「二世」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 二世とは

2022-11-25

共産党二世の最大の悲劇

サッカー日本代表応援できなかったこと。本当に恨んでいる。君が代大嫌い、日の丸大嫌いな親父には本当に苦しめられた。

  

たかサッカーに、そこまで目くじら立てるって、狂ってるとしか思えない。もうさ、日本共産党ってカルト宗教だよ。

  

戦争の代わりにスポーツで熱くなるほうがいいじゃないと言ったら暴力を振るわれた。

  

子供って、さすがに親に厳しく言われたら隠れて楽しめないんだよ。エホバの証人どころじゃないよ。

anond:20221124060018

日本反移民政策さらにひどい

ニュージーランドは何年も前から自民党による独裁政治によって着実に崩壊の道を歩み続けている。

今日本で自民党を支持する人はよほどの人しかいないが、そんな人が全体の30%以上いるというのも驚きだ。もう自民党というだけで支持する人たちが支持するのだろう。

外国人が驚くすばらしい日本」のような動画右翼界隈からアップされているが、外国ではその動画を見た覚えがない。

見たところで「何言ってんだお前?」としか思わないことしかやっていないのだろうか。

そんなあまりにも不味いと噂のラーメン屋に行きたくなるような不思議気持ちを感じつつ最近日本について書く。

今の政権がぶち上げた経済政策はことごとく失敗したが自画自賛し、元首相が暗殺されるようになった現状から信じる人はほとんどいないだろう。

 

宗教二世という言葉は耳慣れないと思うが、要は学校への拠出を減らして家庭にすべてをやらせた結果主婦などマネージメント係が教育費などを強奪子供が成人する前からヤングケアラーにして飼い殺しするという虐待の中でも相当に合理的なやり方で、最近これが増えすぎている。

 

今の政権と同程度にひどいのが立憲民主など民主系、および共産党で、この国の二大政党は二つともとんでもないボンクラグループになってしまい、国民に本当の意味で支持されている政党はこの国にはもはやなくなっているが、国会議事堂の中だけどうやら世界が違っている。

日本政権はどれも反移民政党であり、留学研修名目のみ致し方ないからしぶしぶと移民を受け入れていたが、研修目的安価でこきつかった上に移民管理局がしょっちゅうビザなし人間虐待死をやらかす。

その後コロナによって移民を受け入れないことを正当化できるようになったらすさまじい反移民移民を受け入れない、受け入れた移民を追い出す政策をとるようになり現地の企業人材不足いくら苦しもうが全く気にしないようになった。

 

ちなみに業界によっては移民受け入れに積極的だが、要は円安日本人よりさら薄給なとなりの中国と競合できる値段で働く人々が欲しいという点であるので労基署の目の届かないところで好き放題しているという意味ニュージーランドと同等かそれ以上に邪悪といってもいいかもしれない。

 

医師をあまやかしてだめにしたボンクラ自民教師をあまやかしてだめにした共産しかいないというこの惨状を一体どう例えたらいいのか、既存産業の隠れブラックっぷりを振興IT企業がたびたびいさめるこの状況を一体どう説明できるのか、何が起きているのかわかる日本はいないだろう。

今になってコロナ感染者数で世界トップをとりつづけることによって円安っぱなしでとにかく貧困化がすさまじい勢いで広がっているという事はわかる。飯も買えない。

コロナ以降日本にはほめるポイントが一つもなくなってしまったのだが、SNSを見ると相も変わらずガッツポーズしてる外国人コピペが後を絶たない。

日本に残された最後長所であるクールジャパンアニメ過労死漫画家アニメーターがバタバタ死んだ上にロリエロ補給路を海外カード会社表現規制に抑えられて子供向け中国にお株をとられそう。

まり今の日本は以下のことをやっている。

・すでにいる移民たちを追い出す

農業研修生などを受け入れて低賃金労働者積極的に輸入している

永住権についてはひたすら出し渋るし永住権があっても見た目がガイジンだと差別する

 

その結果、企業人材不足に悩み、優秀な人ほどほかの国に行き、残されたのは何もしないで不労所得で生きている富裕層リタイアした高齢者うだつの上がらない貧困層、ビザ申請によってどこにも行けない外国人ばかりという地獄のような状況になっている。

