はてなキーワード: 部活とは
21歳の者です。
1年間通った大学は、「行きたくない」という理由で退学した。バイトも1年以上続けられたことがない。
その後親のツテでブラック企業に就職して変に頑張ったあげく精神病んで逃走。
「指示待ち人間はいらねぇんだよ」「自主性はないのか」その一言が今までの何か溜まっていたものがプツンと切れて逃走。
年金の支払いや住民税の支払い通知書が来て放置。月末までに払えばいいみたいなので放置。
日がな一日、グダグダしている。ただ息吸って吐いての繰り返し。
朝起きて飯食べてタバコ吸って酒飲んで寝る。
そういえば何か辞めるたびに「大人になりなさい」って言われてたなぁって思ってこの投稿。
部活も、バイトも、大学も。結局誰かに強制されないと続けられない。
だからといって自由にできることには無頓着で、自分の適性とか考えられない。
ちやほや甘やかされて育ってきたのはわかってる。家族以外にも周りにも頼って生きてきた。
色々迷惑かけたんだなぁ...って思って、親に対してはいまだにこんな奴家に置いてくれてるだけ感謝しないといけないけど。
そりゃあネット全体で見たら確かにインフラだけど、個々のサイトは趣味的な集まりに過ぎないだろう。
リアルで言えばサークルや部活みたいなもんで、社会的な企業組織なんかとは話が違う。
嫌ならやるなが通じる世界だ。
そういう集まりに対して元からいた人たちの文化を蔑ろにし、自分たちの理想に合わせろと叫ぶのは違うだろう。
・元増田はセクハラに例えているが、セクハラは完全な加害行為でこれもまた全然話が違う。
ただお前が勝手にその発信を目にしただけだ。
道端で自分にとって不快な発言をしている人とすれ違ったとして、お前は「そんな話をするな!」と殴りかかるのか?
・とはいえ、俺も発信者側は優しさ(義務ではなく)である程度、検索よけの配慮はした方が良いとは思う。
ただ、じゃあその発信者側はどういうワードで検索よけをすれば良いんだ?
受け手側が色んなワードをミュートしてもすり抜けてくる……と思っているように、発信側もちゃんと表記したのに受け手側がそのワードをミュートしていなかった……となっているかもしれない。
CP表記なんて色んな呼び方があるんだから、そういう悲劇は確実に起こり得る。
じゃあ、思いつく限りのCP表記でタグを埋めるのが発信者の義務なのか?
さすがにそこまでを求めるのは、どう考えてもおかしいだろう。
幼い頃から機会は何度かあったものの全てフイになっていました。
マリンジャンボの抽選は外れたし、スーパーの懸賞旅行は「金がない」と両親だけが行った。
狂人のハイジャック事件が起きて、修学旅行は長野県のスキー場になってしまった。
送迎や仕事で空港へ行った事は数あれど、家族の中で空を知らないのは僕だけとなっていました。
もうこりゃ空と縁がないのだろうと思っていたし、「今更何だってんだ」と意地にもなっていました。
職は変われど働き詰めであまり余裕も暇もなかったのです。
無人のカウンターで発行されたチケットは簡素なレシートのような紙。
画面や本の中で数え切れぬほど見て聞いて読んできた風景です。
現実感の無さと過去の巡り合わせの悪さと興奮がない交ぜになりつつ搭乗を待ちます。
椅子は硬めで前後は広いとは言えませんが、おっさんは車が好きなのでこうしたタイトな空間は苦になりません。
アナウンスが鳴り安全の確認、続いてCAさんの救命胴衣の実演。
時間にして数分後、後ろから轟音が響き窓の外の風景がゆっくりと動き始めました。
これがジェットエンジンなのかと思っていたら、続けてさらなる轟音が響き渡ります。
窓の外の景色も移り変わり、そして止まる。
いや、それ以上です。
僕にとって飛行機は今まで乗ったのりものでは最速のはずですから。
縦揺れを感じながらの加速を経て、浮遊感を感じました。
あっという間に窓の外から地面が消えて離陸。
すごい、飛んでいる。
それまで自分が情報とデータでしか知らなかった速度で、みるみると機体は上昇していきます。
窓の外の風景はあっという間に航空写真や衛星写真のような風景に…
こうして初めて、おっさんは空を飛んだのでした。
隣席の同行者曰く、まるで子供を見ているようだったと。
座席を譲ってくれた同行者には頭が上がりません。
