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2010-07-07

アクション書評  「東インド会社アジアの海」羽田正 (講談社

 サムスンVSソニートヨタVSフォルクスワーゲンナショナルフラッグを体現した大企業間の競争はますます多くなっているが、その起源はおよそ400年前に遡る。それは「東インド会社」。欧州の国を代表する企業がこぞって東アジア権益をめぐって激しい企業競争を行った、そんな時代が過去あった。ヨーロッパ各国の東インド会社はいかにしてアジア交易圏に食い込んでいったか。そして各国の東インド会社はそれぞれのどういった性格を持ち、どうして衰退したか。歴史的でありながら、そんなグローバルビビッドなテーマを論じている。

「第一段階」 ヨーロッパによるアジア市場の”開拓”―ポルトガル人の川上進出―

 当時の香辛料交易は複数の中間業者が介在し、コスト高だった。

カリカットからペルシャシリアベネチア多くの商人運送業者を経て、陸から海へ、海から陸へ、荷を積み替えながら途中で何度も関税をかけられる」(p48)。それを喜望峰経由の交易ルートを開拓し、一気に中抜きしようとたくらんだのがポルトガルバスコ・ダ・ガマ以降、武力によるインド洋海域の制圧(ゴア、マラッカなどの港町を次々と砲撃して交易を強制、異教徒の追放、船の略奪など)を推し進めて、拠点網を整備した。ただしこの航海は原則的にポルトガル王(小国!)の単独事業で、次第に資金や物資調達面で苦しさを露呈してしまう。東インド交易で得た余剰資金も拠点網維持費に消えるという経営のまずさもあった。そりゃあ十分な資金調達とトップラインを安定確保できないまま、先行投資ばかりイケイケだったら誰だって行き詰るだろう、と言うことだ。

「第二段階」 オランダイギリス東インド会社」の参入と、その顛末

 会社形態にすることで広範囲から資金を調達できるようになった。利潤最大化を行う企業でありながら、現地で国が行うような政治的な行動をよくおこなった。18世紀に入ると自由貿易の風潮が高まり、独占の東インド会社国民に支持されなくなっていった。

オランダ東インド会社:1602年設立イギリスの10倍超の資本金スタート

・民間会社だが準国家的な独占事業:事業内容は東インドでの特権的な貿易。加えて要塞建設する。総督を任命する。兵士を雇う、現地の支配者と条約を結ぶことも許可され、国営企業ではないが国を代表して事業できた。イギリスとは違って、株主からの出資金は航海が終わっても据え置く、今の株主会社に近い形態をとった。

株主経営に参加しない:会社の特徴:造船部門まで内部化。経営方針は年2~3回開かれる取締役等の重役から構成される17人会で決定。株主経営参加権をもたない。経営は分権的で東アジアの事業運営は実質的バタヴィアの支社が握った(1年半の情報伝達期間!)。

東南アジア香辛料に事業を照準:ポルトガルが頓挫した方式を見習い、しばしば武力を用いた拠点拡大策を積極的に採用ヨーロッパへの香辛料貿易利権を掌握した。現地政府から力づくで奪い取ったジャカルタを中核拠点に、セイロンインドシナインドネシア中国台湾長崎などに次々商館設置。

・栄華からの急降下。1960年代まで各国の東インド会社の中で最大規模を誇っていた。が、その後業績は急落して1799年に解散する。理由は複数あげられる。1780年に起こった第四時英蘭戦争の影響で、オランダの船はイギリス船に次々と拿捕され大変な損失を被る。また、香辛料がその時期にコモディティ化し始めたため,価格の下落が収益を圧迫した。会計制度の欠陥や帳簿の不備なども理由として挙げられている。

イギリス東インド会社:1601年設立

・民間会社だが準国家的な独占事業:東インドでの特権的な貿易。現地の司法権貨幣鋳造権、貿易活動を守る軍事権、違法貿易船を検挙する権利

比較的強い本部:株主取締役投票権を持ち、経営に参加した(毎年4月に開催される株主総会取締役投票できた)。事業運営は週に1度ひらかれる取締役会で決定される。資本金オランダとは違って1回の航海ごとに株主にすべて分配され、航海ごとに資金を集めた。造船部門はアウトソース

インドの綿織物に着目しオランダ差別化:参入当初はオランダと同様、東南アジア香辛料交易を狙っていたが、経済大国オランダに船の数や武力で太刀打ちできず、しばしばオランダ船にも拿捕される自体に。そこで、差別化のためインド亜大陸の綿織物に着目。拠武力よりもインドペルシャなどの地場為政者に取り入ることで平和裏に拠点網を整備した。

・現地所領当地という多角化が仇に:インド国内の紛争に介入してベンガル地方の徴税権(ディワーニー)を獲得(1765年)。しかし現地の文化言語、慣習も不案内だったので徴税活動は難航した。他方、治安維持などの統治コストは膨れ上がったため、結局、財務内容は急速に悪化していく。その後、1794年に実質国営化。インド中国貿易特権の廃止を取り上げれつつも会社はさらに50年存続するが、1858年のインド大反乱を機についに解散。

フランス(東)インド会社:1664年設立

・後発参入:イギリスオランダ東インド進出を見たフランス政府が”上から”設立株主も王や王室関係者が多かった。イギリスオランダと違って巨大な商業資本が集まるほど豊かな街はなく、自立的な東インド会社の形成はなされなかった。

