はてなキーワード: 奴隷化とは
これは現代の人権意識に照らし合わせても、妥当なことだと思う。
そうなると、私は家族も作りたくない、つまり結婚したくないのである。
それは、家族というものがタイトルに示した通り「愛情の奴隷」そのものだからだ。
家族を作ると、配偶者や子供と呼ばれる人々に、やりたくもない様々な行為をさせることになる。しかも無償で。
適切な金銭保証もなく、配偶者には家事や果てには夜の営みまでを強いて、子供には学業や果てには社会の歯車となることまで強いる。
これらを「奴隷」と呼ばず、何をそう呼ぶのだろう。特に子供は出生しなければ、そんな苦労をしなくて済んだのだ。
そして、そんな行為の強制という理不尽さは「愛情」という一言で片付けられる。まさに「愛情の奴隷」とでも呼ぶのがふさわしい。
しかし、私はそれらの行為を希望しないし、それらの配偶者や子供となる人々をかわいそうだと思う。
有名なやつ(GOTとか……あれもう続編出ないよね。あとディスクワールドとか)は省いてます。
あとロマンス系はそもそも読まないので……(ParanormalとかUrban系にそういうのが多い印象)
日本語に翻訳されないであろう、翻訳されても途中で終わるであろう作品を紹介していくよ。ちなみに、ブラッドソングは1巻は素晴らしかったけど、それ以降は急激に評価を落としてちょっとした騒ぎになったくらいである(大袈裟)。翻訳が途絶えて良かったのかもしれん。
今回は作者別に書いてみた
「とにかく饒舌な作家が書く面白いお話。メインストーリーが全然進まないし、主人公にイライラするけどそれでよければどうぞ」
1巻は大評判。2巻は(まだここまでしか出てないはず)同じく大評判と思いきや賛否両論で「なんじゃこりゃ」となるかどうかは読み手の心の広さ次第か。
個人的には3巻出たら読むけど、2巻が出る前ほどは期待していない。
ジムブッチャーといえば、ちょっとだけ翻訳された「ドレスデン・ファイル」で有名(でもない?)だけど、割と正統派のComing Of Ageものを書いていることはあまり知られいてない。
それがこれ
特徴的なのは「Fury」と呼ばれる精霊的な存在。Furyには弱々しいものから強大なものまで存在していて、人間はFuryを日常生活や戦いに使役している。この世界の魔法的を具現化したような存在。
ちなみに、アーバンファンタジーというと、ドレスデン・ファイル(Dresden Files)やDaniel Faust、Mike CareyのFelix Castorみたいな男主人公+地獄+魔法+サキュバスという構造になりがち。
その中では「Rivers of London」は英国風味をうまく使って差別化できているようだ。
Dresden Filesはもう17巻まででいて、流石に途中で「もういいかな」ってなったりするので一気に読まない方が良さそう。
ホラー風味の Inspector McLean シリーズとかある
そうそう、なぜか死神やネクロマンサーが絡むとコメディになったりする傾向あり。
Neil Gaimanは翻訳もされてるし別枠だと思うのでここでは省略。
現在3冊出版されていて、最後の3冊目から8年経ってようやく今年4巻目が出版されるらしい。ほんとかな?
ちなみに、3冊目までは読んだ。面白いんだけど、ちょっと人を選ぶかも。「大人が大人のために書いた本」というよりも「大人になりきれない中年が同好の士のために書いた」そんな雰囲気のシリーズ。まだ作者40代なんだけど。
批判する人の意見を読んでみると「普通に人間の男女が出てくるけど、小さい女性が大きな男よりも力が強かったりしてリアリティが気になって意見を言うと作者に『この世界はそう言う世界だ、気に入らないなら読むな』とか言われる。多様性とかフェミニズムに気を使ってリアリティがなくなった世界観」とか言われている。
まあ、同感。
「誰それ?」が普通の反応であろう。もしくは「Expanseの作者?」か?
