はてなキーワード: もう一歩とは
概ね正しいけど、もう一歩正しい方向に進め。
男にとって性的に求められるのがいいこと、デメリットの存在を「理解してないから」ではない。
なぜなら女が性的に求められるのを嫌がるのは、所詮哺乳類のメスであるお前が、脳に元より備えた機能だからだ。
キンタマの痛みを女が理解できないように、男にレイプへの嫌悪は理解できない。その機能が身体に備わってないからだ。もしも性に奔放な女がいたら、それは個人差ではなく、メンヘラか何かが原因で脳がぶっ壊れている。
お前の父親も夫も、お前の恐怖は理解できていない。お前がいくら長文を描こうが、男が変化することはない。
ただ、女がレイプを嫌がるという経験的事実を知っているだけだ。誠実さは的外れな類推からしか生まれない。
ひとたび増田のような匿名の、女に見られても社会的ダメージがない場所に来れば、どんな男も女を性的に扱うすべについて会話したりする。モテようがモテなかろうが、お前の最も親しいと思う男すらそうしている。
・シェルターになる
性被害経験とかを持つ人がある程度安心できる空間があるというのは大きい
・ムカつく
この前出張帰りに「もう一歩も歩きたくねえ〜」と思いながら電車並んでたら、ちょうどそこが女性専用車両の乗り口だった。思わず舌打ちしそうになった。男に生まれたってだけで何故公共交通機関の使用を堂々と制限されないといけないのか?
こういう経験が何回かあって、悪いのは痴漢だとはわかってるはずなんだが女へのうっすらとしたヘイトが毎回溜まる。
俺みたいな奴が理不尽に怒りを感じ、女への憎悪を持つようになる。女に生まれたってだけでなぜバカ男に憎まれないといけないのか?
・女ヘイトの支え
フェミニズム系の議論において「でも女さんには女性専用車両があるじゃん」というのは強力な心の支えになっている気がする。はっきりした男性差別案件が日常生活に密接した形であるせいで「女性ばかりが抑圧されている」という意見にノりにくくなっている。
・めんどくさい
絶対やめたほうがいいよ
こっちとしても助かる
満員電車はなぜクラスターになったという証拠が出てこないのか?
ずっと考えていたところ。
3密状態なのに、感染が広がりにくい理由として、車内の沈黙がしばしば指摘されている。
これって、事実か検証されていないものの、本当だとすれば、実は相当、本質的な話じゃないかとふと思った。
「3密、ソーシャルディスタンス」これらは、物理的な距離しか表現されていないが、
感染リスクは、物理的な距離だけでは表現できないことを示しているからだ。
直感的な結論は、「飲食店・車内他、3密が避けがたい空間での会話を自粛する」「私語厳禁の名曲喫茶並みの自粛を求める」
「1時間に一度、客にうがいタイムをつくってもらう」これだけで十分な対策になりうるんじゃないか。
パチンコ屋をみてみろ。
あいつらは、あれだけ批判を浴びながら、一度もクラスターを発生させていない。
なぜなら、客は終始無言だからだ。黙ってパチンコに真摯に向き合っているからだ。
カラオケ屋はどうだ。
喉を枯らして、ウイルスへの暴露を増やしてしまうからではないのか?
今日もマスク着用を拒む高齢の感染者を説得しようとした看護師が感染したというニュースが。
喉?ということで、もう一歩進んで考えてみた。
ウイルスの防御は、およそ3段階ある。
ひとつはマスク、手洗いなど衛生活動による身体への付着リスクの軽減だ。
次が、万が一付着してしまったとしても、粘膜には侵入防御の機能がある。
最後に、残念ながら粘膜も突破されてしまってウイルスが体内に潜りんでしまったとしても体内で作られる免疫で守る仕組みになっている。
この3つのステップというのは、もう少し考え直したほうがいいのでは。
今、世間では、身体への付着リスクと免疫の二つの段階しか議論していないようにみえるが、本当に重要なのは中間の防御である「粘膜」じゃないだろうか。
第1の防御であるマスク・手洗いなどがよくいわれるが、うがいはもっと強調されていい。
政府が率先して小さな布切れを配っているくらいだから、マスクによる予防を真剣に考えてくれているとはとても思えないし、
正直、マスクでウイルスの付着を防いでいる、というのは実態とは異なるんじゃないかと思っている。
口鼻だけ守ったってどうなの?と。外出したら、そこら中、触り放題で帰宅するわけでしょ。マスクの役割、限界ないですか?
