並に氷や扇風機買いに行ったり、年越しを会社で迎えたり、みんなで作り上げてきたものだ。
年が明けて新任の部長が来て、いつの間にか炎上プロジェクトという空気になり、半分のメンバーが外された。
後任はその人が贔屓にしてるという下請け。slackから外され、プライベートchになって、入れなくなってた。
納期までまだ3週間もあり、大きなバグは片付いて、テストリリースも済んでるのにだ。
会社としては、完成すればそれでokだろうし、もう私達がいなくても資料とソース見ればやっていけるだろう、だから私達が居なくても問題はない。
私達がリリースしたところで、世に名前は出ないし、給料が上がる訳ではないし。
誰かに褒めてもらえるような事も無いだらうし。
と、理解しているつもりだが、寝る前の日課のパズルゲームをしても、味気ないんだ…
私には横取りされた悔しさよりも、この必要とされていない感は、とてもダメージがある。ここ数日、何も考えることが出来ていないのが、あからさまに解るんだ。
新任で手柄を必要としていたのは解る。だけど放り出す必要はあったのか?そう言ってくれれば、そういう事にして手柄としてあげたと思う…
いや無理か。下っ端に頭下げる意味はないな。
どうやらsvnの管理者パスワードはリセットしてないようでログイン出来てしまった。
流石に全部消してやる気力は湧かなかった、いや出来るわけない。賠償がーではなく、この半年間やってきたモノを消すなんて無理だ。
1日100MBずつログ出してディスク溢れさしてやらうかなんて考えるも、無力感?要ナシ感?に覆われて手が動かせなかった。
路地裏に引きずり込んでグサり?
ケンカとか、人生でした事も無いくせに黒い考えが浮かんでくる。別に結婚もしてないし、親は中学の時に居なくなったしで誰に迷惑掛けるわけではないから、踏み止まる必要も無いのだが、無力感が覆い被さり、萎えてしまう。
ニュースで見る殺人事件とかは、よっぽどな事か、余程守りたいものがあったんだろうなって、ちょっと理解できた。
とすると、あのサービスは自分の中でそれ程大したモノでは無かったのではないか??と思うようにしても…
ダメだ。
このまま消えてしまいそうだ。春先に死後2ヶ月のオッサンが発見されたというニュース見たら、化けて出ないように、ちょっと祈ってくれ、最後のお願い。
『真夏の夜の淫夢』が流行っていっても、それ増田さんがそれを見たくてその周辺をうろついてたから
流行ってるように思ったのでは?
そういうの見たいとは思わないし、私の友人知人にその辺を知ってる人は本当に稀じゃないかな。
最近「生き物苦手板」文化がネット上でかなり浸透してるのを感じる
5年~10年前に2chに猫の虐待動画や虐待画像を貼り付けたら
阿鼻叫喚でpart3スレまでは行く大騒ぎになっただろう(実際VIPで昔こげんた画像の釣りスレが『祭り』になった)
だけど、今やなんJや嫌儲でgato動画やgato画像が普通に鑑賞されているし、
twitterを軽く検索しても反動物愛誤、猫虐待愛好家のツイートが(まだ数は少ないとはいえ)に出てきているし、
猫を放し飼いにしている飼い主が『炎上』する事件も増えてきた。
アングラが主ではあるが、全体的に動物虐待をコンテンツとして受け入れる土壌が形成されつつあるのを感じる。
まさかネット上でみんなでホモビデオを鑑賞する文化が大ブームになるなんて思いもしなかった。
もしかしたらあと数年すれば、
これを読まれている方の中で、屍臭というものを実際に嗅がれた方がどれ位おられるのか、ちょっと予想ができない。家族、友人等の死を経験し、その遺体が荼毘に付されるまで傍におられた方は複数おられるだろうと思う。しかし、そこに屍臭を意識させるような手抜きの仕事を、この国の葬祭業の方々がするとも思えない。だから実際のところ、そのような経験があっても、そこで屍臭を感じられた方はおられなかろうと思うわけだ。
