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はてなキーワード: 中古とは

2019-09-14

anond:20190914164929

そう言ってから半年

彼の家にはアマゾンで1円で買った中古本が10冊も積まれていた

anond:20190914011959

グルーピー増田の猛烈な結婚願望ってどう見てもハニトラだよね。

専業主婦にしてくれるならHさせるって

約束がさきって、返品交換はノークレームノーリターン、なんて中古市場じゃん。

2019-09-12

本は中古に限る

安いのに機能は新品と同等

2019-09-11

7&iアプリパスワード再設定のお願いの広告を見て。

こんにちは

匿名太郎です。

私、7&iのアプリを使っていたのですが、PWを強制リセットされたために利用できなくなり、アプリを利用しなくなったものの一人です。

なぜ利用しなくなったのか?

本当は利用したかったんです。

ほぼ月一くらいですが、セブンイレブンスキャンサービスを利用する際に、アプリを使っていて、自宅のスキャナが古く新しいPC対応できなくなってからはずっと使っていました。

が。。突然のPWリセット

ちなみにセブンペイでしたっけ?あれは利用したことがないです。登録してもいません。そもそも「それが何か?」をも把握しておらず、、、さらに、そもそも登録必要だったのかもわかりません。

まず、なぜアプリを利用しなくなったのか?

=> 理由としてはPWの再設定方法が分からなかったからではなく、PWが再設定できなかったからです。

1、PWの再設定に生年月日まで要求された。

  真面目な人は自分の生年月日を正直に入力するのかもしれません。

  しかし、個人情報流出している事件事故枚挙に遑がありません。私、生年月日を正直に入力はしないですw。一応年度またぎの3月吉日か4月吉日で登録していますが、いかんせん永遠の18歳であるはいつこのアカウント作成たかを覚えていませんw。。

  それに、もしかしたら、別の誕生日を設定したかもしれませんw。もしかしたら利用規約に生年月日に嘘ついたら使わせないという文言が入っていたかもしれませんが。。。それを私が読んだと思うのか?

2、UUIDが取られていて、同一UUIDには一つのアカウントしか紐づけられない。

  1、でダメだったのでじゃあ新しいアカウント登録しようと思ったのですが…登録できなかった。。。

  アカウント乗っ取り防止という意味では強固な対策の一つかと思いますスマホ中古流通し、それで登録できないとか、そういうケースへの対応はいくらでもできるので(引き継ぎ端末でのUUIDだけを参照するなど)ユーザーが多額の課金をするようなゲームアプリでは意味がある対応かもしれませんが。。。たかだか、コンビニアプリ、どれだけユーザー個性必要だったのでしょう?スキャンサービスだって、ワンタイムトークン対応できたでしょ?無駄個人情報収集して、他社に売らないまでも利用しようとしていたんじゃないでしょうか?

利用しなくなった理由としては上記2点です。

非常に強固な作りになっているアプリだと思いますが、too muchだとも思います

わざわざ数千万〜数億払って広告さなくてもどちらか解除すれば済む話です。というか、どんなに広告出してもUUID取られている時点で、アカウント適当登録したユーザーは2度と戻っては来れないですw!!!

今日:2019/9/11

Apple様が新しいiPhoneを発表されました。

これで多くのユーザーiPhoneを乗り換えて、新しいUUIDを取得すれば、ワンチャンユーザーが戻ってくるかもしれません!!ワンワン!!

今日は一人のユーザーとして声にならない声を出してみました。

嗚呼悲しきsilent minority…。

文責:U2FsdGVkX192EVuo5bhwAb6WE/b8UTlZqRs5dbhgxSQcdAIvMJZyGeia2uRpbLjhr6DU/nKBQQcRg9uOzTRhtEuPIcNWZTAYwJlBa8Z3L2xeCBDeZpPqJAnljm28c2X3

2019-09-10

anond:20190910211933

中古が増えればそのぶん新作が売れる機会を損なうのだからファンなら捨てるのは当然だぞ。

「今ドコモ使ってるんですけど、本物のiPhone使いたいんでソフトバンクiPhoneにしたいんですけど、ドコモのままソフトバンクiPhone機種変更してください」とか言われて、「無理なんで中古SIMロック解除済みソフトバンクiPhone買ってください」って言うと「新品がいいです」「無理ですね」「そこをなんとか〜」「じゃあアップルSIMフリー版買ってください」「アップルなんて聞いたことない、iPhoneソフトバンクが作ってるスマホです」「じゃあソフトバンク乗り換えてください」「ドコモのままが良いんです〜」「無理です」「そこをなんとか〜」と3時間粘るバカ

9月13日から始まるソフトバンクの「半額サポート+」は他社ユーザーも利用可能

時代クレーマーに追いついた

anond:20190910154853

横だけど同意

アイスボーンワールドに付く大型DLCしかいから、

ワールド中古で買ってきてダメならそこでやめれば損害は少なくて済む。

2019-09-07

anond:20190906223930

社会で腐った偏見培ってる馬鹿

中古女には誰も興味惹かれねーよ

2019-09-06

発達障がいでも恋がしたい!

そろそろこれ系のタイトル小説漫画があってもおかしくないよな

中古でも恋がしたいってのがある程だし

anond:20190906034334

やっすい中古PCはあるんだけど、使うアプリケーションによってはCPUメモリも或る程度の制限があるから、少し高くなるのかな。

場合によってはアプリケーションの方が高いことはよく有るけど、買ってもらえないと仕事にならないんだよね?

「みんないっしょだから」って、こんな馬鹿相手にしなきゃいけないのは辛いねぇ。

anond:20190906034334

やっすい中古PCはあるんだけど、使うアプリケーションによってはCPUメモリも或る程度の制限があるから、少し高くなるのかな。

場合によってはアプリケーションの方が高いことはよく有るけど、買ってもらえないと仕事にならないんだよね?

