はてなキーワード: 大元とは
しかしその特定痴漢に対して仕返しをし損ねたのでその後もずっと恨みをため込んでいる。
その恨みをより広い相手にぶつけて受け止めてほしがる。
しかし主語デカ発言でお気持ちを受け止めさせようとする人に対し、人間はあまり優しくない。
そしてそういう精神構造には際限がないということを多くの人が人生のどこかで自覚しているから。
新卒で入った会社で職場全体のストレス源になっている物凄いモンスターお局様と遭遇し、意味不明ないじめを受け、
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」という一般論をネットに何度も書くようになった。
私はせめて当該お局様のみを憎むべきであったのに、
社長のコネで引き取られていてアンタッチャブルなそのお局様に誰も対処できなかったフラストレーションから
「高齢独身で働いている女性」という風に対象レンジを拡大し、無関係な人達に八つ当たりをすることで留飲を下げていたのだ。
小島慶子さんにしても、
大元は何かまっとうに憎むべき相手と理由(体験)があったのだと信じる。
けれども対象拡大主語デカ発言とそれをしてしまう自分の精神構造とを検討して戒めることがなかったために、
八つ当たりで広範囲に嫌な思いさせることを狙うのがすっかり癖になってしまっているように見える。
自分の身にたまたま起きたことを一気に社会問題にまで拡大してくれるから。
そして同じ精神構造の同じ性格の人間が同じ理由ですでに集まっている。
そうして、仲間と一緒に主語をデカくしながら特定属性に範囲攻撃をし始めることになる。
自分の恨みや無念を無関係な人にも横暴にぶつけていける攻撃の実感と権力感で快楽が発生する。
このような時、社会思想の仲間というのは実はただの八つ当たりを好む性格同士の仲間だ。
個々の体験を共有するために乱暴な抽象化を行い、主語のデカい属性への攻撃で合意する。
何かの問題解決ではなく、本来の恨みへ復讐することですらなく、もはや八つ当たりの快楽自体を追い求めている。
男一般を凄く憎んでる女の集団がフェミニズムとかリベラルとか言われていても
でもどちらも「個人の恨みを八つ当たりにまで拡大してしまうことを自分に許してしまう性格」という同じタイプの人の集団で、
これについては保守とかリベラルとかはあまり関係がないと思う。
こういう主語デカ八つ当たりが好きな人というのは明らかにいて、そういう発言を多くしたりいいねや☆を付けたりしている。
野蛮な時代だとこの種の性格の人は「女は劣等」とか「朝鮮人は劣等」という”社会思想”に多く隠れていたんだけど
それは差別だとわかりやすいため不当さを批判されるようになり気分よくなれなくなってきたため、
今では「男は害悪」とか「日本人は劣等」という”社会思想”にも潜むようになっている。
これはその人達の性格の問題であって、本来の社会思想の問題ではない。
どのような思想であっても、主語デカ八つ当たりの快楽を求める性格の人が入り込む。
これ自体は社会の問題でも思想の問題でもなく、個人の性格の問題なので、
そう言う性格の人が自分で自分の精神構造に気付き、性格を戒めてやめていかなければいけないのだ。
本来の社会思想の人か、八つ当たり快楽追及者かの見分け方として、
人を助ける活動を地道にやることに重点を置いている人は前者の可能性が高まる。
右翼であっても私財を投じて日本人の子弟を扶けようとか援助しようという人間は立派な性格だし、
左翼であっても自分の頭と体で貧困者の面倒を見て汗を掻いている人間は立派な性格だし、
一方で「敵対陣営に嫌な思いをさせること」ばかり楽しそうに追及している人は右翼であれ左翼であれ尊敬しにくい。
痴漢については満員電車を減らすことと監視カメラを増やすことぐらいしか現実的対策がないと思う。
せめて小池百合子知事を憎む…のではなく強く働き掛けを行うことで実現に向かっていくことが建設的態度ではないかと思う。
このような現実ベースの話で異論討論が起きているのをあまり見たことがない。
しかし気持ちについては個々人が自分で解決していくしかないものだ。
自分の無念とか、それを他人に八つ当たりして受け止めさせたいという欲望とか、
自分自身一時的にスカッとしても、結局憎悪が膨れ上がるし、他人の分の憎悪まで勝手に持ってくるようになるし、
そうして自分が何年も何十年も憎悪と共に過ごすことになるだけだ。
自分のそういう性格を思想のように取り繕ったりしてはいけないし、誰かや社会のせいにしてもいけない。
それは自分の心のハンドルを自分で握らず、程度の悪い何かに預けてしまう行為に他ならない。
pikopikopan 攻撃を楽しむ人間になってはいけないには同意する。ただ一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にする訳にはいかない。
「一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にして済ませよう」
なんて話はどこにもしてないつもりですが・・・。
私は社会思想自体は否定していないということも繰り返し断っていると思います。
負の連鎖を防ぐ側ではなく生み出す側なので区別することが必要だし
当人にもろくなことはないため自分で戒めてその性格から脱却した方がいい
という話をしました。
kincity 性的イシューで「本来なんの関係もない無辜の男性」が「痴漢やクソリプしてくる奴」相手の注意指摘の文言に非常にヒステリックに噛み付いてくる心理について当人たちが認識・分析すべきでは?何故黙ってられない?
