はてなキーワード: 中庭とは
各所にある日記のメッセージを読んで、要点をメモっておく必要がある。(なお、意味ありげに書かれていた子供たちの年齢や趣味は全然意味がなかった)
稼げる階は敵も強く、レベル上げに適した場所がないため、最初から最後まで敵に苦しめられる。全体攻撃ぶっ放す敵も多いため、後衛も生命力は高めにしておいた方が良い。
・入場するには宝珠キュベルネシスを扉に書かれている形にして、更にパーティの誰かの名前に「@」が含まれていなければならない。(名前に徴を入れろというから「徴」を入れたのに入れないから、バグかと思って攻略情報を探したら「@」である事が判明。一応、各メッセージを丹念に読めば分かるようになっていた。中庭(1階)の一角が「@」っぽい地形になっていて、ウィザードアイなどでマップを見れば分かるのだが、そりゃ無茶ってもんだろう)
・正しい順序で6個のスイッチを踏んでいくだけだが、まず部屋の隅でミュージックスタートしなければいけない。(それを知らなかったせいで、ずいぶん手間取った)
・ミュージックスタート後にスイッチを踏んでいくと、正しいスイッチを踏めば拍手喝采を浴び、間違えた途端ミュージックが止まるので、正しい順序の情報を持ってなくても何度かやれば簡単にクリア可能。
・なお、正しい順序は地下牢の鍵取得時に同じ場所にあるメッセージに書かれている「6つの星」の事。(確か「北」「南西」「南東」「北西」「北東」「南」の順だった気がするが、上記の通り、間違えるとすぐわかるので覚えておかなくても難しくない)
■運行の回廊
・運行の回廊の進み方は地下牢のメッセージに書かれている。日数との関係は図書館のメッセージに書かれている。正解は次の通り。扉は宝珠キュベルネシスを、「〇」→「D」→「(」→「無印」、の順で使って抜けて、次に8時の扉を抜け、宝珠キュベルネシスを「)」にして抜ける。5つ並んだ扉は、「銀の槌」を持った状態で銅の扉を抜ける。
・砂時計は宝珠キュベルネシスを「C」にした状態で、1階の回復の泉の老婆に会うともらえる。回数制限があるが、無くなったらまた会えばまたもらえる。
・宝珠キュベルネシスを「C」にした状態で砂時計をもらって、そのまま運行の回廊に行くと、砂時計の使用回数がギリギリ足りない(途中の扉で「C」から「D」に戻さないといけないロスがあるため)。そのため、砂時計をもらったら一度宝珠キュベルネシスを使い切って、もう一度宝珠キュベルネシスを入手する、という方法で砂時計の使用回数を節約する必要がある。
■天守閣の鍵
・地下牢の北西にある。(中ボスみたいなやつが守っている)
・地下牢の北西への道(ダークゾーンの北を通る通路)は途中で塞がれていて通れないが、なぜか気づいたら通れるようになっていた。多分、以下のどれかの条件で通れるようになるのだろう。
・候補2:ダークゾーンをピットを一度も踏まずに抜ける。(図書館に「僕らの秘密」というメッセージでダークゾーンのマップがあるが、フォントの関係か微妙にずれてて読みづらい。抜け方は、ダークゾーンに入って「北1」「西2」「南1」「西2」「北2」「西2」「南1」「西1(扉)」「南1」「南1(扉)」の順)
・候補4:1階の闘技場で勝つ。
■その他
・テレポーテーション(マロール)で行けない場所が多い。特に、宝珠キュベルネシスを使わないと通れない扉の先は一度行った場所でもテレポートできない。
・このシナリオはラスボスがいない。天守閣で5人目を救い出したら、1階で5人引き渡してクリアである。パーティレベルとしては、魔術師が13レベルに達していれば特に問題なくクリア可能。
・最終ステージである天守閣は敵は強いものの、別に謎解きがあるわけでもなく、ボスもいないので、攻略は拍子抜けするほど簡単である。運が良ければ大して強くない敵を何度か倒して5人目にたどり着ける。そのせいで、もっとも印象の薄い階になっている。
・闘技場は1階の隠し扉の先にあり、宝珠キュベルネシスを扉に書かれた形にすれば戦う事ができるが、勝っても何も起こらなかったので、正直何のためにあるのか良く分からない。
・満月王の5人の子供を連れ出すには、鳥かごが必要。鳥かごは一人連れ出すたびに消えるので、合計5回取りに行かなければならないので、場所を覚えておく必要がある。(場所はエレベーターで4階に昇って隠し扉を抜けた先であり、別に難しい場所ではないが、地形的に平凡なせいで、マップを見ても何かありそうに見えないので思い出すのが大変だった)
・地下牢で急に敵が強くなる。天守閣で更に急に敵が強くなる。クリアのためにレベル上げするのは地下牢で行うが、ここで稼げるジャイアントゾンビとサキュバスは強力な全体攻撃持ちであり、マスターニンジャなどの首はね持ちも出て来るので、常に死亡リスクがあって疲れる。リスクの割に稼げない敵が多いのも困った点。
・天守閣は地下牢より稼げるとは思うが、天守閣で稼ぐくらいならさっさとクリアしてしまえるので本末転倒である。
