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はてなキーワード: エレベーターとは

2020-11-28

大浴場つきのマンション

大浴場付きのマンションに入居して、鍵もらったあと早速大浴場を見にいくって夢見たんですよ

部屋番号の書かれたロッカーマジック名前が書いてある洗面器なんかを見て、俺もここに加わるのか!とワクワクする 実際の大浴場つきマンションがどう運営されてるかは知らないが、夢特有リアリティがあった

俺はあれになりたい

エレベーターでスッと無料の大浴場に行ける暮らしがしたい

部屋にも風呂付きで、かつ大浴場も欲しい

毎日湯船に浸かりたい!

サウナにも入りたい!

風呂椅子を動かした時の、たしかにカポーンだなって感じのあの音を日常的に聞きたい!

朝風呂…とまでは行かずとも、早い時間に大浴場を使いたい!

逆に閉まる間際にも行ってみたい!

理想はあれだ、ドーミーイン

ドーミーインの大浴場が備え付けのマンションに住みたい

無理かなあ 無理だろうな

いつかドーミーインに連泊したい……

2020-11-27

アルバムレビュー:Él Mató a un Policía Motorizado

ファーストアルバムだってこと以外の背景は全然知らねえ!でもすげえ好き!

1.Sábado(土曜日)

 土曜日、ベッドで寝つつ君を遊びにでも誘おうかと思うけど、まあ断られるだろうな…という内容を繰り返すだけの歌!気だるい感じの内容とボーカルなのに伴奏は元気な感じなのがまたいいんだよなあ 

 サビのme dirás que noの繰り返し、2回目の下がり方がイイ

2.Tormenta Roja(赤い嵐)

 トルメンタ・ロハっていう響きがもう素敵

 これもわりと元気系の曲で、なんつってもサビの高音が印象的!Son para mi↑ってね…いいよね…

 歌詞の内容は正直よくわからん(だいたいどの曲も分からないが…)

3.Nuestro Verano(僕たちの夏)

 比較的ゆったりした感じというか、ちょっと落ち着きのあるナンバー

 歌い出しの歌詞うろ覚えでNuestra vida se termina(僕たちの人生は終わる)って歌ってたらNuestro día no termina(僕たちの一日は終わらない)で、わりと真逆みたいな感じあった

 サビがただひたすら「僕たちの夏アア僕たちの夏」なのがエエ感じ

4.Escupime

 これめちゃくちゃ好きで、アルバム内一、二を争う

 ディストーションガンガンかけたギターが荒れ狂う中、アンニュイな歌い方でで「エレベーターから僕の部屋まで向かう途中、君はまた彼のことを考える」的なことを言っており、こう片思いというかNTRというか、そういうアレなんすよね

 Otra vez(もう一回)を繰り返して終わるのもいい 彼女と今一緒にいるのは自分だが、彼女が考えてるのは彼のこと、あっまた考えてるぞ!っていうotra vezなんだよな

 その切なさにまたギターサウンドが合っており、最高

5.Doctora Muerte(ドクター・デス)

 曲名が謎なんだよな

 死の女医というよりはドクターデスって感じな気がする つかメンバーにドクトーラムエルテさんがいるっぽいし曲名適当くさい?

 これはわりとコミックソング感あって、パッパーラパパッパッーラパラパーっていうコーラスが印象的な楽しい

 でもDespertándote ya me voy, esta noche me voy(君を起こして今夜僕は去る)を早口で繰り返すところは素直にいい Ey nena(ヘイ、ベイビー)ってのもセクシー yaがシャなのもエエわあ

6.Rock Espacial(スペースロック)

 スローテンポ一曲

 「部屋で過ごす休みといえば、僕の目を醒ましてくれたスペース・ロックだった」なんて歌い出しで、ちょっと実体ベースっぽい雰囲気がある?これまでの曲と比べて歌詞意味がある感じが強い

 「僕たちが地下室に降りると、君は集めている色とりどりの古着を見せてくれる」ってところなんて、よくわかんねえけどすげーエモい ropa vieja de color que coleccionásって部分かなり頻繁に口ずさんでしま

 サビもいい Destruye todo lo que hay(あるもの全てぶち壊せ)なんてパンクフレーズが突然サラッと出てくるのがイイんですね そんなノリで言う?っていう……

7.Terrorismo en la Copa del Mundo(テロリズム・イン・ザ・ワールドカップ)

 これなんとなくインストだと思ってたけど歌詞もあるな…… なんつってるんだろ

 箸休めという感じが強く、正直あんまり印象がない でもボーカルの感じがスーパーカーっぽくていいと思う

8.Diamante(ダイアモンド)

 この歌「この娘は今日眠っている ダイアモンド」を繰り返すだけで終わるからマジで渋い

 つか、Esta niña se duerme hoy(≒This child(女) sleeps today)ってどう訳したらいいんだ?こういう背景が全然わからん現在形の文が一番厄介な気がする

 同じフレーズを繰り返し、ギターが相槌を打つ、エルマトさんお得意のパターンな感じはする 好き!

