はてなキーワード: ゲルマンとは
最近出た中公新書について、細かい誤りを見つけたんだけどどうすれば著者に届くかよくわかんなかったのでとりあえず増田に放流してみる。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/04/102589.html
「ラテン語は、現代では使われていない古典死語であり、ギリシャ語、ゲルマン語などをはじめとした多くの語派を含有した西洋の古典語である」(24頁)というのは、ちょっと世界史や地理に詳しい人なら容易にツッコめると思う。これを校正さんが見逃したのは本当に謎。
ラテン語はギリシャ語やゲルマン語を含有してない。それらを含有してるのはインド・ヨーロッパ語族だ。つまり、こういうこと。
語族・語派・語ってのは目・科・属みたいなもんだと思ってもらえれば(めちゃくちゃ雑な説明。実際には他の言語との系統関係が証明されていないグループを「語族」というので、目というよりは門とか界とかの上位分類に近い)。こう整理すれば上の文のおかしさもわかってもらえると思う。動物の分類に関する本で言語の分類に関する大ポカをやらかすというのはなかなか批評性が高いけど、生物学が専門の人が言語の分類に明るくないのは仕方ないので、校正さんがきちんと拾ってあげるべきだったと思う。日本語でいくらでも情報が手に入る話なんだし。
「japonicusも「日本産の」の意味であるが、これはJapon(Japanのラテン語綴り)に“-icus”の接尾辞を加えたものである」(186頁)とあるけど、ラテン語で「日本」はIaponiaである。これはラテン語版Wikipediaを引いてみれば一発でわかる。IとJはもともと同じ文字なので、Japoniaということ。どうもこの著者さんは、形容詞形から語尾を引けばもとの名詞になる、あるいは、名詞の後ろに決まった語尾をつければ形容詞形ができると勘違いしているのではなかろうか(「中国」に関する説明からも、そう勘違いしていそうなことがうかがえる)。しかし、英語のFranceとFrenchの関係を見ればわかるように、印欧語では名詞のうしろに決まった語をつければ形容詞になるとは限らないのだ。
少なくとも、この本、ラテン語の部分はラテン語がわかるひとにチェックしてもらって大幅に書き直した方がいいと思う。著者さんが、「学名をつけるときの語尾のいじり方」については知っていても、「ラテン語文法」をわかっているようには見えないので(「こういう名前のときはこういう語尾をつける」というのは、経験知であって「文法パターン」[185頁]ではない)。学名をつける側のひとも、-iや-aeといった格変化のうしろにどんな文法規則が隠れているか知ることができたら面白いんじゃないかな。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/06/102595.html
「フォカスという名の下士官将校」(35頁)ってあるけど少なくとも近代以降では下士官と将校(士官)ははっきり区別される別の身分である。日本語版Wikipediaでは「下士官」と書かれていて、英語版Wikipediaでは「下級士官(low-ranking officer)」と書かれているんだけど、要するにビザンツ帝国軍は近代的な軍組織ではないので、ある階級が士官か下士官か厳密には決められないってことだと思う(フォカスは百人隊長だったらしい。うーん……)。でも「下士官将校」はおかしい。「下士官」と書くか、「下級将校」と書くかのどちらかにすべき(個人的には、前近代でそのへんの厳密な区分はできないんだから、素直に「百人隊長」と書けばいいと思う。こう書けばどんな地位なのか一発でわかるし)。
「セルビア人の有力な領主コンスタンティン・ドラガシュ・デジャノヴィッチ」(275頁)って書いてあるけど、英語版Wikipediaを確認するとKonstantin Dejanovićなのでどう見ても「デヤノヴィッチ」です本当にありがとうございました。ロシア語の綴りはКонстантин Деяновичだけど、これを見れば「デジャノヴィッチ」ではありえないのが一発でわかる(セルビア語のja=ロシア語のя)。ひょっとしてギリシャ語だとデジャノヴィッチが正しいのかな? って思って現代ギリシャ語版Wikipedia見てみたけどΝτεγιάνοβιτςなので普通に「デヤノヴィッチ」ですね。著者さん、さては西欧語の文献だけチェックしてギリシャ語の綴りチェックしてないな?
