はてなキーワード: Fate/Zeroとは
まずタイトル
10は『空の境界』で活動開始した1998年、つまり平成10年だ。
この年は映画『ディープインパクト』と『アルマゲドン』が公開された年でもある。
そして阪神淡路大震災の3年後という年でもある。
『Fate/stay night』およびその前日譚『Fate/Zero』で舞台となる冬木氏は神戸がモデルと言われている。
冬木の大災害は阪神淡路大震災の衝撃を元に書かれたものだろう。
『Fate/Zero』の結末はこうだ。
願いが意図せざる形となってしまい、町ひとつを巻き込む災害へとつながってしまう。
主要人物である衛宮切嗣は、あまりの凄惨さに憔悴するが、そこで奇跡的に生存したひとりの少年を救うことになる、というものだ。
ここで衛宮切嗣の重要な要素として、銃、そして島での出来事があることを付け加えておきたい。
また、作中には冬木大橋という神戸大橋をモデルにした橋が重要な場面で登場する。
天気の子ではレインボーブリッジが、序盤のフェリー・中盤のお台場・終盤のフェリーと3回描かれていることも強調しておきたい。
曇っていて見えないというのもまあそうなのだが、
Fateという作品が非常に気になっていたので、ここ数年Fate関係をずっと漁って、Fate/Staynight → Fate/ZERO → Fate/UBW → Fate/HF → Fate/Extra(アニメ) → Fate/プリズマイリヤ1,2,3 → Fate/Apocrypha → Fate/Extra(ゲーム) → Fate/Extra CCC → Fate/Extellaという順番で消化し続けてきた。途中Type-Moonの世界観が共有されているとのことなので、空の境界のOVAを6作見てみたりもしてみた。そしてその結果として、言いようのない気持ち悪さを覚えたのでここに書き散らす。ぶっちゃけると奈須きのこ、てめえは駄目だ。人間ってもんがぜんっぜん書けてねえ!!
Fateのヒロインって奴は、というよりType-Moonの主要ヒロインは以下にまとめることができる。
・遠坂凛
・玉藻の前
・クロエ
・美遊
まあだいたい出てくるヒロイン枠はこんなもんなんだが、ぶっちゃけエロゲと同じでわりと単純で簡単に類型化できてしまう(どうして簡単にかつ単純に類型化できるのかは実は一言で表現できるのだが、それは次のチャプターで話す)要するに以下のタイプしかいないのだ。
・食い意地が張ってるので、基本は食事で胃袋を掴む
・使命感を捨てて恋に生きるよう説得するため、とにかく女の子扱いする
・不器用な生き方そのものを肯定し、過去の傷を舐めて肯定してやる
・チャラい、不真面目
※要するにギルガメシュ
・チャンスを見て、心のSGを暴いたり、心の中身を覗き込んで一旦丸裸にした上で従順にさせる
・たまに大真面目に褒めると照れるので、褒めのジャブを入れつつ、好意をストレートに打ち込むと何故か落ちる
・間桐シンジ
・真面目な朴念仁で、目的のために愚直に突き進む優男タイプに弱い
・ド直球に大してド直球に返す、沈黙に沈黙を返して誘い受けする、これを繰り返していると勝手に相手が落ちている
・倫理にもとる行為をしても基本的には立ち位置を信頼モードにして「何があっても一緒だよ」「過去どんなことがあっても俺は気にしないよ」と言い続ける
・意外と寂しがり屋だったり、わりと物事を達観してる節があるので、そういうときに包容力を見せるだけで落ちる
・こいつら自身が裏表があるタイプなので、裏表が通用すると思ったら間違い
・下手に策を弄するよりも天然を地で行くタイプに弱い。本人たちもそこがわかってるから冗談交じりで愛情をストレートに表現してくる。
・とにかくこいつらは寂しがりで承認欲求が強いので、友達とか絆とか特別というキーワードに弱い
・特に精神的な繋がりを重要視するだけで、それを与えるだけで生きる目的にすらなっちゃう
