はてなキーワード: タグとは
おけパやこちら(https://anond.hatelabo.jp/20200706165448)を読んで、確かに“神側”の話ってあまり見ないなと思ったので、私も少し書いてみることにする。
おけパの話には限らないが、“神”をやった経験のお気持ち表明兼体験談である。
ところどころフェイクを入れるので、その辺りは適当に流してもらいたい。
作品を作るのは好きだし読んだ人の反応を見るのも好きだが、交流は面倒でやりたくない。
コメントをもらえば嬉しいが返信が苦手でマシュマロもやったことがない。
なので、反応がいいねやブクマがメインで、もしコメントをもらっても返信してもしなくてもいい支部は居心地のいい場所だった。
そんな不愛想な字書きが、たまたま手を出したのが当時の覇権ジャンルだったがために、支部のランキングに載ってしまった。
閲覧数がガンガン回り、いいねも沢山もらってコメントも来た。フォロワーも増えて、友人からも「すごいね!」と言われたりした。
楽しかったので投稿を続けていくうちにフォロワー数が増えて、私はいつの間にかランカー常連になっていた。
まず違和感を感じたのはブクマといいねだった。投稿するとすぐにブクマといいねが付く。
5分もたっていない、1分程度。
つまりこのいいねとブクマは、読んでいないのに付けられている。
コメント欄を見るとじきに分かった。ずらりと並ぶ笑顔のスタンプに混じって、「新作ありがとうございます!」「新鮮な神作品!」投稿されたこと自体に対するいいねだったらしい。
でもまだ読んでないんだよね。何がどう良いんだろうね。
しかしまだこの時は、新作キターーー!!!の気持ちもわかるので気にしないようにした。
歓迎してもらえるなら良いことだから。この頃は自分が考えすぎなせいだろうと思っていた。
投稿したての時は、前と同じく、新作を歓迎するコメントと笑顔のスタンプが並び始める。
そこでふと思いついて、閲覧用に使っている別垢から怖がっているようなコメントを別人のふりして書き込んでみた。
すると今度は次々に「怖かったです」「ぞっとしました」……並ぶ並ぶ怖かったコメント。
つまりここに並ぶコメントやスタンプは、前にあるコメントに合わせて書かれていたのだった。
私は交流はたいして求めていないが、作品はとても真剣に書いている。
ホラーなら基本的に怖がってほしいし、ほのぼのならほっこりしてほしい。
無論、こちらがホラーのつもりで書いても読者がそうじゃないと思ったのならそれは仕方のないことだが、目指して書いているものはあるのである。
けれど真剣に書いてランカーになっても、得られるのは読んでもいないうちに為されたコメントと前の人に合わせたコメントなのだと思うと、虚しくなった。
私の力量や技術もなにも無い。
ホラーのコメント欄に並ぶ同じような笑顔と同じような恐怖のスタンプのが私にはよほどホラーである。
その感想コメント、本当にあなたが感じた感想なんですか?と尋ねてみたくなったが、それはやめた。
コメント貰えるならいいじゃん、繊細かよ、と自制する気持ちは残っていたし、返信をあまりしないのだから仕方ないと思ったのである。
返信は、苦手だがたまにしていた。すると「コメント返してもらえた」「神に認めてもらえたみたいで嬉しい」と言われるようになった。
逆に返さないと「失礼なことをしてしまいましたか…?」と伺いのメッセージが来たこともある。
こちらの苦手意識の問題なのでと返信はしたが、居心地の良かった支部が居心地の悪い場所になりつつあった。
返信への苦手意識は加速した。
この辺りから、読者の反応とは表面通りのものではないと疑い始めた。
この頃になってくるとおかしな人も出始める。
「次の更新はいつですか」と延々メッセージを送ってくる人がいた。
更新に間があくと「あなたには更新の義務がある」、「才能に恵まれているのだから書かなければならない」と謎の説教を送ってくる人もいた。
いざ更新すると「面白かったです。次はいつですか」だけの短文が来る。明らかに読んでないだろう投稿したての時にである。
この辺りはあきれていたので返信しなかった。
パクリや、なぜか別のジャンルのタグを登録してくるというよく分からない行動に出る人もいた。
聞いてみると「増田さんの作品はこっちのジャンルのがあってます」とのことらしい。しかし違うものは違うので断った。
書きたいのに書く時間が減っている。なのに更新の催促は来る。よくわからないコメントも沢山来る。
まるで自分ではない虚像に話しかけられているようで、誰と話をしているのかと相手に尋ねたくなった。
インパクトがあったのは「あなたのせいでジャンルが衰退します」だった。
ある時、「あなたの作品が好きです。文章が好きです。お手本にして修業します」とコメントがきた。
そこまではまあ良かったのだが、少ししてから「あなたの才能が恨めしい。自分には真似すらできなかった」と来たのである。
そしてその後に、自分なら私の作品をこうするということが延々と書かれている。
最後に「私なんかが書いてもこのジャンルでは無意味だと知りました。アカウントを消そうと思います」とあった。
「残念です。お元気で」と返信すると、止めなかったのが不満だったらしく「神から見れば自分なんてゴミなんだ」ときた。
「増田さんは優しい人だと思ってたけど厳しい人だった」
「あなたのような強さは私にはありません」
私はなにも焼け野原になんてしようとしていない。
私は自分の書きたい話を書きたいように書いただけなのに。
でも「あなたのせいでやめる」、「自信がなくなった」、「あなたのような神がいれば十分だから」と、わざわざ私に言ってから、本当に垢を消した人達がいた。
その中には好きな作家さんもいた。
