はてなキーワード: 部活とは
両親と絶縁した.正確に言えば両親との全ての連絡を絶った.
1. 社宅に入ることになり住所が変わった.新しい住所は教えていない
2. 社会人になったのでとりあえず1人で生活できるようになった.
小さい頃からとにかく両親との折り合いが悪かった.
母親は口を開けば,私の悪口,父親の愚痴,いかに自分が悲劇のヒロインかを語るか,どれかだった.
毎日容姿をけなされた.自分の娘の容姿を悪く言い続ける親って普通なのだろうか.
足が太いだのケツがデカいだの,デブでブスでかわいそうだかなんだか....
私は別に太ってはいないし,太っていた時期もなかったと思う.ずっと日本人の平均より少し細いか平均くらいで成長していた.
思い出せば全てのパーツに文句を言われていた気がする.お前の遺伝子だよ.
よくよく考えてみれば小さい頃から恥骨に肉がのっているのが下品ってけなしてくるのって普通じゃないし,
一緒に風呂に入るくらいの小さい頃は風呂でしょっちゅう恥部を触られていたのもおかしい.
彼氏には「俺の母親が妹にそんなこと言ってるの見たことないよ」とドン引きされた.
私が今GUの黒いスキニーパンツしか履けなくなっていること,母親のせいにしたい.
理由は,田舎特有の「成績がいいから」とか,「なんかノリが悪い」「ブス」「暗い」とか,そんなもんだと思う.
学校で居場所がないのに,家に帰ってきても居場所がないのは辛かった.
「お前がいじめられているから部活のママさんの間で私の肩身が狭い」とか.
少しは寄り添って欲しかった.
そんな感じで母親にはいつも自分がいかにつらいか,私が醜く劣っているかばかり聞かされ続けていた.
小学校も中学校も成績はずっと学校のトップだったけど,褒められた記憶は1度もない.
母親の中では,成績トップで当たり前なんだったと思う.世間体大好きな母親だったし.
父親は私が小学校に入学した頃からずっと単身赴任だった.ずっと不倫していた.
もの心つく前から母親と父親は仲が悪かった.なんでかは知らん.
単身赴任している10年間,ずっと不倫していた.子供に関心はほとんどなかったと思う.
私は小さい頃から両親に,
「地元で1番の高校に入って,旧帝大に入って,いいところに就職しなさい」
しかし,私が高校生になれば,母親は「そんなに勉強が嫌なら職業高校に行って就職しろ」,
確かに高校生の頃家ではあまり勉強していなかった.学校で済ませてきていた.
かといって別に成績が悪かった訳でもない.なんなら割と良かった方だと思う.
この頃は親の言うことがコロコロ変わることにクソほどムカついていた記憶がある.
「自分は進学したかったけど,家にお金がないから職業高校に進んだ」と言われたことがある.
自分が進学できなかった当てつけを私にされても困る.
大学受験の時期はほんとうに親と衝突した.嫌すぎて逆に覚えていない.
母親に怒鳴られ,殴られるのが毎日のようにあったのだけ覚えている.
おかけで卒業式は真っ赤に腫れたまぶたで出席した.最悪だった.
「お前にいくら金かかってると思ってるんだ」
「どれだけ金使ってもらってると思っている」
何度も言われた.
こんなこと,弟が言われているのは一度も見たことがない.
学校の偏差値が高いと言うことは,通う学生の親は金持ちばかりということである.
私だって一度は「お金のことは気にしなくていいから好きな道に進みなさい」とか言われてみたかった.
「お前にいくらかかってると思っている.大学は国公立しか認めないからな」
弟は「早稲田でも慶応でも,好きなところにしなさい」とか言われてたのに.
大学はお金がかかるところだとは重々承知している.出してもらって当たり前じゃないのも理解している.
が,それを子供に「こんなに金がかかってるんだ,感謝しろ」なんて押し付けるのは違うと思う.
もしかしてどの家庭もこんなこと言われてるんですか?これが普通ですか?そうだったらすみません.
実はウチ,奨学金が借りれない.2種も借りれない.なぜかというと,父親の年収が奨学金の制限を超えるからである.
でも家にお金はない.母親の口癖だった.「うちは貧乏」「周りとは違ってお金がないの」
それがなぜか私は知っている.父親が家にお金を入れず,すべて不倫相手に使っていたからである.
自分の家族養って,その上で不倫相手にクソほど金使ってアパート代と光熱費出してやってたの,
マジですげーと思う.めっちゃ稼いでんな.だったらそのお金家庭に入れてくれ....
父親は終始「学費を出して”やっている”」「生活費を入れて”やっている”」と言った感じだった.
確かにお金を出してくれるのはありがたいけど,そんな態度でいられても...
母親にマジにそう言ったら「産んだ時は大学に進学すると思わなかったんだもん」と言われた.
