はてなキーワード: 徹夜とは
Youtubeを見ていると「実現しよう 煙のない社会を」というフィリップモリスの広告を頻繁に見かける。これは、あの広告が個人的に嫌いという話である。
メモを発展させて書き殴ったものなので、丁寧に構造を組み立てておらず、読みづらいかも知れない。あしからず。
さて、僕は煙草が嫌いだ。
どちらかと言えば、世論は喫煙に不寛容になっているようだが、僕の嫌煙は同調や順応の結果ではない。身内の喫煙者がタバコを吸うとき、必ずと言っていいほど苛立っていたことが原因である。
僕にとってタバコの紫煙は、常に叱咤と対呈示される理不尽の象徴であった。条件反射的にタバコに不快感と無力感を持つようになったため、街頭で煙に曝露されると、たちまち疲れてしまう。
幸い、他には何の不自由もなく育てられたが、それだけにタバコの煙には敏感になった。
こういった経緯で、喫煙者を一人一人鈍器で殴って絶滅させたいと思ったことすらある人間が、フィリップモリスの広告に反感を覚えるのは、意味が分からない説得だからである。
広告では、日本のどこかと思しき佳景に煙がかかっている様子を映し出し、まず「日本は美しい」と評価する。そして次の瞬間、その煙が晴れることで、煙がなければ日本はさらに美しくなると主張し「実現しよう、煙のない社会を」と締めくくる.......
さも日本の自然がタバコの煙によって脅かされているような描写であるが、そんなことはない。現状、吸殻の方が大きく影響している。あれほどの粉塵濃度はまずあり得ないし、あったとしたら先に酸性雨で美しい自然がズタズタになっていそうなものである。
あんなに人の少なさそうな場所で、あれほどの煙が滞留しているのなら、日本は世界一のヘビースモーカー国家に違いない。化石賞なんか貰ってる場合ではない。
実際、新宿西口のクソデカ喫煙所の方が圧倒的に煙に覆われているはずだが、広告で示されていたほどの粉塵濃度はなく、景色が隠されることなどはあり得ない。このことは、田舎生まれ田舎育ち田舎在住の僕ですら経験的に知っている。
人跡未踏ではないにしろ、あのような辺鄙な土地に新宿西口以上の喫煙者が集うはずがない。愛煙家コミュニティの喫煙バーベキューパーティーでも厳しそうな感じがある。
視覚情報を手がかりに訴えるのだとしても、少なくとも煙では事実に反するから、無理があるように思う。
個人的には、やるなら吸殻の方がいいんじゃないかと思う。生態系が壊れるから無視はできないし、生き物の死骸で同じようなことが出来るから...
ともあれ、分かりやすさのために、視覚情報に訴えることを企図ことまでは良かったが、方法として煙を使ったことで、やむ無くでっち上げた嘘であるように見える。
広告である以上、わざとらしいことには目を瞑るとしても、関連のない部分を関連しているように見せること、あるいは事実と異なることをでっち上げることは、色々とまずいように思う。
法律には詳しくないが、これはなんちゃら表示法とかに触法しないんだろうか?
また、煙が晴れる瞬間に、本来の写真から彩度を上げている部分も気になる。いや何してんの?
加工によって、あるがままの日本の自然の美しさを否定していることについては、何とも思わないのだろうか?「日本は美しい」のでは?
あれでは「煙がなければ更に」ではなくて「加工をすれば更に」ではないか。当たり前すぎる。
こういうわけで、最初見た時からこの広告が嫌いだ。こんな空虚な説得で、一体なにがしたいんだろうと常々思っている。
あれで人生を数秒無駄にするのが腹立たしくなったことがきっかけで、僕はBraveをインストールした。最高。
ここからボルテージを上げてブチ切れようと思ったが、これ以上言っても仕方ないし、徹夜の作業明けで眠いのでやめておく。
代わりといっては何だが、動画を見る度にメモしていたことをまとめたものを以下に箇条書きで示しておく。苛立ちを共有したいだけで、深い意味はない。
・は?