そういってみて、思い出したのが夜に入浴する習慣の乏しい欧米。
一方、ウイルスが本格的に体に侵入するモーメントを考えてみると、ウイルスへの次の防御は粘膜だ。
ウイルスは粘膜から侵入するといわれる。皮膚からは侵入しない。
外気にさらされている粘膜は体中にたくさんあるが、目、鼻、喉が普通の生活では重要とされる。
耳や肛門まで警戒する必要はない様子。目もこすらなければいい程度の注意にとどまっている。
もっとも感染のエントリーポイントになりやすいとされているのは、鼻、喉だ。
しかし、乾燥していたり、喉が渇いていたり、しゃべる、歌うなど喉を使うとき、喉の粘膜が
ウイルス防御の機能を弱め、無防備に曝されるのではないか。緊張したり、興奮したり、運動することでも喉の粘膜は脆弱になるように思う。
マスクは実は、ウイルスの侵入を防いでいる効果はそれほどでもなくて、鼻やのどを保湿することで粘膜への刺激を和らげる効果を発揮しているのでは?
だとすればアベノ布切れでも、そこそこ効果は期待できるかもしれない。
これは本当にしょうもない仮説だけど、誰か実証実験してもらえないかな。
マスク・手洗いうがいのほか、飴をなめる、というのを推奨できないか。1時間に1個くらい。
飴は、うがいほどではないかもしれないけれど、唾液で粘膜を洗い流す作用がある。
それにしてもうがいはもう少し再評価されてもいいのでは。
https://anond.hatelabo.jp/20200717124512
主にこれの話。
まず、3点リーダーの話もサンドイッチの話もくだらない。そういうスタンスで話を進めます。
こういう文章の正しいマナーやら、サンドイッチが異世界になぜ存在するのか?って考察は、物書きが自分の作品をより良くするために行うもので、他人に押し付けるのは論外。
指摘するまでならもしかしたら相手も求めているかもしれないからまだいいものの、わざわざ相手の反応を見に行って、愚痴を書き連ねるその根性。
自分の正しさをひけらかしたくて仕方ないんだろう。
なろうは趣味で書いてる奴もいる場だって知らないのか?向上心の押し付けはありがた迷惑。
こういう奴は本当に、多い。面白かった作品の感想欄を開くと校正気取りがぽつぽつ。感想書かないなら帰ってくれ。
正しい文章で書きたいやつは言われずともググるから直接教えずに書き方講座でも充実させてくれ。
似たような理由で、自分が投票したいのは自民党の中でも非安倍派閥だったり神道から遠かったりする人。
あるいは野党の中で反緊縮を唱えている人。
なので、政党で選ぶのは愚の愚だと思っている。
自民党だから、民主党だから、で投票していった先に、なんとかチルドレンとかいう稚拙な政治家や、なんか不正で失脚したとたんに人格の破綻がゴシップされる人が当選するわけだよ。人を見てないのだから悪い人が混じるのは当然だ。
増田はもう一歩考えを進めて、投稿の一番最後の、政党別まとめみたいなやつを辞めればよいのではないか。
この文の意味するところは当然「正方形は長方形の一種である」という意味である。
ところが、次の文を見てみよう。
「正方形」と「4つの辺の長さが等しい4つの角が直角の四角形」は同じ意味であることを表している。
つまり、日本語で「〇〇は●●である」といった場合、何かの一種であるという説明なのか、定義を表しているのかが、文の構造だけでは判別付かないのだ。
英語だったらどうか?
Square is a rectangle. aによって、正方形は長方形の一種であると言っている。
Square is rectangle. 正方形と長方形は同じであると言っている。なお、数学のテストでこんなこと言えばは×をつけられる。
このように英語では、aの有無で大きく意味を変えることができるのだ。
とここまで書いて面倒くさくなった。あともう一歩なんだけど。
表現を柔らかくすりゃいいわけよ。別に文字列そのまま実行されてほしいわけじゃないし気持ちの表明に過ぎないんだからよ。
「A殺す、絶対殺す」とか書くと殺人予告で逮捕コースじゃん。でもさ、殺意に共感してほしいだけで別に殺人を予告したいわけじゃないよね。
「A死ね」はもう直球で暴言なわけですよ。本人に命令してるけどそんな命令聞かないのはわかってる。これも別に命令したいわけじゃない。
「A氏ね」は言葉狩りに対抗する文化とお約束の香りがするよね。これだいぶ殺意薄い。でもお約束の文化圏の外に出ると死ねと全く同じ扱いだよね。
「Aしねばいいのに」は願望の表明。命令でなくなった。そう、だいぶいいかんじ。その調子でもう一歩いこう。
「Aが大手を振って世間を闊歩していることが許せない」いいぞ君は逮捕から遠ざかった。逆にまるで自分に逮捕権限があるかのような上から目線最高。
「もしAの命が失われたならば祝杯をあげるだろう」「Aに私たちと同じ人権、生存権があることに怒りを覚える」「Aが生きている事実をみるたびにつらい。涙が止まらない」「Aには必ずや神の鉄槌が下るであろうことが楽しみだ」完璧!喜怒哀楽出していこう!涙止まらなくなっていこう!