「みんないっしょだから」って、こんな馬鹿相手にしなきゃいけないのは辛いねぇ。

2019-09-05

世の中の謎設計、謎行動

クソどうでもいいことなんだけど、人に話すとウザがられるので便所落書きする。

なんか意外とブックマークされたので、書き足りなかった思いを追記する。

横断歩道デザイン

歩行者からみて横縞模様。

そこを歩いて良いというサインなら、歩行者からみて縦縞にして欲しかった。

追記

横断歩道が近くにある菱形のやつ、あれから横断歩道連想できない。

どうみても武田埋蔵金でも埋まってんのか?ってしか思えない。

正解が○で不正解が×

特に○のほうが謎。

ゼロみたいに見える。

正解が1で不正解が0かな?って思ってしまうじゃん。

正解の正の字も、TRUEのTも、○より×に似てない?

追記

ご丁寧に○は赤、×は青とかにしてくれる人いない?

赤は赤信号、青は青信号連想ちゃうから、余計に混乱する。

車のアクセルブレーキ

右足で踏み分けろとか、そりゃ間違うと思うよ。

普通に考えたら、片方が足、もう一方が手じゃないか

追記

車の運転って、もっとわかりやすく出来ると思うよ。

ハンドルだっていらないよ。

本当にハンドル必須ならマリオカート出来ないよ。

マウス

ポインタのためのデバイスがなんであんなにずんぐりむっくりしてなければならないのか?

追記

みんな、手の掌の部分でポインティングするのって違和感ないの?

黄門様じゃないんだから

被害妄想誇大妄想

全くもって不毛

自分も、周囲も鬱になる。

なぜ人類はその感情を捨てなかったのか?

かのぼ嫉妬

同じく不毛

元カレ元カノ嫉妬したところで、全く意味がない。

追記

若くて美しい身体イケメンに捧げて、今更中古で俺のところに来やがって!

とか考えてしまクズです。

生きていてごめんなさい。

ファンクションキー

ほとんどの人が使ってない。

ぶっちゃけ定型文とか登録してほしい。

大昔のPCみたいに。

追記

だって使いますけど、むしろマウス苦手でキーボード派なんで、世話になってるほうだけど、それでもやっぱあそこにボタン用意するならもうちょい別の機能持たせたほうがよくないですかね?

例えば、クリップボード12あったら便利でしょ?

例えばタスクバーにピン留めなんかより、ファンクションキーアプリを割り当てられたりしたほうが便利じゃないですかね?

今のPCスペックなら楽勝だと思うんだけど。

ヘルプヘルプになったことなんかないしさ。

アラサーで初同人誌を出した話。

世の中には、絵を描くことは好きで幼い時より描いてはいたが、特にその道に進むほど情熱をかけているでもなく、かと言って、趣味範囲同人誌を出すアクティブタイプオタクでもなく、ただ気の向いた時や萌え気持ちを発散するためだけに描くことで満足するタイプオタク存在する事をご存知だろうか。そう、私のようなタイプオタクだ。

描くことは幼い日々より続けていたものの、どうも絵がうまくない。うまくないのだ。高校生になる頃には自分限界に気付き、同人誌を出すのは絵の上手な人の特権!私みたいな絵の下手なオタクは一生見る側なんだ!と即売会中古同人誌ショップを巡り、描き手様たちの作品をいそいそ収集する日々だった。

一つ目の転機は、大学入学してからだったと思う。友人が腐趣味に目覚めたのだ。今までこの友人はオタクでありながらも腐女子ではない、夢女子に近い立ち位置オタクだった。当時、じわじわ人気が出ていた少年漫画彼女は「腐女子」としてハマったのだ。わたしはひとまず、近くで同人誌を買うことができるショップを教えたり、それとなくネットマナーを教えたような気がする。一緒に即売会一般参加などもした。そう楽しんでる中、ある日彼女からpixiv小説を書いている。今度本を出してみたい。」と言う話を聞かされた。

私は、驚くと同時に、1年も経たないうちに生産者側に回ろうとする行動力に驚嘆した。もちろん応援することにしたし、最初彼女小説の表紙デザインを作ったり、売り子として即売会に同席するなどした。あっという間に生み出す側となり、その後も一人でサークル参加を続けていた。「絵を描くのに○○ちゃんは出ないの?もったいない。」などと言われたこともあったが、「私は絵が上手くないから」と言葉を濁した。

私はこの時は、「彼女特に動力があったただけ」と思いつつ彼女がやりたいことに真っ向から挑戦できる彼女が眩しく見えた。

二つ目の転機は、私がデジタルイラストを描くことができるようになったことだった。大学半ばから社会人になるまで、およそ4年近く忙しさで絵を描くことができなくなっていた。私は当時「もう社会人になるし、いつまでもオタクでいるわけにはいかないと思っていたしちょうどいいのかな」と思いながら過ごしていた。幼少の折より続いていた唯一の趣味が無くなりつつあるのには常に一抹の物悲しさが付き纏ってはいたが、それを上回る日々の忙しさがそれをも掻き消して行った。社会人になると、日々消耗し、毎日泣いて泣いて過ごしていた。そんな中、友人がとある2.5次元作品観劇に誘ってくれた。昔から好きな作品で、是非にと観劇しに行くと、それは素晴らしく楽しく、素敵だった。同時に今すぐ絵を描きたくなった。久々の感覚だった。スケッチブックを引っ張り出して、演者さんが演じていたキャラクターを描き殴った。その日から毎日毎日スケッチブックに絵を描き、ふと思い立ちそれ専用のツイッターアカウントを作り、イラストをアップした。その作品好きな人とも繋がることができ、とても楽しかった。

ある日、彼氏が「お前、デジタルでは描かないの?」と言ってきた。私はどうもデジタル向きではなく苦手意識もあったが、ペンタブを貸してくれて、一からイラストソフトの使い方を教えてくれた。彼氏オタクで、小説も絵も描けるハイブリッド型のデジタル人間だった。暫く私が絵から離れていたから、今までは提案しなかったそうだ。そしてそこから私はデジタルイラストを導入するに至ったのだ。

