はてなキーワード: 同性愛とは
ド腐れクソキモヲタクとしてはここ五年くらい?のポリコレ系の話がクッッッソうざくて仕方ない。
そこから延長して?政治系の話も嫌になってきた。自分の中の一部分では一理あるな、と思うことでもポリコレ系の人が支持してることの多い、リベラルというか左側?には全力で距離を置くくらいには無理。
はじめはさぁ洋画ジャンル系の人がそういう話題出してるの見て「なんか嫌だな…近づかんとこ……」みたいな感じでいたんだよ。洋画に興味がない、開拓する予定も無いからそれで良かった。
ただなんというか、ほんとここ五年くらいで一気にこの話題増えたよね。ツイデモとかで強制的に目に触れさせられて、それに疑問を投げかける状態の人すら吊し上げるのをみて本当に嫌になった。
ヲタク…というか腐女子としては「同性愛をBLGL、異性愛をNLと表すのは差別だ!」という話と、その人が同時に語っていた「同性愛=腐っている、というイメージを与えるのはよくない!これからはshipperと名乗ろう!」みたいなのはハァ?!ってなった。
BLGLはフツーにジャンル分けとしての名前であって、そこに差別を見出だしたことは少なくとも私は無かったんですが?!
NLはただ世間的にも作品的にも最大多数である男女の組合せですよーってだけでそこに差別的な意図は無かったと思うけどな?!
っていうか同性愛を差別する意図があったらもっとえげつない略称が生まれてたと思うが?ラブとすら名乗らせなかったと思うけどな?
あくまでボーイズ、ガールズの頭文字ってだけでせいぜい突っ込みどころとしては「こいつら成人してるからボーイ/ガールではない」ってくらいのはずだったのに…!
腐もただ単に自虐じゃないのか?原作ではヒロインが好きな主人公をライバルとカプらせるとか、自分の性根腐ってますわーって感じの自虐だよな?
腐ってんのは同性愛者じゃなくて、そうじゃないキャラ達をそうさせてるこっち側!私達!!
shipperとかいう意味を理解するのにワンテンポ遅れる名前を使って変な理解者面してんじゃねえ!
個人(キャラ)の嗜好をこちらの都合でバッキボキに曲げさせている腐り果てた変態ド外道をいい感じのオブラートに包んだ名称なんだよ腐は!
それと政治のことでいまだに引っ掛かってるというか今日ぶり返したもの。
なーにが今の状態は戦前の日本にそっくりだから怖い、選挙いきましょう戦争をする気ですだよ。
日本が勝手に戦争準備をしているんじゃなくて周辺国にそういう気配があるから戦前回帰になってる(私はそうは思わないが)んじゃないのかい?
あんたぶつかり男対策に派手髪を称賛しつつそんなことしないでもいい世の中になってほしいと言ってたよね?
痴漢防衛に安全ピンを称賛してたし血液感染とか間違った人に刺してしまい加害者になるリスクを説く人を痴漢の味方呼ばわりしてたよね?
痴漢されなきゃ使わない、これは一種のお守りだって言ってましたよね?
