はてなキーワード: クライマックスとは
ママになって早1年ちょっと、産後初めてお友達のおうちで2.5次元ミュージカルの鑑賞会をした。上映作品は友達の推している作品である。
鑑賞中はさまざまな感情があふれた。多分泣くシーンじゃないと思う場所でも自然と涙がこぼれ、己の情緒が上に下にとジェットコースターのように暴れ狂った。
そしてすべてを見終わった後、友人たちは堰を切ったように口々に感想を言い合った。あのシーンのこの子のあの子を見つめる所作がサイコーだった、ここの演出はあの子の心情を加味してこういう動きになってたんじゃないだろうか、というような具合にである。増田も何か言おうと思った。さっきなぜ泣けたのか、クライマックスがいかに素晴らしかったか、などなど。
しかし!なんと!なぜか!言葉がまっっったく出てこないのである!!!!!
考え考えようやく絞り出せた言葉は「中盤のあの子、えっちだったね」だった。我ながらキモ過ぎて絶望した。友人たちは優しいのでめちゃくちゃ話を広げてくれた。ありがたい。そして情けない。
思えば子どもが産まれてからあんなに繰り返し見ていた円盤もすっかり埃をかぶり、簡単に映画やアニメに触れられる配信系も寝かしつけの後は家事して朝日と共に起きる子どもと起きるべくさっと寝てしまうからちっとも見ていない。また、素ん晴らしい作品に触れては速攻対面なりSNSなりで感想を吐き出していたあの頃とは違って「こどもちゃ〜ん、楽しいねえ」「これが欲しいねえ」といった簡単な言葉をほぼ返事の返ってこない相手に投げかけ続けるだけの日々を過ごしている。そりゃ言葉が死ぬのも当たり前か。
ノーミソって結構簡単に退化するんだな、ということをひしひしと感じながら友人達の会話を聞いていた。あーうーなんかすごいーしか言えなくなってしまった現状がわりと悲しいけど、もし友人達がリハビリに付き合ってくれそうなら、ゆっくり素ん晴らしい作品を履修してゆっくりアウトプットしつつ、いつかアツく語り合いたいと心から思った。
https://www.pixiv.net/artworks/72648745
この人の作品は本当に凄いな
可愛い絵柄で、不美人な女の性欲と承認欲求という誰もが直視したがらないテーマを生々しく描いている
プロデビューしてメジャー媒体に載せられて、タコピーの原罪のように話題になってもいいレベルだと思う
こういうふうに非モテ女性の性欲を描写した漫画には、私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!もあるが、
あれは途中からソフト百合漫画にシフトしていったし、当事者からの「本当の喪女はこんなんじゃない」という声が強かったからなー
でも実際には女にも性欲はあるし、こういうふうにそれが満たされなくて異常行動をして周囲からもハブられる女性も絶対にいる筈なんだよ
この漫画で凄いのは、主人公の性被害体験を、主人公にとって全面的な不幸としては描いていないところ。
そこが山岸凉子の天神唐草とも違い、現代的な深みを出していると思う。
薬で身動き取れなくされて、気持ち悪い男から「AVと違う」などと屈辱的な事を言われレイプされて妊娠しても
『既婚子持ち』というステータスを得て他の女性と同等の立場に立った事に安堵を感じるという絶望的なまでのリアルさ
(続編を見るとまともな子育ては出来ていないし、高齢出産という事で周りからは嘲笑われているが)。
一昔前と違い、女はとにかく結婚して子供を産むのが偉いし妊娠出産子育ては社会を挙げて支援すべしという世の中になっちゃったからね
残念なのはクライマックスのシーンに性描写が含まれるせいでR18になっている点だな
前後の部分だけを読んでもストーリーは繋がるが、睡眠薬を飲まされてレイプされる最中の嫌なリアルさは実際に読んでみないと分からない
今話題になってる漫画(https://twitter.com/fukufuku_diary/status/1581977574023913472)なら、自分は発達障害だった、結婚して子どもを持つなかで自身が発達障害であることを知り、受け入れられたって構造だろ。
クライマックスは発達障害の子どもを愛する自分を通して過去の自分を悪くなかったと思えた場面だろう。絵から表現まで全部稚拙だがこのシーンは体験者としてのリアリティを感じる表現だし、ここを焦点としてみれば筋もそんなにブレていない。
そんなにあの漫画はお話の構成として間違ってるか?元増田が実際に漫画を提示して無いのもそれなりに描きたいことがちゃんとある漫画であることをごまかすためじゃねぇの。もしくは突っ込まれたらそのマンガじゃないと逃げるためか。
漫画の話を作る時、まずプロが考えるのは「読んだ読者がどう思って欲しいのか」ってことなんだよ
初期のワンピースや幼年誌なら「いろんな能力を持ったキャラが能力を生かしてバトルするのがおもしろい」とか「ゴムゴム技のマネしたい」
ワートリなら「頭脳バトルを見せたい」とかさ
ちょっと社会問題を意識した青年誌なら「この社会問題に興味を持って欲しい」とか、
ストーリーも見て欲しいシーンをクライマックスに持っていきつつ、伏線を張ったり序盤で飽きさせないようなイベントを入れる
細かい世界観設定を含めたおもしろさを売ってる作品じゃない限り、基本的にはキャラを活かすための舞台装置なんだよ
だから倫理観やリアリティのない設定で作者の倫理観や価値観を図るってのはそもそも間違ってる
https://www.be.emb-japan.go.jp/japanese/archives_j/lfb_039.html
最初に、カール大帝とフェリペに扮する人物が、馬車に乗って、お付きと一緒に入場し、正面スタンドに着席します。その後は、二人を楽しませるために,色々なグループが思い思いの時代衣装を着て、その前をパレードするのです。最後は、高いものはビルの3階分位の竹馬に乗った一群が登場し、クライマックスでは、竹馬同志で、最後の一人になるまで騎馬戦を行います。そして、花火が打ち上げられ、終了です。夜の21時頃から始まり、終了は真夜中近くになる,ブリュッセルでも、人気が高い一大イベントです。
死なないものなの?