・2階からガードを倒した先にある階段で3階に上がり、魔術師を倒して宝珠キュベルネシスを入手する。(以降、無くなったら同じ方法で入手する)
・中庭で宝珠キュベルネシスを「C」にして、老婆から砂時計をもらう。(以降、無くなったら同じ方法でもらう)
・エレベーターで4階に上がり、隠し扉のさきで鳥かごを入手する。(以降、満月王の子供を一人助けるたびに再度取りに来る)
・2階の奥の方(回転トラップとワープがあるので迷いやすいが)で人造人間みたいな変な奴を倒し、その先の部屋を宝珠キュベルネシスを「〇」にして通って満月王の子供(1人目)を助ける。
・エレベーターで3階に上がり、宝珠キュベルネシスを「D」にして通れる扉の先で4階に上がり、隠し扉を抜けて地下牢の鍵を手に入れる。
・2階のダンスホールで正しい順序で踊り、図書館に行けるようにする。
・エレベーターで3階に上がり、宝珠キュベルネシスを「D」にして通れる扉の先で4階に上がり、隠し扉を抜けて奥の方からシュートを使って3階に下りた先で満月王の子供(2人目)を助ける。(4階のシュートは、「バルコニーには出るな」と言われた部屋からバルコニーに出てガードを倒した先にある。レビテーションを使っていると落ちれないので、使わない事)
・2階で地下牢の鍵を使って地下牢へ行き、2つのダークゾーンを突破して満月王の子供(3人目)を助ける。
・2階で運行の回廊を突破し、満月王の子供(4人目)を助ける。
・地下牢の北西で大して強くない中ボスを倒し、天守閣の鍵を手に入れる。(しかし、あとから考えて見るとラスボスはこいつである)
・1階から天守閣に行き、奥の方で満月王の子供(5人目)を助ける。
■遭難記録
・天守閣で変な女みたいなキャラがカルネージ(バカディ)をぶっ放してきて一発全滅。第1次救出パーティを編成したが、地下牢でサキュバスから逃げそこなってメガフリーズ(マダルト)連発であえなく全滅。第2次救出パーティがテレポーテーション(マロール)で救出。
・天守閣でテレポートの罠によって石の中。即座のソフトリセット。再開しても石の中だったが、なぜか呪文は使えたので、テレポーテーション(マロール)で脱出。(このシナリオが弓が全然出ないので、後列の盗賊は戦闘で全くの役立たず。にも拘わらず肝心な所で罠解除をしくじるとか。)
■円滑な攻略に向けて
・エレベーターを使って2階~4階でレベル上げを行う。11レベルでギガフリーズまで覚えたら、地下牢で13レベルまで上げる。※地下牢の敵としては、ジャイアントゾンビ・サキュバス・ワーバット辺りを積極的に狙う。
・毒持ちの敵がやたら多いので、毒消しポーションは常に持って行った方が良い。
・ジャイアントゾンビはブレスがきついが、一匹で7000くらい稼げる。ただ、魔法が全く効かないので後衛はひたすらブレスに耐えて生き残らなければならない。
・サキュバスは経験値も割と良いが、何より逃げそこなったときにメガフリーズを浴びる可能性があるので、2匹以上出てきたら極力戦った方が安全。一緒に出て来るキメラは大した脅威じゃないし、ライオンオブクラウンはサフォケーション(マカニト)が効く。
たぶん自分以外は全く気にしていないだろうふとした言葉が、どうしても頭から離れず残っていることはないだろうか。心に残る名言とかそういったものではなく、もう少し生産性のないもので、忘れてもまったく困らないようなことなのに、なぜか忘れられずに頭にこびりついていること。
暇になったので、私の人生の各地点におけるそういった言葉をいくつかピックアップして振り返ってみる。
私の出身高校はお寺に附属している私立高校で、地域のお寺の跡取り息子という生徒が各学年に何名かいるような、ちょっと変わった学校だった。そのため、選択科目の時間は「書道」「茶道」「修行」を入学時に選択することになる。
(この「修行」については実際のところ別の名称があるが、それを検索すると容易に学校名が特定できてしまうため伏せている)
そのシステムを全く知らずに入学した私はこの3択の中で最も普通そう…と思い「書道」を選んだのだが、入学して話を聞いてみると、圧倒的に人気なのが「茶道」ということが判明したのであった。というのも、茶道の先生がとても優しく、また授業中に毎回振る舞われる季節のお茶菓子が非常に美味しいとのこと。そういうことは入試要項に書いておいてほしかったが、1年間は選択科目を変えられない。
初めての選択授業の日、同じように事前の情報入手に失敗したと思しき私たちクラスの情報弱者達の顔ぶれは見事というほかなかった。何故か毎日きっかり30分遅刻して来る奴、入学2週間目にして校内でキティちゃんのサンダルを履いている明らかな不良、冴えんメガネ(私)、金髪、などなど、明らかにクラスの上澄みが茶室に出ていった後の底に溜まっている淀みそのもので、狙ってもなかなか出来ないような吹き溜まり感のある人選が逆に面白かった。余談だが、書道の先生の名前はジュンコ先生といい、ものすごく筆順に厳しかったため、書き順子と呼んでいた。
