はてなキーワード: 落語とは
ベッキーのファンというわけでは無い。
彼女がレギュラー出演している番組は一つも見ていないので、彼女がTVに出なくなっても俺の生活には何の変化も起こらないし困る事も無い。
それでも俺はベッキーを応援する。
思い出して欲しい。恋をして、恋い焦がれて、その想いが実って、付き合って3ヶ月位の頃を。
毎日が浮き浮きしていて、ラブラブで、相手の事が愛おしくて仕方なかった頃の事を。
その時期に、「実は嫁(or夫)がいる」と言われて別れられるか?
俺には自信が無い。
相手は畳み掛けるように「でももう結婚生活は破綻していて別れるつもり」と言うだろう。
既婚である事を隠して口説いてくるような人間の言葉なんて信用できないが、自分は既に恋という情念の世界にどっぷりと浸かっている。
頭の片隅では嘘かもしれないと思いつつも、心が本当であって欲しいと強く願い、愛する人の言葉を信じるようになるだろう。
もう周りの状況なんて見えていない。
おそらくベッキーを激しく叩いている人達はここで別れる事が出来る人なのだと思う。
そういう人は確かに存在する。
立川談春『赤めだか』によると、立川談志は『落語とは人間の業の肯定である』と言ったそうだ。
「実は結婚してる」と相手に打ち明けられたとき、キッパリと別れていたら、例え交際が明らかになったとしても今ほどのダメージは受けなかっただろう。
でも、そこで別れる事が出来なかったベッキーを、俺は許したいと思う。俺ごときが何から許すのか知らんが。
ベッキーも、弱くて駄目な一人の人間だったんだなあとむしろ親近感すら覚えてしまう。
一番の被害者は奥さんだ。
そんな事は分かっている。
分かっちゃいるけどやめられない事もあるのだ。
おそらく彼女は多くの物を失うだろう。
俺に正義は無い。
不倫を異常なほど嫌うネット社会では彼女を応援する俺も非難の対象になるだろう。
それでも俺はベッキーを応援する。
社会的制裁を受けた後、彼女の事を許す人が一人でも多い社会になれば良いなあと本気でおもっている。
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落語はね、この(赤穂藩の四十七士以外の)逃げちゃった奴等が主人公なんだ。
人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。
寄席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな、努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。
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一年以上悪性リンパ腫との闘病生活を送ってきたが、もはや手当が出来ない状態で医師に延命治療をしなければ一週間が目処と言われた。
母も自分もそれは拒否したので、今はほぼ生理食塩水のみの点滴で死ぬのを待つばかりの状態である。
数日前から意識が混濁したままで、母や子供達が来てもあまり気にしないのだが、若い娘(姪達)が見舞い(ほぼ最後の挨拶)に来ると格好を付けようとするのか一瞬シャキッとするのがおもしろい。
また、闘病生活中はとにかく体重が減るのに対抗するため必死で飲み食いしていたので、たまに目の前に食べ物や飲み物があると思って落語の所作のようなことをする。
もう嚥下能力がほぼ無いので、どんなに苦しそうでも水も飲ませられない。これが辛すぎて自分が父の状態になって喉が渇いて仕方が無い夢を数日見ている。
ほー落語かあ。
まったく知らんジャンルだ。
(久米田が原作やってた漫画とか、小林ゆうがやってたアニメは落語扱ってたなあ)
ムキになってるとこ悪いけど
だいたい常識的に考えて欲しい。
そもそも大晦日より前に当然取り立てるよね?