三つ目の転機。オタクとしての楽しさを思い出させてくれた前ジャンル人間関係がゴタつき、私はジャンル移動するに至った。ちょうど熱も少し引いたタイミングに、原作を読んだことのあるアニメ放送となり見事にのめり込んだのだ。ポツポツイラストを上げているとアニメ化中の作品からか、たくさん反応を貰えてとても楽しくなった。フォロワーもすごく増えて、毎日楽しく過ごしていた。所謂ROM専と呼ばれる人たちにもフォローされたり、何か少し絵師っぽいかもしれないと内心喜んでいた。

そんな中、好きなCP萌え語りをしていると、よく反応をくれるROM専の方からリプライが飛んできたのだ。内心、ROM専の人も話しかけたりするんだな、と驚いた。内容は「最高です。ぜひ本を出してください。後、小説も書いてください」と。とても驚いた。私は絵を描いてはいるが、同人誌を描く側には一生行けない。本を出せるのは、だって、絵が上手い人だけの特権なのだから、と。私は絵を描くくらいはしていいが、出す側には行くことができない側の人間なのだから。嬉しいが期待に添うことはできない。その気持ち感謝をしつつ、当たり障りのない文章を返した。「出せる機会があれば出したいですね」などと返したと思う。私はデジタルイラストを描くことは出来るようにはなっていたが、漫画は描くことができなかった。落書き程度ならまだしも、きちんと製本できるような規定を守ったやり方での描き方は知らなかったのだ。しかし時々、その言葉を思い出して、元気を貰っていた。フォロワー同士の付き合いではなくて、ROM専の方からのお言葉からきっと本当に私に目をかけてくれたんだろうな、と自意識過剰になりながら。

四つ目の転機。仲良くなったフォロワーが、漫画ソフトを一から教えてくれる、という、何とも親切きわまりないフォロワーだった。私は悪いし、すごく迷惑かけるし、と言ったが、私と一緒にイベントに出て本を出してくれるなら一から教えるから!と息を巻いていた。私は、ROM専の方から声をかけていただいた言葉から、いつか機会があれば出したい、と思い続けていたこともあり、とりあえず彼女の使っているのと同じソフトを買い、通話で三日三晩迷惑をかけ時には叱られながら使い方をレクチャーされた。結果として、拙いながらも原稿が作れるようになった。マスターしていないので、基本動作しかできないが、デジタルオンチの私にしては上々だ。まさかアラサーになってから同人誌を作るよう動くことになるとは思っていなかった。年甲斐がないとか、今から始めるのか?とか、たくさん悩んだが、家族や友人周りが肯定してくれた。

そして先日、はじめてのサークル参加をした。大学時代の字書きの友人も、○○ちゃんが出るなら、と同じ即売会に出てくれた。初めてのサークル参加に浮き足立ち、前日は寝れなかった。まさか、一生描き手には回らないと思ってた自分サークル参加をするという事実に夜中に感極まり号泣した。本を出してと声をかけていただいたROM専の方には迷惑承知の上で、長文のDM感謝気持ちを綴った。「あなた言葉があったから本を出せました。あなたが私を同人作家しました」と打ちながら泣いた。気持ち悪いDMにその方から丁寧にまた返信をいただいて、また泣いた。

即売会当日、売り子はフォロワーさんに頼んだ。徹夜でむしろハイになっていたので、意外に現場に立つと緊張しなかった。道中の電車では、感極まって二、三回程半泣きになったが。

始まるとお隣さんの同CPフォロワーさんが初参加で年も近いこともありたくさん話してくださり楽しかった。

早めに撤収し、売り上げは、30弱程。いいのか悪いのかわからなかったが、友人に「そんなもん」と言われたので多分そんなもんなのだろう。何より、「貴方が出るから来るのを決めました!」と言って貰えたり、「pixivサンプル見てほしくて…」と言って貰えたり、差し入れを貰ったり、とにかく、嬉しかった。こんなに幸せなことが世界にあっていいのかとも思った。

そして帰り道、気付いた。「あぁ、私も同人誌出す側になったんだ…」と。

同人誌在庫は自宅郵送したが、一冊だけ手元に持って帰ってきた。何度も何度も読み返した。自分が描いたものが本になるのは不思議で、奇妙だった。その夜は、枕元に自分同人誌を置いて寝た。なんだか自分の本がとても可愛かったのだ。

友人にイベント終わりに、「初めてのサークル参加はどうだった?」と聞かれた。私は、「今まで、同人誌って絵の上手い人だけが出していいと思ってたけど、違うんだね」と言った。友達は「そんなの、やる気の問題だよ」と言っていた。そして全く、その通りだな、と思った。

同人は、何歳から始めてもいいし、誰がやっても良かったのだ。それに気付くのに、何年もかかったが。そして私は、人生二回目のサークル参加をするべく、今もせっせと二冊目の同人誌原稿をしているのだった。

2019-08-30

ナビが連れてった謎の霊園

時期もあってか最近怖い話青い鳥で見かけてうん年前に体験した少し怖い不思議体験の話を思い出し、書きました。




私は幽霊なんて見たことも感じたことも無いような、そこらにいる漫画ゲームが大好きな人間、俗に言うオタクってやつです。

好きや漫画アニメゲーム作品自分作品に対する思いや熱を込めて絵描いたりする二次創作も好きで、長年やっています

ここ数年は推し作品キャラクター写真の中で再現する、コスプレというジャンルも手を出してます

その時体験した話です。


数年前に管理者のご好意許可を頂き、とある史跡コスプレ撮影をする事になった。

史跡といっても大昔に大きめな戦いがあり、ほぼ何もなくなってしまい、緑が広がる田舎景色によくあるような場所である

そんな大自然溢れるような史跡に何回か遊びに行った事があり、まあ馴れ親しんではいました。

一時期は月2.3で通うくらいに。今思えばなんであんなに行ってたんだろ?憑いてた??(笑)


