はてなキーワード: クライマックスとは
syamu、拓也さん、ONDISK、そして中学で同級生だったなっちん
なんていうか、「こいつまともに分かってんのか???」って気分にさせられる
認識がズレてるというか、極端に共感できない。だから見ていて不安になる
例えば、syamuは『ホモ』『アンチ』って言葉を独特に定義している
参考:この記事の真ん中あたり https://kyanoscreate.hatenablog.com/entry/2016/03/24/220612
いや、ホモなんてごく普通に使われてる言葉じゃん。知らなかったとしても、ちょっと調べれば「男性同性愛者」「転じて、男性同性愛者向けビデオをネタにする人達の自称」ってわかんないかなぁ?
他にも「8/10は野獣先輩の誕生日」とか、なんか物事を曲解して覚えてるのを見ると、中学の頃にいたなっちんという子を思い出してしまう
拓也さんは、ほんへを見ていると分かるけどいきなりちぐはぐな事を言い出す
監禁72時間って監禁契約書にサインした男の子と72時間SMプレイし続けるってコンセプトなんだけど、拓也さんは「こいつを客に出すんかぁ」みたいな事を言い出す。なんだ客って。そんな概念を急に持ち込むなよ
Twitterでも「淫夢厨がなにかよくわかんないんだよね」とか顔文字付けて言ってたけど、そんなのぐぐればニコニコ大百科に書いてあるでしょ。分かれよ。モーゼがどうのこうのとかいうツイート、冗談か本気か分からなくてすごく困った気持ちにさせられた
ONDISK。あなたのドキドキ文芸部配信を観ている時、私はずっと不安だった
オタクじゃないONDISKには文脈の掴みづらい展開も多かっただろうけど、だからこそ、どこからどこまで理解できているのか開示して欲しかった
幾人のヒロインに死なれても「ふぅん」とか言いながら文字の読み上げに終始し、ゲームのキャラクターがプレイヤー側に語りかけるクライマックスシーンにおいても台詞の読み上げと進行についてしか話さない
ONDISKくらい頭のいい人なら容易いと思うんだけど、むしろ必要性を感じないから自分の感想を共有してくれなかったのかな?
なっちん。みんなで、ワンピースのリレー小説書いたこと覚えてる?
私は「ワンピースぜんぜん知らん」と笑って、Aちゃんも「最初の方と最近の話しか読んだことない」って言ってて、でもワンピース大好きなBちゃんに直してもらったりしながら書いてたよな
なっちんが書いた部分、明らかにおかしかったよ。文章は上手なのにね。怪我してる奴が元気な状態だったり、その場にいないはずのキャラが当たり前のようにいたり。みんな、どうしていいか分からなかったよ
卒業してなっちんと別れて、拓也さんはTwitterを消して、syamuは引退して、ONDISKもVtuberを辞めて
だけど昨日syamuがまた現れて、そこで私は真っ先になっちんを思い出したよ
블루 아카이브의 핵심, "결국은 학원과 청춘의 이야기" | 웹진 인벤 - 인벤
ブルーアーカイブ エデン条約3章 グローバル版のローカライズにあたり、クライマックスのセリフに変更が加えられている。
ニュアンスの調整目的のようだが、結構違う構成になっているように感じた。記事によると再録までしたらしい。
[블루 아카이브] 에덴조약 3장 히후미 일본서버/한국서버 대사 비교(エデン条約編 3章 ヒフミ 日本サーバー/韓国サーバー 代謝の比較 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VVBUS1_GEKU
以下文字起こし
日本Ver | グローバルVer |
アズサちゃんが人殺しになるのは嫌です……。 | アズサちゃんが人殺しになるのは嫌です……。 |
そんな暗くて憂鬱なお話、私は嫌なんです。 | そんな……そんな憂鬱で不愉快な物語、後味の悪い物語は、 |
それが真実だって、この世界の本質だって言われても、私は好きじゃないんです! | もしそれが正しいとしても、この世界の真実だとしても私は好きじゃありません!! |
私には、好きなものがあります! | 私は平凡なのが好きです! |
平凡で、大した個性もない私ですが……自分が好きなものについては、絶対に譲れません! | 平凡で何の個性もない私ですが、私のこの好きな気持ちだけは誰にも譲るつもりはありません! |