非常に渋い大人のファンタジーを書くんだけど、GOTのコミックブックとか映像化されたExpanseシリーズとか、儲かる仕事をしちゃってるのでもうファンタジーは書かないのかもしれない……
魔法使いが「Poet」と呼ばれる世界。コンセプトを擬人化して奴隷として使う。意味がわからないと思う。例えば「Seedless」は敵の国の綿花が種をつけないようにすることができる。もちろん他にも色々応用が効いてしまう。ただ、擬人化したコンセプトは寿命があり、いずれ死んでしまう。死んでしまったコンセプトをもう一度擬人化することができない。
派手な魔法合戦とかではなく、奴隷化されたコンセプト(?)の悲しみとかがリリカルに描かれた佳作。
「誰それ?」が普通の反応であろう。
複数のPOVから語られるけど Kellhus という人が中心人物。
世界から孤立した教団で教育を受けた彼は、下界に出て行方がわからなくなった父親を探す旅に出る。Kellhusは、ロゴスを追求した結果、感情などを持たないロボットのような男。
第1巻のタイトル「The Darkness That Comes Before」はKellhusのメンターの以下のような言葉からとられている。
“The thoughts of all men arise from the darkness. If you are the movement of your soul, and the cause of that movement precedes you, then how could you ever call your thoughts your own? How could you be anything other than a slave to the darkness that comes before?”
“what comes before determines that which comes after”
インセルと脱コルは、かたや「性的パートナーを得られないという不満」でかたや「性的に搾取される不満」という一見正反対の不満を抱えているようにみえるが、根っこは一緒だと思う。両者とも「自身を奴隷化して苦しめる存在(奴隷の主人)」を、履き違えてるように見える。
たぶんインセルを本当に苦しめているのは己の「性欲や自尊心は性的パートナーの獲得なしには満たせない」という思い込みであり、脱コル論者を苦しめているのは己の「性的価値のない女には意味がない」という思い込みである。
インセルが素直に恋人欲しいな頑張ろ!とかオナニーで気持ちいいやり方考えよ!と思えず攻撃性を高めるのは、脱コル論者が化粧はしたい時(すると得する時)だけにしとこ!程度で止まれず泣きながら化粧品破壊などするのは自分の内なる声である「モテない奴は最低」や「ブスは無価値」などの自己強迫観念をすべて「他者からの抑圧」として捉えているからなのではないか?
勿論、恋人いない歴年齢はダサいとか、ブスは無価値だとか言う悪い人はいる。内なる自己強迫観念だって、そういう人に関わってしまった故に育ったという側面も大きいだろう。しかし、それらの悪い人は絶対権力を持つ奴隷のご主人さまなどでは決してない。本当のご主人さまはきっと、己の抱える肥大したコンプレックスなのだ。
実際に、インセルたちはネットで何時間も「俺の顔のここが悪い」と嘆いたり整形計画を延々と立てたりし、脱コル論者は脱毛への欲求を抑えるのに多大なストレスを抱えてい泣いたりするときく。普通の人よりずっと、モテや美容にこだわってコンプレックスを育て続けているのだ。彼らはコンプレックスの奴隷となっており、しかしそれに気づかないので幻想の主人を責め続ける苦行に陥っているように見える。まず、自分を苛んでいる内なる声を論破することが必要なのではないだろうか?
人権同士が衝突することも多いってのを勘案してくれ。
世の中はままならないので、増田のような、人権侵害は迷うことなく拒否してよいしそれでうまくいく、って整理では片付けられないのだ。
たとえば要介護者の世話は、家族など周囲の人間が担わねばならんのだが、やりたくもない介護をさせられるってのは周囲の人間の人権を侵害している。
公的にも私的にも扶助はあるが、それでもきょうだいに障害者を持って生まれた辛さ、親の介護の辛さ、みたいな記事がたまにバズるよな。
これは要介護者と健常者の人権がぶつかる中で、妥協点を探って暫定的に今の仕組みになってるわけだ。
なので、仕方ないけど周囲の健常者や国民の税を要介護者にあてがいましょうという仕組み、これが現時点での対処法である。
だが、増田のような考え方では、介護や公共のためであっても、人権制限に繋がるあてがえ論はノータイムで拒否してよい、となってしまう。
