はてなキーワード: 独居老人とは
天井が高くて、夜9時でも照明が煌々と明るい、そこそこ広めの店舗だ。
私は今、妊活をしていて、中々結果が出ない中、今後の身の振り方を考えているところだった。
ブライダルチェックをした病院に不妊治療を申し出るか。冷え性を治すためにマッサージをするか。漢方を試してみるか。
そんな漠然とした気持ちでドラッグストアに寄っただけだったので、目的のものもなく、しばらく店内をうろうろしていた。
介護用品などが並んだ商品陳列棚の列に入った時、80〜90歳くらいのおばあちゃんが目に入ってきた。
ぎりぎり自分の身の回りのことが自分で行えているのだろう、という雰囲気だった。
私は、その姿を見て何故か胸が苦しくなった。
そのおばあちゃんの身の上のことなんて何もわからないくせに、自分勝手に推測をした。
『おばあちゃんは、自分が使用する尿漏れパッドを自らドラッグストアに買いにきた』
『でも、おばあちゃんの年齢くらいなら、認知症を患い始めてもおかしくないし、そうでなくても尿漏れを簡単には受け入れられないはずだ』
『そういうものは、家族が購入するんじゃないだろうか?独居老人なのだろうか?』
『もし独り身なら介護が必要かどうか行政に相談をしているのだろうか?そういう考えになるのだろうか?』
『このままだったら誰にも助けてもらえずに、孤独死なんてこともあるかもしれない』
結局、自分の買い物については、何も考えられず、居ても立っても居られなくなり帰宅することにした。
けれど、店の出口にさしかかって、レジでおばあちゃんがお会計しているのを見てしまった。
おばあちゃんは、どうやらお金が数えられないようで、レジのバイトの男の子に、トレイに出したお金がまだ足りません、と事務的に指摘されていた。
少し時間がかかって、多めのお金を出したおばあちゃんは黒いビニル袋に入った大きい荷物を持ってレジを去ろうとした。
そこで、片手に持っていた杖を床に落としてしまった。
ほんの一瞬、手を貸そうかと思った時には震える足腰でしゃがみ、おばあちゃんは杖を拾った。
わたしは、見ているだけだった。
勝手に見ず知らずのおばあちゃんを憐憫のまなざしで見て、『もしこのおばあちゃんに手を差し伸べていたらどうなるのだろうか』と夢想した。
私にできる精一杯優しくしたとして、精々手を取って荷物を代わりに持ち、家まで見送るくらいだ。
その先、家族のように振る舞う資格はないし、そもそも求められていないかもしれない。
私の祖母は、今軽度の認知症で両親に介助されながらデイサービスに通っている。
家ではリハビリパンツを履くように促さなければならないので、母親の労力は相当のものだと思う。
どんなことをしたって自己満足は得られないだろうと結論づけて、私は逃げるように店を去った。
駅前のドラッグストアから自宅のマンションまで、およそ10分の道のり、ただ意味もなく悲しくて頭が混乱していた。
帰宅して玄関のドアを閉めた途端、私は嗚咽を漏らして泣いてしまった。
家には誰もいないので、大きな声を上げた。こうしないと、自分の気持ちを収めることができなかった。
何故か涙が止まらなくて、初めてはてなに登録してこれを書いている。
自ら尿漏れパッドを買うおばあちゃんへの憐れみでも、社会的孤立を防止できない行政への憤りでも、将来遠距離介護をしなければいけないかもしれない両親への不安でもないと思う。
偽善者以下。
煌々と明るい夜のドラッグストアで、たまたま大勢のお客さんの前に照らし出された、普段なら見えかった影のような部分に、違和感と恐怖のようなものを感じている。
だれか、これの正体を知っていたら教えてほしい。
サラ爺の半生を興味本位で掘ってるけど、あれをリビドーと呼ぶのは違うな。あれは理想の自己の投影だ。お人形遊びの延長であり、家族そのものをSNS上に実在するかのように脚色するパターンで、ネカマとしてはありがちな古典的なケース。自分を盛るどころか、全て偽ってる。
そしてリビドーではないと言う俺の説の根拠がこれなんだが、サラ爺のブログやツイッターの記述は女性性の要素がごっそり抜け落ちてる。恐ろしいほど空虚。もっと言えば成りすまし工作がこの上なく雑。独居老人の簡素で寂しい一人前のメシ画像を嬉々としてアップして良妻賢母ぶったり(設定上、奴は大家族の肝っ玉お母さんだ)、化粧品に疎いのに無理してDHCの製品を持ち上げたり(DHCはネトウヨの大好きなメーカーだ)。セクシャルマイノリティーとして自己表現してるネカマと比較して、あまりにも女性性について興味がなさすぎる。奴の無残な家族崩壊に至る過程を読むとその理由は推測できるが、少なくともセクシャルマイノリティーではない。そしてネカマが先行しているので、ネトウヨ陰謀論の布教の為に主婦に成りすましたわけでもない。