 ディアマーンテーって繰り返しが妙に耳に残るんだよな こういうのこそエエ曲なのかもしれん 意味はわからないが……

9.Guitarra Comunista(共産主義ギター)

 これもエモいんだよなあ 意味わからんが…

共産主義ギターっていうのは多分Guitarra roja(赤いギター)ってフレーズ的に赤いギターアカギターつってる的な話なんだろうな

 Nadie la merece, ¡no! Ni yo que soy el mejor(誰も彼女には釣り合わないんだ、ダメだ!最高である僕ですら)って歌詞ガチで良すぎる キチガイのCreepなんだよな

 この曲は歌詞もいいが(意味わからん)、なんつってもメロディがいい 歌ってて気持ちいいし、聴いてても気持ちいい ギターとの絡みもかなり素敵 サビがいいよ本当に 

 ナーディエラメレーセーエ ノーオーォォー!ニーショケーソーイ エルメーホー…

Prenderte Fuego(君に火をつける)

 嫌いじゃないのになぜかあんまり聴いてないんだよなこの曲

 わりと小さめの声でワンフレーズ歌うたび、ギャラギャラ鳴る高めのギター合いの手を入れる構成の印象が強い 餅つきっぽい

 最後にこういうなんとも言えん曲で締めるのがまたいい!

 

 エルマト、メロディも声もよくてアルゼンチンストロークスと言っていいと思うんだけど、日本での知名度が低くて悲しい

 このエントリ検索でたどり着いた未来の同士スペイン語ロック愛好者おらんか?ええよなエル・マト・ア・ウン・ポリシア・モトリサード! ほんま好きやねん 君は一人じゃないぞ!

 

 

2020-11-21

静岡駅駐車場について

駅前繁華街全然繁華街していないのは、自動車を停めるところが無いからだ!と

数年前に肝入りで始まった駅前の地下駐車場がある。

地下のエレベーター式の自動化された駐車場なのだ

なんだか老人雇用のためなのか、無駄ジジイが山ほど配置されていてゲロ吐きそうになる。

まず、駐車場への降り口に1人。何やってんだかわからない。

踏切式ゲートに2人。5箇所ぐらいある各車両が入るスロット入り口に1人ずつ。

順番に開くゲートなのにわざわざ人がいて、車が止まるたびにカラーコーンを置いて進ませない様にする。

踏切あるのに。

踏切式のところとスロット入り口ジジイが合図しあう。

ランプでわかるのに。

停車スロットにたどり着くと、その中にそれぞれまた、1人いて、いちいち停車位置の合図をする。

車両前には鏡があって見やすいので合図とかいらないのに。

車を降りて、通路側と区分けしてある自動ドアにまた1人。

自動で発券される駐車チケット手渡ししてくれる。あと「いってらっしゃい」とか言う。

そのほか、出口側に案内してくれるウロウロしているジジイもいる。

用事を済まして帰ってくると精算機周りにまたご案内のジジイが。

ガラス張りの事務所の中にもいっぱいジジイがいる。

あのジジイもの給料止めれば、普通に買い物しにくる人の駐車場代は賄えて

街はもっと賑やかになるんじゃないかと思うのだけれど。

ジジイ優先。

何かを問い合わせてもかなり感じ悪いジジイばっかりなので

いつも何かしら気分がわるくなる。

静岡人はあれでいいのか?と思うんだけれど

クソみたいに偉そうな感じの悪い県知事でもオッケーな県民性なので

多分どうでも良いんだろうな。

gotoトラベル静岡に来たら、ぜひあのすっとこどっこいシステム全部無視

無駄経費全開なジジイワラワラ

公務員OB利権ばんざい駐車場を楽しんでいただきたい。

静岡よりお伝えしました。

2020-11-19

anond:20201119145852

自分も前に乗ってたエレベーターが落下したことがあったんだけど床に衝突するタイミングにあわせて

ジャンプしてそれから受け身をとったんで無傷で済んだことがあったよ

2020-11-16

anond:20201116094319

不動産バブルで高売り出来ると思ったら、エレベーター乗って自分の部屋に行くまで蚊に刺されまくるマンションを誰も買わなくて、なけなしの金で買った数組が泣きながら住んでるって話じゃね?

