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はてなキーワード: 絵画とは

2013-09-26

音楽絵画文学など、芸術としてしばしば神秘性を語られる分野も、社会学方面から分析可能だと思ってる

作り手・受け手にどのような社会的特徴があるか、また社会的評価と作り手の特徴にどのような関連があるか

データを集めてみれば面白い結果が見られる気がする

2013-09-18

盗作」について日本イギリス認識の違い

九州国立博物館の展示名が「盗作」と訴えられている件について http://mainichi.jp/select/news/20130917k0000e040212000c.html

はてぶコメントを読む限りでは、ロンドン大の教授がやり過ぎではというコメントが多い。イギリス大学勉強をしている身としては、何を「盗作」とするのかについて、日本イギリス感覚にずれがあるように感じる。

イギリスアカデミアでは「剽窃」についてとても厳しい。これは大学教育最初の段階でとても厳しく教えられる。レポート論文を書く際、「他の人の文献」を引用をしたら必ず出典を明記する、というのは当然だが、「他の人の考え」を引用した場合にも必ず引用元を明記しなければならない。学会や授業の講義で得られたアイデアはもちろん、親しい友人のアイデアであっても、原則として引用元を記せ、と私の大学では教えられた。そして、自分アイデアが盗まれないように、誰に何を話したかメモを取っておくように、と。

今回の一件について、ロンドン大学スクリーチ教授所属するアジアアフリカ研究学院(SOAS)にももちろん剽窃について決まりがあり、「他者の考えや言葉自分のもののように表現する事は避けなければいけない」と記載されている。http://www.soas.ac.uk/languagecultures/studentinfo/plagiarism/ 

日本人感覚からすると、「視覚革命」と「江戸絵画」が一緒に使われる事ぐらいあるでしょ、と思うかもしれない。しかイギリスにいる感覚では、あまり一般的でない言葉をくっつけて(「視覚革命」なんて日常生活で使わないでしょ)、しかも本と同じような内容の展示のタイトルとして使っちゃったら、剽窃を疑われても仕方ない。

別に教授売名行為なんかじゃなくて、イギリス人からすると当然のクレイムだよな〜と思ったので書きました。

知的財産権とか法律絡みのことはよく分かりません。単純に感覚にズレがあるな、って話です。

2013-08-31

文章系専門学校で学んだこと

http://anond.hatelabo.jp/20130830202223

小説を書くための学校に、2年間通った。

特定を恐れずに、その経験談を書いておこうと思う。

最初教科書本多勝一木下是雄だった。

400文字詰原稿用紙のレポートを何度も書かされた。学校までの道案内や入学式の報告といった、無味乾燥としたレポートだ。

その400文字は、先生の厳しい添削で真っ赤になるのが常だった。

まともな文章をたった400文字すら書けない。その現実の中で僕らはもがいた。

本を読んだ。

プラトンから神々の指紋」まである推薦図書のリストがあって、半分は読んだと思う。(神々の指紋は残念ながら読んでいない)

村上春樹吉本ばなな江國香織好きな人が仲間内では多かった。一方で、ラノベばかり読むグループもいた。

僕自身は、SF古典人文学系の新書を読んでいたと思う。

その時期いちばん読んで良かったと思うのは、佐藤信夫の「レトリック感覚」「レトリック認識」だった。

ただ、読んで良かった、という気持ちだけが残っていて、内容は詳しく覚えていない。

50枚の短編小説を書くのが、1年目の目標だった。

50枚書くことは難しくなかった。

夏にはもう初稿が提出できて、先生にはそれなりに褒めてもらえた。

しかし、自作何となく気に入らなくて、勝手最初から書き直してしまった。

それから、文章を先生に褒められることは一度もなかった。

書き直した作品は、生徒みんなの前で罵倒された。(トラウマだ)

合計で7回は書き直したと思うけれど、何度やっても評価はされなかった。

2年目の卒業制作100枚の中編だった。

そちらも同じように失敗した。

レポートなども合計すると、2年間で2000枚は書いたと思う。

授業では色々な人から話を聴いた。

某有名ゲームプランニングをしていた人・女性雑誌編集長とある古参ハッカーラノベ大御所・今ではずいぶん有名になってしまった当時の新人作家……。

映画演劇もたくさん見せてもらった。レポート宿題が必ず付いていたけれど。

民俗学古事記を読んだり、美術学で有名絵画から聖書シンボルを読み解いたり、構造主義を応用して物語プロットを組み立てる授業もあった。

教えてくれる人はみんな(出来る範囲で)熱心で、青臭い自分言葉もちゃんと聞いてくれた。

ちなみに、小説先生は往年の一太郎ユーザーで、ESCから始めるショートカットばかり使っていた。

キーシーケンスの組み合わせを暗記していたようで、VimEmacsに通じるところがある。

日本語IMEについて、ATOKは使い物になるが一番良いのはWnnだ、と言っていた。その真意は定かではない。

提出ファイルにはShift-JISのプレーン・テキストを指定し、タイトル名前の入れ方も詳しく指示していた。おそらくマクロで処理したのだろう。

ただ、提出メディアフロッピーディスクだった。もう10年以上前の話で、テレホーダイ記憶が鮮やかだった頃だ。

僕が通っていた学校に限れば、環境としてそんなに悪いところだとは思わない。

当初は周囲を見回して傲慢になっていたけれど、その鼻柱は見事に折られてしまった。

客観的に言って、使おうと思えばいくらでも使える環境だったと思う。

ただ、進路が難しい。学校を出た後でどう生活を立てていくかが難しい。

日本社会の標準的ルートからはやはり外れているのだ。

卒業生の進路はそれぞれだった。

僕はPGSEの道に突き進んでしまった。

定職に就いていない人間もきっと多いだろう。

頭の良い同期は大学に転入した。

プロとして活動していると言えるのは、50人の同期の中で3〜5人だと思う。

(これはきっと、専門学校の中ではかなり良い割合に入る)

