はてなキーワード: 高木とは
まったくその通りだなと。
今後モバイル機器やフレームレートが重要なゲームが進展いく状況で無駄にリソースを消費するなんてことが許されるか大いに疑問で、あの高木氏ですらこの点には否定的であるし、最高裁はとんでもない事例を作ってしまったと私は思う。
たしかに、モロ氏には悪意というほど悪意はなかったとは思うが、ここは公益のため有罪でよかったように思う。だから、罰金に無しに実質無罪に近い有罪でもよかったように思う。
私は仮想通貨にやブロックチェーン技術には好意的であるが、無断マイニングには真向反対する。近年Cookieなどは同意がいるし、広告だって明確に見えているから見ない選択肢を我々はとれるだけで広告だってウザいことには変わりない。仮想通貨愛好者はBraveなどで広告ブロックをしているにも関わらず無断マイニングは良いことだとどういう立場でものを語っているのが腹正しい気分になる。
ある程度情報技術に聡い方々ならば、怪しいプロセスが背後で動作しているかいくらでも調べられるが、一般的には不可能な分野だ。情報技術に疎い家族や親せき、知人が被害にあっていると腹が立つ。黙ってやるという行為がどこまで許されるのか?なんかどう考えてもどこまで行ってNGなわけで、Webだけが特権的に許されるなんてことは絶対に無い。もし、許されるならば漫画村だって違法エロ動画だって合法になってしまう。
僕がコインハイブを知ったのは冤罪で検挙されたモロさんと同じくGIGAZENEの海外記事紹介でだった。2017年後半のことだ。
その後、海外の超大手の海賊版サイトが導入したとか日本でもニュースにもなり知名度が海賊版サイトの悪名とともに広まった。
そして漫画村もコインハイブを導入して、さらに悪名がつくことになった。
2018年。それまで一部のまとめサイトなどでの範囲に収まっていた漫画村批判が、2018年は年初からマスコミや大手ネットメディアも名指しで取り上げるようになった。
その時期にコインハイブ設置したものだから、そうした記事ではコインハイブは漫画村批判にこれでもかと利用された。
その時にマスもネットも全てのメディアはコインハイブの解説をトレンドマイクロに求め、トレンドマイクロはコインハイブへの警告を出し続けた。やれCPU100%、やれ端末がぶっ壊れる等。
批判記事が量産されるとともに漫画村叩きの熱も高まる。それとともに各記事におけるコインハイブの解説も漫画村批判を煽るために怖さを増幅させるものになっていく。
初期のねとらぼの記事ではトレンドマイクロの解説として「ウィルスではありませんがトラブルになることがあるのでトレンドマイクロでは警告を出している」と穏当なコメントも掲載してるhttps://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1802/20/news114.html
が、3月のNHKの記事になるとトレンドマイクロがCPU使用率が100%になる画面を見せる調査を元にコインハイブについて「アクセスするだけで利用者の端末で不正なプログラムが勝手に動きだすことがわかりました」と「不正」と断定して記述するようになりhttp://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/800/291202.html
4月にはテレ朝系のAbemaニュースではネットに詳しい弁護士がコインハイブについて「不正指令電磁的記録供用罪に問われる可能性がある」と違法行為と解説させるようになったhttps://times.abema.tv/articles/-/3978705
産経は漫画村記事でコインハイブは「北朝鮮の資金源」と書いた。
こうしたメディアの動きと合わせて、この時期Twitterでは何とか漫画村を利用させないために「漫画村にウィルスが仕掛けられてる」という投稿が拡散されるようになり、「コインハイブ=ウィルス=不正」という理解が高まる。
このようにメディアとSNSで「コインハイブ=悪」という認識が根付いていく裏で、全国の警察がコインハイブ設置者の大量検挙に動いていた。NHKがこの時期に「不正なプログラム」と断定していたのも警察の動きを把握してのものだろう。
その後、漫画村は政府によるブロッキングを経て潰れ、それとともにコインハイブの話題も一旦終了する。
そして漫画村の記憶も薄れた6月に警察が「今年に入ってコインハイブで数十人を検挙したよ~」と発表し、高木浩光先生が「コインハイブで逮捕はおかしい」と批判の声を上げて流れが変わる。http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20180610.html
