表現を柔らかくすりゃいいわけよ。別に文字列そのまま実行されてほしいわけじゃないし気持ちの表明に過ぎないんだからよ。
「A殺す、絶対殺す」とか書くと殺人予告で逮捕コースじゃん。でもさ、殺意に共感してほしいだけで別に殺人を予告したいわけじゃないよね。
「A死ね」はもう直球で暴言なわけですよ。本人に命令してるけどそんな命令聞かないのはわかってる。これも別に命令したいわけじゃない。
「A氏ね」は言葉狩りに対抗する文化とお約束の香りがするよね。これだいぶ殺意薄い。でもお約束の文化圏の外に出ると死ねと全く同じ扱いだよね。
「Aしねばいいのに」は願望の表明。命令でなくなった。そう、だいぶいいかんじ。その調子でもう一歩いこう。
「Aが大手を振って世間を闊歩していることが許せない」いいぞ君は逮捕から遠ざかった。逆にまるで自分に逮捕権限があるかのような上から目線最高。
「もしAの命が失われたならば祝杯をあげるだろう」「Aに私たちと同じ人権、生存権があることに怒りを覚える」「Aが生きている事実をみるたびにつらい。涙が止まらない」「Aには必ずや神の鉄槌が下るであろうことが楽しみだ」完璧!喜怒哀楽出していこう!涙止まらなくなっていこう!