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2021-08-02

きみを愛しただけだったのに

俺には実にクソみたいな未練がある。お前らにはあるか?

未練。

それも。ログインもできなくなったソシャゲトップ画面を、それでも一日一回は習慣のように開いてしまうとか、そういうバカみたいな未練。

そのソシャゲ専用のブラウザスマホの容量が足りなくなってきても消せなくて、機種変したのにまた入れなおす、みたいな。

それで今日ログインボタンを押しかけてどうしても押せなくてブラウザ閉じてでも気づいたらまた同じ画面の前でためらって、こんなことに時間を使うなんてそれこそバカがすることだって思うのにやめられなくて。

やめられないままもう1年も経ってしまった。

俺は、きみを愛しただけだった。

なのにどうしてきみと一緒にいられなくなったんだろう。


俺の愛したきみはとにかく、残念な、と言われがちな人だった。俺からしてみれば、きみに何も残念なところなどなかった。

きみはただ、自分を隠すのがうまかっただけだ。親しみやすく抜けたところがあるように見せかけて、その心の内側に確固たる信念を秘めていただけ。

けれど、ともかくユーザーの多くに残念、と言われることが多かったのは事実だし、本当に惜しんでくれるユーザーもいたとは思うが、その大半が嘲笑を含んでいたものだったことは俺の被害妄想ではなかったはずだ。

なにせけして長くない歴の中で、団を何度も辞めることになってきた。全て同じ理由でだ。

きみを嘲笑することがまかり通っている場所にいるのが、嫌だった。

それでも、すぐに辞めたわけじゃなかった。3回は耐えた。だいたいいつも4回目くらいで団長事情を話して自分でも苦言を呈しては周りに笑われたり馬鹿にされたり嫌な目で見られたりして、それからしばらくして、辞める。

そういう辞め方を少なくとも5回とかしたくらい、きみは大多数のユーザーからすると玩具みたいな扱いをしてもいいものだと思われていた。いや、ユーザーだけじゃない。

たまにストーリーに出てきてくれた時、個別ストーリーの時の、選択肢だとか。あるいは番外の漫画だとかでの表現を見るに、きっと運営からも雑に扱っていいくくりにいれられていたんだろう。オタク特有寒い悪ノリ悪ノリが重なる流れのせいで、それは年々悪化していたように思う。

だって別にきみを過剰に褒め称えてほしいとかそういうわけじゃなかった。ただ、そっとしておいてもらえたらよかった。ヨゴレ扱いされてほしくなかった。そういうキャラクターでしょうと言われたって、きみが何でもないことみたいに笑ってみせるのが得意だからって、馬鹿にされたり無碍にされることに慣れてほしくなかった。

俺の大事なきみだったから、せめて俺にだけでも、大事にさせてほしかった。せっかくのきみの個別ストーリーで、きみを貶めるような選択肢自分が選ばざるを得ないのはつらかった。どんぐりの背比べみたいな選択肢の中からどれが一番きみを傷つけないか苦心して苦悩して選んでも、結局きみを傷つける人たちのひとりになることしかできなかった。

いっそスキップしてしまおうかと思った。でも、どれだけ苦しくてもきみを見ていたかった。

自分のことを少しも話してくれないきみのことを、少しでも知れたらといつも必死だった。笑いかけてくれないか、きみが名前を呼んでくれやしないか。いつだって浅ましく期待してもいた。

そうだ。俺は、いつだってきみに笑っていてほしかった。振り回されることも名前を呼ばれることもからかわれることも、何より幸せだった。そういうささやか幸せで十分だった。

愛する人と穏やかに生きたいと願って何が悪い

俺の、愛しいきみ。

きみは誰より強かった。うつしかった。そして、俺にとっては誰よりも可愛かった。何よりも尊い人だった。世界中無辜の人々のためにそのちからを揮おうと決めて立ったきみが、ずっと眩しくてたまらなかった。

まばゆいきみは空に輝く太陽のようで。あるいは満天の星そのものだった。

いつだってあんまりきらめいていて真っ直ぐだから、汚して引きずり落としたい人間がいるのも理解はできた。

理解ができたとしても、納得したことは一度だってなかった。嘲笑侮蔑もきみに相応しいわけがない。

そうやって不満とか悲しさとかが燻る日々が続いていた。

そんなときに、あの日は来た。

あんもの、見なければよかった。と心底思った。

周りでも憤って、あるいは呆れて辞めていく人間が何人かはいたように思う。思う、っていうのは、あの時の俺は後から考えると全然正気じゃなかったので周りのことなんか正直よく覚えていないからだ。

きっか自体イベントの調整についてだった。俺はその調整が示した運営ユーザーに対する姿勢を知ってから、何かの糸が切れたみたいにゲームに対する気力を失った。

毎日馬鹿みたいに真面目にしていた周回も日課もしないで、ずっとずっと考えていた。

俺のこと。

きみのこと。

どうして俺は大多数のユーザーのひとり、になれなかったんだろう。俺が運営から見たときに客として多数派の層にいたら、もしかしたら送ったご意見が受け入れられたりすることがあったんじゃないか

だっていわゆるメインターゲットに愛された人たちはきみみたいには扱われなかった。たとえ笑われたとしても貶めるようにではなかった。彼らの強さは余すことなく語られて、周りの人々にだってきちんと大事にされていた。ユーザーの大多数にだってヨゴレ扱いされたりしない。貶めてもいいものだなんて思われて踏みにじられることもない。

俺がメインターゲットじゃなかったから、きみは大事にされないのか。

けれど、俺と彼らの愛に何の違いがあるんだろう。

きみを愛していたから、なるべく最速で最終まで開放したつもりだ。

からか、いつだったかお前のランクと歴で最終まで終わってるのはキモイと笑われたこともあった。別にキモくてもよかった。

満天の星であるきみがもっと、誰よりも輝けるようにってその為ならなんだってたかった。だから周回だって天井だってなんだってしてきた。新規衣装が出たときは5垢つくって衣装買ったし相性がよさそうなキャラが出たら天井を叩いてだって手に入れた。いつだってきみをなるべくフロントで出せる編成を考えて少しでも使用率を上げようとして、だからもちろん久遠だって一番にあげたけど、そういうことが全部全部無駄なことでしかなかったと突き付けられたような気持ちだった。