個別の事例次第ですが
痴漢について男性全体を巻き込んで非難したり責任を分担させようとしたりする発言については、八つ当たりが含まれており反発があるのは仕方ないと思いますし、それについては八つ当たり発言者が「始めた人」だと思います。
ただしそのような八つ当たり要素が無い発言に対してもクソリプはゼロにならないことは確かです。
dogear1988 増田がそうだった様に、人が傷を癒すにはそうした言動をする期間が大なり小なり必要なのだが、ネットではそれに対する批判が集まる過程で寧ろ反発心を強め、誰も幸せにならない悪循環。難しいね。
個人的には、ネットで情緒的に人とつるむこと自体をやめた方がいいと思っています。
twitterやはてなブックマークなどでは八つ当たり仲間を見つけるのは簡単すぎます。
ああいうアクションは社会を良くしないし、自分の心も良くしないし、
なのに社会思想風看板やのなんらかの大義名分がくっつくと何か立派なことをしてる気持ちにまでなるんです。
skgctom 何で「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」を「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」と言い換えたのだろう。「酷い目に遭った私」はどこへ行ったの?
えーと
だからまさにそれについての話だったんですが
「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」
「ある高齢独身女性に嫌な目に遭わされたので、別の無関係な高齢独身女性を見ても条件付けで嫌な気持ちが起きる」
という事実と自分の心の動きを高度に客観視して把握してますよね。
そういう人なら無暗に無関係な人を攻撃したり八つ当たりしたりしないわけです。
自分の心が無関係な高齢独身女性に嫌悪感を持つのは自分の心の問題であり、対象のあの人に責任の無いことなのだ
とわかっているんです。
高齢独身女性全般への嫌悪の反応を正当化する方へ向かうんです。
「実際結婚もしてない人ってみんな最後はヒステリーお局になるんだよ、嫌われて当然。きもい。迷惑だよねー」とか。
自分の中の恨みとか不快感とか攻撃欲を正当化するために、八つ当たりを肯定するために、
というかskgctomさんは
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」が
不適切な八つ当たりの例であるということは理解してくれているでしょうか?
grdgs 「お前ら攻撃的。お前ら口が悪い」と常々言っている人たちが得てして普通に攻撃的で口が悪かったりするので、そのような鏡がない人たちにも伝わるといいですね。
あなたは日本人に対する差別的発言を(わりと許される空気もあったため)繰り返していたところ
風向きが変わって非難を浴び面目を失った人だと理解しています。
日本人全体を憎悪して差別的呼称を繰り返すというのはやはり主語デカ八つ当たり病だったというほかないと思うし、
そのうえで…
1.「差別発言」を咎められたのを「言い方の乱暴さ」を咎められたというようにすり替える意図であれば感心できません。
2.仮にあなたと同レベルの差別的発言をあなたの”敵”がやっているとしても、それはあなたを正当化しません。
(これはこの文の主旨の主語デカと別の話なので本当に蛇足ですね。)
建設的な日本批判日本人批判をしてくれればちゃんと読みたいと思います。
differential どう対策しても痴漢をゼロにできるとは思わないが、過去と現在の喫煙や飲酒への風当たりの変化を知るオバハンは、痴漢もっともっと風当たり強くなって良くね?とは思う。喫煙者より無条件に嫌われるべきと思う笑 ブコメ見た感想 知らんけど 無自覚バイアス
痴漢は誰に聞いたって犯罪者であって、喫煙や飲酒より社会から甘い扱いを受けているということはないと思うのですが…。
また「喫煙者が無条件に嫌われるべき」というのも危ういものを感じます。
私は喫煙者の健康被害の観点から煙草は社会からなくなる方が良いと思っていますが
問題解決ではなくあなたが何かを憎悪して快楽を得たいだけに見えるので与したくありません。
既に明確に犯罪者である痴漢をさら憎んで風当たりを強くする(これ以上どのように?)ことで問題解決になる、という不思議な主張も
あなたのシラフの理性が言わせているというよりは、やがて抱えきれずに誰かに八つ当たりを始める攻撃心の萌芽のような気がします。
私の主観のみを元にしている稚拙な考えではありますが、公開することによって補強あるいは反証されるといいなと思って書いています。
差別:被雇用者もしくは求職者が、属性で区別され不利益な取り扱いや不合理な格差を受けること
就労において差別が行われているという話を耳にしますが、常々つじつまが合わないと感じていました。
雇用とは、雇用することによって売り上げをあげるもしくは利益性を改善することを目的にしており、能力[^1][^2]のある人間をその能力性以外で差別することは企業の目的を妨げるからです。