友人もマシュマロはやっていなかったが、ツイで捨て垢からやられたらしい。
詳しくは書かないが「増田さんとどういう関係なんですか?」から始まったそうである。
この友人はオフでもオンでも仲良くしてくれる貴重な友人である。
幸い運営に通報してすぐに終わったが、自分でない人に被害が及んだのはとても恐ろしかった。
ある人(Aさん)の書いた作品が自分の書いた作品と設定が似ていて、投稿は自分が先だった。
それを読んだらしい人がAさんに「神の作品をパクるなんて!」と凸ったのである。
自分の方にもコメントが来て「パクられてますよ!」と騒がれた。
読んでみると確かに設定は似ていたが、よくある設定でパクリとは思えなかったのでそう言うと、「増田さんは騙されてる」と言い始める。
きつめに注意すると、
「神に対して意見するなんて恐れ多いことをしました。私を許して下さい」
通報してくれというので私はこの騒いだ人を通報した。ただただ虚しかった。
Aさんは垢を消してしまったが、後で別のジャンルで元気にしていらっしゃったのが唯一の救いである。
こうなるともういい加減嫌になってきたので、仕事が忙しくなったのを機に少し支部から離れることにした。
しかし離れている間、平和だったかというとそうでもない。今度は本当にパクられたからである。
私はもう一度支部に戻らざるを得なかった。
こうして書き出してみると、あのジャンルにいた間にも結構な目に遭っていた。
一つ一つは小さなことでも、これだけ積み重なるとつらくもなる。
創作にも沢山のコメントにもトラブルにも大概は一人で対処しなければならない。
他の人の流れに乗って書いただけの空虚なコメントにも、一方的に期待にも、失望にも、更新の催促にもである。
本来は書き手を応援すると信じられていたはずのコメントに、心の奥底で冷めた感情しか持てなくなってしまったことが寂しくなる。
“神”には、この不愛想な一人の字書きの上には、一体何が投影されていたのだろう。
私には今でも分からない。
※追記
この文章にもきっと、神扱いをなぜ有難がらないのかとか、自分で”神”と名乗ってここに書くこと自体に不満を持つ人もいるだろう。
その違いこそがこういう現象の原因の一つなのだろうと思う。そういう人はそれでいい。
ただ、自分の”神”にコメントを送る前に一度立ち止まって考えてほしいと思う。あなたの”神”が疲れて虚しくならないように。
twitterで同じジャンルのファンと繋がる、つまり相互フォロワーになるという目的で使うタグだ。
だが上位ツイートに出てくるのはほとんどが、神絵師と呼ばれる数千~数万フォロワーを抱える絵描き層だ。
では彼ら彼女らはそのフォロワーのすべてと相互フォロワーであるのか?
否である。
「私と同じくらいのフォロワー数がある、
人気のクリエイターはこの機に繋がってください。
広めてくださいね」。
そういう意味だ。このタグはもはや承認欲求を満たすために使われている。
私もある程度人気な界隈で絵を書いている一人だ。
私は一番最初に友達つくりのためにこのタグを使ってから、もう使っていない。
数千人のフォロワーがいるなら、その人達から友達ができたらいいと思っているからだ。
気になる人は神絵師や神字書きだろうとなかろうと、そもクリエイターでなかろうと、ファンなら誰でも仲良くさせて貰えれば嬉しいからだ。
もっとも、だからみんな私みたいにするべきだと言うつもりはない。
が、このタグやジャンルを承認欲求のために使うのはジャンルにもファンにも失礼だと思う。
でもそれを隠す努力をしてみてほしい。
本人が思ってるより見ててばれてるし、きついです。
私は字を書く腐女子だ。
男同士の恋愛を妄想してはその一部始終をダラダラとツイッターに流したり、ピクシブ(支部)に投稿したり、気まぐれに本を出したりするのが生きがいだ。
今までに何度かイベントに出て、何度か新刊が完売したり、何度か完売しなくて現在もそれなりの在庫を抱えているくらいの、まあどこにでもいる同人女である。
色々な反応や記事を見てニヤニヤさせてもらった。ああいうのだいすき!!!!!!!私ならおけパ即ブロして、別垢から監視リスト入りさせてるけどな!!!!!!!
私は自分で言うのもあれだが相当に性格が悪い。中身はこんなんでも本アカでは健気に猫を被っている。
いつものように傍観者気取りで黙っていても良かったのだが、せっかくだし吐き出す事にした。
クソ腐女子の激重感情、お気持ち長文、分析考察、本当にありがとう。
↓
フォロバを貰えなかった本当の友川からすれば、私はおけパに近いのかもしれないな。でも私は自分の事友川だと思ってるから、そう自称させてもらうな。
今いるジャンルは主人公受け(主人公をBとする)のカップリングが一番人気だった。
規模はそれなりにでかいのだが、私がそのジャンルに出会った時には最盛期を過ぎていた。
それでも推しカプA×Bを検索すれば成人向け小説が4桁単位で出てくるし、「斜陽」となった今でも参入者はいるし、支部の作品だって時々増える。
今のジャンルに来る前の私は読み専、ロム専というやつだった。
いや、実は一次二次問わず執筆自体はずっとしていたのだが、一切ネットへ投稿せずに過ごしてきた。
私も最初は多くのロム専がするように、先人が残していった遺産をほぼほぼ漁り、漁りつくして、それでも足らなかったので自分でも書くことにした。
初めてのA×B。それなりのものが書けたので投稿した。3桁程度のブクマ評価を貰い、それなりに満足した。
もう一本思い付いたので、また書いて投稿した。
そんな事を繰り返し、自作品におおむね○○usersのタグが付くようになると、私もいっぱしの字書きになれた気がしてくる。
A×Bで書きたい話はまだあったし、私も本を出してイベントに出れば、神たちと交流できちゃったりして??