・東西インド貿易を一体運営:事業的な最大の特徴は、東西インドアフリカ貿易を一体運営したこと。東インドの綿織物で西アフリカ奴隷を買って、西インドに送りそこで作られた砂糖を銀貨に変えて、東インドの綿織物を買う。この円環である。

・国の後押しで急成長:1720年~60年まで絶頂期。後発参入という事業的なアゲインストにもかかわらず、取扱額はイギリスとほぼ同等に達した。

政府主導事業の弱さを露呈:英仏7年戦争に敗北(1763年)したことで、政府財政危機に陥いると資金繰りが一気に悪くなる構造的弱点が露呈。一方、民間資本はクラウディングアウトされていたので潤沢に集まらなかった。そんなわけで1769年にあっけなく解散。


気になった点、疑問など

1、スペインハプスブルク帝国)の活動が目立っていないが、彼らはlucrativeな東インド交易に対しどういうスタンスだったのか。

2、ポルトガルの弱点を当時のオランダイギリスはどう認識したのか。そして、それをいかにして超克しようとしたのか。

3、イギリスの強い本社はどうやって成立したのか。経営方針や情報の伝達環境オランダと大差ないようにみえるが。

4、イギリスオランダの全体経済に占める東インド会社の割合はどの程度だったのか。

5、東インド会社という企業競争勝敗は結局どうなのか。一番儲かった会社はどこなのか。どのような背景によるものなのか。


http://twitter.com/zaway/status/17875881079

2007-04-30

仏教は心の科学」はニセ科学

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50815759.html

書評および『仏教は心の科学』はトンデモ仏教学への冒涜でしかない。

まず,

ブッダ言葉は実に「実に単純で明快で痛快」

ではない。どれが「ブッダ言葉」なのか確証を持つことができない現状では,「ブッダ言葉」は単純でも明快でも痛快でもない。

スマナサーラ氏が自分にとって都合のよいものを「ブッダ言葉」として選び出しているだけ。

そもそもパーリ語はブッダが使っていた言語ではない。パーリ語は西インドスリランカプラークリット方言みたいなもん)。「ブッダ言葉」は現在では半マガダ語もしくはそれに類似するものといわれている。

スマナサーラ氏はスリランカ言葉であるパーリ語へ翻訳された「ブッダ言葉」(それもブッダの死後200年以上を経過して)を「ブッダ言葉」として決めつけているにすぎない。

次,

以下の下りなんて、「それってどこのGeek?」ではないだろうか。

天界は快楽を食べて生きる次元

みなさんは天界に生まれ変わったら、遊んだり、音楽を演奏したり、踊ったり歌ったり、性的な行為を思う存分やったり、お腹いっぱい食べたり、そういうイメージで「楽しそうだな。天界に行きたいな」と思っているのではありませんか。

でも本当は天界では、そういうことをしないと死んでしまうのです。彼らは楽しんでいるわけではなくて、必死で生きているのです。遊ばなくては死ぬのです。音楽波動で生きている神々は、ちゃんと定期的に、決まった時間にその音楽波動を食べないと死んでしまうのです。我々は楽しくなるために演奏を聞いたりしますが、天海の場合は、生死の問題です。死ぬか生きるかの大問題なのです。それでも皆さんは天界に生きたいですか?

仏教は仏界を目指すものであって天界のような縁起の内側の世界はフル無視で当たり前。こんなので「どこのGeek?」って驚いてたら,弥勒菩薩の世界(トゥシタ天ね)なんかは子供がひざの上から産まれてくる。しかも三歳児の姿で。Geekどころではない。無知すぎ。

次,

ブッダの教え」は、「つるむ」、すなわち組織をまとめるには本当に向かない。

いやブッダはつるんでます。ブッダサンガには多くの仏弟子が集まっていました。それから三宝って知ってますか?仏法僧。仏と法とサンガサンガって僧団ね。それに帰依しろと。ブッダがそういって死んだと書いてあるのは,ほかならぬパーリ仏典です。

同じく

生のブッダの教えは、組織人にはヤバすぎるのである。

パーリ仏典には組織の長であるクシャトリアの帰依の記述がいくらでもあります。

また,

出家根本にある限り、ブッダの教えは組織とは相容れない。

ブッダの教え」の根本に「出家」なんかない。勝手に決めないように。

次,

ブッダの教えの寛大なところは、こうした「ブッダインスパイヤ教」を邪教として糾弾しなかったこと。

パーリ仏典の記述によれば,ブッダ自身が行なっています。デーヴァダッタの仏教を。

勝手なことを言わないように。

最後,

仏教科学的な教えです。「科学的」とは、どんな人間にも当てはまり、なおかつそれを自分でも確かめられる、証拠があって証拠に基づいた話が出来る。そういうことです。

と思うならば,どうかご自分で原典なり研究書なりを当たって勉強してください。

スリランカタイミャンマー仏教は,日本仏教と同じく,ブッダの教えをいくつかのフィルターを通して伝えている仏教です。

そうではなく,我々現代人には西洋人文科学の方法論に基づく,実に科学的な仏教学というものがあります。それに基づいて話をしてください。そのフィルターを通して理解する仏教が,科学的な「ブッダの教え」というものです。

 
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