差別が全くないはずはありませんが、市場原理によって差別はゆるやかになくなっていくはず[^3]です。
差別されているという声がよく聞こえ[^4]、雇用差別に対するガイドラインが設定される[^5]ほどに差別があるという事実は市場原理に反しているように感じられます。
差別によって利益を得る集団は誰なのかという点について、被差別属性の逆の属性をもつ集団が利益を得ているため差別がなくならないのではないか、という言もみられます[^6]が、これについても疑問があります。
就労差別の主体である企業は、経営者や株主が利益の追求を目的に運営しており、その目的に沿って運用されるものです。
属性は能力を規定するものではない[^7]ので、属性差別を行うことは企業の利益追求を妨げる結果となり、差別によって利益を得る集団[^8]がいたとしても経営者や株主の意見の方が勝ると考えます。
ということは、「差別によって利益が得られる」のではなく、「差別をしても企業に不利益がない」のはなぜか、が正しい問いであると考えられます。
差別をしても企業に不利益がない状況とは、企業と被雇用者を比べたときに被雇用者が強気に出れない状況です。
一般的に、被雇用者が強気に出れないのは人材の需要に対して供給が過剰になっている場合です[^9]。
供給過多により、需要と供給の交点があまりに低い状態で仕事を受けなければならないというのは、市場原理の負の側面に他なりません。
採用に関して考えると、求職者が多い場合になんらかの属性で足切りができればコスト減になり、わずかながら利益が出る、とも考えられます。
人材が供給過多であり、企業が自由な基準で求職者を選択できる場合、能力の低い求職者を属性で選択(足切り)しない理由はありません。
結論として、就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生するのではないか、という仮説が導かれます。
"性差別" や "障害者差別" などの属性差別はこの問題の側面にすぎず、個々の属性差別を無くしても大元の原因を絶たない限り別の差別が生まれるであろうと予想されます。
「就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生する」という仮説を検証するための以下の手法を提案します。
差別発生件数や給与などの待遇を、能力や属性別に比較することで、差別が能力に対して行われているのか属性に対して行われているのか明らかになります。
求人倍率や人材の流動性をもとに、業界ごとに人材の供給量を比較することで、人材の余っている業界、足りない業界を算出します。
人材の余り度合いと差別の発生件数が相関すれば「人材が過剰に供給されるため差別が発生する」と言えます。
市場原理に基づき、それはない、もしくはあっても少ないと考えます[^11]
その属性をもっていても能力を低く見積もらない企業があれば求職者はそちらに流れ、また競合他社も「差別をしない」という低コストな活動で業績を伸ばせるとわかれば追従するはずであるからです。
なぜそのようなことが起きるのか、能力のある人間を差別しても企業や差別者に不利益にならないのはどのような構造が背景にあるのか、といった点に興味があります。
ぜひ状況を教えていただければと思います。
質問に対して答えると、そのような状況は0にはならないので体験談が数件あっても反証にはならないと考えます。
しかしあまりに多くの声がある場合は、「能力のある人間を差別しても企業や差別者に不利益にならない構造」をもとに問いを考え直す必要があります。
結論で述べたように、本稿は「就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生する」という仮説を提唱しており、本来ならタイトルもこの一文にすべきですが、長い本文を読まない人を呼び込むのではないか[^12]と考えて多少無難なタイトルにしています。
この考えが正しいとした場合、被差別対象から脱出するには専門性をつける、あるいは既にもっている専門性を活かせる職に就けばよいということになりますが、その解決法では雇用のパイが変わらないため被差別対象は減りません。
根本的に解決するには、全ての被雇用者が雇用主に対して強気に出れる状態になる、つまり「生活のために働かなければならない」という構造を変化させなければならないのではないかと思います。
「生活のために働かなければならない」とはつまり市場原理の前提である「社会の構成員皆が働かなければならないだけの需要がある」とイコールであって、私はこの前提は既に崩れている、つまり「社会の構成員全員が働かなくとも、健康で文化的な最低限度の生活を送るだけの供給を保てる」と考えています。
今回のコロナ禍で不要不急の経済活動がダメージを受けたことにより、この前提の崩れが明確になったとも感じていて、市場原理の次の理念が世界のどこかで生まれるのではないか、と期待しています。
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^1: はてな記法の二重丸カッコが脚注になりませんでした。どのように書けばよいのでしょうか?