良くない言葉だとは私も思う。
だけれども、本当に障害者様というのはいると思っているし、それは健常者に歩み寄ってくれない障害者を指すと思っている。
そもそも論として知的、身体問わずに暴行や性的暴行を図る障害者は全員100%障害者様なのでそいつらの話はしていない。
私は小学生の時、支援学級の子のお世話係みたいなものをやらされていて、その時に無理やり抱きつかれたり無理やりキスされそうになったことや、高校の通学電車の中で知的障害の身体の大きな男の人に執拗につけまわされて触られたりしたことがトラウマで今でも知的障害者が怖い。
障害者だから、正常な判断が出来ないから、と罪に問わないこと自体が差別なんじゃないのか?
私たち健常者は障害者のために傷つかなければいけないのか?到底許せない。本当に無理。
長くなりそうなので今回その話は置いておく。
話したかったのは、私たち健常者に歩み寄ってくれない障害者のことである。
まず、割合としてこの社会は健常者が多数を占めている。なので、必然的に健常者が環境を作ることになっている。
その社会において、障害者が生きづらかったり不便不満を感じるのは当たり前のことだと確かにそう思う。
このご時世、SNSで事ある毎に障害者当事者が様々な「不便だった、不快に感じたのでこうして欲しかった」ケースを紹介してくれおり時にそれがバズったりする。
私はこれをとてもいい事だと思う。
私たち健常者は健常者であり障害者ではない。なので障害者が困っていることに気付きにくい。
そこで当事者が声を上げてくれることにより私たちにも気付きや考える機会が生まれ、より良い社会に繋がる糸口になっている。
問題は「不便だった、不快に感じた」だけで完結してしまっている障害者だ。
じゃあどうして欲しかったの?何が正解だったの?と少しでも健常者が言おうものなら、気付かないなんて配慮が足りないこれだから健常者は、障害者差別だ、私たちはこんなに大変なんだとまるで大義を拳にして殴ってくる。
そうやって健常者をストレス発散のごとく殴ってくる奴に限って、私たち健常者に歩み寄ってくれていないのである。
健常者は障害者のことを全て分かっていて当たり前、障害者が100%納得のいく対応ができて当たり前、とばかりに。
声を大にして言わせて欲しい。
バカかよ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!健常者はテレパシー使えるわけじゃねえんだよ〜〜〜〜〜!!!!!!健常者は健常者でしかねえから〜〜〜〜〜!!!!!!
クレームの電話とか、スーパーによくある「お客様の声」とか何であるか知ってる?
健常者ですら健常者同士で分かり合えてないからだよ。
メンヘラ女みたいにデモデモダッテしてるだけじゃ何も上向きにならない。して欲しいこと、して欲しくないことはきちんと口に出さないと伝わらないのだ。これは健常者障害者関係ない。
なぜ、「こういう時はこうして欲しい」のひとことも言えずにただ健常者をストレス発散に殴ってくるのか。それでは余計に健常者と障害者の間の決して浅くはない溝がさらに深まるだけだ。
そのひとことを鬱陶しく思う健常者もいるかもしれない、がそれより遥かに多くの健常者がそのひとことを求めている。
それがあることで、私たち健常者の理解は更に深まり、良い環境づくりや良い社会づくりの第一歩を踏み出せる。共に。
何も言わなくても分かってもらうのが当たり前、配慮してもらうのが当たり前だと思ってこちらに歩み寄ってきてくれないひとたち、それを障害者様と呼ぶことは、許されて良いと思う。
もし私たちが平等ならば、障害者が良くない健常者を非難するように私たちも良くない障害者を非難する権利がある。
障害者が健常者からの配慮を求めるように、健常者も障害者からの配慮を求める権利がある。
健常者はもう既にボーダーラインを越えて胸を開いているのに、「どうせ分かってくれないから」「分かってないなんて非常識」とかつまらない意地を張っていないでどうかもう一歩歩み寄ってくれないだろうか。
分からないことを教えて欲しい、ただそれだけだ。
コロナくんは本当にクソ雑魚のゴミでしたね 死者何人だ?まあ流石に1万人くらいは殺してるよなあこんだけ騒がれてんだし…→729人
ファーーーーーーwwwwww俺が行ってた底辺高校の生徒数より少ないやんけ!!!やる気あんのか???