・精神的な闇の部分も含めて「お前が特別」を与えてやるだけで落ちる
・必ず不器用な一面を見せる
アホかってくらいみんなこれに該当する。そのせいで(2)Fate男主人公全般に見られる妙な脱個性&表面的素朴化が起こってる。
Fateというか、Type-Moon系の主人公格はほぼ以下の五人に集約できる。すなわち黒桐幹也、衛宮士郎、ジーク、岸波白野、藤丸立香の五人である。これは女ヒロインがType-A~Dの四種類に集約でき、かつ変形種まで存在することから考えると驚くほどに単調で少ない。とはいえ一応五人はいるのだから、五人を一人ずつ分析していってもいいのだが。ぶっちゃけるとこの五人、精神分析するまでもない。細かい差異はあれど以下の一行に簡単に集約できてしまう。
マジでこれは異論は認めない。ぶっちゃけTypeMoon系の主人公(男)ってやつはどいつもこいつも女に対しておんなじアピールしかしてない。驚くくらいこれがまったく変わってなくて驚きを通り越して笑えてくる。マクロス・フロンティアでMay'nが歌うノーザンクロスに「君を掻きむしって濁らせた、なのに可憐に笑うとこ、好きだったよ」という歌詞があるが、まんまこれである。すなわち「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」「僕を傷つける君でも、俺はお前を好きだZe!放ってなんかおけないZe!」のどっちかを繰り返して女の子を包み込んでいるだけなのである。その証拠に各々のメインヒロインをFate/StaynightシリーズとFate/Extraシリーズを用いてざっくりどうやって各主人公が落としてきたかを振り返ってみよう。
「士郎は卑怯です、私の過去を知って、何度も私の中に入ってきた(性的に)」
→「惚れちまってんだから仕方ないだろ、俺はお前をこのまま放っておけないZe!」→「俺はお前を救いたい」→陥落
「(アーチャーが私を裏切った…!?そんな…っ)士郎、今日は疲れたでしょう、もう休みなさい」
→「お前の方が辛いはずじゃねーか、俺はお前をこのまま放っておけないいZe!」→陥落
「先輩、私綺麗じゃないんです、もうずっと前から汚れた女なんです」
→ 「そんなお前をこのまま放っておけないZe!俺は女としてのお前を求めたいんだZe!」→陥落
「奏者よ、本当の私は悪名によって星に刻まれた為政者なのだ。為政者としての余は完全に間違いばっかりなのだ」
→ 「そんなお前の姿が俺には眩しいZe!」
「私は傾国の姫君、私は人とは一緒にいられない、一緒にいてもどうせ不幸にしてしまう、」
→ 「そんなお前が俺との何気ない日常を選んでくれたことが俺はうれしいZe!俺はお前を信じていたZe!そんなお前を俺は好きだZe!」
「私は破壊の王、命を奪いたくは…ない、私は、その意味をまだ知らない。だが私には、破壊しかないのだ。他には…何もない。だから…」
→ 「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」
ぶっちゃけFate/Extra、Extellaなんてのはストーリーはメチャクチャ単純で、主人公の事を好きな味方(サーヴァント)を連れて聖杯戦争を進んでいく内に主人公の事を好きな敵が現れて、その敵から主人公が逃げたり逆にその敵を救おうとして失敗してを繰り返しながら、ラスボスとの戦いで主人公を好きな味方と敵の全員が力を合わせ、最後にラスボスを大団円で倒した後に、切ない別れが待っている、以上。もうぶっちゃけこれだけである。FGOもほとんどこれを繰り返してるだけ。(※この系譜に当てはまらないのはせいぜいがFate/ZeroとFate/Apocryphaくらいのもんで、しかもこの2つは両方ともメインライターは那須きのこじゃなくて虚淵と東出)那須きのこの描く女性像、特にヒロイン像ってヤツがいかに偏ってるか、いい加減気づいた方が良い。こいつにとってヒロイン女ってのは精神的脆さという名前恋愛スイッチが存在していて、そこを押しさえすれば女はみんな落ちると思ってる。でもってそのためには男は全員器が謎に広くて天然朴念仁でありながらストレートに女性を褒めることも出来て自分のピンチにも泰然自若としている肝っ玉のある男じゃなきゃいけないわけだ。
