はてなキーワード: 無責任とは
割と初めのうちに、増田なんかに聞かずプロに頼れと言った者だけど、なんかもう、そういう問題じゃないわ。
自分磨きして無理だったらと言ってたが、いろいろ試すまでもなくもう無理だ。試せる期間はそのハグに力がない時点が限界だったと思う。その時はまだ家族との約束を守ろうという愛情は、たとえ形ばかりでもあったんだろうからな。
今はお互い取り決めたハグという取り決めすら実行してないわけだろ。家族間の愛情なんてありはしない、あるのは金に拠った縁と夫婦という肩書きだけ。
少なくとも元増田の妻にとっては元増田の価値はお金しかないだろう。キツいと思うが受け止めてくれ。
他の増田の言う不倫してる疑惑に関して元増田はいろいろ弁明してるが、正直めちゃくちゃ苦しい。仮に今してなくても、今はしてないってだけだ。
冷静になれと言われてもなれるわけはない状況だと思う。だから満足いくまで、諦めきれるまでアピールしてみろという意味で最初にプロに頼れって話をした。もし別れることになっても磨いた魅力は無駄にならんしな。
だが、元増田の疲弊度というか依存心は想定以上なようで心配だ。そこまで行ってるとやれるだけやってダメなら諦めろとか無責任な事は言えん。
とりあえず離婚進めるか、セックスもハグも愛情もない肩書きだけの既婚者を取るか選べ。
第三者が離婚を強く勧めるのもどうかと思うが、それでも勧めるわ。今のところ相手の責任は重大だ、相手が専業主婦である以上慰謝料を取るのは実際難しいと思うが、こちらから取られる事もまずない。離婚したって、別に同じ相手と結婚しちゃいけないわけじゃないんだ。重く考えるな。もしまた相手が振り向くなら一度バツがついていようがなんだろうが関係ない。
おまえら増田は支那人とか半島人バカにしとるけどクソさで言ったらラテンアメリカが一番クソだからな
ヤク中とカルテルと無責任野郎しかいねえし陽気といえば聞こえはいいが3歩歩けばしでかしたことも忘れるアルツハイマー患者ばっかのカス民族
支那人も半島人も最低レベルの教育程度は見受けられるがガチ貧困のスラム地帯だから文字書けねえレベルのゴミがうじゃうじゃ国外に湧き出てくる
一貫性ってなにが一貫してるの?
大人数が集まってるってこと?
じゃあ
・突飛な行動をしてるか?
・発汗しているか?
こういうことが共通してるってこと?
Aを叩くならBも叩くべきとかなんでもセットで抱き合わせ商法で責任持たせようとして
無理やり持たせた責任を取らないのは無責任とかワンセットで責任者気取らないなら出ていけみたいな論法
おかしくない?
本当に好きで好きで仕方なかったジャンルを捨てた
ネットの海に放り投げておく
やっと動く彼らに会える
都内の感染者も劇的に増え、チケット購入時には考えもつかなかったほどの感染者に膨れ上がっていた
流石にこの状態では参戦できない、と参加を断念した
購入時にもしかしたら感染者が増えて参戦出来ないかもしれない、という不安はあったしそれなりに覚悟はしていた事だ
参加する人を責めるつもりも、開催した運営を責めるつもりも毛頭ない
そうだとしても、参加断念 という決断は私にとってあまりにも辛かった
当たり前だ 10年間待ち侘びていた夢のライブへのチケットが手元にあるのに、行かない
そんな大きな決断をして冷静でいられるような器の大きな人間ではないのだ
この先、収束した時に再演されるかもしれないと無責任な言葉を投げかけられ、励まされるのも限界だ
収束したら、再演するかもしれない
移植の移植の移植版のゲームを発売され、一生出る気はないのない新作ゲームの発売を待つ
一体いつ来るのかわからないものを待ちつつ、応援するなんて気力は
もうジャンルに対して持ち合わせていなかった
もう全てに対して限界が来ていた
10年間、長くて途方もない時間を一緒に過ごして落ち込んだ時も嬉しいことがあった時もいつもみんなの曲を聞いて元気をもらっていた
地方の田舎に住む私が、初めて都会に一人で繰り出すようになったのも推しジャンルのイベントがあったから
このジャンルにハマらなかったらやらなかった遊びも、出会うことのなかった友達とも
本当に本当に、大好きで仕方なくて
私の人生の全てでした
コロナがなかったら、こんな思いせずに済んだのに
昨日の横浜市長選は立憲民主が推薦している候補が勝利し、自公与党は負けることになった。
今回の選挙で分かった事は、立憲民主と共産党の選挙協力は大変有効であることだよね。
自民党側が保守分裂となり、公明党も自主投票にしたという理由もあるだろう。
しかし共産党は独自候補を出さずに、山中氏への支援に一本化したことも大きかった。
(山中氏本人は、共産党から応援されること自体をどう思っていたのかは知らないけど)
今年10月に衆議院議員の任期満了を迎えるので、嫌でも解散総選挙が行われる。
菅っちは死に体なので、12年ぶりに政権交代が行われることも覚悟しておかなければならないだろう。
立憲民主と共産党、れいわ新撰組の連立政権・・・、考えただけで笑っちゃうけど。
本当に政権交代を起こすとなると、絶対に避けて通れないのが両党の公約調整、もっと言えば憲法9条と自衛隊である。
野党時代だったら無責任に何を言っても誰も相手にしないが、政権与党になると話は別である。
共産党は自衛隊を合憲だと認めるんだよね?当然、日米安保も堅持するんだよね?