1年待ったあげく除夜の鐘鳴ったらまた来月って
そもそも除夜の鐘自体が東京で普及したのは昭和に入ってからだったりする。
地方から出てきた学生が友達と年越しする時にそば食うってのが想像つかないし、
典型的な「田舎に一生住むから地元至上主義の人」特有の強張りに満ちてるんだもんあんたの話。
それにぃ、
大晦日に年越しソバを喰う習慣というのが、わたしの地方にはまったくないもので、年越しソバのCMを見るたんびに不思議に思っておりました。
と
で言ってることが矛盾してるしね。
アクティブレイド→オリジナルだが谷口監督だ。ギアスとかプラネテスとか名作やってる。リヴァイアスとかも。最近だと純血のマリアはおすすめ。 中川さんが音楽だ。ギアスの音楽やってるから多分良さげだろう。後は知らない。
亜人→有名漫画原作じゃ。岩浪さん、菅野さんで音響は完璧だ。3Dなのでどうなるかね。まあ、見る価値はある。映画もやってたけど、見逃した。たぶんこれから見てもとりあえず大丈夫のはず。
少年たちは荒野を目指す→ロミオだ。信じろ。脚本しっかりやってくれるはず。
僕だけがいない街→原作の評価めっちゃ高い。このマンガがすごい!で確か見た。
ディメンションW→漫画がSF界隈で盛り上がっていたような、面白いはず
■とりあえず全話見る、つまらなくてもとりあえず全話見る枠。どうしようもなくつまらなかったら途中でやめる。でも7-8話までは必ず見る。
ハルチカ→PAだ。PAはとりあえず見る。吉田玲子さん、脚本?シリーズ構成?まあ、面白くするでしょ。
紅殻のパンドラ→原作が攻殻機動隊の作者のだ。不安な印象だがどうでしょ。
蒼の彼方のフォーリズム→エロゲだが評価高いからね。とりあえず。
赤髪→おすすめ。二期。一期がニコニコで一挙放送するから一期見てなくても大丈夫!!
ぎゃるこ→とりあえず。
だがしかし→とりあえず。
■3-4話で視聴継続か中止か決める枠。評価悪ければそもそも見ない。
■他
ガンダム→配信。全四話らしい。
追記
えーっと、PVだけ見て判断した。ニコニコ、Youtubeに 2016 冬アニメ みたいなPV集めた動画があるから、毎期でるからそれ見て判断してる。そこにスタッフ情報声優情報載ってるのよ。で、ラノベ原作漫画原作ゲーム原作だったらamazonなり自分の使ってる情報サイトで評判見ると。良さげなら見る。評価高すぎるやつはネタバレ見たくないからやる。
シュタゲなんかは原作やってよかった。Fateも原作やっていてよかった。進撃とかも先に原作見たからネタバレ回避できたし。やっぱりニコニコのコメントとかブログ記事とかで楽しみたいからね。
グリムガル、僕だけがいない街、ハルチカ、亜人なんかはPV見て面白そうって特に思った。ディメンションW、京アニなんかはPVで不安になった。twitterはアニメ関連フォローしてない、公式サイトはまあ見ない。見るとしたらハマってから。
あとはまとめサイトでどっかんどっかん盛り上がってたら、、見るかも。まとめサイト嫌ってる人はごめんね。あと、ここはてなだからね。ブログ界隈盛り上がれば見る。ガッチャマンクラウズとかはてなで知ったし、知ってよかった。プレアデスとかもか。ああ、はてなブックマークでアニメで検索して、そのページをRSSにいれればアニメ関連の情報大体入ってくるぞ。
ああ、ラノベで評価低いの、エロゲで評価低いの、ホモ枠、なんかは入れてない。少女漫画で評価高いなら見る。百合も評価高いなら見る。百合姫って百合しか載ってない漫画雑誌見てる。落語とか声優豪華だけど、声優で見るの決めない。トムハンクスが出てるからってその映画見ないだろ?