撮影日当日、小雨が降っていて撮影できるだろうかと思いながら、確か朝の8時くらいに家を出た。

から撮影地までは道が空いていれば30分で着くような距離

田舎でも店が立ち並ぶ大きな通りから山の方へと田んぼや畑、民家が広がる田舎道へと入る。

何度か行っているとはいえ、道中は細い道や似たような代わり映えしない田園風景の中、車での運転

まり自信がなかったので迷わない為に、遅刻しないようにと念の為に車のナビをつけて。


目的地まで半分は過ぎた頃、突然ナビがルートを再検索して変更しました。

今時のナビでは混雑時なんかに新たなルート勝手検索みたいなのはよくある事ですが、当時の私の車のナビには道を間違えない限りそんな機能なんてなかったのでビックリした覚えがあります

道を間違えたのか?と見たら、いつも曲がる所とは逆の道を曲がれ、との指示。

私が知らないだけで近道があるのか!と、当時は思ってナビが言うがままに従い、その道を曲がりました。

閑静な住宅地から段々と古い民家がポツ…ポツ…と少し立ち並ぶ、更に田園風景が広がる山の方へと。

小山に突き当たり、山の側面といえば良いでしょうか、を伝うように伸びる車二台が通れそうなコンクリート道を通る用にナビに指示されました。

本当にここを通ったら目的地につけるのか?目的からどれだけ近い場所に今いるのだろうか?と、考えながらもあの時は素直にナビに従って。

その道を登っていくと少しずつ道が細くなっており、当時の私は車免許を取ってそう長い年月は経ってないので、反対車線から車が来ないかハラハラでした。

ふと、左横を見ると大きく伸びた竹林

その足元にゴロゴロ転がるように緑の苔が生えたり、割れたりしている墓石バタバタ倒れ、転がっててギョッとした。

素直に「えっ!怖っ!何これ!?手入れしろや!」と内心思ってビビった。今思うと普通に怖いです…。

メートル先が車1台くらい通れる細い道となっており、その向こうに伸びきった沢山の竹が重さでしなったのか分からないが、曲線を描くように曲がって緑のトンネルを作っていました。

竹のトンネルダァ!キレイダナァ!なんて思ってナビを確認すると、道の先に書いてあるのは「○○史跡霊園」。

撮影させてもらう史跡と同じ名前

ナビはその霊園を突っ切って画面の右隅に少し見えた目的地の史跡に行けと言うんです。

大昔に戦いがあって人が亡くなってる土地な為、出るという噂もあるらしい場所

(私は何度も訪れ、腐るほど写真史跡で撮りましたが一回も写ったことはなかったです。写ったらモブ兵がタダで付いてくるな!と友達と言っていたからですかね(笑))

ふと、脳裏によぎったのはよくあるホラー番組のワンシーン。

いかにもヤバそうな森林の先に進んで二度と帰れない、みたいな…。

ホラー番組の見過ぎやろ、って今は思いますが当時は「コスプレ撮影あるし、撮影楽しみだし帰れねえのは困る!!」これ1つでした。

ホラー番組好奇心で見て毎回ビビる奴なんですが、その時はその思いが強かったからか不思議な事に恐怖もクソもなかったです。

そこからはナビの指示をガン無視で車をUターンさせ、山を降りました。

その間もポンポン鳴っては山に、霊園の道へと戻そうとするナビ。

ウザかったので音楽の音量を少し上げて歌を歌いながら元来た道をスピードギリギリで爆走して戻った。

ルートが突然変更された道へと戻るとまたポン!と軽快な音を出しながらナビはルート変更してきた。

いつも曲がる道、いつもと同じルート

なら初めからそっち案内しろ遅刻するやん!!と内心キレながら、ロケ地まで慌てて車をかっ飛ばしました。

その後は何事も無く、無事に目的地に着きました。

遅刻はすることなく、なんなら一番乗りについて友達らと撮影を楽しんで無事に帰宅

ブヨに刺されて後日、足が二倍近く腫れ上がる以外は無事でした!(笑)

後日、ロケ地周辺に住んでいる知人や、この辺の道に詳しい父にこの事を話してそんな道はないか?と聞いてみたが、らしき道はなく、グーグルマップ先生とも長い事にらめっこしたけどそんな道は見当たりませんでした。

しろ撮影地の史跡の側に霊園なんてありませんでした。

史跡の隣は山でそこを突っ切って行ける近道なんてない。

別名の霊園はあっても離れているし、突っ切って史跡まですぐ行ける道なんてなく…。


未だにあればなんだったのかなぁ…と思います

それ以降は何回足を運んでもそのルートは出ませんし、他のナビもそんな道は検索に出しませんでした。


以上、霊感もクソもない人間体験した不思議ちょっと怖い話でした。

もし見えてたりしたら、あの竹トンネルに何かいたのかもしれないし、墓石バッタンバッタン祭りのとこに何かいたのかも、と思うと心底見えなくて良かったと思います

あのまま進んでいたら今頃こうやって、新たな推したちに会えず、ここに書いてすらいなかったのかなぁ…。

あれはなんだったんだ…??

ちなみにそのポンコツナビはマジでポンコツすぎて新品だったのに一年半くらいでぶっ壊れてペルソナチェンジしました。

よくある中古ナビが変な場所連れてく事案ではなかったです!