ぶっちゃけ大きさが違うだけで言ってることは同じだと私は思うし、あんたはダブスタにしか思えないのよこっちは。
こちらに非がないにも関わらず加害してくる相手の方から避ける状態になりましょう、やられた時には反撃できる武器を持っておきましょう。
もちろん加害してくる相手がいないことの方が重要だし、武器は加害されなければ使いません。
今の防衛費とかこんな感じだよね?確かにそれに使う金があれば他のこともできるけど、自衛としては必要だよね?って話だわ。
っていうかグローバル化されてるしガチで生活に影響出てるし、もはや戦前ではないと思うな。
国として参戦してないだけで戦中だよ戦中。
作品は面白いし考察は鋭いし、ブロックもミュートもしたくねえんだよぉ…。
ただただポリコレリベラルな話が大嫌いでそれを出されるとウッてなるんだよぉ……。
保守?右?の方は冷静に見られるし突っ込みも入れられるせいか見ても平気なせいで自分が右側に行ってるんだろうなってのが分かる。
最近よく見ている映画レビューサイト『シネマンドレイク』がフィーチャーされているので、あらためてまとめてみようと思う。
※人物像
・小さい頃から“ゲームっ子”だったゆえにアニメや漫画はそこまで深く立ち入る機会も好奇心もなかったのです。
・子どもの頃から「男っぽい」もの、「女っぽい」ものという、露骨に固定的なジェンダーのイメージが強いものに対して内心では避けたい気持ちがありました。今では私はノンバイナリーを自認
・私は北海道出身で、北海道のいくつかの地方と縁があるので実情を多少は知っているのですが、知らない人が思っているよりもはるかに絶望的です。
・個人的な話になってしまいますが、私は「兄弟」よりも「姉妹」の方が身近な存在で、家族・親戚周辺もなぜか3姉妹が多いです。逆に3兄弟は3姉妹よりは少ないですけど一応はいるので、3姉妹と3兄弟の比較…みたいなことが自然とできてしまったり
・私も科学に関わって政府の人ともやりとりしたことがあるのですが、あんな“暖簾に腕押し”みたいな反応の役所なんて日常茶飯事
・地球環境問題というのは嘲笑われやすいトピックです。私もこの分野をかじっていた人間なので経験としてわかります。どうも世間は地球環境問題に取り組むことや取り組む人のことを「オシャレ」だとか「意識高い系」みたいな見下しで扱ってくるんですよね。もしくは「慈愛」「慈善」みたいな感情的な活動だとみなしてくる。全然その問題の本質を理解してくれないわけです。ときには「地球環境問題もいいけど貧困に取り組むべきだよ」とか言ってくる人もいるし、ジェンダーやLGBTQには関心があるわりには地球環境問題にはまるで当事者意識のない人もいます。
・なお、Twitterを見る限りでは町山氏には批判的なようである。
※自己紹介
…映画を愛する映画ライター(雑草)。洋画、邦画、アニメ、ドキュメンタリー、ドラマシリーズ、なんでも観ます。年間で鑑賞する新作映画の数は約300程度(劇場未公開作品も含む)。アセクシュアル・アロマンティック・ノンバイナリーのLGBTQ当事者(they/them)なので、その視点で映画を語ることも。得意なテーマは、映画全般、ジェンダー、セクシュアリティ、自然環境、野生動物など。ライター:取材&仕事等の依頼は「お問い合わせ」まで。
※環境問題について
・今の環境問題を振り返っても『ドント・ルック・アップ』みたいにフィクションの中でくらいは何回か人類を絶滅させてやらないと…それくらいしないと加害者責任を自覚できない
・少しでも多くの人がこの問題に当事者意識を持つということ。私もあなたも中立ではありません。人間である以上、もう問題の加害者です
※Z世代について
・Z世代の子どもの方が真面目にネット規制を支持していると思う
・SNS社会の中、どうしても「いいね」欲しさに自分をより良く見せようと日々奮闘する、そんな強迫観念に駆られる10代
・フェミニズム的な“正しさ”がブレることなく存在し昨今の定番であるZ世代に通用するキャラクター性に更新されている
・これがアメリカの血気盛んなZ世代の10代だったら全然違いましたよ。きっと「そんな酷い目に遭っているの?! よし、なら抗議してやろう!」とハッシュタグ・アクティビズム全開で連帯を開始して入国管理局前でデモを始めた
・「SDGs」はノリノリで掲げるくせにそのSDGsの目標のひとつである「ジェンダー平等」にはたいして興味がないばかりか、そもそもジェンダーが何なのかイマイチわからないまま雰囲気だけで同調している日本社会の皆さん、ごきげんよう
・「カミングアウトを大仰にドラマチックに描くのはもうダサいだろう」というイマドキなZ世代的感覚
・残酷描写やエロ描写をもっぱら規制しようとしてきたのは「保守派」や「宗教右派」である