もともと不動産で儲けられるような人はわざわざそこに住まないだろうし、売れないし誰も住みたくないか放置されてるんだろう。

2020-11-14

サクラタウンどうすんのあれ

平日昼間に行ってみた。

車椅子ベビーカー用のスロープが全然ない。エレベーターもない。階段階段また階段

神社の造りがちゃちだし飾りもめちゃくちゃで神道バカにしてんの?って腹立った。

ミュージアム本屋という2大メインの間に動線ができてないしメイン間に金を落とせる面白そうな施設もない。

ダ・ヴィンチストアはただの本屋で陳列も中途半端、何ならイオンモールにあるようなビレバンの方が気が利いてるくらい。

メシは普通

高校生制服就職面接にきてた

前もってZoom会議の準備をしようと、午後の12:45くらいに来客用の受付を通過しようとしたら、

チェックのスカート制服リュックを背負った、ちょっと小さい女子高生が落ち着かない感じで、自分お辞儀をしたので、

面談ですか?」と聞いたら「?」って顔になったから、「面接ですか?」と聞き直したら、「はい」と言った。

「ここにお掛けになって、お待ちくださいね」と目の前のイスに座るよう手のひらを上にしてソファーを案内した。

座るのを申し訳なさそうにしてたので、「いいですよー 座ってお待ちくださいー」と念を押して、過ぎ去った。

5分後くらいに、ガラス越しに受付のイスをみたら、人事担当の者と話してたようだったか安心した。

まだ17歳か18歳くらいの、右も左も不安しかたない頃なのに、1人で1Fの総合受付で行先と身分を名乗ってセキュリティカードをもらい、

エレベーターに乗ってうちの会社の受付に来て、15分前なのにイスに座らず、来た者に頭を下げて。

たぶん、高校先生に教えてもらって、練習もしたんだろう。

小さい体と、その一生懸命な振る舞いがキラキラしていて、社会へ踏み出す覚悟というか決意といか、弾き飛ばされそうなパワーを感じた。

この人たちのために、希望通りのイキイキとした働きやす会社にしていく、維持する責任あらためて感じた。

同じ年頃のころ、まじめなのはカッコ悪い、と斜に構えててギクシャクしていた自分が恥ずかしい。

今ごろになって、まっすぐに愚直に突き進むことがどんなにカッコいいことかが分かってきた。

斜に構えることが、どんなにかっこ悪いことか。

2020-11-13

エレベーターあそび

とても迷惑な遊びを知ってしまいました。

ただ単純なのに効果は絶大です。

場所時間

場所は混んでいるけど小さいエレベーターが1機か2機しかないビルエレベーターホールです。

特に昼時や退社時が良いです。

方法

エレベーターボタンを押さずに、ボタンの前(後ろにいる人からボタンが見えない位置だとなおgood)にただ立っているだけです。

回数表示を眺めたり、スマホをじっと見たり、軽く足踏みして急いでる感じをアピールするのも効果的です。

ただし一つだけ注意点は、ボタンを押してはいけません。だってエレベーターが来てしまますから

但し書き

かなり危険行為なので、勤務先などでやると影響が大きすぎる遊びかもしれません

たくはい系の人との接触

ウーバーイーツやAmazon配達される人が女性だったときは、ちょっとこっちが気を使う。

封筒系だと高齢男性が、以前の職場ではビジネスメール的な配達もしていたが。)

もしも、仮に、応対するときには、マスクはしてます。ハンコは、不要になってきているね。

案外、自分の住んでいる地域はそれほど辺境の地でもなかったのかとも、思う。

  

軽いものを頼むようにしようかな...。とは思う。

エレベーターなしアパートに住んでいるが、隣の住人が、2Lの水を箱買いをしているらしく、置配で段ボールが積まれていて

おやおや...。と思ってしまった。まぁ、そういうときは屈強なオジサン対応しているんだろう。

  

23歳だった私から見知らぬサラリーマンの方へ

10年前の夏の夜、東京のどこかの雑居ビルエレベーターのなかで、ボタン操作をしていた30歳くらいのサラリーマンの方へ。

同じエレベーターのなかで、迫りくる大口取引先の40代男性から、もはや泣きそうになりながら、引きつった笑顔で逃れていた私です。

あの時あなたは、なんとなくを装って、酔ったセクハラ取引先のおじさんと私の間に背中を割り込ませてくれましたね。

貴方セクハラおじさんを軽蔑眼差し一瞥したあと、私に助け舟を出しくださったこと、私は気付きました。あなたの行動と正義感、助け舟に今も深く感謝しております。その節は本当に本当にありがとうございました

私は23歳の新社会人で、本配属されたばかりで、あの日人生で初めての接待でした。

私達は直前まで、接待二次会として、上階のカラオケ屋にいました。上司取引先のおじさんと私の三人だけの宴席で、私はそこからすでにセクハラを受けており、肩を撫でさすられたり、肘で胸の横をつついたりされていました。