私はこれまでに二度、強烈に屍臭を経験することがあった。あの臭いは、間違いなく、経験した者にとって一生忘れ難いものだ。不快だし、そう何度も体験したいものではない。そのことは体験する前から今に至るまで変わりはないのだけど、その臭いの向こう側にあるものまで体験すると、屍臭に向かう姿勢とでもいうのか……そういうものが確実に変わったような、そんな気がするのだ。人生観が変わった、などと大袈裟なことを言うつもりはないけれど、そのときの話を記録がてら書いておこうと思う。
初めてそれを感じたのは、高校に通っていた頃のことだった。私の通っていた高校は、太平洋戦争末期に空襲で焼かれるまで天守閣が建っていた場所で、四方を崖に囲まれた、自然の要塞のような高台に建てられている。登校するときには、深い谷にかけられた橋を渡ってすぐの正門を通るのだけど、学校の周囲の崖のあちこちに獣道のような抜け道があるので、授業時間中や放課後の時間には、その道を通って麓のコンビニに買い物に行ったりするのが日常だった。
時々、鉄道の駅まで出る必要があったのだが、本来のルートで行くと毎回かなりの回り道で、友人に面倒だとこぼすと、グラウンドのネットの破れ目から崖を斜行して下の道に出る抜け道を教えてくれた。春先でまだ雑草も深く繁茂しておらず、これは便利な道を教えてもらった、と、毎回のようにそこを通って駅に抜けていたのだった。
そして、夏が近付いてきたある日。一週間ぶりにその抜け道を通ると、何とも言えない厭な臭いがしたのだ。蛋白質の分解された臭い。それも、肉だけでなく、皮や毛や、通常なかなか分解されないものまで分解された挙句のような尋常ならざる臭いが、崖の獣道に立ち籠めている。雑草が結構な高さに繁茂していて、辺りにその源らしきものは見えない。日が経つ毎にその臭いはどんどん濃くなって、私の服や髪に染み付いてしまうのではないかというような粘着性すら感じさせる。私は確信したのだ。辺りの何処かの草に隠れて、何かの骸が転がっているに違いない。しかし、とにかく質・量共にそれまで一度も体験したことのない、凄まじい臭いだったので、小さな動物……鼠とか蛇とか……がただ死んでいるだけとは到底思われなかった。
道を教えてくれた友人にもこの話をしたのだが、彼は笑って取り合ってくれなかった。それに、と彼は言う。俺最近あそこ全然使わないからさ、調べる機会もないんで、まあそんなに気になるなら自分で調べればいいじゃん。ひどい奴だと思ったけれど、まあ自分からわざわざ積極的に屍臭の源を探しに行く奴もいないだろうから、彼を責めても仕方ないだろう。
もう季節は真夏になっていた。熱風と熱線が渦巻くような崖の獣道を通る度に、私は時々、わざわざ道沿いの茂みに踏み込んでみたりもした。しかし源は見当たらない。ただ、その酷い臭いだけが常に辺りに立ち籠めている。その臭いを我慢して近道をするか、遠回りして臭いを回避するか……その選択がある時点で逆転し、私はまた遠回りして駅に出るようになった。しかし、その源が何なのか、ということが、私の頭から消えることはなかった。
私は疑っていたのだ。その源が人間ではないかと。受験を意識する時期だったので、公営の図書館の勉強室にこもることが増えていたのだが、休憩を取ろうと勉強室の外に出ると各種新聞の閲覧スペースがある。行方不明者等の情報が出ていたりしないかと、必ず地方欄に目を通すことが習慣になった。成人だったら、あれ位では済まないかもしれない。女性の方が体は小さいだろうが、女性は脂肪組織が多い分屍臭もきついという話を何処かで読んだ。ということは、あれは子供なのではあるまいか……図書館で休憩する度に、私は新聞で子供の行方不明記事を探している。我ながら何をやっているんだろうと思ったけれど、もう新聞の陳列を見る度にあの臭いを思い出し、記事を探さずにおれなかった。
そして季節は晩秋になった。駅に出る日に、いつもよりも学校を出るのが遅くなった。ちょっと考えた。もう夏も過ぎたし、あの臭いも薄れているかもしれない。グラウンドのネットの破れ目は何も変わっておらず、そこをくぐって崖に出ると、あれ程繁茂していた雑草も、盛りのときの半分もない程に枯れてしまっている。私は崖の獣道を進んでいった。傾斜のきつい崖なので、スキーの斜滑降のような進路になるように道は形成されている。ターンする角に来て、ふと何気なく、いつもと違う進路の正反対、崖を斜め上に見上げるような向きに目を向けたとき。視野に初めて、あの屍臭の源が飛び込んできた。