コロナパンデミックによって世界中の移民国家は移民争奪戦を繰り広げているそうだが、なぜか日本けが逆張りしているという不可思議現象が起きているといってもいいだろう。しかもこれが4年にわたって継続している時点でもうたまたまそうなっているではなく意図的にそうしていると解釈したほうがいいだろう。

今後世界的なインフレロシアウクライナ戦争がひと段落ついたところで世界中が改めて経済成長に向かっていく中で日本いかに取り残され世界最貧国一角を担うようになるのか期待してやまない。

移民制度に対する文句はこのくらいにして置き今度はコロナに話をうつす。

日本はかつては世界でも類を見ないレベルコロナ対策成功していたといわれていた。強烈なロックダウンをして徹底的にコロナ患者がほかの人と交わることをとめたからだ、そういえばこの時も職を失う人が続出し、ストレスからDVなども増えたが政府は全くお構いなしだった。

しかし今やコロナ対策においては日本はむしろ感染を推奨している。これは統計を見れば明らかだが、毎日単位の陽性者数を出してもなぜか政府は全く対策を取らなくなった。思ったより反ワクチンの気風が強く、うまいこと手に入れたワクチン無駄になるからかもしれないが、これまで数名の感染者でもやっていたロックダウンを何千人でようが、何十人死のうがやらなくなった。これは「これ以上のロックダウン国民が耐えられるとは思えない」という一見やさしさに見えて完全に国民のせいにするコメントが全てを表している。

要はロックダウンがあまりにも雑に運用されたことで国民はわけがからなくてストレスをため込んだ、という理解ではなく、政府にとってニュージーランド人はそもそもロックダウンに耐えられるような人々ではなかったという理解をしているのだろう。

そこいらじゅうで怒号が響き、銃声がなり(日本は銃を持てないが自作するやつはいる)、交通事故だらけになり、どこら重の家がスプレー落書きだらけになったとかならまだわかるが、ネッフリ見て少しでもロックダウンを楽しもうと頑張っていた市民に対してこの発言はあまりにも無礼といってもいいが、今の自民党政権はわけのわからないことをたびたびいう(マスコミ失言を突っ込まないかエンタメ扱いしてあまり問題視しない)ので、おそらく発言によって何が起きるかとかの想像力が働かないし働かせる気もないのかもしれない。まさに傲慢独裁政権といっていいだろう。

そんなわけで、かつては田舎で数名の感染者が出ただけで大騒ぎするくらいにコロナ対策成功した日本は、感染者数がおよそ2400万人と国民24%に上ってしまった。しかも今の生活コロナ以前に戻ったと感じる人がいない時点でコロナに乗じて自民党いか日本という国を破壊たかがよくわかるだろう。

そういうわけで日本に住むことはお勧めしないけど住むしかないんである

 

雑感

ミラーリングだけど200万人で40%ってことはなに、500万人しかいないんだ。北海道民くらいじゃん。まあいいんじゃね。

2022-11-22

表現の自由戦士は名乗ってない!って言うけどさ

お前らもフェミって名乗ってない人を勝手フェミだのフェミ騎士だのまなざし村だの言ってるよね?

まなざし村です!って名乗ってる人なんかいないよね?

社会正義たるフェミニストを名乗って差別するから叩かれるんだ。フェミじゃなくて差別主義者、ミサンドリー名乗れよ。そしたら叩かれない」を信じて「私達はミサンドリーです。差別します」って言ったツイレディも、結局はフェミダーって叩かれるよね

そんで何かと「フェミは○○を叩けよ!」って言いながら、「表自戦士は○○を叩けよ」と言われると「名乗ってないカラー自分の好きな表現だけ守って何が悪い!」って開き直るよね