「失礼のないようにね!」と送り出されたその場所で、大口大手取引先の担当者ということもあり、私はどんなことがあってもニコニコしないといけないと思い込んでいました。

同席していた上司課長は盛り上げに徹しており、助けてくれず、取引先おじさんのセクハラはどんどん熱が篭っていくようで私はもう泣きそうに引いており、しかし何と言って良いのかも分からず「いやいやそんな笑」「えぇ〜笑」などと冗談まじりに口に出してみて、接待の対面を保ちながら、なんとか抵抗しようとするのが精一杯でした。けれど40代おじさん取引先は上機嫌になるばかりで、ついには握られた手の甲を舐められるほど、私は舐められておりました。

男性が怖い、大人が怖い、社会が、仕事が怖い…おじさんがキモい上司もだれも助けてくれない…

そんな絶望感でいっぱいになりながら、雑居ビルにあるカラオケ屋をでたエレベーターの中、酔っ払いセクハラおじさんは私の髪の匂いを嗅ごうとこちらに体を傾けてきました。


エレベーターのなかは、私とセクハラおじさんと助けてくれない上司と、あなたでしたね。

私は見知らぬ他人の前でもこんな風にセクハラされるのかと、恥ずかしさと惨めさと絶望感でいっぱいだったそのとき

助けてくれて、本当にありがとうございました

あのエレベーターから降りてなんとか接待から脱兎し、帰路につき最寄駅についたときには、駅前のベンチに座り込みボロボロと泣くくらいショックな出来事でした(なお同時にセクハラ担当者からは「付き合ってほしい」とメールが入ってきていました)

男性嫌悪する対象になりそうでしたが、セクハラ野郎軽蔑眼差し一瞥し、助け舟をだしてくれたのもまた見知らぬ男性だったことも、ずっと覚えていようと思い、思い直しました。

あなたにとっては大したことではなかったし、気持ちいからなんとなくとった行動だったかもしれませんが、あの時、絶望感でいっぱいだったとき、本当に救われた気持ちになったのです。

最近とある動画をみて、改めて感謝気持ちを覚えたけれど、お礼を伝える術がないのでここに書き記します。あの時の親切、一生覚えていると思います本当にありがとうございました

2020-11-11

から見てて別れた方がいいと思ったカップル

同じエレベーターに乗ったカップル

彼氏がふざけて彼女を殴るマネしてた

彼女笑ってないで逃げてーって思った

全然知らん人だから目を逸らして何も言わなかったけど

2020-11-07

anond:20201107211320

企業にとっての最適解がなるべく女性と関わらない、相手にしないってことになってくからな。

アメリカMeToo以降男性管理職エレベーター女性と同乗するのを避けるくらい女性と関わるのを恐れるようになったから余計に男性しか指導を受けられず女性出世に不利な環境になったらしいし。

2020-11-04

anond:20201104005443

なんで一緒にエレベーターのったら救えなくなるのかわからんやで

アラブホテル社員が、石油王絶対一緒にエレベーターに載るな。と言われることがあるらしい。救ってやることはできないからという話がある。。

マジかアパホテル...

2020-11-03

心象風景

今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれ屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。

私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。

小説といえば、昔に村上春樹小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。

どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマンタマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。

小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年タマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年ネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。

1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えていますお金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。

その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強しました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館自習室に通って勉強を続けていました。

そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人なんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。

私の心象風景は、そんな時期に起こったある一日の出来事です。

その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分臭いのがわかって辛かったものです。

気分転換でもと思って院内散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。

屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。

私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。

落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。

その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。

病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。

私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこ自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。

視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。

その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。

そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。

それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。

20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。

でも、いつからか、自分自分人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます

何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります普段は忘れていて、そのとき見たもの匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます

ただ、思い出したとき何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事ものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。

「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事風景ひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうもの必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」

2020-10-27

anond:20201026234829

イケメン(35)にその内なるさ

どこぞの俳優のように、エレベーターで二人きりになると察した女性が逃げるように立ち去る経験10年以内に経験するようになる

2020-10-25

配送業の人には優しくしようと思って生きてるから

お隣に配達にきたヤマトおっさんが乗るまでエレベーターのドア閉めるの待ってたけど

そのあと話しかけられて困った

ちょっといからやめてほしいのだ…

2020-10-22

徒歩何分テンプレート用意したからコスパと東京の便利さを語りたいなら上京カッペは語れ

まだやんのか

 

  1. 駅まで歩いて何分?
  2. 幹線道路までの距離は?(近いと喘息になりやすいため安い)
  3. 増田家賃いくら払ってる?( 持ち家って設定の場合は『再建築可か?』『隣家の間隔は何mか?』『トラックが入れるか?』)
  4. スーパーまで歩いて何分?
  5. コンビニまで歩いて何分?
  6. 病院まで歩いて何分?
  7. 地域医療支援病院まで歩いて何分?
  8. 映画館まで歩いて何分?
  9. 保育園まで歩いて何分?
  10. 小学校まで歩いて何分?
  11. 駅前タクシー乗り場以外でのタクシーの捕まえやすさは?