絶句した.
どうしてなんほんと.だって自分で産みたくて産んだ子供なんでしょ.
ノープランで子供産んだんか?一銭もかからずに勝手に育つと思ったんか?
なんで自分で欲しくて産んだ子供に向かってバカにするようなこと言えるの.
なんで自分で欲しくて産んだ子供に向かってお金がこんなにかかってるんだとか恩着せがましく言えるの.
親に向かって言ったことがある.
「自分で産んだんだろ」「育てんの嫌ならそもそも産むなよ」「産んでって頼んでない」「産まれてこなければ良かった」
心からそう思って言ったので,言い過ぎちゃったな,なんか思ってない.
たぶんこれを読んだ人からしたら「こんな程度で絶縁?」なんか思われると思う.
自分でも「親が嫌になった具体的なデカいできごとがあるか」って言われても出てこない.
だからちょっと不安になって,自分で確かめるために文字に起こしたくてこれを書いたんだけど,
ほんとにこの程度で絶縁?って思われる感じになっちゃった.
でも私はもう親と関わりたくない.
私の神経すり減らしにかかってくる人たちとはもう関わりたくない.
自分のこの選択が間違っていると思いたくない.私が正しいと思いたい.
幸い,友人の中に「でも親なんだから大切にしないと」と言う人はいなかった.
本当にありがたい.
祖母は「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」と泣いていた.
本当に申し訳ない.こんな孫でごめん.
父親も母親も,周りに「娘が旧帝大に合格したんだ」「娘がいい企業に入ったんだ」って
言いふらしてたし言いふらしてるらしいけど,その娘に絶縁される気持ちはどんなんでしょうかね.
私がこんなに嫌な思いをあなたたちのせいでしてきたんだから,少しは味わってほしい.
自分が卑屈になったのを,自己肯定感が低い人間になってしまったのを,私は親のせいにしたい.
今まで様々な人たちに「どうしてそんなに自信がないの」「お前の自分に自信なさすぎるところ,本当に嫌い」と言われた.
親のせいにしないと腹立たしい.お前らがこんなこと言わなかったら.こんなことしなかったら.
もっと私に寄り添ってくれる人だったら.
僕は普通の家庭に生まれた。虐待やら育児放棄やらとは無縁で、お金持ちでも貧乏でもない、本当に普通の家庭で、何不自由なく育った。
小学校の放課後は毎日サッカーをし、中学校で部活に勤しみ、高校ではサルみたいに騒いだ。何一つ変わったことのない普通の子供だった。
勉強も結構頑張った。志望校には合格出来なかったけど、滑り止めのMARCHに合格して、今年で3年生になる。
高校は勉強に集中するからとバイトはしてなかったけど、大学に入ってからは毎日のように働いた。それこそ社員さんと同じくらい。
そうでもしないと必要なお金が稼げなかったから。学費を稼ぐだけなら月4万円くらい稼げばよかった。奨学金もあるし、少しだけ親にもお金を払ってもらっているから。
でも僕だって遊びたい。サークルにもやたら金がかかる。通学定期代や飯代、生活費も必要だ。多い時では、月に16万稼いだこともあった。
ところで、MARCHなんてのは、まあまあの名門大学だと思う。そりゃあ難関国立や早慶に比べたら大したことないけど、バイトの面接で大学名言うと「すごいね」なんて言ってもらえる。そんな大学だろう。
ベンツを乗り回す人、常に有名ブランドアイテムを身につける人、老舗和菓子屋の息子、田舎に土地持ってる家の人、錦糸町のタワマンに住んでる人、付属高校からエスカレーターで進学してきた人。みんな僕の大学仲間。
大学の講義で先生が言っていた。金持ちの子供は良い教育(というよりも進学に直結する教育)を受けられるので高学歴になり、いい仕事に就けるため、その結果金持ちになれる。それが繰り返される。逆もまた然り。
なるほどそれなら合点がいく。そこそこの名門大学に来るような学生の家庭はそこそこの金持ちってわけだ。
親の金で大学に行き、親の金で教科書を買い、親の金で通学定期を買い、親の金で飯を食い、親の金で携帯代を払い、親の金でサークル活動し、生活費も払わない。それがみんなの当たり前だった。
違う。全てが僕と違う。僕が必死こいてバイトして、バイトして、バイトして稼いだ金を、ねだるだけで手に入れられる人たちばっかだった。
多分、みんなは僕がどれくらい必死になって金を稼いでいるのか知らない。