シンウルトラマン見に行ってセクハラ描写いらんという感想言った特撮ファンが「規制派のフェミヒステリー!」と叩かれまくったこと忘れてねえよ

それと、「フェミがうるさかったけど面白かったよなー」と映画終了後客が言ってたのがキツかった、と言った人が「フェミめ!」と叩かれてたも。フェミ的なツイート一切してないのにね

https://togetter.com/li/1889957


ミソジニーアルファツイッタラーYSも一回「表現の自由戦士エロ以外にも宗教二世漫画に声を上げろよ」って言ったらフェミ認定されてたなぁ

https://togetter.com/li/1871108


高村武義もあまりのアレっぷりに「フェミ自演」扱いするツイートあったなぁ…

2022-11-19

anond:20221119171808

そういう計算サイトあったらおもしろそうだよね

二世帯同居だとどれくらい安くなる、とかさ

2022-11-18

20代後半女と自立を容認しない親

20代後半で母親と二人暮しである

父親10年ほど前に自殺し、1人いる兄は母親と折り合いが悪く、数年前に結婚と同時に私に母親押し付けて絶縁した。以来連絡を取っていない。

この母親、分かりやすく言うとメンヘラ毒親で、人に依存しないと生きていけない。そのため(そのくせに?)親族全員とも色々あって問題を起こしほぼ絶縁、この家族構成依存先と言えば私だけなのである。最悪。

メンヘラな上に潔癖症かつ新興宗教信者(私は二世信者にさせられているけど全く信仰していない)であり、とにかく妙な束縛と依存が激しい。

私が何を汚すかわからないので家にいる間は常に監視され、掃除洗濯炊事は何一つやらせてもらえず、壁が超薄いためにプライベートもクソもない、通話すらも聞かれてしまうような自室をギリギリ与えられて生きている。正直言うと去年まで自室を与えてもらえず母親要望リビングで一緒に寝ていた。最悪。

家に1人でいることも許されず、洗濯物が増えるからと外出も(家のポストを見に行くことすらも)自由にさせてもらえない。外に一瞬でも出たものは全て汚れているので、家に入れるには綺麗にしないといけないらしい。あと新興宗教施設以外には母親は1人で出かけられないので、土日のどちらかはほぼ確実に母親ウインドショッピング(笑)をしないといけない。それを怠ると機嫌が悪くなる。潔癖症メンヘラが相まって娘と自己境界曖昧になっているため、確実に秘密にできるプライベートがほぼなくストレスが溜まる。

私の異性交友にも敏感で(というのも信仰している宗教が不純異性交友が禁止である、兄に彼女ができた時も「結婚前にヤっちゃダメから!?」と声を大にして忠告していた。トラウマ。最悪。)、彼氏が出来たこともなければ洗濯はさせてもらえず服は全て監視されるため、この歳にして女性らしい下着を1枚も持っていない。

社会人になり、経済的に余裕が出来たことで一人暮らしをしたいと申し出たところ、「あんたをここまで育てるの、どれだけ大変だったと思ってるの!?お金を稼げるようになるまで利用してたんでしょ!」と怒鳴られ泣かれ、話が有耶無耶になってしまった。そういう思考を持つの、親として最悪だと思うんですけど。

せめても妙な潔癖と束縛をやめてほしいと思い、その旨を外出中に具体的にLINEで伝えたところ、帰宅した時真っ暗な部屋で号泣していた。クソ面倒だなと思ったしもう手詰まりだなぁと思った。

母親母親ネグレクト系のまぁまぁ不幸な幼少期を歩んだようで、この庇護が私にとっての幸福だと思ってるらしい。何度も否定しているのにだ。また幼少期に寂しかたから、四六時中寄り添ってヨシヨシしてくれる対象希求しているんだろうが、それを娘に求めるのは間違っている。ちなみに自分世界で一番不幸だと思っているらしく、24時間テレビとかを見ながら「でも私の方が不幸だわ…」と独りごちるのが趣味っぽい。あと鬱っぽいのと潔癖症を治してほしいために精神科に行くよう常々言っているが、絶対に行こうとしない。母親にとって子供絶対的に下の存在なので、私には要求を飲ませるくせに私の言うことは絶対に聞きたくないらしい。

もう自由になりたい、母親には再婚するなりして早くいなくなってほしいとしか思えないし、家族すらここまで愛せない自分他人なんて愛せない気がしてくる。多分見捨てて家を出て一人で暮らすのが正解なのだろうが、それを許されないよう養育のうちにゆっくりと洗脳され、あらゆる事象に罪悪感が強く出るような性格になってしまったので出来ない。このように勇気もないので、私はこれからもこの地獄を出られず、中で緩やかに老いて死んでいくんだろう。

2022-11-17

anond:20221117220747

へえ、おまえんち大変だったんだな、飯もくわせてもらえねえの?