もうダメだ あのカスに期待するのはもうやめよう どうしようもないですよあのクズは 多分1000人も殺せずに終わるね 第二波もなんなら来ねえんじゃないか?なんと言っても根本的に資質が足りない無能チンカス・ウイルスですからね
こういう絶望的な状況で最後に頼りになるのはやっぱり人間、とりわけアメリカ様と中国先生です
おふたりともいい感じで盛り上がっていらっしゃるし、なんと言っても核をお持ちだ 国家としての「格」に加えて「核」まであるなんて本当におみそれしてしまう
戦争だ戦争 コロナによって9万人を殺されたアメリカ様は汚い共産主義の独裁国家である中国先生に宣戦布告する権利があるし、中国先生は意味わかんねー言いがかりをつけてくるキチガイに率いられた最悪の国をこの機会に叩き潰すべきだ
全面戦争をやるしかない で、地球人類を支える二本の大黒柱であるおふたりが戦うっていう記念すべき瞬間を祝うにはやっぱり祝砲が欠かせない
ここで出てくるのが核ってわけだ 広くて暇そうなロシアあたりの胸を借りて、ドドンと20発くらい撃ち込んで派手に開戦と行くべきなのである
期待外れに終わった薄汚いクソウイルスに社会変革を託すのはもうやめよう これまで人類の進むべき道を切り拓いてきたのは、神でも悪魔でもない、他ならぬ人類自身だったわけです
今回も我々が己の手で活路を切り開くべきなのだ ロシア・中国・アメリカ、ついでにヨーロッパとオーストラリアに人類の叡智の結晶たる原子力の光を届けることではじめてもう一歩先に進めるんだなあ
待ってますよ
ルールを守らない人もこれは知っている。サッカーでは手を使ってはいけない。サッカーはそう言うスポーツだ。
だが破る。手を使う。
手を使ってはいけない、これはわかっているしわざと破る気もない。だけどうっかり手を使うことや手を使わざるを得ない事はある。私が手を使ったのはそう言うことだ。だからいちいち手を使ったからと言ってペナルティを与えるのは納得がいかない。
と言うふうに考えている。
そして、ペナルティを与えられないためであれば例え暴力に訴えたとしてもそれは仕方がない。手を使ったのはそれだけの理由がある。審判は笛を吹いてはならない、カードを出してはならない。
そう主張し始める。
最終的に「私は何も間違えたこと、悪いことはしていないのに反則を取られレッドカードを出されて退場になった。あの時手を使わなかったらもっとひどいことになった可能性すらある。これは不当な審判だ。あいつらはおかしい、私を差別している、ルールを守ることがそんなに大事なのか?となっていく。
そして彼らは今日もいう。「サッカーでは手を使うのはダメです、反則です、と。
本人が破ったつもりがない、とか、致し方ない理由で破ったのであればそれはノーペナルティであるべきだ、と考えている。
もう一歩進めるのであれば「私がルールを破ったと言うことはそこには仕方ない理由があったとみんな理解すべきだ、何であれそれは私にとってはルールを破らざるを得ない理由なのだ。」と考えている。
もう一歩進んで「老いへの恐怖」という感覚に目を向けてみよう。
売る側は「老いへの恐怖」さらには「老害に見られたくない」という感覚を把握していて、商品に「若者向け」のタグを貼り付けているのだ。
そして「お若いですね」と言われたい老人が「若者向け」のタグに飛びつく。
中にはお世辞を真に受けて「若者に人気なんだ」と思い込むものまで出てくる。
実際には感覚のズレというのは真逆で現場の人間の感覚のほうが正解なのだろう。
そして「求められているのはエンタメ」とのことだが、現代のアニメは純粋なエンタメからも離れていってる。
現代のアニメは内輪ノリ(テンプレ、お約束)に流されて変質していってしまった。
「お客さん」を持ち上げていい気にさせるために随分なリソースが注ぎ込まれているわけだ。
すなわち現代のアニメのダサさとは「接待」「媚び」「ご機嫌取り」に類するダサさなのだ。
※ ネタバレはしていないつもりです。
※ BL要素はありません。
知り合いの女性(刀ミュオタク)から、「チケットが余ったのでよければ一度観に来ないか」と誘われた。秋ごろのことだった。