・見窄らしい詭弁
・蛮勇と蒙昧のハーモニー
余談
こういう分かりやすさにそのまま乗ってしまう人がいるのが一番怖いなあ...と思っている。
何かを疑い続けることをやめた人は、適当な詭弁を弄する輩に賛同し、極端な判断をしてしまう。それは信じることではなくて、無批判に受け入れることだ。字義通り、センスがない。
今のところ、喫煙者は高額納税者として、きちんとその義務を果たしている。権利を奪うにしても、論理的な事由がなければ、それは圧政になる。こんなことで奪おうと思うべきじゃない。
僕はタバコが本当に嫌いだが、ここだけはしっかりしてえなあ...とマジで思った。考えるきっかけをくれたことは感謝すべきなのかも知れない。
女が男の家に泊まりたくて「終電なくなっちゃった~」みたいな奴が嫌いだ。
電車が24時間営業だったらどうするんだ?別の口実を探すのか?
言わせようとすんじゃなくて、やりたいことがあるならお前がどうしたいか言え。
雨が降ろうが槍が降ろうが鉄の意志があれば帰ることも野宿することも徹夜することもすべて可能だろ。
ここがサバンナでも同じこと言えるのか?
それができないくせに(察しの悪い男)だとか言って貶したりする。
周りの助けてくれる環境である程度は緩和できるかもしれないけど、最低限金が要る
ましてや、周りに助けを求められずに独りで生きている自分は控除なんてないから丸々金で解決しないといけない
生活に余裕が無いと自然治癒で治すしかないから長引いて、更に仕事の効率が悪くなって、収入に響く
収入が落ちて、改めて気づいた…
バイクでこけようが、徹夜で仕事しようが、1日中重い荷物を持とうが壊れない体だけど
心は3年周期位に折れてる気がする
そういう時は心の済むままお金を使ったり、どうしようもない時は病院行ったり、疲れて実家に戻ったり
そうやって何とかやり過ごしてきた。
「キャパを増やす」という考え方、ちょっと違うと思うので考え方を変えたほうがいいと思う。
ネットでは自身の活動力をゲームになぞらえてHPとかMPが削れるみたいな表現する人が多いけど、その捉え方は感覚的に違う。
インターネットの人は自分含め陰キャが多いので、「人と長時間話すとMPが削れる」みたいな感覚をもっているけど、常にコミュニケーションの場に身をおいて生きている人はそんなことなくて、むしろ一人で部屋にいるときに消耗したりする。(周囲を見ていると、最近それがテレワークで可視化されていると感じる)
また、バイタリティがある人は別に強い肉体持っているわけじゃないし、むしろ不摂生な人がすごい活動量だったりすることもある。
バイタリティすごい人じゃなくても、本当に好きなこと(ゲームとか)だったら簡単に徹夜もできてしまったりする。
トラバにもあったけど、ドーパミンとかアドレナリンとか、そういう脳内物質がどう分泌されているかとかそういう話なんだろうな。
とにかく、HP/MP的な捉え方をするには、人によって特性があまりにも違いすぎる。キャパを増やすというよりは「自分が消耗することを避ける/消耗を減らす」という考え方をしていくといいと思う。
仕事があってなかったら変える(これは簡単じゃないが)とか、人混みが疲れるならそういう場所は避けたり混んでいる時間には外出しないとか。
自分の場合、雑音とか視界に入る他人とかが気になるせいで、映画館やカフェなどの場所ですごく消耗するというのに最近気づいた。そういう場面で人より消耗すると気づいてからは「なんで自分はキャパがないんだろう」という考え方はあまりしなくなった。
避けられない・避けたくないことについては、鍛える・慣れるか、投薬等で対応できるならそのアプローチをする。
自分は人とコミュニケーションするのが本当に疲れるタイプだったけど、流石に何年も仕事をしてきて、昔よりは消耗度合いは減った。
投薬については特性によるけど、他の人と比べて自分が疲れやすいと感じるなら心療内科で相談してみるとなにか気付けるかもしれない。
