はてなキーワード: フレーバーとは
コンビニのさ、
レジ待ちの列ってフォーク型に並んでレジごとに列が出来るわけじゃないじゃない。
そのフォーク並びシステムを無視してたまに割り込んでならんで、
店員さんにあちらのお客さまの方が先なのでお並びいただけますかーって
そんなやりとりもあなたも一度たりとも二度たりと
私は二度見したぐらいなんだけど、
そういうシチュエーションあるじゃない。
目の前のレジに並ぼうとして店員さんに阻止された年配の方がいて、
しぶしぶ分かったような感じで良かったんだけど、
そんでね、
私が次だったんだけど、
その年配の方曰く
先にどうぞーって言うじゃない。
そういうシチュエーションコメディーみたいな時ってあるわよね。
私はその時カップ麺を久しくジャンキー菜ものを欲して止まない年頃なので
そのフォーク並びシステムにことをモヤモヤと考えていたもんだから
さとられか!って思って私の中の心の消しゴムが読み取られちゃったのかしら?って笑いそうになったわ。
あとさー、
そういうのは初めから想定して、
買うものが少なくても手ブラでスマホが使えるようにカートを使うようにしてるのよね。
重いし辛いまくりよね。
だからお買い物をする量が多くても少なくても
とりあえずカートを使うようにして
そしたら本の1冊でも読めるじゃないって思うのよね。
それにレジ並びもお金を出したり入れたり仕舞ったりするのが億劫なので
そう言う時って全くのノールック投球を地で行くような、
ノー小銭マニーなのよ。
お財布に全然小銭がないし、
お札もそんな入れてないし、
私の村には銀行もないのよ!
ってその銀行のあるなしの有無はどうでもいいとして
本当に小銭が必要なときがあるので本当にそういう時は困るのよね。
だから私は
小さなコインケース1円玉から500円玉まで一通り収納できるコインケースってあるじゃない。
あれを買ってきて
キャッシュだけに。
その両替機の機種によっては
1000円札を入れてから100円玉を準備してカウントしてる音が機会の中で聞こえて準備しているから両替が出てくるまで遅いのよね。
でも最新の両替機は
もう1000円札がくる前提で準備してあるみたいなので、
1000円札を入れた瞬間に即両替の100円玉が出来てきたときは、
この両替機早い!って思ったと同時に
これも文字通り
キャッシュでキャッシュなのかしら?ってふと腑に落ちた感じよ。
まさに時は金なり!タイムイズマネーな両替機に感心したところよ。
そんでさ、
店員さんにこの支払いでお支払いしますって申請してから店員さんが操作するタイプの2種類あるじゃない、
ここは旧タイプの店員さんに申請しなくてはいけないタイプのレジかなと思って
iDでって言うと、
画面タッチしてくださいって言われちゃって恥ずかしいときがあるわよね。
いつも行くお店のレジなら仕組みが分かって慣れるようなもんだけど、
たまに見かける
縦長のディスプレイのタイプのレジを見ると横長に回転できるのかな?って強引に回転させようとして回転できなかったり、
液晶ディスプレーって漏れなくタッチ画面だと思ってタッチしたら舘ひろしだったってこともよくあるから
どうしても液晶画面を押してみたくなる季節なのかも知れないわね。
押したくなる季節と言えば!
そう!季節と言えば!
桃は押しがちよね。
結局人って桃を押して何が知れるのかしら?
鮮度?甘さ?完熟度?
よく分からないけど
押していい用の押す用の桃も専門的に販売したら
押したい人は桃殺到するかもしれないわね。
桃だけに!って
あと桃押し放題の取り放題じゃない桃狩りができる桃園があっても、
押したい人殺到しそうよね。
結局人は桃を押してしまう生き物なのよ。
秋はそう言う季節だしね。
そこは節操あるのねって思うし、
秋の味覚は全部押してもいい桃なのにね。
うふふ。
桃サンドってあったら、
生クリームたっぷりの桃感あふれるジューシーな桃サンドがあったら売れると思うけど、
もう誰か考えてるのかも知れない新レシィピかもね。
と言っておきながら、
ハズレが無いわ。
桃感あふれる桃缶があったので、
久しぶりじゃない?
桃缶ウォーラー!