立憲民主は、共産党と自衛隊と憲法9条について意見の相違を調整出来るんだよね?
憲法9条と自衛隊の案件については棚上げにするという意見もあるが、それはアメリカが許さないだろう。
現在、米中貿易戦争が継続中であり、香港や台湾、アフガン情勢が緊迫している以上は、アメリカの同盟国として新政権は憲法9条と自衛隊について「明確に」立場を説明する義務が発生する。
最初に忠告しておくけど、政権交代後に、憲法9条と自衛隊の扱いによって両党が分裂して政治空白に・・・というのは国民が一番嫌がることだからね。
過去が複雑過ぎるとか、それ故に性格が捻くれて犯罪に走る人とか引っ込み思案とかコミュ障とかとか…関わると思ったよりかなりの労力かかるんですよね
自分も他の人とか助けられませんね…中途半端に助けると相手を絶望させてしまって最悪自分がきっかけで命落とすとかバリバリあり得るので……中途半端な救いはめちゃくそ無責任って学びました
第5波の感染爆発がオリンピックと無関係とする説は、デルタ株の感染力の強さが原因と考えるのが主流のようだ[1]。
デルタ株の感染拡大がたまたまオリンピックと重なっただけなのだ、と。
現在、全国各地に広がっているデルタ株の系統で最も初期のものは、ことし5月18日に首都圏で海外渡航歴がない人から検出されたウイルスだったと分かり、さらに調べると、これとよく似たウイルスが4月16日に空港の検疫で見つかっていた[2]。
一方で、ことし5月ごろ関東や関西、中部、九州などで確認されていた、海外から流入したとみられるデルタ株のクラスターの多くは大きな感染拡大につながらず、7月初旬ごろまでにはほぼ収まったとみられる[2]。
もしデルタ株の感染力の強さだけが感染爆発の原因ならば、オリンピック期間中より人流が多かった5月、6月に感染爆発が起こっていたはずだ。
現実には感染爆発につながった遺伝系統以外のデルタ株は7月初旬で収束していた。
そして感染爆発した系統もオリンピックの開始を待つように急速に感染拡大した。
オリンピック開催によって、感染拡大防止のための堤防のどこかが決壊したと考えるしかない。
国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏の指摘どおり、オリンピック開催に伴い局地的・一時的に密な状態が生まれた事実は否定できない。
ここではもうひとつ、国民の側の感染防止策に対する意識がおろそかになった可能性を指摘しておく。
5月から6月にかけて、オリンピック開催、さらに有観客開催を主張する中で、感染拡大防止策を軽視するかのような無責任な言説がまき散らされた[3][4]。
「国民にあれするなこれするなと要求しておきながら、自分たちはやりたい放題か。付き合ってられねえ。」
このように考えた人を責められるだろうか。
個々の国民にとっての帰省は、アスリートにとってのオリンピックと同等以上の価値があるかもしれない。
あるいは1年半近く慣れないライフスタイルを強要されてきた国民の中に、
「なんだ、これまで活動自粛だの、会食回避だのしてきたけど、感染防止策とか関係なかったのか。」
と受けとめる人が現れても不思議ではない。
不慣れな行動を意味も十分に理解できないまま強要されていること自体がストレスなのだ。
人は基本的に見たいもの、耳当たりのいい情報に流される(何より、政治家とその取り巻きはその権化ではないか)。
当局が矛盾したメッセージを国民に発信すれば、国民の感染拡大防止策に対する意識が弛緩するのは当然だ[5]。
とはいえ、新型コロナに感染して損をするのは間違いなく私たち自身である。
無責任な当局関係者や御用言論に惑わされることなく、感染防止策の基本をもう一度肝に銘じたい。
新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見(令和3年7月30日)
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0730kaiken.html
[2]デルタ株“1つの起点から全国拡大か” 国立感染症研究所が分析
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013183971000.html
[3]観客上限1万人 規模縮小でも有観客に踏み切った首相
2021/6/21 21:07
https://www.sankei.com/article/20210621-23SHMAUX2RIENACWHNH4UWVCIA/?outputType=theme_tokyo2020
[4]緊急事態宣言は「屁みたいなもの」 「さざ波」発言の高橋洋一内閣官房参与がTwitterに
①個別のIDがあって過去の発言も閲覧できるのに全員同じ「はてなブックマーク」に見えているようですね。
"女が全員敵に見えていた小田急線刺傷事件の容疑者"と同じで、とても危険な思考です。
②
普段好き勝手に他人に誹謗中傷をずっとやってるのに批判されたらすぐに逆切れして「100人のブクマカのストレス解消と、1人のブロガー、どっちが大切ですか。ブロガーのためにブックマークの無責任に石を投げる権利をつぶしていいんですか?」なんて言いだすところとか、教頭先生とそっくり!