もし、この話を見て青い鳥で見たかも?とか、その史跡分かったかも!っと思ってもお名前は出さないようにお願いします。

ロケ地バレは施設の方々もご迷惑かかりますし、そこ行こうとするとそんなこと起きるらしいなんて噂になっても困りますから…。

2019-08-29

anond:20190829123621

米津玄師増田はlemon市場って知ってるか? 中古屋で俺のCDを漁ってみるといい。JSに擦り切れるまで聴きこまれディスクから、新品未使用っぽいディスクまでありとあらゆる状態CDが見つかるだろう。

そして、それらの価格品質関係なく安い。つまり、そういうことだ。品質にばらつきがあるから結果的に値段は下方に硬直し、従って全体的な品質角度とかが下方に遷移するんだよ。そういうもんなんだぜ」

2019-08-28

iPhoneって中古でも高いんだなぁ。検証用の端末に云万円も使いたくないお。

とはいえiOSシミュがサクサク動きそうなMacBookProは更にお高いという…これは悩むわ。

2019-08-27

毒親と疎遠にしていたら義親がキレてきた

私の親は毒親だと思う。といっても、猛毒まではいってないと思うけど。

実家山陰。両親は有名大卒と地方国立大卒で、当時としてはかなりの高学歴夫婦。父親家業を継いでいて、母は一応専業主婦。だけどその実態父親はおそらくはアルコール依存症だったし、母親は同居生活で、舅姑、彼女が嫁ぐ前は小姑からもかなり激しくいびられていたらしい。しかもこの母、家事の才能がまるでなしで片付けが全くできず、料理も決してうまいとはいえなかった。そんな中で育った兄と私。兄にとって両親がどうだったかは知らないけど、私はしばしば親、特に母親と衝突していた。

親は、私を親のお眼鏡に叶う偏差値大学に進学させた後は地元名家見合いで嫁がせるつもりで育てていた。自分もそうするものだと思っていたけども、気づいたら全く違う人生になっていた。

中学のころだったと思う。朝食を食べて、兄が牛乳食卓放置していた(それさえも私は知らなかったのだけど)。帰宅してそれを見つけた母が激しく私たちをなじった。兄は黙って聞いていたけど、無関係の事まで持ち出して咎のないはずの私まで罵倒し始めたので、我慢できず言い返した。その後黙って家を出てしばらく友人宅にいたのだけど、迷惑もかけられないので帰宅した。その後もまあ激しく怒られたのだけど、あまりにひどい罵倒の数々に「子供人権はないのか」と言ったのだ。その時に言われたのが「かわいげがない」「お前は親に誤らせるのか」という言葉後者はこの後も時々言われてそのたびにとても不快になった。この騒ぎがどう収束したのかは記憶にない。

高校の頃。思いつきで志望校を変更しようかと思った。元々の志望校よりも距離は離れるけど、偏差値は上がるし、最終的に届かなくても元の志望校に戻せばいいや、目標を変えて偏差値が上がれば結果としては受験はいい影響のはず、という割と軽い気持ち父親に言ったら母に相談しろと言われる。母に言うと途端にものすごく不機嫌になり「お前にあんな難しい大学行けるわけがない」「そんな遠いところの大学は許さない」かくして志望校変更は1日で元に戻さざるを得なかった。まあその程度の気持ちではあったのだけど、あの時に態度とひどい言葉はよく覚えている。

大学に進学。電車を乗り継いで半日ほどかかるところだった。最初は4人部屋、4畳半を二人ずつで使う昔ながらの寮に入った。私はゲームが好きだったのだけど、高校までの間は勉強理由としてほとんどやらせてもらえず(こっそりやってたけどね…)テレビを持っていなくて全くプレイできなかった。なので入学最初GW駅前中古ソフト屋で買ったソフトを持ち帰ってプレイするのを楽しみにしていたのである。そして実家で夢中になってゲームしていて、親への対応なおざりだったのだろう。夜に一人でリビングゲームしていたら既に激怒の完成形になっている母が「ゲームしに来たんだったら帰れ!!」と怒鳴りつけるわけです。その前にゲームそろそろやめなとか話をしようとかいろいろあると思うんだが、最初から怒りMaxで来られるのでこちらも穏やかではいられず。お土産に買ってきた菓子ゴミ箱突っ込み、翌朝父親に帰る旨を伝えたら短気は起こすなと説得される。菓子祖母の手でゴミ箱からサルベージされていた。

バイトを始める。そこで彼氏ができた。顔だけはい底辺高校フリーター契約社員かな)だった。この男も毒親育ちのモラハラ男で、こんなダメなお前を理解し更生させてやるのは俺だけだぞみたい態度で接してくるわけですね。ただ、「何かできそうな、やりそうな雰囲気」はものすごくある人だった。終始アンチこの彼氏だった私の友達もこの点は認めてたから。数年付き合ってる事は黙ってたけど、母親彼氏の事を話したんですね。3年生の終わり頃だったか父親には言わないでと。「付き合うって具体的には何をするの。手をつないで歩いてとかか」「え、それはまあ」「それ以上もか」「え、まあ」というような会話があったことは覚えている。そして翌日即父親バラされて実家大嵐です。「もうお前の学費は払わない。男に払ってもらえ」と、できるわけがないことを言ってくる。しかもその品のない言い方が。結局別れたことにして大学卒業したけど、勝手合い鍵を持ち出した父親が私の部屋に侵入していたことがあった。ドアを開けたら酔っ払った父親がいるんですよ…。この時もすぐに喧嘩になって、絶対に追ってこれないところに逃げるべく、私は大学に塀を乗り越えて侵入し、女子寮友達に頼んでかくまってもらった。翌日合鍵を渡してあった友達に頼んで父親がいない事を確認してもらってから帰宅した。テーブルの上には自律した行動をという紙が置いてあったが、アル依の父親にそのままお返ししたい。

他にも無茶な話が一つある。母親の友人は、友達旅行などに行ったときに一緒に娘さんの部屋に泊まるのだという。娘さんは自分友達の家などに泊まって、部屋は母とその友に使わせるのだとか。…という事を話されて、まあ自分もそのようにしたかったのかなと思ったけど空気読めないふりをしてふーん、で返したので実現しなかった。今思えば、親はともかくなんで知らないオバサンを自分がいない部屋に泊めなきゃいかんのか、絶対やだな、としか…。確かに家賃を払ってるのは親だけど、それが普通感覚なのかな。私は嫌だけど。