^2: 能力とは、売り上げをあげるもしくは利益性を改善することのできる能力、もしくはその見込みのことを指します
^3: 雇用差別がゆるやかになくなっている過渡期であるためまだ差別が残っているのだ、とも考えられますが、どう検証すればよいかわからないためここでは扱っていません。要検証
^4: 差別されているという声がよく聞こえる: 私の主観です。要出典
^5: 公正な採用選考に向けて - TOKYO働くネット など
^6: 被差別属性の逆の属性をもつ集団が利益を得ているため差別がなくならないという言がみられる: 私の主観です。要出典
^7: 属性は能力を規定するものではない: 大変に議論の余地があります。個人的には、業界と属性を絞った局所的に見れば属性は能力を規定すると考えています。しかし全体として見た場合、「属性は能力を規定するものではない」としてよかろうという前提のもと本稿は書かれています。
^8: 差別によって利益を得る集団: 経営者や株主とは一致しない集団を指します。なぜ一致しないのか説明はつけられると思いますが言語化できていません。
^9: 一般的に、被雇用者が強気に出れないのは人材の需要に対して供給が過剰になっている場合: 一般的かどうかは分かりませんが、後の展開を書きやすくなるので…要出典
^10: 検証法の提案: 検証にかかる前に、仮説が成り立っているかどうか、"要出典"の部分を埋めてください
^11: 筆者が市場原理、ひいては個々人が利己的に活動することを期待しすぎている感はあります。ありますが…代替になるモデルなしには議論を進められないのではないでしょうか?
^12: 本文を読まずSNSシェア99割 米研究 これは嘘ニュースです - 虚構新聞 私はまた虚構新聞が謝罪する流れになると思っています
任天堂の包括許諾の対象にいちからが含まれたことをきっかけにVtuberの無許諾ゲーム配信について炎上が起こっている。
企業として無許諾配信を認めたカバーのホロライブがその主な矛先になっている。
その流れの中で、ホロライブ所属の戌神ころねが収益化をオンにした自身の配信でSCP-173を映したことがちょっとした話題になっている。
このSCP-173の権利関係については何となく知っている人も多いと思うが色々と複雑な事情がある。
芸術家の加藤泉氏から非営利目的であることを条件に消極的認可を得た上で作品の二次利用を行っているからである。
そして加藤氏はこの件について直接問い合わせが来ることを望んでないので、SCP財団が代わりに対応を行うことがルールになっている。
元々はVtuber界隈の炎上騒ぎだったが、前述の戌神ころねの件を加藤氏に直接通報したと自称するものが現れたことで一気にSCP界隈も巻き込んだ問題になってしまった。
SCP界隈的には戌神ころねの行動も問題だが、それ以上に加藤氏に直接迷惑が及ぶことでSCP-173の認可が取り下げられることが最悪のシナリオだからである。
なのでこの件についてSCP界隈の人からは「センシティブな問題だから部外者は黙ってろ」という旨の発言をされることが多いように見える。
これについて、気持ちは分かるもののさすがに傲慢な態度に感じる。
SCP-173の問題はある意味界隈が抱える巨大な脆弱性である。
その上で何とかそれをケアしながらSCP Foundationという価値ある文化を守るためにライセンスが整備されてきた歴史があることはもちろん分かる。
だが、それは他の界隈の人間にとってはどうでもいいことかもしれないことを理解するべきだと思う。
SCP Foundationの文化的価値を共有していない人間からすればそんな脆弱性を抱えてる方が悪いというだけの話にしかならないだろう。
この件を騒ぎ立てている人達の目的は恐らくホロライブ側から何らかの説明がされることだと思うが、今のところそのような動きはない。
その状況で権利者への通報という有効そうな手段があり、法律上もそれが正当化される場合に界隈の事情なんか無視してそれを行うのは(モラル的な良し悪しは置いておいて)その人の立場で考えれば十分理解可能な行動だと思う。