ああ、でも脚本だけでも見ない。原作良くて脚本・シリーズ構成良いとか、オリジナルだけど監督凄いとか。今期だと横手さん脚本で、石像?のアニメがあるけど、ありゃあ見ない。
判断基準は会社、監督、脚本かな。あと映像の出来映えをPVで見ると。京アニはPV下手くそだよなあ。まあ、京アニだからとりあえず見るんだけどさ。
好きではあるが寄席や地方公演合わせてヒトケタ回くらいしか行ったことない程度だからそんなに数きいてない。
そんなに数きいてないから初めて接する噺の方が多いので楽しめるが、知ってる噺だと基本的にややがっかりするな。
けど枕や本編中の笑いの入れ方が大胆で新鮮なやつは好きだ。
他の人がギャグ入れてないタイミングでギャグ入れてきたり、同じタイミングでも言葉遊びで笑わせたり顔で笑わせたりな。
落語の同じ噺は、あらすじは同じだけど、その上でどこでどう笑いを取るかは人によって違うことも多いしもちろん演出も違うからそこが多少強い。
「熊五郎が○○へお使いに行く、というシチュで各自ショートコントを作れ」みたいな部分があるっつーか。
まあしかしもっと落語を聞くようになって同じ演者が同じ噺するのに出くわす頻度があがったらマンネリを感じそうだな。
毎回多少アレンジ入れるのかもしらんけど、それを楽しむのって「ほほう、今回はこの部分をこうしてきましたか~」みたいな評論家ぶった、二郎食いに行って「今回のブタは脂身多め。スープはド乳化で俺好み。当たりでしたわ」的な奴っぽい見方しそうで自分がウザいわ。
爆笑問題がヒットした20年前くらいの漫才だと落語のように同じネタを念仏みたいにそのまま繰り返したりせずに同じネタでも色々バリエーションを加えたりするのだが、近年のバラエティ番組は漫才能力が無いのか放送規制なのか不明だが同じネタをそのまま別の番組でそのまま再現して流すことがあるけど、恐らくテレビ局がBPO等の批判にビビってアドリブ禁止にしてるのだろう。
http://www.tbsradio.jp/ss954/podcast/
http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20151110fukuro.mp3
宮地昌幸(千と千尋監督助手、Gレコ・進撃・ハイキュー・SAOの絵コンテなど)
・現在のアニメ業界はオリジナルものが作りにくい状況になってきている
・基本的に原作もの、しかも既に売れている題材がまず選ばれ、もうペイできることが第一前提で動く。
スタジオの名も売れて、それが2本ぐらい続けば
「オリジナル物も作れるかもね?」っていう業界のルールが何となく出来ている
・アニメーターはオリジナルものでも、原作ものでも自分を反映させやすいので腕は鈍りにくい
・デザイナー、演出、脚本の場合は原作ものを沢山やっていると、いざオリジナルをやろうとした場合、脳がフリーズしやすくなる
・こういう話をするとオリジナル>原作ものと思うかもしれないが、
オリジナルを作る時の訓練にはなるので一長一短
・1クールの1話は凄い安くて1000万。宣伝費など込み込みだと2000万。
1クールだと大体2億。
なので「今季◯◯切ったわー」というツィートがよくあるが、見るたび辛い気持ちになる
・現在、オリジナル作品が出た瞬間、すぐ「◯◯に似てる!」「あれに似てる!」とツッコミ倒して、潰していく空気になっている
どうか落語の古典と新作落語の関係で見てほしい。ちょっと落ち着いて見てほしい。
・自分が監督になりオリジナル企画を通したい場合、原作ものを何回か当てて名前を売って
はじめに謝っておく。
すまなかった。
最強超絶面白マンガベスト100などといったものは最初から用意していない。
なぜなら、そんなものは今まで存在しえなかったし、これからも存在しえないからだ。
俺たちが作るベスト100リストはいつだって嘘にあふれていた。見栄があった。見識不足や視野狭窄の証明書だった。プリントアウトして医者までもってゆけば、相応のお薬と交換さえしてもらえることだろう。
マンガはその面白さ、あるいは偉大さを証明する固有の体系を持たない。だからマンガという分野の側からのアプローチは不可能に近い。よって、リスト製作者個人の主観に頼るしかなくなる。それが悲劇なんです。
多くの場合、そのようなリストに意味は無い。なぜなら、あなたはその人を知らない。会うのは初めてだ。たとえば、カフェでたまたま相席になった人が聞きもしないのにお勧めのエロ漫画を勧めてきたとする。そのときにわかるのは良いエロ漫画の存在ではない。見知らぬ誰かの性癖だ。スカトロ趣味、熟女マニア、LO読者、それらはあなたに関係ない。あなたは自分の所持している MacBook Air の USB ポートと毎晩ファックしている。
あなたは事前に「そのリストを作っている人物は誰か」を知っておく必要がある。
そうでない人の作るリストなど、単に自分の知っているタイトルとの一致を見つける冷たいゲームにすぎない。
また謝っておく。
すまない、実は嘘をついていた。
まだぼんやりとして形をなしていないかもしれないが、しかしそれは確実に存在する。
どうやって確認すればいい?