あなたが脳内で想像した"はてなブックマークの連中"がそう言ったんですか。妄想乙
③
いじめ報道があるたびに、毎日いじめを楽しんでるはてなブックマークの人たちがいじめ問題について批判する権利など存在しないと言い続けたい。
普段好き勝手に他人に誹謗中傷をずっとやってるのに批判されたらすぐに逆切れして「100人のブクマカのストレス解消と、1人のブロガー、どっちが大切ですか。ブロガーのためにブックマークの無責任に石を投げる権利をつぶしていいんですか?」なんて言いだすところとか、教頭先生とそっくり!
他の人間が言うならともかくはてなブックマーク使ってる人が、教頭を批判してるなんてウケる~。
学校は隠ぺいを絶対にします。事なかれ主義で怠慢に徹します。それは、どうしてかというと、閉鎖社会なんですよ。塀の中できっちり囲まれてしまった中での論理で展開する。亡くなった子にしてみれば、10人だけではなくて、学校の先生もグルになって自分をいじめていると思って絶望したと思う
「塀の中できっちり囲まれてしまった中での論理で展開する。」なんてはてなブックマークそのものじゃん。
ブログをやめた人間にしてみれば、石を投げてきた奴らだけじゃなくて村長もグルになって自分をいじめていると絶望した。
はてなでブログをやっていた時期は毎日いじめられて大変だった。
遅ればせながら「竜とそばかすの姫」を見てきた。ネタバレが嫌だったので、事前に紹介記事も読まなかったし、どんなストーリーかもろくろく知らなかった。
鑑賞後にいくつかの感想ブログを読んだのだが、「映像や演出はすばらしいが脚本がダメ」という評価が多かった。自分も同感である。
おそらく最大の要因は、ネットの世界とリアルの世界との分断が激しすぎて、どちらの世界のキャラクターにも全く感情移入ができないことだろう。ネットでは暴れん坊の竜とネット自警団との戦いが続く一方、リアルでは陰キャ女子高生を中心としたラブコメもどきが進行する。
両方の世界の繋がりが緩いせいか、それぞれの世界に登場するキャラクターの行動原理が読めない。「コイツはなぜこんなことを?」という疑問が解けないまま、ストーリーは進行しつづける。
そして、多くの評者が指摘するように、物語の終盤にかけて脚本の破綻は顕著になる。児童虐待を受けている兄弟を父親から救うために、大人たちに見守られながらなぜか一人で関東へ向かう主人公。なぜか主人公に気圧されて、呻きだす兄弟の父親。兄弟たちが一体どうなったのかも観客には知らされないまま、さっぱりとした顔つきで故郷に戻ってくる主人公。竜とくっつくのかと思いきや、イケメンの幼馴染といい感じになる主人公…なんでやねん!!!