おそらく最良の選択は、大学に転入し、標準ルートに戻ることだ。

標準ルートを知ることも大事だし、それから生活を安定させてデビューを目指せば良いと思う。

(ただし金が掛かりそうだが……)

専門学校は、僕にとっては良い場所だった。

何も知らない自分に大きなトラウマを与えてくれたのは、本当にありがたい事だ。

ただ、自我の捨て方は教えてもらえなかった。

こればかりは、学校の外で年齢を重ねてから、知るほかなかった。

文章を書くには、どうしても、自我を捨てた部分が必要だ。

そう悟りながら、僕はいまだ書けないでいる。

純文学系の新人賞に一度だけ送って落選した実績しかまだない。

そして、日本語よりJavaを書く時間の方が長く、それよりもD言語を書きたいと思う毎日を、無為に過ごしているのだ。

追記

トラバでも言われてしまったけど、「学んだこと」と言いながら、学んだ技術的な内容をあまり書いていなかった。

多少参考になる部分があるかもしれないので、追記してみたい。

ストーリー構成の教科書としては、シドフィールドが使われていたようだ。

ただ、当時はろくな翻訳が無かったらしく、教師オリジナルテキストを使っていた。

ハリウッド流の伝統的な4分割構成が基本で、自分アイディアをとにかくそれに落とし込み、内的整合性を保って読者に提示する技術を教えられた。

たとえば下記のような点をチェックするよう繰り返し言われた。



他にも色々と細かいテクニックについて教えられた。書くときの気構えであったり、推敲添削方法であったり。

今はストーリー構成の良書も多いだろうし、自分教科書を集めて勉強できる環境も整っているかもしれない。

から自分で体系的な資料を集め、先生になってくれる人や切磋琢磨できる仲間を見つけ、継続的に書く環境を整えられれば、わざわざ専門学校に行く必要は無いだろう。

専門学校などという人生を浪費する施設より、週末の教室Webでの作品発表・添削という形の方が適しているかもしれない。今の時代はきっとそうだろう。

レベルの高い卒業生の作品を見ると、内的整合性の点では下手なラノベよりしっかりしているものが多かった。

しかし、

「全体的に整合性が取れていて、ちゃんとした盛り上がりがあり、伝統的な構成に従って無駄なく構成できているか?」

という問題と、

「それが商業的に売れるか?」

というのはまったく別の問題だ。

商業的消費はたぶん非体系的な世界で、体系的技術がそれにどこまで寄与できるかは分からない。

とあるデビューした卒業生処女作は、内的整合性など何も考えていない、次々と新しい要素がひたすら出現する怪作だった。

その一方で、しっかりした技術のある人が、なかなかデビューの糸口を見つけられないでいる。

ちゃんとした構成や一貫性よりも、変に魅力的な脇役が愛されたりするのが商業世界だ。

特に日本おいて、消費者は全体よりも部分を好む傾向が強いと思う。

そして、部分で受けることを狙うのはかなり難しい。

部分を愛する文化というのはきわめてハイコンテクスト文化で、普遍的一般的技術原理的に存在できない気がする。

それは様式美に満ちた世界で、日本の文化はそういった様式美の継ぎ足し・連続で出来上がっているようにも思う。

こういった事は加藤修一の「日本文学史序説」に素晴らしくまとまっていて、とても面白かったので、創作に関わる人は序章だけでも全員読んだ方が良いと思う。

マンガゲームアニメラノベも全部これで説明できるし、将来的にどんなもの日本流行するか判別する目安にもできそう。

これは学校では教えてもらえなかったテキストだ。

以上を要約すると、ちくま学芸文庫から上下巻で出ている加藤修一日本文学史序説」を3000円で思い切って買おう、それを読めば専門学校に行かなくても大丈夫場合によってはラノベを書かないで済ませられるかもしれない、ということだ。

2013-08-24

金糸と銀糸

11) スエーデン語: Mångata 月明かりが水面に輝いて道のようになっているさま

http://kyouki.hatenablog.com/entry/2013/08/23/063435

このさまを表す言葉日本にもあるよっていう話。

以前、漁船チャーターした際に、真鶴漁師の方に

太陽が海に作る道を金糸、月が海に作る道を銀糸ということを聞いた。

錦の御旗を織る糸から来た言葉だそうな。

さざ波しか聞こえない中で

水面に長く細く光の道が揺らめく様は、糸を流したようでしょうと

訥々と語る船長さんの声と目の前の光景にうっかり眠って心を奪われて

いい感じにぐだぐだになったのを覚えている。

ムンクmoonlightって絵画ハチクロで後から知って

ああ、この光景を彼も見たんだと感性が通じ合えた気がした。

スウェーデンの隣の国の人だから、というのも一因かもね。

今年はムンク生誕150周年記念だから、どこかで現物ゆっくり見る機会があればいいな。

余談だけど、満月を東に、太陽を西に湛えた光景を表す「はにはに」こそ日本が誇るべき(ry

2013-08-14

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130814/k10013763401000.html

タイトル意図がよく分からんのだけど、実は絵が上手かったというだけで、あの歴史的絵画を潰した汚名がチャラになったの?