最後になるけどどっちの本も面白かったです。すごい勉強になりました。上で挙げた点は非常に些細な間違いなので、本全体の価値を貶めはしないことを付け加えておきます。
大学受験も大体終わった頃のようなので、何となく書く。筆者は以下の言語すべてが流暢という訳ではもちろんないが、まあ平均的な高校生が英語を知っている程度よりはそれぞれの言語について知っているつもりだ。ただし、大学の教師でもなければ語学で食べているわけでもないので適当に割り引いて読まれたし。
のっけから本題とずれるが、これから大学生になる人が外国語学習において力を注ぐべきなのは、英語の学習であって、第二外国語ではない。各国語(あるいは文学)を専攻しないならば、第二外国語を学ぶのは大体多くても2年くらいだろうが、授業を聴いているだけならば間違いなく卒業する頃にはすっかり忘れているだろうから、実際的には毒にも薬にもならないと言ってよい。それでも外国語を学ぶことはその使用者の文化を垣間見せてくれるし、ヨーロッパの言語であれば英語の理解を深めてくれる部分もある、かも知れない。
というわけで結論だけ先に述べれば「直感で好きなのを選べばよい(どうせたいした違いはない)」。もう少し付け加えるならば「フランス語はやや覚えることが多く、単位を落とす人がそこそこいる。英文法になじんでいる人間にとっては中国語の文法はややとっつきづらい。逆に英文法がどうも嫌いだという人は中国語にチャレンジしてみてもいいかもしれない。以上を逆にとらえるとドイツ語やスペイン語は無難な選択肢だろう」くらいだろうか。
以下各国語についてのコメント。文法:A(簡単)- D(難) 発音:A(簡単)- D(難) 実用性:A(役立つ)- D(全く無駄) で一応つけてはみたものの、印象なのであしからず。
かつては第二外国語筆頭だったろうが、学習者は減少している。大学の二外として言うのであれば、初期学習は簡単なので一番無難であると思われる。英語と同じゲルマン語に分類され、文法はまあ似ているのでそれほど違和感なく入っていける。また、発音もよく知られるようにだいたいローマ字読みであり簡単。また、日本人にとって、クーゲルシュライバー(ボールペン)などの一部の単語は(ドイツ人が理解することができない)クールで魅力的な響きをもつ。
歴史的な経緯からドイツ語が通じるのはほぼドイツだけで、ビジネスで関わるようなドイツ人であればまず英語が話せるのでドイツ語の実用性は低い。とはいえ、EUの中で最も力を持つ国ではあるし長期的に学習することを考えるのも無駄ではないだろう。
こちらもメジャーで、その意味では無難。文法でハードルになるのは、やはり動詞の活用であろう。例えば英語だとgoは三人称単数でgoesと活用する。フランス語の場合、{単数、複数} x {1,2,3人称}の6パターンの活用をするのが普通で、さらに現在形、過去形、etcと6種類ずつ活用を覚えることになるので英語やドイツ語に比べると暗記が必要な部分は増える。二外としてみる場合、大してモチベーションもないのにこれを暗記するのが大変という場合が往々にして起こりえて、単位を落としやすいように見える。
発音については、英語ほどスペルとの対応が不規則ではないと言われるが、発音しないのに表記される文字が多く初学者にとっつきにくいものである。またこれが上の動詞の活用のスペルを覚えにくくするものでもある。
以上の点から、二外として単位を取るだけならばあまりオススメはできない気がする。ドイツ語に対して利点があるとすれば女の子が多そうなイメージがあるくらいだろうか。ただ、ある程度学習が進むと上で書いた文法や発音の困難はたいした問題ではなくなる。また、歴史的経緯から英語の語彙は(同じゲルマン語である)ドイツ語よりもフランス語との方が共通点が多いので、英語が十分できる人間にとっては、入門を果たした後ある程度読めるようになるための労力はドイツ語より少なくて済む。