高木先生はコインハイブが事件となった理由を「トレンドマイクロの暗躍」だとした。
漫画村はすでに潰れていたこともあり、以前に漫画村つぶしのためならとおかしいことをおかしいと言わずにスルーしていた人たちも一斉に高木先生に同調し「コインハイブは不正じゃない」と声をあげ冤罪救済のちからとなった。
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
この件
知念実希人 小説家・医師 on Twitter: "『野党はワクチンに協力的だった嘘つくな!』と大量のリプライ頂きますが、 一部野党が主張していた『国内で第3相をしてからワクチンを承認するべき』が万が一とおっていたら まだ日本ではワクチン打ててない可能性高いですからね! 承認は数か月は遅れ、万単位の犠牲者が出たはずです。"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/MIKITO_777/status/1456533064134193153
公明党の高木委員も、専門家の言う通り第三相試験をちゃんと検討してねって言ってるみたいなんですけれどね。
第203回国会 厚生労働委員会 第5号(令和2年11月18日(水曜日))
https://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009720320201118005.htm
(略)
昨日の参考人質疑におきましても、ワクチンの国内における第三相試験について、岡部参考人も、また宮坂参考人も、必要だ、時間と目標人数を決めて行うべきである、このように言及をされておりました。例えば岡部参考人は、やはり「基本線からいえば、ルールどおりの三相試験は必要だと思います。 ただし、人数を例えば少し制限をするとか、このぐらい時間がかかるものをもっと短く、議論するんだというようなことも含めて、総合的に議論が必要だというふうに思います。」と。宮坂参考人も同様のお話でございました。
国内のデータをどのように蓄積をしていくか、やはり何らかの手だてを講じる必要があると思っております。厚労省の見解を求めます。
(回答含む質疑略)
大変重要なところでございますので、できれば一社一万人という規模でやっていただければよろしいのではないかというふうに、ここもやはり専門家の意見をしっかり聞いていただく。せっかくやっても有効性を問われるのでは意味がありませんので、そうしたことも含めて御検討をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
それとも、与党はノーカンで野党だけが一方的に悪いって事になるんでしょうか。
id:barelo 令和2年11月24日・立憲民主党・石橋通宏「第三相試験をしっかり同程度やってから承認を判断をされるべきものではないかとやっぱり我々なんかは思います」 https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120314260X00420201124/106
○石橋通宏君
いや、しかし、同時にやるのでは意味がないのではないですか。何のためにこの一万人の先行接種、これ先行なのか同時なのか。もし確認をされるということであれば、当然ですが、国民の皆さんに接種勧奨をする前にこれをやって、そして反応を見ると。
本来、承認前に先ほど来お願いしている第三相試験をしっかり同程度やってから承認を判断をされるべきものではないかとやっぱり我々なんかは思いますが、そうではない、まずは承認なんだ、承認後に一万人にお願いするんだ。であるとすれば、やはりこれ、接種勧奨する前にこれ一万人ということに、皆さんにお願いして状況を確認するということなのかなと思ったんですけど、違うんですか。
切り取られた部分だけを読むと「第三相試験やってよ」と要請しているように受け取ってしまいますが
全文読めば「本来は第三相試験してから承認だと思うんだけど、まず承認するんだって理解でいいですよね」と、政府の進めようとしているプロセスを確認している趣旨なのがわかります。
id:bareloに悪意は無いのかもしれませんが、結果として元々の文意とは異なる”切り取り”をしています。
え?でも「先ほど来お願いしている第三相試験」ってあるんだから、その前に散々要請はしてるんだろ、ですって?
ならその「先ほど来」の部分から切り取ればいいですよね。
なぜそうしなかったんでしょう?