というわけで、本作に不満は多々あるのだが、同情すべき部分もないわけではない。一部で指摘される細田守の「制度」に対する理解の欠如という点だ。要するに、細田の作品世界のなかでは、福祉制度が無能かつ無責任に描かれてしまうということである。しかし、これは現代日本の映画事情を考えると、おそらくやむを得ないところだ。
そもそも、物語と制度とはあまり相性が良くない。物語は多くの場合、主人公の決断や行動でストーリーが展開していくし、視聴者や読者もそれを期待する。名探偵コナンの犯人が警視庁のローラー作戦で逮捕されてしまうと、興ざめもいいところである。見ている側としては、コナン君の活躍で事件が解決するのを見たいのだ。
そういう物語と制度との相性の悪さを補うための一つの方法が、制度の中の人を主人公にする、もしくは制度の中の協力者を登場させるというものだ。
だが、現代日本のアニメ映画において、児童福祉施設の職員を主人公するという選択肢は果たしてありうるだろうか。「おおかみこどもの雨と雪」はやや例外としても、ヒット作を目指すのであれば、主人公はどうしても高校生以下でなくてはならない。その縛りが脚本に大きな制約を生んでいる。
仮に児童福祉施設の協力者を登場させたとすれば、ストーリーの説得力自体は増すものの、ラストあたりの展開は協力者に解決をぶん投げる形になり、主人公の出る幕はほぼなくなってしまう。それでは、エンターテイメントとしてのカタルシスに欠ける。
つまり、児童虐待のような現実社会と地続きの問題を登場させるから、脚本のいびつさが目立つのだ。子どもの貧困を描いた新海誠の「天気の子」にも同様の問題が指摘できる。
現実社会には現実社会の解決策がある。それを一足飛びに高校生に解決させようとするから、脚本に無理が生じる。主人公たちを活躍させるためには、制度を無能に描き、リアリティを欠いた解決策をひねり出すよりほかない。
だから、細田守にせよ、新海誠にせよ、作品の主人公には大人しく世界を救済させておけと言いたい(それが嫌なら、主人公は高校生以下でなくてはならないという縛りと戦え)。
隕石が降ってくるとか、人工衛星が降ってくるとか、そういう超緊急事態を前にすれば制度は実に無力だ。だからこそ、主人公やその仲間たちの超人的な活躍が光るのだ。そして、世界を救うだけなら、より長期的には必要になる制度的(かつ地道な)解決策についても考えなくていい。
というわけで、高校生以下を主人公に据える限りにおいて、セカイ系の物語にはそれなりに有用性があるのが理解できたことが「竜とそばかすの姫」を見た最大の収穫だったと思う。
自殺未遂の真偽も不明だけど、事務所との連絡を絶って雲隠れしてたのがマジならそっちの方がよっぽど問題では……
不倫に関する世間への謝罪はまぁ知らんけど、機密事項を漏らしてファン含め方々に迷惑かけたことは謝罪が必要でしょうよ
「謝罪しろ!」って言ってる人は何も不倫に対してだけじゃないと思うし、その辺大して考えずにギャーギャー言ってる人は馬鹿なのかな?
SNSで誹謗中傷されて仕事も全部降板になって追いつめられたのかもしれないけど、誹謗中傷はともかく仕事は全部自分のせいでしょ……
そして「死」というのはそんな軽率に選んでいい道じゃないと思うんだよね
ファンの声や、自分が演じているキャラクター、頂いてきたお仕事、様々な縁、すべてを蔑ろにしてしまうわけで、
これまでその道を選ばざるをえなかった人たちは、少なからず苦悩と葛藤があった
それは2~3日で踏み切れるレベルではないと思うんですけどね
元声優志望の身としては、そんなクソみたいな人がプロとして、社会人として声優やってるなんて思いたくないんで、例の記事はデマだと思うことにしますわ
不倫する人がクソなのはそうなんだけど、事務所の連絡ガン無視して仕事やファンよりも自分が楽になる道を軽率に選ぶ責任感の無さは、マジで声優として、芸能人として、社会人としてダメでしょ
今回の新型コロナウイルスは、マクロで言えば人と人の接触でしか感染しない。
よって、人と人との接触を少なくすることが一番の抑止策になる。
極論誰とも接触しなければ、ウイルスに感染することは絶対にないのです。
新型コロナ抑止という公衆衛生政策の観点だけで言えば、人と人の接触を最小化するのがベストとなる。
しかし、現実には人と一切接触しないで社会生活は成り立たない。
経済活動、スポーツ振興策、諸々を総合的に判断して決まるものです。
現実に人と接触せざるを得ない場面では、ウイルスをできるだけ回避する工夫をすることが奨励される。
マスクの着用、手指の消毒、ソーシャルディスタンスの確保、三密の回避、会食時の感染防止策など。
(1)不要な人との接触を極力減らす、(2)人と接触しなければならない場面では感染防止策を工夫する。
国民がこのことの意味を十分に理解して実践することが、社会全体としても感染を封じ込めることにつながるわけです。
以上を前提に、仮にオリンピック期間の人流が減少していたとしても、それは(1)は満たしていたというに過ぎない。
活発に出歩いていた人たちの間で(2)の意識が低下していたら、感染拡大の原因となる。
人流が100万人から50万人に半減しても、その50万人が感染防止策を軽視して行動するようになったらダメなのです。
実際に、オリンピックを開催するため、さらには有観客開催するため、種々の無責任な言説が5月6月ごろからまき散らされたのは周知のとおり。
オリンピック期間に重なった感染爆発は、ラムダ株ではなくデルタ株によるもの。
ラムダ株の日本初検出(7月20日)はオリンピック村開設(7月13日)後、五輪関係者の入国が増えて以降の話。