とにかくこのころの私は親から離れるとこんなにも自由楽しいのか!と気付き、実家にはろくに連絡もせず好きなことをしていた。でも親からしたら「糸の切れた凧」だったようです。嫌な表現しますね。私は耳があまりよくないこともあってか電話が嫌いなのだが、時々父親から「そろそろ母親が不機嫌だから電話してくれ」という連絡があった。で、嫌々電話していたのだけど、なんというか情けない話ですね。なぜ話したい人の方から電話してこないのか。母の日も「他の人たちは何をもらったとか楽しそうに言ってるけどうちにはなにもない、惨め」と愚痴ってくるのです。若い頃は逆に反発して意地でも送ってなかったけど、そのうちリスク回避だとネットで頼んで送るようにしてたな…正直気持ちは入ってなかった。ただのリスク回避

大学自分で選んだところだったけれど、言わば学歴厨の親だったので、勉強ができなくてはクズであるという空気の中で育った。私も兄も同程度の出来だったのでお互いコンプレックスは持たなかったと思うけど、これで仕上がりに差があったらどうなっていたのか、考えると恐ろしい。そして入学後に目的を見失い、勉強が全く面白くなくて本気で中退を考えていた。けど、親には相談しなかった。相談する相手じゃなかったのだ、もう既に。新たなやりたいことを探すパッションもないまま、4回生必死単位を取ってどうにか卒業の見込みが立った。後に書くけど就職も決まってしまったので必死だった。

そして卒業式の前日のこと。親は袴を持ってきて着付けをすると言ってくれたので、お願いすることに。前日の予定は聞かされてなかったのだが、私は友達から当時超入手困難な某ブランドファミリーセールチケットをもらっていて、楽しみにしていた。昼過ぎ電話がかかってきて、何時に着くから食事を一緒にと。でも私はセールに行く気だったので、それは無理だよ~と軽く返事をしたらそれで点火、激怒。親がわざわざ行くのに予定を空けておかないとは何事かと言われた。じゃあ予定先に言っとけよ電話できるだろ…とは思ったものの、ブチ切れた母はとにかく家に行くから外出するなとガチャ切り。家に来たけど、私は鍵を開けなかった。非常に惨めな気持ちになったそうです。もうスーツで行く気で、父親電話したら父がなんとか説得などしたらしく、翌朝着付けに来いと言われたのでホテルの部屋で着せてもらって卒業式に出た。けど、大学卒業式はもう思い出したくもないものになった。正直あまり記憶がない。父曰く、私の大事行事台無ししたことで落ち込んでいたらしいけども。

就職。親は地元に戻して、数年経ったらそこそこの家と見合い結婚させる気だったようだけど、まだあのクソ彼氏と付き合っていたので、地元に帰る気はゼロ。親の勧めでコネのある地元企業も受けたけど、猛烈やる気のないエントリーシートを出したせいか、超氷河期のせいかコネパワー発動前に落ちたのでよかった笑。しかし超氷河期、まあ落ちる落ちる。どうしようかと思っていたら何をどう間違えたのか某上場企業内定をもらってしまい、親も賛成せざるを得ない。あの会社就職って言うと自慢できる程度の知名度だったし、満足はしてたみたい。でもやっぱり実家に心は向かなくて、同期に「実家に帰らなさすぎじゃない?」とは言われたけど。

時々帰る実家は私の居場所がなかった。精神的にではなくて物理的に。田舎で、部屋が10以上ある巨大な家なのだけど、その8割程が母親荷物で埋まっていた。片付けもせず、壊れた電気も直さずに暗い部屋でネットパズルゲームをやっている母の後姿を見たときは正直ぞっとした。彼女と話しても、父親への不満、祖母悪口、私への恨みなどを延々聞かされた。楽しくはなかったけど、他に言える人がいないから…とずっと我慢して聞いていた。大学の頃の私への恨みは本当に不愉快だったし言い分もあったけど、黙っていた。一言でも言い返したら余計面倒なことになると分かってたから。

クソ彼氏とはずっと付き合ってたけど、クソ彼氏があまりにも将来への見通しがなくおれはいつかビッグになるという夢想ばかりしているので愛想を尽かして別れた。2年ほどしてから社内で彼氏ができて、その人と結婚することになる。彼氏ちゃん大卒で同じ上場企業だったので、反対されるかと思ったけど大丈夫だった。というか、クソ彼氏がひどかったか相対的評価が上がっていたのかもしれない。ちなみにクソ彼氏、未だにビッグにはなってないみたいです。

出産。娘誕生妊娠中に不幸があってショックを受けており、それもあってかあっさり産後鬱に。里帰りはせず、自宅に義母と実母が交代で来てくれた。義母家事の達人、まさにプロ主婦といった人で、産後の実子のケア経験もあるせいか本当に頼りになった。一方の実母は、朝私が洗濯をしている横で新聞ゆっくり読み、私が作った料理をなぜかクソマズアレンジし、挙句地元の人が近所のイベントに出店しているから行ってきていいかと。会場はかなり遠く、言ったら3時間は帰れない。折しもインフルエンザ流行っている季節で、私はいいけど帰宅したらすぐに風呂に入ってくれと頼んだのだが、ばい菌扱いされたと感じたようですね。母親がいない間に夫が会社から帰ってきたけど、私の顔が引きつっているのを見てまずいと思ったみたい。ばい菌扱いもショックだったみたいで、3日いる予定が2日で帰ってくれた。その時はほっとしたんだけど…しばらく経ってからメールが来た。なぜなんの連絡もよこさない、寂しすぎると。仕方なく電話したけど、孫が生まれて喜びでいっぱいの時期のはずなのに面倒見に行けば(見てないだろ)迷惑そうにされ、産後鬱から直接連絡せず夫を通せと言われ(の割にメールしてきたな)、疎外されて惨めであると。そして生き生きと夫の悪口を言い始めた。夫からしたら身内の不幸があってこれ以上誰かを失いたくなかったわけで、私を守ろうとしてたんですけども。産後鬱状態の娘に夫の悪口を言うとか本当に神経がわからない…。この時はなし崩しに仲直りした形になったけど、お宮参りとお食い初めに呼んだら父親泥酔して夫を蔑む発言をして、夫の私の両親への心象は地に落ちた。この時は駅で寝転がって運ぶこともできず大変だったらしいです。まあ、アル依だからな…。