7日間連続でフルタイムのシフトなんて出したことないに決まってる。
フルタイム連勤が続いた日の休憩時間で、店長の悪気ない些細な無駄話がきっかけで心が壊れた経験なんてあるはずがない。ましてやそのあと疲労とストレスで高熱出してぶっ倒れるなんて経験も。
昼飯代節約のために早起きして弁当作ったり、スマホの通信量の契約は一番安いやつにしたり、めちゃめちゃ楽しそうな飲み会を鋼の意思で断ったり、そんな経験はないんだろう。
僕は気がつけば、大好きなはずの大学仲間を嫉妬の目で見ていた。
大した苦労もしないでバラ色学生生活を送っているみんなが憎らしくなっていた。
人生イージーモードのくせに、ノーマルモードの僕と同じステージにいるのが許せなくなっていた。もし僕がイージーモードだったら、第一志望のあの大学に行けたかもしれない、なんて妄想もした。
でも、みんなのことを嫌いにはなれなかった。みんな愉快で、優しくて、こんな俺でも仲間と認めてくれたから。
だから、こんなことを喚き散らかしてはいけないと思った。表に出してしまえば、きっとみんな僕を軽蔑するに決まっている。黒い感情は箱にしまって、押し入れに隠したはずだった。
バイト先が閉店。収入は月3万の奨学金のみ。新しいバイトを探し、面接を受けては人手足りてるからと落とされる日々。
これでは学費が払えない。こんなご時世だし、生活費は親に頼み込めば融通してくれるだろうけど、サークルが活動再開できる状態になったとしてもその時僕は無一文だ。
そんな時に、みんなが色んなものを買っている。ニンテンドースイッチ、歌手のライブDVD。動画配信のサブスクに加入したりもしている。
僕が学費やサークルの出費に怯えてここ数ヶ月1銭たりとも使ってないのに、みんなはそんな心配しないでドカドカと金を使っている。
ステイホームでやることがない僕は、暇つぶしに掃除をしていると、二度と取り出せないように奥の方にしまったはずの玉手箱を見つけてしまった。
このままでは多分、僕はそのうち箱を開けてしまうと思う。その時は、僕が大学での居場所を失う時だ。
この文章を書いたのは、箱の中身は何なのか、開けたらどうなるのかを確認して、気持ちを整理するため。要は、放っておくと到達してしまうタイムリミットまでのただの時間稼ぎ。
※ただの長い愚痴吐き。
出来の悪い漫画みたいなアホな話だけど、嘘ならもっとマシな嘘をつく。
悪役令嬢とひとくちに言っても色々なタイプがあると思うんだけど、「甘やかされて育った生意気なお嬢様」と言えばいいんだろうか、とにかくそういうキャラクターを彷彿とさせる顔と声をしている。
・小学生の頃から、不良と仲がいいちょいワル系の教師には、ファーストコンタクトでいきなり「お前はさぞ甘やかされて育ったんだろう、俺が根性を叩き直してやる」と言われてわざと冷たくされたり悪いこともしてないのに罰則を与えられたりされる(後に「誤解だった」とか言って謝られる。クソが)。
・うちは貧乏なのに、大人からも子供からもなぜか私が金持ちであることを前提に会話される。大人はたいてい初対面でいきなり説教や威嚇をしてくることが多い。
・中学生の頃、試験で学年1位を取ったら「あいつの親が教師に金を積んで成績を買ったらしい」「あいつは教師と寝たらしい」と学年中で囁かれる。
・ろくに話したこともない相手にいきなり「内心私たちのことバカにしてるんでしょ」とキレられることが多い。
「A君のこと好きなんだけどA君って増田さんのこと好きみたいなんだよね」
みたいな感じ。
女子同士の噂では私の名前が出てくるのに、実際に学生時代告白されたことはない。
・高校の時、部活で、ほぼ練習を見に来ないし仲良くもない顧問にいきなり「お前って箸より重いもん持てないんだろ」等と言われる。
・自称サバサバ系女子には初対面でめちゃくちゃ嫌われる。びっくりするほど嫌われる。
・出会った人のほぼ100%に「初めは全然気が合わないんじゃないかと思ったけど話すとイメージ変わった」と言われる。まあイメージが変わったならいいっちゃいいんだけど、本当〜に毎回毎回「こいつ気が合わなそう」というしらっとした目で見られる→一生懸命高慢じゃないアピールをする→なんとか気を許してもらえる→とっておきの打ち明け話みたいに上記のことを言われるのステップをいちいち踏まなきゃいけないのがじわじわしんどくなってる。
まあ、五体満足だし、飢えてもいない。