このヒロイン像に対比する形で生まれた男性像が顕著といえるのが<空の教会>の黒桐幹也くんである。
筆者は空の教会の「殺人考察(前)」編で両儀式から殺されかけて逃げながらも彼女を何度も振り返って見つめ合う黒桐幹也になんだかシュールなものを感じてしまって半笑いになってしまったのだが、とにもかくにも那須きのこのヒロインを救う主人公(ヒーロー像)ってのはこのときからまったくといっていいほど変わっていないことが伺える。この異常なヒロインをそれでも愛するヒーロー(男性)というのはFateにも結構登場していて、藤丸立香や岸波白野だけじゃなく、メディアさんの恋人ポジションである葛木先生なんかはモロにそのポジションだったりする。特に岸波白野くんの包容力演出の異常さに関してはメルトリリスやパッションリップのエピソードでも充分に語られているから分かるだろう。基本的に那須きのこ氏の作品に登場するメインヒロインたちは絆や深い関係を作るために何らかの精神的ウィークポイントが存在しなければならず、そこを無意識に突くことができ、かつ人格的にも不安定な彼女たち(意図的に男性の手の中に転がりやすい存在として貶められている彼女たちの人格)を包み込んであげるためには、ヒーローたる男性は極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好しでなければならないというわけだ。
これって西尾維新とかの物語シリーズにもよくあるんだが、とにかく女性という存在を何かと欠陥のある存在にしたがっている。「欠陥のある存在にしたがる」というのは要するに、手触りがあって男の手の中に何となく収まってくれそうな存在に押し込めたがる傾向がある、という意味だ。早い話が心に隙間のある人間に仕立て上げることで、弱点スイッチを作っていることだと言っていい。そしてそこを上手に押してくれる男性をヒーローと仕立てあげる構図を作り上げている。これは病的なまでにすべてのヒロインに共通して言えることである。例えばFate/Extellaに登場するアルテラは1万4千年前の世界を滅ぼした遊星の尖兵たる巨神そのもので、その気になればサーヴァントたちのみならず神級の英霊をも下すこともできる超弩級の危険人物なのだが、どういうわけか主人公に惚れていて何故か必要もないのに彼にプログラム世界であるにも関わらず料理を振る舞ってみたり、甲斐甲斐しく抱きしめてみたりする意味の分からないエピソードが大量に存在する。そしてどういうわけか主人公の昔の英霊パートナーに嫉妬したり、主人公と会話をしたがるも話すことが見つからなくてじっと見つめてしまったり、逆に見つめ返されて恥ずかしがったりしてしまうのである。
この一言に尽きる。だから女性ヒロインにわかりやすいテンプレを付けすぎて、しかも毎回それを使いまわしすぎる。そして男性ヒーローに対して、女性を救う存在とさせすぎる。一言で言えば、女を舐めすぎだ。この辺は主人公(男)がしょっちゅうヒロイン(女)をからかったり弄ったりすることからもよく分かる。その弄り方のほとんどがどうにもこうにもヲタ臭いのだ。
別に人間なのだから、弱点を押されれば弱いのは分かる。精神的な脆さや寂しさが女の魅力になることも分かる。