ラムダ株を持ち込んだのは五輪関係者と報道されています(8月13日付共同通信)。
あと基本的な事柄ですが、統計的な相関関係と因果関係は別の話です。
ただし、どこまでいっても、「オリンピック期間中に出歩いていた人たちの感染防止策に対する意識の変化」などといった調査データは示せないのだから、確定することは不可能ですがね。
生活保護に関する各種統計データを見ると破綻する未来しか見えない。
http://www.ipss.go.jp/s-info/j/seiho/seiho.asp
生活保護は10年間で2.7兆円あまりから、3.9兆円あまりまで激増している。その内実を見ると、暗い未来しかない。
平成30年度の生活保護の受給世帯は、ひと月平均 2,096,838 人で、10年前は 1592620 人、20年前は 946994 人
20年で倍以上の人数になっている。
年代別で見た場合、データがある範囲では、70歳以上の伸びが最も多く、平成10年には 225063 人であったのが、23年には 568546 になっている。
伸び率で言えば、30代、40台も同じくらいだが、10年余りで30代40代の伸び多人数は、60代70代が伸びた人数には遠く及ばない。
高齢化の影響は顕著であり、今後も高齢化が進むにつれて、保護費が増進することは自明だ。
開始世帯数は、高齢者では平成30年が5679世帯であった。一方で廃止世帯は、7161世帯あり、大多数の5000世帯が死亡・失踪により給付廃止されている。
開始自由の大多数が、貯金の減少、定年、仕送り減少が理由であり、この事からも、年金を収めていない高齢者の生活保護になっていることは分かる。
こうした高齢者が、労働する等で保護を廃止されることなんてないので、高齢者の受給者の増加は数10年に渡って伸し掛かる負担だ。
一方で興味深いのは、傷病者及び、その他の事由で受給開始された人数は大きく減っている。
傷病者の開始世帯は平成21年に、ピークとなる7482世帯が受給開始していたが、平成30年には2467世帯になっている。
その他の世帯は、平成21年に、ピークとなる9082世帯が受給開始したが、平成30年には4599世帯と減少した。
一方で廃止世帯は、傷病者が平成21年が3580、平成30年に1658、その他世帯が、平成21年に3685、平成30年に3337となっている。
傾向として、開始世帯数は常に廃止世帯数を上回っており、総数としては増加の一途ということだ。
開始世帯に比べて、多くはない廃止世帯数だが、廃止理由を見ると悲惨だ。生活保護というのは、一時的に苦境に陥った人間を保護して納税者になることを期待するものだろうが
全世帯で、労働開始したことで生活保護を抜けたという人は、30%もいない。
高齢者でも、障碍者でも、傷病者でも、母子家庭でもない、最も働ける可能性が高いその他の世帯ですら、廃止理由として労働開始は3337世帯のうちで、わずかに1387世帯で悲惨と言うしかない。
生活保護の受給額は増加の一途であり、今後も下がる要因がないほどであることは明らかななのだが、そのしわ寄せは納税者だけでなく、当の受給者にもくるのは分かる。
現に、傷病者およびその他世帯の受給数は減り続けていることから、既に受給世帯増加を絞る事で制度の破綻を防ごうとする意図は見える。
貯金もしてない年金も払ってない貧しい高齢者の増加を止める手段はないし、そうした高齢者への受給も絞れない以上は、お前は働けるだろ?って世帯にしわ寄せがくるのは当然と言っていい。
生活保護の現場で働いた事がある人は良く知ってる事だが、例えば生活保護の廃止理由のその他に含まれる理由に借金の判明があったりする。
受給事由が、その他の世帯において、死亡失踪で600世帯で、失踪は450世帯にも上る。受給廃止世帯の15%程度が失踪する、どうしようもない人間だ。
パチンコをやりたいあまりに、不法業者から借財して、その金を返すために受給日にそっくりそのまま業者に渡したなどの理由で借財が判明し打ち切られたりする。
受給日にパチンコ屋に行けば受給者がいる、受給者の15%が失踪する、このような理由からも受給開始が絞られつつあるという側面は否めないだろう。
DaiGoが価値がないと言いたくなるのも分かる、受給者の一部は、言葉を選ばなければ生きてる価値もないクズでしかないのは事実だ。
断言してもいい。減額するしかない。
特に高齢者世帯への受給額は、国民年金の平均受給額未満に絞ったりすることで、制度全体の延命を図るだろう。
医療費の国庫負担は増額の一途で、社会保障が破綻する未来が見えてきてる中で、現状の生活保護がどこまで維持されるかと考えると難しい事は分かるだろう。
医療費の国庫負担だけで現状の精度のままであれば、あと20年もせずに50兆円。歳入は60兆円で、経済成長がなければ、このままでは維持なんて出来ない。
日本は落ちぶれるというが、その通りだし、落ちぶれた時に維持できないのは社会保障だ。
母子家庭、障碍者、傷病者への補償は、それぞれ生活保護ではない名称の精度に替えて維持し、
高齢者への生活保護も、どうように国民年金を補う制度に替えて維持し、
純然たる生活保護は、大きく減額したうえで、さらに絞るという未来が来るのは、ほぼ確定しているのではないかと思う。
納税者の一人としては、生活保護の為に増税され負担を増やされるのは迷惑千万だが、増加の一途を辿ってる現状も迷惑でしかない。
I_am_masuda 受給者の15%が失踪してるわけではないよね? 受給事由その他に該当する世帯の中で更に保護打ち切られた世帯のうちの15%が失踪でしょ?意図的に誤読させようとしてない?