それは一頭の犬だった。もう骨に皮が少し被っただけという外観で、その周囲には蛆なども見当たらなかった。大きな犬で、おそらくドーベルマンとかレトリーバーとか……それ位の大きさの骸だった。ドーベルマンとレトリーバーは全然違うだろう、とか言われそうだが、変色して干涸びたその骸からは、それ以上のことは分からなかったのだ。もう臭いはあまりしていない。私は急いでいたのも忘れてそこにしばらく立ち尽した。あの夏の頃、臭いの源を発見したら大声で叫んでしまうに違いないと思っていた。しかし、今のこの落ち着きは何なのだろう。本当に、自分でも驚く程に、心は静かだった。ああ、人じゃなかったんだ、それはそれで良かったけれど、こいつ、どうしてここに骸を晒していなければならなかったんだろう。野良犬というのもほとんど見ないようになった頃で、こんな大きな犬がそこらをそううろうろしているとも思えなかった。ひょっとしたら、飼い犬が亡くなった誰かが処置に困ってここに骸を捨てたのだろうか。死を看取るまで犬を飼っていた人がそんなことをするというのも変な話なのだけど、他に説得力のある理由を思いつかなかった。
あの臭いがし始めた頃から、こいつはここにあった。そして、あの燃えるような夏の間、道を外れて鬱蒼と草に覆われた中、あの強烈な屍臭を放ち、蛆等に組織をついばまれながら時間が過ぎていった。そしてその臭いも薄められ、ここにこいつはまだある。本当は埋めてやりたかったが、手元にその用意もないし、そのときにようやく自分が急いでいたことを思い出した。クリスチャンの私は十字を切り、天の国で平安と安息のうちにありますように、とだけ祈ってそこを去った。何日かして再びそこを通ってみたら、もう骸はなかった。誰かが気付いて、埋めるか他に持っていくかしたのだろうか。そこまでやってやれなかったことが心残りだったが、せめて祈ることができただけでも、少しはましだったか、と今も思う。
そして二度目。それは、ある自動車関連企業のお膝元である某県の地方都市に住んでいたときのことだった。私は単身者が複数入居している安アパートに住んでいた。よくあるプレハブ二階建の長屋みたいな造りで、外の階段で二階の並びに上がるような、室内は6畳とユニットバスみたいな、そんなアパートである。私にとってそこは家というよりただ寝る為だけの場所で、仕事が終わるとそこに入って寝て、朝はシャワーを浴びてそこを出る……そんな毎日を過ごしていた。おそらく、他の部屋に暮していた人々も、私と同じような日常を過ごしていたに違いあるまい。
そんなある日。部屋を出たときに、ふと厭な臭いがした。ゴミのせいか……と最初は考えた。私の部屋は一番階段に近い二階の部屋で、階段の真下のスペースがゴミ置き場になっていた。仮に凄まじい悪臭を放つゴミが捨てられていたら、そういう臭いを部屋のドアの前で感じることもあるかもしれない。鍵を締めて階段を降り、ゴミ置き場の前に立ってみたけれど、そもそもその日はゴミの収集日ではなかった。そこまで行く経路上に、ゴミから出た汁等がこぼれたような形跡もなかった。気のせいか、あるいは自分が臭いの源なのか……服などをチェックしてみたけれど、どうも自分ではなさそうだ。
翌日、そしてその翌日、と、その臭いは更に強くなっていく。深夜近くに帰宅して、周囲の住人の迷惑にならないように注意しながら二階の並びを歩いてみると、どうも自分の部屋から少々奥に行った辺りでその臭いが一番強くなっているような気がする。隣か、そのまた隣か……しかし、どういう生活をしていたらこんな臭いがするのか。それにしても、この臭いにはどうも心当たりが……と、そこでようやく思い当たったのだった。これは、あの臭いだ。高校の獣道で嗅いだ、あの臭いだと。明日になったら管理会社に電話しようと決めて、部屋に戻って寝た。
そして翌朝。出勤の支度をしていたらチャイムが鳴って、ドアを開けると警官が立っている。