桃をちょっとスライスして桃もウォーラーに入れても桃なわけで、
ほんのり桃フレーバーなのがいいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
あのさ、
昨日マーケットに夜寄って帰ろうと思っていったんだけど、
あと1時間ある!って気持ちで飛び込み前転でお店の自動ドアを通り抜けようと思ったら
もうすでに閉店してあって、
超痛いのなんのって悶絶もんよ。
せっかくお買い物して帰ろうかと思って
やっぱり夜は炭酸入れたい時あるじゃない、
な!なんと1本私が入れたことを忘れていたレモンフレーバーの炭酸シュワシュワ水が1本奇跡的に、
これは良き誤算かな良き誤算って
もう飛び込み前転して頭ぶつけた痛さもすっかり忘れ飛んじゃって
今日は1杯までにしときなよって小料理屋の女将さんにハイボールを止められそうな勢いだったので
私は1杯までにしておいたけど、
うなぎにはたれかしおか、
そんでスプラトゥーン2をやるにはちょっとハイボールで酔って度胸付けた方がローラーで相手チームを殴りに行くときの命中率が上がるから、
景気付けにハイボール1杯飲んでからスプラトゥーン2やんのが日課だわ。
負けたら勝つまでやる昔の私とは違うし、
勝ったら調子良いので、
夜シュワシュワのを飲み損ねないように
買いだめしておきたいところね。
1ケースやっぱり買いだめ王選手権にでて、
私も選手権出場しなくっちゃって。
ネッツで買うと配達してくれる人が重い荷物を持ってきてもらうのが気の毒だから
頑張って自分で買ってる次第よ。
朝が大事なの朝が、
そう!1番のりよ!
そんなわけで
炭酸1本でこんなにご機嫌さんになれるので、
どうぞ私に炭酸1本を与えて下さいって
まあ今からそのお買い物が楽しみね。
うふふ。
いいかもね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
数々の悪行、身勝手な動機、結果あらゆる所に集約される彼女への憎しみ。それら全てがとても悲しい。
だがかつてあれだけ衝突や惨劇を乗り越え互いを大切に想う仲間達の一人であるはずの沙都子は梨花以外は見えていても見ていない事が何よりも悲しかった。
ただこのひぐらし業卒の沙都子はどうも自分の沙都子像と乖離し過ぎている、業の郷壊し編から既に違和感はあったけど卒で暗躍している様を見る度に「(誰だ?)」とずっと頭に?マークが浮かんでいた。
それは劇中でもちゃっかり描写されてはいるのだがぶっちゃけ「(解ってやってるとか質が悪いしだったら最初からそんな事やるなよ制作陣)」としか言えません。
私が業卒を楽しめない最大の原因がこれ。正直勉強しろとかどうでもいい、こっちはこの子が誰なのかが気になるんだ。
んでこの業条さんを考えている内にある事に気が付いた、この構造って所謂『成り代わり型の転生モノ』のそれに近い感じがあるのでは?と。
たまに漫画の転生モノを試し読みしては「(『誰々に転生した俺/私は~』ってその俺/私はまず誰なんだ!)」と読む度にモヤモヤしていたアレと同じ現象がこっちでも起きていたのだ。
個人的で物凄い偏見な見解で申し訳ないですが、成り代わり型の転生モノって何処の誰ともわからない奴がいくら悪逆無道でもその元になったキャラ像を否定しているのがとても苦手です。
で劇中の他人物は「あいつ変わったな~」程度で基本は良いこととしてスルーされるのでたまには文字通り変わってしまった事に気付いた他キャラが元の人格の行方について考えて欲しいなとは思うのですがそれは最早転生モノに要求される要素じゃないのでそこはまぁよいでしょう。
ただ悲しいかなこれ、元のキャラ像を視聴者が把握しちゃってんのよ。
転生モノだと概ねが劇中劇の作品なので気にはならないのですが今回の場合『ひぐらしのなく頃に』という作品の『北条沙都子』というキャラが現実に存在している結果、何処の誰かもわからない奴に北条沙都子が乗っ取られた悲しみは深いし人によっては
「誰だよお前!元の人格は何処へやったんだよ!」ってなってしまうって訳です。少なくとも私がそれ
こんな転生モノ超見たかったけどいざ体感するとクソオブクソですわ!