友情で苦難を乗り越え | 友情で苦難を克服して、 |
努力がきちんと報われて | 努力がけなされなくて、 |
辛いことは慰めて、お友達と慰め合って……! | 幼稚であっても最後にみんなが笑えるような物語! |
苦しいことがあっても……誰もが最後は、笑顔になれるような! | 最後はみんなが幸せになる物語! |
そんなハッピーエンドが私は好きなんです!! | そんな平凡な物語《ハッピーエンド》が好きです!! |
誰が何と言おうとも、何度だって言い続けてみせます! | 誰であろうと私たちに強要はできません!! |
私たちの描くお話は、私たちが決めるんです! | 私たちが作っていく物語は、私たちが決めます! |
終わりになんてさせません、まだまだ続けていくんです! | ですから、今から初めます! |
私たちの物語…… | 私たちの物語を! |
私たちの、青春の物語《Blue Archive》を!! | 学園と青春の物語《Blue Archive》を!! |
というのをググっても出なかったから文字起こししたんだが、もう少し調べたらグローバル版の先生が書いてくれたドキュメントが見つかったので以下も見てみると面白いかもしれない。
Hifumi Speech Analysis (Global vs. JP) - Google ドキュメント
https://docs.google.com/document/d/1xB9USfLejP7G5kfbZJs77rzOz8B4HqNdwtjMgdZ2xMY/edit
地域にあわせた調整とのことらしいが、日本版のほうが圧倒的に良いように感じる。
グロ版やった他地域の人は、グロ版のほうが良いと感じるんだろうか?
てか何度見直しても良いシーンだな…、
本気で選ぶセガサターンミニ収録タイトル予想2022夏 - 分析編1
セガサターンミニの予想を立てるために、まずメガドラミニの収録タイトルを振り返り、その傾向を掴んでみる。
以下の表は日本版の収録タイトルである。このほかに幻の移植作『テトリス』、完全新作のメガドライブ版『ダライアス』も収録されている。収録タイトルは北米版、ヨーロッパ版、アジア版は一部が異なる。
「読者レース」とは雑誌『BEEP! メガドライブ』誌の名物コーナーだった「メガドラ読者レース」における順位および採点である。同コーナーでは読者の投稿したタイトルごとの採点によりメガドライブ、メガCD、スーパー32X合わせて全520本のソフトの順位が決まる。この増田では1995年9月1日号掲載の同コーナー最終回を出典としている。
こうして見てみると、極端に評価の低い名物ソフト(例:520位の『ソード・オブ・ソダン』)などはメガドラミニには収録されていない。収録されている中では最も評価が低い381位『スペースハリアーII』はメガドライブのローンチタイトルであることが評価されたのだろう。
8.5以上の採点を与えられたなかでメガドラミニに収録されていなかったメガドライブタイトルは、10位『アドバンスド大戦略 -ドイツ電撃作戦-』、21位『ぷよぷよ』、23位『ソニック&ナックルズ』、24位『バトルマニア大吟醸』、25位『ガントレット』、28位『エイリアンソルジャー』(アジア版に収録)、31位『雀皇登龍門』、34位『ラングリッサー』、36位『バーチャレーシング』(メガドラミニ2に収録発表済)、43位『ペブルビーチの波濤』だけである。ファンの間で評価の高いタイトルが順当に選ばれていることがわかる。
洋ゲー | 和ゲー |
---|---|
2本 | 38本 |
セガ | セガ以外 |
---|---|
21~23本 | 17~19本 |
『大魔界村』はMD版はセガより発売されたが、メガドラミニ版ではカプコンに変更されている。『ロードモナーク とことん戦闘伝説』の発売元セガ・ファルコムはセガとファルコムの出資により生まれた会社。CSK総合研究所はセガの関連会社(のちにセガAM2研と統合)だが、ここではカウントしなかった。
セガ | セガ以外 |
---|---|
14本 | 26本 |
MDオリジナル | 他機種からの移植 |
---|---|
29本 | 11本 |