・世の中には“配慮”に気を使いすぎて映画としてつまらなくなっている作品も少なくない
・でも、映画は芸術だからこそ、ときに政治的な視点で批評するのも大いに結構
・
おカネが山ほどあればこんな日本を飛び出して海外で暮らしたいと正直思っている
・洋ゲーの最近の潮流なでクィアのようなカルチャーの取り入れ方が上手い
・同性婚は実現してもトランスジェンダー差別は依然として残ったまま。トイレなどの一部の空間での露骨に強調されるトランスジェンダー排除
・そもそもフェミニズムというのは実際のところ誰の心にも宿るもの
・「男オタク」は今の社会では圧倒的なマジョリティであり、特権を持った支配層であり、自己批判がや差別意識から目を背けがち・日本というろくにジェンダー教育をしていない
・いかなるジェンダーでも中立的な立場にいる人はひとりおらず、自分の中のマジョリティな加害者的側面を自覚しよう
・ホモソーシャル的な生存術であり、同時に科学に対する日本のメディアの態度でもある
・多くの女性は不本意ではあるけど男性の評価を気にしながら生きている
・「歌舞伎」とアニメ・漫画などの「オタク」という趣味はどちらも女性が排除されがちでオタクの世界も男性中心的
・と高身長な女性というのは、男社会にとってのステレオタイプな寵愛しやすい女性像ではないので男性オタクからも白眼視される---【出典】アニメ『かげきしょうじょ!!』感想(ネタバレ)…歌劇に生きる現代の少女を描く より
・女性がファンダムに身を投じることは時に男性とは異なる困難をともなう。風当たりが男性以上に冷たかったり、安全なファンダムの居場所が用意されていなかったりする。
理想的な男性の振る舞いは女性のファンダムを一切邪魔せず、変に首も突っ込まず、そっとサポートし弱音を見せたり、“男らしさ”で気取らず、しっかり自分の弱さを示すのも良い
・日本も先進国の中でははるかに女性差別の激しさで言えば酷いものだということも繰り返したいところ
・。本作でも女性キャラの扱いから脱臭できないほどに男性目線主体の匂いを感じる
・日本でもAIの無自覚なジェンダーロールによる女性差別が問題視されている
・従うしかできない、抗うことは許されない…そういう日本社会の体質
・本は実名を出さなくても政治ネタを映画で扱うとそれだけで「プロパガンダだ」と非難されてしまう
・日本は2020年代になってもなお非常に封建的社会が残存しており、家長を絶対主とする規律があり、従属と調和を優先し、主流の社会に逆らうことは許さない
・男に主導権を与えるな、男が助けてくれると思うな、男の料理は場合によってはヤバイ!
・『シュレック』というアニメ映画があり、あれも当時は斬新で「怪物でもプリンセスのようなヒロインになれる」ことを示した作品でしたが、今の価値観で見ると「女性は美人かブスかの二択」のようで違和感も感じます。
・ヒロイズムな着地になってしまいます。まあ、もちろんやっていることは立派で正しいのですが、やはり男性であるというだけで作品のトーンは偏向するもの
・シリアで拘束されて解放されたフリージャーナリストをボロクソに批判することに快感を見いだし、はたまた中東情勢が不安になるたびにガソリンや灯油価格を心配する。そんな国がこの日本
・ジェンダー構造には無関心で自身の男性特権を自己批判でせず冷笑的なマッチョイズムで典型的なホモソーシャル
・マスキュリニティ賛美の色合いが濃いこ、異性愛規範も充満している
・軍隊主義的な“男らしさ”だけが物事を解決できるわけじゃないという教訓
・車が自分の男らしさを体現する剣であり、もっと言えばペニスである
・上から目線のマスキュリニティではなく、下から支える献身的な愛を感じる良いシーン
・「女の連帯」とは似て非なるものです。なぜなら既得権益に酔いしれたいだけ
・「ガンダム」は男同士の同性愛には直接的には踏み込まない。やはりホモフォビアがある
・そして日本のインターネット界隈もSNSやまとめサイトを中心にしてインセルの巣窟になってしまっている動かぬ現実がある
・『機動戦士ガンダム』を継承する「男vs男」の対決に行き着き真の部分はものすごくホモセクシュアル
長くなったので後編【https://anond.hatelabo.jp/20230218181513】に続く。
要点は下記の通り。
・欧米の結婚では「愛を神に誓う」が、日本の結婚は愛など前提にしていない
・日本は同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない
キリスト教、というかカトリック教徒における結婚は「配偶者への永遠の愛を神に誓う」儀式によって成立する。
「健やかな時も、病める時も~」っていいうやつだ。