とにかく異常につまらない書道だったが、それでも半年ほど一緒に同じ空間にいるとなんとなく仲間意識のようなものが出来始めていた。この環境に置かれなければ絶対に交流を持つことはなかったであろうタイプの人と話す機会はそれなりに新鮮でもあった。金髪の子は毎回私の墨汁を借りていった。
ある日、いつものように選択授業の時間(3時間目だったと思う)になり、茶道のクラスメイトたちが「今日お菓子何かな〜!」とか楽しそうにキャッキャしながら教室を出ていくと、同じくいつものように逆アベンジャーズだけが教室に残された。すると、キティちゃんサンダルの不良女子が教室で本体よりもでかいキーホルダーがジャラッジャラについた携帯をいじりながら、私に話しかけてきた。
「お茶メンうるせー。あいつら茶道楽しみすぎじゃね?利休かよ」
(注:「お茶メン」…茶道を選択している人のこと。なお書道にそういうのは無い。)
ちょっとした衝撃を受けた。普段ほとんど寝ているか怖い先輩と中庭で話しているだけにしか見えなかった子が、こんな知的なツッコミを!と雷に打たれたような気分だった。私はその頃、初期のダウンタウンのVHSをヤフオクで買い漁るのが趣味というしゃらくせえ高校生だったので、このセンスはあまりに眩しく私を貫き、大爆笑した。その記憶と、ギラギラのネイルの指先に収まるラインストーンがジャリジャリついた携帯電話の様子を鮮明に覚えている。
以来、いつも一緒にいる親友というわけではないがこの子との交流は付かず離れず続き、その後色々あった結果わりと有名なトップスタイリストになった彼女に、私は今でも髪を切ってもらっている。頻繁にこの「利休かよ」の話をするのだが、本人は全然覚えていないらしい。
上京し、とある弁当店でレジ打ちのバイトをしていた頃のこと。締めシフト(21時〜24時)の担当は2名、私とSさんだけで回すことがほとんどだった。Sさんは自称大学生の25歳で、毎日ギターケースを背負って出勤していたがそれ以外の荷物を手に持っているのは見たことがなく、客が誰もいないとバックヤードで店内有線の安っぽいメロディに合わせてGLAYの「BELOVED」を熱唱している姿が印象的だった。有線じゃなくてギター弾けばいいのにと思っていた。
ある日、(本来ルール違反とされていたが)23時半くらいになると全然客が来ないため、私は閉店前にレジ締め作業を始めていた。すると、1人のおじさんがふらつきながら入店してきた。
おじさんは、警察官の格好をしていた。だが、何か違うような、微妙な違和感があった。妙にテカテカしているのだ。おそらく、コスプレ衣装であることが分かった。そして、おじさんは猛烈に酔っ払っていた。顔は真っ赤を超えて紅蓮に近い色になっていたし、前述のようになぜ転ばないのか不思議なほどフラフラしていた。酒臭いというかは、「酒」の概念が入店したのかと思うほど一瞬で店内が酒の匂いに包まれた。
おじさんは這々の体でレジカウンターにもたれかかると、蚊の鳴くような声で「た、逮捕しゅる…」とつぶやいた。いま思い返してみるとこの時点でかなり面白いが、当時はけっこう普通に恐怖を感じ、完全にヤバい事になったと思った私は、バックヤードからSさんを呼び出した。Sさんは仕事こそ猛烈に不真面目だったが、やたら体格がよく強面なのでクレーム対応などでよく矢面に立たされており、こういった事態には非常に手慣れていた。状況を話すと、おじさんの対応に行く前にさっそく交番に電話してくれていた。
その後もカウンターにもたれかかり「逮捕しゅる…」しか話さない、警官風おじさん。ほどなくして本物の警官が2名お店に来る(ものまねグランプリで後ろから本人が登場する時のようだった)と、店内の様相を見て完全に笑いをこらえているのがはっきりと分かった。とりあえず交番に連れ帰って話を聞くとのこと。
警官風おじさんの右肩を持った警官が彼に聞くと、警官風おじさんは
「…あ!?」
これまでのグデングデン状態から一転、いきなりビシッと立ちあがり警官2名を振りほどこうとした。
「おい!!離せ!!オレは警察じゃねえ!!」
警官を前に、誰が見てもわかることを絶叫しながら暴れる警官風おじさん。
すると、警官は極めて冷静に、
「じゃ あなた誰なんですか」
と返した。
その驚くほどの冷静さと、警官風おじさんと本物の警察官の距離感の対比が面白すぎて、このバイトをやめて数年経つ今でも思い出して笑ってしまう。警官風おじさんはこの後わりと素直に連行されていった。Sさんはこの後、狂ったように笑いコケていたが、半年後に大麻で捕まりクビになった。
とある建設会社で仕事をしていた(現在もしている)とき、とあるリニューアル工事でコンクリート躯体の大規模な斫り(コンクリートをいったん壊す作業)があり、おじいちゃんに近い職人さんが数人出入りしていた。夏場ということもあり、塩分補給用のラムネのようなタブレットを休憩時間に配布することが現場のルールとなっており、私も担当者として彼らにそれを配っていたのだが、ある日一人の職人さんがタブレットを受け取って口に入れると、
「あれ、 歯 無ぇぞ!?」