1988年 | 1989年 | 1990年 | 1991年 | 1992年 | 1993年 | 1994年 | 1995年 | 1996年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1本 | 3本 | 4本 | 2本 | 6本 | 9本 | 12本 | 2本 | 1本 |
後継ハード・セガサターンの発売日は1994年11月。散り際の花火が鮮やかに輝くように、晩年が近づくにつれてメガドラミニに収録された傑作タイトルも増える。
曽我部恵一および山本直樹のファンとして、またPLAN75で好演を見せた磯村勇斗のにわかファンとして、
ビリーバーズを見てきた。副議長の濡れ場への期待ももちろんあった。
副議長を演じる北村優衣がしつこいぐらい何度も裸になって、セックスやフェラを頑張っていた。
北村と同じ1999年生まれのアイドルには、乃木坂の山下美月、わーすたの廣川奈々聖、アンジュルムの上國料萌衣などがいて、
彼女らと同い年の北村がここまで体当たりの芝居をしているのかと感慨があった。
孤島で暮らす宗教信者がなぜか銃を持っていて、島に漂着した五人のチンピラをすべて打ち殺すシーンがあり、
クライマックスには山本直樹本人も登場し、宗教集団と機動隊との間で派手な銃撃戦が繰り広げられた。
ラランドというお笑いコンビをご存知だろうか?ここ数年テレビへの露出も増えてきたサーヤとニシダという二人の男女コンビだ。
サーヤのほうは元々広告系の会社員、ニシダは帰国子女で上智を中退という経歴を経て事務所に所属せずフリーでやっていた。(今は個人事務所を作りサーヤが社長兼務してるらしい)
ある時期からニシダのクズさ、ポンコツぶりが酷いとお笑い番組などでイジられるようになっていった。
ニシダのクズ、ポンコツぶりとしては直接的に有名なのは遅刻癖らしく、とにかく平気で遅刻するしあまり反省もしないらしい。
そういうのが積み重なって、ニシダへの信頼というものが業界内でももてない、だからサーヤがピンでなら、となってしまうケースがどんどん増えているという状況。
ニシダ本人はバカではないしセンスもあると思うがこのままではヤバいということで、事務所の社長でもあるサーヤがYoutubeの企画としてニシダ更生のためのプログラムを作り動画として公開した。
俺はなんか面白そうだな、くらいの興味で見てみた。動画は1時間くらいあるので途中で飽きるかと思っていたがあっという間の1時間だった。
とりあえずこの時点で気になったら一度見てみてほしい。ただし仕事などで弱りきってる人間には刺さりすぎるかもしれないから注意は必要だと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=bCX_SPXgWtQ
ここから少し内容に触れていく。企画としては事務所のマネージャーなどごく近い人物から、冠番組のスタッフ、ゴッドタンなどで有名な佐久間宣行氏などがニシダについてインタビューされる映像がシアターで流され、それをなにも知らされてなかったニシダが見させられるという流れ。言ってしまえば吊し上げであり空気もけっこうなガチ感がある。(ただ、ひたすらイジメみたいに吊るし上げるとかではなく、十分礼節を持った言い方だったとは思う)
その様子を別室でサーヤとゲストの南海山里がモニタリングしている。山里が呼ばれたのはニシダが最も尊敬してる人だかららしい。
モニターしながら「刺さってますかね?あ、でもだいぶ食らってるみたいです」などサーヤが冷静にコメントを続ける。俺はもう見ていて辛くて辛くて泣きそうになってしまった。(ニシダは実際泣いていた)
ニシダがかわいそうだからではない、インタビューされている人たちの話が自分の事を言われてるとしか思えなくなってきてそれで辛かったのだ。
俺はお笑い芸人でもないので、言われてる内容が具体的に当てはまるケースというのはないのだけど、求められること、それに対してのニシダの逃げっぷりとかが、めちゃくちゃ刺さるのだ。
一番わかり易い例としてニシダが口癖のように言う「なるほどね」という言葉。ニシダは自分へのダメ出しなんかも全部この「なるほどね」で受け流してしまう。いやなるほどねじゃねえだろ、自分の事を言われてるんだぞ?