どうやったら、きみのために何かを成せたんだろう。きみを大事にできたんだろう。

自意識過剰だって笑われて当たり前、自分だってわかっている。自分ひとりの行動が運営に対して影響を与えるわけがない。

けれど俺は今もどこかで思ってしまう。

俺はきみのために、もっと何かできたんじゃないかって。

愛が報われないことも勿論悲しかったけれど、きみが報われないこともずっとつらかった。

きみに報われてほしかった。たとえきみがそれを望まないとしても。

俺は結局、きみが理念を語るのを愛せても、きみが語る理念は愛せなかったな。

俺はきみが生きていてくれたらよかった。世界の敵になんかなってほしくなかった。きみが築いてきたすべてなんか俺はいらない。思慕も敬愛も親愛も全部全部きみに向けられたままであってほしかった。きみに成り代わりたくなんてなかった。他の誰よりも、きみに報われてほしかった。

そうしてできたら、叶うなら、傍にいて笑っていてくれたら、それでよかったのに。

あの日から俺は気力を少しずつ失って、きみの為に何もできない自分の無力さに嫌気がさして、目標も見失った。

数少ない友人たちも他ゲーに流れていく日々の中、いつの間にかログインすることさえできなくなった。未練だけ、みっともなく残したまま。

今日だって、結局何度も何度もためらって時間無駄にして、それでログインできないままなんだろう。

ごめん。弱くてごめん。きみの望むような強い人であれなくてごめん。

きみを愛しただけだったんだ。


嘘だ。

俺は、今でもやっぱりきみを愛している。








シエテ。

きみだけを。

今も。

これからも。

ずっと。

2021-08-01

何故『トランスジェンダー』を受け入れないのに『LGBT』には理解を示す女性が多いのか?という話。

まずはじめに

LGBTとは何か?の説明を今更ながら引用させていただきます

LGBT」とは:レズビアン女性同性愛者)、ゲイ男性同性愛者)、バイセクシュアル両性愛者)、トランスジェンダー(性同一性障がい者を含む、心と出生時の性別が一致しない人)アルファベット頭文字を取った言葉

とされています。ここにQueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング)のQも加えて、LGBTQは「性的少数者総称」として用いられることもあります

以前からLGBTに対しては男性より女性の方が寛容的理解を示す人が多い傾向にありました。それを即ち「女性性的少数派に対して一切の差別をしなかった」とまでは言いません。

ですが、「ホモとか気持ち悪い」「お前オカマかよ」など、同性愛者やトランスジェンダーに対して直接的な中傷侮蔑的言葉を浴びせる人は男性が目立っていました。覚えがある人も居るのではないでしょうか。

性的少数派に対して寛容な傾向がある女性

では女性どうでしょうか。上でも書きましたが、傾向の話ではあります積極的レズビアンゲイバイセクシャルトランスジェンダー侮蔑コミュニティから排除しようとする動きは女性にはあまり見られません。

しろゲイやオネエなど性的少数派の人々と積極的に交友関係を結び、性的少数派の人々を理解しようとする女性は昔から数多く居ました。

これは、平均的に女性男性より異性愛規範によらない人々への抵抗感が少ない事と無関係では無いでしょう。

かつて「エス」と呼ばれた女性同士の友情とも恋愛とも取れる強い絆を尊ぶ文化文学がありました。今では「百合」と呼ばれ男性も好むジャンルになっていますが、かつては女性に深く愛された文化でした。

現代でも宝塚歌劇団など、主に女性による女性だけの世界を愛好する女性は少なくありません。例え自身同性愛者でなくても、同性愛に対する理解を持つ女性は決して少なくありません。

それは近頃の男性が忌み嫌うボーイズラブというジャンル女性は古くから受け入れて親しんでいる事からも見てとれます。「愛情があるなら性別など障害にならない」という理解がそこにはあります

トランスジェンダー女性女性用スペース

しかし、最近LGBT界隈で一つに議論されている事があります

それは

トランスジェンダーを自認する女性女性公共スペースを使用して良いのか否か」

というとても難しい問題です。

性自認は本人の認識によって決定される物なので、性自認女性なら肉体が女性でも男性でも「女性」として扱うべきだという考えは近年になり広まってきました。

トランスジェンダー女性とは、肉体的性別男性精神性別女性である方を指す名称です。昔から「オネエキャラ」と呼ばれるタレントさんが活躍してきた事は皆さんはご存知だと思います

彼女達は男性の肉体を持って生まれましたが、自分達は女性である認識していてそのギャップに苦しんでいます

当然公衆浴場やお手洗いなどで同じ空間に居る男性自分達の体をじろじろと見られる事に耐えがたい苦痛を感じていますプライベート場所で異性に体を見られる不快感は、万人が共通する物でしょう。

なので、トランスジェンダー女性公共施設男性用のスペースではなく女性用のスペースを使いたいと願うのは、当然の事だと思います

しかし、「性自認女性なら女性用の公共スペースを使って良いのではないか」というこの願いに、シスジェンダー女性(※)の間でも意見が真っ二つに別れる事になりました。

(※シスジェンダーとは、自分自身認識している「心の性」と、生まれ持った「体の性」が一致している人を指す言葉であるシスジェンダー女性とは自分自身を「女」だと認識しており、サラに生まれ持った性別も「女」である人の事)

「例え性自認女性でも肉体的に男性である事に変わりはない。男性の肉体を持った人が女性用のスペースを使う事は女性に恐怖と苦痛を与える。トランスジェンダー女性女性用スペースを使わないでほしい」

「例え肉体が男性でもトランスジェンダー女性の心は女性であり、女性として認められているのだから女性用のスペースを使う権利はある。それを一方的に拒絶するのはトランスジェンダーに対する差別に他ならない」

一行に纏めるとこういう感じかもしれません。細かいニュアンスなどは色々と異なっていると思うので、気になった方は是非トランスジェンダー女性について調べてみてください。