と大声を出した。え?と思って近づくと、口の中にマジで歯がなかった。コンクリートを壊す作業は振動工具を使って行うため、その振動で総入れ歯が取れ、歯がなくなったのではないか?ということらしい。周囲の全員が大爆笑していたが、本人には死活問題である。ひとしきり笑った後、解体ガラを探ってみたが歯は出てこず、歯無しのまま1日作業をしてもらうことになった。
(粉塵の出る作業のため全員マスク着用で行っており、仮に歯が取れていたとすれば保護具の着用を怠っていたということにもなるため、それはそれで困る)
なお、結果的に歯は自宅で見つかったので事なきを得たのだが、振動工具を使っていて歯がポローンと出ていくイメージを想像するだけで未だに笑ってしまう。
とりとめもないことの割に随分文章量が多くなってしまった。人に伝えるには前提となる様々な条件の説明から始める必要があり、それなりに手間のかかることなんだなと思った。こういう、自分だけが価値を見出して大切にしている思い出の積み重ねで人間は個別性を獲得していくんだなあと思った。
https://www.viet-jo.com/news/social/210301140337.html
2月28日午後17時30分ごろ、ハノイ市タインスアン区にあるマンション「グエンフイチュオン60B」で、12A階(13階に相当)のベランダから3歳の女児が転落するという事故が発生した。女児は奇跡的に命に別状はなかった。
部屋から出てベランダの手すりをよじ登って宙ぶらりんになった女児N・P・Hちゃんは、地面に向けて真っ逆さまに落下した。この様子は、騒ぎに気付いた向かい側のマンションの住民がビデオ録画しており、一部始終が映されていた。
力尽きた女児が落下し、もう駄目だと思った瞬間。たまたま現場に居合わせた荷物配達員のグエン・ゴック・マインさん(男性・31歳)が1階中庭のトタン屋根に上って、落下する女児のキャッチを試みた。落下の勢いがついており、完全にキャッチすることは出来なかったが、衝撃が弱まったため、女児は一命をとりとめた。
女児は病院に緊急搬送されたが、家族によると、手足を骨折するなど重傷を負ったものの、健康状態は安定しているとのこと。
危険を顧みず女児の命を救ったマインさんは、「私にも同じ年頃の娘がいます。あの瞬間、落ちてくるのは自分の娘だと思いました。女児の姿を見つけてから落下するまでは1分程度。勝手に体が動き、すぐ中庭の屋根に上って落ちてくる少女を待ち構えました。連絡先も伝えずにその場を去りましたが、その後、どういうわけか少女の家族から、骨折したけど、命に別状はなかったと電話がありました。助かって本当に良かったですが、怪我をさせてしまったことが残念です」と語った。
なお、このニュースを知ったグエン・スアン・フック首相は3月1日、マインさんの強い責任感と勇気ある行動を称えて表彰状を送った。
https://m.youtube.com/watch?v=wCtzpUKmQe8
これ、別に音楽的に優れてるとかすごいパフォーマンスだとか言うんじゃないんだけど、俺が思う若いミュージシャンってこんな感じであってほしい!っていうのをカンペキに満たしてるんだよな
ベスティア・べべってバンドとラス・リーガス・メノーレスってバンドのメンバーが、尊敬する先輩バンド(たぶんそういう関係だと思う)の曲を一緒に歌っている ゆるい雰囲気で!
それを誰かが2階からおそらくスマホで撮影してYouTubeにあげてるっていうのがまたいいんだよな とにかく良い
https://m.youtube.com/watch?v=1xp4abUwzWw
この動画もメチャ好きで、何が良いってボーカルの女の人のチョー気だるそうな感じがいい 歌も微妙に下手なのがまたいいんだよな マジで表情が好き 同級生だったら間違いなくガチ恋してた
そのダルそうな姉さんが、ギタッラ・コムニスタのカバーを中庭みたいなところでやる時はわりとニコニコしながら歌っている ホンマええねん
彼らの雰囲気が好きすぎる
どうしたらいいんだこの気持ち
ライブとかあったらすげえ行きたいけど絶対日本には来ないだろうし、南米に渡るにしたって今は無理だ
待つしかないのか ウオーーーーー
暗い場所、なんか精神世界みたいな場所で誰かと誰かが邂逅するシーンが好き。以下、ネタバレを含みつつそれらのシーンを解説していく。
エヴァの最終話近辺も似たような感じのシーンあるけど、あの辺は演出としてかっちりし過ぎているのでそこまで好きではない。
物語終盤において、主人公兄弟である高倉冠葉と高倉晶馬は、真っ暗な空間において隣り合う二つの独房にそれぞれ入れられている。飲み水も食べ物も見当たらないその場所で、二人は飢えていく。なお、二人の姿は物語中の青年の姿ではなく幼少期の頃の姿を取っており、したがってこのシーンが、現実ではない抽象化された世界の出来事であることが示唆されている。
お互いに独房から励まし合いつつも、飢えてかつえていく二人であったが、やがて兄である冠葉が叫ぶ。
「あった!」と。