それでも程々の距離を取りつつ、私が気を使うなどして表面上は親しくしていたのだけど、1年前に会ったときのことだった。

私は遺伝性病気を抱えていて、毎日目薬を差さなくてはいけない。この目薬、肌についたもの放置しておくと肌が荒れることがあるので、ウェットティッシュおしぼりで早めに拭くと荒れなくて済む。また、目の形が少し変わる副作用もある。肌荒れはなんとかなっても、目の形はどうしようもない、でも病気よりはマシだから…と点眼を続けていた。

その頃、母は目の手術を受けており、目薬の点眼をしていた。点眼後に使えと清浄綿を渡されていた。私と同じ病気の人も使っていると聞き、私のためにと買ってきたそうだ。だけど、自分の目は手術したわけでもなく傷もないので感染症リスクは低く、そこまでのもの必要ない。主治医ウェットティッシュで十分と言っていた…が、一応お礼を言って受け取った。そんな時に娘のアレルギーが発生して、目がパンパンに腫れてしまった。これこそ敏感な状態で、清浄綿を使うのはとても良いし、個装されているか携帯にも良い、すごくこの子向きだねと母に言ったら突然イラつき始めて「それはあんたのために買ったものなんだけど。高いっていうけど、そんなもの(楽しみにしていた入手困難だった化粧品)を買うお金があるならこれくらいお金出せるでしょう」困惑しながら、実際自分の今の状態にここまでのもの必要ないと副作用説明をしたのだが、そこで「もうこれ以上この話はしたくない!」ときつく言われて終わった。実はこの数日前に受けた検査の結果が今一つで、でも一度の結果で落ち込むものではないと自分を励まし前向きになろうとしていた時に病気の事で怒られるというのはとてもショックだった。その後私は一言も喋らず、というか喋る事ができず、飲まず食わずになってしまったのだが、親は怒っていると思っていたのかもしれない。実際はショックで何もできなかっただけだが。

翌朝、相変わらず不機嫌そうに一言も口をきかない母親。これはさすがに…と自分が折れようと思って「病気の事に口を出すのは一切やめてほしい」と言った。すると待っていましたとばかりに「謝れというのか。そもそも謝るようなことなんて何も起きてなかったと思うけど、親に誤らせようというのか。まあ謝るけど、すみませんでした(棒読み)」。これでもうさすがに我慢限界がきて、病気に事では自殺するほど悩んだこともあったのに、なぜこんな体に生んだ、謝るとかそういう問題じゃないと泣きながら訴え、過呼吸寸前までなっていたのだけど、母親はそんなの知らなかったと何度か言ってからテレビを見るために椅子に戻り、父親はオバサンがそんなに泣くものではないと手を振り払った。それでもうこんな思いをするのは嫌だと荷物を纏め、予定より何日も早く家に戻った。途中「せっかくの帰省をつまらないものにしてごめん」というメールが来ていたけど、そんなレベルの事じゃない。つまらないもの、そんなことじゃない。私が死にそうな思いで、でも死なずに努力していた、そのことを踏みにじったんだよ。SNSはすべて即ブロックしたけど、LINEだけは解除しておいて通知オフ、未読スルーにしておいた。

それに気づいたのはメールが来てから数週間経った頃だった。「連絡が一切なくて寂しいです」と、あれだけのことをしておいて普通メールが来ていた。彼女の中ではその程度の事だったのかな…でもこれを見た瞬間にどうしようもない嫌悪感吐き気がこみ上げてきて、LINEブロックした。もう解除するつもりはない。

一度兄から夏の帰省について連絡がきたけどそっちには戻らないとだけ返しておいた。返事は未読スルーだった。わざとなのかなんなのかわからないけど、あの兄がそういうことを聞いてくるのはなんだか怪しいと思っている。裏で誰かが動いたのかもしれないけど、どうでもいい。

母が義母に連絡したようだ。「娘と連絡が取れない」「心あたりはないのだけど(これはびっくりした。ボケたのか?)」と。義母積極的に介入するのはまずいと思って、そういう連絡があったことと、私に少しだけ事情を聞くだけに留めてくれた。あまりどちらにも余計な事は言わないようにするとも。だけど義父はそうじゃなかったようで、外面のとてもいい母親のそこだけを見て、あんな立派な人ともめるのは子供の方がおかしいに違いない、家事もおろそかだし、育児についても…と勝手に色々と不満を溜め込んでいたようだ。

まずは昼間にスマホをいじっていて子供相手がおろそかになったのが不満だったらしいが、それは夫の同僚の奥さんで、赴任先についてきて生活不安な人の相談に乗っていたのである。早く現地で私も頼りにしている人に繋ぎたいと思ったし、水や食べ物については一刻も早く不安を解消してあげたかたから。自分引っ越して鬱になったから、もうそんな人を増やしたくなかった。そしてその夜、台所の片づけを手伝い、一日やかまし子供相手をしていたところから気が抜けて、子供アレルギーについて携帯で調べていた。子供に片付けしなよと声をかけていたけど、昼間の事もあってそれが気に入らなかったのだろう。名前呼び捨てにされ「スマホを見ながら怒鳴るだけで子供が育つか!!」と怒鳴られた。反論もせず気にしてない風を装いはしたけど、突然怒鳴るというのが実は非常にショックだったのだ。中学の時に暴力的ものを含むいじめ経験があるので…。

その後はおとなしくしていたのだけど、食事中に子供質問に答えていたのを「そんなことを食事中に話していては食べられないだろうが」チクチクと注意されていた。そして最終的に夫もいる場面で「食事の時にぐちゃぐちゃと喋るのが大嫌いなんだ!」と怒鳴られ、その後に私に向かって「大体親をないがしろにしてそんなことでいいと思っているのか!」と全く無関係説教を始めた。最初に怒鳴られた時点でもう夫が怒鳴り返していて私は無言だったのだけど、親の事についてはこちらもさすがに黙っていられず、泣きながらだったけど「何を言われたかも知らないのにそんなことを言わないでほしい」と言った。が、それ以上は夫に引きずられて移動させられたので言えず。