高学歴社会から落ちこぼれた話

http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155

話題になっているので読んでみたが、いろいろと衝撃だった。

http://anond.hatelabo.jp/20130813213536

それからこれを読んで、ああ、なんか近いなと思った。

この手の話題は、こどもを持った今、ますます考えさせられる。自分がこどもに与えている環境は、一体どういったものなのか。

家庭で話題になること、親のすること、家にあるもの、すべてがこどもに対する環境である。こどもの世界はとても狭く、そこから受ける影響は計り知れない。それを気にしているかいないか、というのはとても重要なことだと、今本当に思う。

私 自身は、超とは言わないがまぁ高学歴一家に産まれた。いつからか知らないが、医者家系だ。父の兄弟はみんな医者もしくは医者の妻であり、妻たちはたいて い薬剤師だ。母も大卒高校教員だった(結婚するまでの数年だけ)。父方のいとこたちは当然、みんな医者で、女であれば医者との見合い話が転がり込んでく る。医者にならず医者の妻にもならなかったのは私と兄だけだ。

母方のいとこたちは医者プレッシャー特にないが、大学を出て一流企業に勤めたり公務員になったりする人から引きこもりまで様々だが、親の世代はみんな女でも大卒だ。当時にしたら高学歴ファミリーだと思う。

こんな家系に産まれたので、当然私と兄にも医者になれプレッシャーはあった。プレッシャーというより、医者以外の職業ほとんど知らなかった。だから『なり たい』という気持ち以前に「大きくなったらお医者さんになるんだろう」くらいに思っていた。親戚のおじさんおばさんにも「何科がいいのかな? 皮膚科なん て楽って言うわよ」とか「お医者さんの奥さんになるのね」とか、もうそれ以外の選択肢は全くみんな頭の中になかった。

私の産まれた街は田舎 なので、私がこどもだった30年くらい前には自営業以外はほとんどいなかった。そもそも、いまでいうサラリーマン的な人が働く職場はなかった(と思う。少 なくとも当時の私には見えていなかった)。何屋さんのなんとかちゃん、みたいな感じで、家業とその家の人が結びついていた。街中の友人の実家はみんな何か 家業をしているし、ちょっと離れたところはみんな農家だ。たまにお父さんが外国にいて帰ってこない家があったが、それが「商社駐在員」である、というと は、これっぽっちも知らなかったし、知っていたとしてもきっと「しょうしゃのちゅうざいいん」のしごとが具体的にはわからなかっただろうと思う。お父さんがテキ屋さんで「こようそしんじゅうたく」に住んでいる友達もいたが、その子と遊ぶなと言われる意味が分からなかった(のでもうしょっちゅう遊んでいた)。

今 大人といわれる年齢になって、いろんな人と出会い、ようやく世界はいろんな仕事があり、いろんなルートでそうなれる、ということがわかってきたが、こど もの頃の私には「医学部にいって医者になる」「法学部へいって弁護士になる」「薬学部へいって薬剤師になる」「家を継いで○○屋になる」ほかは、あまりピ ンと来なかった。それ以外の世界との接点があまりにも少なかった。

今話題の「低学歴世界」と同じく、おそらくは「高学歴世界」の住人だったが、それ以外の世界について知る機会もなければ教えてくれる人もいなかった。

人 生の転機は小学校とき。父が死んだ。父は開業医だった。残された母は、親業も家事もとことん 苦手だった。家の掃除も出来ないので、父の死後もずっとお手伝いさんがいた。私の世話もお手伝いさん仕事だった。ゴミの分別も出来ないので、全部まとめ てゴミ袋にいれ、ずっと自宅に清掃業者がゴミをとりにきていた(有料)。道ばたにあるゴミ収集所が無料で使える市のサービスだと知ったのは高校生くらいの ことじゃないかと思う。

それでも私は自分の家は超貧乏だと思っていた。なぜならお金を稼いでくる人が死んでしまったのに、母が無職のままだ からだ。公立の学校お金がかかっていると思っていた。保険金とか、遺族年金とか、寡婦年金とか、全然知らなかった。学校ではうちが母子家庭だと知った先生に「生活保護を受けたらどうか」と言われて(そのあと「お父さんはなにしてたの」「医者です」「あ、それは失礼した」というやり取りがあった。)そ れを母に言うと、うちは生活保護は受けられない、と言われた。中学から新聞配達バイトをしようと、新聞屋を回ったが、何処もやらせてくれなかった。高校 に入ってすぐバイトをはじめた。いつも飲食店で働き、食費を浮かせた。そして、父の残したわずかばかりのお金を食い尽くすだけのニート母にものすごい嫌悪 感を抱いていた。あるいは借金もあるかもしれないと思ってびくびくしていたし。家族旅行は父が生きていた頃もお正月に近場の温泉に一泊するくらいだったし(開業医だったので学会などの出張時に代理先生が頼めるときしかから離れられなかったらしい)、父が死んでからはそんなことはしたことがない。仲の良い友人たちから家族旅行の話を聞いたり、留学した友人たちを見て、いいなぁ、お金がある家は、と思っていた。

私自身は、高校田舎なりの公立の進学校に進学したものの(田舎なので公立のほうがレベルが高く、私立は滑り止めという扱 いだった)、大学には行かなかった。家は超貧乏だと信じ込んでいたので、国公立で年間80万円くらい、4年で300万円以上の学費、それに生活費。そんな お金なんてひねり出せないと思っていた。当時は、今だって毎日バイトしたって月に数万円しか稼げないのに、学費生活費を全部自分で稼ぐのは到底無理だと思ってい た。今となればなんと視野が狭かったんだろう、自分リミットを決めてもったいない、と思うが、当時はそういう風には考えられなかった。母には「医者か弁 護士になるなら投資するがそうでないなら大学へ行く必要はない」と言われた。投資する気はない、と。「あんたはどうせ医者にはなれない」。母はよくそう いっていた。

投資ととらえるととてももっとなのだが、当事者かつ思春期の娘としては、これはとてもやる気を削がれた。彼女はこどもを投資物件ととらえており、さら医者弁護士以外は価値のない人間だと言っている。そして娘は投資対象として適切ではない、つまり価値がない。