実用性という点では、アフリカに植民地がたくさんあった関係上アフリカで多く使われるため国際協力云々といった仕事に興味がある人にはフランス語の知識は有利に働く。
いろいろな問題を抱えつつもとにかく巨大かつ成長中の国で、さらに地理的なこともあって学習者は増えているようだ。
まず、発音が難しい(厳密に言えばどの言語も難しいだろうが)。よってリスニングが難しいので単位取得にはマイナスかもしれないが、逆にだからこそ授業でとるべき言語とも言えるかもしれない。文法についてはひとことで説明するのは難しいのだが、なんと言っても全く活用しない(=漢字は形を変えない)ので英語と同じノリで文法を理解しようとするとなかなか腑に落ちない。原因をいくつか挙げると、一つの文字がいろんな品詞で使われることや「目的語」の概念が英語と若干違った意味で使われるといったところだろうか。また、文法のルールが複雑というよりもどのルールをどこで使えばいいのかがよくわからないという難しさがある。
こういう難点はあるものの、暗記するのはまあ文字くらいで、日本人にとっては文字を習得する苦労があまりないので二外の単位取得くらいだったら一番労力が少なくて済む(かも)という面もある。ある程度要領が良い人で、外国語の勉強をしたくない、というひとには選択肢に入るだろう。
実用性という意味では、もちろんペラペラになればそれなりに重宝されるだろうが(ただし英語もできるという前提で)、そこまで行くのはまあ大変だろう。日本語ができる中国人は大量にいるので、ちょっとやそっと中国語ができても、それだけではあまり使い道がない(と言われている)というのは留意すべきか。
文法の複雑さという意味ではフランス語と似たり寄ったり(どちらもロマンス語に分類される)。ただし、発音がおおむねローマ字読みでありその分暗記はしやすいように感じる。二外としては大きな困難がない言語であると思う。実用性からみても、話者の多い言語でありそれなりに有望だろうが、下手にスペイン語ができるからといってメキシコで働くことになったりするのは怖いかもしれない。
スペイン語も読めるようになるまでは英語の知識が役に立つが、おそらく難しいのは聞いて話すことで、一般に早口で話されるので実際に会話できるようになるまでに必要な労力はどの言語でも変わらないなあ、と感じる。
ちなみあまり二外の選択肢にない気がするがイタリア語も同じロマンス語であり、スペイン人とイタリア人は場合によってはそれぞれがそれぞれの国の言葉で話して理解できるようである(ポルトガル語の方がスペイン語に近いらしい)。少し勉強しただけの印象だとイタリア語の方が文法も発音も少しルールが複雑である。それよりも大きな違いはイタリア語は特定の分野をのぞけば実用性があるとは言えないという点だろう。もっとも、プロとして高い能力を持った人も少ないらしいので全く仕事につかえないという訳ではないだろうが。
実用性は近いからなんとなくドイツ語単品よりは仕事ありそう(ただし地理的に限定される。北海道とか新潟とか)、というくらい(あくまで印象です)。
まず文字が違うのでそれを覚える苦労があり、発音も難しく、文法も複雑である。語学に時間を割きたくない人にはお勧めしない。二外としての利点を挙げると、大体少人数の全学部合同クラスなので、知り合いの幅が広がって楽しそうだった、という風に記憶している。難しい言語ではあるが、その分授業も緩くすすむ場合が多く、選択者の評判はおおむね良好だった。
個人的にはドイツ語とフランス語の後に学習した方が諸々楽な気がするので、二外としてはやはりオススメではない。ただ、ロシアという国に何となくロマンを感じる人は適当に勉強してみるのはオススメしたい。
古典語について個人的印象。括弧は実際問題発音しないので...