神絵師、神字書きのイベント終わりのキラキラアフターツイート群に、私も憧れていた。
そんな薄暗い野心を密かに抱きつつ、私はとうとう交流用の二次創作アカウントを作った。
初めは当然見向きもされなかったが、自分の作品や呟きには既に「ウケる」自信があった。
妄想ツイートを続けていると、♡やRT、フォロバやフォローしてくれる人が増えるようになる。
あの作品、まさか読んでいただけてたんですか!ありがとうございます、嬉しいです!作りたてのアカウントですが、よろしくお願いします!
そのうち「支部に最近現れた字書きの○○さん」本人だと認知されるようになった。
計画通りだった。
いそいそと推しカプのイベントに行き、一般参加だと買えない事の方が多い、とある神絵師の本を勝ち取った。
例のアカウントで「○○さんの本最後の一冊だった~~!!絶対欲しかったから大勝利♡」などと呟いていると、
ちょうど呼吸のごとくA×Bの妄想ツイートもしたところだったので、そちらに反応したのかもしれない。
神絵師は滅多にフォロバをしない人で、自身の呟き自体も少なかった。
その神絵師が私のツイートに♡やRTをくれると、みるみるフォロワーが増えていく。
うーん、さすが拡散力が違うな。
そんなこんなが積み重なり、今の私の本アカはフォロー<フォロワーである。
長々と現状共有をしたが、私にも界隈で嫌いな人はいる。けっこういる。
A×Bの解釈が合わないとか、A×Bで繋がったものの、その後別カプに移動してしまったり、はたまた別ジャンルに移動してしまったり。
私はA×B固定なので、申し訳ないと思いつつ、そういう人たちは早々にミュートしてしまう。
他のジャンルの話をされたくない。旬ジャンルに誘わないでほしい。お前が勧めてくるそのゲーム、私は公式ブロックしているからな。A×Bアカではその話だけしてほしい。困る。
・・・・・・すべて私のわがままなのは分かっているが、それが理由で相手に凸したりはしないので安心してほしい。
そんな私にとっても、当然おけパ、おけけパワー中島は存在する。
私と似たような字書きで、もっと古参で、もっと一般受けするような作風の人とか。
かなーりコミュ力が高くて軽率に褒めてくれるけどジャンルが見るたび変わる175エロ描きとか。
幸い私はクソマシュマロを貰ったことはないが、ここまで読んで貰えば分かる通り、非常~~~に自我が強い。
仮に貰ってもメソメソ病んで泣いて作品を消す事はないし、こちとら腐っても字書きだ。
日頃のツイートから窺える思考の癖や、暮らしぶり、攻撃の手口から絞り込めば、大体こいつだろうなってのは察する事が出来る。
私にも送ってくれないかな~。私は自分を嫌っている人間を特定できるし、送った側は(一旦)溜飲が下がるし、互いに良い事だらけなんだが。
話が逸れた。
私みたいな心の強い同人女だって、きっとこの世には沢山存在するに違いない。
フォロワーの数は肯定力だ。その人の価値全てではないにしろ、「オマエの事を定期的に見ていてやるよ」という意識を(一度は)表明された数だ。
誇りを持っていい。
ようやく本題に入れるが、私は自分が「友川」だと言った。でも同時に誰かの「おけパ」でもあるのだろう。
「友川が凸しなかったのは純粋に偉い。友川になれないオタクいっぱいいる。」
そんなことない。私程度でも友川もどきになれたのだから、友川はもっとたくさんいる。物陰に息を潜めているだけだ。
多分おけパの事わざとフォローしてないんだろうし、おけパと相互になってしまった世界線の友川はおけパの事さっさとミュートして鍵リストに入れてるだろ。
で、憧れの神絵師と自分より仲が良さそうなリプライを覗いては、黒い気持ちになったりしてるだろ。
自分が誰かのおけパになってる事にはうすうす気づいてるけど、さっきフォローしてくれたばかりの新しいフォロワーのホームまではいちいち見に行ってないだろ。
そいつ、最近界隈に来た私たちの後輩かもしれないぞ。あれは少し前の私かもしれないんだよ。
私が気軽にフォロバしない理由は、先述の通り「地雷を踏む可能性が高いと気付いたから」だ。
A×B以外を、私が望むタイミング以外で見せられたら困るのだ。
私は175作家と旬ジャンルに食いつく腐女子を親の仇ほど憎んでいるので、誰かをフォロバしようかなと思ってから少なくとも1か月は監視している。
誰と仲が良いか。そいつのジャンルは何か。コミュ力が高いか。ジャンルの経歴はどんなものか。
日常ツイートの傾向にイライラしないか。かまってちゃんじゃないかどうか。
生活レベルが自分とかけ離れていないか。価値観が合わないといつか決裂する。
・・・・・・私は結婚相手でも探しているのだろうか。でも実際、推しカプって大体は恋愛させているのだし、個人の恋愛観は重要だと思っている。
びっくりするほど上から目線だ。自分でも何様のつもりだって感じだが、結局ここまで吟味したフォロワーでなければミュートすることになるのだから、
腐女子が大好きな学級会で声高々に叫ぶやつだ。そういう事だぜ。
友川本人の話に戻ろう。
地雷は年々増えるものだ。私だって昔はプロフィールに「地雷なし」と書いていた時代があったさ。
普通は地雷を名言したりしないし、貴方のここが私の地雷だからフォロバしません!なんてわざわざ言わない。
友川からしたら綾城は好み100%圏内なんだろうが、綾城にとっての友川の作品傾向が100%好みの範疇に入るかは分からない。
綾城がどうでもいい日常ツイートをするたび、謎の鍵垢からどういう意味かも分からない♡が一定数付く。
原稿のご褒美と称した、ただのコンビニアイスの写真がRTされる。正直意味が解らない。晒されているのかと思う時もある。