こ どもが育つ上で一番大切なのは無償の愛』を感じられるということらしいが、そういえば私に注がれる愛情はいつも有償だったなと、今になって思う。プロセ スをほめられることはなく、絵画で賞をもらっても、賞をもらった絵ではなく賞状をあがめられた。賞状だけ集めていれるファイルはあったが、その肝腎の絵を とっておく仕組みがなかった。学校の成績で上位何番以内に入るといくら、というのもあった。勉強お金をもらう為のものだった。

こういうのも、環境の一部だ。

私はこういう環境から自分価値がない、というメッセージを受け取り続けてきたのだろうと思う。これは自分のこどもには絶対にしたくない。

と、話はずれてきたけれど。

まぁ、そんなわけで、私は高学歴一家の中の落ちこぼれである。ただ、落ちこぼれたと言っても、やはり「低学歴世界」の話をブログで読むと衝撃だったけど。落ちこぼれたおかげでかどうか、いろんな人たちに会い、いろんな世界を知り、選択肢は沢山あるのだなぁ、というのを今になって感じで来た。高学歴世界の住人たちとも付き合いがあるけれど、最初から高学歴世界の住人だったひともいれば、そうでないひともいる。全くの低学歴ででも、高学歴世界にすっとなじんでいる人もいる。本当にいろんな世界で育って、いろんなルートで、今そうなっている人がたくさんいる。

あのままあの世界にいたら、親戚友人知人は医者だらけで、自分医者になっていたか医者結婚していたのだろうと思う。そちらがよかったかどうかと言うと、どうもそうとは思えない。それは高学歴世界が嫌だというのではなく、あまりにも選択肢が狭いためだ。

こ どもの頃は世界が本当に狭かった。職業医者弁護士以外にも選択肢がたくさんあったし、医者弁護士になれないからと言って人生終わったわけで はない。高校は基本学区内で一番偏差値の高いところに行かないと行けないと思っていたし、学校の成績で平均値をとると馬鹿だと思っていた。大学はあんな親にお金を出してもらっていくなんて胸くそ悪すぎ る、そもそもそんなお金ないし、と思っていた。でも、本当は高校なんていくらでもあるし、世界には大学まで無料で行ける国も沢山あるんだ。世界は広く、選 択肢はとても多い。

選択肢が沢山あるのだということを、こどものうちにもっと知っていたかったと思う。本当に。高学歴世界の住人たちのなかにもほかにもきっと他の選択肢現実的に受け止められなくて、自分世界適応できずに苦しんでいる人もいるに違いない。私みたいに落ちこぼれしまえばあきらめもつくけれど、そう出来ないと自分で命を落としたりする。

高学歴であれ低学歴であれ、選択肢があることを知っているか否かは大きいと思う。こどもにとっては親とその親の作り出す環境がすべてなんだ。私は高学歴世界の住人じゃなくなっちゃったけど、いろんな選択肢があることは伝えたい。そういうことも含めて、大人たちはもっとその環境に気を配るべきなんだろうな、自戒を込めて。

2013-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20130729145137

昔の絵画建築物を修復する職人みたいに貴重な人材になれるぞ。

俺はやらないぞ。

2013-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20130724124254

広く浅く学ぶことはだれでもできるんだけど。

深く1事を学ぶのは、個人にしかできないだろ。

俺は図書館絵画系は読み漁ってほとんど読んだし、トップジャーナルはだいたい読んでいるし、医者から医学はまあまあ詳しい。

だけど、格ゲーや数理系やといったことは知らない。

井の中の蛙がどの程度の世界をしらないことを指すかがわからないが、

ヤフーニュースなりを読んでいる程度のものなら、そんなの無くても構わない。

岩波文庫くらいは読んでいるという話ならば、そのくらいの教養は確かにあったほうがいいね、程度。

2013-07-20

久しぶりに旧友から連絡きたと思ったら選挙協力電話でさー

っていう人、この時期よくいるけどさ。

なんか選挙協力頼まれた人って、よく人にさも迷惑そうに話してくるけどほんとは内心嬉しいみたいな感じがするんだよね。

会社にあれやれこれやれって頼まれちゃってさーみたいなのと同じような。

 

旧友が久しぶりに連絡来てくれて嬉しい→実は相手には目的がありました→ガッカリ

っていうパターンなんだろうけど、普通は疎遠になってた旧友から連絡きた時点で嫌な予感しかしねぇよ!

というか絵画売るとかの俗っぽいアレと違って、ちょっと頭が足りないお人好しが世界平和や俺の幸せとかを願って薦めてくるという時点でちょっとほっこりちゃうんだけど?

俺が今までであったアレな人がたまたまお人好しばかりだったからなのか?

 

でも利用されて悲しいと思うより、あぁこの人はちょっとアレだけど俺の幸せの為を思っていってくれてるんだなと思うほうが健康的じゃん。(失礼)

まぁオラオラでこられたら普通にストレスだけどね。

2013-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

ゲーム現実のふりをした何か、あるいは何か別のものに良く似た何かだととらえるから、そういう疑問が湧くのだと思う。

ゲームは紛れもなく現実世界にあるものだし、映画も本もそうだろう。絵画鑑賞が趣味人間について、仮想現実に没頭していて現実を見ていないというだろうか。

と書いていて、仮想現実というのは何なのか、よくわからなくなってきた。

あと、現実世界の方が発見があるかどうかは感性を鍛える方向によるし、修正が効かないこともある。

2013-07-09

これから社会人間必要

あらゆる生産活動は機械に置き換えられ、ダンスや歌などの芸能活動初音ミクなどのバーチャルアイドルにとって変わられ、小説絵画自動生成するプログラム実用段階に入ったとき、最終的にそれらを消費する機械発明されるでしょう。そうなったとき、この社会おい人間は一番役に立たない存在となります機械が身をすり減らして人間の面倒を見なければいけないのでしょうか?そこまでして人間に尽くす意味はあるのでしょうか。