こんなよくわからない文を読んでくれて有難う。
とにかく人の出入りが激しい会社だった。先輩いわく出入りが激しい業界ではあるけどさすがに辞める人多すぎらしい。
特にマネージャーが苦手で、たしかに見た目もよく仕事ができる人ではあったけどエグいくらい他人に厳しくて、スタッフが業務中少しでもミスると「死ね」、出勤して1分のスタッフに「死ね」みたいな人だった。
新人のことをとにかくしごきにしごいてメンタルが強いやつだけが生き残るようにする教育方針みたいだけど、今のところ誰も生き残っていない。なので一年中ずっと求人を出している。
入ったばかりの頃、「基本雇ったスタッフほとんど俺が潰してきたからな〜」と自慢げに言うマネージャーを見て、やばいとこ来ちゃったなと思った覚えがある。
人としてどうなんみたいな人は他にもいっぱいいて、
アルバイトできてくれている学生スタッフのことを面と向かって「ゴミ」と呼ぶ人もいた。
すこし気が弱く要領がよくない感じの男の人は標的にされやすく、いつも寄ってたかって何かを言われていた。
わたしはわたしでテンションの上下が激しい女性の先輩に強く当られることが多くてしんどかった。この人自分よりひと回りも上なのにダサいなあと思いながら、どれだけキツいことを言われてもヘラヘラしていた。
わたしが辞めると知ったとたん、「キツく当たることもあったのにいつも笑顔でありがとう」みたいなLINEがきて、やっぱダサいなあと思った。
いつも誰かが誰かに怒っていた。たしかにある程度緊張感が必要な仕事だったから、ピリピリしてなきゃいけなかったんだとは思う。わたしがそれに耐えられなかっただけで。
みんな若くておしゃれで華やかな会社だったけど、長く続けてるのはメンタルが強靭な人たちだけだった。
なにより、自分が怒られることより誰かが怒られているのを見るのがつらかった。人が人をゴミと呼ぶところなんてとても見ていられなかったけど、それを怒る勇気もなかった。
彼らと同じレベルにはなりたくなかったし、近々辞めようと決めていたから、誰かにキツく当られようが怒られようが反省した顔で「すみません」「ありがとうございます」とだけ返すようにした。
入社してすぐ、わたしの直後に入ってきた人に仕事を教えろ(同時進行で通常業務を進ながら)と言われたら、笑顔で一から説明した。
それでも怒られたり嫌味を言われたり怒っている人を見たりするとサーッと血の気がひいて目の前がぐらぐらした。
なんで自分はこんなに弱いんだろうと嫌になった。
そしてある日例のマネージャーに、「やっぱり怒ると動きが良くなるね😊これからどんどん成長していこう!指導中死ねとか言うこともあると思うけどがんばってね!」みたいなことを言われて、なんだか全てがどうでもよくなってしまった。
次の日辞めますと言った。めちゃくちゃ辞めたかったので明日で辞めますと言った。最もらしい理由は用意していたので、スムーズに辞められることになった。
わたしはまだ全然怒られてる方じゃなかったし、ここで辞めるのは根性なさすぎるかなとも思ったけど、もういいやと思った。
実質半年も働かなかったと思う。
辞める日の前夜、なんかずらーと人が集まってきて、メッセージボードみたいなのもらった。部活かよ。
今まで誰かが辞めるとなったら悪い意味で泣きながらとか何も言わずに飛ぶとかだったから、ちゃんと辞めます宣言して辞める人間が珍しいらしい。
いつもクールだった女性の上司がちょっと泣いていた。マジかと思った。
とまあこんな感じで無職になってしまった。辞めて正解だったのかわかんないけど、わたしが根性なさすぎただけかもしれないけど、もう辞めちゃったもんはしかたない。
いやーでも、マジか。マジか〜。
しかも次の仕事決まってないからまあまあ詰みの状況なんだよなあ。
あーあ。
ふとmeets系ラノベみたいなタイトル思い付いたので書くことにした。(自称)拗らせフェミ(私)が(年下)女装男子と出会ったら(勝手に救われた話)。
**拗らせた
所謂フェミニズム的な考え自体は中学生くらいの頃から持っていて、伝統的な考えを持つ父が「結婚して子供を産まなければ女は幸せになれない」と言うのに違和感を覚えるなどしていた。