要介護者の意見で聞く価値があるのは「私は障害があり要介護者だけど仕事や外出や人間関係を楽しみたいのが本音だ、でもそれには他人に介護を強要する人権侵害をせねばらなんので、おとなしく家にこもることを選ぶよ」という内容だけだ! なんてことを誰かが言ったら、現代社会では賛同されづらいだろう。
そして増田の、弱者男性の意見で聞く価値があるのは「ぼくは女性とのコミュニケーションが欲しくて苦しいが、その苦しみの解消には女性の人権を侵害せざるをえないとわかってるから、おとなしく苦しみつづけることにします」ってタイプの弱者男性だけだ……という態度はこれに近いのだ。
それ自体もまずいが、もっとまずいのが、増田の主張の危うさに気づいていいはずのブコメ聴衆さえも、増田は道徳的で素晴らしい考え方をしていると褒めまくってしまうことである。
弱者男性の生きづらさが認めてもらえないというのは、誰か一人が偏った意見を言うってこと以上に、それを客観的に聴いているはずの大衆までもが無自覚に弱者男性に辛さを押し付けてるってことだと思うぞ。
俺の論をもう少し詳しく説明しよう。
弱者男性論の中でも、異性恋愛部分で揉めやすいのは、わかりやすく人権同士が衝突するからだ。
周囲の人間の自由意志を尊重することと、キモいとされる男性が異性とのコミュニケーションを得られず孤独に苦しむのをを救うこと、その両立が困難だと判明してきたからこじれているのだ。
(多くの人間または男性の心には、性的対象とのコミュニケーションによってしか埋まらない大きな飢えがあり、非恋愛の友人関係では満たせない、という仮定はとりあえず正しいとする。その真偽は心理学者などが長い時間をかけて研究せねばならないだろう)
箇条書きにすると、以下のようになる。
・だが、悪意がなくても他者に不快感を抱かせがちな上に改善困難な人間は存在し、その代表がキモくてカネのないおっさんのような弱者男性である。(女にもそういう存在はいる)
・よって、他者に不快感を抱かせる弱者男性は、諦めて孤独に暮らすべきだ。
・いや、それで本当に倫理的にいいのだろうか?
繰り返すが、弱者男性の人間関係についての話は、介護や障害者支援と近いんだよ。特に、支援が進まない精神障害の問題。
接触すると周囲の負担になりやすい人間をどう扱うか、という問題だ。
要介護者を厄介者みたいに言うのはかなり危ういんだが、実際のとこ、厄介者(とされちゃう人)をどう包括するかを真面目に考えることで社会や福祉は成り立っている。
現在の日本では、家族の扶養義務とか、介護ビジネスへの補助金とか、福祉とか、障害者雇用義務とかで要介護者に対処している。
たまたま家族に要介護者がいるからってその世話をさせられるのは人権侵害ではないか、という論点は当然あるが、今のところ、その人権侵害を一定程度許容してでも、要介護者を社会から切り捨てるのを防ぐべき、という風になっているわけだ。
耳を傾ける意見:「正直異性(他人)とのコミュニケーションは欲しいが、現実の女性の意思や人権を制限するなんて酷いことは考えていない」
すなわち、周囲に不快感を抱かせてしまう気持ち悪い弱者男性にもコミュニケーション欲求があるのは納得するが、その援助が周囲の人権を制限しなければならないなら無視してよい、ということになるだろう。
自由意志を制限するべきではないので、周囲が世話をしたがらないなら要介護者は介護される必要なし、弱者男性につきあってやる必要なし。
それで本当にいいのだろうか。
だが、弱者男性と言うカテゴリの中には、精神障害者やパーソナリティ障害に発達障害、さらに障害と健常のボーダーに位置する人間がおそらく結構な割合で含まれる。
また、そのボーダーは時代と共に変化し、歴史の傾向としては要支援の障害者と認定される範囲が広がっているのだから、ワガママで苦しいアピールする人間と正当な要介護者を現在の基準で完全に分割して別物と扱うのは適切ではない。
そして、弱者男性問題を、介護や障害と地続きの問題として見れば、精神障害者への支援の遅れと近いことに気づける。
対人能力や人格や情緒の安定にハンデを抱えている人間に対する扱いは、いまだに相当に厳しい。
障害者支援の代表例は雇用義務だが、精神障害は本当に厳しくて、障害者雇用でも採用されるのはおもに身体障害者だ。
精神障害者の雇用義務ができたのは、驚くべきことに2018年というつい最近だ。(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000192051.html)
精神病院についてのゴタゴタも頻繁に取りざたされる。