あるいは何かを猛烈にこじらせているか、その両方みたいなイメージがある。
だって一番多感な時期をとんねるずとヒロミ見て過ごしていて、ヤンキーかファンシーが絶対正義。
要は上手に反抗できるズルさ強かさが喝采を浴びていたと。
片や、ファッション誌発の流行という「半ば強引に作った売れ筋」にはホイホイ乗る軽薄さも持ち合わせていたわけで。
これだけ取っても行儀悪すぎ頭悪すぎ。しかも典型的な内輪受けにしかなっていない印象。
音楽もB'zとかサザンとかそういうのばっかりな一方で、モー娘。が出てくるまでアイドルなんて見向きもされなかった。
アイドルついでに言うなら仮面ライダーもウルトラマンも幼少時に経験しておらず、共通言語はスーパーマリオとDQに始まりドラゴンボールとストIIとスラムダンクに至るという流れ。
そこへ宮崎勤事件と宅八郎ムーブも相まって、要するにファミコンゲーム以外のオタ系コンテンツには決定的に無理解な世代。
そんな歪さに嫌気が差したオタク連中が後年、2ちゃんねるで煽り煽られネタ投下に自作自演にくすぶるようになり、これが今のネトウヨと弱者男性のルーツだったと。
てか、オタクの中でも比較的まともだったのがエロゲに入れ込んでいた(徹夜で泣きゲークリアとかしちゃう)奴らで、結果的に最も自分だけの楽しみ方を確立してたとか終わってるだろ。
その後社会に出て上に凹まされっぱなしのカルチャーショックだらけな経験を重ねた結果、自分達の上のバブルとか団塊ほどは若い世代に辛く当たらないおっさんになったけど、一皮むけばドン引きするような粗野な部分を内包しているのは変わらない。
月:日勤 8:00~17:00
火:日勤 8:00~17:00
水:夜勤17:00~24:00
木:実質休み
金:深勤 0:00~ 8:00
土:休み
日:日勤 8:00~17:00
これって木曜日の0:00に業務が終わってその日の24:00には出勤しないといけないんだよ
そう考えると水曜日の夜勤明けにすぐに寝ると大体の場合、木曜日の朝に目が覚めるから
なので、水曜の夜勤が終わった後は木曜朝のそれなりの時間まで起きている必要がある
まずこれが辛い
次に金曜の深夜勤明けも難しくて、徹夜で仕事してよっしゃ終わった寝るか!ってすると
そうすると土曜の朝らへんに眠たくなって土曜で何とか立て直さないと日曜の日勤に遅刻する
1.金曜の深夜勤明けても寝ない、何とか夜まで頑張って夜になってから寝る
2.金曜も徹夜して土曜の昼からなんとしても寝ない、何とか夜まで頑張って夜になってから寝る
おすすめは1
2の場合土曜日の総起動時間が長いので疲労、睡眠不足が蓄積し、日曜の朝の寝坊率が極めて高まる
※もろちん夜勤日勤シフト者に底辺労働者が多いのも原因の一つではある
深夜勤明けに何とか眠らずに夜まで時間を潰す一番いい方法がパチンコ屋に入ることだからだ
聴覚的にすげーうるさいうえに視覚的な刺激も高く演出が来るとアドレナリン、ドーパミンが出る
もう疲れて死にかけている脳をなんとか騙して夜まで頑張らせるのにうってつけなのである
そうこうしている間に身体も脳もボロボロになってシフト者はいなくなっていく
はっきり言って日勤夜勤シフトするくらいなら限定夜勤のほうが100000倍マシ
死ぬよ
1-1. 徹マンとは
徹マンという言葉をご存知でしょうか?男性ならば学生時代や社会人になって1度は聞いたことがある言葉だと思います。徹マンは「テツマン」と読みます。テツ=徹夜、マン=麻雀のことで、徹夜で麻雀を打つことです。
徹マンの最大の魅力はやはり、長時間麻雀ができることでしょう。長時間やることで強くなっていきます。もちろん、友人たちと徹マンすれば面白いこともいっぱいあります。
邪魔が入らない
よくもわるくも場が荒れる
予約までして発売日に手に入れたよ!
うきうきして本体にセットしてアプデすませていつでもプレイできる状況だよ!