宗教二世?wwww

「すずめの戸締まり」を観たら要石で後ろから頭を殴られた

新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。

この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。

        ☟

この文章現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。

        ☟

本作のあらすじを簡潔に書く。

九州に住む主人公少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズ地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)

抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程東北被災地を訪れることになる。

        ☟

これは2011年3月11日日本列島を襲った未曾有の災害東日本大震災を主軸に据えた映画だ。

いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。

「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」

一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨言葉が語られる。

「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。

後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。

この映画は我々が体験してきた被災記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。

映画館に足を運んだとき自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズ地震を起こし、物語舞台神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカー首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。

忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送津波で一掃された土地、そういったもの映画の中での情報感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベル自分記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフ美術演出の面々に感服させられた。

からこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。

その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。

これが少しでも YouTube予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。

        ☟

この作品について語る上で、村上春樹短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。

こんな話だ。

        ☟

東京で働くうだつの上がらない銀行員中年男性が、ある日かえる出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトミミズが現れ、男性身体ミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。

        ☟

こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。

この小説1995年日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である

1995年オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本安全神話が崩れた年だ。

作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件関係者被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。

氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉表現している。光の一切届かない暗闇、自身身体と周囲の空気現実と非現実境界曖昧になる。死に近い場所だ。

人の日常生活では感知し得ない深い場所心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。

翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身ルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実霊界境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。

        ☟

神の子どもたちはみな踊る」は善悪二元論ではなく陰陽論の物語集だ。

太極図、という白と黒勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。

こんなのだ

白黒互いの勾玉の中心に、相反する色の小さな点が存在する。

善悪明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。

太極図について、ちょうど三角関数を学んだとき単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。

日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。

かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公ミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。

この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。

宗教二世を描いた表題作神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクホテル神戸に住む男の存在を思う研究者女性にせよ、海辺焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないもの存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ

その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。

        ☟

映画自体の話に戻す。

我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはら危険性をつい忘れてしまう。

東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズ描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。

そこの描写が本当に良かった。地震はいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。

        ☟

少し自分語りをする。ここは読み飛ばされても差し支えない。

東日本大震災の発災当時、自分東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。

2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。

インターネットに張り付いて、東北地方や東京情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。

当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。

日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリー被災地飲料水を発送し、ソフトバンク公衆 Wi-Fi無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本若者NHK による被災状況の中継をカメラ撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者自身責任判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote有償の容量無制限サービス日本人に向け一時無償提供を行った。

今ではウクライナ戦争真っ只中のロシアプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。

しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。

あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。

        ☟

東日本大震災から11年。

働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事もも若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。

10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。

あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。

そこに前述の草太のセリフだ。2011年東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。

あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。

新海誠の新作となれば中高生大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。

もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。

この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。

        ☟

これで最後だ。

東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。

遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。

やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこ文章不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。

またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。

2022-11-16

小学生の頃、学会二世担任毎日のように授業潰して気持ちよさそうに文字通り?説教してたな。

その時は某価学会なんて知らず、てっきり金八気取りで説教してるのかと思ってたけど、卒業してしばらくしてから知った。

教室密室厳禁!




この教師おかしな奴だったとは思うが、この手の頭おかし教師って他にもいたんだろうか。

今は流石にないだろうが…

2022-11-11

宗教二世も辛いけど、もっと辛いのは共産二世

https://anond.hatelabo.jp/20221110164932

うちも大変だった。早く家を出たくて高校からバイトづくし。結局高卒のままフリーター人生になったよ。

2022-11-08

エホバの証人家庭内暴力個人問題ではない

ニュース記事の中で二世が"平手やベルトで叩かれた"と話していることに関してブコメで、「暴力は家庭の問題では。カルト問題とは切り離して考えないと。」というコメントを見かけたので、切り離されないよう、ここに事実を記す。

隙自語

自分は割と熱心に活動していた元二世で、今は家族組織から距離を置いている。

ニュースになっていた二世女性は30代で、自分も同世代である

本題

記事の中では、

"3歳の頃から週3回、エホバの証人集会に参加した。居眠りなどをすると家族トイレに連れて行かれ、平手やベルトでたたかたこともあった。"