ついでに成り代わり型の転生モノだとヴィランが善良化されるのに対しこちらは仲間ポジがヴィラン化してるのでそこも胸糞ポイントですね。
後ついでにエウアさんに関して。
エウアさんはエウアさんでうみねこを知らない人からするとぽっと出も同然、知っていたとしても劇中では業条さんにキッカケを与える程度で自分はだらっと見てるだけ。
当人は「あ~面白れwww」って毎度愉しそうだけどこちらとしては動きが無さすぎてすぐ飽きたよ。
あ、ちなみに残りのメイン各梨花は14話のキレっぷりは酷いし「(な~にOPEDで聖人面してんじゃダラズ)」って思うけど上二人程のモヤモヤは感じてません。後神楽しの羽入は邪魔。
上記二つの見解を踏まえた上で考えたら結局のところ『ひぐらし業卒』って成り代わりの別キャラが無双してぽっと出のキャラが嘲笑ってるだけ、残りの人達はフレーバー程度。
ぶっちゃけこれひぐらしとか抜きにしてもあんま面白くないんじゃないですか?
これだけならまだしも、かつての名作『ひぐらしのなく頃に』を利用した上であらゆる展開を踏みにじられているのでファンは原作レイプに嘆くしエアプはエアプで今作がノイズになって後に原作見てもスッキリしなさそうだしそもそもこんなの見て原作見ようとは思わないだろうから視聴者層は誰が得してんだ?!MAD製作勢か?
そんな訳で私の中で『ひぐらし業卒』は存在を忘却して封殺させた方が良いタイプの作品だと思いました。
長々な上に乱文で申し訳ございません。
最終回どんな展開でブーイングが言えるか楽しみです!
なんでもいいけどよぉ
オリンピックのスケボーは世間では好評だったが正直俺は受け付けなかった。あれでスケボーへの見方は確実に下がったな。
将棋の解説は男女二人とも高水準というか両方ダメってことが少ない。だけど同じプロなのに感想戦の打ち手たちのボソボソっぷりや上手く質問を解してないような受け答えはかなりむずむずする。一戦交えた後だし短時間だからまだいいけど。
甲子園なんかはもう解説は居ないことにしてる。どうせ低めに集めたいですねぐらいしか言わん。誰でも発言パターンが少ないからアナウンサーだけ聞いてる。プロ野球中継なんてただの引退選手の受け皿だろ。
ラグビーはいいよ。かなりいい。素人だけどわかりやすい解説してるし副音声側の解説も丁寧でわかりやすい。
がらっと変わるがマジックザギャザリングの解説がひどい。いやほぼ全員非常にいいのだがそれゆえ一人だけ非常にわるい。
八十岡翔太、お前だよ。ほかの解説組は大会を盛り上げようとトークをがんばってる。盤面のみならず環境やフレーバーに触れつつプロレベルの思考トレースを見せてくれたりする。しかしコイツは終始ローテンション。個人配信も同じ調子。そういうキャラで売ってても別にいいしプレイヤー実績は文句なしだけどよ、お前が居ると場の空気が悪いよ。複数人の解説がローテーションする大会でお前が解説になると「ハズレ」だよ。ほかの組み合わせは二人で盛り上げてるけどお前は相方ががんばって盛り上げるも意に介しない平坦なテンションで空ぶってるよ。解説のときもフリートークのときもカードのパワーの視点でしか話さねぇ。なんでこのメンバーにこいつが混じってるのかマジで意味がわからん。テンションのレベルをそろえろ。公式は統率者戦ではデッキパワーレベルをそろえろと言ってるだろ?解説もそろえろ。プロリーグクラスで解説引き受けてくれる人でもう少しテンションが高いやつは居ないのか?どんだけ陰キャ集団だよ。いや、代役はいいや。ヤソを抜いた残りで回してくれたらそれでいいわ。紙の大会配信自体から日本語解説に不満はほぼないけれどこいつにだけちょくちょく水をさされる。まああれだな。排斥はよくないわな。ヤソくんは周りを見渡して解説を辞退してくれたまえ。君にはたくさんファンがついている。押しも押されぬトッププレイヤーだ。界隈が盛り上がり新規の入り口になるかもしれない大会配信からは身を引いてじっくりと腕を磨いてくれたまえ。
ってもうお昼だけど、
今日はな、な、なんと!
私が前いた会社、
つまり私の今の事務所の隣のフロアからお弁当差し入れいただいちゃったわ。
事務所には遊びに来ないでね!って釘を刺しておいてたのに、
ゴンおまえだったのかー!って思ったら
棚ぼたならぬ棚お弁当ね。
し、しかもよ。
なかなか値打ちのある美味しそうなたぶん1000円は超えてるんじゃないかしら?
ハンバーグが美味しくて、
ふと思ったんだけど
わざわざ肉の塊をミンチにしてまた固めて焼くって
まあ新旧昨今便利な世の中、
諸説有るけど一番有力な説は
肉屋の息子が歯の弱くなったお婆ちゃんのためにミンチにして固めて肉食べさせて上げたって言う、
俵型の大きなハンバーグで
なかなかの食べ応え!