まったく飲み込めてないし、他人事のように客観視することで自分を見るのを避けてしまってる感じ。これって自分も思い当たるとこはたくさんあるのだ。
こういうニシダのダメなとこというのは、ニシダが極端だから目立っているだけで、少なからず共感できる部分というのは多くの人にあるんだと思う。
実際山里なんかはニシダの気持ちがよく分かるようで、何度も「俺もそういうとこはあるんだよなあ・・」と苦しそうな顔を浮かべていた。
そしてこの動画のクライマックスはインタビューの映像を見終わった後、そんな山里がニシダの元に向かい二人きりで話をする場面だ。
山里本人は自分もどちらかといえばニシダ側の人間だと思っているようで、行く前にサーヤには遠慮なく厳しく言ってください的なことを言われるがどうするか迷いが生じてる様子だった。
山里は席につくなり「俺はみんなが言うようにやらなくて今のままのニシダでいてくれていいと思ってる、そしたら俺の脅威が一人減ることになるから」という話をする。
ニシダにとって山里は尊敬する先輩でありある種目指している人物でもあるんだと思う。そういう人からこう言われて心が震えないわけがない。
山里はその後も色んな話をするが、そのどれもが俺の心にも刺さった。俺にとって山里という人物はなんの思い入れもないただの芸人さんなんだが、誰が言ってるかではなくて言ってる内容がすごくうなづけるもので重みもあったからだ。
尊敬してる先輩から直接言われているニシダにしたらすごい言葉として響いてるだろうと思う。そして、それなのに明日になったらまた忘れちゃうかもという事すら山里は見透かす。
そう、俺も尊敬する人から叱咤激励を受けて、もう俺は生まれ変わるんだ明日から、と決心した次の日にはもうケロっといつも通りのダメ人間に戻ってしまうような事は何度も経験がある。
山里は山里なりに色々と迷いながらも真摯に言葉を投げかけていった。ニシダの反応は涙をポロポロこぼしながらも終始モワッとした受け答えだったが、そういう反応になってしまうのも俺には痛いほどわかった。
ニシダの場合は芸人でありやや極端に過ぎるとこはありそうなんだが(普通の会社だったらクビになってるかもなあ)
少なくとも俺にはそのへんの意識高めな自己啓発本なんかよりはよっぽど刺さった動画だった。ニシダに山里のようになってほしいとは思わないが、自分のやりたい事ができる場を、自分で掴み取るとこまでいってほしいな、応援したいなと思いました。
楠みちはるの「あいつとララバイ」に「首都高の青い鳥編(首都高速のキング編)」がある。
楠みちはるの漫画なので例によって公道でレースをしてるんだけど(危ないね)、
首都高キングってのはSUZUKIのカタナに乗る、誰も正体を知らない謎のバイク乗りなわけなのよ。
その謎の男は首都高を走る馬鹿っ速のライダーで何人も挑戦者が現れるけど誰も勝てない、
やがて首都高を舞台にいったいどちらが速いのか?を争うことになる。
という悲運の天才レーサーの泣ける身の上話が展開されるわけ。
そのクライマックス、とっくの昔にバイクから足を洗ったかと思われていた元レーサーがひょっこり昔の仲間のもとに突然現れて言う。
ってセリフのあとに
『……首都高で』
ってキャプションとともに見開きページで早朝の首都高が描かれた中に
これがね、本当にね、最高にすごくいいんだよ。
といっても実は、すでにその漫画は手元にない。
少年の頃、何度も何度も読み込んだその漫画だけど実家が取り壊さるときにどこかへ消えてしまった。
だから、オレっちは記憶だけを頼りにそのシーンを何度も何度も反芻するわけ。
もちろん今や電子書籍の時代だからワンクリックでその書籍を買えることは言うまでもない。
だから、いつでも読み返すことは出来るんだけど、なんかね、そうしようと思わないんだよね。