賞賛の数だけ、嫉妬と中傷が付きまとう。人間が画面の向こうに居る以上は仕方がない。
友川だって、支部のブクマに1つでも評価が付いた瞬間から、誰かの綾城になっているのだ。
もう少し肩の力抜いて生きようぜ。オマエが綾城だけを見ている間に、オマエのフォロワーがオマエにフォロバして欲しがっているんだぜ。
私が初代アカウントを作ったのは、2010年の夏くらいだ。botばかりフォローしていた。怖いモノ知らずだったので、「クリスマスの梅田で通行人をXXする」といった大量殺戮を示唆する犯罪予告を投稿していた。時効は3年らしい。
長い歴史で何か覚えているのかというと、毎日の朝ごはんのメニューを覚えているのかというのと同じで、長いお付き合いをしているため、逆に記憶があまりない。
沢山のアカウントを作っては消していた。長いお付き合いだ。煩雑な情報に疲弊している為、もう正直辞めたいのだが……のなんども思ったが、現代人の日常生活の一部になってしまったので続けている。
日本語ハッシュタグの大喜利に顔をしかめていたのに、アイドルの誕生日のタグイベントに参加するようになったくらいだ。
インタビュースもアスクもお題箱もマシュマロもやったことない、王道ツイッタラーなのだが、もうこういった交流ツールを使うことは一生なさそうだ。
DMMゲームズ(現:合同会社EXNOA)で配信されている「文豪とアルケミスト」というゲームがアニメ化された(通称文アニ)。
元のゲームは本を侵蝕し消そうとする侵蝕者という敵に対抗する為、アルケミストである特務司書が文豪を転生させて戦わせるという、艦これやとうらぶの本・文豪バージョンみたいなものだ。基本システム(クリックゲー)なのも大体同じである。
ただ転生した文豪は本人という訳ではなく、本人の逸話や後の評価、あるいは著作といったものから出来上がったイメージが元となっている。例えば前者なら芥川龍之介がヘビースモーカーであること、後者ならば江戸川乱歩が奇術師のような格好・振る舞いをしていることなどが挙げられる。
昨年末にアニメ化が発表されたのだが、当初の評判は芳しくなかった。
なんといってもキャラクターの立ち絵だ。中嶋敦子氏の絵は華麗ではあるが癖が強すぎる。服飾の柄がかなり省略されていたことなどもあり、「大丈夫か?」という不安の声があちこちで聞こえてきた。また、他のゲームほどの知名度もないのも相まって「本当にアニメ化するのか?」と考える人もいたくらいであった。
ところでゲームのアニメ化は「新規ユーザー獲得の為」と「既存ユーザーへのサービス」という二つの観点があると思う。
まずOP。神風動画が担当しているのだが、あまりにも小ネタが多すぎて一話にして考察タグが作られた。
https://togetter.com/li/1490059
冒頭に作成スタッフのツイートも纏まっているが、現段階でまだ見つかっていない要素が三分の一あるという。
本編のストーリーに関わる箇所もあったことが判明しているので仕方がないとはいえ、まだあるだと……?!とゲームからの司書(特務司書という役職からユーザーのことを『司書』と呼ぶ。提督や審神者と同意)に驚かれたものだ。
なお本当にやばいのはOPそのものではなく、アニメ化以前からOPムービーを作らせて欲しいとゲーム制作再度へ主張し、いざ依頼してみると曲が決まる前に絵コンテが届いたということだろう。こちらはサウンドトラックCDのブックレットで明かされている。
キャラクターの造形に関しても「キャラを動かす為の省略である」「立ち絵が一番アレ」と一掃された。特に戦闘シーンはキャラがよく動く。柄なんて描いていたらアニメーターが過労で倒れてしまう。
以下からはネタバレを含みつつになるので、何も知らないまま見たいという人はアニメを見てから読んでいただきたい。
第一話のモチーフは「走れメロス」だ。恐らく多くの人が教科書などで読んだことがあり、また読んだことがなくとも大まかなストーリーを知っているだろう物語で、アニメで初めて文豪とアルケミストを知った視聴者には良い取っ掛かりだ。
けれどストーリーの中で「当然知ってますよね」といった態で織り込まれたのが「パビナール中毒で入院」と「四メートルの手紙」という太宰治のエピソードだ。
「パビナール中毒で入院」というのは鎮静剤パビナールの中毒になった太宰が師である佐藤春夫の紹介で彼の弟が勤務する病院に入院したものである。いくら深夜アニメとはいえまさか初回でそれを持ち出すとは、とあまりにもチャレンジャーな内容に驚いたものだ(しかしこれはほんのジャブであることを話数が進むにつれ思い知らされる)。
「四メートルの手紙」というのは芥川賞の選考委員でもあった佐藤春夫へ芥川賞を嘆願する手紙のことで、近年発見された書簡は何度か展示もされている。芥川賞を熱望した太宰は他にも佐藤へ色々やらかしているし、ついでに太宰が受賞することに反対した川端康成宛へ誌上で「刺す」と書いたり、嘆願の手紙を出したりもしている。
これらのエピソードは司書達は共通認識として知っていることであり、改めて説明が不要な内容であった。それらを深い説明もなくさらりと盛り込んだのは「司書たちならわかりますよね」といった制作者の意図が透けて見えるようだ。
そう、あくまでさらりなのだ。OPの考察タグからもわかるように司書たちは元ネタ探しを厭わないし、それを共有する下地がある。知らない人が「ふーん」と流すことも「これこれこういうエピ-ソードがあるから……」と今までの知識から察し、あるいは知見ある人のツイートを共有して考察していくのだ。