母は横浜出身だ。3代ハマっ子ではなく、その父と母はそれぞれ茨城から出てきた。
数年前に亡くなった父は川崎出身で、江戸時代から代々、住み続けていたらしい。
母は横浜に戻ると言い続けている。
マンション高値の市況を受けて、今こそ自宅の売り時と持ちかけたところ、
家自体は気に入っているのでもう少し住む、10年後くらいに売って越すと言い張る。
今年72歳。女性の平均寿命を考えると、10年後では、引越しは負担になるはず。
自分の家事負担の軽減・節税のため、同居してはどうかとも提案したが、
横浜市でも実家のあった付近か、憧れの元町周辺以外は嫌だという。
具体的には、戸塚、東戸塚、井土ヶ谷、星川、大船、本郷台…etc、
すべて地名だけで拒否反応。しかも、井土ヶ谷などは、以前に住んだことがあるから、
「谷は嫌だ」という。何回か話してみて、坂の上から見下ろしたいのだとわかった。
ちなみに、瀬谷区や泉区はもともと嫌いだとわかっているから挙げていない。
仕事の関係で、東京・新宿・渋谷・池袋にダイレクトに行ける立地がよく、
湘南新宿ラインが通っている駅、または品川に行きやすい駅だけに絞った。
最寄り駅に近いので、今の自宅は便利だ。それでも、都内までは遠い。
東京駅まで朝74分、夜60分。以前は寝たり、ネットをしたり、
DSでゲーム(ドラクエ)をしたり、時間を有効活用できたが、いまは数分で飽きる。
気になるエントリーが減り、「はてブ」もたった10分で読み終えてしまう。
着席できなかった場合は苦行の時間が続き、着席すると座り過ぎで、別の意味で苦痛だ。
夫婦だけの子育ては時間的に厳しすぎた、協力してくれと懇願した。
知らない地方在住者は、名の知れた横浜・川崎アドレスにこだわり、
そしてどんどん過密になり、いまだに物件価格は高止まりしている。
もうひとり産んで、子ども2人を無理なく育てるには親の手助けが必要。
提案は非常に理にかなっているのだ。
何より、睡眠時間を削って自分の時間を捻出する、育児ワンオペはもう限界だ。
調べた限り、横浜でも通勤に不便なところや地質に難があるところはかなり安い。
駅近でも、狭ければそれなりに安い。
オープンハ○スの新築物件はあまりにも立地がいいので見に行きたくなった。
10年、20年待っても、都心近くの地価は下がらず、むしろ上がる。
確かに、今の悩みの大半は、
月30GBの大容量データプランの契約と往復グリーン車通勤で解決する。
トータルでは、横浜・川崎に家を買うより安く済むが、ストレスは減らない。
……次に大地震が起きたら、もう都心部しか復興対象にならない気がする。
贅沢の良さがわからない。
例えば飛行機のファーストクラスに乗って現地ホテルはスイートルームを使った事がある。
飛行機はちょっと席が広くて、ほぼフラットに倒れるので寝やすかった。
スチュワーデスさんが美人だった。それなりに美味しい酒や機内食が出た。
ホテルの部屋は自分一人では余るくらいの広さ。朝食は食いきれないほど並べられ、どれも美味しかった。テラスから眺める景色はまぁキレイだった。
しかし、ただそれだけの為に100万単位で金を払うのはアホらしいと感じた。
その気になれば年3~4回は無理なくやれるのだが、全くそんな気にならない。
1食20万の懐石料理を食った事も有る。10万のステーキも食った。
食いたければ月に数回は問題ない。けどやる気はおきない。
5万で作れるセミオーダーの物との差がわからない。
家は相続で貰ったので家賃無し。金融資産は相続したものと合わせて2億を超えた。
生活費は月に12万くらい。配当込みで年間800万以上金が増えていく。
別に金を使うのが嫌いなわけではない。ただ、使う気がおきない。
ホテルなんて1万も出せば快適だ。
美味しいものが食いたければ、近所のバルや寿司屋でよくね?5000円もだせば十分な物が食える。
服や鞄は数万で十分良質な物が買える。
TVを見ていると、贅沢な生活、セレブな暮らしにみんな憧れているらしい。
ただ、その気持が全くわからない。やれなくてわからないのではなく、やってみてもわからない。
贅沢している人、何が楽しくてやってるのか教えて欲しい。
追記分
色々ブクマやトラバありがとうございます。
贅沢な暮らしがたのしい!という方は居ないご様子で、お金がない不安から自由でいられる事が最大の贅沢みたいな感じでしょうか?