プロテスタントも結婚式を教会で挙げるので、本質は変わっていない。
欧米において、同性愛者同士が愛し合っているなら結婚を認めることは文化的に筋が通っている。
結納や夫婦のみでの三々九度的なものや宴会は存在していたが、神前や人前での儀式は存在しない。
現在の神前式はキリスト教の結婚式を参考にして明治時代に開発されたものである。
近世以前の庶民の結婚ではハレの日が存在せず、淡々と同棲が始まることも普通だった。
大抵の結婚は家の都合や成り行きで決まり、ぬるりと「男女の組合せ」が「夫婦」となっていた。
これが日本の結婚で、そこに「愛を誓う」というプロセスは存在しない。
このように「欧米の結婚」と「日本の結婚」は、「カミ」と「GOD」、「保険」と「共済」のように似て異なる風習である。
同性愛者が「我々は愛し合っているから結婚したいのだ」と主張しても、「日本の結婚」からは「まあ、嫌い合っているよりはいいかもですね」という感想が出て来るだけであろう。
それに加えて、日本は嫡子を跡継ぎにすることへの拘りが弱く、それなりの武家であっても養子を迎えて跡継ぎに据えることも多かった。
この2つから考えると、日本では男性同士の結婚が行われ、養子を跡継ぎにする事例が多々発生していてもおかしくない。
何故発生しなかったのか。
そのようなことは起きなかった。
日本では同性婚のハードルが低かったにも関わらず、発生しなかった。
日本においては男性同士の同性愛が広まっていたにも関わらず、男性同士の結婚が発生しなかった。
欧米では愛する者同士が結婚するという風習から同性婚が認められることは妥当性があるが、日本においてはそのような風習がないため、「日本の結婚」が同性婚を認める理屈がない。
「日本の結婚」は男女間のみに発生する風習であったから、憲法は「両性の合意のみ」と定義したのである。
政治上のテクニカルな手法では「憲法24条は同性同士の結婚を禁止するものではない」という解釈で「法律上の結婚」において同性婚の導入は可能であろう。
憲法改正がなければ、同性愛者はそのような不安定な立場に立たされる。
「日本の結婚」に同性婚を取り入れるのであれば、国民投票による憲法改正が必須だ。
国民投票を経れば、同性婚は日本の新たな風習として始まっていく。
時が経てば、胸を張って「同性同士の結婚は我が国の風習で、国民投票で認められている」と言えるようになるだろう。
個人的に「欧米に倣って同性婚を導入しよう」というのが気に食わない。
日本でホモフォビアが決定的になった理由は、欧米に倣ったからである。
その過ちを全く反省せず、脳死で「欧米では~」と同性婚を導入しようとするなら、それは愚かとしか言いようがない。
イスラームは2070年から2100年の間に世界最大の宗教人口となる見込みだ。
「日本の結婚」に同性愛をしっかりと組み込んでおかなければ、50年後に「世界では~」と言って同性愛を禁止するであろう。
隣人が末永く安心して夫婦(夫々、婦々とかいう呼び方になるのか? これも決めなければならない)でいられるよう、しっかりとした地盤を作っておこう。
「男女の間に友情は成り立たない」なら「ノンケとゲイの友情は成り立たない」どころか「同性愛者は同性と友情が成り立たない」「両性愛者は両性とも友情が成り立たない」ってことになる。
増田は正しいし、自分はここで線を引くと伝えるのは立派な行為だと思う。
一橋のアウティングも同性愛者の付きまといに耐えきれなくなってのことだった。無用な諍いを避けるために脈がないとはっきりしめすのはむしろ親切だと思うし、差別とか言い出すのはちょっとヤバいね。
「夫が友達と二人で遊びに行かせてくれないんです…」
「あ、そらあかんわ」
みたいな記事がまとめサイトに「報告者キチ」というカテゴリであったけど、たしかに同性愛者または両性愛者の場合はどうするんだろうな
一緒に遊ぶのが同性でも異性でも油断ならないのではないか?
しかも、異性愛の場合は「パートナー以外の異性と二人きりで遊んだりましてや泊まったりするのは非常識だ」という不文律が世間にあるけど、
ここって同性愛の話とか詳しい人が多そうだから、誰か教えてほしい。基本的な事だろうし既出とも思ったけど、見つけられなかったのですまん。
L レズビアン → 女を好きになる女
G ゲイ → 男を好きになる男
B バイセクシャル → 男でも女でも好きになれる人
ここまではわかりやすい。
T トランスジェンダー → 体は男で心は女(トランス女) or 体は女で心は男(トランス男)
これもわかる。
でも、この時点で「体の性」と「心の性」という概念が導入される。するとLGBの定義で言ってる「男」「女」は、体と心のどちらの事を言っていたのかわからなくなる。
本当はどういう定義なの?