「何が?」と晶馬が疲れ切った声で問うと、冠葉は「林檎があった。今まで気付かなかったけれど、独房の隅に落ちてた」と晶馬に伝える。「晶馬の方にも落ちているかもしれない、探してみろよ!」
暫くの間晶馬は林檎を自分の独房で探すものの、そこに林檎はない。やがて諦めを含んだ声で晶馬は言う。「僕の方には無かったよ。おめでとう、冠葉は選ばれたんだ」
この「林檎」はこの場合、「両親からの愛情」のメタファーである。晶馬は幼少期において様々な事情により、母性的愛情が欠落した生活を送っていたのである。冠葉はその乾き切った晶馬の言葉に愕然とするのだけれど、自らの手で林檎を二つに断ち割り、そしてその一方を、独房の鉄格子越しに、晶馬の方へと差し出すのであった。
先程、愛情の例えになっていると説明した林檎であるが、同時にこの林檎は、旧約聖書における「善と悪の知識の実」のメタファーにもなっている。
ピングドラムにおけるキャッチコピーは複数あり、その内の一つが「僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ」である。愛と罪を共有する、というテーマが、この暗闇のシーンにおいては描かれているのである。
「『列車』はまた来るさ」
飼い猫「レノン」の後を追って、寮が併設されている学校の敷地内を走る主人公。その主人公の目の前に、幼い頃の主人公の心の支えとなり、今もなお親友として日常を共有する棗恭介が現れる。夜の暗い中庭において、恭介はレノンを腕に抱えていた。これまで、レノンは度々メッセンジャーとして主人公を翻弄していた。その尻尾に結び付けられた何者かのメッセージが、時に主人公を誘ない、時には誰も知りようのない個人的な秘密を示唆しもしたのである。
そしてその夜、いつものように主人公の理樹を誘なったレノンが最終的に辿り着いたのは、親友である恭介の元へであった。それを追ってやって来た理樹は、これまでレノンを介して自身にメッセージを与え、様々な示唆を与えてきた人物が恭介だったことを悟るのである。恭介はこれまで理樹に対して、「この世界には秘密がある」とレノンを介して度々伝えてきた。そのメッセージを目にした理樹は半信半疑ながらも、示唆に従い様々な問題の解決などを手伝う羽目となっていたのである。
全ては恭介の悪戯であったと悟った理樹は、「結局世界の秘密とは何だったのか」と冗談めかして尋ねるのだが、「世界の秘密は本当にあるんだ」という思いもしなかった答えに直面する。
「それは形而上学的に存在していたとされる世界のことか何かなの?」「そんなものは存在しないよ。この世界には秘密なんてない」そう困惑しながら言葉を返す理樹に対して、恭介は笑いながら身を翻し、闇の中へと消えていく。結論から言うと、恭介の言った言葉は本当であった。彼の言う世界の秘密とは、恭介を含めた理樹の友人の一切は全て故人だったというものである。その事実に直面することで、主人公が精神的に廃人となってしまうことを避けるために、超自然的な力を用いて恭介は理樹に対して幻影を見せ続けていたのだ。
原作版ワンパンマン第106話、類稀なるエスパーとしての才能を見出され、施設に半ば幽閉されることとなったタツマキは心の調子を崩し、超能力の発揮を躊躇するようになる。その結果研究員たちによって部屋に監禁されるタツマキであったが、やがて研究施設で飼育されていた実験動物の暴走事故が発生し、あわやタツマキもその犠牲になろうとしていた。
そんな時やって来たのが、後にヒーロー界を席巻することになる「ブラスト」である。ブラストは危なげなく暴走中の実験動物を抹殺すると、タツマキに対して自身が趣味でヒーロー活動をしていると告げる。普段は働いているのだけれど、これはあくまで趣味なのだと。
とは言えブラストの強さは圧倒的である。彼はタツマキに「何故能力を使わなかった?」と問いかける。当時十歳の幼児だったタツマキは、一時的に心身の不調で能力が使えなくなったと釈明するも、ブラストはその言葉が嘘であり、自身を根本的に人間扱いしてくれない施設の研究員に対する、自己主張の一環であることを看破していた。「今後の君のために一つだけ教えておくよ」
「いざという時に誰かが助けに来てくれると思ってはいけない」
ブラストはヒーローであり、誰かを助ける側の人間ではあるものの、自らが異常者であることを自覚していた。つまり普通ならば、人は人を助けなどしないのである。タツマキは幼いながらにその事実を突きつけられ、やがて自身も職業的ヒーローの道へと進むことを決意するようになる。誰も人を助けようとしないのであれば、自らが助ける側に回るしかないという事を彼女は悟ったのである。
他にもるろうに剣心追憶編の、剣心が巴を手に掛けるシーンで、巴の墓前の幻影を見る剣心のシーンとかも好き。
そのシーンに至るまでに、巴のこれまでの記憶が暗闇の中でリフレインするシーンとかもかなり好きである。