ラテン語。文法:C- 発音: (A) 実用性:C- (ヨーロッパ言語の文法的特徴について見通しをつけるのに役立つ気がする)
古典ギリシア語。文法:D 発音:(B) 実用性:D (特定の目的があるなら別ですが)
くどいようだが、(少なくともほとんどの人にとって)なんといっても英語の勉強をする方が先決だ。日本人が中高大と英語を勉強しても話せないのは教育が云々といっていろいろな試みがなされているが、第一の原因は勉強不足である。そもそもセンター試験で安定して9割くらいとれないのであれば高校までの勉強が不足しているし、話せるようになるにはセンター9割からさらにそれなりの努力が必要だ。日本人のほとんどはセンター9割*に達していないうえに、大学に入ると勉強を止めてしまう。これでは「中高大で英語を学んだ」とは到底言えないだろう。(*あくまで一例。要は高校までの学習内容をきちんと身につけているかということ)
また、機械翻訳が発達して語学力はいらなくなるという意見もあるかもしれないが、すくなくとも10年以内に(話を英語に限ったとしても)英語を全く理解せずに英語話者と口頭でコミュニケーションがとれるようになることはないだろう。先のことはわからないとはいえ、機械翻訳の発達を強調して語学学習の無意味を説く人はノストラダムスの予言を当てにして何の努力もせずともよいと言っていた人(いるかは知らんが)と大差ない。ただし、コストパフォーマンスの面から翻訳が金にならなくなっているのは既に事実であり外国語で食っていくのはコンスタントに難しくなっていくというのも正しいだろう。自分は「英語はただのツールなんだから必要になればすぐに身に付く」という言説は全くの嘘だと思っているが、そうはいっても金になる技術を身につけるのはそれはそれで重要であるのも事実で、英語だけできても仕事がないというのはある程度正しい。同時に、別に誰もが英語をぺらぺらになる必要もない訳で、「英語が先決」と書いたのはあくまで外国語学習という範疇に限れば優先すべきは英語であるという意味なので、自分の時間配分の優先度を考えた上で外国語学習をしてほしい。
https://twitter.com/nakatsu_s/status/961229701162283008
https://twitter.com/Beriya/status/961753995403345920
その昔、ローマ帝国ではキリスト教徒がボロカスに軽蔑され弾圧されていた。ところが数百年後、ローマの貴族がみんなキリスト教徒になり、さらに数世紀が過ぎるとカトリック教会が異端をボコボコいじめるようになった。
俺が20代のころ(1990年代当時)、自分らは高級車とか高級ブランド品とかゴルフとか料亭とか興味なく、漫画やアニメやゲームが教養で、実際にゴルフとか料亭とか面白くもなんとも思えないけど、本当にそれでよいのか? と、ばくぜんとした疑問があった。
ゴルフとか料亭とかを「好きになる」必要はないんだろうけど、上の世代と付き合うための基礎教養って身につけてないと大人としてダメなんじゃないかという不安。
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上記のツイート見ると、若いころの俺みたいな不安は必要なくなったみたいだけど、自分ら世代の方が抑圧者になってしまった、この居心地の悪さは何なのだろうか。
俺は今、中世のヨーロッパでキリスト教への改宗を拒否してゲルマンの神やケルトの神を拝んでいた連中の気持ちがわかるような気がしてる。
・本作は難解すぎて、さすがにアンチョコ本が欲しいと思い、買ってきた。作者は集英社から全訳を出した人。
・けど何かトリビア的な話が多くてあんまり参考にならないかも。
「『スワン家の方へ』と『ゲルマントの方』という対比の根底には、プルースト自身がユダヤ教の母親とカトリックの父親の間で育ったという事実がある」と言われても、そっからどういう読みが可能になるのかとかまで書いてくれないと、僕のような貧弱な読者としては困ってしまう。
・複雑なスワン君の人物像の背景にはユダヤ人問題が・・・!とかも同様。
・今んとこ一番個性が強烈な叔母さん。
・変わらぬ日常を愛し、それを願っているが、同時に家族が全員焼け死んで悲劇のヒロインになることも願っている。
・しかし現実はそうもいかないので、忠実な女中フランソワーズの揚げ足取りに明け暮れる。
・同僚の女中が妊娠で苦しんでいるのは「すべてお芝居」と言い放つが、他方医学書に書かれた妊娠患者の症例を見ると泣きじゃくってしまう。
・女中に冷淡なのは、叔母さんの世話を他人にやらせたくないからってのもある(その例えにファーブル昆虫記のジガバチを持ち出してきたのは草)。
いやそれもちょっと違う。
アーサー王はローマがブリテン島から撤退した後の混迷の時代の概念。
純粋なケルトでなく、先住ブリトン人(厳密に言えばブリトン人すら先住でなく先住者と外来者の融合だが)と征服者ローマの持ち込んだものが融合した、ローマン・ブリトンの文化の守護者的位置。
年代順に大雑把に書くと
年代 | 来た民族 | 系統 |
新石器時代 | 先住民(ストーンヘンジ作った) | 民族系統不詳 |
青銅器時代 | ビーカー人の渡来 | 多分ケルト |
鉄器時代 | ベルガエ族等の渡来 | 大陸ケルト |
紀元43年 | ローマによる征服 | ラテン |
紀元407年 | (ローマ撤退) | -- |
暗黒時代 | アーサー王の設定年代 | 「ブリテン」 |
中世初期 | アングロサクソンジュートの侵攻 | ゲルマン |
10世紀末 | デーン人の侵攻 | ゲルマン |
1066年 | ノルマン・コンクエスト | ゲルマン |
それぞれの時代でやってきた民族は先住民と混ざり合って混合した文化が生まれる、の繰り返し。
以上4者が混ざった存在。
ついでに、ローマ時代に一度、ブリテン島にキリスト教が入ってきてるのも話をややこしくする。
これをブリテンと呼ばずにケルトと呼ぶのは割と無理があるよ、流石に。
まあ第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも目覚めなかったねぼすけに期待する方がもっと無理だけどな!