今読んでも、多分、すごくいいんだろう、と思うし、死ぬ前にもう一度読もうとは思ってる。
でもね、いまはまだいいかなって思ってる。
趣味でエロ絵を描いてる。ツイッターとかピクシブでもまぁまぁイイネやフォロワーが多いんで、絵自体はわりと受けてると思う。
今までネットだけで絵をアップしていて、同人誌とか出したことはないんだけど、どうせ絵を描くならCG集とか、イラストの内容がつながってストーリーがある、みたいな同人をデジタルで出そうかなーって思い始めた。
いま、ツイッターで一人の女の子のいろんなシチュエーションでのエロ絵を定期的に載せていて、別に構想もなく思いついたアングルやシチュエーションで色々エロ絵を書いてるんだけど、これをつなげてストーリーを付けて、間を補完するようなイラストを描いていくと、ジャンルとしては寝取られになるなって思った。
男の子と女の子がいて、隣に住んでる幼なじみで、男の子の方は女の子の方を異性として意識し始めたんだけど女の子の方は全然男として見てなくて、しかも男の子が知らない間にいろんな男と関係を持ってる。というような感じ。
寝取られっていうジャンルの定番とかはあまり良く知らないんだけど、そういう趣味の人からすると、クライマックスとか結末ってどういうのが定番なの? 昔読んだエロ漫画だと、好きな女の子がいろんな男とやってるのを知った男が「クソ!クソ!」みたいに罵りながら、でも涙流しながら女の子とヤる。というのがあったんだけど、「結局やれない」っていうほうが良いのかな? って思ったり。
同人誌だから好きに描けばいいとは思うんだけど、最初考えたのが「いろんな男とやったけど、最終的には好意にほだされて幼なじみとくっつきました。めでたしめでたし」みたいなので、「いやいや、ラスト前までのドエロ展開から、その結末はないだろ」って自分でも思ってしまって。
https://note.com/tiikawa1216/n/ne14b9644bf7f
当時有名だった少女漫画を読んだ。フルムーンを探して、ママレードボーイ、グッドモーニングキス…
内容は定かではないものの、すべてとても面白く、良い物語だったと思う。
しかし、いくつかの物語を読むにつれて、私に「空虚さ」や「違和感」が蓄積していくのを感じた。
私が少女漫画から学んだ内容は、「女の子って、好きな男の子と付き合ったり結婚できたらその先の人生は”その他”みたいなものなのかなあ…」であった。
最終的に結ばれる側の男性には仕事の話や大学進学の話など、たくさんの「未来に続く道」が暗示されていた。それにも関わらず、主人公である女性は男性と付き合い、結ばれるところまでで精一杯であり、それ以外にやりたいことやどのような将来に向かっていくのか見えないのである。男性に一直線に向かって打ちあがる一輪の花火のようなものだ。その花火が咲いた瞬間がマンガのクライマックスであり、そのあとにはチリと寂寥感しか残らない。それがなんとも刹那的であり、同じ人間として数十年を生きるという寿命的設定と噛み合わず、空虚を感じる。
もちろん現在では、昔に比べて少女漫画も多様化が目覚ましい。愛の在り方に関する表現がイケメンとのイチャラブに集約されるような一様なものでなくなってきているという事実は、たくさんの精神的自由を女性に与えているのではなかろうか。
他者への愛は比べられるものでもなく、好きな人は好きなのである。
少女漫画はかつてのジェンダー再生産的役割から個人の自由意志や決定をフォローしてくれる役割にシフトしてきていると思われる。
これはシン・ゴジラを踏襲した手法で特撮愛を形にした点で共通しているが全くアプローチの異なる映画だ。
シン・ゴジラはゴジラという存在を借りて庵野樋口が好き勝手再構築した映画
シン・ウルトラマンはウルトラマンという作品を庵野樋口が再構成した映画だ。
なので観る人がどういうイメージを持って観に行ったかによって捉え方が全く変わるだろう。