と訊かれ、実は何日か前から……という話をして、
「あの、何かありましたか。私もここの住人なので、差し支えない範囲で教えていただけませんか」
と言うと、警官は言いづらそうに、この部屋の二つ隣で、住人の女性が亡くなられていたんです、何かご存知のことはありませんか、と言う。しかし、隣室の住人の顔もよく知らないような状況で、その更に向こうの住人のことなど知る由もなかった。
職場でその話をすると、皆さん興味本位で色々と仰る。うわー気持ち悪いねーもう引っ越した方がいいんじゃない?……まあ、よくあるパターンだ。そりゃあ、家の近くで人が亡くなっていたというのはそれなりにショックだったわけだけど、私は違うことを考えていたのだった。自分と同じように独りで暮していた人なのだろう。あの部屋のドアは結構密閉性が高いので、ああいう臭いが出てくるまでには相応の時間がかかったに違いない。その間、その人はずっとそこに骸を晒していたわけだろう。これはその女性ではなく、自分に起きたことだったかもしれないのだ。その間にはおそらく何も違いはあるまい。ひょっとしたら、私が骸を晒し、あの臭いを発していたのかもしれないのだ。そう思ったら、興味本位の人と一緒に騒ごうなどと、考えられるはずがないのだ。
皮肉なものだ。屍臭の向こうに、かつてあった生とその現状があるのを思い知らされ、そして私がそのときたまたま傍観者だったというだけで、いつ私が骸を晒す側にならないとも限らない、ということを思い知らされたのだ。私はその晩、帰宅してからその部屋の方を向いて、あの犬のときと同じように祈った。それ位しかできなかった。調子の悪いときに出喰わすことができていたら、とも思うけれど、それはもうどうしようもない。ただ、高校のときの体験に、同じ人間という更なるリアリティを裏打ちされて、私の中に今でもこのときの記憶は強烈に残っている。去年は有名人でも亡くなる人が本当に多かったわけだけど、誰かが亡くなる度に、私はこれらのことを思い出すのだ。
4年前に買った15,000円くらいのお気に入りのパンプスがある。
仕事にもプライベートにも使えるシンプルな黒で、スエードだけど真夏以外はガンガン履いていた。
(歩き方が悪いこともあって)当然ヒールのゴムは直ぐにすり減って、もう何回も(10回位)直してもらっている。
そろそろ、買い替えどきかもしれない。黒い色が白っぽくなってしまってきているし、つま先も擦れてきている。
もう十分に価格以上の仕事はしてくれたと思うけど、いまいち思い切って買い替えられない。
同じ店で同じ形を買えばいいんだけど、愛着がわいているのかな。
何より、この靴は社会人らしいシンプルなかっこいい靴の良さを教えてくれた。
靴の履き方も教えてくれた。
(毎日履きすぎて履き潰しちゃったよね、ごめんね)
感謝。
これを買った日は嬉しくて、写真まで撮ってインスタにあげたっけ。当時大学生だった私にとって15,000円の靴は結構高い買い物だったんだ。
ほんとにありがとう。
いかにももう、買い換えるみたいな文章を書いたけど、まだ心が決まらない。
新しいのを買ってもこれは取っておくのかな。
真夏はそもそもチラー使っても冷えなくないですか?カウンターフローチラー使えば別だと思いますが。
いや、適切に管理されたチラーが良いのは重々承知なのですが、狭いアパートの風呂場でアレを振り回すのがめんどいという理由で、風呂場ドブ漬け方を推奨しています。今回の話は「楽」を追求しているので。
澱引きは個人的に必須だと感じています。瓶内二次発酵で炭酸を供給する自作ビールでは、澱をできるだけ瓶内に入れないことが味の決め手となります。逆に酸化の危険性については、澱引きの段階ではまだ微発酵が進むので、ほとんど心配がないというのが個人的所感です。実際、今まで作ったビールも4ヶ月-1年ぐらいの間はピーク時の味が維持できていましたので、酸化よりも澱のほうが味に与える影響はでかいと、個人的には結論づけています。ただ、シリンドロコニカル容器なら、そのままでもいいかなと思いますが。
・ブルースブラザーズのTシャツを着て札幌駅前をブラついてたらニヤついたおじさんから「良いシャツ着てるねー」と声をかけられた