(お前それ書きたかっただけだろ)
神様でもない限り無理だよ。
例えば弦理論。
現在でこそ究極理論の候補のひとつで物理学科生に一番人気の分野だ。
でも実はかつて理論の致命的な不具合を指摘され、研究者が絶滅しかけたことがある。
一度死んだ弦理論を最後の1人がコツコツ研究を続けて復活させたんだ。
その人物の名をシュワルツという。
たとえば、1970年代の場の量子論全盛の時代にシュワルツが超弦理論の研究をコツコツと続けられなければ、第一次超弦理論革命も起こらず、それ以後の爆発的発展もなかったでしょう。
シュワルツが研究を続けられたのは、何より彼自身の強い意志があったからですが、それを支えた環境のおかげでもありました。
シュワルツが自らの信念に従って孤高の道を歩んでいたとき、カリフォルニア工科大学の教授であったマレー・ゲルマンは、彼のために十分な研究費を確保し、任期つきの職ながら安心して研究が続けられるように取りはからいました。ゲルマンはのちに、「超弦理論のような絶滅に瀕している分野のために、保護区を設けたのだ」とかたっています。
「公理論的場の理論」の研究者の方が今では絶滅危惧種みたいになっている。[注1]
どの分野が正しそうか? 何の分野が重要なのか?
その方向が間違っていたときにほんとうに行き詰まってしまうからだ。
だから研究者は「研究の自由」を掲げ、多様性を確保しようとしている。
もう一件、あなたも興味をもちそうなことを書くと
かつてインターネットサービスも郵政省の有識者会議で「商用化は難しい」と結論されている。
10年先のことも予想するのは難しいのだと思うよ。
http://www.ieice.org/jpn/books/kaishikiji/200303/200303-6.html
[1] まだみんな生きて他分野で元気に活躍しているけれど。現在50〜60代?
研究の意味が無かった訳ではない。場の理論の基礎に関する極めて重要な成果を残した。
ROYGB 超弦理論は最近ちょっと分が悪いというニュースもあったような。理論で予測した新粒子が見つかるかどうか。http://www.afpbb.com/articles/-/3055710
コメントありがとうございます。そちらは弦理論ではなく超対称性粒子だと思います。
場の理論で書かれた大統一理論の候補の多くが超対称性粒子を含んでいるので実験で探しています。
一応まとめるとこんなかんじです:
素粒子分野は4つの力を統一する究極理論を目指していて、現在、場の理論と弦理論からのアプローチがあります。
最初に提示された情報がそれ以降に提示される情報に対する印象に影響を及ぼす現象。
たとえば「東京の平均気温は50度より高いか?」と訊かれたあと「では平均気温は何度だと思うか?」と訊かれると高めの気温を答えてしまう。
たとえば選挙の事前予想で「A党が劣勢」と報道されるとA党への票が増える。
自発的にやっていることに他人から報酬を与えられるとやる気が低下する現象。
「好きなことを仕事にしてはいけない」などと言われる理由かも。
本人から直接言われるよりも第三者から噂として聞く方が信じてしまいやすい現象。
たとえばAさんから「綺麗だよ」と言われるよりも「Aさんがあなたを綺麗だと言っている」と聞かされるほうが嬉しい。
世界中から強豪を集めて大会を盛り上げようとするほど地元の選手が活躍できなくなる現象。
2013年にウィンブルドンでアンディ・マレーが優勝したのはイギリス人選手としては実に77年ぶりの快挙だった。
自分と同じ意見を持った集団の中に身を置くことにより偏った考えが助長されてしまう現象。
たとえば「青木まりこ現象」など。
カクテルパーティーのように大勢の人が会話している中でも、自分に関する言葉や興味のある言葉は聞き取れる現象。
相手の表情や仕草を真似て接していると相手から好意をもたれやすいという現象。
ある物事を意識した途端にそれに関する情報が目に付くようになる現象。
たとえば知ったばかりの言葉が急に世間でよく使われるようになったように感じたりする。