派手顔なので派手な服に顔が負けないのはありがたい。たいした悩みではない。だけど共感してくれる人のいないようなニッチな悩みなので地味にフラストレーションが溜まる。
【追記】
「なんじゃそりゃ」「うんち」で流されると思ったんだけど思いのほか共感が得られて嬉しいです。ありがとうございます。
・縦ロールなのか?→母似で天パではあります。伸ばすと縦ロール風になります。ストパーかけたこともあるんですが、毛が細くてコシがないのと、受験ノイローゼで抜毛症になったのでストレートにすると落ち武者風になっちゃうんですよね…。
・笑顔を意識とのご指摘ありがとうございます。第一印象が高慢に見えてしまうのは見た目だけではないですよね、確かに。痛いところを突かれました。
・イメージ湧かん→ドンピシャで誰似というのはないんですが、強いて言えば「大草原の小さな家」のネリーオルソンの頬をもう少しふっくらさせた感じでしょうか。冷徹そうというよりわがままそうな見た目なんですよね…。
先述したとおり別に大した悩みではないんですが、縦ロールコメント等のおかげでなんだか癒されました。ありがとうございました。
朝からイライラが止まらない。朝4時頃にパートナーに無用に起こされたことや、そのあと寝入った彼女の代わりに、私が朝食を準備することになったのも原因だろう。うちでは彼女が朝食を準備しわたしが食器を洗うのがルールだ。今朝も当然のごとく朝食の片付けはわたしがやった。そのまま洗濯機を回して掃除機をかけた。その間、彼女はスマホをいじっていた。ゲームかSNSをやっていたんだと思う。家事が嫌いで、自らそれから遠ざかる癖を彼女が持っているのは結婚後に知った。
わたしは掃除も洗濯も嫌いじゃない。だけど、自分の抱えている仕事が手一杯で睡眠を削って仕事をするなかで、洗い終わった洗濯物が洗濯機に放置されていたり、ダイニングテーブルに食器が何時間も置いたままにしてあるのを見ると散々な気持ちになる。家事の分担のルールは決めた。お互いが納得できるようたびたび更新を重ねてきた。が、彼女の「頭が痛いので無理」「すごい疲れてる」といった理由で、それは簡単に吹き飛ぶ。
なにかと理由をつけて部活をサボる中学生のようだといつも思うが、よっぽどの理由がない限り受け入れるようにしている。体調不良を訴える妻に家事を強要する夫ほど惨めなものはないと思うからだ。わたしが代わりに家事をするとき、いつも彼女はスマホをいじる。
平等性を追求して議論してきたおかげでお互い不満の少ないルールは出来た。だがルールを基準としながらも、実際には毎度の交渉が物事を決定づける。交渉はしんどい。受け入れるも拒むも、ストレスの塊をぶつけ合ってようやく家事が進む。今朝も「分担がおかしいんじゃない?」と口にしかけたが思いとどまった。彼女はこのあと産婦人科にかかるからだ。こどもがほしい私たち夫婦は今年不妊治療を始めた。これから病院に行く彼女に余計なストレスを与えたくなかった。
二人でストレスを交換し増幅し合うほど、夫婦にとって不毛なことはないだろう。わたしの生活は、パートナー(やときには他の誰か)とのストレスの交換によって、容易くあちらこちらに揺さぶられる。凪には気持ちよく進んでいた船が、暴風雨のなかであっという間に安定を失い真横に倒され転覆の危険に晒される。
いろいろと試行錯誤したが、効果的な対処方法の一つは、暴風雨でも揺れないような強固な「何か」を意識し、それに自分自身を固くつなぎ止めておくことだと思う。地面に突き刺さった電柱のように暴風雨でも揺らがない確実な「何か」。それは夫婦間関係のうえにも築けるものだと思うし、それを超えた関係性にも置けるものだと思う。
朝からイライラが止まらない。朝4時頃にパートナーに無用に起こされたことや、そのあと寝入った彼女の代わりに、私が朝食を準備することになったのも原因だ。うちでは彼女が朝食を準備しわたしが食器を洗うのがルールだ。今朝も当然のごとく朝食の片付けは私がやった。そのまま洗濯機を回して掃除機をかけた。その間、彼女はスマホをいじっていた。ゲームかSNSをやっていたんだと思う。家事が嫌いで、自らそれから遠ざかる癖を彼女が持っているのは結婚後に知った。