それらが決定的になったのが最新話の第八話である。
ただでさえ前話で人気キャラが燃えた上にコロナの影響で一ヶ月休止があったのに、更に重くなっていくストーリー、に上乗せしていくエピソードや考察、そしてOPの新発見。
「クライマックスに向けて物語は加速していきます」「次回は控えめに言って凄い」「アニメチーム渾身の9話」「お覚悟を」
(承認され過ぎてアカウントを消した話を読んで共感しまくったので殴り書きさせてもらう。口調があっちこっちいってるけど口は一貫して悪いので気を付けてくださいね。)
こんなことしてるけど私は承認欲求がちゃんとある。でも消す。フォロワーは多ければ多いほど面倒ごとが多く、素晴らしいことはかき消されるからだ。
文字入れようがプロフに書こうが正直無駄。あれは無断転載防止じゃなくヤバい事態になったときの防衛手段だから。掲載をやめろと言っても無視か日本語が通じない。「絵が好きだったからしょうがない」みたいなことを向こう側が言い出す。あとCP絵を勝手に海外サイトへ転載されて癇癪起こした面倒オタクがID辿ってわざわざDMで英語の長文お気持ち送ってくるとか誰が予想できる?掲載の仕方がマナー違反とか言われてもそれ掲載した奴に言え。どう考えても無断転載の宝庫みたいなユーザーの投稿だっただろうが。言語の壁あるのに会話も殴り合いとか不毛にも程がある。
同じジャンルで描いてるのに堂々とトレスしてお気に入りなのかアイコンにもするし繋がりたいタグにも載せる奴も出てくる。悲しくないの?それ代表作にして。
・ダル絡みが増える
タメ口リプは日常茶飯事。なまじ承認欲求があるのでFF外の通知けしてないせいでもあるんですけどね。反応に困るリプ、自分語り、不謹慎ネタ、ここはフリースペースじゃねぇ
・乞食が増える
あれかいてこれかいて、あれ配布してweb再録して、データのこってないかその他諸々。絵が大好き?ありがとう。でもそれは絵描きに何でもしてもらう免罪符じゃないぞ^^
・応援の声が小さくなっていく
「こんなにフォロワーいるなら皆応援感想送ってるでしょ」そう!誰も送っていないのである!嘘です無い訳じゃない。
でもフォロワー1,000くらいの時のほうが沢山感想もらえてた。面倒ごとは増えていくのに応援の声が無くなってきたらそろそろ潮時かなって思うよね~。
・クソマシュおけパ現象が起こる
ずっと仲良くしてくれてた人にアホみたいな理由で私と距離置かせようとするの何????アホみたいな理由とか言っちゃいけないんだろうけど、こっちから見るとマジで何してくれてんの???ってなる。申し訳ないしこっちで注意しても火をつけるだけだし慰めるのも立場上難しいし謝るしかない。でも謝ると相手の罪悪感も煽ってしまう。本当にクソ。わざわざマシュマロAIに弾かれないような文章考える暇あるならもっとやることあるだろ~
・何故かごく少数の相互に舐められる
私のクソザコキャラもあるのかもしれないけど。私の方がフォロワー数少なかったときはマウントとったりしないのに、私がフォロワー数抜くとマウントを取り始める人種が2%くらいの確率で発生する。扱いは雑になっていくし弄りはディス一歩手前、約束は約束にならない。フォロワー数では負けてるけどこっちのフォロワーは質がいいからみたいな謎マウントをされる始末。そもそも2次創作で増えたフォロワー数振りかざしてくる時点で理解できない。「え~そうなんですか!すごい!」と相槌を打ちおろして様子見つつブロ解の流れになる。
私は基本怒らないしヘラヘラ笑ってヘラヘラ笑いながら関係を切る。上手く隠せたからなのか、切ると大体別垢から理由を問い詰められる。非常に面倒くさいです。
こんな感じになるのはごく少数だけど相互な分距離が近い。舐められ方が斜め上だから毎度存在感があって困っている。
・発言に気を使わないといけない
揚げ足取りしに来る奴が出始める。Twitterの通報がガバガバなせいで半年前のツイに含まれてた「~だしね」の「しね」を通報された。あと早とちりしちゃったツイが秒で拡散されたりもするので早すぎる情報に便乗できない。
・毒マシュを貰うようになる
ぱっと見の文面で内容読まずとも悪意がくみ取れるようになってしまいましたね。読まずにブロック出来るスキルを手に入れました。よく「100の賞賛があるのにたった1の毒マロで筆折るなんて!」って意見目にするけど100回撫でられても1回刺されたら血は出るだろうが。
あと知ってます?毒マロ送る前に自分のマロがちゃんと相手に届いてるかどうか見るために、最初は褒めてきたりするんですよ。
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他にもあるけどピックアップするとこんな感じです。何度でも言うけど見てほしいからSNSしてるんであって鍵にもしたくないしFF外の通知も切りたくない。だから転生を繰り返していますって話。文句上げたらキリないけどちゃんとTwitterでは出さないようにこれからもヘラヘラしていきたい。楽しいことの方が多いしこれからも生き返ります。
ジャンルにもよるけどフォロワー数5ケタで転生するのが一番気楽。数年持つこともあれば1年でダメになっちゃったりするけど仕方ない。面倒なので。フォロワー数は5000いかないくらいが一番楽しいよ。
自分がどうしてこんな気持ちになってしまったのか全く分からない。
気持ちの転がるスピードについていけなくなっている。落ち着くために増田を書く。