彼女(以下、Aとしよう)はひとつの公演でそりゃもう何会場も回る筋金入りで、推し俳優のリリースイベントやバースデーイベントなどにも足繁く通うほどの生粋のオタクだ(ほめてる)。都市圏ならば全国どこでも行くような人物であるが、もちろんこういうジャンルは得てしてチケットの争奪戦が厳しい。というわけで仲間たちと複数人で申し込んで当たった誰かのチケットに便乗して……というのが通例になっているのだが、なんでも我々の地元・愛知会場も同じように複数人で申し込んでいたところうまいこと全員当たってしまい、誘うアテがなかなか見つからなかったため試しに私に声をかけてくれたのだそうだ。(ちなみにA名義で4席あったため、共通の女友達B、Cにも声をかけていた。)
最初は断ろうと思った。まあほぼ間違いなく浮くだろうし、「本当に観たい人がいるはずなのに自分なんかが行ってもいいのか?マナー的に。あとでツイッターで怖い女性ファンたちに匿名で叩かれ、磔刑にかけられるんじゃなかろうか」などということを思ったからなのだが、実際少なからず興味はあったのと、まあお金は出すんだし着席する権利はあるだろうと自分に言い聞かせ、誘いに乗ることにした。
私はもともと、女性向けコンテンツに興味がないわけではなかった。そもそも男性声優のラジオ(DGSとか)を聴く程度にはオタクであったし、アニメはほとんど見ないものの、ハマってしまったFree!!のブルーレイは2期+劇場版までそろっているし(ちなみに推しは宗介)、最近はヒプノシスマイクの曲を聴いており、キャラごとのドラマパートまで聞くようになってしまったし。それに、件の刀剣乱舞もサービス開始から1年程度はプレイしていたこともある。比較的少年系の刀が好きだったので、蛍丸や獅子王を最後までメインの編成に入れていた。
しかし、2次元キャラでもなければ声優でもない、いわばゲーム原作が立ち上がった段階では関係のなかった、俳優たちによるゲーム原作のミュージカルに、果たして惹きつけられるような魅力はあるのか。一応演技のプロではあるが、歌のプロでもなく、ダンスのプロでもない。原作への愛はあるのかとか、クオリティはどうなのかとか、気になる部分はいくつもあったし、今思えば少し懐疑的に見ていたような気もする。その答え合わせのために行ったような側面もあったと思う。
今回の会場はセントレアすぐ横のスカイエキスポという場所。初めて行く所だったので、少し早めに名古屋駅から中部国際空港駅への電車に乗ったのだが、まずここで驚いた。乗客の9割が女性。「え?これは”やった”(女性専用車両に誤って乗ってしまうの意)か?」と思った。必死で背伸びし、血眼になって男性を探したところ、扉のすぐ前にスーツケースを持った初老の紳士を発見した。心から安堵した。私には彼が救世主(メシア)に見えた。違和感に気づいてから紳士を見つけるまで時間にしてわずか3秒ほどのことであったが、私にとってはひとつなぎの大秘宝をめぐる壮大な冒険の時間であった。ワンピースの正体が初老の紳士だったらウケるだろうな。
多くの女性たちはよく見るとなんかカバンとか髪とかに似たようなヒモみたいなやつをつけており、ああ、彼女たちが今日の公演の来場者か、とそれで察しがついた。
私は音楽が好きでライブやフェスにもよく行くのだが、そういったイベントに向かう来場者が一様に身に纏う”モード”みたいなものが好きだ。同じようなアイテムを身に着けた人々が、同じような期待感をもって同じ会場へ向かう。まったくの他人のはずなのに、全員で遠足に来ているような感覚に陥る。私は所有していた唯一の刀剣乱舞関連グッズ、蛍丸のラバーストラップをカバンにつけながら、そんなことを思った。
到着したのは開演の1時間ほど前だった。先に現地に来ていたAと合流し、遅れてくるB・Cを待ちながら辺りを見渡してみた。女性ばかりだ。チラホラ見かける男性も、その多くは隣で開催されているFGOの展示会に訪れたような風采で、見たことあるキャラの見たことないグッズを手に奥の施設へと歩いて行った。事前には聞いていたが、男子トイレはがらんどうで、広々としたスペースの中に3人いただけであった。普通にめちゃくちゃ刀剣男子の缶バッジつけてる方とかもいて驚いた。
B・Cとも合流し、我々は人波に流されるまま会場内へ吸い込まれた。会場内は予想していたより二回り以上大きくて、コンテンツの覇権っぷりを身に染みて感じた。