そう書いたつもりですが、書き方が悪かったのでしょうかね。
改めて書くと、平成30年に受給開始した世帯が4600世帯あまり、平成30年に失踪した世帯が460世帯余り。同年に受給開始した世帯が失踪してる訳ではないので
そっくりそのままとはいえないけど、ざっくり言って全受給者のうち10%が失踪します。しかも、母子家庭、障碍者を除く世帯でも、1割程度が廃止理由として失踪があげられている状態です。
酷い年度では廃止5000世帯中1000世帯が失踪している。酷すぎますね。
母子家庭でも、障碍者でもでもない、無責任でどうしようもない人間が、10%ほどは含まれるという理解でいいでしょう。借財、不正受給も含めれば20%くらいですね。
おそらくは、これがホームレスの発生源なのでしょうね。
自分は女だけど、TwitterなどのSNSで流れているフェミニズムには賛同できないなと思った話。
とあるラジオでパーソナリティがセクハラめいた下ネタを発して、一部のリスナーの間で物議を醸した。
その発言はネット上で公式にアーカイブとして残っていて、当初、コメント欄にはクレームがひとつふたつ入っていた。
そのひとつに「BPOに通報しました」というコメントがあった。
公式サイドに直接クレーム入れるんじゃなくていきなりBPO? ていうか、わざわざここに通報したことを書き込む意味……。
色々ツッコミどころは多かったが、色んな段階をすっ飛ばしてBPOに通報したことに引っかかった私は「いきなりBPOではなく、まずはラジオ局やパーソナリティ本人に意見を出した方がいいのでは?」とコメントしてみた。(パーソナリティはSNSをやっているので、個人でコンタクトを取る方法はある)
それに対して、こういう返事が来た。
「どうせラジオ局は聞く耳持たないし、パーソナリティにDMを入れても見てもらえるか分からない」
いや、ここに書き込んだら何か変わると思ったの? あと、なぜ「聞く耳持たない」とか「見てもらえない」とか勝手に決めつける?? 相変わらず、ツッコミどころは多い。
「どうせラジオ局は聞く耳持たない」という文章が気になった。内容から察するに、以前にもクレームを入れたことがあったが聞き入れてもらえなかったようにも取れる。
しかし、よくよく聞いてみるとその人はラジオ局に直接意見を送ったことがないらしい。これからも直接意見するつもりは無いという。
また、パーソナリティへクレームを送ることに関しても、「個人がパーソナリティに対して直接DMするなんてあり得ない(※非常識という意味?)」とのことだった。
その時点でこの人とやり取りするのはやめた。
理由は2つある。
何を言っても屁理屈で返してきそうな人だったので、これ以上やり取りしても場を荒らすだけだと思ったのがひとつ。
そして、「この人は自分の主義主張に責任を持ちたくないんだ」と思ったのがもうひとつ。
そのうち、陰でこの様子を眺めていたのであろう人たちが先の人に連なるように「パーソナリティの発言でどれだけ自分が嫌な気持ちになったか」というお気持ちをコメント欄で表明し始めた。
後からぞろぞろと現れた人たちもおそらくラジオ局やパーソナリティ本人に直接クレームを入れる気は無いのだろう。ここに書いておけば見てもらえるかもしれないと思っている。
ただひたすらアホらしいと、私は無責任な人たちを冷めた目で見ていた。
Twitterを始めとしたSNSではフェミニストの活動が盛んになっている。
私も女性だし、「これからの時代、女性はどうあるべきか」といったことには少しは関心がある。
この流れに与してる人たちの中で一体どれだけの人が本気で声を上げてるんだろう。
本気で世の中を変えたいと思っているなら、誰かや何かを隠れ蓑にしないで真っ向から声を上げるはず。そして、自分のお気持ちだけを主張するのではなく、相手と対話を図ろうとするはずだ。
それをしないのはどうせ本気じゃないからだ。「誰かが変えてくれる」と思っている。
こういう人ばかりだから、ネット上での「フェミニスト」という言葉は蔑称の意味を帯びているのだ。
誰かがお気持ちを表明しては、他の誰かが臭いものに蓋をするようにフェミニストを敬遠する。
このループはまだまだ続くのだろう。
六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
六.我ら(連合国)は無責任な軍国主義が世界から駆逐されることによって平和、安全および正義の新秩序が生まれるだろうことを主張するものであり、そのためには日本国民を欺き、(日本国民に)世界征服をさせようとした過ちを犯した者の権力や勢力は永久に除去されなければならない。