もともと周囲に腐女子は沢山いた。学生時代は常にクラスで一番おとなしい女子グループに所属していたし、芸大に進学するとそれはそれは沢山いた。だから友達におすすめのカプ本を見せてもらったりしたことはある。でも何を見せてもらっても、どれだけ魅力を熱弁してもらっても、全くテンションが上がらなかった。女の子が出てくる恋愛漫画はいくらでも面白いものが見つかるのに、なんで…といつも思っていた。
オタクな友達に囲まれているのに自分だけがオタクになりきれなくて、疎外感ゆえに八つ当たりして「これ男同士である必要あんの?」とまで思っている時期もあった。
今から2ヶ月ほど前。
旦那がとあるゲームを買ってきた。数年前に発売されたゲームで、自粛要請期間中にやってみようかなと言う。せっかくだから私もやってみることにした。
うん、結構面白い。キャラクターデザインなかなかいいな…と思いながらプレイしていると、一人のメイン登場人物、Aのイベントシーンに目が釘付けになった。
なんだこれ。なんだこれ。えっっこれは……かっこいい……………。
急に画面を直視できなくなった。自分の心臓がものすごいスピードで鳴っているのが分かる。なんかめちゃくちゃ暑くなった。
その日はなかなか眠れなかった。目を閉じると例のイベントシーンが浮かんできて、また暑苦しくなってしまう。
翌日の仕事も全然集中できず普段絶対にしないようなポカミスをした。家に帰るととりあえず例のイベントシーンの動画を見た。昨日に比べると少しはマシになっていたがそれでもまた同じように心臓がドクドクしているのが分かった。
それから数日、一人になった時間を狙ってイベントシーンの動画を繰り返し、繰り返し見た。見ていない間は思い返した。
そのイベントシーンは時間でいうと非常に短いもので、シーンが終わるとロードを経て通常のプレイ画面に戻る。
何度も何度もシーンを思い返すうちに「画面が戻る間、彼は何をしているんだろう」という疑問がわきあがってきた。
気が付くと数年ぶりににピクシブのアプリをダウンロードし、「A」で検索をかけていた。案の定シーンとプレイ画面の狭間の時間に何があったのか想像して描いている方がいた。貴女が神か。ありがとうございますありがとうございますと、いいねをした。
そこからはタグを辿って延々とAのイラストを見続けた。最高。最高すぎる。かっこよすぎる。なんだこれ。男性キャラでこんなにかっこいい人がいるなんて。
タグの中でも特に沢山Aのイラストを描かれている方は、BというキャラとカップリングさせたBL作品も描かれていた。
B?あぁー最近攻略したとこでちょっと出てきたな…と思いつつ、美しいAのイラスト表紙に吸い寄せられて思わずタップしてしまった。
読んだ。感動した。泣いた。なんて美しい愛。なんてピュアな恋。
あまりにも美しいキャラクター達の恋心の発露に、いびきをかいて寝ている旦那の横で声を押し殺して泣いた。
B、何者なんだ。気になる。Bも最初は気づかなかったけれどめちゃくちゃかっこいいじゃないか。
こっそりベッドを抜け出して、ゲーム機を起動させてBがメインで出てくるところまでぶっ通しで攻略した。もう完全に眠気は吹っ飛んでいた。
AとBが会話をするイベントシーンを見て、例の同人を思い出してまた涙ぐんだ。もう私の中でAとBは完全に運命の恋人同士になっていた。
それからというもの暇を見つけてはピクシブでAB作品を探し(もちろん原作のゲームはあれから速攻でクリアした)、ニヤニヤする生活を送っている。
本も買いたいけれど、数年前の作品だからか軒並み完売しておりどれも手に入らない。仕方ない。
とにかくネットでAB作品を見るのが楽しい。読むと、温泉につかったときに「あ゛~~~」と言いたくなる、あの染み渡るような感じがする。ABに自己投影しているというよりは、ABの2人が幸せにしている空気に「あてられる」感じがする。
なるほど、色んな友達が壁や観葉植物になりたいと言っていたのは、こういうことなのかもしれないな。
人生で初めてBLにハマッたことを私はまだ誰にも話していない。
なんだか少し気恥ずかしい。自分でもまだ気持ちの整理ができていない。腐女子の友達にもABに大して興味が無いならば言わないほうがいいのかしらとも思っている。
差別に反対する活動家たちが怒りを煽って生理的な恐怖や生理的な嫌悪を正当化した結果
自分たちの怒りや恐怖や嫌悪に正当性を持つ人たちによる強烈なバックラッシュが起きるのだろう
#2020VISIONは上手いタグだね。
カニエ個人での行動じゃなくて既に組織的に動いてる感じがする。
バイデンがこの流れで副大統領に黒人女性候補を立てて、リベラルと黒人票をがっつり取り込めれば勝ち目もあるかもね。
そうでなければトランプが再選。
更に大荒れの4年がやって来る。
あれはいわばサーベイ論文。もっと簡易に言えば「その単語に関する何らかの出典のまとめサイト」だからな
Wikipediaのポリシーとしてあらゆる記載に出典を絶対に書くというものがある
もちろん現実的に守れていないことが多いが、その場合は人生をWikipediaに支配されたペディアンたちが「要出典」タグを狂ったように貼っているし
それが甚だしい記事ではページを開いた上部にデカデカと「出典が足らん!」と書かれている
つまり少なくとも信用できない記事には信用できないと書いてあるという信用はあるわけだ
だからWikipediaが嘘だらけとか信用できないと思う人は出典のある記載だけを読めばいいだけなんだ
もし「Wikipediaがソースとかwww」とか言われるんならその出典を辿って、Wikipediaで引用されているのと同じ箇所を探し、そこからの引用とすればいいじゃないか