これらのシーンに限らず、「暗闇の中での邂逅」は多くの場合その作品におけるハイライトと直結している場合が多い。凝縮された幻影とも言うべき、強烈なシーンとして、これらの暗闇は描かれるのである。恐らく、これらのシーンを描く作家の、作家性の極地が、これらのシーンには反映されていると言っても過言ではないとも思われる。
毎月決まった日に決まった額のお金がもらえるし、体調悪かったり天気が悪かったり災害の警報が出てたら簡単に休める。何なら上司が先に当日欠勤の申請してる。信じられないことにお金もらいながら休むこともできる。
9時間拘束は面倒だったが、実働はその半分にも満たなかったし、どちらかというと残りの時間つぶしに苦慮してた。それは俺だけではないらしくて、たまに中庭を意味もなくうろついてる同僚を見かけていた。今は半分テレワークでそこらへんもあいまいになったので解決。定例で行われる飲み会はあんまり好きじゃないけど、状況により業務時間にあてられるし、会社から補助が出るので大きな不満はない。ただ自分から振れる話題はほとんどないのでつまらない人間だなと思う。他人の意外な趣味や家庭の話が飛び込んできたりして、聞かせてもらう分には面白い。
忙しい時は残業や宿題もあるけど、その分お金はもらえるし、もともとプライベートが充実してるわけじゃないので、あんまり困らない。大体の休日はちゃんと休めるし。
そんな態度でやってる仕事だから、年収は平均に結構劣るけど、物価も安いところに住んでいるので暮らしていく分に不便は少ない。自分としては平穏そのものの人生で、不安は親の老後と自分の孤独死ぐらいしかない。
それに比べると、学校に通っていた頃は本当につらかった。学年が違うというだけで廊下すら聖域扱いされる上級生とは、距離感を見誤ってよく怒られていた。名指しで呼び出されたこともあった。たかだか数年早く生まれただけでなぜあんなに偉そうなのか、進級して同じ立場になってもわからなかった。俺は人間関係が下手だった。
学校が終わったあと、やりたくもない部活動に強制で放り込まれ、全く興味がないことに心身を疲弊させられるのは死ぬほど嫌だった。実家はお金がなかったので、課外授業とか教材費とか合宿とか部費とか、出費がある度にお願いするのも心苦しかった。
バイトをすればよかったのかもしれないが、学業のために休日や放課後に何かできるほど人生に真剣ではなかった。そういう意味では、親に甘えていた。そのうち幽霊部員になった。部活に行かなくなった最初はほかの部員にドヤされたが、そもそもまじめにやっていなかった人間なのですぐに無視されるようになった。後ろめたさはすぐになくなり、心も軽くなった。修学旅行も、旅費を出してほしくなかったので行かなかった。多くの人間と寝食をともにすることに強いストレスを感じる性分だったので、もともと行きたくなかったのもあった。部活も修学旅行も、強制されるものだと思っていたので、拒否することが可能なのに驚いた。やらない/行かないという選択肢はそもそも目の前に存在していなかったが、選ぶことができるのを知った。
学校では出席日数がすべてであり、どんな体調、どんな天気だろうが通い続けることが美徳なのは悪夢ですらあった。高熱だろうが出校をうながされ、大雨だろうが台風だろうが大雪だろうが、まずは連絡網を待ち続けるのは不快でしかなかった。休みにはならないと言うので学校に向かったら、朝のホームルームで帰宅指示が出された豪雨の日のことは、今でも呪っている。
教師ともソリが合わずいつもにらまれていたが、それは俺の思い過ごしかもしれない。ただ、こんな態度なのだから、好かれてはいなかっただろうと思う。授業はまじめに受けているつもりだったけど、勉強にはついていくことができていなかった。遅れた部分を取り戻すこともできないまま、内容はどんどん先に進んでいき、完全に一周遅れとなった俺はいつしか学校に行っても何も学べなくなっていたので、授業中は椅子に座ってぼーっとしているだけだった。苦痛だった。問題を当てられて黒板の前に立たされても、どうせわからないのだから棒立ちしていることを繰り返していたら、指されなくなった。
それでも勝手に単位が出てきて進級したし、進級したら高認をとれたので、そのまま学校をやめ、就職活動をしてみた。それしか道がなかった。奇跡的に就職できた後は一人暮らしも始めた。それまでの世界に比べると、そのあとはまるで天国だった。俺に対して決して捨て鉢にならなかった親にはとても感謝している。昨今は社会情勢的に実家に帰ることがなかなか出来ないので残念だ。連絡はときどきしているし、できる限り孝行をしたいと思っているが、敬愛の示し方がわからないため、なかなかままならない。
さておき、学校で本来学ぶはずだったことが、仕事において必要なことはたくさんあった。日本語がうまくなくて困ったことがあった。確率や割合の計算ができなかったり、放物線がグラフで描けなくて困ったことがあった。世界の略歴を知らなくて困ったことがあった。グローバルな会社ではないが最低限の英語が必要になることはあり、当然そこでも困った。野球やサッカーやゴルフ、将棋や麻雀のルールを全然知らなくて困ることすらあった。義務教育の内容や、集団生活での経験が社会で必要ないなんて思ったことはなかったけど、俺が社会で必要なことを学校で学ぶのに失敗していたのは事実だった。学校に通い、必要なことを必要な時にちゃんと学べている人は本当に立派な人間だと思う。