また人間視点で見れば、機械に劣る人間を相手にする意味がなくなります人間同士が団結して助け合う意味を見失います

2013-07-05

クラシック業界芸術界のレスリング

先に、海外ではどういった状況なのかといったことはあまり存じないことを謝っておく。

クラシック業界ほど保守的業界はない。

演奏情報を見ると軒並み18C中期から19C初期の曲目ばかりが並んでいる。

同じ曲目ばかり演奏し続け、「この曲いいだろ?良い曲だから何度でも聴きたいよな?」とドヤ顔で言い張っているが、クラシック人口が減り続けているという事実は大きい。

オリンピックにおけるレスリングは、今まで鼻高々に自分の地位を主張していたが、変革を迫られている。

業界内だけで自己満足しているだけでは、オリンピックの様な大衆的な場所はいられない、ということだ。

クラシック業界も、新しいかたちを取り入れていかなければ大衆に受け入れられ、生き残っていくことは出来ない。

絵画世界では、大家の作品の展覧会と並んで新鋭作家展覧会がおこなわれている。現代美術美術館も多く存在する。

映画世界では、先に目に入るのは最近の作品ばかりである古典の作品は名画座など手軽に鑑賞できる施設がある。

著作権の問題も大きいのかも知れない。

最近では、2004年に著作権が切れたラフマニノフなどは、ここ数年で一気に人気を増した。

CMで流れたり、ポップスメロディーが流用されたりすることで、新たな客層をつかまえたのではないかと思われる。

しかし、著作権切れだけに頼るクラシック業界では少々頼りないのではないか

2013-05-29

じゃあもしあと数年で死ぬとしたら何をしよう

今は無職

もう仕事は探さない。

お金が尽きたら死ぬ

それまでに何をしよう。

釣りを始める

絵画教室に通う

ゴルフ始める

大学に通う

漫画の賞に応募する

童貞なので高級ソープで筆下ろししてくる

・髪を染めてみる

ピアス開けてみる

同級生に会って最後挨拶をしてくる

・都内で一人暮らししてみる

Twitterフォロワー一人一人に死にます、とDM

どんな反応がくるか確認してみる

ナンパしてみる

家族に通帳を渡す

これぐらいかな。

2013-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20130518181104

今朝、この記事↓を読んで、

 「超シンプル絵画が44億円である理由」

 http://anond.hatelabo.jp/20130518053040

なるほどな、って思ったんだけど、、、


「どれだけ金を積んでも手に入らない」もの

「金さえ積めば手に入る」ものを比べれば、

そりゃ、確かにな、と思ったよ。


もっとも、「お金で買える/買えない」が問題になるのって、

「その金額を出せる」場合のみ、だから

「その金額をそもそも出せない」わたしみたいな貧乏人は、

お金で買える/買えない」のラインを意識すること自体が、

そもそも少ないんだよな。。。

(だから上記記事を読むまで、深く考えたことなかった。)


大元増田さんは

「そもそも出そうとも(稼ごうとも)思わない」っていってるが、

そこに共感するかどうかは、もう、価値観の問題でしかないんだろうな。。。

世間的に高額な値付けがされている「商品」に対して、

大元増田さんは値段(労力)に見合うだけのメリットが感じられない、

って理解でいいんだよね? そこらへんは結構共感する。


からこそ、

元増田さん(http://anond.hatelabo.jp/20130518181104の)みたいに、

そこを一度通り抜けた(経験した)ひとの意見って、結構興味ある。

自分はたぶん、これからもその道は通らないと思うから

自分の知らない(これからも行かないであろう)世界

景色を知ってるひとの話が聞きたい。

http://anond.hatelabo.jp/20130518185423

小説絵画音楽も、技巧とかしっかりしてなくても、人を感動させたら勝ちだからな(まあ、勝ち負けというのも変だが)。

2013-04-26

とても素晴らしい才能を持ち、複数のコミュニティから声を掛けられている方と話した。

話の端々に自身の才能から他人を見下す発言があり、期待していた分暗い気持ちになった。

その才能から実際に利益を上げて、コネクションを多く持っているので、彼が正義なのだとも思った。

社会で求められているのは人間性ではなく、需要を満たせる才能なのだと思った。

熟々思うんだけど、「才能に惚れ込んだら、人格には惚れるな」。最っ高に素晴らしい音楽絵画エンタメ体現できる人は、大概頭おかしいんだよ。人格者だなんてことを勝手に期待して勝手失望するくらいなら、才能を認めた相手の人格には最初から近付くな、と思う。

https://twitter.com/azukiglg/status/221941064142041088

この方の言う通りだった。

人格者にはなれないし、人間関係を捨てきれないほどに才能も無い自分

ここに今日の気持ちを書くだけなんだろう。

どちらとも伸ばすことができない、誰にも興味を持たれない人でも

思いを書き捨てられるのはグズグズとした安心感がある。

2013-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20130413200229

少女漫画の源流の1つだからオタクが遡ってミュシャに流れて行く。

浮世絵にも通じる線画が日本人好み。

逆に日本人は新古典絵画が嫌い。

2013-03-15

宇都宮東地区 幼稚園まとめ

最初に、このまとめは私が実際に見学に行ったり、公園などで他ママから聞いた事をまとめたものです。

あくまで参考なので、気になる幼稚園があるのであればぜひ見学に行ってください。

また、すべての情報において2013年3月15日時点での情報となります

平出幼稚園

http://www.hirayou.ed.jp/

かなり大きな幼稚園で、3クラスあります

周辺の小学校もほぼ同じメンバーで上がる事ができるため、友達作りを優先する方におすすめ

人気の園なので、願書提出には2日前から並ばないといけないほど。

教育方針運動芸術方面が強そう。

 

