「競馬でスッた」が脳死型の宗教に貢いだは、ギャンブル二世?被害者家族?として体感としてあっている。言いたいことはギャンブルなら家族を壊してもなんでいいの?某宗教みたいに同情されたいのだが??という自分のお気持ちである。話題の宗教二世ものは色々読んで近しいものを勝手に感じている。
競馬も語弊もなく言えば宗教同様に1日の掛け金が制限されていないわけで、1日あたり数百万〜に突っ込むことができる。うちの親は競馬で身を滅ぼし、一家は離散した。
自分が子供の頃から今もクリーン化を目指している競馬は、逆に今話題の宗教と何が違うのだろう?
勝手に賭けたのと勝手にお布施したというが両方にはそれなり何か(自分からでも他人からでも)強制力がかかっていたのでは?依存とはそのあたりにあるのでは?
親にはギャンブル依存系の互助会にも行かせたりしたがまあ全然だめで、結論子供も含めて全力で離れるしかなかった。
公営ギャンブルの盛り上がりはいいが、ギャンブルはそれなりに被害者を生む可能性があること。
You Tubeでよく競馬で数百万負けた〜はエンタメになっているものの、そろそろなんか言われても仕方ないからほどほどに楽しんでほしい。
その例えはちょっと正しくないな 宗教と比較するなら「インフルを信じてサロンに入会して指示に従ったらお金なくなってもうた」「インフルに従ってノ〇コインに全部ぶっこんでほぼ...
インフルと言えばインフルエンザだったのにコロナの出現で影が薄くなってついにインフルエンサーに略称を奪い取られてしまったのか
いわれてみたら最近「インフルエンザ」の意味で「インフル」って語を使ってねえな コロナ8波とコンボで来られて本来の意味を取り戻す展開とかイヤなのでインフルには静かにしてお...