2024-06-21

コロンブス残酷奴隷商人だったのか?

コロンブスアメリカを「発見」した当時のスペイン植民地政策を「エンコミエンダ制」という。

エンコミエンダ制」は、対イスラム戦争であるレコンキスタのなかで生まれた。

指揮官占領した土地ムスリムを働かせ、そこから利益を得ることができるが、かわりにムスリムを守り、きちんと教育しなければならない、というものだった。

前線で戦う指揮官が、現地の異教徒を皆殺しにするとか、略奪だけして放置するとか、そういうことをすると困る。

責任を持って異教徒たちを統治して、秩序を保つようにしろよ、という話である

「教育」というのは、スペイン語やキリスト教教育のことで、キリスト教布教活動であり、一種同化政策でもあった。

この「エンコミエンダ制」下における異教徒は、過酷労働を強いられたが、法的な扱いとしては「奴隷」ではなかった。

奴隷」なら、生まれ土地から引き離されて、売り飛ばされ、個人の所有になったりするものである

戦争の結果として捕虜になった異教徒が「奴隷」として売られるのと、戦争によって支配された土地の「先住民」を働かせるのは、異なることだったのである

さて、このエンコミエンダ制が、アメリカ植民にも適用された。

イベリア半島ムスリムから取り返したのと同じやり方で世界中キリスト教国にしていこうね」という流れである

コロンブスもそういうノリで、西インド諸島植民地を築き、先住民たちを働かせながら、キリスト教を広めていこうとしていた。

ちなみに、コロンブス宗教的情熱は、建前ではなくかなりマジだったらしい。

まり、少なくとも「原住民たちの信仰尊重しつつ仲良く住み分けていきましょう」なんてことは最初から想定されていなかったわけだ。

このときスペインは「先住民スペイン国民として扱う」「スペイン国民なので奴隷にしてはいけない」と言っていた。

一方で、コロンブスは「反乱を起こした先住民なら奴隷にしていいだろう」と思っていた。

コロンブスはもともと商人だったので奴隷貿易にも携わっていただろうし、「異教徒捕虜奴隷として売る」というのが当たり前の選択肢としてあったのだろう。

コロンブスが、先住民捕虜奴隷としてスペイン本国に送り、イザベル女王を怒らせた、というのはそういう話だった。

そうした出来事があり、またスペイン植民者たちの不満の声が届いたことで、スペインコロンブスのもとへ査察官を派遣した。

査察官のボバディージャは、スペイン植民者たちの証言を集めた。

トウモロコシを盗んだ男が耳鼻を削ぎ落とされて奴隷として売られた」「コロンブス悪口を言った女が舌を切られて裸で引き回された」といった暴政が報告された。

コロンブスはそのまま拘束されて、スペイン連行された。

コロンブス残酷統治をしていたかどうかは、この査察官ボバディージャの報告を信じるかどうかが大きい。

現在コロンブス批判派は「ボバディージャの報告こそコロンブスの残虐さの動かぬ証拠だ」と主張し、コロンブス擁護派は「ボバディージャが捏造したのだ」と主張している。

申し添えておくと、ボバディージャはコロンブスの後釜として植民地総督になっているので、コロンブスを追い落とす動機はあった。

スペイン植民者たちがコロンブスに不利な証言をする動機もあっただろう。

当時、エンコミエンダ制のもとで先住民労働管理していたのはコロンブスだけだった。

スペイン植民者たちは「私たちにも先住民労働者を渡せ」と要求して反乱を起こしていた。

ボバディージャはスペイン植民者たちに味方したので、スペイン植民者たちは彼の統治を歓迎した。

実際に、ボバディージャの統治以降、エンコミエンダ制は有力な植民者たちにも適用されるようになり、いっそう拡大していったのである

スペイン植民地政策批判者として有名なラス・カサスは、コロンブスの息子と親しかったので、コロンブスに対しても非常に同情的だった。

ラス・カサスがアメリカにやってきたのはコロンブス失脚後なので、彼自身コロンブス統治時代体験していない。

ラス・カサスが実際に目撃したのは、コロンブス以降のスペイン人たちの所業である

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