先日、『ポケットピカチュウが欲しかったけど、ポケットハローキティがクリスマスに届いた』っていう話を書いたら思った以上に反響があった。正直驚いた。
私もだわという声もあって、一人じゃなかったんだなあと、心に刺さった棘がちょっと小さくなった。
https://anond.hatelabo.jp/20220818181739
»ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
について掘り下げる。
どうしたらポケットピカチュウを手に入れることができたんだろう。
1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう
2. クリスマスにポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングでポケットピカチュウをもらう
私の親は、ポケモンは暴力的なゲームで子どもに悪い影響がある かつ ちょっとした流行りものと認識していた。
2022年に「ポケモンは暴力的なので我が家では禁止しています」という親がどれくらいいるか分からないが、1999年にはどうやら一定層いたらしい。
子供の頃の記憶と、さっき5分くらい調べたGoogle検索の結果なので間違っているかも知れない。
ーーーーーもし、2022年の私が1999年の私に会えたら、何てアドバイスをすればいいか。
・友達を1人ずつ連れて行って、ほら、みんなポケットピカチュウを持っているでしょ。と、[エビデンス]を突きつけてみるのはどうだろう。
・もしくは、うちでポケットピカチュウ通信会を開催して、私だけ持ってないでしょ、と教えるのはどうだろう。
・・・と思いついた。
おそらく、当時の親は周りの子どものことが見えてなかった。見る習慣がなかった。
私は第一子だったので、幼稚園に通うまでは「子」と「お母さん」だけの【家】という最小コミュニティで成り立っていた。
それが、幼稚園に通うようになって、「子」と「お母さん」と「幼稚園の同級生」と「ママ友」という【地域】コミュニティに膨らむ。
子が成長するに従って、親はぶつぶつ言い始める。
『〇〇ちゃんはもうバイエルやってるんだって』とか『〇〇ちゃんは進学塾に通っているそうよ』とか『〇〇ちゃんは結婚したって』
と、否定されたことはないので、親にとっては「今日は晴れていたね」くらいの日常の会話、近所の近況報告だったかも知れない。
肯定的に捉えると、周りの子どもと比較するということは、周りの子どもを見る余裕ができたということだと思う。
私が幼稚園に通うくらいの頃は妹が生まれたばかりだった。親は心に余裕がなかったと思う。
自分を通してのママ友はあまりいないが、妹の友達のママ友はいまだに付き合いがあるくらい長い付き合いだ。
なので、公園の片隅で
「うちの子ポケモンなんかに興味を持つのよ。女の子なのに。やあねえ。」
「え、知らないの?ポケモンって今とってもはやってるのよ。女の子も男の子もみんな持ってるんだから。〇〇ちゃんも買わないと置いていかれちゃうわよ。」
なんて話している余裕は私が子どもの頃はなかったんだろう。
あの頃は、「私」と「妹」と「お母さん」だけの【家】で小さく暮らしていた。
私だけが幼稚園という広いコミュニテイに先に出てしまったのだ。
周りの子と自分を比べても、あまり良い説得材料にはならなさそうだ。
ピカチュウはちょっとした流行だと捉えていたことについては思うところがある。
当時ハローキティはキャラクターとしてはかなりの地位を得ていた。1974年にデビューしたそうなので、1999年に25周年を迎えていた。
対してピカチュウは1996年に誕生しており、1999年時点ではたった3周年だ。
2022年にはピカチュウが誕生してから26年になるが、未だに老若男女誰に聞いても「このキャラクターは何?」「ピカチュウ」と回答が返ってくると誰が想像しただろうか。
あなたが「どうせ、これもすぐ終わる流行でしょ?」と手を振り払ったそれは25年後常識になっているかもしれませんよ。
ーーーーサンタさんが良かれと思ってプレゼントしたものを開けた瞬間、子どもがしくしく泣き出したら?