「見てはいけない」と言われると見たくなる現象。映画『カリギュラ』に由来。
以前に名前を聞いたことがあるというだけで有名人だと錯覚してしまう現象。
気分が良い時には良いことを、気分が悪い時には悪いことを覚えやすい、という現象。
過去に本で読んだり人から聞いたりした話を、まるで自分自身が体験したかの様に思い込んでしまう現象。
動物が周囲の人間の顔色を窺ってその期待に応えるように振る舞う現象。
「計算ができる馬」として有名になったハンスという馬が、実は飼い主や観客の動きを見ていただけだったという出来事に由来。
さっと視線を動かしたとき、その直後に見たものがわずかに止まって見える現象。
たとえば時計を見たときに秒針がなかなか動かないように感じる。
たとえば「捨て猫を助けるヤンキー」など。
何かの形をじっと見ていると、そのうちに「こんな形だっけ?」と元の形が分からなくなってしまう現象。
途中で失敗に気付いても、それまでの投資が無駄になるのが嫌で、やめるにやめられなくなる現象。
たとえば「鉄1kgと綿1kgはどっちが重い?」と言われると「鉄」と答えてしまう。
デパートの上層階の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
ある情報を隠そうとするほど、その行動によって逆に目立ってしまう現象。
女優のバーバラ・ストライサンドが自宅の映った写真を取り下げさせようと訴訟を起こしたことに由来する。
たとえば赤色で『青』という字が書かれていると意味を把握するのに時間がかかるなど。
蛇に咬まれることはめったにないが一度でも咬まれてしまうと蛇を恐れるようになるということに由来。
信頼できない人から聞いた情報を時間経過と共に信じるようになる現象。
「情報」だけを覚えたまま「信頼できない人から聞いた」ということを忘れてしまうため。
達成できたことよりも達成できなかったことのほうを忘れない現象。
自分の名前や誕生日などにまつわる言葉や数字を無意識に好んでしまう現象。
幸運により金を得ると「無くなってもプラマイゼロ」という心理が働いて金遣いが荒くなってしまう現象。
たとえば予想以上のヒットで儲けた金をハイリスクな投資に突っ込んでしまうなど。
切りの良い数よりも中途半端な数の方が信頼性が高く感じられる現象。
たとえば「100%の人が高く評価した」よりも「99.8%の人が高く評価した」のほうが宣伝効果が上がるなど。
誰にでも当てはまるような曖昧な評価を自分によく当てはまっていると感じてしまう現象。
何かを評価するときにその特徴的な部分に印象が引きずられてしまう現象。
たとえば「身体能力の優れた人は性格も優れているだろう」と思い込んでしまうなど。
たとえば選挙の事前予想で「B党が優勢」と報道されるとB党への票が増える。
たとえば「5000円」と「4980円」とでは後者のほうが実際以上に安く感じられる。
酒に酔うと異性が魅力的に見える現象。
ロボットやCGモデルなどの容貌が人に近づくほど気味が悪く感じられる現象。
あらかじめ聞かされた情報がそのあとに聞かされる情報に影響を与える現象。
たとえば車について雑談した後にしりとりをすると車に関する言葉を思い出しやすくなる。
サッカーのオフサイドの判定などに影響を与えていると言われる。
デパートの地下の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
その人の性格や特徴、職業まで思い出せるのに名前が思い出せない現象。
「誰かが通報するだろう」「周りの人も何もしていないから」「他人の目が気になる」などの心理の複合。
たとえば医師の期待を感じた患者が、実際にはそうではないのに「病気が良くなった」と報告してしまうなど。
悪い変化が起きていても、それがゆっくりとしたものだと、何もせず受け入れてしまう現象。
個々人は穏健であっても集団で協議を行うと極端な結論になってしまう現象。