・野球観戦後、他球団のユニフォームを着ながら地下鉄東豊線に乗っていたら、地元日ハムファンのおばさんに「どうして日ハムを応援しないのか」と質問された
・夜中に豊島園の映画館に行く途中でおじさんに道を尋ねられた。「この辺のことはよく知らない」と言うと「そうかーごめんなー」と言われた
・池袋駅構内を歩いてたらブサイクなホスト崩れがついて来て「モデルに興味はないか」。ずっと無視してたけど、池袋口から有楽町線の改札あたりまで話しかけてきた
・都営地下鉄三田線に乗っていたら、おじいさんが「3億円事件の犯人は俺だよ」と話しかけてきた
・真夏の京都観光。レンタサイクルで二条城から京都駅へ向かう途中で信号待ちしていると、東南アジア系の若い男が「今日は暑いねー」。「そうですね」と返した。当日は35度以上あった
過去の思い出ってどうして美化されて事実よりも美しく見えるんだろう。
どうしてあんなに煌めいてるんだろう。まぶしい。
結局自分が大好きってことなんだよね。今から自分の思い出振り返りするね。
毎回テストテストばっかで勉強に追われてた。受験の時なんてこれで人生きまっちゃうんだ、落ちちゃったらどうしようってすっごく心配だったけど今となってはあのどきどきも愛おしい。いじめられたこともあって学校も行きにくかった、けど今の年になっても付き合いのある一番仲がいい友人もできた。
すごく好きな人ができた。結局告白もせず自然に疎遠になっていったけど。毎朝7時50分に家を出るとね、好きな人と交差点で会えた。それが楽しみで楽しみでどんなに朝寒くても起きるのが苦痛じゃなかった。あんなにときめいたり誰かを好きになったりすることってもうないかもな。授業中や休み時間、気がつけばその人のこと目で追ってた。帰り道だってもしかしたら会えるかもしれないなんて期待でウキウキしてた。ほんと、若いよね。
修学旅行なんて行く前は「行きたくない~」とか言っちゃうめんどくさいやつだったけど、いざ言ってみたらすごい楽しくて。好きな人と見た長崎の夜景が忘れられない。付き合ってなかったけどずっと私の胸の奥底でキラキラ輝いてる。心の中でシャッター切ったみたいに覚えてる。肌寒かった空気も。ずっとこの思い出に囚われていくのかな。
オープンキャンパスに行ったとき。真夏の日差しがギラギラしてて、涼しい研究室の中から見た木漏れ日の翠が美しかった。あの時大学紹介してくれた先輩たちはすごく大人びて見えて大学生活ってなんて自由で楽しいものなんだろうって心がうきうきした。今でもこの時のこと思い出すと将来への期待と不安が入り混じった何とも言えない甘酸っぱい気持ちがこみ上げてくる。つらい勉強も頑張ろうって思えた。今振り返ってみても、自分はあの時の先輩たちみたいに大人になりきれていなし、きっとこれからもあの人たちより大人になれることはないんだろうな。
大学生の時は片道2時間もかけて電車通学してたんだよ。同期からは散々馬鹿にされたけど、親が一人暮らしさせるの心配だったから。学費全部出してくれるのも親だったから。同期と飲み!とかサークル活動とか研究室に籠って勉強とか世間一般にいう大学生らしいことは全くしなかったけど、電車から風景眺めながら論文読んでたのがすごく懐かしい。
初めてデートもした。この人とも結局付き合わなかったけど。水族館に行って一緒に観覧車に乗った。2人とも緊張してがちがちしてたな。自分で言うのも何だけどすごく初々しかった。あれから観覧車のってない。
一人で初めて旅行もした。奈良の燈花会。朝早く行き過ぎて、ライトアップはじまるころには足がクタクタになってた。我ながらあほだな。
卒業式ではきれいな袴を着た。学友たちと写真撮ったり、教授に感謝の気持ち伝えたりしたけどいまいち「卒業」っていう実感がわかなかった。
去年の4月から社会人になった。毎朝起きて、化粧してヘアセットして職場に向かう。先輩からの小言愛想笑いでかわして、上司に頭ペコペコさげて。お客様対応とか笑顔もうひきつってるし。残業も長くて毎日家に帰ったら風呂入ってすぐ寝て朝。の繰り返し。土曜出勤もあるから日曜は死んだように寝てる。その分お金は稼げるんだけどね。好きだった趣味も社会人になってからやってない。