そして、贅沢するかしないかを選べる環境も贅沢であるみたいな?
複数の方からご指摘有るように、私の境遇自体がすでに贅沢なのかもしれません。
贅沢というものは自分の行いで感じるのではなく、他人を見て思うものなのかもしれませんね。
寄付したら?とのご意見が有りますがやった事が有ります。近所の児童養護施設に100万円ほどからはじまりました。
その後、寄付のお願いが多方面からくるようになり、独居老人の昼ご飯だの貧困家庭の学習だの海外の子供にワクチンだのと手紙が届き、更には訪問までされるようになりました。
最初の方はお願いが来る度に出していた私も悪かったと思います。
結局、弁護士を入れて二度と手紙を出さない訪問しない関わらないという念書を取って解決。
困っている人にあげたら?もやりました。
知人が金を貸して欲しいと言ってきたので、返さなくて良いと言って50万円ほど出しました。
その後、根保証1000万円の保証人になれと迫られて、こちらも切りました。
感想を探しても「分かる~」「共感した!」「凪チャン頑張れ!」などしか出てこないので、自分のような人に向けて感想を書きます。
読んだのは3巻までで、下記感想は個人のとても偏ったものです。
・あらすじ
空気を読みすぎて過呼吸になった主人公「凪」が、会社を辞めボロアパートでお暇をいただく。
シンプルな生活や自分に素直に生きるアパートの住人とのふれあいによって生き方?を見つけていく……といった内容です。
なぜ嫌いなのか
・私は意見がなくて嫌々あなたたちに付き合ってて流されてるだけだけど尊重して!!!
同僚とのランチ中
B「私はプライベートが充実してればいいかな~。こないだ行った海外旅行でさ~」
凪「(ど…どうしよう…っっ!私もなにかカードを切らなきゃ…私も今幸せですよ♡ってカード…何か何か)」
そしてなにも言えない凪に同僚からのダメ出しタイム(凪曰くサンドバックタイム)
・邪推しすぎでは?嫌なら断れ!
流されてるだけのくせにどうしてそんなに批判的なんだ。
というか、本人は空気読んでるつもりでもこの周囲への適応力のなさからすると、この人じつは空気読めてないんじゃ……?という気持ちになります。
・友人に無理やり連れて行かれた婚活パーティーで男の人たちに囲まれた!やっぱり私みたいな気の弱い女の子は格好の獲物だよね……
でも参加者の女の人が助けてくれて……って、元同僚の足立さん!?!?
パーティーの後、一緒にお茶をすることになったんだけど、どうして私またこの人にひどいこと言われなきゃいけないの!?ふざけんなよ!!!
「男のこと扱き下ろすけど、足立さんもそんな肩とか脚出しててあからさまだよね!なのに収穫ないってかわいそう(笑)」
2ちゃんで見た展開
・唯一の生きがいは節約のみ。でも私はたった1枚だけカードを持っている。
会社のみんなには内緒だけど、私は営業部のエースでイケメンの慎二くんとお付き合いしてま~~~す!!!だから同僚のクソ女にサンドバックにされても平気だもん☆☆☆
私は慎二のことをとくに好きではないけれど、周りに自慢できる存在だから付き合っています!早く結婚して私を勝ち組にして!