記載の正確性はWikipediaが責任を負うところではなく、その引用元の正確性に依拠しているにすぎない
出典が不正確なら記事も不正確。というかWikipediaはポリシーとして最初から正確性を追求してなどいない。追及しているのは参照の正確性だけだ
そして、その視点で評価すれば、Wikipediaはかなりしっかりしたサイトだし、調べ物にも十分使えるツールになる
要するにお前らの使い方が悪いだけだ
正直、プログラミングなんかよりもストーリーやシステム、アイデアを考えるほうがずっと難しい。
というかぶっちゃけていえばプログラミングが想像以上に楽で驚いているほどだ。
今なら既存のツールが充実しているから誰でも平易にゲームは作れるということがわかったし、タグなんかも例を見て実際に試せばすぐに理解できる。
これまではまったく畑違いの業種で働いてきただけに(プログラミングって難しそう…)と思っていたけれど、案外大したことない。
要は慣れだし、トライアンドエラー繰り返せば要領はなんとなくでもすぐ掴める。
だから、プログラミングって敷居高そう…なんて思っている人はゲーム作りから入るのがお勧め。
増田にいるプログラマーって謎の選民思想感を出しているというか、露骨にエリート感漂わせてるから「プログラマーって崇高なのか…」と思ってたけど、まあこんなもんかといった印象に感じるようにもなる。だから皆もコロナで暇ができたら、プログラミングやるのもいいと思うよ。
「お友達募集です!」みたいに間口広げてくれてる人に「わたしあなたとお友達になりたいです!」ってアクションしたら「あ、あなたではないです」みたいなリアクションが怖いんじゃん。
私のツイッターアカウントのTLにも例によってその「おけけパワー中島」の元ネタの漫画がどんぶらこと流れてきた。読んだ。
そして、
各登場人物への感情移入よりも先に、この「おけけパワー中島」というネーミングの素晴らしさに、雷を撃たれるような衝撃を受けてしまった。
私は「綾城」や「おけけパワー中島」なんかよりもずっと、漫画の作者・真田氏に強く嫉妬しそうになった。「おけけパワー中島」が出てくる引き出しがあるのがすごい。天才だ。
おけけパワー中島は恐らく、最初からおけけパワー中島ではなかったはずである。
はじめは「中島」とか「中島〇〇」のような名前であった可能性が高いと思う。
そこから例えば「#リプもらった名前で1日過ごす」と言うツイッタータグを実施したり、
あるいは普段の言動の中で「おけけパワー」と発言する事があり、いつの間にかそれが友人間で定着してしまって、現在に至るのではないかと推測できるのだ。
作中で描かれている中島の知人・綾城は品のある大人しげな性格だったので、おけけパワーとあだ名をつけるのに悪乗りするタイプではなさそうである。
という事は、中島をおけけパワーと呼び、それを定着させるに至るに関わった人間は、綾城の他に複数存在する友人である。
これは作中で綾城が「中島さんの新刊も楽しみにしている」と言った事にも裏付けられているが、名前からも伺う事が出来る。
そもそも、おけけパワーとは何か?
おけけとは、恐らく「毛」を丁寧に呼んだ呼び方ではないだろうか。
では「毛」とはどこの毛か。パワーという単語が関わるぐらい中島にとって力強い存在であるとしたら、
仮に「おけけ=陰毛」であるとするなら、中島はR-18系の創作をしている可能性が高い。
あるいは、中島の推しが胸毛がボーボーの男性であった場合は胸毛かもしれないが、その場合もエロシーンで胸毛を喜々として描く中島の姿が目に浮かんでくる。
このように作中描写としての情報量も多いが、メタ的に考えたときにも「おけけパワー中島」の効果はすさまじい。
これは作中で中島に嫉妬する人間の視点でも、漫画を読んでいる我々の視点でも。
ふざけているのかと腹を立てたくなるフレーズであり、
寝る時にふと布団の上で字面を思い出してしまうフレーズであり、
それまで考えている事を一度忘れてしまいそうな集中を削ぐフレーズであり、
おけけパワー中島とはどのような人間なのか真剣に考えてしまいたくなるような哲学的なフレーズでもあり、
同僚Aは新入りの私に親切にしてくれ、面倒なことも率先して引き受けてくれた。
話も合い、仲良くできていたように思う。
ある時Aが「手作りの小物を集めるのが趣味だ」と話してくれた。
「イベントで購入したかったがどうしても買えなかったものがある」とも。
話を聞けば、それは偶然にも私の友人が作ったものだった。
私は友人にその話をした。
すると友人は「これもきっと何かの巡り合わせだろう」と記念として取っていたひとつを譲ってくれたのだ。
私はAにそれを贈答した。
Aはとても喜んでくれ、私も嬉しかった。
それからしばらく経ったある日、別の同僚Bが私にこう言った。
「Aさん、あなたのtwitterアカウントを見ているらしい。気を付けなよ」と。
しかし、事実ならばどうやって割り出したのだろうか、と尋ねた。
それに付いていたタグから友人のアカウントに飛んで、そこからあなたのアカウントまで辿り着いたと言っていた」と返ってきた。
正直ドン引きした。
百歩譲って、誰にも言わずにこっそり見る分には、まあ、気持ち悪いけど勝手だと思う(それならば私も認識できないし)。
即座にアカウントに鍵をかけた。
ただ、Aを糾弾するつもりはなく(変に揉めて仕事に支障が出ても困る)、その後も仕事は続いていた。
あるとき、仕事で使っているツールの個チャでAからメッセージが届いた。
全体に流すまでもない連絡の文章。