でもまだやってない。
早起きしてやるぞ!って30分くらい早く目が覚めたりするんだけど、目が覚めたら覚めたで「30分か。半端なところでやめるのやだな。」って気づいたら別のゲームポチポチ。
なんというか、中途半端なコンディションのときにダラダラとプレイしたくないからしっかりと環境を整えてプレイしたいと思っているのだけど、すでに10日くらい経ってしまった。
据え置きゲームの大作が廃れていく理由ってなんとなくこういうことなんだろうなって思う。
邪魔されたくないと思えば思うほど、邪魔されてもいいって思えるゲームばっかり手が伸びちゃうんだよね。
敷居が高いというかハードルが高いというか、障壁が厚いというか、心理コストが高いというか。
ここ数年の課題として、自分の毒が蓄積されている感覚があります。
おそらくその原因は「自分が他の人と比較して欲望を犠牲にして実績をつけてきた」という自負だと思っています。
これは半分事実で半分は嘘、というか運が良いだけだと思ってます。
そこで私はエンジニアの管理・調整などを行いつつプロジェクトを進めていく役割になりました。
なんだかんだで実績を出せて利益に繋がり徐々にメンバーも増えていったのですが
控え目に言っても3年は私がいなかったら存続しなかったのではないかと思っています。
これは驕りと思われるかもしれませんし、一方で会社なんて誰が辞めても存続はするように仕組みを整えるものだと思いますが
そうは言っても当時は私がコアメンバーだったとは思いますし、私が抜けなかったことで成立した側面は結構大きかったのではと思っています。
幸いなことにきちんと上司には評価され、平均年収を軽く超える収入を得ました。
労働時間もベンチャー企業と言いつつもある程度は管理され、規格外の残業時間になるようなケースはなかったです。
こう聞くと恵まれているように見えます。それは事実である一方で失われつつある感覚もあります。それは感性です。
仕事のせい、と言い切る訳ではないのですが、大きな要因ではあるのかなと思ってます。
コアメンバーになってしまったのである種必然的ではありますが、案件の難易度は高く、かつ会社的に重要なものが多かったのです。
そういう状況を繰り返す中で「難しくてもなんとか解決して乗り越える」実績はそれなりにつきました。
もちろん人間関係にも恵まれていた方だと思いますし、メンタルも結構強い方だったみたいです。
ただやっぱり、サービス残業や休日出勤はしないにせよ、勤務時間後や休日に仕事のことをモヤモヤ考えたり、仕事の分野を少し勉強したりはありました。
コロナ禍でリモートワーク主体になることもあって、余計に仕事とプライベートの分割の難しさを感じました。
とは言うものの、仕事がアイデンティティの中に入らないようにはコントロールしました。
というか、私の感覚としてどんな案件であれアイデンティティにそもそも入らないみたいでした。
「お客さんを助けたい」とか「社会問題を解決したい」とかそういう強い意思はなくて、ただ目の前の案件をクリアする。
ゲーム感覚でしかないのです。ただ性格・能力的にあった仕事で楽にお金を稼いで、それなりに快適に暮らせたらそれでいい。
ついでに周りの人から重宝されたり感謝されたら少し嬉しい。その程度でしかないのです。
もともと上昇志向なんてそんなにありません。プロジェクトをうまいことコントロールしつつ
トラブルなくスムーズに進められたらそれでいいという感覚でしかないのです。
適度に妥協しつつ、それでも要件は満たすように良い感じの着地点を設定して進める。
そういう感覚がベースとしてあるにもかかわらず仕事の難易度はそれなりに高かったので
「ちゃんとしないといけない」という感覚が自分の中で強まり、プライベートが徐々に侵食されていきました。
シンプルに頭が疲れるので、休日は結構寝ないと回復した気がしません。
