2016-01-09

それでも俺は世間で叩かれまくってるベッキーを応援する

ベッキーのファンというわけでは無い。

正直言って、彼女明日芸能界から消えても何とも思わない。

彼女レギュラー出演している番組は一つも見ていないので、彼女TVに出なくなっても俺の生活には何の変化も起こらないし困る事も無い。

 

それでも俺はベッキーを応援する。

 

思い出して欲しい。恋をして、恋い焦がれて、その想いが実って、付き合って3ヶ月位の頃を。

毎日が浮き浮きしていて、ラブラブで、相手の事が愛おしくて仕方なかった頃の事を。

その時期に、「実は嫁(or夫)がいる」と言われて別れられるか?

俺には自信が無い。

 

相手は畳み掛けるように「でももう結婚生活破綻していて別れるつもり」と言うだろう。

既婚である事を隠して口説いてくるような人間言葉なんて信用できないが、自分は既に恋という情念世界にどっぷりと浸かっている。

頭の片隅では嘘かもしれないと思いつつも、心が本当であって欲しいと強く願い、愛する人言葉を信じるようになるだろう。

もう周りの状況なんて見えていない。

恋は盲目なのだ

 

おそらくベッキーを激しく叩いている人達はここで別れる事が出来る人なのだと思う。

そういう人は確かに存在する。

そしてその人達は立派であり、清く正しく誠実なのだ

 

立川談春『赤めだか』によると、立川談志は『落語とは人間の業肯定である』と言ったそうだ。

 

「実は結婚してる」と相手に打ち明けられたときキッパリと別れていたら、例え交際が明らかになったとしても今ほどのダメージは受けなかっただろう。

しかしたら被害者として同情すらされていたかもしれない。

 

でも、そこで別れる事が出来なかったベッキーを、俺は許したいと思う。俺ごときが何から許すのか知らんが。

ベッキーも、弱くて駄目な一人の人間だったんだなあとむしろ親近感すら覚えてしまう。

 

人生落語じゃ無い。

一番の被害者は奥さんだ。

そんな事は分かっている。

分かっちゃいるけどやめられない事もあるのだ。

 

ベッキーは失敗した。倫理違反をした。

おそらく彼女は多くの物を失うだろう。

間違った彼女を叩く事を非難するつもりは無い。

社会の秩序を守るためにはむしろ叩かれるべきなんだろう。

 

俺に正義は無い。

不倫を異常なほど嫌うネット社会では彼女を応援する俺も非難対象になるだろう。

それでも俺はベッキーを応援する。

 

社会的制裁を受けた後、彼女の事を許す人が一人でも多い社会になれば良いなあと本気でおもっている。

 

 

以下『赤めだかから引用

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落語はね、この(赤穂藩の四十七士以外の)逃げちゃった奴等が主人公なんだ。

人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。

寄席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな、努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。

落語とは人間の業肯定である』。よく覚えておきな。

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