日本はポツダム宣言を受け入れたのだから終戦の日の今日は、日本人は軍国主義者に騙されて世界征服しようとしたことを反省するべき
私は作品を見たり、絵や文をかくのが好きだ。二次創作も大好きで、以前までは積極的に二次創作の投稿・閲覧をしていた。
しかしある日を境に意識が変わった。ある文章を読んで「二次創作は違法で、加害性がある」とはっきり自覚した。
「二次創作はグレー」「違法ではない」「二次創作を違法と言うことが犯罪」中には凄く偏った意見もあった。
▼https://adenoi-today.hatenablog.com/entry/2018/11/07/041547
▼https://togetter.com/li/102372
▼https://togetter.com/li/1139617
私は法律の専門家ではないので、間違いもあるかもしれないが調べた結果はやはり「二次創作は黒」だ。
著作権者に許可なく二次創作を行うことは、著作権法違法(翻案権、同一性保持権の侵害にあたる)だ。
二次創作が見逃されているのは親告罪だからで、公式が訴えることがなければ罪は問われない。
だからといって二次創作をして良い理由にはならないのではないか。
違法であることは間違いなく、著作者の許可も得ず作品やキャラクターを勝手に拝借するのはとても失礼ではないか。
犯罪かどうかは、裁判所が決めることだと思う。しかし違法であることは確かだ。違法であると知りながら何故二次創作をやめられないのか?訴えられるリスクを考慮しないのか?
ルールを守らないということは、作者も、作品も、自分以外のファンも、自分自身も危険に晒し、傷付けるリスクがある。その自覚はあるのか?
また、上記のリンクに上げられた安倍首相の答弁。(2016/4/8)
▼https://www.itmedia.co.jp/news/spv/1604/11/news087.html
要約すると、著作権侵害は検察官も起訴できる!とされていたのに対し、「二次創作、同人誌は著作者しか訴えられない(非親告罪ではない)」とした。その理由が「権利者の権利を不当に害するものではない」から。
この「権利者の権利を不当に害するものではない」ため、著作権法ではないと主張する方がいるようだが、それは「非親告罪に当てはまらない」だけで親告罪には当てはまる。
そもそも他者が大変な努力をして作った作品やキャラクターを、尊敬や愛情が理由とはいえ許可なく拝借していいのか?
私は一次創作も行っていて、自分のキャラクターを描いて貰えるととても嬉しい気持ちになる。漫画やイラスト、小説、呟き どんな媒体でも自分ではない誰かのフィルターを通して見たキャラを、大好きの気持ちを込めて形にして見せて貰えるのは本当に嬉しい限りだ。
しかし、全員がそうではない。自分が嬉しいことでも、嫌な気持ちになる人は必ずいる。
相手の意思の確認が出来ない中、勝手に描いて良いのか?またその内容にもよるだろう。これはいいけどこれはダメ、というのは必ずある。
又聞きでしかないのだが、漫画家の中にも二次創作をして欲しくないという人をよく聞く。その人たちは、この二次創作が当たり前、描いて貰えばハッピーが当然の社会で声を上げることも出来ず苦しんでいるのではないか?もし、自分が善意や愛情を持ってかいた二次創作が、原作者や制作者を傷付けることになったら、それは悲劇でしかない。
以上のことを全く考慮せず、好き放題かいては上げて盛り上がる二次創作界隈が憎くて憎くて憎くて仕方がない。
私も自cpの同人誌を出して布教したい、このキャラが、この作品が好きだという想いを形に残したい。共有できたら本当に楽しいし、共感して貰えることの嬉しさは凄くよくわかる。
でも、違法性は?加害性は?一番大切な作者と作品のことを考えず作った二次創作なんてたかがしれてているだろう。解釈もクソもない。そもそも常識がない。 大抵の二次創作者は調べようという気概もない。
私は二次創作を廃止して欲しいのではない。むしろ二次創作したい。しかし、違法であることと作者の同意を得られないのであれば二次創作なんかしない。犯罪者になってまで、何より感謝してもしきれない原作者、制作者を傷付けるリスクを背負ってまで二次創作をしようと思わない。
今二次創作している人たちは、何を考えている?どんな理屈で二次創作をしている?是非教えてください。
ネットの普及もあり、原作者がTwitter上で二次創作歓迎の意を示すことがある。