残業は少ないにせよ、新しい娯楽を楽しむ気力がなかなか持てず、睡眠を優先してしまう。
仕事の方で頭をフル回転させないといけない。そういう感覚に徐々になっていくのです。
じゃあ休んでリフレッシュすればいいじゃんってなります。それはそうです。
もちろんストレスに負けたら有給は取得しますが、普段はなかなか押せないんですよね。
これは環境ではなく私が原因の側面が大きいのですが、替えが効きにくいポジションになってしまうことが多い以上
有給を取ったとしても自分の仕事を他の誰かがやってくれるわけではないからです。
なので、ある程度プロジェクトがうまくいってる時か、プロジェクトの切れ目とかではないと
なかなか有給は心理的に取りにくいと感じてしまいます。うっかり仕事中心の生活にしてしまうし、うっかりクリアしてしまう。
だから評価されるし、次の案件の難易度は必然的に高くなる。そうして見えない神輿に乗せられて、徐々に降りられなくなっていく構造を感じます。
このサイクルを繰り返すことで、私は徐々に感性を失っていくような気がしてきました。
とは言いつつ完全に無趣味になってしまうかというとそういうことはなく
友人とゲームをやったり、たまにライブに行ったり、映画や漫画などの娯楽は適宜摂取しています。
でも、昔と比べて全部上滑りしている感覚を拭えないのです。
学生時代に何かに夢中になって徹夜したとか、ストーリーや登場人物に没入してめちゃくちゃ泣くとか
授業中にもそのことを考えて空想してしまうとか考察サイトを全部追って自分の解釈と比較するとか、そういう感覚になるほど夢中になれたりしないのです。
ストーリーものなら疲れたとか眠いとか思いつつ、時には仮眠をとりつつ完走するとか
競走系なら友人とDiscordで繋いでゲームするとかそんな感じでしかないのです。
感想も「なんとなく良い感じ」とか「中だるみもあったけどなんだかんだで割と面白かったな」で終了。
常に40-70点の感覚です。上振れも下振れもありません。ただ通過するだけ。
単純に年齢によるものかもしれません。あるいは体力もおそらく関係するのかもしれません。
そもそも、インドア趣味に飽きつつあるフェイズなのかもしれません。
あるいは、夢中になれるほど時間を費やしていないのかもしれません。
これまでの経験上、感性を培うにはそれ相応の時間が必要だと考えています。
現状では、その時間が不足している気がしてならないのです。
趣味は自分の感性を培うのではなく、ライトなコミュニケーションツールでしかない。
多くの人はそもそもそのくらいの温度感でしか趣味をしていないのかもしれませんが
どれもフワッとした楽しみ方しかできない自分の空虚感をすごく持ってしまいます。
今後仕事で更に求められる水準が高くなり続けるであろう状況を鑑みて
一人で心身をコントロールしながら乗り越えていくのは厳しいし
でも、現段階で一人で生きると決断できるくらい肝が座っているわけでもない。
そこでお互い現代社会を乗り越えて、色んな楽しみを共有できるようなパートナーが欲しいと思い、婚活を始めてみました。
1, 2年マッチングアプリをやってみて10人前後に会いました。
曲がりなりにもスペックだけ見ればそれなりに高いので、そこそこの人数と会えてしまいました。
でも、私の中での感性が減っており「ピンときた!」感覚になかなかなりません。そうして無意識にコミュニケーションの中で相手の地雷を踏んだり
アプローチの決め手に欠けて及び腰になったり、なんとなくで交際を申し出て
とりあえずOKをもらっても上手くいかなくて数ヶ月で破局したりというケースになりました。
こうした中で、私の致命的な欠点を感じました。それは「他の人を見下してしまう」というものです。
例えば仕事の愚痴を相手から聞くことがあったとして、うんうんと聞いてる裏で「どうしてこの程度で愚痴を言うんだろう?」