その状況で反感を買うような態度でSCP界隈の事情を押し付けて対立するのは完全に逆効果だと思う。
下手すればむかついたからむしろお前らが困ることをやってやろうという発想になりかねない。
必要なのは、騒いでる人たちに権利者に通報しても意味が無いと思わせることである。
つまり、SCP財団がこの件についてホロライブ側にしかるべき対応を行い顛末が報告されるように既に動いていると説明をする必要があるんだと思う。
もちろん、これは結局のところ正義を振りかざして騒ぎたいだけの人間の要求を飲んでホロライブ側に厳しい対応をとるということでもあるので正しい対応かどうかで言えば正直微妙である。
しかし、ある意味巻き込まれた側が問題の大元に説明責任を負わせて矛先を逸らすのは、自分たちの界隈を守るための手段としてはそれなりに有効だし、少なくとも傲慢な態度で無駄に対立するよりは妥当な対応だと思う。
理性や法としての人権じゃなくて、それの大元とかエネルギー原となっている「思いやりの気持ち」っていうのは、ヒトだけじゃなくて、感情移入できる対象全般に向かう。
ヒト型をしていれば思いやりをより集めやすいが、感情移入できるのであれば、別にヒトでなくてもいい。
猫ってのは、かなりヒトの思いやりを集めやすい生き物なわけよ。
そもそもそうやって可愛がられることで生きていたのがイエネコってものだから。
感情移入する対象を殺した、という話に、ヒトは殺人と同様の感情的反応を示すぞ。
厄介なのは、そういう感情を否定すると、理性のほうも破綻するってこと。
でも最近、ツイステに嫌気がさしてきたんです。
ツイステに、っていうか、ツイステ好きな人に、っていうか。
私は元々、手下の頃にディズニーヴィランズが気になっていました。
でも、あれも炎上しましたよね。一部の人の民度が悪いだけっぽいけど、仲のいいDオタさんみんな結構怒ってて、だから手下が気になるなんて言い出せなかったんですよ。
ツイステももしかしたら仲のいいDオタさんが嫌かもしれないと思ってた。
でも、ツイステがリリースされてからしばらくして、仲のいいDオタさんでもやってる人結構いて、じゃあちょっとやってみようかな…ってやり始めました。
元ネタ知ってる作品、知らない作品ありますが、元ネタ知ってるとより楽しめるなって感じました。
Dオタの友達も元ネタのこんなセリフ引用するんだ!とか、この演出!とか、元ネタ分かるとより楽しいよって言ってました。
当たり前なんですけど、Dオタさん全員がツイステを嫌ってるわけじゃないんですよね。
私は監督生は男だと思ってるんですけど、最初はプラスだけ無理だったのが、最近プラスBまで無理になってきて。
もちろん夢を否定する気は少しもありません。ミュートワード駆使して自衛してるし、好きな人にやめろなんていう気は毛頭ありません。
そのうちに腐も苦手になっていきました。
理由は大体夢と同じです。
ただ、ディズニーの知識も浅く、ヴィランズについても詳しくない私ですが、元々好きだったキャラクターもいるぶん、「ディズニーヴィランズ」に対する思い入れが強く、夢や腐として見られないんだと思います。
私は、女性向けゲームの全てが、乙女ゲームではないと思ってるんです。同じだったらすみません。
登場人物はみんな顔のいい男だから一応女性向けだけど、ディズニーヴィランズが好きなら男性でも楽しめるようなコンテンツであるのをちょっと期待していました。ロイヤルソードアカデミー側でもいいので、女の子のキャラクターが出てくる可能性とかないのかなぁって今でもちょっと思ってます。
なにより、ツイステが女性向けでリリースされたとき、私が一番に思ったのは、「天下のディズニー様も目をつける日本の女性向けゲーム市場、ヤバイな」です。
まぁ二次創作が盛んなジャンルは栄えるイメージがあるので仕方ないのかなとも思いますが、この盛り上がりは異常な気がします。
最近あったことでは、知人がウエハースをコンビニで予約したのですが、それを横取りされるというトラブルがありました。取引垢には注意喚起が回ってくるし、メルカリを開けばバカじゃないの!?と思わず口にしてしまう値段での転売。