理解』と『共存』は似て非なる

シスジェンダー女性の中にはトランスジェンダー女性女性用のスペースを使う事に拒否感を持つ人が少なからず居ます

しかし、だからと言って彼女達がトランスジェンダー女性理解を持っていないという事ではありません。肉体の性別関係なく、女性同士良き友人として付き合っている人は沢山居ます

シスジェンダー女性が恐れるのはトランスジェンダー女性の「心の性」ではありません。ジェンダー関係なく、女性を恐れ苦しめているのは「男性」という「体の性」なのです。

そもそもトランスジェンダー女性男性用スペースに抵抗感を抱き女性用スペースを使いたいと願うのも、男性用スペースを利用する「男性」の目線が怖いからという理由があります

精神的には女性だと分かっていても、肉体の性が「男」である人が女性用スペースに居る事に、どうしようもない生理的な恐怖感を覚える女性の数は少なくはありません。

また、自らトランスジェンダーを称し女性用のスペースに入り込み、女性に性暴力を加えようとするシスジェンダー男性がこれから幾度となく現れてるであろう事は想像に難くありません。

そして、トランスジェンダー女性シスジェンダー男性を本人の申告以外で区別する事は現状不可能に近く、親しくない間柄の女性が肉体的男性性自認判別する事は非常に困難です。

トランスジェンダーの難しい立ち位置について多くの女性理解しようとする姿勢ですが、今のところ女性用スペースはシスジェンダートランスジェンダー女性共存出来るほど広くはないのが現実です。

LGBT』を理解し正しい認識を持っていても、『トランスジェンダー』を受け入れる精神的・物理的余裕があるとは限らない事がこの悲しいすれ違いを生んでいるのかもしれません。

出来る事を模索する

トランスジェンダー女性公共施設女性用スペースを利用する権利現在のところ認められていないケースが多い、というのが正直な所です。

その代案として「男性用でも女性用でもないトランスジェンダー用の利用スペースを作ってはどうか?」という物が良く挙げられています

例えばお手洗いならば、利用者性別限定しない多目的トイレが近頃徐々に増えてきています。これは性的少数派の人に対する配慮が行き届いた結果と言えるでしょう。

トランスジェンダーを第三の性として男性にも女性にも分類しないのはそれ自体差別だ」という声も勿論あります

肉体的性別精神性別乖離に苦しみ、それでも自分性別こちらだと選んだトランスジェンダーの人々に「貴方達は第三の性なので既存の性には当てはまりません」と告げるのは残酷でさえあると思います

性別関係なく、性的少数派であるLGBT人達にも生きやす社会を作っていく事が、二十一世紀を迎え20年を過ぎた人類が新たに実現しなければならない課題なのかもしれません。

2021-07-29

オッサンが思うフェミニスト

オッサンが思うフェミニストって

美女特に優しく、けれどおばさま方の機嫌を損ねるような不公平は働かず、いつでも紳士であり紳士からこそ若い美女ものに出来る男性

というイメージなんだ。端的に言って気遣い出来るいい男だな、今の若い子にはイメージ湧かないかもしれないが。

そう言うオッサン若い頃はフェミニスト自称出来るほど気遣い上手になりたいと思ったものだ。

けどいつの間にかフェミニストって

「誰かから不公平を働かれて発狂したおばさまはじめ需要ない層とそれに感化されてしまった残念な層、およびそこに媚びるしかない超底辺男」

っていうなんの憧れも抱けない、どちらかといえば侮蔑対象になるような人のイメージになってた。

進歩したと感じるのは男に限定されなくなった事くらい。

少なくともリアルでは口が裂けても「フェミニズムに傾倒してた」とは言えない。

今も紳士構成するファクターは当時とそう変わっていないと思うが、好感の持てる人物としての一例だったフェミニストは消えた。

指標が減るってのは男にとっても女にとってもいい事ないんじゃないかなぁと考える。

2021-07-26

尊敬していたヲタク低学歴オッサン趣味になっていて辛かったって話

俺は学生時代からキョロ充だったし、今もそうだ。

1人で飯が食えないタイプだ。誰かと同じことをしていないと不安になってしま人間だ。

当時、全く面白くもない『ダウンタウン』のお笑い番組だとか『エンタの神様』だとか、興味もない『ミュージックステーション』を見て、クラスメイトと話を合わせていた世代だ。

トレンドで言うなら、何が楽しいのかわからないけどオリンピック金メダルすごいね!と語るタイプのつまらない人間が俺だ。

現代風に言うと、陰キャ。でも、人と話を合わせることで、なんとか立ち位置を獲得していた。

そんな俺も、アニメゲームは根元から、少し好きだった。

当時はハルヒコードギアス流行っていた。あとはスクールデイズだとか、ひぐらしだとか。とにかくそういうものが好きだった。今より少し、深夜アニメを見ていると公言するには恥ずかしかった時代だ。

そんな俺には、学生時代憧れていたヲタクがいた。

名前を仮にNとしよう。

Nは学活というものを極端に嫌うやつだった。合唱祭の練習だとか、文化祭の手伝いだとか。

「みんな積極的に出ようね」という空気はとにかく読まず、自由参加と銘打たれた活動に一切姿を現したことがなかった。

でも、頭はよかった。5教科の総合成績で、いつも1番か2番になっていた。特定を避けるために詳細は書かないが、とある学問分野で全国的表彰されたりもしていた。

からものすごく嫌われていたと思う。そして、多分Nも俺達のことが嫌いだった。給食時間だとかに、Nが口を開いているのを見たことがなかった。

Nはバラエティ番組の話を一切しなかった。オリンピックの話を一切しなかった。

大衆娯楽というやつを、Nはとにかく見下していたのだと思う。やつは二次元狂いだった。昼休みは常に図書室に籠って漫画ラノベを読んでいた。

なんでそんなことを知っているのかというと、一時期、俺も昼休み中二病にかかって、図書室でラノベを読みに通っていた時期があるからだ。

その行きと帰りの道で、必然一緒になって、Nと話す機会が何度かあった。教室に戻ると、Nはとにかくこちからしかけてもほとんど空返事しかしない男だったので、その道中で話すしかなかった。