 

本来コスパの話だったのに、どう考えても稼ぐ力が弱そうな上京カッペのハッタリが始まり

ハッタリいい加減にしろと詰めたら年収自慢か?と謎のトラバとブクコメがつき

他はコスパと考え方の問題とか言ううんちトラバブコメ

年収自慢か?勢は論外過ぎてどうにもならないので放置

テンプレート用意したのでまずはコスパ東京の便利さを語りたい君がしっかり答え給え

 

 

東京に住む人は早死にすると思うしカリカリしてるのも当然(1人暮らし編)
家賃6-8万(駅から遠い。1R・1K)

 

○ 朝6時00分:起床

(出勤支度)(家のことをやる)

 ↓

○ 朝7時00分:自宅から出て最寄り駅に向かう

(自転車で駅まで向かう) (駅近くの駐輪場自転車をとめる) (最寄り駅に向かう)

 ↓

○ 朝7時30分:自宅最寄り駅ホーム電車を待つ

(日常的な電車遅延で乗車時間+10分)(乗り換え5分)

 ↓

○ 朝8時30分:会社最寄り駅に着く

(駅から人の流れに沿って出る) (会社まで歩く)

 ↓

○ 朝8時40分:会社前着

(会社フロア行きのエレベーター待つ) (自部署フロアの自席まで歩く)

 ↓

○ 朝8時50分:自席でPCを立ち上げる

(仕事する)(今日はNO残業)

 ↓

○ 夜6時00分:会社から出て自宅最寄り駅まで向かう

(夜は朝ほど混んでないので移動時間マイナス15分)

 ↓

○ 夜7時05分:自宅最寄り駅到着

 ↓

○ 夜7時10分:駅前スーパーで買い物

 ↓

○ 夜7時30分:自宅へ向かう

 ↓

○ 夜7時45分:自宅着

  

これから食事作って、風呂入って、ジム行くなどなど、行いたいことはたくさんあるが、
睡眠時間8時間を確保するならば『2時間15分』後には寝ないといけない


 

東京に住む人は早死にすると思うしカリカリしてるのも当然(1人暮らし編)

2020-10-20

きもくてかねのないおばさん

金のないおばさんはい

きもいおばさんって確かにほぼいない

きもいおじさんはい

エレベーターで2人になりたくない、バスで隣になりたくない、手を繋ぐ・ハグするとか絶対に無理みたいなおじさんは良くいるのに

おばさんだといない

美人でもブスでもおばさんはおばさんで特にキモいとかはない

anond:20201019201932

昨日、オフィスエレベーターに乗ったら、

マスクもせずに狭いエレベーター内で電話してるおっさんが居たんですよ。

こんな狭い空間マスクもしないで、しゃべってんじゃねーよ。

って怒りの視線を送ったら、

そそくさとマスクを取り出して付け始めてやんの。

なんだ、マスク持ってんのか。公共マナー、分かってんじゃん。

って思ってたら、そいつ、あごマスクにしやがった。

2020-10-19

老人ホームについて雑感

僕は20代だが、特別養護老人ホーム2件を丸一日見学した。あまりいい印象を持てなかった。朝決まった時間に起こされて、三食食べて、ちょっとレクリエーションして寝るだけの単調な毎日を送る場所しか見えなかった。なお、僕は介護士の方をdisるつもりは全くない。むしろあんなに大変な重労働低賃金でやらないといけなくてかわいそうだし、寝たきりの人や認知症の人に対応していくスキルは本当にすごいなと思う。特定特養disるつもりもない。僕が今回見たところがこういうところだったというだけの雑感である

食事は人によってはドロドロのペースト食で、色こそ違えど全部同じ食感だし、そもそも口に入れるまで何の料理かがわからない。飲み込めない人は鼻から胃にチューブを入れて液体の栄養剤を摂取するか、胃ろうを作ってそこにペースト状の食べ物を注入するかの2択。これが1日3回毎日繰り返される。

僕の見た施設は部屋は個室だが、個室の中に仕切りのない状態便器が置いてあった。足腰の弱った老人でもベッドからトイレちゃんアクセスできるようにということなんだろうが、正直あまり気持ちよくはない。

レクリエーションも単調で、だいたいはみんなでホールに集まって歌を歌う。スタッフピアノなりCDなり使うんだが、そもそも歌うことが好きな人じゃないと楽しめない。

認知症の老人が施設から脱走するのを防ぐため、エレベーターパスワードを打ち込まないと動かない仕組みだった。つまりスタッフは使えるが、老人が単独エレベーターに乗って他の階や外に行くことはできない。スタッフは老人の散歩相手はしてくれないので、老人は実質施設に閉じ込められるかたちとなっていた。