わたしは掃除も洗濯も嫌いじゃない。だけど、自分の抱えている案件が手一杯で睡眠を削って仕事をするなかで、洗い終わった洗濯物が洗濯機に放置されていたり、ダイニングテーブルに食器が何時間も置いたままにしてあるのを見ると散々な気持ちになる。家事の分担の決められたルールはある。お互いが納得できるようなルールを作るためにたびたび更新を重ねてきた。が、彼女の「頭が痛いので無理」「すごい疲れてる」とかいった理由で、それは簡単に吹き飛ぶ。
なにかと理由をつけて部活をサボる中学生のようだといつも思うが、よっぽどの理由がない限り受け入れるようにしている。体調不良を訴える妻に家事を強要する夫ほど惨めなものはないと思うからだ。わたしが代わりに家事をするとき、いつも彼女はスマホをいじる。こんなことは週に何度もある。平等性を追求して議論してきたおかげでお互い不満の少ないルールが出来上がった。だがルールを基準としながらも、現実には毎度の交渉が物事を決定づける。
交渉はしんどい。受け入れるも拒むも、ストレスの塊をぶつけ合ってようやく家事が進む。今朝も「分担がおかしいんじゃない?」と口にしかけたが思いとどまった。彼女はこのあと産婦人科にかかるからだ。こどもがほしい私たち夫婦は今年不妊治療を始めた。これから病院に行く彼女に余計なストレスを与えたくなかった。二人でストレスを交換し増幅し合うほど、夫婦にとって不毛なことはないだろう。わたしの生活は、パートナー(やときには他の誰か)とのストレスの交換によって、容易くあちらこちらに揺さぶられる。凪には気持ちよく進んでいた船が、暴風雨のなかであっという間に安定を失い転覆の危険に晒される。
いろいろと試行錯誤したが、効果的な対処方法の一つは、暴風雨でも揺れないような強固な「何か」を意識し、それに自分自身を固くつなぎ止めておくことだと感じている。地面の深いところに突き刺さったコンクリの柱のように暴風雨でも揺らがない確実な「何か」。それは夫婦間関係のうえにも築けるものだと思うし、それを超えた関係性にも置けるものだと思う。
朝からイライラが止まらない。朝4時頃にパートナーに無用に起こされたことや、そのあと寝入った彼女の代わりに、私が朝食を準備することになったのも原因だ。うちでは彼女が朝食を準備しわたしが食器を洗うのがルールだ。今朝も当然のごとく朝食の片付けは私がやった。そのまま洗濯機を回して掃除機をかけた。その間、彼女はスマホをいじっていた。ゲームかSNSをやっていたんだと思う。家事が嫌いで、自らそれから遠ざかる癖を彼女が持っているのは結婚後に知った。
わたしは掃除も洗濯も嫌いじゃない。だけど、自分の抱えている案件が手一杯で睡眠を削って仕事をするなかで、洗い終わった洗濯物が洗濯機に放置されていたり、ダイニングテーブルに食器が何時間も置いたままにしてあるのを見ると散々な気持ちになる。家事の分担の決められたルールはある。お互いが納得できるようなルールを作るためにたびたび更新を重ねてきた。が、彼女の「頭が痛いので無理」「すごい疲れてる」とかいった理由で、それは簡単に吹き飛ぶ。
なにかと理由をつけて部活をサボる中学生のようだといつも思うが、よっぽどの理由がない限り受け入れるようにしている。体調不良を訴える妻に家事を強要する夫ほど惨めなものはないと思うからだ。わたしが代わりに家事をするとき、いつも彼女はスマホをいじる。こんなことは週に何度もある。平等性を追求して議論してきたおかげでお互い不満の少ないルールが出来上がった。だがルールを基準としながらも、現実には毎度の交渉が物事を決定づける。
交渉はしんどい。受け入れるも拒むも、ストレスの塊をぶつけ合ってようやく家事が進む。今朝も「分担がおかしいんじゃない?」と口にしかけたが思いとどまった。彼女はこのあと産婦人科にかかるからだ。こどもがほしい私たち夫婦は今年不妊治療を始めた。これから病院に行く彼女に余計なストレスを与えたくなかった。二人でストレスを交換し増幅し合うほど、夫婦にとって不毛なことはないだろう。わたしの生活は、パートナー(やときには他の誰か)とのストレスの交換によって、容易くあちらこちらに揺さぶられる。凪には気持ちよく進んでいた船が、暴風雨のなかであっという間に安定を失い転覆の危険に晒される。
いろいろと試行錯誤したが、効果的な対処方法の一つは、暴風雨でも揺れないような強固な「何か」を意識し、それに自分自身を固くつなぎ止めておくことだと感じている。地面の深いところに突き刺さったコンクリの柱のように暴風雨でも揺らがない確実な「何か」。それは夫婦間関係のうえにも築けるものだと思うし、それを超えた関係性にも置けるものだと思う。