実はそこまでの議論を読んでも、石橋氏は第三相試験を要請してないんですよ。
ずっと「第三相試験なしで承認するなら国民に理解してもらえるように根拠説明して」って言ってるだけで、第三相試験をやれなんて言ってないんですよ。
これ喋ってるものをそのまま書き起こしてるからわかりにくいんですけど、要は
『本来、承認前に先ほど来(から実施しない理由についての説明を)お願いしている第三相試験を』
全部の議事録を読んだわけではないですが、他にも立憲の長妻氏は「早ければ12月には承認」するスケジュール前提で喋っており
スピードは大事だけど拙速にならないようにくれぐれも注意してくれ、程度ですが、まあそりゃそうだろうなとしか。
立憲の中島氏は確かに「第3相試験やるべきではないか」と発言してますね。
でも読む限りの個人的感想ではそんなにしつこく求めてるわけでもなくアリバイ作り的に言ってるだけに見えるので、
スケジュールを遅らせようとか何が何でもって意図は無いように見えます。
つかこの程度で責められるなら、上述した公明党の委員さんだって第3相試験やれ言うてるやん、て話です。
2021 埼玉5区
牧原(自民)107,532
2017 埼玉5区
この通り、自民候補が3万票を積み増しする中で枝野さんの得票数は(希望の候補が別に出ていた)2017年より5000以上減っており
「希望支持者の取り込みに失敗」どころか、そもそも当時の支持者すら一定数離れている
さらにそれ以前のデータでは2014年の惜敗率96.23%、2012年89.89%と、自民勝利傾向にあったとはいえ牧原さんにかなり詰め寄られていることがわかる
そして重要なのが、過去の選挙では共産党の候補が13000~票を得ている点で
極端な話、もし今年の選挙区に共産の候補が出ていた場合、下手すりゃ落ちていたのではないだろうか(そりゃ比例復活はするだろうが)
つまりあの共闘は政権選択とか野党連合とかいう以前に「枝野さんの個人的な生き残りのために必須だった」わけであり
「この人元々そんなに人気なかっただけなんじゃ?」などと思ってしまった
youtubeでラッパーのダースレイダーと芸人のプチ鹿島がやってる「ヒルカラナンデス」って番組とか、選挙取材でたびたび話題になるフリーライターの畠山理仁の影響だよ。
ちなみに筆者こと増田の選挙へのスタンスは前回からようやく選挙公報を見るようになった程度で、演説にわざわざ足を運ぶのは初めてだよ。
選挙区は岐阜5区(多治見市、土岐市、恵那市、中津川市)で、県南東部の東濃地方と呼ばれるところ。
南西部の西濃地方(県庁所在地の岐阜市はここ)に次ぐ人口密集地。
陶器、焼き物が伝統産業(アニメ「やくも」まったく話題にならなかったね)で、西部は愛知県、東部は長野県の文化が混ざる感じの地域。
広域名古屋圏のベッドタウンの印象が強く、若干トヨタ経済圏にも属し、近年は中津川市のリニア駅建設も話題になりがち。
候補者は以下の通り。
古屋圭司(68) 現職 自民(公明推薦) 党政調会長代行(ちな総裁選で高市早苗の選対委員長) 12年に拉致問題・防災の各担当大臣
今井瑠々(25) 新人 立民 党岐阜5区総支部長 政治経験なし
この4人についてのイベントを回って感想を書きたかったのだが、結果的にメディアが本命とみる前2人のイベントしか行けなかった。
山田候補についてはツイッターやってなくて演説会とかの情報もつかめず。増田の力不足のせいだよ、ごめんね。
ついでにいうと増田はただのヒマなし会社員なので奇跡的に連休とれたここ2日間しか行ってないよ。ごめんね。
10月29日(金)
・参加者は大半がスーツまたは作業着を着た男性、一部女性。年齢層は下40上80ぐらいで、分布はやや上より。100名ぐらい?
・みんな近い業界でそろって来ているのか、関係者や参加者同士であいさつを交わす場面多し。
・選対本部長、多治見市長、自民市議、公明市議らがあいさつ。公明は女性。演説者の名簿とか掲示がなかったので覚えてないよ。
誰だったか、今井候補をさして「25歳に何ができる」的な発言、拍手起こってゲンナリ。
でも「性別は関係ないですが」とはわざわざ言いつつ「女に何が…」とは言わなかったあたり思ったよりまともな印象。
・古屋候補本人は他選挙区へ応援演説のためリモートで参加。その場にいないからかしゃべりが早口かつ一方的でよくわからず。
党の公約を高市さんと一緒に、他総裁候補みんなの思いを盛り込んで作ったって言ってたかな。でもそれ高市さんの話と矛盾してない?
・参加者は年配の男性、次いで年配の女性多め。とはいえ30代くらいもチラホラ見える感じ。200名弱?