え……?慎二は私のこと好きじゃなかったの?ハアハア!ひどい!ショックで過呼吸になっちゃう!私は慎二を好きじゃないけどひどい!慎二が私を好きじゃなかったなんて~~~~~!!!!!この最低男!!!クズ!!!
【ナチュラルに人を見下す】
・仕事を辞め家賃節約のためボロアパートへお引越しすることを「都落ち」と表現。
・上の階に住む独居老人を見て「もしかして私、このままじゃあぁなっちゃうかも!?」
・隣人を「昼間から部屋に篭ってるってろくな人じゃないよね!」と自分を棚上げ。
・元カレには「貧乏臭い」と貶されるが、凪チャンが作るシンプルでおいしい節約料理は大好評♪
・クラブイベントのフライヤーは凪チャンの新鮮な(どこが?)ひと言で新しい風が!
・「今思えばすごい子だったのかも。大島さんて」
凪に仕事を押し付けていた同僚の発言。ニコニコこなしていたから気付かなかったそう。
しかし分量的に言えば単に元の自分の仕事+凪の仕事なので大変なのは当たり前では?
・「いつも空気読もうと必死で笑顔貼り付けていっぱいいっぱいになってるあいつ見て、超人間じゃん。って思った」
凪は自分が浮かないように、嫌われないようにと思っているだけで、相手のことなんて考えてなかったと思う。
【おとなりのうららちゃんのおうち】
6畳のワンルームで3万・近所に激安スーパーがある地域(立川だそうです)で母子家庭をそこまで露骨に見下す?
・母親は建設現場で頼りにされる職長。資格がいるであろう重機を乗り回している。
・しかしお金がなく娘と6畳のワンルームにふたり暮らしでおもちゃも買ってやれず、娘はあやとりで遊んでいる。
・お給料+資格等の手当て+母子手当てでそこそこの生活は可能では?
・というか大きなショッピングモールの建設現場の職長ってお給料良いのでは?
【主人公の見た目】
・月に1度の矯正(ストパー?)と毎朝の念入りなブローで保っていたサラサラストレートヘアー。
・登場人物の中で凪だけ胸の大きさやくびれが強調して描かれる。
【結局なぜこんなに嫌いなのか】
・NOと言えない人、自分の意見を言えない・持っていない人が嫌い
・健気に頑張るも周囲からいいように扱われるかわいそうな主人公と、主人公を良い子に描くための周囲の人たちがかわいそう(元同僚・うららちゃんママのママ友等)で嫌い。
【今後の展開予想】
・凪の母「あの頃はごめん……あんたを見てると昔の私or別れた父親みたいで……」
作品が好きな方ごめんなさい!
結婚しようが子供が独立して配偶者が先に死ねば当然行く末は孤独死になるんだが、
結婚すれば孤独死しないと思ってる人は子供が一生出て行かないor配偶者が先に死なない前提なんだろうか。
誰でもいいといいつつ結婚と言ったら女の方がずっと年下で決まってるだろ、な人なんだろうか。
それなら年齢差で自分が先に死ぬ可能性が高いと考えるのは分かるが、25~30歳の人よりずっと年下の人(10代?)はまだ結婚なんか考えないと思うんだが。
かと言って40になったら30の女と結婚すればいいやーと言われても困るけど。
それとも配偶者には期待してなくて、子供が一生出て行かないと思ってる人だろうか。
将来は長男夫婦と同居して嫁に介護させるのが当たり前と思ってる世代だろうか。今の6,70代くらいでも最早それは当たり前ではないと思うんだが。
或いはごく狭い田舎に住んでいて、子供が独立したとしても近所に住んでちょくちょく実家に顔出すだろうと思ってるんだろうか。
子供が遠い都会に出ていく、と言う発想はないんだろうか。
逆に東京在住で子供も大人になろうが結婚しようが東京を一生出ていく訳がないと思ってるんだろうか。
こっちの方がリアリティあるか?でも大人になっても中年になっても実家に入り浸る子供ってどんだけいるのかな。
子供が娘で子持ちだったら実家の近くに住んで子育て手伝って貰うってのはありがちだが、その場合でも大抵共働きだから仕事辞めてまで介護なんかしないだろうし。
