2024-10-14

アルビサポーターとして今想うこと

決勝に進出した熱に浮かれて、こんな文章を書いている。

1新潟サポーターの、自分語りをさせてほしい。

明確に覚えているサポーターとしての始まりは、昇格一試合目に行ったことだった。

その前にスワンに行った記憶は、J2初制覇の大宮戦、まだアナログ方式電光掲示板の横で、その地鳴りのような応援だった。

こけら落としにも行ったらしいが、覚えていない。

こけら落としに行って、2002W杯を観て、ベッカムロナウジーニョに憧れてサッカーを始めた。2004年、J1に昇格したからと、サッカー勉強になるだろうと父親が年パスを買ってくれた。そうして開幕戦東京に行った。

そこから数年間、N2層の中央付近で跳ねていた。

正直その頃には少年サッカーをなぁなぁでやっていたように思う。「シーパス」の為に少年サッカーを続けた。

つの間にかN2層で飛び跳ねる客は私達家族含めた数名だけになって、私達も後からやってきたおじさんに「私たちは立ちますよ」と断りを入れていたうえで「見えない、下でやれ」と文句を言われて1層で応援をするようになった。

それから

前半戦だけ優勝を考えた年があった。

流石にもうJ1に居られないのか、と思ったところから奇跡を見た年があった。

その翌年の後半戦は「2ステージでやってれば」と年末サポーター忘年会で盛り上がった。

その翌年、新潟は少し繋ぐことにチャレンジした。結果は散々で、ギリギリ残留することになった。

次の年は甲府天皇杯優勝させたあの人がやってきた。

ペナルティエリア白線が壁に見えている前提かのような繋ぐだけのチャカチャカサッカーで、途中で解任された。

そこからあとの降格する前までは、あんまり覚えていない。呂比須サッカーとホニがいれば一年で戻れるだろと思っていた事だけは覚えている。

なんやかんやあって、どちらも開幕前には居なくなった。

劇薬の使い心地が良すぎたせいかJ2落ちてからも2年は途中で監督をすげ替えることになった。使わざるを得ないと言える状況ではあったのだが。

社長が変わって、強化担当が名解説(迷解説)になって、そうしてアルベルがやってきてくれた。夢見るような、本当にバルサのようなパスサッカーを展開するようになった。

2年勤めてくれたあと、FC東京に引き抜かれてアルベル新天地へ向かった。

松橋さんは新任で、めちゃめちゃ大変な『スタイルを引き継ぎ進化させる』というタスクを、1年目にJ2優勝で、2年目は後半戦の安定した試合内容で、十分に結果で示してくれている。

そうして、9年前、テレビの前で泣き崩れるしか出来ることが無かった決勝の舞台へ連れてきてくれた。

クラブ運営は、前J1にいたときは大半入れ代わり立ち代わりだった編成を、数名の人数で抑えてくれている。

降格する年に上への野心を持ってやってきた男が、「このクラブを強くするんだ」と残ってくれた。降格した年にやってきた男が、その後移籍しないとは、正直思っていなかった。 

そのうえで、アルベルが作ったスタイルで「このスタイルでやり続けたい」と選手が残ってくれるようになった。

このスタイルなら成長できる活躍できると、新潟選択してくれる選手達がやって来てくれるようになった。

初昇格から降格まで、外国人頼みだった攻撃の印象を、今の新潟しか知らない人はもう持っては居ないだろう。

トップチームより先に、レディースも、ユースも、トーナメントてっぺんを見ている。

カップを掲げたことはない。

一応別スポーツならアルビBCは優勝している。

バスケであったかは失礼だが覚えていない。

レディースは、昨年等々力で負けてリーグカップ優勝を逃した。

アルビからと行ったけれど、この時の自分は本気で応援できていたのだろうか。決勝を戦うレディースを羨んで嫉妬していなかっただろうか?純粋に楽しめたのだろうか?

11/2には、新国立で、男子アルビレックス新潟にとって初めて優勝のかかる試合になる。

一生に一度目だ。選手には全力で楽しんでもらいたい。一サポーターとして、全力で楽しみたい。

間違いなく、名古屋は最強の敵だ。

でも、楽しんでほしい。楽しみたい。

こんな経験は二度とできない。

今、アルビ応援している我々だけの特権だ。

この特権を楽しもう。そして、一緒に楽しんでくれる人たちを増やそう。

皆を巻き込んで、ミーハーでも何でも増やして全力で楽しもう。

それがサポーターの一人として、私にできる最後足掻きだ。少しでも新潟応援してくれる人を増やして、国立オレンジと青で染めるための。

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