ツイステ関係ないヴィランズの商品の説明欄やハッシュタグに使われる「ツイステ」の文字。そのほうが人の目につき売れるんでしょうかね。
関係ないウツボの動画のコメント欄にまで湧いてるって聞いた時は正直引きました。
ちげーよ、それただのウツボだよ。リーチ兄弟はジェットサムフロットサムだよ。だからってリアルマーメイド関連の動画のコメント欄にツイステからとか書くなよって気待ちなんですけどね。
もう湧いてんのかな。
正直、パーク開いてないしトラブルまだ起きる前から騒ぐDオタさんもどうかなぁとは思いますが、実際元フォロワーさんで「(ツイステキャラ)の痛バ持って(そのキャラの元ネタとなった作品のエリア)いきたい!」って言ってる人もいたので、正直誰かはやらかしかねない気がする、って気持ちです。
その方と、その方に「それな」「一緒にいこ!」って言ってる方はそっとブロックしました。注意する勇気はないチキンでごめんなさい。
パーク開いたらジェットサムフロットサムに向かって指差して写真撮ってピンクの加工する人とか出てくるのかな…。まぁそのくらいはいい気がするんですけどね。
あと何が嫌ってツイステ好きな厄介オタク(言い方)って成人済みの方比較的多くないですか?
未成年や中高生ならまだ改心する可能性や希望はありますが、いい歳してこれならもうツイステに対しては変わらないだろうなぁ…って気持ちになる方もいます。
鬼○キッズとは別方向でタチが悪い。
話がとっちらかってきた。
まとめると、
・私はそもそも手下の件で派生からディズニーの世界に入るのは元から好きな人に嫌な顔されそうで怖い。
・元ネタに思い入れがありすぎて、夢や腐で盛り上がる界隈についていくのが精神的に大変になってきた(ファンアタグで腐とか夢描いてる方は本当にやめてほしいです、棲み分けて)
そんな感じです。
Dオタじゃないし、私もまだ若いので今までの炎上は手下くらいしか知りません。
ただ、はたから見たらツイステとかそれを取り巻く環境の今の感じ、ちょっとやばくないですか?
冷静になってください。
?
元ネタ知らないけどこれアニプレックスの作品だから!(笑)って言い切って、ディズニー公式さんの規則を無視しますか?
まだ何も起きる前から、「これはルール違反だよ!気をつけてね!」じゃなくて、「こうなるだろ!これだからツイステは!」って怒りますか?
一部なのはわかってます。わかってるけど、一部が多すぎる気がする。(Dオタさんでちょっとお前…って人はたしかに一部な気がする)
すごい失礼なこと言いますが、ウエハースにそんなに群がって、人のものまでとって、バカみたいな額の転売でも買って…なんかちょっと浅ましい気がしてしまってます。
なんか、この人たちと同じは嫌だなぁ…って思ってしまうことがたまにあるんです。
もちろん、普通にツイステが好きな人がいるのもわかってるし、それにどうこう文句をつける気はありません。
腐や夢にも触れましたが、あれは私のことで、好きなのは全然いいと思います。
ただ、今かなり勢いがあるジャンルってこともあり、熱を持ちすぎてるんじゃないかなぁ…とか、基本的な棲み分けできてない気がするなぁ…とか、思うことがあるんです。
Dオタさん同士でもツイステは自分は好きじゃないけどいいと思う派、好き派、ありえない派分かれてるみたいですね。
汚い言い方で申し訳ありませんが、ツイステがディズニーを汚した!ツイステ民はパークマナーを守らない!!って怒ってるだけの方は、ちょっと頭冷やしてほしいです。無駄に噛み付くな。
それと同時に、ツイステ民はディズニーのルールをきちんと守ってほしい。ツイステの大元はディズニーなんだから、それは当然のことだと思います。特にパークが開いてから、パーク内でのルールとか。
ディズニーヴィランズも枢やなさんもツイステも好きなので続けますが、もっと全体的に落ち着いてほしい。ただそれだけです。
嫌いなら嫌いでいいと思うけど性的搾取とか言うから狂ってくるのでは。あとなんか言い方に一々トゲがあって圧倒的に(ツイステ界隈以外に向けても)敵を作りやすい文章だし。