中学生のときに社会学に興味があってフェミニズムについても色々と調べた時期があったけど、このときは男女比1:5~6くらいの部活で朝から晩まで音楽のことを考えていたのであまり自分の問題として捉えられず、「そりゃプリキュアも好きだけど仮面ライダーも観たいわな」くらいの気持ちだった。その後進学して男女比が13:1になっても多少不便はあるものの、学校では特に問題なく過ごしてた。
フェミニズムに向き合うきっかけになった出来事はいくつかあって、
①ある機械部品メーカーにインターンに男の子2人と私で行ったら現場/現場/事務の3コースあり、私は勝手に事務にされていた。男の子2人はそれぞれ好きなコースを選んで良くて、私も現場が良かったけれど言い出せなかった。
②自分が着るスーツにアイロンをかけていたら父に「将来は旦那のをやらなあかんからよう練習しとけよ」と声を掛けられた。
③重機メーカーのインターンに行って、後日その内容をポスターセッションで発表していたら「女の子は重機に興味ないでしょ」と繰り返し言われ話を聞いてもらえなかった
④祖母に「大学入ったらいい企業入るいい旦那さん探さなねぇ」と言われた。ややいい大学だったので喜んでくれているのは分かるが、私は私が勉強するために大学に行くのであって稼ぐ夫を見つけるために大学に入ったんじゃない、と思った。
そんなこんなあってTwitterで #metoo だとか#ツイッターでウィメンズマーチ だとかのタグを見るようになった。最近は見てないので分からないけど、当時の日本の#metooはミソジニーが女叩き、フェミ叩きをしているのが目立っていた。
実際、Twitterでフェミニストを名乗る人の中には過剰な女尊男卑を掲げる人もいるし、そういう人と一括りでフェミニストを丸ごと叩いている人は多くて、そういう人のお気持ちを素直に読んでしまったのが拗らせた原因だと思う。
私は元来所謂「女の子らしい」ものが好きな質で、レースやフリルのついた服、小さくて丸くてピンク色をした雑貨、高くて細いヒール、どれも好き。でも同時に「利便性こそ美しさ」という気持ちも持っていて、動きにくいスカート、使い所のない雑貨、機動の下がるヒール、という気もする。
ここにミソジニーが「女が着飾るのは男によく見られたいから」「男尊女卑やめろと言うくせに男に媚びるな」などと言っているのを見て「本来の好みは利便性のほうなのに男に媚びる気持ちから可愛いものを選んでいたのか…?」と思ってしまった。純粋かよ。
多感な時期だったので整ってもいない顔でオシャレをするのはみっともない、みたいな考えにも侵され、複合的に可愛らしい服装に苦手意識を持つようになり、友人にはよく「喪服」と言われてた。
**出会った
件の男の子とは2019年にあるイベントで会ってTwitterで繋がって、何となく仲良くなって数ヵ月後に2人で出掛けることになった。ここだけ聞くとすごい出会い厨っぽいな。
女装することを知ったのは何時だったか覚えてないけど一緒に出掛けたときにはもう知っていて、自然と服を買いに行くことに。
ちょっと都会のショッピングモールを一周して辿り着いたのがaxes femme。女の私ですら入るのを躊躇うというかここの服を着そうな格好してないよ今日、などとといいつつ(いつもの喪女スタイルだった)こそこそと入店。結局店員さんに捕まってしまいめちゃくちゃ良くして貰って2万ちょっとお買い上げしてるのを横で見ていた。
彼はシスジェンダーでヘテロの男の子でただ「可愛いもの」が好き。好きな服を着ていると楽しいし自分が可愛いと嬉しい。好きな服を選んだら女物だったとも言ってた。骨格やサイズ的に着られない服もあるし、1人では買いにいけないし、家族には隠しているし、それでも自分が楽しいから人にも見せないのにお金と時間をかけて家の中だけで着ている。
私は彼が女装していても男装?していても一緒に隣を歩くし、彼が楽しそうに服を選んでいるのを見るのが好き。
それなのに「可愛い服が男に媚びるためのもの」であるわけがあるだろうか、とふと気がついた。その気付きは劇的で、彼は全く意図していなかっただろうけど、私はすっかり救われてしまった。
女らしい格好をすることに対する強迫観念みたいなものがなくなって、好きな服だけを選んでいたらクローゼットは見事にワンピースだらけになった。