その後ろに「○○へ。愚痴は誰が見てるか分からないから気を付けること。byフォロワー」と書かれていた。
○○は私のtwitterのアカウント名である。もちろん職場の誰にも教えたことのない。
私は本当にAを頼もしい同僚だと思っていたから。
すぐにフォロワーを整理した。
仕事を始める前に繋がっていた人、リアルで会ったことのある人を除いて全員ブロ解した。
怖くてそのアカウントで呟けなくなった。
その後、私は仕事を辞めた。
別にAとのことが原因ではなかったが。
辞めてから何ヶ月かして、恐らくAと思しきアカウントからフォロー申請が来た。
なんで通ると思った。
「まだ(私)がフォロー申請を許可してくれない」と呟くようになった。
もう年単位で放置しているのについ最近も呟いていたので流石に怖い。
向こうが私のことをすっかり忘れているのなら良かったけれど、
上の状況なので、もうアカウントごと消さないと私の方が辛いと思ってアカウントを消した。
別のアカウントを作ったが、フォロワー全員と繋がり直せたわけではなく、結構失ったものは大きいと思う。
(「今後はこちらで繋がってほしい」とわざわざリプライやDMをするのも憚られた)
正直メチャクチャに腹立たしい。
突き詰めれば、小物をあげた私が迂闊だったのだろうけれど。
みんなも気を付けてね。
大々的に感想を求めてるなら、まず送られてきた感想に込められた気持ちを大切にしてほしい。
感想に関する話題が上がってくる度に、わたしは数か月前の出来事を思い出す。
Aさんという絵師がいた。
その人は、自分の絵や漫画や作品やグッズについての感想を、かなり熱心に求めていた。
と言っても、嫌味な感じではなく、匿名ツールで感想を募集するツイートを「感想が欲しい」という素直な気持ちを添えてツイートしたり、感想リプには引用でタグをつけたり、寄せられた感想ツイートを繰り返しRTしたり。
ツイートでも時折「感想が欲しい」「リアクションが欲しい」「感想もらえたら元気が出る」「自分の作品について、解釈について語り合いたい」と言っていた。
多少メンタルが弱く、アップダウンがある人ではあったが、人間誰しもそういうもんだろう。それをTL上で表面化させるかどうかだけの違いだ。
私はAさんを片道フォローし、流れてくる絵をRT・イイネしていた。
Aさんがとある大きなイベントへ参加することが決まり、それに向けての作業を頑張っているのを見ていた。
私もいまでこそ読専ではあるが、イベントへの参加経験があり、それに向けての準備が苦しかったり楽しかったりすることも、身をもって経験していた。
そして春になり、コロナウイルスの影響でイベントが軒並み中止になった。
Aさんが参加予定だったイベントも、中止になった。
2020年になった頃からじわじわと騒がれていたコロナウイルスの影響。
2月頃まではギリギリイベントも開催されていたが、3月以降からはバタバタとイベントの日程延期や中止のアナウンスがTLに溢れていた。
参加が決定し、作業も佳境を迎えたころから参加予定イベントの開催が危ぶまれているなかで、Aさんもツイッターで「早く決定してほしい」「何の為にいままでがんばってきたのだ」と荒れていた。
中止が決定し、時間が経ち、荒れたAさんのメンタルが落ち着いてきた頃に、以前と同じように「感想が欲しい」系のツイートをするようになっていた。
作り手の経験があるからこそ、Aさんの気持ちは痛い程伝わっていた。
そして、少しでも元気を出してほしい気持ちを込めて、過去絵や作品についての感想を匿名ツール文字数いっぱい送った。
Aさんは「応援して」「感想が欲しい」「反応が欲しい」と呼びかけ、タグをつけて引用RTし、過去に寄せられた感想を繰り返しRTしていた。
自分に向けられた感想という愛情を大事にしているのだと思っていた。
だが違った。彼女が欲しかったのは「自分が欲しいと思うタイミングで、欲しいと思う相手から、欲しい内容の感想が、欲しい」のだ。
感想を送る際には、匿名性である以上言葉遣いや礼儀、内容などにも特に気を付けていた。
私の解釈を挟んだわけでもないので、解釈違いや地雷を踏んだという事も、おそらくないだろう。
自分の作品への感想を、タグまで作って、広く熱心に求めていたAさんに、私が送った感想は「返事はあざす!の一言だけでいい感想」だと、選別されてしまったのだ。
人間社会と同じで、こういうのは個々人の自由であり、権利であり、ご縁だと思っている。
どれだけこちらが熱心に好きでも、相手がこちらに興味すらないことだって往々にしてある。
こちらが長文の感想を送ったからと言って、同じ熱量で返さなければいけないという決まりはない。
だけど。それでも。
自分の作品に向けられる愛情を求めたAさんは、いざ愛情を向けられたら、それを取捨選択するのか。
それはとっても失礼なんじゃないのか。
ちやほやしてほしいだけならば大々的に感想を求めないでいてほしい。
大々的に感想を求めてるなら、まず送られてきた感想に込められた気持ちを大切にしてほしい。
Aさんに感想を送る自由・送らないという自由な選択で、私は送ることを選んだ。
Aさんはわたしの感想を受け取る自由・受け取らないという自由な選択で、受け取らないことを選んだ。
だからわたしは、Aさんを応援し続ける自由・応援を辞めるという自由な選択で、応援を辞めることを選んだ。
だってそうでしょう。心を注いで受け取ってもらえない相手に心を注ぎ続けることは、できない。
そして今私は、Aさんに「あなたがわたしの感想を取捨選択したように、わたしはあなたの作品も取捨選択する」と、どうやって伝えようかとずっと考えている。