そしてなぜか、僕が行った特養は2件とも、居住者同士の交流がほぼなかった。毎日食事のたびにホールに集まってみんなで食事をするのに、友だち関係みたいなものがない。そりゃ廊下ホールに出て行っても話相手がいないんだから居住者は部屋にこもりますわな。どんどん孤独になっていく。外に出るモチベーションもないから足腰はどんどん弱っていく。

正直老人ホームとか絶対入りたくないなと思った。親をそこに入れたくもない。でも、介護疲れや認知症など限界を迎えてやむなく老人ホームを利用する人はいるわけだし、僕の祖父母や両親も将来そうなるかもしれない。僕が見た2件とは違った感じの施設が多ければいいなと思いながら今回は筆を置く。

P.S. 筆を置くと言ったが、一つ思い出深いエピソードがあったので追記。かなり認知症の重い方で、錯乱して「ねえ!!!私さっき天国から帰ってきたの!!!さっきまで天国にいたの!!!聞いてる???」と暴れていらしたので、僕が咄嗟に「そうなんですね、お帰りなさい」と声をかけたら静かになって、寄り添う介護の片鱗を見た気がした。

精神科病棟事件

精神科病棟の中でも一番症状が重い人を救急・集中治療するスーパー救急というところに入院していたら、まあまあ非日常的なイベントを目撃した。

1人目:解離性同一性障害(いわゆる多重人格、以下DID)の人。初めて会話した時に「僕ね、ゆうたっていうの。5歳。ゆうちゃんって呼んでね」と言われたのでDIDであることは一瞬でわかった。ゆうちゃんは人懐っこい性格で明るく、閉鎖病棟という限られた空間インターネットも失って完全に暇だった僕にとってはいい話相手だった。初めて会話した次の日、デイルームにその人がいたんだが、DIDの人は人格が入れ替わるとそれに応じて記憶も入れ替わると聞いたことがあったので、デイルームにいる人が今日は別人格で過ごしていて昨日僕と会話したことを覚えていないのではないかと思って敢えて声をかけなかった。しかしそれは杞憂で、ゆうちゃんの方から僕を見つけて「あ、おはよう!」と声をかけてきてくれた。この人は病棟では基本的にゆちゃんとして過ごしていたが、時折エレベーターで1階分移動する時など一瞬で人格が変わることがあり、声も口調も目つきも変わって、おもしろいと言っては不謹慎かもしれないがおもしろかった。

2人目:知的障害の人。看護師と会話はできるが一方的で、3分前に言われたことすらよくわからなくなってしまレベルドラゴンズが好きで、1日中デイルームにいて「ドラゴンズ勝ったの?」「ねえ俺ドラゴンズ好きなんだけどさあ」「早く退院したい、ドラゴンズ応援に行きたい」を繰り返していた。まあ知的障害があるからしかたないんだが、同じ内容を起きてから寝るまで延々と大声で繰り返していて、正直うるさかった。あまりにうるさいので他の患者からは嫌われていた。とある患者がデイルームに置いてある公衆電話から家族電話をかけて「なあ、ここ知的障害者がいておちつかなくて最悪なんだけど。早く退院させてくれない?」と言っているのを聞いていて、しばらく「あいつが俺のことバカにしてくるから嫌い」とわめき続けてその患者ガチ喧嘩に発展した。

3人目:スピリチュアルおばさん。病棟女性の半分以上を巻き込んで仲良しグループを作り、グループトップに君臨してデイルームでお喋りに興じていた。話している内容はだいたい2つで、「うわあ~木下さんの塗り絵素敵~!」とグループ女性に媚を売るか、他の人の話を聞いてあげて「待ってね、それ何て言うんだっけ…今はど忘れしちゃって出てこないんだけど、金星の力が強くて木星の力が弱いとくぁwせdrftgyふじこlp(何て言っていたか僕は忘れました)になるのよ~」「あなた気持ちすごいわかる!くぁwせdrftgyふじこlp(同じく忘れました)のゾーンに入ってるの!」といった調子典型的スピ系。そして随所で「私病気なのかわいそうでしょ、でもこんなに頑張ってるのすごいでしょ」アピールをしてくる。極めつけには、とあるスピ系の本に載っているポエムを紙に書き写しては「これいいのよ~」と病棟中に配ってまわり、認知症のおばあちゃん洗脳されて「私の病気神様がくださったものなのね」とか言い出して、マジでうっっっわと思った。

4人目:食事療法お兄さん。たぶん統合失調症入院患者を捕まえては「良くなるためには米、小麦、肉、脂質、卵なんかは食べてはいけないのですよ…」と長々と言い聞かせるのだが、じゃあお兄さんがそれやって病気治せよ、もしくは例えばその食事療法実践していたとするならばなぜあなた精神科閉鎖病棟入院するまで症状を悪化させたんですか?以外の感情が無。厄介なことに、2人目で紹介した知的障害者がこれを耳にしてしまい、病院食を拒否するようになった。