とあるが、これは「ムチ」と呼ばれていた。

集会で行儀よくしていないとムチされるし、イタズラなどがバレてもムチされる。

どこかの子供が集会中にトイレに連れて行かれたと思ったら、トイレから叫び声が聞こえてくるということは日常茶飯事だった。

各家にはその家ごとの「ムチ棒」があり、「あそこの家のムチ棒はやばい」とか、子供同士で情報共有していた。なぜなら他所の家でイタズラしたりすると普通に他所の親からムチされたりするからだ。

回数も人それぞれだが、大抵10回程度。

かなり悪いこと(もちろん子供のイタズラレベル範疇でだが)をやらかすと2〜30発やられる。

※ちなみに、出先で急遽ムチする必要があり、ムチに適した道具がなかった場合、「しかたない平手でやるか」ということもある。しかし全く痛くないのでこちらとしては内心(キター‼︎)と思っているのだが、痛がっていないと家に帰ってやり直しになるので、必死で痛いフリをしておくというライフハックがある。

ローカルルール

エホバの証人ローカルルールが多く、また同じ地域でも「長老」と呼ばれる会衆のトップ意向によってやり方が違ってくるので、あくま増田地域年代(1980後半〜1990年代)のことである

学校での体罰問題になり始めた頃(1990年代後半ごろ)から徐々にムチの文化も下火になっていったと記憶している。

ググったら普通に公式文章読めた

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/101992647

1992年の「目ざめよ!」という小冊子の中で、「ムチが世間から批判されているがいか聖書根拠に基づいているか」について触れられているので読んでみて欲しい。

少なくとも92年までは組織的に肯定していたことがわかる。

宗教二世宗教三世ってうるせえんだけど

子供宗教押し付けるなってさぁ、お宮参り、七五三初詣ダメだよな。クリスマスパーティーも入るか。文化崩壊だよな。賽銭だってこの40年で、50万くらいになってるから、返してほしいわ。家庭崩壊だよ。

中国二世代前の性能のグラボを無理して作ったらしいが(なお大量生産不可能)、

これにむらがる中国アゲ日本サゲのブクマの人たちが涙ぐましい。。。

ずっと半導体とかでいいニュースなかったものなあ...😢

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1453480.html

2022-11-07

anond:20221107005201

信教の自由って、本来支配的なカトリックに対するプロテスタント信仰自由が出発点

したがって、宗教二世信教の自由を守れ(信じる自由も信じない自由も)というのが正しい

2022-11-06

二世のクソバカが持ってる地盤全部取り上げられた事例が知りたい

anond:20221105183807

「今年の新語流行語」というよりネットでの今年の話題という感じだけど面白い

サイゼは今年だったっけ。あれはいろんな立場の人が騒いでいて面白かったな

けつあなは知らなかった。「奔放な女性関係」がなんで「けつあな確定」という言葉にまとめられたのかな

検討使」「閣議決定」「旧統一教会」「ウクライナ侵攻」あたりはネタとしては本家かぶるかもしれないが、「国葬儀」「宗教二世」や「キーウ」よりはいいと思う

2022-11-03

カルトにはまって家族崩壊とか宗教二世境遇とか、タレント議員さん達はどう思う?

今まで政治の道に進もうと思っていなかった人達。こんなに清濁の濁にまみれて、やっていける?精神もつ

何かを捨てなきゃ、あんなことこんなことできないよね…

2022-11-01

ついでに注目されないか

競馬でスッた」が脳死型の宗教に貢いだは、ギャンブル二世被害者家族?として体感としてあっている。言いたいことはギャンブルなら家族を壊してもなんでいいの?某宗教みたいに同情されたいのだが??という自分お気持ちである話題宗教二世ものは色々読んで近しいもの勝手に感じている。

競馬も語弊もなく言えば宗教同様に1日の掛け金が制限されていないわけで、1日あたり数百万〜に突っ込むことができる。うちの親は競馬で身を滅ぼし、一家は離散した。

自分子供の頃から今もクリーン化を目指している競馬は、逆に今話題宗教と何が違うのだろう?

勝手に賭けたのと勝手お布施したというが両方にはそれなり何か(自分からでも他人からでも)強制力がかかっていたのでは?依存とはそのあたりにあるのでは?