気になったんだけど増田の言う男性の関係性等々をコンテンツとすると性的搾取になるという観点から見たらそもそも少女漫画だって性的搾取だしディズニーのアニメーションだって大多数が性的搾取コンテンツとなり得るのでは?だって男性だけの世界で興奮(敢えてこういう言い方してる)する性癖の持ち主って近年は結構表立って来たから目立つけど基本的にマイノリティ的存在なわけで男性と女性の関係性、女性同士の関係性に対して思うところがある人間の方が圧倒的に多いのではないかと。男女の関係性とかもろ性の象徴じゃないの?トンチンカンなこと言ってたらすまない。
あとこの先はわかりやすく批判なので気を悪くされるかもしれないんだけどディズニーだって大元の童話へのリスペクトのない改変多数してる二次創作(これはツイステとは違いまさに二次創作、逆に言えばツイステは三次創作)なのになんでディズニーへリスペクトがない!って製作者ディズニーの作品へ言ってるの?そもそもリスペクトしてないところから生み出されたものなんだからそんなのあるわけないじゃんと思う。増田が大元のファンのお気持ち読んで受け止めてようがなんだろうがそこにある事実は変わりようがないでしょ。なんで関係者(=ディズニー)顔してるのか謎。
環Rに対して以下の3条件は同値。
環Rが上のいずれか(したがってすべて)を満たすとき、左Noether環という。上の条件において、左イデアルを右イデアルに変えたものを満たすとき、右Noether環という。Rが可換なら、左右の区別はないので、単にNoether環という。
RがNoether環ならば、R[X]もNoether環である。(Hilbert)
RをNoether環、r∈Rを零因子でも単元でもない元とする。
税務署に個人の持つ全ての口座番号が一括で分かってしまうのがデメリットとしてあるね。
まあ、大元の話題で言えば口座番号全てにマイナンバーを付与するのは現在のマイナンバー制度では無理なんだけどね。
パッと思いつくのでも下記のケースがある。
銀行口座は海外在住でも作れるけど、マイナンバーは住民基本台帳をベースにしているから海外在住だとマイナンバーが貰えない。
貰えない以上、口座番号への付与も出来ないわけ。
法人組織なら法人番号をマイナンバーの代わりに出来るけど、法人格を持たない団体組織の銀行口座の場合もマイナンバーは貰えないし、代替となる一意番号は存在しないため、付与出来ない。
中学一年の頃、クラスの男子に言われた「絵下手だな」という言葉がずっと呪詛のように頭を巡っていた。
当時は確かに「下手」だったが、ずっと絵を描いてきた身分なりのプライドも育ち始めていた私にとって、その言葉はすごく衝撃的だった。
私はその言葉を2度と誰にも言われたくなくて、美術系の高校に行って美大にも進学し今でも細々とイラストレーターをやっている。
この前その苦い思い出と一緒に、ふと、それよりも昔のこと、小学校卒業間近の記憶も蘇った。
写生会でクラスのみんなが描いた絵が壁一面に貼り出された時、一つの絵があまりに「下手」で、それを指差して笑っていた記憶。
その瞬間理解した。もしかしたらあの「絵下手だな」という言葉は、彼なりの私に対する報復だったのではないか。
私はその記憶をこの歳になるまでほとんど思い出すことはなかったが、彼の中でもまた私の邪悪さが呪いのように巡っていたのだろう。
もうずいぶん昔のことだから確かめる術はなくただ推測するしかできないし、本当だったとして私の中でめぐる彼の言葉が完全に無くなったわけでもないのだが。
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ごめん、K君。
この歳になるまで身勝手にあなたを悪者にしていたけど、その大元は私だった。
平安貴族の男性は人前で冠を取って髪の毛を晒すのが裸を晒すのと同じくらい恥ずかしかった。
何故こんな訳のわからん羞恥心が芽生えたのか、おそらく大元はハゲ隠しではなかろうか。
多分帝か何かがハゲ隠しの為に部屋でも冠をかぶり続けた結果があのマナーなのでは。
実際清少納言の父親はお祭りで落馬して冠を落とし禿頭を晒してしまった逸話がある。