その後、数時間二人で話をしていたようだけど、夫の感触としては「元々子世帯のやり方に内心不満を溜め込んでいたところに親ともめていると聞いて勝手に不満を溜めたのだろう」「あなたの親は心当たりがないと言っているようだから一方的こちらが悪いと思い込んでいる」「かなり話したけど、性格上納得はしていないと思う」との事だった。家事がおろそかといっても、彼は自分の妻の家事能力の素晴らしさが当然のもので、それがいかに恵まれていることか気付いていないのだ。私が地味にやっている細かいところの掃除については全く気付いていないだろうしね。ゴミ出しのタイミングとかも…。大体片づけが~というなら、毎日湯呑を飲んだ後放置して去っていくのはどうなんでしょうか笑。夫に食事の時無言だったのか聞いたけどそんなことはなかったそうです。私が質問に答えるのも知識のひけらかしって陰口言ってたけど、実はひけらかしというなら舅の方が余程そういう話をしてるんですよ。私はどんな話でも知識を深めるのはいいことと考えているので、ひけらかしなんて思わずいつも素直に聞いていたけど。

私は、別に状況を理解して味方になってほしいとは全く思っていない。理解だってしてくれなくてもいいのだ。ただ口出しをしてほしくない。そういうことは嫌いな人だと思っていたのに、まさかこんな形で口を挟んでくるとは思っていなかった。話の中で夫にお前が仲介してどうこうすべきではとも言ったようだけど、それは私が全く望んでいないことだし、毒親と無理に和解させようとして離婚する夫婦もいるくらいなのに、そうなってほしかったのだろうか。私への悪口漏れ聞こえてきたし、本当に不快。それに同じことをしたのが娘婿だったらきっと言っていなかったと思う。女と見てそういう態度に出られた事にも非常に不快感がある。突然怒鳴るのも何なんですかね。そんな人と楽しく付き合いたいと思う人がいると思うのかな。あいにく私はそこまでのMではない。

そもそも私の親が保身のためにか嘘を言ったのがクソだし、事情ほとんど知らないのにイメージだけで口を挟み、突然怒鳴ってくる舅もクソ。あんな人だと思っていなかった。

正直私は二度と会いたくないんだけど、義母がそれはやめてほしい…との事なので義母のためにもう少し努力はするつもりだけど、同じことがまた起きたらもう我慢できないなとは思っている。夫が壁になる意思があるからいいけども、これで無理に付き合いを強制する人だったら離婚するだろうな。そうさせたかったというなら目論見通りなのだけど。

とにかく最初に義親に嘘をついた親が本当最低だな。これ以上義親を使って探ろうとするならこちらにも考えがある。

2019-08-26

anond:20190826123401

じゃあ外国の崖の横みたいな道を現地で借りた中古の車で走ってみてよ

女性下方婚を増やすための制度変更

不動産の共有だけは避けたほうがいい、とアドバイスを以前に受けていた。

マンションから戸建への住み替えにあたり、

自宅売却を進めようとして、やはりアドバイス通り、単独名義にすればよかったと後悔した。

意志複数だと話が進まない。

一方が非協力的な夫婦ペアローン物件は、売却ではなく賃貸に回したほうがまだスムーズな気がする。


夫婦ペアローン」による借入は、住宅ローン控除を世帯で満額受けるためである

ただ、それだけで、新居も懲りもせず、民間銀行夫婦ペアローンまたはフラット35連帯債務で借り入れようとしている。

単独ローン+現金でも資金計画クリアできるが、2人の収入がほぼ同じ水準のため、1人分の住宅ローン控除消滅が惜しい。

おおよそ年間20万×10年(税率10%時は13年)の200万弱のコストカットは難しい。

持ち家政策を進めるなら新築中古マンション注文住宅といった担保価値評価の差を極力減らし

住宅ローン控除は借入人それぞれの借入残高連動ではなく、

世帯に対する住宅ローン借入手数料相当の還元」と位置づけ、

借入合計額×借入残高連動で6年程度が妥当だと思う。

年ごとにどちらか一方または按分して2人の控除にすればいいのだ。

夫婦ペアローンを組んでいると、子ども0歳でも預けて働いたほうがかなり得。

住宅ローン控除期間は絶対夫婦共稼ぎのほうが得。だから女性のM字カーブが和らいだ。

けれど、最初に夫1人の単独ローンを組んで家を買っていると、フルで働くインセンティブが起きない。

前述の通り、不動産単独名義のほうが好ましい。

よって、高額物件購入者計算高いケチ家庭以外は、

従来の「男性フルタイム勤務、女性パート勤務」で是となってしまう。

女性下方婚自分より収入の低い男性結婚する)を増やすためには、

現状の住宅ローン控除制度の変更が一定の効果を生むと考える。

まり

フルタイム年収女性単独でローンを組む(配偶者男性パート勤務可)・住宅ローン控除満額

産休・育休中は男性住宅ローン控除を受ける(減額)→女性の復帰後は住宅ローン控除満額、パート男性育児

単独名義なので売却は楽

となる。これでいいじゃん。ペアローンは手続き面倒で本当に駄目。

絶対相手喧嘩しない自信のある(自分が必ず折れて収める)カップル以外、やはり薦められない。

都心の高額マンションの多くは、夫婦ペアローンで購入されていると仮定すると、

数年後には住宅流動性は下がるはず。無理でしょ、本当に。

贅沢な悩みなんですが、家を買おうかと思っているですけれど、新築にしようか中古にしようか。駅近にしようか。部屋数は4LDKでいいのか、5LDKがいいのかと悩みがつきない。戸建て分譲にしようか注文住宅にしようかとか迷いまくりで困ったもんだ。家を買うなんて一大決心だし、費用馬鹿にならんしで絶対に失敗したくない。失敗したくないが、これまでに家を買ってきた人が本当に満足した結果を得ているかというとそうでもないわけで。だったら妥協できるところと譲れないところを選んでおくとか必要なんだろう。

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