良くない言葉だとは私も思う。
だけれども、本当に障害者様というのはいると思っているし、それは健常者に歩み寄ってくれない障害者を指すと思っている。
そもそも論として知的、身体問わずに暴行や性的暴行を図る障害者は全員100%障害者様なのでそいつらの話はしていない。
私は小学生の時、支援学級の子のお世話係みたいなものをやらされていて、その時に無理やり抱きつかれたり無理やりキスされそうになったことや、高校の通学電車の中で知的障害の身体の大きな男の人に執拗につけまわされて触られたりしたことがトラウマで今でも知的障害者が怖い。
障害者だから、正常な判断が出来ないから、と罪に問わないこと自体が差別なんじゃないのか?
私たち健常者は障害者のために傷つかなければいけないのか?到底許せない。本当に無理。
長くなりそうなので今回その話は置いておく。
話したかったのは、私たち健常者に歩み寄ってくれない障害者のことである。
まず、割合としてこの社会は健常者が多数を占めている。なので、必然的に健常者が環境を作ることになっている。
その社会において、障害者が生きづらかったり不便不満を感じるのは当たり前のことだと確かにそう思う。
このご時世、SNSで事ある毎に障害者当事者が様々な「不便だった、不快に感じたのでこうして欲しかった」ケースを紹介してくれおり時にそれがバズったりする。
私はこれをとてもいい事だと思う。
私たち健常者は健常者であり障害者ではない。なので障害者が困っていることに気付きにくい。
そこで当事者が声を上げてくれることにより私たちにも気付きや考える機会が生まれ、より良い社会に繋がる糸口になっている。
問題は「不便だった、不快に感じた」だけで完結してしまっている障害者だ。
じゃあどうして欲しかったの?何が正解だったの?と少しでも健常者が言おうものなら、気付かないなんて配慮が足りないこれだから健常者は、障害者差別だ、私たちはこんなに大変なんだとまるで大義を拳にして殴ってくる。
そうやって健常者をストレス発散のごとく殴ってくる奴に限って、私たち健常者に歩み寄ってくれていないのである。
健常者は障害者のことを全て分かっていて当たり前、障害者が100%納得のいく対応ができて当たり前、とばかりに。
声を大にして言わせて欲しい。
バカかよ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!健常者はテレパシー使えるわけじゃねえんだよ〜〜〜〜〜!!!!!!健常者は健常者でしかねえから〜〜〜〜〜!!!!!!
クレームの電話とか、スーパーによくある「お客様の声」とか何であるか知ってる?
健常者ですら健常者同士で分かり合えてないからだよ。
メンヘラ女みたいにデモデモダッテしてるだけじゃ何も上向きにならない。して欲しいこと、して欲しくないことはきちんと口に出さないと伝わらないのだ。これは健常者障害者関係ない。
なぜ、「こういう時はこうして欲しい」のひとことも言えずにただ健常者をストレス発散に殴ってくるのか。それでは余計に健常者と障害者の間の決して浅くはない溝がさらに深まるだけだ。
そのひとことを鬱陶しく思う健常者もいるかもしれない、がそれより遥かに多くの健常者がそのひとことを求めている。
それがあることで、私たち健常者の理解は更に深まり、良い環境づくりや良い社会づくりの第一歩を踏み出せる。共に。
何も言わなくても分かってもらうのが当たり前、配慮してもらうのが当たり前だと思ってこちらに歩み寄ってきてくれないひとたち、それを障害者様と呼ぶことは、許されて良いと思う。
もし私たちが平等ならば、障害者が良くない健常者を非難するように私たちも良くない障害者を非難する権利がある。
障害者が健常者からの配慮を求めるように、健常者も障害者からの配慮を求める権利がある。
健常者はもう既にボーダーラインを越えて胸を開いているのに、「どうせ分かってくれないから」「分かってないなんて非常識」とかつまらない意地を張っていないでどうかもう一歩歩み寄ってくれないだろうか。
分からないことを教えて欲しい、ただそれだけだ。
うんち
ふつー分かるよね? 一から十まで説明しなくても
「ふつー」がわからないから障害者様なんやぞ
「こういう時はこうして欲しい」っていちいち言わなあかんの? だいたい察せると思うけどなぁ
なんで他人様がお前の思う通りに行動しなきゃならんの? お前が障害者じゃね?
だったら二度と健常者からの完璧な対応求めんなよって話じゃん 健常者対健常者ですら完璧な対応じゃないことがあるのに何で対障害者になると一気にこっちが悪者みたいな扱いされん...