おっさんのハゲ隠しを自然に行うために若者達も頭を隠したと考えるのが自然だろう。
戦国武将はさらにハゲへの優しさが過激化し、若者までハゲのように頭髪を剃るようになった。
兜で頭が蒸れないためとか言うが、平民までくまなく流行したのはそれだけでは説明がつかない。
若い頃から頭を剃りあげる事でハゲを隠し、いよいよ無理になった時は出家してツルッパゲになる文化はハゲへの優しさが溢れている。
全ては、ひとまずはこの地球上でしか通用しない。また、宇宙の中に、ひょっとしたら地球と同等の惑星があって、地球と同じ概念のもと営みが進んでいるかもしれない。
しかし、宇宙という概念自体も、ただの概念であって、それを凌駕する何かがあるとしたら。
距離や時間、生物といった概念はなく、我々が理解不能な世界があるとしたら。
我々は子孫を残して次世代に繋げていくが、それは何のためなんだろう。
必死にバトンを繋ぐことをDNAにインプットされてるのは、何かのレースのためとしか思えない。
うまくまとまらない、とにかく、今のこの世界はただの1世界であって、他にも想像がつかない世界がパラレルに存在してて、それらの世界をまとめる大元がいる気がしてならない。マトリックスの世界観とは違うが、強いて言えば、マトリックスのエージェントたちよりも上位に世界がある感じ。
この煽りの元ネタはとある絵師が描いたイラストで、内容はメガネをかけた青年が「すいません、三色チーズ牛丼の特盛に温玉付きをお願いします。」って口にしてるだけのもの
これが元イラスト
↓
https://i.imgur.com/y4hIO4q.png
・このイラストの青年の見た目が地味で冴えないという意味で「陰キャ」の特徴を見事に捉えていること
・注文台詞を早口でボソボソ喋ってそうなこと(後述の流行の経緯から見るとこれは副次的なもの)
こうした理由から主に匿名掲示板で煽りや自虐目的で使われる様になり、そこからまとめサイトを経由してTwitterでも使用される様になり、現在では日本のインターネットのそこかしこでこの画像やこの画像から発展した「チー牛」というジャーゴンが煽り目的で使われる様になっている
前述した様に元々は「陰キャ」の優れた表象として評価された「チー牛」だったが、今ではその立場が完全に逆転してこれまで「陰キャ」が使われていた場面でも「チー牛」が使われることの方が多くなってきた
もはや「チー牛」がインターネット界を席巻しており「陰キャ」はすでに過去の栄光になりつつある
そして俺はこの「チー牛」煽りが苦手だ
説明口調の長文を書く人や対抗言論を述べる人に対してこの「チー牛」煽りは使用される傾向にあるのだが、これって単純に気に入らない奴に「ブサイク」って言ってるのと変わらないんだよ
思い出してほしいんだけど、チー牛が流行ったのは陰キャ→ブサイク→チー牛イラスト→ブサイク→陰キャっていう循環的な連想があったからなんだよ
流行の初期は陰キャを自称する人が「俺マジでこんな顔だわ」って自虐を込めて貼り付けたり、「お前らどうせこんな顔してるんだろ?」と陰キャを揶揄する目的の人が貼り付けたりしてたのが「チー牛」イラストなんだよ
いやだったらそもそも大元の「陰キャ」からしてブサイクを揶揄する意味が込められてんじゃん?って指摘は当然起こると思う
それはその通りなんだよ
でも「陰キャ」にはブサイクだけではなく「根暗」とか「インドア」とか「内向的」っていう意味も含まれてて、そうした「陰キャ」の多義性が「陰キャ」煽りの精神的逃げ口でもあったんだよ
「陰キャ」煽りっていうのはそういう意味で致命的なものではなかった
だけど「陰キャ」から派生した「チー牛」は上述した通り完全に「(早口)ブサイク野郎」って言ってるのと同義なんだよ
これ本当に酷い致命的な悪口なんだよ
逃げ場がないんだよ
「(早口)ブサイク野郎」として世間から肯定的な承認を集める「チー牛」の英雄とかいないんだよ
なのに「チー牛」っていう可笑し味のある語感のせいでインターネットの至るところでこんな危険物が気軽に投げつけられる現在の惨状を招いてるわけ
本当にこれは酷いインターネットだよ