だがそれらが俺の責任である以上、学生のころは全くわからなかった学問を、小中学生のレベルからやり直した。社会人になってからは勉強することでお金がもらえるし、もらえるお金も増えるようになるので嬉しい。スポーツや遊びは俺を幼稚園児だと思って教えてほしいと伝えて学ばせてもらっている。強制されない、ノルマも存在しない運動が楽しいということは社会人になってから知った。さかあがりはいまだにできないけどね。
今でも学生のころは夢に見る。そのほとんどは良くない思い出のごった煮で、目が覚めた時の気分はいつも最悪なのだが、それと同時に、現実ではもう社会人であれてよかったと安堵する。社会人になってから人生が楽しくてしょうがない。
保育園のクラスでドーナツ作りをする時、生地から作った事がなかったし完成したドーナツの形を思い浮かべ過ぎて、最後までドーナツの生地で輪を作れなかった(生地の端と端をくっつけても「なんかこんな形じゃない、間違ってるんだ」って思い込んで永遠に1人でやり直してたら最後まで生地作るテーブルに自分だけが残ってて、見かねた先生が自分の生地を取って輪を作ってくれた。なんだこれで良かったのか…という気持ちになった)。
幼稚園で自分の鉢に土を入れてチューリップか何かを植える時、土が入ってるビニールの真ん中に先生が切り込みを入れる→切り込みを自分の手で広げて鉢に移し替えるの流れだった。けれど、ビニールの切り込みを手で広げる作業について聞き逃してたからか、1人だけ一生懸命小さい切り込みから移し替えようとしてた。これも一番最後まで残ってしまい、自分が土の過程で止まってるところを先生が見かねて手伝ってくれた。
小一の頃はクラス全体で朝顔を種から育ててたのに、自分の朝顔だけ多分芽すら生えてこなかった(記憶あやふや)。理由は今も不明。これも見かねた担任の先生が授業中に朝顔育ててる場所に自分を連れてきて、「みんな蕾が出てるのにあなたのだけ芽がないよ、おかしいと思わなかったの?」って言ってきた。自分でも言われる前からおかしいと思ってたけどなぜか言い出せず、いざ「どうするの?」と言われると「もう一度種から育てます」しか言えなかった。これも間違ってたみたいで「遅すぎる」と言われて中庭に植えられていた朝顔たちの中から1つ選んで、自分の鉢に先生と植え替えた。
この他にも、小五の頃は学芸会で使うはずだった学年共通の小物のリボンが自分の分だけ本番当日に無くなって先生に急遽作ってもらったりもした(後日教室のロッカーと壁の隙間みたいな所からリボンが出てきたから当時自分に嫌がらせしてきてた奴がここに捨てたんだろうなと何となく思った。未だに真偽不明)。
今の自分の効率の悪さや作業の出来なさを感じた時、たまに「そう言えば昔からこういう事あったな」と思い出す。何なんだろうこの感じは。他にも「昔から同級生に下に見られてたよな」とか、具体例を挙げながら話すとキリが無いけど今の自分の出来なさと昔の出来事が思ってる以上に繋がってるような気がしてどうしようもなく惨めに思える時がある。本当に何かが足りてないのかもしれない。
私の住んでいるマンションには緑地があって、中庭を水路が貫いている。暑い季節にはそこに水を流して涼をとる。子どもの頃はそこでびしょ濡れになりながら遊んだものだけれど、人工の池だから生き物なんているはずがなく、寂しい。水路の末端の池の水が秋になっても抜かれていなかったときには大量のミジンコが発生していたけれども、彼らは水と一緒に干上がるか、下水に流される運命だった。
けれども、今年の夏はなぜかアマガエルの鳴き声がずっとしていた。夜になるとかわいらしい声がして、夕立のあとの夜風が気持ちのいい晩などには、どこか避暑に来たみたいな気分だった。コロナ禍で自粛を余儀なくされた身としては幾分気が紛れたし、仕事中にカエルの声がするというのもよかった。
それにしても、カエルたちはどこから来たのだろう。このマンションに住んでいる子供が水路に放してやったのか。こうして生き物の声がするのは風情があるのだけれども、秋になって水路に水を流さなくなって、カエルたちはどうしたのか。現に、今聞こえるのは緑地に潜んでいるコオロギやマツムシばかりで、アマガエルはいつの間にか姿を消している。
私も、子どもの頃に祖父母の家の近所でやっていた夏祭りで取った金魚を、飼えないからと祖父母の家の近所の噴水に放してしまったことがある。今になって考えればずいぶんと勝手な話であるし、餌も少ない分長生きできなかったことだろう。悪いことをした。
カエルを放したのも、私が考えの足りなかったときと同じ年ごろの子どもだろうか。そもそも、その子はカエルをどこで捕まえてきたんだろう。うちのマンションの敷地には虫がそれなりにいるのだから飢えることはないだろうが、オタマジャクシたちが育つ場所が今はない。