こんなに食べてしまったら、
お昼のお仕事に支障が出てきそうだけど、
テータイムってところよ。
優雅に過ごしたいわよね午後は。
いかにランチを美味しいのを食べていかにテータイムに美味しいお茶を頂く買って事のバランスが大事よ。
今日はもうそろそろお湯が沸いててーを淹れれそうなのでここら辺にしておくわね。
忙しいのか暇なのか
よく分からないけど、
べ、べつに今日覚えた言葉を今日使いたいってワケではないんだかんね!
うふふ。
お昼食べ損なうと思ったけど、
ハンバーグがノドに詰まるところだったわ。
レモンフレーバーの炭酸の方がなんかレモン感があるようなきがして、
フレッシュレモン果汁負けるな!って思っちゃったわ。
こっちの方だ断然フレッシュなのにねっ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
サウザン・ドレッシングとは、マヨネーズをベースにビネガーやケチャップなどを加え、みじん切りにしたピクルスや玉ねぎを混ぜこんだドレッシングのことを言う。
英語ではThousand Island Dressingと書く。
Thousand Islandとは、アメリカとカナダの国境にあるオンタリオ湖と、そこから流れ出すセントローレンス川のあわいに浮かぶ「サウザンド諸島」のことである。
このドレッシングがなぜ「サウザンド諸島」の名を冠するのかについては、日本では「ドレッシングに浮かぶピクルスがサウザンド諸島のようだから」と説明されることもあるが、Wikipediaでは普通に「サウザンド諸島で生まれたドレッシングだから」と説明されている。
前者の説は、英語圏ではまったく見かけないので、おそらくキユーピーが広めたガセだろう。
さて、「Thousand」のカナ表記は、通常なら「サウザンド」である。
にもかかわらず、なぜ日本では「サウザン・ドレッシング」という表記が定着したのだろうか。
疑問に思った増田は、いつものようにGoogle Booksへと飛んだ。
軽く検索してみたところ、古くは1952年「American Cooking in Japan」でサウザン・ドレッシングが紹介されていた。
この本は、日本に駐留している米軍兵士の妻が、日本人の家政婦にアメリカ料理を教えるための本だったらしい。
American Cooking in Japan - Elizabeth B. Patterson - Google ブックス
同じく1952年の「七輪で出来るアメリカ料理」という書籍も出てくる。
この本はロングセラーだったようで1970年に第23刷を数えていたという。
七輪で出來るアメリカ料理 - George E. Engler - Google ブックス
こうした英語と日本語を対訳した料理本によって、サウザン・ドレッシングが戦後日本に知られていったことは、まず間違いないだろう。
ただし、この時点ではまだ「サウザンド・アイランド・ドレッシング」と表記されていた。
では「サウザンド」が「サウザン」と表記されたのはいつ頃なのか。
まず、キユーピーが「サウザンアイランドドレッシング」を最初に発売したのは1963年のようだ。
ただし、この写真を見るかぎり、ラベルにはThousand Island Dressingと書かれているだけで、それを「サウザン」と読ませていたかはわからない。
「サウザン」表記で確認できるかぎり最も古いのは1973年のキユーピードレッシングの広告で、右下のほうに書かれているのを見つけることができる。
他社ではライオンも1973年ごろに「サウザンアイランド」のドレッシングを発売していたようだ。
1979年ごろに発売されたネスレのマギー・クリームドレッシングもこう謳っていた。
おなじみのフレーバー、フレンチをはじめ、スパイスのきいたイタリアン、ピクルスの甘味をいかしたサウザンアイランドの、 3 つのおいしさがそろっています。
ちなみに同時期のカゴメは「サウザンド・ドレッシング」派だったようだ。
たとえばスパゲッティやピザなどのナポリタンソース、濃厚なサラダソースのサウザンドドレッシング。そのほか、トマトソースやフレンチドレッシングにケチャップを加えてトマトドレッシング。
サラダ文化・ドレッシング文化が日本に広まったのが1970年代であり、それに乗って大手企業がドレッシングのバリエーションを拡充していくなかで、「サウザン」という表記が広まっていった、ということが言えると思う。
では「なぜ各企業がサウザンドをサウザンと表記したのか」について検討したい。
まず思いつくのは、当時はまだ「Thousand」のカナ表記として「サウザンド」が定着しておらず、語末の子音が抜けて「サウザン」と表記されることもあった、という可能性だ。