可愛らしいものと共に忌避していた女性性を受け入れられるようになり、生理不順を治療した。
「無意識に男性に媚びているかもしれない」という恐怖感がなくなって、自己主張もしやすくなった。父や祖父母とは衝突もするけど、前よりずっと生きやすい。
あんまり感情が大きいので彼にはあまり言わないけれど、本当に感謝してる。何をした訳でもないと思ってるだろうけど、君が君を貫いていてくれたお陰で、今わたしはわたしを貫いていられる。ありがとう。
ニコ動発端の某界隈と関わってきて7年が経った
界隈は精スプストーカーや特定、静画においての誹謗中傷、絵師・投稿者の内ゲバで界隈はほのぼのの字もなくなった
今自分は大学受験に失敗し高校を卒業しFランに今通ってるが未だに未練が残っている
ぶっちゃけ言い訳になるが勉強もせず某タグを徘徊していたのも失敗の原因の必要だと思う
それ故、再受験を機にその界隈と訣別したい
顧みれば凄く青春時代という一般人なら恋人と付き合い部活の仲間と夜マックでたむろいながら駄弁るというような貴重な時間をパーにしたが今自分が願って祈るのは誹謗中傷と内ゲバで溢れようが自分の妄想と快楽と暇つぶしの源だったこの界隈が数年後でも今と同じように賑わって欲しいといことだけである
はてなで色々高学歴の世界と低学歴の世界について見たけど、本当に"低学歴の世界"なんて日本にいくつも存在すんの?超レアケースじゃない?って思っちゃう
私は低学歴でも高学歴でもないどっちつかず(一般家庭でいわゆるMARCH下位)なんだけど、高学歴の世界があるのは理解できる。
海外旅行バンバン行ってて当たり前のように海外のデパコス使ってるような人とか、付属校に推薦で入ったから受験を経験したことない人とか、えらく金かかる塾にずーっと通い続けてた人とか、他にも「マジで?」って聞きたくなる境遇の人はたくさんいる。
私は両親ともに田舎の高卒で、就職氷河期だったから大した会社にも入社できず、父親は中小企業勤務のサラリーマンで母親はパート。金がかかるからって言われ高校まではずっと公立、それから金銭面の問題で浪人も予備校行くのも許されなくて、だから参考書使った自力の勉強で、現役で行けるレベルの大学しか行けなかった。
中学は別にレベル高くなかったし、高校も部活で決めたから偏差値は低め。周りの友達にはFランと高卒と専門がたくさんいる。
ここまで書いたら分かってくれると思うんだけど、私は"低学歴の世界"で生きてた人間だと思うのね。だけどはてなにあるような"低学歴の世界"なんて見たことないし。
"低学歴の世界"がないとは言わないけど、超レアケースなのを大々的に喧伝してるだけじゃない?ってどうしても思っちゃう。だって信じられない。
世の中"高学歴の世界"と"低学歴の世界"の溝とか考えて絶望しちゃう人間なんて滅多にいないんじゃない?私だって、そこまで恵まれた環境じゃないと思うけど両親も今の大学も好きだし。格差是正とか言われてもピンとこないっていうか。
あと関係ないかもだけど、中卒とか高卒で働いて家族を養ってる人は立派だなぁって思うけどFラン大学生は皆嫌い。高い金を親に出してもらってそんなとこ行くなんて正気?って思う。
俺が13歳の時の話をしたい。23年前の話だ。
俺は当時、田舎の男子中学生だった。住んでいた場所がどれくらい辺境かというと、まさに地名がそのまま「村」なぐらいだった。現在はもう村としては存在していないが地名としては残っている。
それはどうでもいい。そんな田舎の中学校で、俺は卓球部に所属していた。
もちろん、別に卓球が好きだったわけじゃない。当時は何処かの部活に入るのが必須な風潮だったし、野球部だとかサッカー部だとかに入るぐらいなら比較的楽そうな卓球部へ…などという安易すぎる考えで俺は卓球部に入った。
当然、そんな生半可な気持ちで卓球が上手くなるわけもない。大会などでは一回戦敗退が定番と化しており、サボり方も身につけ始めた中堅卓球部員となっていた。
当時、男子卓球部と女子卓球部は別れてはいたが一部では一緒に練習したりすることもあった。
その中で、俺はある1人の女の子に恋をした。
決して目立ったところがない子ではあったが、なぜだか話しているうちにどんどん惹かれていった。
決して付き合うとか、好き合ってるとかそういうことではなかったが(この年代はみんなそうだろ?)俺たちは心が通じ合ってた気がした。