Nは話してみると面白人間で、オールラウンダーなヲタクだった。

少しハルヒの話を振ると、Nは「ハルヒは嫌いだ」と前置きをした上で、元ネタSF小説の話を初心者にもわかりやすく、ジョークを交えて教えてくれたし、歴史系の話をすれば、聞いたこともない武将や各時代エピソードを色々と語ってくれた。

アニメ特撮についても勿論詳しくて、押井守批判だとか出﨑統のすばらしさを語って(今思うと彼も中二病だったのかも)、まんだらけに行って原画資料を眺めるのが楽しいと嬉しそうに話していた。

映画も大量にTSUTAYAで借りて見て、聞いたこともないような芸術雑誌文芸雑誌科学雑誌を何冊も買っているようなやつだった。(Nは俺がそれらのジャンルを知らないとわかると、一切その話をしなくなった)

ただ、Nにバラエティオリンピックの話をすると、途端にやつは不機嫌になった。俺は慌てて話題を変えたものだ。

その時に、Nは言っていた。「パチンコだとか競馬だとAKBだとか、ああい趣味にハマっている大人ダメだ。嫌いだ」と。

理由は「他人と同じでつまらいから」だと語っていた。

俺はなんとなく、鼻が高くなったのを覚えている。多分、俺はNの存在に救われていたのだと思う。

きっと、キョロ充である俺が到達するのは、そのような「つまらない大人」に違いないと諦めていたからだ。そして多分、俺もまた人とのコミュニケーションうんざりしていたからだ。

人と同調して中身のない会話をして、なにやら冗談を言って笑わせて。自分のためではなく他人のためのコミュニケーションが、俺は嫌いだった。

俺は無能だったし、人から孤立するのが怖かったから、キョロ充をしていた。でも嫌だった。N以外のクラス人間と話したり遊んだりするのが苦痛しかなかった。

でも、Nは違った。自分能力他人を黙らせて、好きな物だけ摂取して、自由に、生きたいように生きているように見えた。

他人に流されない、気高い孤高の男で、俺はいつかNみたいになりたいと思った。

ヲタクとして、Nはきっとクリエイター評論家になって、多くの人を唸らせるような、美しいもの表現するに違いないとすら当時の俺は確信していた。学生時代コイツ時間を共有したことをいつか誇ろうと算段していたのを覚えている。

前置きが長くなった。

卒業と同時に離れ離れになったNと、先日、俺達は東京で再会したのだ。偶然のことで、たまたま映画館で『閃光のハサウェイ』を観た時、横で限定版のBlu-rayと『夏への扉』のパンフレットを買っていたのが、Nだった。

Nに話しかけ、俺のことを覚えていると知った時、嬉しくなって、うっかり「飯でも食わないか?」と誘った。

しまった」と思った。

Nは、これからハサウェイのBlu-rayパンフレットを自宅に帰って観るのを何より大切にするような人物だと覚えていたからだ。

だが、Nは、「いいよ」とアッサリ快諾してくれた。

それから、近くの店で話して。俺は泣きたい気持ちになった。

Nが、ウマ娘の話を楽しそうにし始めたからだ。

俺もまた、ウマ娘をやっていたので、「推しタキオンなんだよ~」とか、中身のない会話を続けた。

Nは、俺とアイドルライブの話をした。BTSの話をした。オリンピックの話もした。

俺は勝手失望していた。Nは、きっとあの幼き日に、彼が嫌っていた大人のものになっているように見えた。

酒の話、サウナの話、競馬野球の話をする。全てNは自分体験談も交えて応じてくれた。

試しにパチンコの話をすると、ミリオンゴッドとかいうよくわからない機体の話をペラペラと話していた。

Nは、大衆に呑まれていた。低学歴オッサンが好むような、侮蔑するべき酒だのサウナだのパチンコだのアイドルだのの話をしていた。

一番やつが嫌いそうな、バラエティ番組にも、随分と詳しくなっているようだった。

どうしたのだと聞きたくなった。

お前は、俺とは違うんじゃなかったのか。

他人なんて気にせずに、自分の道に邁進して、人の顔色を伺うようなつまらないコミュニケーションは決してしない、そういう男ではなかったのか。

学生時代にお前が探求していたに違いない、美しいものは何処に行ってしまったんだ。キョロ充の俺とは違うんじゃなかったのかと。

孤高のヲタクは、どこにいってしまったのだ。俺は辛かった。そして、その辛ささえもあまり感じなくなっていた俺自身が、何よりも辛かった。

若い日の憧れも、時間社会経験によって、すっかりと洗い流されてしまっていたのだ。だから、きっとNもそうに違いないと思った。

社会は独りで生きていけるようにはできていない。今は特にそうだ。

1億総オタク社会だとか、1億総陰キャ時代だとか揶揄するやつがいるが、それは違う。

今は、『1億総キョロ充時代なのだSNSは、下らないキョロ充を量産するための装置に違いなかった。常にみんなが、人の顔色を伺ってコミュニケーションを取っている。

キョロ充だけれど、きっと充実しているのだろう。だからいいじゃないか、としたり顔大人達の声が聞こえてくるような時代だ。

から仕方のないことだと思った。Nも、「上手く他人と生きる」つまらない人間、否、正しい人間進化したのだと、自分を納得させた。

他人が見たい仮面必死に作るのが、正しい生き方でありコミュニケーション本質である。そして低学歴趣味とは、その本質にとって最高に都合のいい道具なのだから

でも、それでも俺はNに、お前、どうしたんだよと聞きたくなった。

聞きたくなったので、聞いた。正直に、「パチンコとか競馬とかバラエティとか、あと流行りのウマ娘とか、そういうの嫌いだと思ってた」と。

Nは、俺の顔を見て、笑って言った。

「当たり前じゃん。今言ったやつ、全部大嫌いだよ!」

Nの目はドス黒くて、世の中全てを見下していて、それでいて、とても楽しそうだった。

それは、あの日俺が憧れた、孤高の少年の姿そのままだった。

俺は、最高に嬉しかった。その後のことは、あまり覚えていない。とにかく、Nの職業が何なのかは、あえて聞かないで別れた。

何故なら、確信たからだ。やつはきっと、多くの人を唸らせるような、何かを創り上げているに違いないと。

勿論その日、NとLINEの交換はしなかった。

2021-07-24

anond:20210724114520

差別って言ってる奴の方が差別!勢がいるけど、「状況的に明らかにAV男優ではない人をAV男優になぞらえるのは面白い」という認識に立っての呟きなんだから、この発言者が二重に差別してるのよ」

