2013-01-31

「無断転載批判クラスタ」は、なぜ単なる「批判者」まで攻撃対象にしてしまうのか?

http://anond.hatelabo.jp/20130130173142

http://anond.hatelabo.jp/20130130213537

http://anond.hatelabo.jp/20130130220223

「彼らの最大の問題点は、無断転載を行っていない「彼ら自身への批判者」を攻撃対象にしている事である。」論点は、ただこの一点である

彼らは建前上、「無断転載の撲滅が目標」と標榜している。

私も(それを目指すことに、どれだけの効果があるのかは別としても)それ自体は否定はしない。

http://anond.hatelabo.jp/20130128213337

上記の日記について、「無断転載批判クラスタ」側から、度々「単なる被害妄想だ」という声が上がっている。彼らとしては「自分たちを批判する人間は、無断転載をしている当人、もしくは無断転載をした人間を擁護したい人間のみだ。「無断転載批判クラスタ」という言葉自体、そんな違法行為を行う人間被害妄想だ!」という立場だけは、どうしても崩したくはないのだろう。(その点が、度々「単なる論点外しの逃げだ」と批判される理由でもあるのだが)

今回は、そこを重点的に、かつ手短に述べたいと思う。

テキスト検索によるエゴサーチ」は、「無断転載の撲滅」の為に、必要行為なのだろうか?

イラスト絵画を無断転載した人間が、わざわざ「これは無断転載してきた作品です。」と、自ら自慢をするわけがない。「無断転載という行為」そのものが、(あらゆる違法行為に共通することでもあるが)「バレなきゃオッケー」という前提の上で成立している行為からだ。(たまにネット上では飲酒運転無免許運転を自慢して炎上する人間がいるが、それはまた別の問題である

度々増田で問題視されるように、「彼らへの批判行為を行った者」を攻撃対象としているのも事実である

それは、彼ら「無断転載批判クラスタ」が、「自らの活動に対する反応を、エゴサーチしている」何よりの証明であるとも言える。

「無断転載行為を撲滅する為」に効果的な行為だと錯覚しているのかも知れないし、単純に自分たちの承認欲求を満たしたいだけなのかも知れない。

たが「自らの活動に対する反応を、エゴサーチすること」自体、「イラスト絵画を対象とした、無断転載を撲滅する活動」には、なんら意味をなさない行為である事は、言うまでもない。

因みに、松下響氏や紅蓮の猫氏などが、「イラスト絵画関係の無断転載行為」を検索するシステムを紹介することがある。

「彼らの撲滅すべき敵」を見つける目的であれば、まだそちらの方が真っ当な行為であると思う。当たり前だ。

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