未就園児交流会あり。(土曜日に月1~2回)

鬼怒川幼稚園

http://www12.ocn.ne.jp/~kinuyou/

預かり保育が月2000円と安いので兄弟居たり、仕事している方には助かります

美術大出の先生による絵画教室外国人教師による英会話教室もありますが、週1なので、そこをどう取るかですね。

自宅でも継続的にお絵かき英語を教えているご家庭ならオススメかもしれません。

教育方針は基本的な姿勢芸術重視でしょうか。

 

未就園児親子教室あり。(月1回)

マリア幼稚園

http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-shiomi/sub2-12.html

その名の通りのイメージで、お嬢様幼稚園と言った感じ。

今はわかりませんが、一時は入園試験がかなり厳しく、倍率も高かったとか。

やはりマナーやお淑やかさなどに重点を置いているよう。

遊ぶのが大好きな男の子場合ちょっと物足りないかもしれません。

教育方針は隣人皆兄弟的な感じかと。キリスト教ですので。

 

未就園児親子教室あり。(月1回程度)

満3歳クラスあり。(年少クラスに含む)

太陽幼稚園

http://www.youchien.or.jp/search/01utsu/01-032.html

Webサイトが見つからなかったので、紹介ページへのリンクとなります

 

ここの園バスSLのペイントがされていて、通園が子供には楽しくなるかもしれません。

また、制服が無いので楽と言えば楽。

ただ、園庭が比較的狭いのと、駐車場が無いのがちょっと不便かもしれません。

(農園や近所の公園などで遊んでいるみたいなので、狭いという点のデメリットはある程度解消している様子)

教育方針運動に力を入れており、体を動かし、元気に健康に育つ事を重視しています

友達作りや、体を動かす事が好き・得意な子にはオススメかもしれません。

 

未就園児親子教室あり。

満3歳(場合によっては3歳前からクラスあり。(年少クラスに含む)

清原ミドリ幼稚園

http://www.kiyohara-midori-you.com/

園庭も広いし、体育館アスレチックもあれば、なんと温水プールまで。

近々、アイススケート場とゴーカート場もできます

しかし、園庭とアスレチックはもう経ってから大分経過しているせいかちょっと危ない箇所もあり。

温水プール比較的新しいので、とてもキレイ

教育方針勉強国語英語算数)に重点を置いています

卒園までに自分名前漢字で書ける、簡単な英単語習得、九九習得が行われるようです。

 

大きなデメリットとして、園バスがありません。

なので、比較的入りやすい園ではあります

 

未就園児親子教室あり。

満3歳クラスあり。(年少クラスに含む)

 

その他

あとは平出むつみ幼稚園などがあると思いますが、私が調べたうちでは他ママさんの話含め、上記の園が話によくでてきて、他の園は出てこなく、情報収集できませんでしたので割愛します。

もし間違った所などありましたら、随時変更していきますのでご指摘ください。

 

各未就園児親子教室ですが、有料の所もあったと思うので各自問い合わせてから参加してください。

しかし、未就園児親子教室は、その園の様子がとてもわかるので、ぜひ参加してほしい所です。

また、教室に参加したからといって、その園に入園するわけではないので気軽に参加してOKです。

実際、私が参加している教室ほとんどの人が入園をしません。

2013-02-12

リストラの話を聞くと、明日は我が身なんだ。と思ったりする。

もし、明日、辞めて欲しいと言われたらどうするか、

しかしたら、いわれるままに会社を辞めて、派遣の安い月給で働きながら、

しばらくできなかった勉強絵画に、一年間くらい没頭してみるのもいいかもしれない。

と、考えている自分がいる。

我ながら甘い。

2013-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20130204234405

うまい」とは思うけどビックリマークを付けるほどではないし

まずいものでも腹が膨れるならそれなりに満足できる。

高級料亭に連れて行かれれば旨いものを堪能するけど

べつに吉牛でもマックでもそれはそれでかまわない。

タンウェイのピアノとか、ストラディバリとか

音は素晴らしいだろうけど、その音を毎日聞くために

糞高いコストを払おうとは思わない。そういうもんだろう。

もちろん良い料理音楽絵画のために人生捧げる人もいるだろうし

それはそれで否定しないが

万人の生き方ではないね

2013-01-31

「無断転載批判クラスタ」って、単なるご都合主義者の集まりなのか?

彼らの攻撃性と攻撃対象の話

http://anond.hatelabo.jp/20130131090532

法的な話

http://anond.hatelabo.jp/20130131142500

どうも、法的な話をした途端、面白いように食いついてきたようだ。そしていつも通りの「ブーメラン」「詭弁」「藁人形論法」の三種の神器である

そして、未だに「無断転載を行っていない人間を攻撃対象にする事」については、何一つとしてコメントがない。答えたくないのか、答えられないのかは定かではない。

だが、彼らの最大の問題は、あくまで「無断転載を行っていない人間」であり、「彼らに肯定的ではない遵法主義者」を攻撃対象にし続けている事、ただ一点である

http://anond.hatelabo.jp/20130131090532でも書かれている事だが、イラスト絵画などの「画像ファイル」の無断転載撲滅が目的であれば、テキストエゴサーチなど必要はない。

活動の動機があくまで「無断転載の撲滅」であり、「承認欲求の充足」ではないのなら、そもそも「彼らの活動に対する評価」そのものを、定期的に検索する必要性すらないわけだ。

なぜ「法律の話」には即座に食いつくのに(もっとも、その法律知識も穴だらけなのだが)、自身の攻撃性の問題に対しては、何一つとして反応をしないのか?