ウルトラマンを元に再構築して欲しかった人にも肩透かしになっただろう。
そしてウルトラマンを今に蘇らせて欲しかった人には最高の映画になったと思う。
シン・ウルトラマンは原作となったウルトラQからウルトラマン最終話までを120分に押し込んだ映画だ。
これは本当に構成が上手い。情報量が多く展開が早いため120分があっという間で下手をすると振り落とされてしまう。
怪獣製作する上での裏事情をうまく解釈し直し生物兵器としたのは素晴らしい。
隊員の巨大化やちゃぶ台を挟んだ駆け引き(これはウルトラセブンだが)などウルトラマンの各エピソードを拾い一つの流れに組み込み、ゼットンの再解釈は思わず唸らされた。
そこか!そこでウルトマンのあのシーンを挟むのか庵野このやろう!!wwと思わず笑ってしまった。
だからこそ、ファンでなければ面白さが伝わりづらいという弱点がどうしてもあると思う。
予備知識なしに見る人はどこに収束しようとしているのかわからない。
シン・ゴジラには物語の冒頭から終幕までゴジラという明確な敵役がいたが、シン・ウルトラマンは何度も事件が起こりそのたび敵が変わるからだ。
自分はウルトラマンをしっかり観たことはないが一応メフィラス星人やゾフィー、ゼットンなどを知っていたのでなるほどこうきたかと思ったが、それすらない人にはどこが物語のクライマックスになるのかわからないだろう。
なので賛否が起こり評価はおそらく大きくバラつく。ある人には最高、ある人には今ひとつ。そういう映画だ。
シン・ゴジラはゴジラというテーマをベースに日本社会を描き出したので特撮ファン以外にも開かれた映画になったが、シン・ウルトラマンはウルトラマンに愛がある人に受け入れられるストライクゾーンの狭いものになるのではないか。
また、シン・ゴジラはシリアスに物語が進むからこそ笑いになっているところがあったが今回は全体的にコメディ的に味付けがされていてそこを良しとしない人もいるだろう。
ほとんどの人には
「シン・ゴジラのウルトラマン版を期待したのにそうでもなかったなー。」
カメラワークは広角レンズが多用され物陰から見ているかのような構図が特徴的だった。そしてカット割が多い。
禍威獣パートをは人間視点で、人間ドラマパートも小人や透明人間になって複数人で観察しているような感覚だった。
もしかしたら映画を見ている我我も外星人としてこの地球のいく末を観察する役割を与えられていたのかもしれない。
巨大化した美人キャリアウーマンはこれは新い性癖きたなと思ってしまった。普段酒に酔っ払って路上で寝ているのが仄めかされたのもとても良い。メフィラス星人と神永が公園のブランコで対話をしているシーンは「薄い本になりそうだな〜」と思った。
役名は明かされなかったが竹野内豊がおそらくシン・ゴジラの赤坂と同じ役で出ている。これはシン・ゴジラの世界とシン・ウルトラマンの世界がマルチバースであるということだろう。
そうしたのもゴジラ、ウルトラマンと大人の事情で同じところに立てない作品の両作品への庵野の愛を感じる。
じゃぁなんで斎藤工は戦車に乗ってないんだとなるが、まぁ斎藤工もマルチバースで巨大な敵と直接戦っているということで笑
ウルトラマンでは田舎や都会で戦うことはあってもミニチュアが大変な工場というのはなかなかなかったのではないか、夕暮れ近い工業地帯での巨人の肉弾戦は庵野が一番観せたかった絵だと思う。
ネタバレ注意
フラワー・オブ・ライフの感想って難しいな。
それでも語らせてもらうと、一般的な連載漫画って①序盤に何話かかけて世界観設定をして、②中盤は大きく設定は動かさず安定した世界観の中で1話完結とかの話をやって、③終盤もう一度設定自体を動かしてクライマックス、みたいな様式がよくあるじゃん。