カエルたちが、雨水の通る溝をぴょんぴょんと跳ねて行って、近所の広い川にまで、できることなら生まれたところにまで、たどり着けていることを祈るばかりだ。
学生時代、住んでたアパートの廊下(中庭のようなものがあって建物の内側に廊下がある構造だった)でゴキブリを見かけ、絶対に俺の部屋に来ないで欲しい!と思い追い払おうとしたことがある
サンダル履きだったから踏み潰すのは嫌だった そもそもサンダルじゃなくても踏み潰すこと自体嫌だが、サンダルだと万が一仕留め損ねたときに足を這い回られる可能性があるなと思い、それはできなかった
かと言って他に武器もない
とりあえず足を踏み鳴らし、音と振動でビビらせて追い払う作戦に出た
しかし安いゴム底のサンダルだから片足でぱんぱんやっても全然迫力が出ない
俺は反復横跳びのような動きをし始めた
と、そこでアパート共用のランドリーコーナーに来た知らない女の子が階段から現れた
ヤバ…という顔をしていた女の子は合点がいった顔になり、「がんばって下さいっ」と言って消えていった
手伝えよ!お前もここの住人だろ!と多少思いつつ、部屋から食器用洗剤を出してきて垂らそうとした記憶がぼんやりある
結局外に逃げられたな あるいは平和裏に解決できたというべきか
青春の淡い思い出だ
淡くはねえな
土曜日の学校終わって、家に帰ってご飯食べて、自転車に乗って塚本君ちまで行く。青い空が高く風が涼しくて、田んぼが黄金色で稲穂が垂れて揺れているから、文化祭の打ち合わせの用事。
農耕具の横に自転車を止めて中庭に入って行くと、ガラスの引戸を開けた居間でファミコンをやっている塚本君が、ワイを見て片手を上げた。ワイはそのまま庭から居間の縁に半身で座って、テレビ画面を覗いた。ドラクエ4だった。
「いま新しい大陸に来たところ」。眺めてる。「スライムがさ、8匹くらい出てきて、合体したりするん」。ジャンプに出てた。そんな話をしていると、エンカウントして4匹の「メタルスライムがあらわれた」。「たたかう」と「メタルスライムはなかまをよんだ!」。「「おおっ」」。「メタルスライムは合体して キングメタルスライムになった!」
画面にはメタル色の巨大なスライムが居た。言わずもがな、二人の気持ちは「これを倒したら」「10くらいレベルが上がるん」。「どうぐ」を確認してせいすいかどくばり持ってないか、コマンドは手動でこうげき選んで、塚本君が「よしっ」と意を決した後ボタンを押すと、
ピッ。ざざざッ「キングメタルスライムはにげだした」「「ああ〜っ!」」
「私、男の人にこんなに見せるの、初めて。女の子にも見せないし、自分で見るのも、なんか怖い」「僕も、勃起してるのを他の人に見られてるの、恥ずかしい、です。オナニーするときは一人でだし、銭湯では小さいし。。見て興奮してるのがバレバレなのが恥ずかしい」「。。ずっと興奮してるんですか?」「はい」。キスをしようと顔を近づけると、彼女も同じように自然に動いて、唇を合わせた。指先で彼女の股間に触れるとぬるんと滑った。「濡れてる」とそのまま声に出すと、彼女は恥ずかしく俯いて、「増田さんもですよね!」と言う勢いで、ワイのちんこを握った。「温かくて、硬い」。
はてなで京都の話題が出ているのでまた蕎麦屋のことを思い出した。
詳細を忘れてしまった為に残っている記憶を頼りに時折ネットで探すのだけれど、土地勘もないので探してもわからない。閉店してしまってるのかもしれない。
雑誌るるぶのページ下のちっこい欄で、お好み焼き屋ジャンボの隣に並んでたからそのあたりの店なのだろうか?
霊園か寺の横にある細めの道を入ったところに店はあった。がっつり和風のお店で屋根付きの和風門があって、飛び石?が玄関まで続いている。店内は狭くはないがとても広い、という印象もなかった。
「御用蕎麦司 本家尾張屋」に外観の雰囲気は近い。けれどこんなにテーブル席がたくさんあった記憶がない。店の前の道の雰囲気もなんだか違うような。
平安神宮か北野天満宮を見たあとに行った。タクシー移動だったのと記憶がうろ覚えなのでこれはあまり当てにできない。
班の三人で各々ニシンそばと海老そばを注文した。ニシンそばが美味しくて感動した記憶がある。中学生の修学旅行の予算を考えると蕎麦1つはそこまで高い値段ではないはず。(ランチ価格だろうし、高くても1200〜2500の間だと思う。当時の話だが)
店内の奥の方を見ると中庭が見えた。京都の古民家はあんな感じなのだと思う。
修学旅行から何年か経って記憶が朧気になっても、ニシンそばに感動したことだけは鮮明に覚えていたので、京都駅に寄ったときにはせめてと思ってそのあたりの店でニシンそばを注文した。こんなもんか、と思った。
母が子供のものは何でもとっておくタイプのため、実家に当時自分で書き込んだ行程表(修学旅行のしおり)も保管してあるのではと思い聞いてみた。
あるとは思う、けれどどこに仕舞ってあるかはわからないと言われた。家のあちこちに分けて仕舞っているというので、それらのデジタル化に踏み切るまでは手を付けなさそうだ…。