貯金箱をひっくりかえせ。
頭がどの方向に向いていようとかまわないが、両足はその一帯で最大の品揃えを誇る書店へと向けておけ。
あるいはブックオフでもいい。
書店に入ったら、これまで自分が培ってきた漫画に関する知識と審美眼と勘をフル動員させろ。
作者名にかかった実績と、うろおぼえの知識と、表紙絵だけで判断しろ。
テーブルに乗せる賭金は一冊につき、高くてもせいぜい千円程度だ。分の悪い賭じゃない。
おまえの頭を使え。おまえの眼を使え。おまえの金を使え。おまえの時間を投資しろ。
面白い漫画を教えてくれる人間などネットにいない。アフィ料目当てのクソどもか、バカの一つ覚えみたいに『寄生獣』を連呼するしか能のないねらーかしか棲息していない。
漫画ごときにそんな金も労力も使う余裕などないと言うのだったら、人生をあきらめろ。ただテレビの前で座ってるだけで何かに値するものを知らない誰かがお前の口に運んできてくれる時代は三十年前に終わった。気づいていたか? 気づいていないのなら幸せだ。おそらくお前の欲求は、毎月アフタヌーンを買うか、毎週モーニングを買うかのいずれかで満たされる。リストなど必要ない。
おまえの人生に、面白漫画ベスト100リストなど必要ないと気づいたのはいつだ?
いつからおまえはそんなに自分に対して上手に嘘がつけるようになった?
おまえは書店に行っても何も見つけられない。
それを取り戻したいのなら。それでもまだ人間でいたいのなら。
心を保て。
漫画、映画、小説、演劇、落語、その他ありとあらゆる人間的な生活。
そのとき、そこに載ってある一冊一作、すべてをおまえは思い出せる。
読んだという記憶を確かにできる。
生きているという証を立てることができる。
2,5次元舞台、アイドル舞台、小劇場、演劇、歌舞伎、宝塚、ジャニーズ舞台、ミュージカル、海外ミュージカル、海外演劇、能、落語、狂言、文楽、その他古典芸能、劇団四季、ファミリーミュージカル、パフォーマンスショー、アイスショー、ダンス、朗読劇。
バレエやクラシックコンサート、オペラでは、もっとデリケートになってくるのではないでしょうか。
それぞれのジャンルのルールに従いながら、マナーを守って観劇しましょう。
バッグや持ち物は座席の下かひざの上におきましょう。バッグハンガーを前の座席にかけ荷物を吊るすようなことはおやめください。大荷物の場合は、コインロッカーやクロークを活用してくださいね。
今また新しいところに行きたいと思う気持ちと、結局どこに行っても変わらないという諦観との間でゆれている。
地元はどんどん窮屈になっていった。
ここを出たいと思った。
そうすることができるような進路、仕事を選んだ。
この間この地域では一番高い山に登った。
山小屋、というよりも土産屋と飯屋とガイドの待機所、のようなところで、そのオーナーから色々話を聞いた。
その山の歴史、どうしてこういう名前になったのか、伝説のようなウソのような言い伝え、これからの天気がどうかわるか・・・きっと話にはよどみなく、分からない言葉も沢山あったが、彼の身振り手振りと顔の表情で話の内容がそのまま頭に伝わってくるような、そんな洗練された、名人の落語のような話術だった。
天気の回復を待って山をみている独り者の旅行者を捕まえては、毎日のように話をしているのだろう。
「最高の女がいるのに、浮気したら取られちまうかもしれないだろ。それと同じだ」
面白がって聞いてくれたので、自分の旅行の話もしたが、オーナー自身は旅行しないのかと聞いたら、そう答えてくれた。
「表情も毎日違う。来る人も違うし、その人たちが来た理由も、お前さんがしてくれたような昔話も全部違う。毎日が新しいし、ここにいれば世界中のことが分かる」
そんな山を探したいと思っていたはずなのに、自分には見つかっていない。
なぜだろう。
違った世界を見たいのに、結局同じものを多少エフェクトの違うフィルターを通して見ていただけだった気がする。
ひよこを飼っていた事がある。
脂ぎっているような白熱灯の元で、うじゃうじゃとまるで「蜘蛛の糸」を待つカンダタのような感じで、糸が垂れてくるのを待っている、縁日で売られていたひよこである。