というブコメがあるけど、例えばあの服が作業服ヘルメットみたいな民族衣装だったとして

このAV男優のところに「電気工事士」を代入して、それを面白がっても一般的には差別とは言われないだろう。

電気工事士に対する差別一般的には存在しないのにわざわざ差別と指摘するのは、言った側に差別感情がある場合と言える。

AV男優という呼称自体侮蔑意味がないと本当に思っているならAV男優と呼ぶことは問題ないだろう。

anond:20210724095644

老害化していることに気づけない老害と同じだよ、現金を使い続ける人は。

どこか関係ない国で現金を使いたいって人らがいるんだったら関係ないことなんだけど

いい加減気づいてくれ。

現金硬貨を一枚二枚と取り出して、おつりをきっちりとしたかたちにしたいとか

どうでもいいようなことで時間を使っているやつに待たされている、こっちの存在を。

どんだけ人の時間を奪ったら気が済むんだ?

老害は?、というと言葉が適切ではないか

老害、と侮蔑される人らと同様な世の中の変化に対応する力がないがゆえに

今までのやり方に固執して、それが世の中に迷惑になっていることに気づかず

しろ正当な権利であると開き直るような知能の低いやつらは。

日本を貶めすぎたせいで差別かどうかわからなくなってる人

自分日本人から叩いてもいいやと思って

日本差別してるうちに他国に対する侮蔑普通になってしまっていつのまにか差別しちゃってる人。

反省しなよ。

https://anond.hatelabo.jp/20210723223439

うごく開催のとき

日本は無様をさらしたがわれわれは成功を収めた」

『って中国人はお前たちを見下しておるぞ』

と屈折した侮蔑を吐くアカウントが出てくるので今のうちに釘刺ししておこうな

2021-07-22

逆張りクズはそうやって声明出したら?

逆張りクズ他国他民族差別的侮蔑な態度を取るのは日本政府原爆を気にしないから」

 

ほんま小山田いじめと同じくその人の生き方に関わってくる話だ

 

マッチョマンじゃないしマッチョマンでも法律言語対話出来ないサイコパスモンスター相手は無理だが

それ以外は必ず戦ってきたし助けてきたし絶対いじめを許さなかった

 

けど○○だからを戦わない理由にする人たちがいる

自分生き方自分で選べるのに放り投げる人たちがいる

 

逆張りクズたちはチャイニーズピープルの時も『気にしてないし(笑)』をやっていたが

おそらく日本政府が強く抗議しなかったこ理由にするのだろう

 

どうすんのネトウヨ?この逆張り反日オリンピックたち?

anond:20210722135201 anond:20210722135504

 

追記 7月23日 18:10頃】あまりの衝撃に封印していた言葉を解禁してしまったのですが(anond:20210722183137anond:20210722183851)
クズ』も伝えたいニュアンスは含むので『クズ』に変更しました
 

2021-07-21

同じ構図。「サブカルオタク」≒「インテリ大衆

オタクサブカル嫌悪するのは、大衆が「口先だけのヘタレインテリ」を侮蔑するのと同じ。

上から目線で偉そうに批判してくるが「海外権威頼み」で中身が何もない、というのも同じ。

2021-07-20

anond:20210720121111

きみもいつ統合失調症になるか分からんのだぞ

侮蔑偏見をなくしたいし、犯罪者イメージともかぶらせたくないんやで

2021-07-17

anond:20210717181212

線が細くて色白の男とか昔は「男らしくなくてオカマみたいだ」とかで男から侮蔑対象だったな

anond:20210717130618

ネトウヨは実はそんなに中国を嫌ってない。

自分たちが目指す体制の見本として認めてるところがある。

敵国としての恐れはあるがね。

韓国に対する軽視・侮蔑とは別物。

2021-07-13

ジャスラック就職した友人に嫌悪を感じてしまった

職業に貴賤は無いと思っているので、AV女優アダルト制作会社大人のおもちゃ製造等々、エロマンガ家、グロ作家、言うのを人に憚れるような職から

セミナー開催してるほぼ詐欺師みたいな奴、アムウェイから所謂まともな会社まで

その人と職を結び付けて貶したり、嫌悪を感じたりしたことはなかったが、

ジャスラック就職した友人と久しぶりに会い話したときは、侮蔑と言うか嫌悪を感じてしまった

からダメな事はダメ」という考えの持ち主で、そういう考えの自分に誇りを持ってるようなところもあり

しかしわざわざジャスラックを選び、「飲食店で曲が流れてるとお金を払ってるか気になってしまう」とニコニコ顔で話す彼を見て

心の底から軽蔑してしまった

弁護士みたいに人から色々言われるが、それでも大切な役割だと思う職はあるが、ジャスラックだけはだめだ

から嫌われるが、そして大切な役割だとも思えない。要らない存在だと思ってしま

なんでだろうか

2021-07-12

anond:20210711202338

腐女子呼称を使うべきではない派だ。反論をいただいたので回答したい。

(腐女子を)プロフィールなどに記載する際にいちいち自罰を感じているかと言えばそんなことはない

腐女子”を自称するとき、完全にクリーン気持ちなんですか?

胸を張って称号を誇れる? 自嘲を感じることさえない…?