そんな家庭で育った
私が生まれたばかりの頃から母の子育てを危ぶんだ叔父は私の世話をかって出た(らしい)
それから小学校に入学するまで母の実家で祖父母と叔父と暮らしていた
高齢者のパート賃金と大学生だった叔父のバイト代、叔父が就職したら新卒の給料が頼りだったので裕福とは言えない暮らしだったが穏やかだった
地獄だった
叔父は土日に遊びに連れ出してくれたり母の実家にお泊まりさせてくれたりした
母はなぜか実家にあまり来ないので叔父と祖父母といられて懐かしいごはんが食べられて嬉しかった
10代になると自分の家庭が明らかにおかしいことがわかって心が荒んだ
それでもぐれたり非行に走ったりしなかった
叔父が仕事帰りに勉強を教えに来てくれていたのが大きいかもしれない
素直に勉強しようと思えたし勉強して進学するのがこの家を離れられる手段だと言葉ではなく感覚でわからせてくれた気がする
叔父は全部渋らず出してくれた
すごく申し訳無かった
祖父母と叔父とは連絡を取り続けるつもりだったがちゃんと自立し叔父を解放してあげたいと思った
叔母となった人は叔父よりも若いが私の状況も理解してくれて打ち解けてくれて本当に良い人で私も大好きだ
私のいとこにあたる
祖父母と叔父以外親戚づきあいもなかったので初めて身内に小さい子ができた
子守りをしに頻繁に叔父宅へ行くようになった
何をしていてもかわいい
寝ていてもかわいい
泣くのもかわいい
かわいすぎてなんでもしてあげたい
社会人になったし一人暮らしもちゃんとこなしているのでこれくらいいいじゃないと思う
いとこをかわいいと思うたびに泣けてくる
叔父は感情表現があまり無く強く怒りもしないが大きく喜んだり幼少期でも私を判りやすくかわいがったりしなかった
なので私は叔父は同情と義務感から私の面倒を見ているんだと思っていた
幼い頃に見たビデオを思い出す
赤ん坊の私が寝転がってごきげんに風に吹かれているだけの5分間の映像
寝返りをするわけでもない
ただ時折笑い声をあげるだけの赤ん坊
それに合わせてカメラを構えているであろう叔父が小さく笑う声がする
ただそこにいるだけのいとこがかわいくてスマホのカメラを起動するたびにあのなんでもないビデオの映像を思い出す
この子が生きる過程で父母以外の拠り所を求めるなら私がそうでありたい
それが私にできる1番の叔父孝行な気がしている
高校教育に携わっているのですが、今回のコロナで休校になりオンラインで授業を行った。 生徒に関わる教科指導以外の仕事から開放され授業準備に全振りできた。
勉強を教えるという本来の仕事に全力で取り組めすごく充実していた。 これまでで一番準備に時間がかけれた。
けど、結局世の中が学校に求めているのが安価な子守りであることに気付かされた。
学校の授業なんて優秀な人の動画でいいでしょって意見がこれまで多かったと思うが、一気にこの勢いは下火になると思う。
優秀な授業動画を見させるという子守りの大変さを休校で世間の親が痛感したからだ。
ぐずる子どもをなだめてなんとか勉強に向かわせる。それが世間が求める学校の役割だ。
休日無料で子どもを預かり、ヘトヘトにさせてくれる。自分たちが面倒見る手間を取らなくていいんだから、そりゃ部活だって無くならないよ。親にとって都合がいいから。
まだ職場の人には言えないのでここに書く。職場の人にはSNSアカウントをオープンにしてるので、書けるところがここしかない。
去年の夏に初めて転職をした。
Web広告会社の事務職から訪問営業の会社へ行ったものの、そこはかなり古臭い体質のブラック企業。広告業界もブラックな面があったから平気だろうと思ってたけど、それとは質が違うタイプのブラックさだった。広告会社のほうは頭がいい人特有の嫌味っぽさが滲んでいたけれど、訪問営業の会社のほうはガキ臭さ、悪い意味での部活っぽさがあった。
土曜出勤も多く、彼とデートもできない。しばらくは我慢していたけれど、やっぱり無理だと思った。
はてブ経由で知り合った人にも転職相談に乗ってもらい、再び転職活動をして、今年の1月から新しい会社で働くことになった。Webコンサルティングの会社だ。
少数精鋭な会社で社風も良く、各種制度も充実している。社長の考え方も尊敬でき、同僚もインターン生も「デキる人」が多く、「本当にこの会社に入れてよかった」と思っている。
これならプライベートも充実させられそう、楽しみ!