過去の思い出は煌めいて見えるけど、社会人になってからの思い出と現実は今もこれからもずっと煌めいて見えないような気がする。
そのまま。
ここ4年間ずっと銀河一好きなセフレに、一昨日LINEでさようならと告げたら昨晩まさかの返信をくれた。
インスタ徘徊を終え、ふとホーム画面のアイコンに目をやると未読数が増えている。
友人かなと確認したらトークリストの1番上に彼の名前が上がっていた。思わず体が跳ね、緊張からかガタガタ全身の震えが止まらない。
仕事を終え友人の家でダラダラ過ごしていた時のことだったので、どうしたの?大丈夫?と彼女が背中をさすってくれた。
目の前の私の様子にビビっていた、怖がらせてしまい申し訳ない。
誇張でもなんでもなく、気を失いそうになりながら恐る恐る細目でトーク画面を開くとそこにはひたすら誠実な返事があった。
引き止める為の文句は1つもなかった。
好意を抱いていることを知られるのが怖くて(捨てられると思った)、4年間必死に気持ちを殺し求められたセックスだけに徹していた。
何も誰にもどこにも吐き出さなかったが、短い時間を共にする間彼は優しい言葉を絶えず掛けてくれていたので、どうにか意思を貫き通していた。
家まで送るという友人の優しい申し出を断り号泣しつつ帰宅、コンビニで買った食べ物を詰め込み少し吐いて、2時半頃ベッドの上で力尽きた。
ふと目を覚ますと5時、下着も寝間着も寝具もぐっしょり濡れていた。立ち上がると全身に滴る汗。
気持ち悪いどころの話じゃない。
窓を閉め切った真夏の体育館で激しい運動をした時、高熱を出して寝込み続けた時、そんな時と比べ物にならないくらいの汗、汗の海だ。
洗濯機から脱水せずひっぱり出してきたような寝具カバーを急いで外し、自分も急いでシャワーを浴びる。
敷き布団と掛け布団を取り替え、念のためバスタオルを敷いて再び眠りについたのが6時手前。1時間弱して目を覚ますと再び汗の海。
そして泣きながら食べたものがうまく消化できないようでお手洗いに何度も駆け込む。
調べたところ自律神経の調節がうまくいっていないようだ。
これしばらく続くのかな。参った。
追記を消し新しく書きました。涙の海です。
ひとりひとりの力ではどうにもならないけど、みんなで力を合わせれば真夏に雪を降らせられる
スーパーで夕飯の買い物をしている最中、LINEの通知が届いた。
「BABYMETAL新体制のお知らせ」という件名を見て、とたんに胸騒ぎがした。嫌な予感だったから、ボタンを押すのを何度かためらった。
結局、後回しにしても結末は一緒だと思ったので、買い物かごの野菜を袋に入れるついでに、LINEを開いた。
YUIMETALが脱退したニュースを私はそうやって知った。
そのまま家に帰り、風呂に入り、泣いて夕食を食べて、今少し落ち着きを取り戻してこれを書いている。
私がBABYMETALにハマったきっかけは、サマソニ2014の出演者紹介ビデオのギミチョコのMVで
それがYUIMETALだった。
それからはよくあるメイトの話といっしょで、昼夜YoutubeでLIVEビデオをあさり、一週間後にはアルバムを買って
イベントホールの最上階で見る米粒のような彼女たちのパフォーマンスに心打たれた。以来4年間、ずっとファンである。
私はラウド系の音楽が大好きで、独身のころはよくモッシュピットでその場の有象無象がもみくちゃになる激しいライブが大好きだったが、
BABYMETALのライブで初めて、地蔵になるファンの心境を理解したし、実際自分がそうなった。
ノリのいい爆音の中で、体を動かすことより彼女たちのダンスから目が離せなかった。
本当は彼女の活動中にこういう記事を書くべきだったが、私は心底YUIMETALのダンスに惚れた。
私はダンスの素人で批評できるほど色々を知っているわけではないが、
激しく頭をふったかと思いきや、音ハメをするステップが乱れることもなく、
時ににこやかに時にクールに表情を作る彼女はプロフェッショナルだと思った。