と思ってしまう自分が少なからずいるのです。そもそも自分の環境がある程度恵まれていることや、マネージャ的な視点が強いからという点もあるのですが
多くの人にとって仕事は「降って湧いたもので、理不尽を強いられるもの」という感覚だとか
自動的に仕事とアイデンティティを結びつけてしまうから、仕事の否定を自己の否定と直結させてしまうとか、そんな傾向を感じてしまいます。
そして、こういう類の愚痴を聞くと「それはあなたの認識の問題じゃない?」ってすぐに考えてしまうのです。
ある程度信頼関係があるなら直接言っても問題ないのかもしれませんが、そうでない関係だと言うのはさすがに良くないでしょう。
「それは本当つらいよね」とか「あなたはよく頑張ってる」とかで共感を示せたらいいのはわかっています。
というか言います。でも、心の中でそんなことを思ってない自分がいる。相手に好きになってもらうことを考えたら
それが最適解になるのはわかっています。でも、本心は全然共感していないのです。
私たちはそれぞれ地獄があるとは良く言われますが、オアシスを地獄だと思う癖があるのではないかとか
悲劇のヒロインぶる癖があるのではないかとか、メリットとデメリットを客観的に見ることができず
デメリットを過大評価してしまっているのではないかとか、そういう見方をしてしまうのです。
そういう考えが根底にあるのでコミュニケーションのどこかで「この人は危険だ」というセンサーをどこかで作動させてしまっている気がしてならないのです。
というか事実そうなのでしょう。自分の中で「真っ当ではない」心があるのを感じます。寛容になれない心があるのを感じます。
そう考えると、私の中でモラハラ気質はめちゃくちゃあると実感してしまいます。
幸い職場ではまだ発露していないですが、家庭を持つとなると何がきっかけで発露してしまうかわかりません。
ただこれは仕事ができてしまった、たまたま評価されてしまった報酬と引き換えに持ってしまった性質としか言いようがないのかなと思っています。
こうして見ると、分不相応な難易度の案件を仕事に過剰にリソースを割くことでクリアしてしまい、結果性格を拗らせてしまったという状態なのでしょう。
自分の中に蓄積された毒を認識し、それを発露させないように取り除くのは極めて難しいと思っています。
私の場合、仕事の報酬や実績と引き換えに持ってしまったので尚更です。
おそらく男性は自分の価値観や性格が変わりつつあることを意識しない人が多いと思います。
また内面を話して受け入れてもらったり、フィードバックをもらう機会はそう多くないと感じます。
ただ、そうやって定期的に毒や棘を取り除いていくことで表面的には穏やかな性格に見られるのかと思います。
しかし、そうした機会が少ないと棘の上から武装することになる。するとふとした瞬間に相手に毒や棘を見せて危険だと思われてしまい、結果的に拒否される。
そういうケースは非常に起こっているのではないかと感じます。現代社会を生き抜くためには精神の武装を強いられますが
鎧の耐久値を上げることに躍起になって解毒や棘を除くことを怠るのも、それはそれで歪みを生じてしまいます。
必要なのはパートナーという形でないにせよ、信頼できる人に内面を話して理解してもらうだとか、楽しいことにフォーカスするとか
仕事の役割を変えてもらうよう交渉するとか、そもそも転職や引っ越しをして環境をガラッと変えるとか、そういったことなのかなと思います。
とはいえ、私も体力がある方ではないですし、すぐに解決することは難しいので、できる範囲で少しずつ試していくしかない。
そうやって世の中とチューニングしていくしかないかなと思っています。
今回は解毒の手段の一つとして自分の状況を言語化し、可視化できる状態にしてみました。
そしてあわよくば全世界の人からフィードバックを得ようという算段で増田に投稿してみます。
みなさんの毒はどういう種類のものですか?
そしてそれをどのように取り除いていますか?