しかしGoogle Booksで戦前の書籍などを検索してみると、「Thousand」のカナ表記は当たり前のように「サウザンド」で定着しているし、「サウザン」と書けば「Southern」、すなわち「南部」を指すことが圧倒的に多かったようだ。
となると、さすがに1970年代にもなって「Thousand」を「サウザン」と表記することは無いと思われる。
次に「サウザンド・アイランド(千の島)」を「サウザン・アイランド(南の島)」と勘違いした可能性が思いつく。
が、サウザン・ドレッシングを最初に出したキユーピーは、ラベルに「Thousand Island Dressing」と表記していたので違うだろう。
そうすると、単なる「略称」であるとか、「語呂の良さ」を重視したものなのではないか。
特にキユーピーが「サウザン」と表記していたのは普通に略称だろうと思う(ちなみに現在の商品では「1000アイランド」と表記されている)。
キユーピーが最初に「サウザン」として売り出して知名度を高めたので、他社もそれに合わせて「サウザン・アイランド」だとか言い始めたのではないか。
また、カゴメが表記していたような「サウザンドドレッシング」では「ド」が重なってしまうので、「ド」がひとつ無くなって「サウザンドレッシング」になったということもあるかもしれない。
私からは以上だ。
誰かキユーピー(@kewpie_official)に真相を訊いてきてくれ。
追記。
これは私も調査の初期に見つけて、一時は「朝日新聞黒幕説」も考えたのだが、そのときは「70年代に用例が増えたこと」のほうを重視して除外したのだった。
しかし、ひと晩ぐっすり眠って整理された脳であらためて確認してみると、この1960年の朝日新聞の記事は、おぼろげながらキユーピーとの関係を示唆しているように思える。
サウザンアイランド(ピンク色のドレッシングの作り方アメリカの代表的なドレッシングでローンのある地名を取った名で、ピンク色のドレッシングの中の、色玉子)を島にたとえたもの。
そう、キユーピーがしきりに主張している「ドレッシングに浮かぶ具材をサウザンド諸島に見立てた」という説が、既にここで出てきているのだ。
ドレッシングなどに関するQ&A|よくお寄せいただくご質問|お客様相談室|キユーピー
細かく刻んだピクルスが、ドレッシングの中に「1000の島が浮かんでいる」ように見えることから、この名前が付いたようです。
キユーピーの社員なりが1960年のこの記事を読んでサウザン・ドレッシングを知り、自社で製品化したのが1963年の「キユーピー・アイランド」だった、という可能性は充分にありうるのではないか。
誰でも一度は舐めたことのある飴。
ウィキペディア情報によれば、なんと神武天皇も食べたという話が日本書紀にあるらしい。
実際に神武天皇が舐めたかはともかく、日本書紀が書かれた頃、既に飴はあったと。
そんな太古の昔からある飴も、時代とともに色々アップデートされてきた結果、今もなお代表的な嗜好品の一つとして健在なわけで。
酸味料を入れる、香料を入れる、色をつける、果汁を入れる、そして最近は酢や塩を入れたり。
そこに来て、個人的に微妙に思ってしまうのが、砂糖系の甘味料のみで味をつけ、他は一切フレーバーなしで無着色の、昔ながらの飴。
黒飴とか、鼈甲飴をそのまま丸い飴玉にしたみたいなやつとかね。
これ、現代人の口に合うか?
自分が学生の時分にも既にジジババ向けとなっていて、それより下の世代は見向きもしなかったのに、今こんなん作っても全然売れないんじゃね?
だいたい砂糖系の甘みだけの菓子なんて、今どきの嗜好的に重すぎるでしょ。
金平糖とか綿あめのように、極力軽い口当たりを目指しているとかならともかく、黒飴・鼈甲飴はその対極のどっしり系だし…。
あと、菓子は見た目の楽しさも重要な要素なのに、色的に黒とか茶色ばっかりで全然面白みがない。
肩がタタタな感じで火がつきそうな痛さなのでこれは凝りなのかどうなのか?
朝まで討論したいところだけど、
私にはそんな暇はないので、
以前に使っていた
あーあ、
久しぶりすぎて、
電池を充電しなくちゃいけないのと、
パッドが埃まみれになっていてくっつかなくなっていたので、
でも安心よ!
これで私の肩も不死鳥の如く蘇るのかなーって
期待を寄せてはかえしてみたものの、
充電池を5分ばかり充電しただけじゃ、
ウンともスンとも言わなくて、
松竹梅のどれが一番高級なのか松?竹?梅?問題ってあるじゃない、
それを地で行くようなウンともスンともの
とにかく凄い自信で充電出来てなかったの!