私はそれを無責任だな、と思って見ている…。
作者がokするのなら描いていいだろう!と思うのだが、ルールが無い状態でokすることがファンを危険に晒していることを自覚して欲しい。
ルールがない状態で二次創作を盛んに行えば、秩序も保てないし公式側から訴えることになった場合、全て二次創作者のせいになってしまう。原作者が推奨したとしても、ルールがなければ責任が持てない。
これら全ての問題を解決するのは、二次創作ガイドラインと公式の運営方法だと思う。
作品ごとに二次創作ガイドラインを設け、確実なセーフラインを定める。ファンはそれを守る。守れない人は公式が取り締まる。もしくは全面的に作品ごとに二次創作を禁止するべきだ。
現在、著作権法が機能しているとは言えないと思う。新たに二次創作ガイドラインを定め、各出版社等は作者の意思を最も尊重した形でガイドラインを定めて欲しい。
まとめ
世、本当に憎い
真面目にルールを守っている人間が何故苦しんでいる?どうか皆思考して。自分の手で調べて考えて議論をしよう。ネットに溢れ返っている違法二次創作、公序良俗に反した二次創作、ガイドラインのない作品の同人誌、感想 目に入る度 私何してるんだろう?って思う。
でも思考を止めて胡座をかくだけの人にはなりたくありません
▼追記
沢山のご意見ありがとうございます。
コメントを拝見した中にはっとさせられるものがありました。下記に添付させていただきます。
◆訂正
『二次創作は黒』と断言致しましたが、訂正させていただきます。
『二次創作はグレー』です。
▽参考にしたコメント
https://anond.hatelabo.jp/20210815014235
私の調べたソースが古いこと、2020年の知財高裁判決で『キャラクター自体に著作権はない』という解釈から『キャラクターを流用しただけの新しい著作物は翻案権や同一性保持権の侵害にあたらない』という解釈がなされた ことをご指摘頂きました。
コメント主様は『作品を丸パクリしたようなものでなければ二次創作はほぼホワイト』とおっしゃっていますが、私はグレーと判断致しました。
二次創作が白か黒か、というのは権利者による訴訟の結果がでなければ判断出来ません。よって『二次創作は黒』という当記事の文章を訂正させていただきます。申し訳ありません。
◇◇◇
また、もう一つ大変参考になるコメントを頂いたので添付させていただきます。
https://anond.hatelabo.jp/20210814235915
クリエイティブ・コモンズというものを初めて知りました。とても勉強になりました、ありがとうございます。
◇◇◇
ここからは持論です。
やはり、二次創作は権利者が認めていないのであればするべきではないと思う。
法は本来作者の権利や心、作品を守るためにあると思う。法は時代で変わる。合法非合法に囚われず、最も重要するべきなのは作者の意思である。
作者が許可している場合であっても、それが公式の発表でない限りやはり訴えられるリスクは変わらない。
私はこの記事を、社会が変わって欲しくて、議論の切っ掛けになって欲しくて投稿した。
増田とブクマカを兼ねてそうな増田はよくクズを正当化するような投稿してきゃっきゃしてるからな
自称、小心者の小市民だそうだけど小心者のじゃなくて単なるクズだぞ
従属することで平穏を保とうするが、本質的に自分の人生を選び取る意思が無い方々は
"いつも誰かに攻撃されている"、"いつも誰かに強制されている" という謎の被害者意識を持っているよ
だから、機会があれば “誰かにやり返したい” と思っており、より弱いものを叩くという謎の選択肢が常に傍らにある
なろうのザマァ小説の構図そのままに、スカッとジャパンそのままに
だからお病気の人は「優しくして」と人には言うけど<本人は他者に優しくない>よね
どうしてできないんだ?気合いが足りないのでは?甘えでは?と言っても仕方ないこと、
こういうお病気の人たちは『生きる力が弱いけど、無責任だけど、人の気持ち寄り添うことが出来る人たち』だと考えていたけど、
生まれつきの個性を理由に配慮をしても何も生まれないんじゃないかな?ってのが結論
単純にクズ
弱いヤツはせめて他人に優しくあって欲しいけれど、
彼・彼女らは自分の行動すらいつでも誰かのせいなのだから返報性は微塵も期待出来ないのが実際のところだろう
優しさは強さとはよく言ったもんだね
ただ、クズはクズのまま存在しても別にいいし誰に遠慮することも無い。それが多様性