今も世の中には、「精神に障害のある人たちも苦しいだろうけど、関わるの負担が大きいし、その負担を強いるのは人権侵害だから、仕方ないだろ」なんて感覚があるのだ。
政策的知識のない俺が具体的なことを考えたってツッコミどころが多いだろうし、そこにツッコミが入りまくると、まるで総論としても弱者男性論が間違ってるような印象を持たれるからだ。
具体策として考えた内容に穴があるからって、総論としての方向が間違ってるとは限らないのにな。
……と思ってたが、「要は公的なカウンセリングと風俗か? それとも奴隷化か?」なんて人が多いので、それ以外の方法として、ACの広告みたいなイメージ戦略なども考えられるよね、とトラバで書いた話を追記として挟んでおく。
弱者男性を「コミュニケーション要介護者」と捉えた場合、その支援は職員が訪問しておしゃべり、みたいな直接的な支援に限らない。
たとえば、コミュニケーション要介護者ともできるだけ親しく関係を持つのがよいことです、というプロモーションを明に暗に打ち続ける。
お年寄りと地域で交流しましょうもたつきは温かく見守りましょう、白杖を持っている人が立ちすくんでいたら声を掛けましょう、みたいな感じでな。
仕事としておしゃべり介護してもらうより、プライベートで友達や恋人が作れたらもっと嬉しいんだし、プロモーションの影響で世間からキモくてカネのないおっさんおばさんに対するイメージがよくなり「自由意志」でイチャコラしてもらえる可能性が増すならよろこばしい。
これは弱者男性に限らず弱者女性もコミュニケーション要介護者に含むことができ、彼女たちの孤独を和らげることができるだろう。
男女問わず、ボダやメンヘラや鬱や統合失調症やアダルトチルドレンや無職の人も友達や恋人やセフレができやすくなるってわけだ。(弱者女性はむしろセックス相手として求められすぎて困ってるみたいな話もあるが)
なにより、社会がお前たちを排除や矯正していくつもりではないというメッセージを出すことで、彼ら彼女らに希望を持たせられるのがいいことだ。
弱者男性の中に反フェミニズムに熱心になる層がいるのは、フェミニズムの声が主に重視されて自分たち男性は相対的にどんどん追い詰められる未来が予想されて不安や鬱憤があるからだろう。
そこを変えて、フェミニズムで女の欲望は肯定していくけど、同時に男の欲望は男の欲望で社会として肯定していく意図があるよ、という雰囲気があればだいぶ状況が変わるのではないか。
もちろんこれは「コミュニケーション要介護者」の不快な振る舞いを、ある程度までは大目に見る風潮を醸成することも目的に含むわけで、不快な振る舞いをされたらハラスメントと指摘すべきという昨今の道徳とは衝突するので常にバランスの綱引きが行われるだろう。
あとはアンドロイドやセクサロイドで代替とかってのもアリかもと思うが、それならそれで、真面目にその方向の技術振興をしましょうという政策議論に繋げるべきだ。
「50年後か100年後にできたらいいよね~科学の発展に期待だね~」じゃなくて、それを少しでも早められるよう本気で向き合い、技術や金を使うために協力してほしいんだよ。
(追記ここまで)
まあダラダラ書いたけどさ、とにかくこういうことよ。
健康で文化的な最低限度の生活のためには周囲に負担を強いることが必要になる、広い意味での「要介護者」は世の中にけっこういる。税金を利用する全員がそうだとさえいえる。
人権侵害は絶対拒絶すべきという考え方をすると、周囲の強制負担も認められないということになり、その「要介護者」たちは見捨てられることになってしまう
現代では、人権同士が衝突する場面も多いとわかってきたのだから、その中でどう折衷していくかが大事だ。
そのためには、人権の侵害は議論の余地なく即却下、という素朴で潔癖な姿勢は話が進まなくなるので良くない。
このさい、弱者男性論はさておいてもいいや。
現代では人権同士がぶつかりあってるので、「人権は絶対守るべし。そしてみんなの人権を同時に守れる方法はある」とシンプルにいかないことはわかってくれや。
進んで差別したい訳でもないが、関わり合いになりたくない。その位には嫌い
ゲイに告白されて断ったけど、それが気持ち悪いし、変わらず友人面してくるのも気持ち悪いし耐えがたいから、遠ざけていたら
「お前なんか、あいつに冷たくない?」って友人に聞かれて、「好きだから付き合ってくれと言われたけど、キモくてしゃあないから避けてんの」って答えたらダメだという。
じゃあ何?俺はホモに告白されても、何食わぬ顔で友達付き合いしなくちゃだめだし、友達付き合い出来ない時は、黙ってコミュニティと縁切れって?
「個人的な事情でさ・・・」なんて、ぼかした理由で答えても、自分が所属したグループと距離を置く羽目になるだろ?
