2021-08-20

「竜とそばかすの姫」はなぜダメなのか

遅ればせながら「竜とそばかすの姫」を見てきた。ネタバレが嫌だったので、事前に紹介記事も読まなかったし、どんなストーリーかもろくろく知らなかった。

で、以下はその感想ネタバレ

鑑賞後にいくつかの感想ブログを読んだのだが、「映像演出はすばらしいが脚本ダメ」という評価が多かった。自分も同感である

おそらく最大の要因は、ネット世界リアル世界との分断が激しすぎて、どちらの世界キャラクターにも全く感情移入ができないことだろう。ネットでは暴れん坊の竜とネット自警団との戦いが続く一方、リアルでは陰キャ女子高生を中心としたラブコメもどきが進行する。

両方の世界の繋がりが緩いせいか、それぞれの世界に登場するキャラクターの行動原理が読めない。「コイツはなぜこんなことを?」という疑問が解けないまま、ストーリーは進行しつづける。

そして、多くの評者が指摘するように、物語の終盤にかけて脚本破綻は顕著になる。児童虐待を受けている兄弟父親から救うために、大人たちに見守られながらなぜか一人で関東へ向かう主人公。なぜか主人公に気圧されて、呻きだす兄弟父親兄弟たちが一体どうなったのかも観客には知らされないまま、さっぱりとした顔つきで故郷に戻ってくる主人公。竜とくっつくのかと思いきや、イケメンの幼馴染といい感じになる主人公なんでやねん!!!

というわけで、本作に不満は多々あるのだが、同情すべき部分もないわけではない。一部で指摘される細田守の「制度」に対する理解の欠如という点だ。要するに、細田作品世界のなかでは、福祉制度無能かつ無責任に描かれてしまうということであるしかし、これは現代日本映画事情を考えると、おそらくやむを得ないところだ。

そもそも物語制度とはあまり相性が良くない。物語は多くの場合主人公決断や行動でストーリーが展開していくし、視聴者や読者もそれを期待する。名探偵コナン犯人警視庁ローラー作戦逮捕されてしまうと、興ざめもいいところである。見ている側としては、コナン君の活躍事件解決するのを見たいのだ。

そういう物語制度との相性の悪さを補うための一つの方法が、制度中の人主人公にする、もしくは制度の中の協力者を登場させるというものだ。

だが、現代日本アニメ映画において、児童福祉施設職員主人公するという選択肢果たしてありうるだろうか。「おおかみこどもの雨と雪」はやや例外としても、ヒット作を目指すのであれば、主人公はどうしても高校生以下でなくてはならない。その縛りが脚本に大きな制約を生んでいる。

仮に児童福祉施設の協力者を登場させたとすれば、ストーリー説得力自体は増すものの、ラストあたりの展開は協力者に解決をぶん投げる形になり、主人公の出る幕はほぼなくなってしまう。それでは、エンターテイメントとしてのカタルシスに欠ける。

では、細田はいったいどうすべきだったのか?

そこで、この映画の最大の問題が浮かび上がる。

まり児童虐待のような現実社会と地続きの問題を登場させるから脚本いびつさが目立つのだ。子ども貧困を描いた新海誠の「天気の子」にも同様の問題が指摘できる。

現実社会には現実社会解決策がある。それを一足飛びに高校生解決させようとするから脚本に無理が生じる。主人公たちを活躍させるためには、制度無能に描き、リアリティを欠いた解決策をひねり出すよりほかない。

から細田守にせよ、新海誠にせよ、作品主人公には大人しく世界を救済させておけと言いたい(それが嫌なら、主人公高校生以下でなくてはならないという縛りと戦え)。

隕石が降ってくるとか、人工衛星が降ってくるとか、そういう超緊急事態を前にすれば制度は実に無力だ。だからこそ、主人公やその仲間たちの超人的な活躍が光るのだ。そして、世界を救うだけなら、より長期的には必要になる制度的(かつ地道な)解決策についても考えなくていい。

というわけで、高校生以下を主人公に据える限りにおいて、セカイ系物語にはそれなりに有用性があるのが理解できたことが「竜とそばかすの姫」を見た最大の収穫だったと思う。

  • 早朝からなんで長文かけるの?朝はぼーっとしないの?朝ごはん食べてる人なのか?

    • 年取ると長時間寝れないんだ… 50も近くなると朝から疲れているのに寝られない

  • 漫画『夏目アラタの結婚』(ビッグコミックスペリオール連載中)の男性主人公は、児童相談所の職員だよ。ちなみに女性主人公は、一審判決で死刑判決が出て拘置所に入っている被告人。

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