……と思ったのも束の間、この春から状況は一変した。
2年半付き合った彼氏とは別れることになり、私自身に重い病気の可能性が見つかった。
そして、私は仕事でまったく売り上げを出せていない。「申し訳ないけど、7月の試用期間で終えてもらうことになるかもしれない」と社長から言われてしまった。
おかしいな、これからの人生、ブラック企業から転職して順風満帆になるはずだったのに……。
病院での精密検査を繰り返した結果、重い病気ではないことがわかった。それは良かった。
逆に言えば、それしかいいことはなかった。
……先週末、私は試用期間で打ち切りになることを社長から伝えられた。7月20日で退職することになる。
この会社の人は、辞めたあとも業務委託など何らかの形で関わり続けている人が多いと聞く。なので、せめて辞めた後も何かの仕事でご一緒したいという旨を伝えた。
辞めることが決まってからも毎日粛々と仕事はこなすものの、チャットワークに「〇〇さん退職のやり取り」のスレッドができたり、退職後の機密保持契約書が送られてきたりすると、自分は辞めなくてはいけない人間なんだということを痛感させられる。
そもそも「実力以上のところに入ってしまった」という感覚はずっとあったから、こうなってしまうことは仕方ないという気持ちもある。でも、せっかく採用してもらったのに活躍できなかったことはとても心苦しかった。
「正社員のお給料をもらいながら、実力以上の素敵な会社で学べた」と解釈すれば良かったと言えるかもしれないが、いずれにせよ売り上げを出せなかった申し訳なさは残る。
コロナでなかなか友達にも会えない。そこそこ仲が良かった人たちとも微妙に疎遠になった。毎月毎月、異なるタイプの息苦しさがやってくる。
前彼とはじつは1年前にも一度別れたことがあったが、その2ヶ月後には復縁した。しかし今回は、彼は私のSNSも一部ブロックしているようであり、復縁も難しいかもしれない。
彼の投稿が流れなくなったSNSを見るのもしんどくて、一部のSNSはアプリを削除した。コロナでしんどい話や胡散臭い話が増えてたところなのでちょうどいいタイミングでもある。
初詣、引いたおみくじは大吉だったのに、やたらと悪いことばかり起こる。何故だ。
唯一良かったのは「重い病気ではなかったこと」だけど、そもそもそれだってマイナスがゼロになっただけで、プラスの要素というわけではない。なんでこんなことになっちゃったかなぁ。
未だに中学生の記憶を思い出しては夏の入道雲のようにモクモクと怒っている.
特に中2,中3の担任の先生は自分の部活の顧問でもあり,強く当たられた記憶がある.
典型的な管理教育と体育会系のノリの教員で,僕は当時から反発していた.しかし中学生である.
その言いくるめられたときの悔しさを未だに思い出している.
授業の予定と宿題,連絡事項とともに5~10行程度の日記(生活記録)を書くのである.それを担任に提出し,担任は生活記録に対してコメントを書くことが多い.
現在では生活ノートはTwitterで凝ったイラストや文章と教員の反応がセットになった画像がバズることもあるし,
担任とのやりとりが小説家を志すきっかけになった人もいるらしいので全国の学校で広く行われているのだろう.
ただ,私はもともと,小学生の頃から生活ノートが苦手だったこともあり,中学生のときもずっとやらないでいた.
中学生の頃の私はいろいろと反発するタイプだったので,よく教員からの呼び出しを受け,その際,生活ノートの提出がないこともついでにとがめられたものだ.
担任は
「みんなきちんと提出していて,君だけが提出しなくていい理由なんてない」
といったことを何度も主張した.
今思いつく反論は
「教育の名の下に異常なあるいは,非科学的な,不合理な,非人道的な,反社会的なことが行われていたとき,声をあげる人でありたい」
「生徒に悩みを書いてもらうことがあるといいながら,学級通信に引用したり,生徒に返却を手伝わせたり,プライバシーは確保されていないじゃないか.」
「どんなことでも書いてといいながら,学級通信にそのまま書き写したり,担任が私の記録に対してコメントするなんて,生徒側が秘密にしてほしいと考えているのに担任の勝手な判断で書き写されるリスクだってある.」
「『はー。』だけが書かれた生徒の生活記録さえ学級通信に書き写されている.」
「書き写すだけで学級通信書いたつもりになっているのは時間の無駄.教員の労働時間は税金である.無駄使いするな.」
「読者が想定できない.」
剣道が嫌いだ
運動部に強制的に入らなきゃいけない学校だったので剣道部に入ってたんだが、あんな理不尽なスポーツはない。
そんなのありかよ。
俺が一本打ち込んで1人の審判が認めても他の二人がダメっていったらダメ。
竹刀の先端三分の一で面小手胴にヒットして残心残せば一本って基準はあるんだがその判断基準が曖昧で、それがすげえ理不尽だった。
(独身アラフォーだたクロダ氏とケコーンした某クラリスコスでドレス作らせた女史が未婚趣味趣味少女時代に、部活の連絡で自宅に電話かけてたらい回しにされてキレた同級生によって本人手前の人を詰られ、「あれ誰」「んーパパだけど」ってゆったエピ好きなんやが)
・・・なあんて展開、物語どころかその辺の絵本でもあるあるだが、
んじゃあ、
実際にそんな場面に出くわしたらどうなるのだろうか例えば日本なら皇族と日常会話をするような?