なぜ、俺がひよこを欲しがったのかわからないし、付けた名前も忘れたが、とにかくひよこを飼った記憶がある。
ところで「ひよこ」と普段キーボードで打つことが余り無いので気付かなかったのだが「ひよこ」とタイプすると、なぜだかわからないが心がとても落ち着き、非常にピースフルな気分になる。皆さんもぜひ試してみて欲しい。
縁日の夜、我が家にて飼われる事になったひよこは、段ボールを改造したひよこハウスに入れられる事となった。
ひよこハウスの中は、柔らかいタオルケットのようなものが敷かれ、湯たんぽが安置されるという豪華暖房付きで、ひよこも心なしか居心地が良さそうだったのを覚えている。
こうして小さなワンルームの住人となったひよこの餌はなぜか「米糠」であった。
これは実家が米穀店を営んでいたことに起因すると思うのだが、今思うと水に濡らされて若干ぱさぱさ感の取れた米糠を延々と主食として食わされるひよこの心中は、いかほどだったのであろうか。
不思議と米糠をつつきながら、ぴよぴよと鳴くだけで、あとは暖かいタオルケットにくるまって寝るという、落語の道楽若旦那もうらやむような生活をしていたひよこは、いつのまにやら通常の人間が想起するひよこよりも、はるかに巨大になっていた。米糠だけであんなに大きくなるものなのだろうか。
こうして、すくすくと育っていったひよこであるが、大きくなってしまった結果、ひよこハウスでは少し手狭になってしまったので、我が家の庭にて飼育されることになったのである。
暖かいひよこハウスから、突如屋根無し生活のブルーシーターと化したひよこであるが、文句一つ言わずにひょこひょこと歩き回っていた。時々クビをかしげていたような記憶もあるのだが、あれは鳥類特有のものだろう。
ところで、日本人ならば成人式を迎えた日、ユダヤ教ならば割礼をした日、どこかの部族なら入れ墨をした時に「大人」と認められるのだが、ひよこはいつから鶏になるのだろうか。
鶏冠が生えて来た時だろうか。それとも、ある朝いきなり「コケッコッコー」と「今日から大人ですよわたしー!」と高らかに鳴いた時なのであろうか。
そんなことを子供ながらに考えていたある日、裏の駐車場にあった、鉄パイプを組んだ足場で遊んでいたところ、遠くから「ひよこがぁ! ひよこがぁ!」と祖母の叫び声が聞こえた。
大きくなり、湯たんぽの庇護を必要としなくったゆえに野晒しにされていたひよこは、野良猫に捕まえられ、抵抗の際に抜け落ちたと思われる数枚の羽毛を残してどこかへ消えてしまったのである。
こうして、行方不明になってしまったひよこであるが、その後近所で「野良鶏」を見なかったことから、おそらく猫に食われてしまったのかも知れない。
と、いうわけで、未だに縁日で売られているひよこだったり、どこかで鶏を見かけたりすると、米糠ばかりつついていたあのひよこを思い出して、ちょっぴり切なくも、懐かしい気持ちになる。
ちなみに、アメリカの研究チームがティラノサウルスの骨のタンパク質のアミノ酸の配列を解析したところ、ニワトリに最も似ているとの結論になったらしい。
何万年後かに、何かのはずみで地球の重力が少なくなったり何かして、突然変異で色んな生物が大きくなってしまったり、先祖帰りをしたとして、ティラノサウルスばりに大きくなったひよこが猛り狂ってぴよぴよしているのを、見てみたいものである。
嫁さんの事を思い出し続ければいい。
親族に対する義理や世間体ではなく、それがあんたの本心なら従えばいい。
かかる時間は人それぞれだけど、ふとした時にすっきりする。
おれもそうだった。
全てに現実味が無かった。
休みの日は、さみしいけど一緒にいるのが知り合いだと何だか辛くて、誘いは全部断ってた。
マンガ喫茶やホームセンターみたいに、おれに無関心な雑踏や雑音に埋もれてた。
当然どこに行っても思い出したよ。その度に個室やトイレでずっと嗚咽をおしころした。
散歩も夜。いきなり泣き出すおっさんの顔なんて見られたくないしね。
でもさ。うそみたいな話だけど、ほんとにある日「幸せになって」って聞こえた気がしたんだよ。
おれは今でも一人だし、時々嫁の事を思い出すけど、ちょっとずついろいろやってる。