サンタさんはさぞ慌てふためいたと思う。自分が良かれと思って変更したプレゼントは間違っていた、と気付くことができる。
本来であれば25日の朝のプレゼント開封でクライマックスを迎え、幸せなクリスマスになるはず。
ところが、25日の朝にポケットハローキティが出てくることで、家族史上最も気まずいクリスマスになる。
「何が違ったの?」「どうしてダメだったの?」「そんなにピカチュウが欲しかったの?」と聞いてくれたかも知れないし、
「ああ、この子が主張していたものを勝手に変えるのは良くないんだな」と気付いてくれたかも知れない。
人と人はぶつかり合ってお互いの理解を深めるというが、親と理解を深め合う最初のチャンスが5歳のクリスマスだったのかも知れない。
3000円のポケットピカチュウはお菓子のように気軽に買えるというほどではないが、
ちょっと食費を削ったり服を1枚我慢したりCDを1枚我慢すれば、手に入らない金額のものではない。
在庫薄だったかも知れないが、周りの子がみんな持っていたのを考えるに、郊外特有の、ちょっと大きいトイザらスが在庫を持っていたと想像する。
私が親だったら、しくしく泣き出してしまったクリスマスの悲しい思い出を払拭するために、ポケットピカチュウを手に入れようと頑張るだろう。
26日の朝に「あれー!サンタさん今日もプレゼントくれたみたい」と急いで挽回するか、元旦にお年玉の代わりに渡すか、数週間後にある誕生日のプレゼントにするか。
なんらかのタイミングでポケットピカチュウが私の手に入ってハッピーエンドだ。
アラサーになって、ビールを飲みながら、はてな匿名ダイアリーでちまちま記事を執筆することもない。
前回の記事で、ポケモンに触れずに大人になってしまった哀れな人と思われたかもしれないが、安心してほしい。
ポケットハローキティ事件の数ヶ月後に、ひょんなことからゲームボーイカラーとポケットモンスター銀を手に入れることになる。
syamu、拓也さん、ONDISK、そして中学で同級生だったなっちん
なんていうか、「こいつまともに分かってんのか???」って気分にさせられる
認識がズレてるというか、極端に共感できない。だから見ていて不安になる
例えば、syamuは『ホモ』『アンチ』って言葉を独特に定義している
参考:この記事の真ん中あたり https://kyanoscreate.hatenablog.com/entry/2016/03/24/220612
いや、ホモなんてごく普通に使われてる言葉じゃん。知らなかったとしても、ちょっと調べれば「男性同性愛者」「転じて、男性同性愛者向けビデオをネタにする人達の自称」ってわかんないかなぁ?
他にも「8/10は野獣先輩の誕生日」とか、なんか物事を曲解して覚えてるのを見ると、中学の頃にいたなっちんという子を思い出してしまう
拓也さんは、ほんへを見ていると分かるけどいきなりちぐはぐな事を言い出す
監禁72時間って監禁契約書にサインした男の子と72時間SMプレイし続けるってコンセプトなんだけど、拓也さんは「こいつを客に出すんかぁ」みたいな事を言い出す。なんだ客って。そんな概念を急に持ち込むなよ
Twitterでも「淫夢厨がなにかよくわかんないんだよね」とか顔文字付けて言ってたけど、そんなのぐぐればニコニコ大百科に書いてあるでしょ。分かれよ。モーゼがどうのこうのとかいうツイート、冗談か本気か分からなくてすごく困った気持ちにさせられた
ONDISK。あなたのドキドキ文芸部配信を観ている時、私はずっと不安だった
オタクじゃないONDISKには文脈の掴みづらい展開も多かっただろうけど、だからこそ、どこからどこまで理解できているのか開示して欲しかった
幾人のヒロインに死なれても「ふぅん」とか言いながら文字の読み上げに終始し、ゲームのキャラクターがプレイヤー側に語りかけるクライマックスシーンにおいても台詞の読み上げと進行についてしか話さない
ONDISKくらい頭のいい人なら容易いと思うんだけど、むしろ必要性を感じないから自分の感想を共有してくれなかったのかな?
なっちん。みんなで、ワンピースのリレー小説書いたこと覚えてる?
私は「ワンピースぜんぜん知らん」と笑って、Aちゃんも「最初の方と最近の話しか読んだことない」って言ってて、でもワンピース大好きなBちゃんに直してもらったりしながら書いてたよな
なっちんが書いた部分、明らかにおかしかったよ。文章は上手なのにね。怪我してる奴が元気な状態だったり、その場にいないはずのキャラが当たり前のようにいたり。みんな、どうしていいか分からなかったよ
卒業してなっちんと別れて、拓也さんはTwitterを消して、syamuは引退して、ONDISKもVtuberを辞めて
だけど昨日syamuがまた現れて、そこで私は真っ先になっちんを思い出したよ