ブーメラン」だの「詭弁」だの「藁人形論法」だの「ありえない法律論」だのといった印象操作・論点外し(の事実上の逃げ)をする前に、一度でいいか真摯に答えて頂きたいものだ。

「無断転載批判クラスタ」は、なぜ単なる「批判者」まで攻撃対象にしてしまうのか?

http://anond.hatelabo.jp/20130130173142

http://anond.hatelabo.jp/20130130213537

http://anond.hatelabo.jp/20130130220223

「彼らの最大の問題点は、無断転載を行っていない「彼ら自身への批判者」を攻撃対象にしている事である。」論点は、ただこの一点である

彼らは建前上、「無断転載の撲滅が目標」と標榜している。

私も(それを目指すことに、どれだけの効果があるのかは別としても)それ自体は否定はしない。

http://anond.hatelabo.jp/20130128213337

上記の日記について、「無断転載批判クラスタ」側から、度々「単なる被害妄想だ」という声が上がっている。彼らとしては「自分たちを批判する人間は、無断転載をしている当人、もしくは無断転載をした人間を擁護したい人間のみだ。「無断転載批判クラスタ」という言葉自体、そんな違法行為を行う人間被害妄想だ!」という立場だけは、どうしても崩したくはないのだろう。(その点が、度々「単なる論点外しの逃げだ」と批判される理由でもあるのだが)

今回は、そこを重点的に、かつ手短に述べたいと思う。

テキスト検索によるエゴサーチ」は、「無断転載の撲滅」の為に、必要行為なのだろうか?

イラスト絵画を無断転載した人間が、わざわざ「これは無断転載してきた作品です。」と、自ら自慢をするわけがない。「無断転載という行為」そのものが、(あらゆる違法行為に共通することでもあるが)「バレなきゃオッケー」という前提の上で成立している行為からだ。(たまにネット上では飲酒運転無免許運転を自慢して炎上する人間がいるが、それはまた別の問題である

度々増田で問題視されるように、「彼らへの批判行為を行った者」を攻撃対象としているのも事実である

それは、彼ら「無断転載批判クラスタ」が、「自らの活動に対する反応を、エゴサーチしている」何よりの証明であるとも言える。

「無断転載行為を撲滅する為」に効果的な行為だと錯覚しているのかも知れないし、単純に自分たちの承認欲求を満たしたいだけなのかも知れない。

たが「自らの活動に対する反応を、エゴサーチすること」自体、「イラスト絵画を対象とした、無断転載を撲滅する活動」には、なんら意味をなさない行為である事は、言うまでもない。

因みに、松下響氏や紅蓮の猫氏などが、「イラスト絵画関係の無断転載行為」を検索するシステムを紹介することがある。

「彼らの撲滅すべき敵」を見つける目的であれば、まだそちらの方が真っ当な行為であると思う。当たり前だ。

2012-12-11

つらいから吐き出してみる

2原やらなきゃいけないのにぶっちぎってしまった。

特に私がやらなければいけないという類のものではないのだが、自分から引き受けておいて未だに手をつけていない。

前にいたスタジオからそうだ。いや、もっともっと小学校に上がる前から私にはサボり癖がある。

 

自分なんていなくてもいい、自分はだめだ、なにも感じずにふと消えてしまいたい。

ハイティーンになるころからずっとこんなことを考えてきた。

 

思えば私の夢は早く若くにかっこいい旦那様と結婚したいだとか、素敵な彼氏が欲しいだとか、そんな事が根底にあったように思う。

アニメーター仕事などは、落書き会社に送ったら採用されて、たまたま運良く原画になっただけの事だ。

絵が描ける仕事なら正直なんだってよかった。

 

いつもいつも片思いが実らない。腕を磨くためとの言い訳に、恋人探しに絵画塾に入塾したもの

焦らされてばかり。

 