(1)心も体も男
(2)体が男で心が女(トランス女)
(3)心が男で体が女(トランス男)
全部好きなの?
元増田のうち、Tに言及してる部分は流石にバカなお前でも差別だと理解出来ると思うからとりあえずLとGとの収入についてのレポート貼っとくわ。お前に文字が読めるか分からないけど。
「エビデンスが無い」って言ってるのはそもそもこういう調査結果に基づかない浅はかな偏見で 「Gは恵まれてる」だの「Lは生活が厳しい」だの語ることを指摘してるんだわ。突然ひろゆきがどうのとかアホなこと言い出す奴にこんなこと言ってもわかんねーだろうけどよ。
https://subsite.icu.ac.jp/cgs/docs/CGSjnl010_05_hiramori.pdf
アメリカの General Social Survey(総合的社会調査) データを分析した Badgett(1995) は、 ゲイ・ バイセクシュアル男性が異性愛男性に比べて 11% から 27% のゲイペナルティを被っている一方で、レズビアン・バイセク シュアル女性については有意な差を見出すことができなかったと報告してい る。Badgett(1995)によると、このゲイペナルティは雇用者が同性愛に対 する嫌悪を持っていることが影響している。加えて、同性愛者が自らの性的指 向を隠すために他者との交流を避けるため、欠勤や転職、生産性の低下につな がる(Badgett, 1995)。
このように、雇用者による直接的差別やそれを回避するための当事者の行動 が収入に負の効果を与える一方で、レズビアン・バイセクシュアル女性につい ては男性が多くを占める職業に就くことで収入を増加させ、レズビアン・バイ セクシュアル女性に対する差別を覆い隠すような効果をもたらす可能性があ る。レズビアンは、女性に比べて高い収入を持っていると考えられている男性 と結婚する見込みが少ないことから、異性愛女性と比べて労働市場におけるス キルを身に付ける一方で、ゲイは、男性に比べて低い収入を持っていると考え られている女性と結婚する見込みが少ないことから、異性愛男性に比べて研修 などへの投資が少ないのではないかという指摘もある(Black, Makar, Sanders, & Taylor, 2003)。
ル・マイノリティであるので、とにかく経済的に自立しなければと思い、大学 や仕事を選んだ」(性意識調査グループ編, 1998: 29)というアンケート調査に 対する回答がみられる。2013 年に行われた LGBT に関する職場環境アンケー トの分析においても、労働力調査による女性一般の数値と比べてレズビアンの 非正規雇用率が低いことが指摘されており、その理由として男性に依存しない 経済的自立を志向していることが挙げられている(明智 , 遠藤 , &村木 , 2013)。
自慰に使うのは、もっぱら異性愛用の雑誌や映像であり、使用比率は異性愛用8:同性愛用2って感じ。
世間がバイセクシャルにどういうイメージが抱いているか知らないが、だから私は、どちらかというと「薄い」バイセクシャルって感じだ。
ただ、性行為は未経験だけど、誰とでも自由に性行為できるという条件でなら、同性としてみたい。
それはやっぱり、本当は同性が好きだからだと思う。
素敵な身体を持つ人に、私の好きな格好をしてもらって結ばれてみたい。
生で裸を見たいと思うのは、やっぱり同性なんだよな。
そこは異性愛と変わらない。
そういえば言ってなかったけど、私の性自認は自分の生物性別のまま。トランスではない。
ちなみに恋愛自体は、異性愛としても同性愛としても、したくはない。
性行為には興味があるが、人間関係に及ぶのは面倒臭いので、恋愛もしたくはない。
同性婚に反対してる人と話してみたら「社会規範が変わってしまう」みたいなこと言うんだけど、「同性愛は異性愛と変わらない」という思想みたいなものは既に世間一般に染み渡ってきている。
ので、制度に合わせて社会が変わるというより、社会に合わせて制度が変わるというほうが実情にあってると思う。
彼らは(不思議と女性の同性婚反対論者は数が少ない)世間の流れについていけなくて、今まで信条としていた「同性愛者はバカにしていい」みたいなものがゆらいで、自分が間違っていた側になるのが嫌なんだなと感じた。
「女はバカにしていい」とか「田舎はバカにしていい」みたいな、心の底では思っているが堂々と表明はできない状態というのはストレスがかかるしな。