でもそれに頼りっきりかっつー話である。いい加減恋愛スイッチのあるヒロインをヒーローが助ける構図をやめてみたらどうなのか、と。例えば歴代の有名ヒロイン・綾波レイに恋愛スイッチがあったか?ガンダムのララァに恋愛スイッチがあるのか?ヒーローはいつだってヒロインに愛されていなければならないのか?そうだとしても、それは常に恋愛という形である必要があるのか?ときにはヒーローこそが、心理的に成長する物語を描いたっていいんじゃないか?Fate作品のヒーロー(男性)が画一的で単調なのは、決してヒロイン(女性)を魅力的に描く上でそれが必然だからなのではない。単純にヒロイン(女性)をきちんと描けていないから、その対存在であるヒーロー(男性)が対応する形で単調な存在になってしまうのである。
ポケモンのレッドや.hackのカイトのような、没個性的な男性を主軸に置くことを続けていくことは否定しない。しかしあえて言おう。真の意味での没入感や共感を視聴者が得るためには、登場人物には哲学や主張が存在しなければならない。中庸をいく存在であってはならないのだ。極端に何かを主張する存在でなければならない。それでいてなお、視聴者の好意を射止める存在でなければならない。そしてそれに共感するか否かは、すべて視聴者に委ねるべきなのだ。
この点を非常にうまくやったのは間違いなく虚淵氏である。Fate/Zeroの主人公たる切嗣は、主人公としては実に賛否両論だろう。この主人公に対して感情移入できたのかどうかは実際のところ評価の別れるところだし、正直行って那須きのこ氏が展開する没個性型の主人公とはまったくもって一線を画す、主義主張の塊のような漢だ。しかしどうだろう。不思議と切嗣を憎めない。また那須きのこ氏がヒロインとヒーローにばかり話の焦点を当てるのに対し、虚淵氏が上手いのはヒロインとヒーローが絡むメインテーマに対して、ヒロインとヒーローとは異なる視点におけるサブシナリオをきちんと描いてメインテーマに関連付けさせるところだ。衛宮切嗣に対して言峰綺礼をきちんと置くし、セイバーに対して、きちんとウェイバーとイスカンダルそしてギルガメッシュを置く。(※この違いはなんのかというと、要するに虚淵氏が単にラブコメも恋愛もあんまり書くつもりもないからなのだが)
したがって、那須きのこ氏がこの課題をクリアするためには、まず安易なラブコメや恋愛スイッチヒロインを描くことをやめるところから始めるべきだろう。もっと多種多様な人間の感情模様を描くべきだし、そしてもしそれがきちんと出来ていれば、主人公(男)があれほどまでに没個性的で妙なヲタのりをする奇妙な包容力のある人物になるわけはないのである。
「景気が良いときほど暗いアニメが流行り、景気が悪いときには明るいアニメが流行る」
といった話を耳にするが、
そのような疑問を抱いた私は、
1985年からの景気動向指数(CI・一致指数・各年の12月の数値を採用)と、
私が独断と偏見で選んだ「その年に人気だったテレビアニメ」を、
並べて比較してみることにしたのだった。
宇宙よりも遠い場所(女の子がかわいくて、全話ストーリーがいい)
コードギアス 反逆のルルーシュ(名作)
キルラキル(勢いがすごい)
シュタインズ・ゲート(キャラもストーリーもいい)
ガールズ&パンツァー(女の子がかわいい、爽快)
翠星のガルガンティア(まどマギの脚本の人がシリーズ構成)
オカルティック・ナイン(テンポがいい)
映画語り漫画がどれくらいのレベルでひどいかどう説明すれば普通の人にわかってもらえるんだろう。
とか
ぐらい恥ずかしいセレクト。
映画の何が素晴らしいのかを語る的な話では
「ああ、大切なことは全て漫画から教わったな」ってセリフを使うくらい、センスが終わってる。
で、敵っていうか嫌なキャラは「せせせ、拙者は」とかいうバンダナ眼鏡デブのオタクか、「アニメには高尚さのかけらもない」とか言う感じのやつで、それを論破するみたいなくそ展開。
パロディネタは「親父にもぶたれたことないのに!」「私は三人目だから」「生存戦略しましょうか」レベルで、知識すごい!さすがこの作者はわかってる!みたいな扱いを受ける。