https://anond.hatelabo.jp/20171008232016
趣味には逃げられた。友達は居ない。やることはあるが気がついたら時間が過ぎてやれてない。上っ面だけの目標はあるが、本当の目標は適当なキリギリス生活をなるだけ長く維持すること。
日々生きてると消耗品の補充は必要なので近所のホームセンターに行くと家族連れやカップルが目に付く。
カップルがいちゃいちゃしていたり普通にしていたりいがみ合っていたり、家族連れが子供とわいわいしていたり子供を野放しにしていたりガミガミやり合っていたりするのを見て、ほほえましくは思うもののどうしても自分の人生に関わり合いのあることに思えない。
「真っ当な人達のこと」みたいなイメージで自分を卑下しているんだけど、思い悩む時期も過ぎ、とうの昔に諦めた。
過去に異性にどうしようもなく好きになり、好意を伝えて付き合うことになったけど、結局長続きしなかった。
あれほど好きだったはずのその人と会うことが付き合うとなったその瞬間から負担に感じ始めた。
連絡する手段はいくらでもあったのにこちらから連絡する事は少なかった。
結局相手に「これ以上無理」と意思表示され「わかった」と反応して終わった。
誰にでもは無いかも知れないけど、そんなに珍しくない失敗だろうし、反省して次に向かえば良かったのかも知れないが、そこで自分は「自分は薄情だから人の時間を無駄にしないためにも他人と深く付き合うのは止めよう」と思ってしまった。
でも今は職場以外で誰とも関わり合いを持たなくても生きて行けてしまう世の中だ。
職場の人間関係を業務時間外まで引きずって無理矢理コミュニケーションするのは悪と断じられる時代だし、
趣味とまで行かなくても暇潰しはゴマンとあるし、ある程度の稼ぎさえあれば衣食住にも性処理にも困らない。
でも時間が経てば立つほど、孤独にどっぷり浸かってしまい脱出に時間がかかるようになっていく。
人と再び関わり合うには長いリハビリが必要だが、そんなリハビリに付き合ってもらえるような余裕のある人なんか居ない。
他人の家族やカップルを見てへこむって事は自分の中にまだ人とコミュニケーションしたいって欲求があるって事だと思う。
引きこもりを選択した俺には何が正解かはわからないけど、俺みたいになるのはほっといてもなれるんだから、それ以外の道を模索する猶予がまだあるんじゃないか?
まぁ、最悪失敗しても独居老人になって孤独死するのは自分なんだし自業自得じゃん?
なら、心が動くうちは足掻いてみた方が良いよ、というのが足掻くことから逃げた俺の意見。
ある友達はいつも恋愛の相手を探している。元恋人を忘れられずに、もう1年以上も引きずっている人もいる。
周りによく、なぜ恋人を作らないのか?とよく聞かれる。正直うっとおしい。そんなことより自分は今趣味や勉強に時間を取りたい。友達といる方が楽しい。自分の好きなように時間を使いたい。
恋愛はもはや趣味の1つなのだ。昔は恋愛でも見合いでもして結婚するのが人生のゴールともいえたけれど、今は違うと思う。インターネットが発達して世界が広がった。娯楽も増えて、女も社会進出して、個人主義が発達しつつあって、生き方が多様化した。結婚なんてしなくても、恋人なんていなくても、一人で十分生きていけるし、孤独の穴を埋める方法などいくらでもあるのだ。
一生自分の好きに生きていきたい。その中で人並みに恋愛はするだろう。だけど結婚はしたくない。法律で、一緒にいることが義務になってしまう、とても窮屈だと思う。嫌になっても簡単にはサヨナラできなくなるのはデメリットだ。生きていれば、この人と一生一緒にいてもいいという人に出会えるだろうか。出会うかもしれないけど、その気持ちが死ぬまで持続するかは定かではない。
恋愛や結婚を否定するつもりは全くない。これは自分の超個人的な意見に過ぎないのだ。少子化に貢献できそうになくて申し訳ない。