そりゃそうよねたった5分じゃ無理かーって。
それでも私はじっくり待ってみてその間ことこと煮込んだクノールのスープを冷まして飲めるほどの時間、
つまり30分ぐらい充電したら
ようやく動くようになったの!
これで稼働できたから私の肩はみごと不死鳥の如くか如かないかは1回の施術じゃ効果がないので、
引き続き施術していこうかと思う次第よ。
定期的に激痛がくるときがあったりして
月の満ち欠けか引力なのか?
そういうのが体調に現れるのかしら?って
なにかのエスエフでよくあるロマンシチュエーションの惑星直列って
実際になったらどうなるのか分からないけど、
今までないも起こってないとなると
太陽系が直列したところで
私の肩の凝りとかとは全く関係ないことらしいので、
あきらめて
やっぱり温めるのがいいみたいなのよね。
そう言った工夫もいくつかしてみたいところよ。
でもさー
私のお気に入りのジェットバスは4つのノズルで出てくるターボジェットノズルバスジェット!
点でなく面で当たるかの如く効き目がありそうなの。
あとのところは1つノズルの少し離れたところにもう1つノズルがあって、
ちょうど肩に当たると一応は1箇所ずつ当たるんだけど、
点ノズルなのよね。
ちょっと効き目が4倍違うわ。
私も違いの分かる人になったのかーって
私の持論だと
温めて揉むというのが、
よく公園で見かける年配のお年寄りの先輩の方々が独自に開発した動きの体操をし発見したかのように、
私の考えでは温めて揉むってのが
あの民間療法でネギ頭に巻いたり生姜スライスして貼ったり茗荷を脇に挟んだりと、
やたら民間療法って香味野菜を身体に貼ったり巻いたり挟んだりすること多くない?
私は素麺か!って思うぐらい、
そのまま麺つゆにドボンすれば
そのまま食べられちゃうぐらいに仕上がるのよね。
あなたも気を付けてね!
そういうのは素麺の薬味にしてしまって食べた方がよっぽど栄養になって身体のためになると思うし。
でね、
たたき、もみ、ほぐし、おすっていろいろ順繰り順繰り順番にまわってくるの。
強弱のメモリは65535レヴェルの60000メモリぐらいが一番気持ちいいかな。
でね、
たたき、もみ、ほぐし、おすで
低周波治療器ビリビリチャレンジ牛乳一気飲み選手権を1人でやってるように、
腕がぶるぶる震えて、
私の牛乳を飲みたいタイミングは不意に訪れるからまた厄介なのよね。
まあ、
今度は低周波治療器ビリビリチャレンジシャウエッセン一気食べ選手権を開催してみたいと思うわ。
うふふ。
たまにはこっちの方がお腹に溜まるような気もしないでもないけど、
ここぞとばかりに見つけたら買ってしまう癖がついてしまって困ったものよ。
グレープフルーツが98円で少し安かったので、
搾り器で搾った果汁を
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
ラッシュデュエルではない従来のOCGはイラストアドが低く、大味でつまらない。魔法・トラップカードはそこそこいいのがあるけど、なぜか主役であるモンスターカードのイラストはどれも酷い。
そうでない例はいっぱいある。意外と遊戯王はカード名に拘っているところはあって、ちゃんと世界観にマッチさせようとしている節は読み取れる。『海造賊』はそんな感じがする。
ただしそうでないものもメチャクチャ多い。というか良い例がわずかしかない。遊戯王はフレーバーテキストが通常モンスターにしかないためかストーリーラインをVジャンプやアニメの方で説明する傾向にある。よってカードは結構無味乾燥している。例外的に魔法・罠カードにはイラスト的なフレーバー要素が多く、そのカテゴリーの物語が魔法・罠イラストをみるとなんとなくわかることがある。ちょっと例外的にシャードールなどのように世界観先行なものはモンスターイラストにも反映されているが、そういう目につくもの以外はイラストに力がないと思う。
人気があるのは昔ながらの青眼の白竜のようなものだし、それもホログラフィックをつけたりちょっとイラストを修正しているだけ。MtGのように大胆に日本画風のイラストと枠に変更する特別バージョンにするとか、そういう取り組みは全くしない。そういうのをみると遊戯王の購買層ってのはイラストになんの価値観も抱いていないんだろうな、単に株券にしか見えていないんだろうな、と思う。