・選挙スタッフは明らかに若い人多めで、どっちかといえば文化祭のようなノリを感じた。
・山下八州夫・選対本部長(元参議)、赤松広隆・元衆議、連合岐阜副本部長、今井候補と同級生の選挙スタッフ、高木貴行・岐阜県議(選対)が演説。
赤松さんは若者を応援するのはいいが関係ない話長すぎ。同級生は緊張しつつもラフな話と本気の語りが混ざっていて虚実の被膜!と思った。
高木県議は今井氏立候補のきっかけを作った張本人らしく、現職有利の情勢を見て悲壮感を漂わせつつも泣きながら大熱弁をふるう名役者ではあったが、
でもこれあなたの選挙じゃないんですよ感はどうしてもあった。長いよ。
・今井候補本人は非常に演説がうまく、立民の労働政策、育児・若者政策の掲げる理想と自らの地域への思いを冷静かつ熱意をもって話していた。
先の同級生を指して「~さん」と呼んでいたのが途中「~ちゃん」に変わることでまたしても虚実の被膜が揺らいだ。
参加者の年齢層を考えると妥当だが、比較的年齢の近い増田からすると「若者」「若輩者」と自ら連呼しすぎて卑下しているような印象を受けた。
10月30日(土)
・ここは増田が時間を間違えてて30分遅れで到着した結果やってなかったよ。これでも高速乗って急いだよ。ごめんね
・小関候補は元土岐市議なので最終日は土岐市内でちゃんと集会やってほしかったなと思うよ。
・前日の集会と似た感じの人たちが挨拶を交わしている。50名くらい?
・恵那市長が応援演説。地域のことを忘れない人だと太鼓判。あと恵那市議が複数
・本人の演説は堂々たる横綱相撲といった趣き。政調会長代行として高市さんとがんばりますとか、
リニア駅で地域に雇用とか、岐阜大学と名古屋大学が合体したので東濃地方に大学院作って地域に雇用とか。
中枢にいることのアピールや政策の具体性はさすがベテラン現職という印象だが、政策が地域に寄りすぎて国政選挙から離れている気がする。
あと物事を変えたり批判したりすることには意味がない(それよりも今の生活を守る)って言ってたのはわからなくもないけど残念。変化は対立軸ではないと思うよ。
・選挙スタッフと一部近所の方々のみ。全部で20名くらい?あとカメラ複数
・山下選対本部長、候補者の父、高木県議が演説。山下氏と父は簡潔で内容もよかったが、高木県議はここでも熱意のあまり話が長い。
今井候補は疲れからか下向いたり余所見したりする場面があって、カメラも入ってるのに選対のケアやフォロー体制が気になった。
・今井候補は最後の最後でも自分の演説になると内容も発声もうまく、このあたりの周到さは現職よりもすごい。
でも「いまだかつてこの地域でここまで若者が参加した選挙はあったか」というのはちょっと買いかぶりな気がした。
今政治参加する中高年もかつては若者だったわけだし、そこはちょっと内輪で盛り上がった感があった(確かに身内ばかりの状況だったけど)。
全体の感想
・2世議員の現職がどうにも有利な構図。これは建築・土木系が発展を支えた昭和からの変わらなさを感じるが、
でも今でもその仕事をしている人たちは各地方に存在する以上一理はあるわけで、一概に切り捨てられるものでもないよなあ。
・若手が大規模政党から公認を得て出馬しようとすると、どうしても支える側は元議員とか先輩議員(地方含め)になってしまう。
例えば25歳の今井候補の選対本部長である山下氏はは79歳。これだけ年齢差があるといくら山下氏ががんばっても今井候補は顎で使うの無理じゃない?
25歳なんて一般企業ならようやく30代の先輩と対等に話せるようになるくらいじゃないか。若い人が出馬するのは「厳しいお声」以外にもこういうハードルあるよなあと思う。
その点で人を使い慣れているしそれが普通に見える年配の現職はますます有利になっていくの、本当に難しいな。
・アメリカのような選挙コンサルタントが一般的になるか、本当に若者たちだけで団結する必要がある気がするが、
やっぱりそれだと地盤看板なしの戦いだし、若者は国会議員1期務める間に(若者たちから見て)そんなに若者でもなくなってしまうしなあ。
・どの候補も結局演説に集まるのは高齢者が多い。そりゃあ「若者」は朝から夕方まで仕事や学校に行ってるからな。
これでは候補者の年齢関係なく、若者政策に舵を切るのが難しいと思う。見えてないし、見えようがないからだ。
選挙に投票しない人を重視するインセンティブの働く仕組みを作れればよいのだが、それこそ難しいし、現行の制度で議員になった人はそれを支持するはずがないのでなあ。
・がんばろう三唱は通算3回やったけど、「テレビで見たやつだ!」って興奮した。
ようこそようこそって言われてこんなに一体感を感じるの、増田は奇跡的にクラスの陽キャグループに入ったときか教会の礼拝行ったとき以来だよ。
選挙戦そのものが行くと楽しく興味深いものであると同時に、使いようによっては非常に危険なものだなと感じたよ。
以上レポっす。