(独身アラフォーだたクロダ氏とケコーンした某クラリスコスでドレス作らせた女史が未婚趣味趣味少女時代に、部活の連絡で自宅に電話かけてたらい回しにされてキレた同級生によって本人手前の人を詰られ、「あれ誰」「んーパパだけど」ってゆったエピ好きなんやが)
先に結論だけ書いておくと、これはダメ人間が書いた掃き溜めだ、読む価値はない、これを読む時間を聖書を読む時間に当てた方が有意義なことを保証する。
自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金や公共料金は滞納し仕事を先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。いや蛆虫の方が医療等で活躍できるため自分よりはるかに有用だろう。
これら先延ばしのこと等は自分の中ではやらなければならないとは思っている
・まだ実装できていない機能を実装し、残っているタスクを消化する
など、どうしなければならないかの道筋は頭にあり、またそれを実行しさえすれば解決できるものであると確信している。
しかしなぜかできない、なんでと言われても自分でもその理由がわからないので答えようがない。
これらは自分の中ではやらねばならないことだと認識しているので、やれないことに対する不安がだんだん心の奥底に鍾乳洞から滴り落ちる水滴のように溜まっていきいつかこぼれるのだと思っている。いやすでに溢れていてそれが現状の鬱なのかもしれない。
自分は社会で最低限必要なことができないクズだ、ADHDや鬱がなければまともになれたと思うが現状まともでないのでクズであることには変わりはない。
おそらくこれを読んでいる方の中には「やればいいじゃん」と思ってる方もいらっしゃるだろう、まさにその通りだ。やればいいことでやれば終わることだ、しかし今の自分にはできない。今の自分にできるのはだた陰鬱とした感情を吐露することのみである。
もしできることなら自殺できたらと思う、迷惑をかける自分の存在は周りにいる人や社会にとって明らかにマイナスなのだ。
これら特性は今に始まったことではない、大学では引きこもり本を読むか(自分以外に無意味な)コードを書く日々を過ごしていた。この時も本来やるべきである勉強をしていなかった。(私は物理系の学科だが情報系の勉強ばかりをしていた)
大学生だというのにまともに交流も勉強もせず無下な時間を狭い6畳一間の部屋で過ごしていたのだ。さらに大学も中退してしまった。
もっと昔に遡れば高校の時も嫌になった部活や委員会から逃げたり、中学校の時も嫌な勉強から逃げたりしていた。
こう見てみると自分の人生は「逃げ」か「嘘」しかない空虚なものだと思う。結局ADHDとして生まれた時から自分の人生には「逃げ」か「嘘」しかったのだとも思う。
最近、人生をやり直せたらと思うことが多くなってきた、現在20台半ばだがすでに未来は暗い、丑三つ時の夜空の方がまだ明るいだろう。
スキルもなく、人格も悪い、事あるごとに「逃げ」か「嘘」を使い、全ての事象から目を覆うダメ人間に未来などない。
昔は自分の人生は素晴らしいものになると思いていた、自分で言うのも恥ずかしいがIQは高く、記憶力に優れ、芸術的センスも平均以上にあり、会話や交渉が得意、これらの才覚があれば自分は素晴らしい人生をあゆむ素晴らしい人間になると錯覚していた。
しかし、これらはあくまで"普通のことができる"、"努力ができる"人間であればと言う話だ、自分はおそらくこれらの代わりに"普通のことができる"、"努力ができる"と言う一番大切な能力を失ったのだろう。そのせいで無駄に悪知恵が働き、無駄なことを覚え、よくわけのわからない表現をつかい、他の人を騙す、最悪の人間になってしまった。
厄介なのが自分の中に自分の理想像があるのが一番厄介だ、もし自分の理想像がなければ現実との解離で苦しむことはなかったのだろう。
如何しようも無い現実が存在し、それからは逃れられない。現実から目を背けても無意味などころかより悪い状態に陥る、しかし目を背けずにいられない。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
もし、自分が中学生の頃までにADHDだと診断を受け、適切な治療を受けていたら?
もし、大学生の頃、鬱傾向が出た時にきちんと精神科で治療を受けていたら?
もし、ADHDや鬱がなかったら?
これらはあくまで現実と解離した無意味なIFにすぎない。しかし、当事者である自分からしてみると考えずにはいられず、またありえたかもしれない世界という逃げ場所を失うと言うことを避けたいのだ。
自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金や公共料金は滞納し仕事を先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。
しかし、今までの文章からわかるように改善はもはや見込めない。ただこれからも周りに害を振りまく人生を過ごすだけだ。
もうどうしようもないのだ。
殺意すら芽生える。
死にたい。
「一本」の定義がはっきりしないのが本当に腹がたった。
竹刀の先端三分の一で面小手胴をとらえれば一本入るはずなのに俺のときには一本の判定が出ない。残心だっていれてたのに。
しかも審判3人いて多数決で一本が決まるってそんなのありかよ。一人が俺の一本を認めてるのに残りの二人がダメってったらダメなんだぜ。
そんなスポーツありかよ。
野球のホームランやサッカーのゴールが多数決で決まったらおかしいだろ。サッカーだってビデオ判定するようになったし。
前時代的だと思われてる相撲のほうがよっぽどフェアだ。明確なルール。レフリーは一人。微妙なときはそのレフリーをチェックする人が何人もいて協議する。
ずっと納得いかなかった。