俺はホモのために自分が痛みを覚えるのは、絶対に嫌だし、それを押し付けてくる「差別」という圧力が我慢ならない。
黒人問題もそうだ。今まで差別されてきた、奴隷化されてきた過去がある、それは分かる。痛ましいね。
でもだからって、今現時点で、普通に生きてる白人の家に火をつけたり、商品を強盗したりしていいのか?
それをデモといったり、正当な抗議扱いしてるのが許しがたい。
お前らは黒人だの白人だ野の前に、犯罪者で裁かれるべきゴミ屑である。
アファーマティブアクションだのいって、普通に成績がいい白人学生よりも劣る黒人のための枠が用意されていいのか?
一方でアジア人が増えすぎたからって、アジア人に対してのみ異様に高い壁を設定していいのか?
現実として、国際法も守らない、2国間の合意を反故にしようとする。
自身の差別的ジェスチャーをごまかすために、あろうことか他国の旗に文句をつけだして国民全体が発狂し始める。
そういう、普通に考えたらお前ら頭おかしいだろ?って怒りを持って、それを「朝鮮人おかしいだろ?馬鹿じゃねぇの?道理が通じねぇし、近寄りたくないわ。キモ」
頭おかしい奴らに、お前ら狂ってるわ、と言わせない。差別とかいう圧力には吐き気がすんね。
採用を制限しろとか、法的に規制しろとか、ひっそり生きろとか、そういう差別を望んだりはしない。
だけど、特別な配慮を要求してくんな。我慢と損害を受け入れる事を要求してくんな。
正当な行動や、普通に湧いてくる感情を、お前らの為に抑制しようとするな。
それを普通に求めてくるから、邪魔だ。失せろ。お前らなんぞは嫌いだね、としか言えないんだわ。
道を歩いている時に、急におっさんが裸になって下半身を見せつけて来たら、そのおっさんの頭を手持ちのショットガンで打ち抜いて身を守る行為には正当性がなきゃおかしいだろ。
そら過剰防衛と言われて問題にはなるだろうけど、普通に生活してて不快極まるものを押し付けてきてくるから、それを全力で跳ねのけるのも同じ。
過剰防衛になるケースがあったとしても、身を守る事そのものは与えられるべき権利だ。
黒人だの、LGBTだの、朝鮮人だの、こちとら気にしたくてしてんじゃねぇんだよ。
お前らが人間として普通の権利を持つ事には、全く反対しないし、同性婚でも何でもすればいい。黒人女性が大統領になるのも素晴らしい事だ。
お前らが望むのは「家畜人ヤプー」の世界、或いは男が滅び去った逆「セイバーマリオネット」の世界なんだろうから
母体になれる女だけでも、遺伝子改造で1人で孕めるとか、半陰陽の身体になるとか、クローン生成するとか出来るんだろうし、ってかお前らそういう研究してるんじゃないの?男大嫌いなんだし
だから男を知性減退させる遺伝子改造して動物に貶めて、家畜や奴隷にすりゃいいだろうが
男という存在そのものを抹殺するために大量虐殺すりゃいいじゃないか
イケメンがほしいならロボットだってあるだろ、愛玩用イケメンクローンだって作ればいいだろ、男が汚いリビドーを解決する為の創作としてよくやってる手段だけどな
要するにお前らフェミニストが望むことがそれなんだろ?男を全て血祭りか、男の権利を可能な限り奪い去って奴隷化か、全人類の男性の去勢が目的なんだから
口開きゃ「男が悪い」「原因は男」なんだからさぁ、なら徹底しやがれ、さっさと男だけを殺す兵器でも作成して虐殺しろ、政権取るだの何だのして男を潰す法案を世界に発布しろ
出来るだろ?やれよ、女ども、男が嫌いなら倫理すら越えられるはずだ
https://github.com/php/php-src/pull/5685
この変更は https://go-review.googlesource.com/c/go/+/236857/ にインスパイアされたもので、whitelist/blacklistを全てallowlist/blocklistに置き換えるものです。
大半の変更は内部的なものですが、2つだけ例外があり、RFCが必要です。
(略)
これに33のサムアップ、8のハートが付いたがそれ以上に否定的な反応が多く57のサムダウン、1つのうーんフェイスが付いた。煽りに煽った返信もたくさん付いていてそれが面白い。
市民運動には賛成します。しかし後方互換性のない変更をプログラミング言語に追加するのは反対です。開発の基本方針を忘れてはなりません。
荒らし返信見るのが悲しい
もとのリンクを見てない人のためにどうぞ:
これらの用語のテック業界での使用についての議論はこれまでたくさんあった。