席は通路側から4席分だった。私のにわか知識でも通路側は人気だと知っていたため、さすがに通路に接する席はAに座ってもらい、私はその隣に座った。Aはなんとも用意周到で、私の分のペンライトやうちわまで用意してくれていた。刀ミュの専用ペンライトは優れもので、推しの色を先に登録しておけるらしい。私は操作の指南を受けながら、スタンダードな青色を初期配置として記憶させた。
またも話がさかのぼるが、私は以前からAに(オタク気質を見抜かれて)刀ミュ関連の画像や動画の視聴を勧められていた。男性が男性を推すというのは恐らくややイレギュラーなことなのだろうが、その中で私は2人の”推し”を見つけた。
1人は鳥越裕貴氏。役は大和守安定だ。刀剣男子自体の役どころとしては真面目で実直ながら、どことなく女性的で可愛らしいキャラクターだ。しかし、私はむしろ、役に入っていない状態の鳥越氏に非常に魅力を感じた。というのも彼は、ツッコミが上手い。
これは私の持論なのだが、いわゆるコント的な場の空気になったとき、「なんとなくボケる」ことは誰にでもできると思っている。もちろんその巧拙については個人差があるが、ボケは簡単なのだ(だからこそ才能の発揮される部分でもあるのだが……)。対してツッコミは、才能だけでは解決できない。その場の状況を整理し、その場に応じた言葉を、できるだけ早く用意する能力は、長年のトレーニングによってのみ形成される。そうして身につけた能力を、玉石混交のボケに対応して発揮してあげるのだ。その点で、ツッコミはサービスだ。だから、適切な、上手いツッコミができる人というのはボケの人数に対してかなり少ない。そして、鳥越氏のツッコミ能力は(少なくとも私が視聴したいくつかの動画でのトークで判断するならば)刀ミュ俳優の中では群を抜いている。おそらくこれは、彼が多様な人物と積極的にコミュニケーションを取り、相手を尊重しながら話すことを心掛けてきたからなのではないか。そんな背景が透けて見えたりするところに人間味と魅力を感じた。(あと筋トレの動画がシンプルに参考になった。)
もう1人の推しは、大平俊也氏。役は今剣。これは役のイメージと本人のイメージがぴったり合致する。中性的・少年的で、あどけなさが残るところが氏の魅力だと思う。普通に顔が可愛い。初めて写真を見たときは、そういう印象だった。
ただ実は、彼に関しては開演前、これ以上の印象がとくになかった。動画などを見ていても、ただ容姿や仕草が可愛らしい真面目な人という感じで、もう一歩魅力を感じる部分に欠けていた。強いて言うなら彼にはただ天真爛漫なだけではない、いわゆる「闇(この言葉が深い意味で使われることってほとんどないのであまり使いたくはないのだが)」を感じたような気がして、そこを興味深く考えたからなのかもしれない。(あとこれは完っっっ全に言いがかりなのだが、邦楽ロック界隈では見た目が中性的なバンドマンほど性欲が強くてファンと寝まくっているという根も葉もない(たぶん葉くらいはある)噂がまことしやかに囁かれており、同じく大平氏も男性的な部分を見せたりするんだろうかという謎の興味もあったのかもしれない。)
そういうわけで、私はひとまず、2人のうちとくに人間として魅力的だなあと思った鳥越氏(安定)を推しとして設定し、ペンライトの色を決めたというわけだ。
私の席から見渡した辺りはほんとうに女性ばかりで、電車内の女性が9割だったとしたらここはもう99割が女性だった。男性の存在についてAに訊いたところ、「まあほとんどが彼女に連れてこられてるだけの人だね」と言っていた。リア充爆発しろという一言でも言いたいところであったが、ここで爆発されたらイベントに影響あるし片付けとか面倒だろうな、と考えて口をつぐんだ。
照明が落ち、舞台が始まる。観劇自体がずいぶんと久しぶりだったので、なんだかいやに緊張した。隣に座るAは早速双眼鏡を取り出し、推しの額に光る汗を堪能しているようだった。(Aは同公演に何度も通っているため構成や内容を覚えてしまっており、推しが出てくる数秒前から出てくる位置にすでに双眼鏡を向けていたためさすがにすごすぎて笑ってしまった)
ドラマパートでは刀剣男子たちが次々に現れ、おのおののキャラクターらしい台詞で我々を楽しませてくれる。思っていたよりも総じて演技のレベルが高く、ちょくちょく挟まれる小ボケも普通に笑える。