けれどふと不安に思う。自分はまだ若いからこんなことを言ってられるのだろう。友達がまだ全員独身で、遊び相手にも困らないし身体もまだまだ元気でフットワークが軽いから色んなことができる。しかし周りが徐々に結婚して、子どもを産んで、自分も身体が衰えてきたらどうだろう。定年を迎えて(無くなるんだっけ?)仕事もなくなったならば。
遊びに誘っても答えてくれる友人は少なくなる。年を取って、病気がちになっても看病してくれる人間はいないのだ。親もいつか死に、盆や正月に顔を合わせる家族もいない。独居老人として日々を過ごし、死んでも数か月は気づかれずに部屋を事故物件にしてしまう。かなり悲惨な老後を思い描いてしまう。そんな自分は、一生好きに生きていくには不向きな人間なのだろう。
私は良く友人と話す
「結婚はしない」
では、私の20年後には何がある、40年後には何があるのか
老いと病のその先、あらゆる蓄えが尽き、心を許した友人も尊厳も自由も消え去り
絶望と孤独と不自由が魂を冒すその日になり、私は何が持てるのだろうか
私は、世界とは仲良くできない人だ
社会のレールにはうまく乗れず、どこか「失敗し続けてきた」ような感覚を抱いてきた
産んでくれなどと望んたつもりなどない、自分の生を肯定できたことなどない
「自分の生のありのまま」ではなく、自分の人生を再定義して肯定する事しかできなかった
その再定義の中では、異性の存在は私にとっては絶望と諦念の象徴でしかない
私の我儘に他人を付き合わせたくはないし、付き合うような人間などいないし、したがってそのような存在を作ることにうんざりする
しかし同時に、それを満たすような他者の存在を求めることもある
「愛して欲しい」「この薄汚い何もかもを許して欲しい」「許容し、肯定して欲しい」
「一人にして欲しい」「孤独を肯定して欲しい」「しかし同時にどこにも行かないで欲しい」
「浮気を許して欲しい」「許さないで欲しい、ありったけの憎悪で叩き潰して欲しい」
「浮気をしないで欲しい、自分のことだけを見て欲しい」「自分自身の人生を歩んで欲しい、自立した人間でいて欲しい」「浮気をしてこんな自分のことなんか見捨てて欲しい、無価値さを思い知らせて欲しい」
「都合の良い存在でいて欲しい」「一個の人格を持った人間でいて欲しい」
「徹底的に詰って欲しい、自分の存在価値なんてないんだと思わせて欲しい」「甘やかして欲しい、全肯定して欲しい」
「それでも、自分が許されるような、全てが叶うような想像ができない」
「どこかに、全てが許されるような、そんな妄想を止める事ができない」
「もし実在したとしても、それは私に与えられる筈がない」
「もし実在したとしても、それは私には相応しくない筈だ」
「私を愛すものは、この世には存在しない、存在してはいけない、存在しないで欲しい」という呪いを、自分自身に掛け続ける
行き着く先は矛盾に満ちた孤独な生活か、妥協と惰性を基盤とした他者を犠牲にした自己満足な生活である
前者の典型が独居老人であり、後者の典型が「無関心な父と過干渉な母」というこの世の地獄の母胎である
私は、私の遺伝子を根絶やしにしたい気分になることがある
このクズの遺伝子が、罷り間違って後世に残るようになってしまうこと程、罪深いことはないと思うのだ
私の子供が、この世に“理不尽に産み落とされ”地獄に落とされるのを赦してはならない
私の汚濁のような欲望のために、不幸な人間をこの世に生産してはならない
「生まれたことが間違いだった」と思うような人生を送らせる訳にはいかない
私の中の対人親密性は、私を人と結合させようと日夜血みどろの活動を続ける
私は物を書き、オナニーをし、友人と語り、その欲望が枯れ果てるのを待つしかないのだ
例え何があっても、自分が油断しないように
何より私を苦しめるのは、その正当性に自分自身で疑問符が付けられてしまう、その夜だ
このような時、自分のあらゆる醜さがその苦痛を慰めることとなる
ああ、私の全ての欠陥が“異性を諦めるに足る理由”となって、諦観の海に私を呼び戻してくれるのだ
ああ、くたばれ霊長類