元増田さんがまとめた、使うべき派の意見にあるように、「歪めていることに対する自戒」のために自称していると主張する人は、はてな匿名ダイアリー散見される。“腐女子” 同士での、いわゆる学級会もツイッターでよく開かれている。彼女たちは男オタクと比べて、架空キャラクターのために過度に自省的になっているのではないかと思っています反省の習慣を持てるのは人として素晴らしい資質だけれど、それを強要する空気があるのなら、それ自体精神の抑圧だ。咎められる理由がないのだから萎縮は不要だ。

昔は違ったのかもしれませんが、「オタク」という言葉と同様、(少なくとも自称する際には)侮蔑意味が薄れていることは事実

「お宅」の意味、何が宅なのかほとんど知られてないし気にもされていないけれど、「腐る」の意味当事者にはよく広まってるのではないかBL愛好家 との呼び分けが明確なのにもそれは現れてると思う。自戒せよという訓戒が単語意味ビルトインされていて現実教義継承されている限り、ネガティブな印象はどこまでもつきまとうでしょう。

「腐」を攻撃する言葉として用いる人への自衛として別の言葉を用いる、のは解決にはならないと考えます

私はそのようなことは主張していない。先回りしての防衛のために言わされてることを自分たちの好きでやっている主体的選択のように思い込むのは自己欺瞞、と言いたいのです。根本的な解決必要なのは自衛としての自虐ではなく、反撃だ。日陰に追いやる連中に怒りの声を上げ、糾弾し、反撃し、結果として必要自衛行為が少なければ少なくなれば、いいと思う。しかし現状、彼女たちは置かれている差別的状況を内面化して諦めてしまっているように見えるのです。正義に周りが手を貸すのは社会義務だと思うけど、そもそも当事者の心が折れていては… 他人立場からは強く言うこともできない。腐女子たちよ… ホントにそれでええんか…

2021-07-11

anond:20210711181444

実際現実には「オタクなんですよー」くらいの軽い意味で「腐女子男子)なんですよー」と言っている意識の人はかなり多いと思うし、プロフィールなどに記載する際にいちいち自罰を感じているかと言えばそんなことはないと思われます

昔は違ったのかもしれませんが、「オタク」という言葉と同様、(少なくとも自称する際には)侮蔑意味が薄れていることは事実かと

「腐」を攻撃する言葉として用いる人への自衛として別の言葉を用いる、のは解決にはならないと考えます

街中でぶつぶつ独り言いったり奇声発してるおじさんおばさん、若い頃はきもいなとおもって侮蔑してたけど最近自分もあれになるんじゃないか不安になって身につまされる。

anond:20210710153831

例えば日本人韓国ホテルで同じような状況にあったとして、

「まったく韓国人というやつはこれだからね」

などという発言をして、それが記録された動画SNSに上がったら差別だと騒がれるでしょうね。

ですがネトウヨ侮蔑だと思うが差別ではないと言い張るでしょうね。

もちろん韓国人が日本ホテルに来て同じことがあったとしても似たようなことになるでしょう。

差別用語は含まれていなくても文脈差別しているのが分かるというのは当たり前のことなんですけどね。

2021-07-10

IT世紀末羅生門

 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨雲レーダーを見ていた。

 広い門の下には、この男のほか誰もいない。ただ所々ペンキの剥げた、大きな円柱にドローンが一機突き刺さっている。

羅生門朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみを待つSIerプログラマーがもう二三人はありそうなものである

それが、この男のほかには誰もいない。

 何故かと云うと、この二三年、京都には地震とかDDoS攻撃とかEMPとかドローン攻撃とか云う災がつづいて起こった。

そこで洛中さびれ方は一通りではない。旧記によると、サーバーEVを打ち砕いて、その貴金属が使われたり充電池がそのままだったりする金属の塊を建築資材として売っていたと云う事である

 洛中がその始末であるから羅生門の修理などは元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、

営業職が棲む、意地悪な顧客が棲む。とうとうしまいには、引き取り手のないSEを、この門へ持って来て棄てて行くと云う習慣さえ出来た。

そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪がってこの門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである

 その代わりまたドローンがどこからか、たくさん集まって来た。昼間見ると、そのドローンが何機となく輪を描いて、高い電波塔のまわりを

ブンブン言いながら飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それがゴマをまいたようにハッキリ見えた。

 ドローンはもちろん、門の上にいるSEをせっつきに来るのである。_______もっと今日はあまり仕事がないのか一機も見えない。

ただ、所々崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草はえた石段の上に、墜落したドローンの残骸が落ちているのが見える。

 下人は七段ある石段の一番上の段に、何日も洗っていないスーツの尻を据えて、右の頬に出来た大きな人面瘡を気にしながら、ぼんやり雨のふるのを眺めていた。

 作者はさっき「下人が雨雲レーダーを見ていた」と書いた。しかし、下人は雨雲がどうでも格別どうしようと云う事はない。ふだんなら、

もちろん会社へ帰る可き筈である。ところがその会社からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通り

ならず衰微していた。今この下人が永年、使われていた会社から暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。

 だから「下人が雨雲レーダーを見ていた」と云うよりも「雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて途方にくれていた」と云うほうが適当である。その上、今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人のSentimentalismに影響した。

 申の刻下がり(16時以後)からふり出した雨は、いまだに上がるけしきがない。そこで下人は、何をおいても差当り明日暮らしをどうにかしようとして____云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を聞くともなく聞いていたのである

 雨は、羅生門をつつんで、遠くからざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると門の屋根が、斜に突き出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。

 どうにもならない事をどうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、高架の下か道端のベンチの上で、餓死するばかりである。選ばないとすれば____下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい)した挙げ句に、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまで経っても結局「すれば」であった。下人は手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「転売屋になるほかに仕方がない」と云う事を、積極的肯定するだけの勇気が出ずにいたのである

 下人は、大きなくしゃみをして、それから大儀そうに立ち上がった。夕冷えのする京都は、もうカイロが欲しいほどの寒さである。風は門の柱という柱の間を、夕闇と共に遠慮なく吹き抜ける。円柱に突き刺さっていたドローンも、もうどこかへ吹き飛ばされてしまった。

 下人は頸(くび)を縮めながら、カッターシャツに重ねたヨレヨレのジャケットの肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患(うれえ)のない、人目にかかる惧(おそれ)のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも夜を明かそうと思ったかである

 すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の狭い、点検用の梯子が眼についた。上なら、人がいたにしてもどうせ疲れ果てて寝ているSEばかりである。下人はそこで、腰にさげた特殊警棒が伸びないように気をつけながら、便所サンダルはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。

 それから、何分かの後である羅生門の楼の上へ出る、幅の狭い梯子の中段に、一人の男が猫のように身を縮めて、息を殺しながら上の様子を窺っていた。楼の上からさす白色光が、かすかにその男の右の頬をぬらしている。短い髭の中に、赤く膿を持った人面瘡のある頬である。下人は初めから、この上にいる者は寝ているSEとばかり高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰かがスマホライトをとぼして、しかもその灯りをそこここと動かしているらしい。これはその濁った、白い光が隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で灯をともしているからは、どうせただの者ではない。

 下人はヤモリのように足音をぬすんで、やっと急な梯子を一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体をできるだけ平らにしながら、頸をできるだけ前へ出して、恐る恐る楼の中を覗いて見た。

 見ると楼の内には、噂に聞いていた通り何人かのSE無造作に寝ているが、ライトの光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に手ぶらの者とPCを持っている者があるという事である。もちろん、中には女も男もまじっているらしい。そうして、そのSEは皆、それがかつて労働意欲燃えていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口を開けたり手を延ばしたりして、死んだように床にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。

 下人は、それらのSEの様子に思わず眼を覆った。しかしその手は、次の瞬間にはもう眼を覆うことを忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとく男の視界を奪ってしまたからだ。

 下人の眼は、その時はじめてそのSEの中にうずくまっている人間を見た。桧皮色のジャージを着た、背の低い、痩せた、白髪頭の猿のような老婆である。その老婆は、右の手にライトを灯したスマホを持って、そのSEの一人のPCを覗き込むように眺めていた。腕に抱いている所を見ると、多分ノートパソコンであろう。

 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心に動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「えぐいって」と感じたのである。すると老婆は精密ドライバーを取り出して、それから今まで眺めていたノートパソコンに手をかけると、ちょうど猿の親が猿の子シラミをとるように、そのノートパソコンを分解しはじめた。かなり手慣れているらしい。

 電子部品が一個ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えていった。そうして、それと同時に、この老婆に対する激しい憎悪が少しずつ動いて来た。____いや、この老婆に対すると云っては語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人にさっき門の下でこの男が考えていた、餓死をするか転売屋になるかと云う問題を改めて持ち出したら、おそらく下人は何の未練もなく、餓死を選んだ事であろう。それほどこの男の悪を憎む心は、指数関数的に勢いよく燃え上がり出していたのである

 下人には、なぜ老婆がSEノートパソコンを分解するかわからなかった。従って、合理的には、それを悪である一方的に決めることが出来なかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、SE自前のノートパソコンを分解すると云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分転売屋になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである

 そこで下人は、両足に力を入れて、いきなり梯子から上へ飛び上がった。そうして特殊警棒に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩み寄った。老婆はマイコン自作した監視カメラで、事前に下人の動きを見ていたのだが、想定外の行動に飛び上がった。

「どこ行くんじゃワレ!」

 下人は、老婆が寝ているSEにつまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手を塞いで、こう罵った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押し戻す。二人はSEの浅い寝息の中で、しばらく無言のまま、つかみ合った。しか勝敗は初めから分かっている。下人はとうとう老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。ちょうどケンタッキーフライドチキンの骨のような腕である

「何しとったんじゃ!云え。云わんとこれやど」

 下人は老婆をつき放すと、いきなり特殊警棒を伸ばして、黒くて硬くて長いものをその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわな震わせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど見開いて、唖のように執拗(しゅうね)く黙っている。これを見ると、下人は初めて明白にこの老婆の生殺与奪の権自分が握っていると云う事を意識した。そしてこの意識は、今まで煮え滾っていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をしてそれが納期に間に合った時の、安らかな得意と満足があるばかりである。そこで下人は、老婆を見下しながら、少し声を和らげてこう云った。

「ワシはマッポでもSECOMでもない。今し方この門の下を通りかかった暇なヤツや。せやからお前に縄かけてどうこうしようっちゅう事もない。ただ、今時分この門の上で何をしとったんか、それをワシに話しさえすればええんや

 すると老婆は、見開いていた眼を一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった二階幹事長のような、鋭い眼で見たのであるそれから皺でほとんど鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉からカエルの鳴くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。

「このパソコンCPUを抜いてな、型番とコア数を偽装してな、転売しようと思うたのじゃ」

 下人は、老婆の答が存外平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷ややかな侮蔑とともに心の中へ入って来た。するとその気色が先方へも通じたのであろう。老婆は片手にまだ抜き取ったCPUを(素手で)持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながらこんな事を云った。

「なるほどな。SEからPCを奪うという事は、何ぼう悪いことかも知れぬ。じゃが、ここにいるSE達は皆、そのくらいな事をされてもいい人間ばかりだぞよ。現にわしが今、CPUを奪った女などはな、コメントも無いし改行もない滅茶苦茶なコードを、仕様通りに動けばよいと言って書いておったわ。それもよ、この女の書くコードは早いし安いし仕様通りに動くと云うて、ケチ経営者どもが買っていたそうな。ワシは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば餓死をするのじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事をよく知っているこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ」

 老婆は大体こんな意味の事を云った。CPUを盗られた女は、よほど疲れているのかこんな騒ぎでもノートパソコンを抱いたまま、全く起きる気配がない。

 下人は、特殊警棒を畳んで、その柄を左の手で握りながら、冷然としてこの話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな人面瘡を気にしながら、聞いているのであるしかし、これを聞いている中に、下人の心にはある勇気が生まれて来た。それはさっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上ってこの老婆を捕まえた時の勇気とは、全然、反対な方向へ動こうとする勇気である。下人は、餓死をするか転売屋になるかに迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心持ちから云えば、餓死などという事は、ほとんど考える事さえ出来ないほど、意識の外へ追い出されていた。

「ほーん、そうか」

 老婆の話が終わると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を人面から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛み付くようにこう云った。