ボルダリングしたり、山登ったり、ゲームしたり、料理作ってみたり、落語を聞きにいったり。
あと何十年かして、嫁に会ったとき、たくさん話して笑わせてやりたいんだ。
どうだろう。
西洋の場合、(演劇に限らず、たとえば絵画でも音楽でも小説でも)テーマに序列があった。
歴史、宗教、古典(ギリシャローマ)をテーマにしたものは上流、社会風俗をテーマにしたものは下流、という具合に。
人気度という意味だと娯楽の王様だったけど、格式でいうと相撲や落語、神社のお祭りとかと同列。
テーマも、その当時ホットな話題だったり、コメディだったり、異国(インドや中国の話)だったり、お堅くなかった。
西洋では、小説というものの登場が遅くて、文学というと詩から派生した修辞学、それから演劇や、演説などから派生した弁論学がメインでだった。
そういう意味だと、基本教養の根幹に演劇があるのかもしれない。
自ら演じることはないまでも、基礎知識として。
テーマも宗教や歴史で、演劇でも小説でも、社会風俗を描くことってあんまりなかった。
近世になっても、啓蒙目的で書くことはあっても、本当に庶民の目から庶民のありふれた話を描くってほとんどなかった。
下層の人間は字を読めなかったしね。オペラハウスに来たりはしないし。
日本だと、江戸時代にもなると、冒険活劇、ドタバタコメディ、ドロドロ恋愛、かなりフリーダム。
http://anond.hatelabo.jp/20150416201757 へ
増田の悩みはとっくに解決済みなのだ。たった一行で解決方法を書くことができる。しかしいきなりそれを書いても素直には受け止められないだろうから、先にこんな話を紹介しよう。
「俺は入門する前から上手かった。とても上手かった。上手すぎて誰も俺の落語を理解できなかった。
稽古した結果、俺は下手になった。下手になったおかげで、客は俺の落語を理解できるようになった。
だが下手じゃ悔しい、下手なままじゃいけないと思って、もっと稽古した。そのおかげで、俺は人並みになった。
今俺は、人並みでいるために稽古している」
真剣に勉強すればするほど、自分の知識があやふやであいまいなものであることに気づく。実は自分が何も知らなかったことに気づく。
どんな分野でも、第一級の大家と呼ばれる人はみな、驚くほど謙虚なものだ。
それは彼らが、自分の業績が先人の膨大な遺産の上に成り立っていることを知っているからであり、未解決の課題が山のように広がっていることをありありと眼前にしているからだ。
いくら初心者でも落語ならなんでもいいってことはないと思うわ。
下手くそな噺を聞いて「なんだ、落語ってたいしたことねえな」と思われたら、とっても困るの。
そうね、やっぱり誰もが言葉のリズムの心地よさを実感して納得できるのは、昭和の名人・古今亭志ん朝じゃないかしら。
とってもおすすめよ!
横から失礼するわね。「美文」ではなく、「歯切れのよい文章」を、書いてある内容ではなく、文体(「だ」の使い方、体言止めの使い方、など)に注目して読むといいと思うわ。あなたが読んでみて「これは、読みやすい文だな」と思うような文よ。
あなたの元の文からは、夏目漱石がお手本になりそうな気がするわ。もちろん、単語や内容は明治時代のことだから古いけれど、その分、「文体」が見やすいのではないかと思うわ。例えば、そうね・・・
小説では『坊っちゃん』 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/752_14964.html
随筆では『硝子戸の中』 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/760_14940.html
それから、日本語の言葉のリズムという点では、落語に勝るものはないと思うの。落語は様式美の芸だから、最初はどの噺家さんのものでもいいと思うわ。YouTubeなどで動画を検索して、音声だけ聞いてみてごらんなさい。たくさんの落語を1ヶ月ほど聞いているうちに、「言葉のリズムってのは、こういうことなんだなぁ」ということがきっとわかってくるはずよ。
元の文は悪くないと思ったわよ。がんばってね。