彼女はよく俺に
「サボらなかったらコーラおごってあげる」
と言った。練習をサボりがちな俺をいじりながらも気にかけてくれたことをよく覚えている。
そしてちょうど23年前の今の時期、同じ会場で大会が開かれるということで途中まで一緒に行くことにした。
彼女は
「優勝まで行かなくても準々優勝ぐらいまでいったらコーラおごってあげる!」
と茶化して俺に言った。もちろん、俺が一回戦敗退の達人であることを知っての発言である。こんな会話が好きだった。
「じゃあAが優勝したらなに奢ろうかな」
と話し出したところで会場につき、別々に試合をして(俺は当然一回戦敗退、Aちゃんの結果は覚えてない)別々に帰宅した。
たちまち学校中は噂でもちきりになった。誘拐だとか、神隠しだとか、家出だとか、そんなクソみたいな噂話すべてに腹が立った。
俺は気が気でなくなって、村のどこかに彼女がいないか探した。でもどこにもいなかった。新聞には彼女が消えたとされる場所で靴と血痕が発見されたと書いてあった。
帰り道だからすぐにわかった。現場は綺麗に片付けられていたようでなにも残ってなかった。俺はもはやなにも考えられなかった。あらゆる可能性を考えてもクソみたいな結論しか浮かばない。
彼女が消えてから1週間、1ヶ月と経っても彼女は消えたままだった。
もう、彼女は一生帰ってこないんじゃないかという話を同級生がしていた時、俺は掴みかかって否定した。帰ってこないはずがないんだよ、絶対帰ってくる。
ちょうど3ヶ月後ぐらいに、テレビで犯人が逮捕されたというニュースが流れた。
そいつはこの村のクソみたいなゴミクソ人間で、彼女にクソみたいなことをしようと思って声をかけたが無視されたので車で轢き、車に乗せて首を絞め、石で何度も何度も何度も何度も打ち付け、彼女を殺した。そして布団に包んで捨てた。
俺は何もかも許せなかった。犯人のことも、自分のことも、この犯人の親とか、友達とか、全てが許せなかった。何もかもがどうでも良くなった。
なにも許せず、なにも成長できないまま俺は大人になった。
今でも許せない。犯人は早々に自殺したらしい。それが何なのか、あの男が死のうとなにも終わらないし始まらない。
最初から存在すらしなければよかった。それだったら彼女は今も普通の女性として生き、普通に就職したり、普通に結婚したり、普通に子供を産んだりして彼女の人生を歩んだんだ。
自称進学校に入学したばかりの頃、太ってたしそれなのに自分のこと可愛いと思ってた頃、友達たくさんもちろん彼氏も作って最高な高校生活にしてやるぜと意気込んでたあの頃。実際はデブだったし顔も真顔だと怒ってる、笑うとキモイと言われるくらいにブスだったしコミュ障だから思い描いていた半分以下くらいだったし彼氏もできなかった。
大学生4年になって、ずっと続けてきた地味なダイエットも結果が出てきて、化粧もだいぶマシになったからか本当にごくたまに好みだと言われるくらいの、一応普通くらいの顔にはなった(これもまた思い込みかもしれない)し友達は相変わらず少ないし彼氏もできないままだけど何となく満足した生活を送っている。
でも、もし今ドラえもんとか魔法使いとかが出てきて好きな時間に、時代に戻してあげると言われたら間違いなく高校時代を選ぶと思う。
クラスで一緒にいた子とか部活の子にブスとか言われたり男子にアイツだけはないなって陰で言われたり傷ついたことも数えきれない。でも部活(吹奏楽部だった)のコンクールで金賞取ろうとみんなで努力した事とか重役になって放課後集まって話し合いという名の愚痴大会と恋バナした事とか初めて友達とディズニー行ったりお泊まり会したり旅行行ったりした事とか先輩を好きになって告白した事とか卒業後も定期的に遊ぶ友達に出会えたこととか、そういう思い出が全部全部心の中で輝いている。高校時代の自分の顔大嫌いだからカメラロール見たくない、もし将来結婚したとして披露宴とかで高校時代の写真とか映像流されたらたまったもんじゃない卒アルなんて破り捨てたい燃やしたいとは思ってるけど、キラキラした思い出が大切すぎて、今じゃ考えられないほど毎日が生き生きしていたあの頃が好きすぎてカメラロールを見返したいし人に見せびらかしたい。そんな矛盾。