「ほな、ワシが転売をしようと恨むまいな。ワシもそうしなければ、餓死をする体なのだ

 下人はすばやく、老婆からCPUを奪い取った。それから、足にしがみつこうとする老婆をジャイアントスイングで投げ飛ばした。梯子の口までは、僅かに五歩を数えるばかりである。下人は剥ぎ取ったCPUを胸ポケットに入れ、床に置いてあった老婆の精密ドライバーセットも手に持ってまたたく間に稲妻のごとく急な梯子を夜の底へとかけ降りた。

 しばらく死んだように倒れていた老婆が体を起こしたのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだライトがついているスマホの光を頼りに、梯子の口まで這って行った。そうして、そこから短い白髪をさかさまにして、門の下を覗き込んだ。外には、ただ黒洞々たる夜があるばかりである

 下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ"仕入れ"を働きに急ぎつつあった。

2021-07-08

anond:20210706123020

日本人日本人であることによって侮蔑を受けている」ユニヨシの描写と、

女性女性であることによって侮蔑を受けているわけではない」宇崎ちゃん描写では、

前者のみが人種差別であると思う。

というか、

必然性カケラもなく、映画の中で延々と茶番を演じ続けるユニオシと(https://www.youtube.com/watch?v=Hb3gdUrIC4Q)、

劇中でその身体的特徴をネタに蔑まれることの全くない宇崎花では、比較にならないよ。

両者には「フィクショナルな表象である」という共通しかないのに、

それらを単に「身体的特徴を過度に誇張した描写」と括り、主観問題として相対化するのは、詭弁だと思うよ。

から、ツリーの下の方で

「①視覚表象が、それ自体差別性を帯びることはある。」

としている人がいるが、これは違うんじゃないかな。

その作品文脈と、それらを受け止める社会的コードの両方があって初めて、視覚表象意味が与えられるんだと思うんだよね。

そうして与えられた意味こそが差別性を帯びるのだ、とするのは言い過ぎだろうか。

時には主観的で多様であり得る社会的コード(その肌の露出性的だ、いや性的でない、など)を考えるだけでなく、

例えばアニメ映画キャラクターなら物語キャラクターの設定など、その作品固有の文脈をそこに加えて、両者の関係性を取り上げてこそ、

客観的差別存在についての議論ができるように思うんだが、いかがだろうか。

ティファニー~」についてはそこまでよく知らないけど、あの出っ歯眼鏡物語上の必然があり、尊厳ある一人の人間として扱われていれば、

人種差別との誹りを受けることはなかったんじゃないかな。

よってここは

「①映画アニメにおける視覚表象は、物語から独立してそれ単体で差別性を帯びることはない。」

が正解じゃないの?

もう少しパラフレーズすれば、

「パッと見ただけで、その表現差別かどうかを即座に判定することはできない」。

anond:20210706150902

腐女子自称すること” の問題か…

フォロワーさんの主張の、腐女子呼称同性愛への嫌悪、には賛同しない。

でも「自虐個人勝手」として看過することはできない。

それに、私という人間アイデンティティ腐女子であることだけではない。少年漫画性的な目で見てしま自分のことをちょっとぐらい卑下したところで私の人生は変わらない。

腐女子自称することで、腐女子活動卑下に値するもの、という考えを保持してしまう。

未来の子どもたち、次世代の入門者に、セルフネグレクト呪い継承させてしまう。

少年漫画に描かれた友情恋愛のように捉えてしま自分のことを誇らしく思うことは出来ない。というか、誇る事ではない。

個人的に誇らしく思えない」くらいならいいんだけど、「誇る事ではない」というのは、腐女子の捉え方はよくないこと、って価値観の表れだ。

そんな考え方を、一体誰から受け継いだ?

日当たりのいい場所で腐る生き物はいない。性的趣味活動をする女性グループを日陰に追いやった邪悪がいるはずだ。

世間こそ諸悪の根源であり、あなたたちはその圧力から身を守るために抑圧的な考え方を内面化したんだ。

社会学者上野千鶴子によれば、自らのことを腐女子表現する背景には、相手から「腐ったような女子」といわれる前に自分からそれを表明して侮蔑回避するという「居直りレトリック」があるという。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/腐女子



性的妄想自然なこと。被害者はいないのだから気に病む必要はない。

堂々と胸を張って、性と創作の煌めきを楽しんでよいのです。陽の光のもとで。

2021-07-07

anond:20210707210453

DVD買った~💓同じ俳優好きな人と仲良くなりたい~💓ってツイート報告する人がおるタイムライン

舞台も見に行かないし現地でグッズも買わないとか鼻で笑っちゃうね、って感じじゃね

推測すると、元増田は仲良くなりたい人たちから侮蔑に耐えられなかったんや

2021-07-06

anond:20210706123020

ユニオシ氏の「日本人日本人であることによって侮蔑を受けている」というのは増田の受け止めで、

これがティピカルな日本人だ、何が悪いのか、と思う人もいるでしょうし、

ユニオシ氏が侮蔑的に扱われているのは彼の個人的行動が原因であって日本人全体を侮蔑しているわけではない、と思う人もいるでしょう。

宇崎ちゃん描写が「女性女性であることによって侮蔑を受けているわけではない」というのも増田の受け止めで、

女性性的要素を強調して描写する表象自体女性に対して侮蔑的だと思う人もいるでしょう。

ここまでは主観の話なんだけど、両者を分け隔てる客観的ラインはどこにあるのかな、ということ。

何かのカテゴリーに属する人をキャラクターとして設定する。その人物に、そのカテゴリーが持つ身体的特徴を過度に誇張した描写を与える。

それ自体差別的ことなのか、そうではないのか。

ユニオシ氏は物語登場人物で、その物語全体において醜く利己的なステレオタイプ性格付与されたか差別的といえる、

コミックストリップのように、日本人が絵柄のなかで眼鏡をかけた出っ歯チビのように表現されるだけなら差別的はいえない、のか。

anond:20210706121934

日本人日本人であることによって侮蔑を受けている」ユニヨシの描写と、

女性女性であることによって侮蔑を受けているわけではない」宇崎ちゃん描写では、

前者のみが人種差別であると思う。

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