インパクトがあったのはこのくらいですかね。あとは認知症男性患者自分の部屋がわからなくなって女性患者の部屋に侵入するくらいしか事件起きてない。たぶん。

2020-10-16

子どもいるか死にたいって思う

追記です。

コメントなんてつかないと思っていたし、ついても期待はしていなかったけど、いただいたコメントがみんな優しくて泣きそうになっている。

記事を書いてから数日後、倒れて病院へ行って抗不安薬とか処方してもらった。

状況は全然改善していないし、毎晩のように目が覚めてひどい動悸と吐き気とたたかっている。

このまま死にたい気持ちに抗って生きていくしかないけど、なるべく死なないように頑張ってみる。

コメントくださった方々、本当にありがとうございます

追記終わり。



竹内結子さんの自死について、産後うつではという憶測が飛び交っていた。本当の理由私たちがわかるはずがないのに、みんな好き勝手言っていた。産後うつについて声高々にこんなにつらいんですってSNSで発信される人もたくさんいて、これを機に産後うつについて認知が広まるのはいことなのでは、とも思っている。彼女の死の真相とは別として。その中に、「子どもを残して死ぬなんて信じられない」という声に対して、ちょっとだけ私の考えを書いてみる。

私には3歳の子どもがいる。夫婦ふたり生活もいいけど、子どももいたらいいな、私たち二人の子どもを育てたいと思って、産んだ子だ。自分で決めた。子ども好きの夫は結婚当初から子どもが欲しいと言っていた。だけど、正直、自分の生きてきた人生もそこそこしんどかったので、こんな世界自分エゴ人間人生み出していいのか、とも悩んだ。でも、子ども人生について、こちらで辛いかどうかなんて決めつけることもできない。シンプルに、自分の子どもに会いたいという気持ちが勝った。

そうやってきちんと計画して、順調に生まれ子どもは、どこも悪いところなんてなくて、発達も問題ない、人懐こくて賢くて快活明朗元気なかわいい子だ。私のことをとても好きでいてくれて、「お母さん子」なんて言葉はないけど(おばあちゃんっ子、とかあるのに)、とにかくいつでも「おかあさん」と言ってずっと私にくっついていたがる。こんな素晴らしい子が私の子なんて、私にはもったいないとすら思う。

私は希死念慮が高い。でもそれを必死に隠して生きている。学生時代ものすごく嫌なことがあって、それから日々死にたいと思っていた。死にたい、というか、明日目が覚めずに死んでいたらいいのに、という風に思っていた。なんやかんやあって、毎日そう思う日々から解放されたのだが、時折無性にこの世から消えてしまいたい気持ちはなくならない。実際に行動は起こしたことがないので、親しい人にも誰にも、夫にすら、実はたまに死にたがっている、ということはばれていないと思う。今までは主に孤独感が引き金でよく死にたいと思っていたが、夫と結婚して気持ちは安定していた。子どもがいたら、そういう気持ちもっと収まるかと思っていたが、甘かった。

子育ては本当に大変だ。出産前の想定なんて甘すぎた。想像の何倍も何十倍も大変だ。そして、苦労はすべて子ども笑顔に報われるかと言うとそういうわけではない。

何が大変か。まず、子育て自体が大変。慣れない授乳睡眠不足子ども自分の急な体調不良。すぐ泣くし、すぐ怒る。コロナ禍では衛生面にもより神経質になる。でも、こういうのは、それこそ子ども笑顔ひとつで報われた気がするんだよね。

大変なのはそれだけでなく、社会も厳しい。育休をとったら、もうお前はしばらく会社に貢献できないから辞めてほしいと言われた。大学就活リーマンショック後だったこともありうまくいかなくて、それでもなんとか辿り着いた正社員職だった。結局自己都合退職、ということになった。労基署相談しても無駄だった。結構冷たい対応をされたので、傷口に塩を塗られたようだった。こんなことがあるのか、と絶望した。そりゃ少子化になる。出産育児金や子育て支援等、行政サポートはあっても、実際こんなもんだ。正社員じゃなくて、契約社員派遣アルバイト、そういう人は産休育休もなく自分から辞めるしかない。そうなると育児休暇の手当ももらえない。

結局、今は子を保育園に預けて別のところでパートとして働いている。給料は二分の一以下になった。その分業務レベル簡単だし、責任もない。有給はとりやすいので、育児と両立しやすい。職場の方も優しい。それでも、今の収入だと毎日不安だ。第二子なんてとても考えられない。(夫とは結婚当初から生活費を折半している)

それに、子ども遊歩道散歩していたら突然知らないじじいから「うるさい!早く子供を連れてどっか行け!」と怒られたこともある。

地域イベントに出た時、小さい子どもの隣は嫌だと言って不機嫌そうに席を離れたおっさんもいた。

どちらのパターンも、うちの子は騒いでなかった。子連れってだけで突然怒る人もいるから怖い。

基本的に見知らぬ人でも子どもに優しいコミュニティにいる。特に役所の人はとても親切だ。エレベーター優先させて乗せてくれたり、手続きを丁寧に教えてくれたりして、泣きそうなくらい嬉しかった。あと、その辺で出会学生の子、おばちゃんやおばあちゃんも優しい。

突然怒ったり、挨拶しても無視するのは大抵いい年の男の人、特にじじい。挨拶もできないなんて、この人たち、職場でどういう風に生きてきたんだ?