あの人が私のものになってくれない。本当に欲しいものが手に入らない。

本当に、心も、体も、磨り減ってしまった。

これ以上は文章としてここに残したくない。今はこれで良しとしておこうと思う。

2012-11-13

2039年の日本SF~私はSUICAと暮らしています

http://anond.hatelabo.jp/20121113224421

★★以下は2007年に執筆したSF転載です★★

いよいよ日本経済史を変える大イベント、「紙幣硬貨廃止法」が施行される。

2040年12月までに、日本国民は手元の紙幣硬貨を、

SUICA」に入金しなければならない。

2041年1月から日本銀行券財務省鋳造硬貨は、

製造が停止され、その法定通用力が失効する。

政府は、国民1人当たり、10枚のSUICAを発行する。

例えば、預金や株等を除いて、現金が157万3,467円ある人は、

SUICAに157万3,467円を入れるのである

1名1枚しかないと不便なので、最大10枚まで発行される。

先述の場合カードAに100万円入金、カードBに50万円、

カードCに7万3,467円入金する、なんてのも可能である

SUICA」への入金は、全国の銀行郵便局コンビニ

受け付けられる。

さらに、公衆電話ならぬ、「公衆SUICA」なるものも、全国の

街角にお目見えする。

例えば、職場飲み会があった際に、

「じゃあ1名当たり5,000円集めますね」というシーンにおいて、

紙幣硬貨がないと費用清算ができない。

なので、そういうときのために、公衆SUICAで清算するのである

結婚式場葬儀場に公衆SUICAが設けられたのは言うまでもない。

香典は公衆SUICAで支払われるようになる。

全国の全事業所、及び個人で商売をする人に、SUICA端末が配布された。

八百屋で買い物してもSUICA支払、肩こりマッサージ受けても

SUICA支払、ソープランドの支払すらSUICA支払になる。

で、SUICA導入の最大の目的は、

日本国内の全経済活動の把握」にある。

SUICAの決済情報は、即座に国税庁に伝わる。

なので、SUICAを通して、全経済活動の把握が可能になる。

もっと露骨に言えば、「脱税するのが不可能な社会」になる。

国税庁セールストークは「税務申告不要社会」。

SUICAのデータによって、自動的に税金計算され、

自動的に税金が徴収される。

なので、

国民は税務申告手続が一切不要になり、国税庁も職員を大幅カットできます」が

導入推進の最大理由だが、国税庁リストラには疑問視の声も大きい。

なお、SUICAによる資金移動には、「対価情報」が必要になる。

八百屋で買い物した場合、「50円 白菜」という情報国税庁へ。

ツタヤDVDレンタルした場合

「350円 女子大生禁断の部屋 1泊2日レンタル」の情報国税庁へ。

国税庁は「物価調査機能も兼ねることになるので、経済運営上も非常にプラス」と

説明しているが、市民グループは「購入履歴情報というプライバシー国家が握るのか?」と

猛反発している。

明細情報入力しなくても有効有効だが、それは「贈与」の扱いになる。

「甥の●●ちゃんへお年玉 1万円」も贈与。

マンション近隣への迷惑料支払 3千円」も贈与。

で、贈与税が課されるのは言うまでもない。

実はウラSUICA導入に反対したのは政治家だ、とも言われる。

政治献金、ましてワイロがガラス貼りになっては、とても政治活動ができない」

からである

まあ頭のいい政治家のことだ、献金じゃなくて、「対価を付けて」渡すように

なるのかもしれない。

SUICA履歴 A建設会社から代議士へ3,000万円 絵画購入費として」

その絵画というのは、A建設会社社長の孫が、幼稚園で書いた絵だったりする。

このシステムプラットフォームは「SUICA」「エディ」「ID」「デビットカード

オサイフケータイ」等々で受注を巡り猛バトルが展開された。

結局勝ち残ったのはSUICAであった。

ケータイのようなアイテムが要らない、SUICAカードけがあればいい、というのが

勝ち残った理由、とされているが、ウラの理由は様々に憶測されている。

SUICAシステム採用と引き換えに、2037年に大事故を起こし瀕死の日本航空

SUICA共同体」として子会社化して引き取るように、SUICAの盟主、

JR東日本に交換条件として呑ませた、というのが真相とされるが、本当なのかどうか。     

   

2012-11-10

ネット漬けのそこのオマエとは最も縁遠い、サバイバル記憶

やあ。分かるやつには分かると思うが、俺だ。ネット見てると一見真面目でマトモな空間にも2ch的な低俗で野卑た対立煽りがぎょうさんひしめいていて現実から乖離した事実認識が続々と形成されているのが観察できる。

さらに問題なのはその事態を2chと同等の低俗さだと気付いて「いねえ」人が結構というか殆どだということなんだな。いま何が起きているのか、世の中や人の心の仕組みはどうなっているか、その実際の姿が見えているか

それとも見えて「いねえ」か、その違いは凄まじく大きい。真実を洞察できる慧眼が求められている時代。冬の時代。いま、言葉の究極的な意味で「実際的」な人間が貴重。

さて。

記憶術の話なのだが、そもそも世の中のテクニック本の類は二重にワンパターン化されてしまっていると思っている。1つ目は受け手すなわち読者の問題で勝手パクリ認定したりそうでなくともあの方法の改変か

といった形でしか物事を理解できない人間が多いこと。理解は単なる既存フレームワークへの当てはめとする創発カケラもない受動的な認知モデルはとっくに古くなっているのに。2つ目は書き手の問題で読者と同じくワンパターンしか

考えられないから世の中の本はしょせんパクリだらけと「ガチで」思っているか自分もそういうパクリ本の量産に加担せんとて書くという輩である

まりワンパターンじゃないミュータントもかなり混入しているのに関わらず二重のワンパターン化の力が強力過ぎて業界全体が完全なるワンパターンマンネリの泥沼に陥っているかのように大半の人が錯覚してしまうのである

で。

具体例を言ったところで上記のワンパターン脳には効き目が無いので具体例をあえて挙げないのが俺の習性なのだが、ここではあえて具体例を挙げる。

そうだなイメージが苦手な人もいるだろうからこうしよう。方眼紙タイプの小さなメモ帳携帯し、そこに罫線にそってテキトーな図形を描き、その内部のマスに記憶したい事項を入れていくってのはどうだ?

ここまで聞いてなんだ「場所法」か等と思った記憶マニアだとか別に新しくないじゃんと思った一般人だとかはこのエントリを読んでも意味がないことを保証する。

あえてこの方法について突っ込んだ説明はしない。どこが新しいのか、どこが強力なのか、など。何か新しさを感じた人だけやってみたらいい。

で。

なんでこんな話をわざわざしているかというと、新しさってそもそも思い込みを外して見れるってことなんだよな。とくにネット漬けの人。記憶術そのものはどうでもよろしい。

と言ってもネット漬けの人を俺が治せるとは思わないし、せいぜい出来るのはネットから距離がとれている人を呼びかけてネット漬けの人について何か働きかけるキッカケを与えるくらいだな。

そのくらい彼らは思い込みで支配されているしこの世界もまた思い込みで埋め尽くされてしまっているんだ。すごい音楽絵画ってすごいのは伝わるけど何故すごいかは伝わらないんだよな。

何故が分かると言葉による思い込みが働いて新しさが欠如する。元電気グルーヴ砂原良徳もそういうコンセプトで「take off and landing」を制作したんだ。

ニュースを見て実際の有り様、つまり<実態>だな、それを確認することなく鵜呑みにするのは危険だろう?だがその罠を回避しようとしようとするフリはしつつも結局<実態>から逃げてるんだよな。

そんな時代からこそ、自分の足で歩いて自分の目で見たことだけ信じている人間の脳のつくりはまるで異次元だよ。たとえば、大前研一氏はそういうタイプ人間だよな。

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