そうこうするうち私が注目する安定が現れ、男子たちの会話の輪の中に飛び込んでいった。しかし、私はここで少し違和感を覚える。筋トレの動画を何度も見ていたせいか、あどけない口調の安定と兄貴肌の鳥越氏のイメージが重ならない。まあまあこれはこれでいいか、役なんだから、と納得させながら私は舞台のほうに居直った。
逆に、今剣は役と人物が寸分違わず重なった。大平氏の声・仕草は、本家のゲームで出てきた今剣のイメージとほとんど同じだった。鳥越氏の力不足とかそういうことでは断じてなく、これは純粋に大平氏の持つ魅力と、またそれを見越してあてがわれたキャスティングの妙だと思う。それほどまでに今剣の立ち回りは見事だった。
しばらくすると、おもむろに周囲の女性たちが起立し始めた。なんだなんだ、校歌でも斉唱するんかと思いながら付和雷同、私もペンライトを持って起立した。どうやらここからしばらくはライブパートらしい。ミュージカルと言いながらけっこう現代的な曲(EDMとかそっち寄り)なんだなあなどと思っていると、演者たちがステージで踊りだし、さらには客席中央のステージでもダンスが始まった。
先に言っておくが、歌もダンスも全員上手い。だがその中でも、大平氏のダンスは別格に感じた。なにって、踊っているのがはっきりと”今剣”なのだ。彼は背も高くない、体つきも華奢で、いわゆるダンサーとしての資質は他の刀剣男子に劣っているといえる。しかし、手足のフリが誰よりも大きい。大きいだけでなく、キレもある。そしてその懸命さが、彼のマイナスの資質をいっきにプラスへと逆転させていた。ステージ上で彼の弱点は、はっきりと長所だった。「おそらく今剣が踊ったらこんな風なんだろうな」という彼なりの答えが、あのダンスには込められていた。
踊る彼を見て、この人は無敵だ、と思った。
ダンスに魅入っているのも束の間、舞台はまたすぐにドラマパートに戻り、ライブパートと交互に展開しながら進んでいく。そしてついに山場、俳優たちが客席まで降りてくるフェーズが訪れた。通る刀剣男子から直接手を振ってもらえたり、ウィンクされたりすることを、ファンサービス(ファンサ)というらしい。私は自分の推しが通ったらなんとなくうれしいな、という程度で呑気に構えていた。(隣のAは推しの様子を見ながら奮起していた)
通りがかる刀剣男子たちをぼーっと見ていたときのこと、後ろ側からやってきた和泉守兼定が、私に向かって指をさし、はっきりと目線をくれた。一瞬、自分に向けられたものかどうかわからなかった。よくわからないが笑顔で応えたことだけは覚えている。こんなことを言うとタイトルの通り誤解されそうではあるのだが、私の知る限りあのときの感情に最も近いものは、恋だ。
理由は説明できない。できないのだが、「イケメンが選んでくれた」という感情は、きっと男であってもうれしいのだと思う。それほどまでに私が受けたファンサは衝撃的だった。そして、推しでもない人でこれなのだから、これを自分の推しから直接もらえるなどということがあれば、それはどれほどのクソデカ感情になるのか。想像すると、むしろ恐ろしくなるほどだった。
終演までのライブパート、私は自然と目で今剣を追っていた。彼の、あの衣装でのダンスをもっと見たい。いつまでも見たい。だんだんとそう思うようになっていた。
終演後、私はAに感想を伝えた。予想していたよりずっと面白かったと述べると、Aはしたり顔であった。彼女は物販に行くと(地元なのでここでお金を落としたいという敬虔なオタク然としたことを言っていた)私に伝え、人波に消えていった。
帰りの電車は行きよりも空いていた。今思えば、夜公演まで見ていく人たちがけっこうな数いるのかもしれない。私は大平俊也氏のツイッターアカウントを捜し、迷わずフォローした。
Fear, and Loathing in Las VegasというバンドのMinamiというメンバーがいる。彼はステージ上で、まさに狂人だ。髪を振り乱しながら叫び、かと思ったらわけわからんパラパラみたいなダンスを踊り、でも楽器はちゃんと弾く。そして、嘘くささが一切ない。