一度、子どもが、セカンドバッグをもった強面のおっさん挨拶したことがあって、よく声かけたなと思ったのだけど、その人はとても優しい声で挨拶を返してくれた。大抵の人はいい人なのに、たった1割の嫌な思い出がトラウマになる。臆病な私は、なるべく周囲に迷惑かけないようにびくびくしながら踏ん張っている。

あと、これからのことを想像すると苦しい。子どもいじめられたら、逆にいじめ立場になったら、とか

今後事故にあったら、とか、病気になったら、犯罪にあったら、とか

大学卒業まで経済面大丈夫か、留学費用や塾の費用は賄えるか、とか

そういう不安が波のように襲ってくる。

子どもかわいいかわいいけど、たまに自己犠牲や理不尽なこと、不安なことが多すぎてしんどい

子育てを辛いと思う自分は、母親失格じゃないかといつも頭のどこかで思っている。みんな普通にやっていることなのに、自分にはできない。自分には我慢できない。

子供に手をあげたことはないし、感情的に怒らないよう、何かあったときはきちんと叱るように心がけている。育児本や発達心理学の本も読んで勉強している。

それでも、遊んだおもちゃを片付けない、夜ご飯を食べない、お風呂に入らない、朝起きない、いつまでも泣き喚く、そういう、子ども自分の言うことをきかないとき、思わずを手をあげたくなる。子ども自分とは別の人間で、自分の思い通りになるはずがない、ということは百も承知なのだけど、それでもしてはいけないこと、しなくてはいけないことは、何度も何度も伝えているのだから少しはわかってほしい。必死我慢している。虐待絶対だめだってわかっているけど、いつも隣り合わせな気がする。

ネットで、「そもそも子どもが泣くのは悪いことではない」という言葉を見たけど、やっぱり泣き声というのは聞いていてとても不快だ。泣いている本人だって、嫌な気持ちがあって泣いているんだから、早くそ気持ちを取り除いてあげたいというのはいつも思う。

たまに怒るが、基本は褒めるように心がけている。もともとのんびりした性格で、子どもが生まれる前は声を荒げて怒る、なんてことしたことなかった。なるべく、小さなことは気にしないようにしている。いつだって子ども幸せを願っている。毎日かわいいね、大好きだよって寝る前に伝えるようにしている。だからはいないほうがいいんじゃないかと思う。

ママ友もいない。保育園ママたちと全くうまくしゃべることができない。保育園の送迎の時だったり、公園子どもたちが遊んでいる間だったり、軽く言葉を交わしているママ達を見て憧れる。

自分母親に向いていないと思う。たまにうまくいかなくて泣いていたり落ち込んでいたりすると、夫に、みんな普通にやっているんだから、と言われる。そういう時、あ、じゃあ私は向いていないかリタイアしようかな、という気持ちがよぎる。私の両親も夫の両親も健在で、関係は良好で、家も近くていつでも頼ることができる。それでもやっぱり苦しい。誰にも頼れない状況で子育てしている人もいるのに、こんなにサポートしてくれる人がいる環境で躓いている自分はなんてダメなんだろう。

自分はこの子母親じゃないほうがいい、いなくなっちゃったほうがいい、そう思う。自分はこの子人生に悪影響を与える存在になりそうだから、早いうちにいなくなろうと思う。

子どもが死へのストッパーになるのでない。死んだほうが子どものためなのだ

夫はしっかりしているから、親や義両親と協力して夫が育てたほうがいいと思う。夫はかなり子育てをしているほうだとは思うけど、趣味や友人づきあいで土日、平日の夜いないことも多く 、やっぱり育児母親がメインでするもの、という考えが根付いていて、言葉の端々にその考えが窺える。  

私がいなくなることで、メインで子育てをする苦しさを夫にわかってほしい、という気持ちも少しある。夫には感謝しているし、嫌いではない。実は夫に復讐したい気持ちもほんの少しあるのも本当だ。

結局自分不安や嫌なことから逃れたいだけの自分勝手人間なんだと思う。こんな勝手人間、やっぱり母親じゃないほうがいい。  

それでも、私がこの状況からひとり逃げて、子どもに「お母さんがいない」と言わせること、それで寂しい思いを押し付けしまうことがどんなに酷か、ということは容易に想像できるので、なんとか踏ん張っている。でもそれにいつまで耐えられるのかはわからない。

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