もうほとんど、表立って同性愛者をバカにすることはできない。最後の砦が同性婚禁止なんだ。どちらが正しいのかというお墨付きを、この小さな島国だけで守ろうとしてんだな、と。
ところで自分は、同性婚が解禁されるとめちゃくちゃ大変なシステム変更が起きうるところの下請けの下請けなので、自分の業務量のことだけを考えると反対です。
過去の日本における結婚は、恋愛と連続しているものではなかった
同性同士で愛し合っていても、それと結婚とは別
近代国家が戸籍管理上の都合で、結婚したら婚姻届を出すように言う
婚姻制度は国民の権利ではなく、義務に近い(届け出しなくても罰則はないが)
国は同性婚を禁じていない、届け出を受け付けないだけ
近代国家が権威を得ることで、「国に認められた結婚」だけが正統性を持ち、
そうでないものは正統でないと人々に受け止められるようになる
同性愛(LGBT)を先天性のものだと主張したり、性的指向と性的嗜好で区別を付けているのは、
「LGBTは他のロリコンやケモナーと違って差別しては行けない神聖にして不可侵なものなんです!」
という主張のためよ。
同性愛者の当事者だけど先天性か後天性かなんてどっちでもいいと思うんだがなんでみんなそんなの気にするの。
パンとご飯どっちが好き?その理由は?私はご飯が好きだけどそれは日本人の遺伝からくる先天性なのか文化的な後天性なのかわからない。
確かにセクシャリティはアイデンティティに関わる重要なことだけどそれと同時に人間の一部分でしかない。
そして人間は時と共に移り変わるものだ。なぜ同性愛者だけ理由や証明が求められるんだ。
当事者の中にもいつか異性をとって捨てられてしまう可能性に怯えてバイを嫌ったり先天性説を重要視する人がいるし
自分も親に無用な悩みを抱かせたくなくて先天性説が正しいと思っていた時期があった。
結局はみんな自分を救ったり何かに納得したいから理由を求める。
でもさー他人の人生をただそっとしておくのに理由が必要なのは心が狭すぎやしないか。
個人のセクシャリティや生き方については肉親ですら外野でしかない。
自分が同性愛者と気付いてからずっとそれを認めて受け入れて生きてきた。
両親を含む近しい人たちはそんな自分を受け入れてくれて日々の生活でたまに気まずかったりむかつく思いをすることはあれどストレスなく暮らしている方だと思う。
数年前生まれて初めて異性を好きになりかけた。すぐに相手もセクシャルマイノリティーであることがわかり(ちなみに同性愛者ではない)恋愛関係に進むこともなく今も普通に友達をしている。私ももうその人に対する恋愛感情はない。(このくだりを読んでじゃあお前は同性愛者じゃないじゃんという人もいるだろうけどここに書いていないことを含めた様々な状況を汲むとこの出来事は私の自認が変わるほどではなかった)(同性愛者の定義も当事者ですら人によって揺れがあるのであまりここで厳密に話そうとしても意味がないというのもある)
この出来事で一番ショックだったのは異性を好きになったかもと気付いた瞬間に涙が出てきたことである。
それは自分が同性愛者ではないかもしれないということに対するショックでもあるしついに普通になれたという喜びでもあった。と自己分析した。これまで周囲に恵まれて楽しく生きてきたと思っていたけどそれでも同性愛者であることにストレスやプレッシャーを感じながら生きていたんだということに気付かされてそれが一番辛かった。でもそれによって何かが変わることも変えようと思うこともなかった。死ぬ以外自分からは逃げる方法はないから。
結局自分がいいなと思う方法でしか生きられないし自分がしっくりくるセクシャリティしか名乗れないし、それもこれも日々変わっていく。子どもの頃大嫌いだったフルーツも今はよく朝ご飯にしている。昔はホラー映画が普通に見れたけど今は結構苦手。好き嫌い、やるならないを選べることも選べないこともある。今は同性ばかり好きになるから同性愛者と名乗るのが一番コミュニケーションがしやすい。でもいつか異性や無性の人に心奪われるかもしれない。別にそれでもいい。いつか恋愛関係じゃない人と一緒に暮らしたり、複数人で恋愛関係になったり、それはもう数え切れないくらいの人間関係の可能性がある。今はありえないと思うことでもそのとき私が幸せならそれでいいしなんでもいい。その生き方がどこからきたのかも名前も理由もなんもいらん。社会も自分も、変えようと思ったり変わったと気づくより先にもう変わってるものだ。