積極的になりすぎるのがリスキーシフト、消極的になりすぎるのがコーシャスシフト。
何かのリストの内容を思い出すように言われたとき、手がかりを与えられたほうが逆に思い出しづらくなる現象。
共同作業を行うときに全体の人数が増えるほど一人一人が手抜きをしてしまう現象。
たとえば3人vs3人で綱引きをすると全力を出すのに、10人vs10人のときは無意識に力を抜いてしまう。
アメリカの連邦最高裁判所が今月26日、同性婚を認める判断を示したそうだ。現代社会の風潮ではいずれ認められるだろうと思っていたが、随分と早いな、というのが当初の印象。これで同性婚が当たり前、という風潮が全世界的に加速するのだろう。アメリカの文化的影響力の大きいオーストラリアなどの英米圏、それから欧州、そして日本や韓国、台湾などへも波及して、同性婚が当たり前になっていくのだろう。
これは、人権尊重という点ではいいことなのだろう。だが、西欧型社会の存続という面で言えば悪い知らせじゃないのか。現代の西洋社会の終焉の始まりの一つとなるのではないかしらん。個々の人権を認めた西欧社会の安定した政治システムは、あと100年のうちに終焉を迎え、中世的な世の中へと変わっていくのではないか、という予感がする。
そもそも同性婚の法律上の許可を同性愛者が求める理由は、そこに配偶者特権があるからだ。異性婚の配偶者には、いくつもの特権が付与されてきた。すなわち財産権、税制控除などの経済的特権や、家族間の問題には他人が口出しを出来ないといった排他的特権、養子を引き取って育てる権利などなど。これを同性婚者にも拡大しなければならない、というのが米国連邦裁判所の趣旨だ。
だが、男女の一夫一婦制を基本とした夫婦以外にも、様々な強固な人間同士のつながりがある。一夫多妻制はよく知られている。それ以外に、数人の男女で暮らしている共同体もあれば、兄弟で暮らしている家族もある。今後高齢の独身者が増える日本では、同性の高齢独身者同士が寄り添って擬似家族的に暮らす人々も多くなるだろう。なぜその中で、夫婦だけを特別に扱わねばならないのか。たとえば『赤毛のアン』を育てた兄のマシューと妹のマニラの二人のような兄妹に対して、夫婦と同じ特権を与えない理由があるのだろうか? 性的な愛情を基本とした2人の関係を、友情だとか兄弟愛だとかを基本とした人間関係よりも尊重しなければならない、というのは少々無理があるのではないか?
それに人々はやがて気づくだろう。同性婚者家族に拡大された特権は、やがて様々な人間関係の共同体にも拡大されるようになる。特権が拡大しすぎた社会では、やがて特権自体の意味がなくなる。その先に待っているのは、誰もが夫婦に伝統的に課せられてきた義務を果たさない社会なんじゃないか。
ローマ帝国が終焉した理由として、ローマの市民権が付与されすぎて、特権が薄まり、ローマ市民たちが納税と戦闘の義務を果たそうとする意欲を失った結果、ゲルマンの蛮族の侵入を招いた、という説がある。お隣の中国大陸の清が滅びたのも、八旗に所属する支配階級である旗人に、モンゴル人や漢人を加えるようになり、旗人の人口が増えすぎて社会の弱体化を招いたことが原因だとも言われている。特権者が権力を失ううちに、義務を果たさなくなるのは世の中の習いであり、共同体の屋台骨が義務を果たさなくなったら、その社会は崩壊するのが世の常だ。
人間は不平等感に我慢できないから、権力者と自分は同じ価値があると思う人々は権力者の権力を奪おうと試みる。人間は優しい生き物だから、特権を与えられていた人々は、世代を重ねるうちに良心の呵責に怯えて、周囲に特権を与え始める。しかし「権利なき者に義務もなし」という言葉の通り、権利を与えられる人々が拡大すればするほど、その権利の意味は薄れ、大切にされなくなる。
西欧型社会の基軸である夫婦に伝統的に与えられてきた権力が失われると、やがて夫婦に課せられてきた子育てや相互扶養などの義務を人々はバカバカしく思うようになるだろう。そのときに、今の西欧型社会は崩壊するんじゃないだろうか。