ここでもう一度同じ議論をしようとしているのではない。これらの用語で傷つく人がいることは明白である。技術的な理由でなく歴史的社会的な文脈の理由で歓迎されないと感じる人がいる。これだけの理由でこれらの用語を置き換える理由としては十分だ。
いずれにせよallowlistとblocklistの方がwhitelistとblacklistより自己説明的だし、この変更にかかるコストは負だ
指摘があったように、私は市民運動には賛成するがこれらの単語の除去は大きな影響があります(後方互換性の破壊)。
面白いのはこの用語を変えようというのが単に「黒」「白」を人種差別的な意味を含まずに持っているだけという理由であることです。結局は我々はこれらの単語を除くことで、新しい差別用語を「創造」してしまっています。
allowlist/blocklistの方が説明的であるのでより良い用語であるということに賛成します。これを踏まえてなお、blacklistとwhitelitsを差別用語と呼ぶのは単純に間違えています。
まず、blacklistの語源に黒人は一切関係ないです。さらに、これが黒人に対して攻撃的な意味で使われたことは一度もありません。この単語が攻撃的であり差別的な含意があると見せかけたいのはある特定の極端な非黒人の集団だけです。これは中国の服を中国人以外が着ることが攻撃的であると考える人々と同じくらい馬鹿げたことです。
黒という色は多数の文化において否定的な意味合いを持ちます。これは全ての単語を狩り落とすのは不可能で無意味なほどに埋め込まれていています。
まずはある人々の集団のことをblackと呼ぶのをやめましょう。色が先、人種は後です。色はイメージに結び付けられており、変えることはできません。
あなたに完全に賛同します。黒人、白人をアフリカン・アメリカン、イングリッシュ・アメリカンと呼ぶことを提案します。近視眼的な思考はやめるべきです。これはただの言葉狩りです。
抑圧された人々を代表して声を上げることはだいたいの場合は正しい行いです。良心の行動、美しいです。しかし、それも時々は無意味でありただ不必要な混乱を生むだけです。私はもし誰かが「ホワイトハウスは白人至上主義のシンボルだ!」と叫べば笑うでしょう。もしホワイトハウスを塗り直したいのなら、どうぞ。そして世界を救ってください。
99%の単語は差別から来てる。もし単語がどのように構成されるかのレシピが与えられて、あなたがそれを否定するなら、あなたは一度一歩下がって、どうして事実を信じたくないかということを考えるべきだ。
しょうもないなあ
黒人の俺が断言する。ブラックリストが差別的とか言ってる奴は全員バカだ。
まずブラックリストという単語は黒人差別から生まれたものではない。黒人の奴隷化や黒人差別が問題になる前から存在する言葉である。ググればすぐ分かる。
黒に悪の意味があり白に善の意味があるのは当たり前だ。人間が夜行性動物じゃない以上、夜には闇を感じ、闇は暗く、暗いのは黒い。闇から天敵が出てくる恐れだってある。闇と恐怖は深く関わっている。黒という色が否定的な意味を持つのは英語に限らずあらゆる文化圏・言語に見られる普遍的なものだ。これを変えることはできない。
黒人という呼び方がそもそもバカが本質的ではない言葉狩りを始める原因だ。黒人に嫌だと言われたからブラックリストという言葉の使用をやめたとかいう奴もいるが、それはその黒人がバカなだけだ。お前は穢多だった人にエタノールが差別的と言われたからってエタノールを改名しろと叫ぶのか。勝手に自分に結びつける穢多がバカなだけだと思うだろう。
ホワイトハウスはどうなんだ。ホワイトハウスはただ白いからホワイトハウスなだけだろ。ホワイトハウスを見て白人至上主義を思い浮かべるのは人種差別者のバカだけだ。黄色信号はどうだ。お前ら日本人を含む黄色人種がイエローと呼ばれてる時があったが、それを理由に全部の信号の色を変えろと言うんだろうな。イエローカードも一緒だ。イエローカードは黄色人種への差別なのか?
黒色が否定的な意味を持つのはどこでもそうなんだから、黒人を黒人と呼ぶのをやめることに目がいかずに本質的ではないブラックリストなどに目くじらを立ててる奴は全員バカだ。お前が差別主義者だ。ブラックリストより分かりやすい単語があるからそっちを使うというのは理に適っているが、ブラックリストが差別表現であるというのはバカと差別意識の丸出しだ。いい加減にしろよ偽善者ども。