さらに辛いのが、例えば部員勧誘エピソードで「ただの人間には興味ありません」とかのパロディ展開があると、
「本編にシンクロしたネタを出してきた!愛がハンパない!熱量すごい!」とか言い出す読者が出てくる有様で、
多少は誇張してるが、これで映画好きにとっての地獄さ加減が伝わるだろうか。
できの悪い嘘松を読むのに近い。
映画好きのマウントとか言って馬鹿にされがちだけど、自分の趣味でこういうことをやられてみなよ。
本当に本当に辛い。
読まなきゃいいと言われるかもしれないけれど一度読んだらなかなか忘れられないって。
●追記 2018/08/22 二回目
沢山集まって感謝!古めの作品も集まってて、厚みのあるラインナップになってると思う。
とりあえず、あらすじで気になった本の1巻をkindleで買ってみる。
けど、全く見やすくなってないなw
暇をみてジャンル別、作者別、巻数別あたりに分けたい。
不戦無敵の影殺師
この恋と、その未来
七日の喰い神
偽る神のスナイパー
すずみんは肉食系火竜
Tとパンツとイイ話
変幻の地のディルヴィシュ
モノケロスの魔杖は穿つ
さよならピアノソナタ
サイコメ
ジョン平とぼくと
晴れた空にくじら
約束の方舟
森の魔獣に花束を
平浦ファミリズム
貴子潤一郎の「眠り姫」
扉の外
雨の日のアイリス
シャンク!!シリーズ
巡ル結魂者
リーンの翼
ドラゴンランス戦記
書きかけのラブレター
海が聞こえる
空ノ鐘が響く惑星で
鳥籠荘の今日も眠たい住人たち
ぼぎわんが、来る
平井骸惚此中ニ有リ
〈本の姫〉は謳う
別にエロゲ出身ラノベ作家が一人称で書くと決まったわけではない。
さらに、いまラノベでいちばん一人称が用いられているジャンルはなろう系ファンタジーだ。
その他のラノベで別に一人称が多いわけでもなければ、もちろん一人称と三人称の混在が多いわけでもない。
逆に言えば、一人称も、一人称と三人称の混在も、別にラノベの専売特許というわけではなく、一般文芸にもよくよく見られるものだろう。
そもそも一人称か三人称かは作品内容によるものであって、作者がエロゲ出身かどうかで決まるのではない。
同じ作家でも、キャラの多いストーリーだと三人称になりがちだし、主人公の視点や心情を重視するのであれば一人称になりがちというだけだ。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン関連の人気エントリーがなぜか今頃になって上がっていた。
元々地味な作品だったが同クールにやっていたクソアニメやキャンプや南極やダーリンに話題を持っていかれてしまい余計に影に隠れてしまっていたが、ようやく正当に評価され始めたらしい。
しかし思い返すと、10年代の京アニ作品は全体的に地味ではなかったか?
京アニ作品の平均順位6.35位。安定しているとはいえ00年代の出せばヒットの印象から考えると随分落ちたなと感じる。
作品単体で見れば面白かったり売上も悪くないのに、年間トップのヒット作や有名作とぶつかる事が多くどうしても「二番手」「地味」なイメージがついてしまったんじゃないかと思う。とにかく運が無い。
そんな中でも飛び抜けて売れているFree!と安定して売れているユーフォは京アニの希望か。
頑張れ京アニ!
せっかく調べたんで置いとくわ。
1995 ストリートファイターZERO
(1995 ウイングガンダムゼロ)
2002 マクロス ゼロ
2003 .hack//ZERO
2005 パーフェクトダーク ゼロ
2007 クローズZERO
2017 ノーゲーム・ノーライフ ゼロ
ウイングガンダムゼロは「ウイングガンダムが最初に出てきてプロトタイプであるウイングガンダムゼロが後から出てきた」という点で近いので括弧つきで入れておいた。
ちなみに
・ウイングガンダムゼロの登場は第24話で9月15日