マニアックな話だが、彼女のダンスの中で私が一番好きなところは
ヘドバンギャーという曲の最後の最後、操り人形がこと切れるように、腕を持ち上げてぶらぶらと揺らす振付の部分だ。
彼女たちのことを良く知らない人に説明すると、BABYMETALのライブは毎回ほとんど同じ曲で展開するが、
パフォーマンス中は曲転換の演出を除いてトークなしのノンストップのライブである。
およそ一時間半ほどのライブ中、インターバル3分程度の状態で、十数曲やるのが彼女たちのライブスタイルである。
スポットライトや火柱などの演出の中、たまにバラードやバンドのソロを挟むとはいえ、ずっと踊りっぱなし、歌いっぱなしになる。
ヘドバンギャーは大抵ライブのラスト前など、最後のほうに持ってくる曲だ。
BABYMETALの振付はPerfumeのMIKIKO先生がほぼ振り付けている。
ヘドバンギャーのダンスは、ジャンプや土下座などのダイナミックな振付から
先のMIKIKO先生らしい上半身の、特に腕の先までビタッと止める動きまで多様だ。
曲の中で腕をまっすぐ伸ばしながらも、肘から下をぶらぶらさせて
YUIMETALはこの四年間ほとんど、あらゆるライブにおいて
持ち上げる腕を水平に保つ、姿勢を保持する長さが変わらない。
その間の腕は吊り下げられたかのように持ち上げられ、キープされている。
真夏の酷暑の中のフェスのステージだろうが、パイロの炎をガンガン焚いて観客まで熱風の餌食になった幕張だろうが、
90分ノンストップで繰り広げるどのライブのステージでも、タイミングは変わらなかった。
疲れていれば、腕を早く下してしまうほうが楽だろうに、彼女はそういうことをしなかった。
そういうダンスへのプライドが垣間見れるようで、私はそのパフォーマンスを楽しみにするようになった。
私といえば毎回のライブの総括としてそれを見逃さないように躍起になった。
祈るような気持ちでヘドバンの腕の角度を見ては、その夜のライブもいいライブだったと満足するのが常だった。
YUIMETALのダンスは、上半身が激しい動きをする中一切下半身をぶらさない体幹の強さと動きのキレ、
バランスを保ちつつも、着地の位置まで決まっているかのように無駄のないステップなど
あらゆる点が華麗だった。
何度も上演する曲を、私が想像できないほど修練したのだろうと思う。
あまりにも洗練されているので、見ていて重力を感じることがないほどだった。
そういう彼女のパフォーマンスを、私はいつも楽しみにしていた。
YUIMETALのBABYMETALからの脱退はショックだ。
しかし、彼女は恐らくとても自分を強く持つ女性だということは、パフォーマンスの端々で感じていた。
その人が、あんなに大成功したグループを抜けるという意思を持ったら
これはもう何があっても覆らないのだろうと思う。
彼女がどんな夢を叶えたくて、あるいはどんな事情があって脱退するのか、私にはわからない。
でもあらゆる状況でも素晴らしいパフォーマンスをやり遂げた人が意思を持ったら
それは貫かれるものだと思う。
だから彼女の脱退を承認した、このバンドに関わる全ての人に、彼女の意思を尊重してくれてありがとうと言いたい。
SU-METAL、MOAMETAL、そしてマネージメント・スタッフにはこの状況下で、ひっそりと新体制のリリース準備を進めたことは
頭が下がる思いだ。
私は来週、幕張のイベントホールでBABYMETALのライブを観に行く。
奇しくも初めてBABYMETALのライブを観たのと同じ会場だ。
大好きなYUIMETALはいない。そのダンスは二度と見れない。
新しい体制となったBABYMETALを、私は目撃しに行くのみだ。
BABYMETALは、パフォーマンス以外の意思表示の機会は少ない。
ファンとして感じていたYUIMETALの信念を、意思の強さに、私は心底惚れていた。
一回り以上も年の違う女性に対して、同じ女性として尊敬をしている。
水野由結の名義で発表されたメッセージどおり、己で決めた自分の夢に向かって、これから突き進んでいてほしいと思う。