この漫画も基本的にはこの様式に沿っているように見えるんだけど、実は②の部分がすべて①から③に向かう間の伏線(?)な上に、改めて俯瞰してみると②も含めた作品全体の流れの緩急が見事にコントロールされている。
で、それに加えて凄いのは、当然初見の読者はこの作品の完璧な構造の存在など知りもしないので、作品を読み進めて③にたどり着くまでこの作品を「一般的な様式の漫画」だと思い込まされて、完全に油断させられる仕掛けになっているところだと思う。
ふんふんふん、と普通に「いい話」や「人間関係のあれこれ」を追っていった先に「あの終盤」ですよ。
俺が今まで②の1話完結ものだと思って読んできたエピソードは一体何だったのかと愕然としたね。
ただ、この感想はあくまでもたまたまこういう読み方をした人間だけのものであって、初めて読んだときのコンディションとか読み方によってはまったく違う印象になることもある不安定なものだとは思う。
そういう意味では「個人的に」ショッキングだった唸らされた作者は天才だと感じた作品としては1位だけど、万人にとって1位かどうかは自分には何とも言えない。
なんかこういうのが見たいんじゃないんだけどなぁって感じなんだよな。
サブカル臭かったり、一般ドラマの延長線みたいなのだったり、劣化ジブリだったり。
アニメで見たいのって、かっこいいバトル演出!爽快なアクション!って感じじゃないの?
鬼滅や呪術がウケたのって原作の評価もあるにせよ、そういうのを見せてくれるからじゃないのか?
カッコイイを詰め込んだデザインのキャラたちが戦い、ちょっと陰のある物語を描きつつ、クライマックスはカタルシスのある覚醒!アニメーターの渾身のアクション!BGMとの同期がバチっと決まって1000回見返したくなるような爽快感!叫ぶ声優!激しいがその声は心地よい!ピカカッ(絶妙な間)チュドドドカーン!気持ち良いタイミングでブワーッ!イケメンキャラの顔がサワー!ウオオオー!グワー!すげー!かっこいい!かっこよすぎるっ!すごい!みんな見ろっ!って言いたくなるようなさぁ、そういうのを作ってほしいんだけど。
話題になっていた『ぼくらのよあけ』を読んだが、正直評価に値する作品とは思えず。
作者の「ジュブナイルものを描いてやろう」という意識だけが強すぎて、お約束のアレもコレもやろうとして、結局全て失敗したようにしか見えないんだが。
何よりもまず、過去を舞台にしている訳ではないのにノスタルジー臭がキツすぎて、本来ジュブナイルが目指すべき「未来にときめく少年少女の話」に全くなっていないのだ。
オッサンオバサンが見て「いいなあ」と思う子供像だけを詰め込んだようで気色が悪い。
小学生時代にしがみつく後ろ向きさ、想像力の狭さが剥き出しで、こんなもん子供が見ておもろいんかなと思う。
AI側・主人公側の描写も両方薄く、キャラクターとしての魅力がどこにもないのも致命的。
AIを故郷に返そうとする主人公の個人的動機に同調できず、話に全然ノレない。
主人公の少年はテンプレキャラの域を一切出ておらず、具体的にどういう少年なのか、どこが他の子供と違うのか、何がどう魅力的なのか、
地球外AIを元の惑星に送り返してやるのがストーリーの目的なのに、話の大半でしょうもない小学生のいじめだの何だのをダラダラやってるのも意味不明。主人公関係ないし。
本編自体ははっきり言って何の捻りもない単純すぎる展開なのに、とても整理できているとは思えない。
そもそもジュブナイルものの核には冒険があると思うのだが、両親が揃った保護体制の下、「安全に行われる冒険」にはなにも魅力を感じない。
何なら、「終盤は親がやる事を決めてそれを子供にやらせるだけ」という場面まである始末で(クライマックスですらそんな感じ)、まるで親の命令で自由研究をさせられる子供を見ているようだ。
ここまで「閉じて」「自由を感じない」ジュブナイルは初めて読んだかも知れない。