コミケで隣の隣の隣、ぐらいだった気がするクリエイターが自殺してしまったらしい。話した事もないが、隣の隣の隣、ぐらいで見た事がある人だし、そこそこ気になってニュースやスレを見た。
コミケのスペース、席の場所というのはなんとなくジャンルや作家性で配置されているもので、隣の隣の隣というのは割と境遇が近い事を示している。初めて知ったが年も同じだった。
なのでぶっちゃけ、自殺のニュースを聞いた時「わかる~~」と思ってしまった。自殺、する事もあるよね~。自分も今は若干落ち着いているが2年前ぐらいは毎日飛び込む駅を探して徘徊していた。
でも掲示板とかSNSとか見たら、「どうして・・・」「理由がわからない・・・」みたいな意見でいっぱいで本当に驚いた。
一時芸能人が立て続けに自殺した時も感じたけど、世の中の皆、自殺しようって考えた事がないのだなと思った。死にたいとか安楽死させろとか気軽に言うから、皆考えた事があるのだと勘違いしていた。
件の人がどのような原因で、という話ではなくて、「どうして〇〇なのに死んだの?」という疑問自体が疑問だ、という話だ。
ダントツでわからん。件の配偶者が原因等と言う気は微塵もないが、旦那や妻が原因で自殺とか珍しくも無いだろう。
恋人が居るなら絶対幸せに決まってる!という考えはどこから来るのか謎。「孤独な俺より確実にマシ」と言いたいのかもしれないがDVとかされるなら孤独な方がよくない?実際それで皆離婚するんだし。
止めてくれる人が居たのに、という意味であれば自殺は見つからないようにするのが鉄則なので「全然自殺する気なんかないで~す」という雰囲気をあえて醸し出していたかもね。突発的なら止めるもクソもないし。
イラストレーターってそんなに儲かりませんからね。漫画家と違って印税って概念がないし、買い切りだから1枚ものすごくデカい絵を描いてもそれで1年ごはんを食べるとかは到底無理だし。
画集とか出すレベルになると印税は入るけど大量に買われるものではないし。ラノベの挿絵とかだって、1枚10万貰ってても1年に刊行される冊数考えたら・・・なぁ。
女なら配偶者に養ってもらえよという意見も見たが配偶者が養ってくれるという考えがどっから来るのかわからん。それぐらい女のクリエイターにはヒモがくっついてる事が多い。というか多分まともに稼いでる男は敬遠する。
それはSNSだからだよ。まともな意識のあるクリエイターなら毎日「死にたい・・・」とか書かないだろう。書いたとして周囲がどういう印象を持つかは明確に「メンヘラ」「かまってちゃん」だろうし。
「腰が痛い」「頭痛がする」とか実際に身体的に起きた苦痛を並べただけでもメンヘラ扱いされるし、黙ってりゃ黙ってるで富樫みたいにサボってゲームしてると思われるものなので。
結果「毎日楽しい!」とか「これからも頑張る!」とか書くしかない。客商売なんだから大正解だ。SNSじゃなくて対面でもそうだ。笑顔の人間の方がいいのは当然だ。でも別に死にたさが消えたりはしない。
上記と被るがクリエイティブな仕事は大抵本人が楽しそうにしている事を求められる。が、仕事は仕事だから。腰が痛くても腕が痛くても全然寝られなくても「楽しい~!仕事大好き!」という体で居なければならない。
でもやっぱしんどい事はしんどいよ。口あけてたらお金が入ってくるならその方がいいよ。じゃあやめたら?と言うだろうが他に資格もなければ技術も経験も無いんだよ。社会人上がりのクリエイターの方が強いのはそういう所もある。
未来があるじゃん、色々やり直す時間もあるじゃん!と言われたらそうなんだけど、実際に死のうかなって考えている時は現状の苦痛から逃れたい一心なんだ。
まぁもちろん人によるけど、全身が痛いからどうにかしよう!ってなった時に新しい未来の事なんか考えてられん。とりあえず痛いのをどうにかしよう!となると死ぬ。実際の身体の痛みじゃなくても死ぬ。
明日の仕事嫌だな!とか納期が迫ってきて徹夜なの辛いな!とかでもゲージがMAXになると死の選択肢しか考えられなくなる。おかしいでしょと思うだろうが多分おかしい。
休めんのだ。自分はコロナで強制的に休んで多少回復したけど、こういう表に人格が出ちゃう仕事って休むと色々言われるのだ。
仕事をしなかったり、SNSを更新しなかったり、配信をやめれば原因を探られるし、サボってると言われるし、ある種のファンの「次の作品待ってます!」のような温かい声援も重荷になる。誰かに代役を頼める訳でもない。
今はfanboxみたいな定期更新を必要とする媒体も多いし、まともで善良で活躍している人ほど全てを踏み倒して失踪できないだろう。別にこれはクリエイターに限った事じゃないと思うけど。
よく増田でも鬱気味の人に「ゆっくりやすみな」と声をかけているのを見るが、正直休み方がさっぱりわからない。わからないので毎日「右腕が折れますように・・・」と祈っていた。
何かもう少し別の方法が必要ではないか?と今は思う。拉致して保養所につれて行くシステムとかさ。個人事業主だから無理なんだが。無理なんだよな。無理だわ。