Soil&”PIMP”Sessionsというバンドの社長というメンバーがいる。紅白のとき、椎名林檎の後ろでヒマそうにしていたあの人だ。彼はジャズバンドの中にいながら、楽器を(ほとんど)弾かない。彼の担当は”アジテーター(煽動者)”。悪趣味なマフィアみたいな恰好で、ステージ上をふらつきながら、メンバーの演奏をのぞき込んだり、客席をメガホンで煽ったりする。ほんとうにこの役割を必要だと思っているのか。どこまでが演技で、どこまでが素なのか。まったく読めてこない。
私は彼らを見るたび、自分に成しえないことをしていると尊敬する。
私は、エンターテイナーが好きだ。それは、役を”憑依”できる人のことだ。舞台の上で演じる人たちは、素の自分のままではもちろんいられない。しかし、役を演じすぎると、それはそれで嘘くささが付きまとう。だから、役を演じていながら、まるでそれが役だと感じさせない立ち振る舞い。そういう”憑依”を楽しみに、私はミュージシャンのライブへ足を運んでいる。
大平俊也氏は、まさにこのエンターテイナーだと感じた。彼は舞台の上で、間違いなく今剣だった。仕草や声の可愛らしさと、ダンスの躍動感。(あと顔の良さとかもろもろ。)それらをひっくるめて、私はしてやられた。
鳥越氏はもちろん好きだ。しかし、実際に見た舞台では(少なくとも刀剣乱舞という題材では)、大平氏のエンターテイナー性のが私にとっては魅力的だった。それだけのことだ。間違いなく今後も、鳥越氏の動画は見続けると思う。
私は自宅に帰り、もらったペンライトを取り出した。推しの色をピンクに設定し、棚にしっかりとしまった。次は、ピンク色のヒモみたいなやつも手に入れたいところだ。
〇〇死去。朝起きたら動かなくなっていた。静かに逝ってくれた。掛け布団の上の足の間の位置で寝ていて、夜中に体勢を変えたときにはまだリアクションがあったのを思い出す。久しぶりに猫のいない生活になった。
夕方から出張火葬。肉球はまだ柔らかかった。18時前に火葬完了。約2万円。可愛さの結晶だった猫も死んでしまえば骨になる。本物そっくりのロボペットがいればそちらを飼いたいとつくづく思う。
調べてみるとセガトイズ 夢ねこプレミアムが一番それらしいか。でも、乾電池で動く時点で肝心のぬくもりは期待できない。バッテリー式必須。
Yahooショッピングだとポイントを差し引いて9000円弱で買える。△△が死んでから元気のなかった〇〇のために買ってやればよかった。
レビューを読むと老人ホーム等でも活躍してるらしい。興味深い。You Tubeの動画を見たけどやっぱりもう一歩かな。見送り。
猫がいない生活をしてみて、今までどれだけ病気の猫の鳴き声に怯えながら生活していたのかを端々で感じる。なにかするたびに、鳴いてくる猫がいないことにホッとする。
やっぱり一人で猫を飼うのは自重するべきだな。
BIO HAZARD:re2のグロ規制無し海外版プレイしてみたが
ちょうど海外版と規制版の比較動画が見つかったのでとりあえず見てほしい
(著作権的にセーフかどうかは知らん)
https://www.youtube.com/watch?v=UfyKjD6m9go
動画を再生すればすぐにゲーム冒頭、体験版にもあるシーンが再生される。
シャッターの隙間からレオン(プレイヤー操作キャラ)の方へと這い出ようとするが、
という場面だ。
見ればわかる通り、
いや、そうはならんやろ。
人間の歯でガジガジやったところで数秒で
背骨はどうあがいても無理だし…
そもそも何で背骨をわざわざガジガジ噛んで切断するゾンビがいるんだ?
肉を食うために襲っているんじゃないのか?
ついでに、こちらはBIO HAZARD:re2の前に出たBIO HAZARD7のグロ比較動画
(re:2はバイオハザード2のリメイクなので作られたのは7の方が前)
https://www.youtube.com/watch?v=q1vRGkjpK2s
注目は4:44辺りからの
モブ警官が背後からシャベルを背後から頭に突き立てられるシーン
規制無し版は
いや、そうはならんやろ(二回目)
ぶっちゃけこういった描写を見ると恐怖というよりも笑ってしまうし
どうもこういうバカバカしいグロ版の方が人気があるらしい(規制版は「規制するな!」と叩かれまくっている)
のみならず、グロ版の方がリアル(!)だという意見すら散見される。
人体の強度を下げるとリアリティが下がって
ホラーゲームクリエイターの方々にはなるべく避けてほしいと願う。
人体はゼリーではないので。
悲しいことだ。