親にはギャンブル依存系の互助会にも行かせたりしたがまあ全然だめで、結論子供も含めて全力で離れるしかなかった。

公営ギャンブルの盛り上がりはいいが、ギャンブルはそれなりに被害者を生む可能性があること。

You Tubeでよく競馬で数百万負けた〜はエンタメになっているものの、そろそろなんか言われても仕方ないからほどほどに楽しんでほしい。

2022-10-31

奴隷の子奴隷になるのになぜ子供を産むのか

極端なことを言っていることを承知で書く。

 

経営者二世三世地主みたいなやつが子供を産むのは理解できる。

 

なぜなら、何もしなくても食うに困らない金やリソースがあり、それを自分の子供に継承させることができるので(産んだことに対してのある種の責任果たしていると思うし)

 

ただ、ただのサラリーマンだったり、生活に苦しい人が子供を産むのって子供からしてみたら残酷なことじゃないか

 

基本的な養育(食事教育など)がなされたあと、教育期間が終わったら、もう基本的に面倒は見ないか仕事して金稼いで頑張ってな

 

って社会に放り出して、資本家にこき使われる人生(40年続く、今後は50年になるかも)、奴隷は言い過ぎかもしれないけど、普通に進化版の奴隷でしょ

 

誰かが働かなきゃ社会が維持できないのはわかってるんだけど、第一次産業もある程度自動化されてるし、人口全体が働かなくていいし、社会維持に必要第二次産業もそこまで人口使う必要ないと思ってるし、

経済成長をしていかなくてはならないという呪いから解き放たれれば、社会全体の仕事する時間の半分くらい減らせるような気がするけどどうなんだろうね。

 

話が脱線したけど、戻します。

 

昔は子供労働力として使っていたり、「家」が労働力必要としていた(農家だったり)ので作るインセンティブはあった。

 

ただ、現在労働力として扱ったら基本的ダメだし(ゆたぼんのパパとかあれ大丈夫なんか?とは思う)、

逆に教育コストのほうがかかって「家」としてのインセンティブはなくなったと思う。(前述の既得権益層は違うが)

 

「家」の話をして思ったのは、旧来の「家」という概念を持っている集団子供をつくるメリットがあるけれども、

現在の「家」の概念って「家族」に変化したと思うし、

その「家族」も「個人」の集合体から子供を作るメリットが「個人」には薄いんだろうなという考えに至った。

 

皆さんはどう思いますか?

2022-10-27

表現弾圧肯定する様になった左派

これは自分が親世代からバリバリ党員、いわゆる党員二世なので感じる事なのかも知れないけど(活動はしておらず、現在は名簿上だけの存在)

左派による「表現の自由主義」=「ネトウヨ」=「オタク」=「表現の自由戦士w」という揶揄する流れが

ここ2、3年で急速に進んでいると思う。


まあ原因としては幾つもあってこれだけが悪いと断言出来るものは無いんだけど、元々は「表現の自由」という概念リベラルの強いイシューだった訳よ。

そこにも共感してたか自分共産党には長らく投票してたんだけど、さすがに近年は主張の変遷についていけず、無理になった。

少しでも歴史を知っていれば、「危険思想」として弾圧されてきた歴史を持つ共産主義左翼思想を是とする人間が、「表現の自由」を主張するものネトウヨ的なものとして愚弄するなんて有り得ないんだよね。

いやあり得なかったんだけど、現実的に「表現の自由戦士」と揶揄される人達対立しているのは、左派とか共産主義を是とする人達が多いのが現状。


もちろんそこにはオタク的なもの萌え的なもの、しいては男の性に対してのヘイトが前提としてあって、表現の自由を叩くのはその一つに過ぎないんだろうけど

長らくリベラル理想的理念を信じてきた者としては、もう数年前から共産党には投票出来ない訳なんですよ。

無論立憲なんてよくも悪くもリベラルの掃き溜めみたいなデッドコピーから共産党以上に投票する価値がないし。

この前の選挙なんて、追悼の意味もあったけど、自民党に数十年生きてきて初めて投票したよ。

二世自分がね。本当におかしくなったのかと我ながら思ったけどそれ以上にリベラル表現の自由を叩く、即ち表現弾圧肯定している現状が嫌で辛い、悲しい。

2022-10-26

ゆたぼんって宗教二世みたいなもんだよね

そのうち洗脳解けるのかな

2022-10-22

統一教会すら二世を育ててるのに

なんで左翼リベラル二世は続かなかったの?

親の教育が足りなかったの?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん