はてなキーワード: ねじとは
産んだ人間だが男性助産師絶対ヤダの感覚が全然わからないし男性ってだけで無理無理言ってるママ共ぶっちゃけキショいな〜〜〜〜て思ってるTwitterでママ垢やってる増田です。
名誉男性って言われるんだろハイハイそう思いたい奴はそう思っといたらいいよ。
助産師の仕事直接目の当たりにしてんなら当たり前に分かる筈なんだがあんなキツい仕事そうないでしょ。訴訟リスクやばいし体力使うし「お客様」は人生でMAXに気が立ってる奴らで。自分なら年収1億円でも絶対やりたくないね。
そんな仕事をマンコ合法的にいじりてぇ〜とか若い女の乳首いじりてぇ〜ウンコ出てるとこ見てぇ〜て思って続けられるってそれどんだけ強靭な性癖なんだよ。それを仮にリターンと思って仕事してるとしてもだよ、そのためにかける苦労がデカすぎるだろ。イメクラとかやった方が絶対コスパいいでしょ。
男性ってだけで上記みたいな奴と思われる助産師がいたら気の毒すぎると思うんだが?
自分だってなぁ助産師にそりゃ身体弄られたよ。マンコに手入れられるし指で膣の奥グリィ!てやられて「まだ硬いですね〜」「やわらかくなってきましたよ〜がんばって〜」とか言われたしさ身体の上に乗られたり、ケツ穴も腰もバンバン触られるし、下半身丸出しでウンコも出たし爆音のおならも聞かれたしさ(男性医師もいる中)
マッサージでもそりゃギャンギャンに乳房触られたし、乳首乳輪も世間一般の産婦と同じようにグイーーン!バキバキバキバキ!てギャグ漫画みたいにねじり弄り倒されたよ。
マンコから出る様々な体液の話も普通に聞かれたし答えたよ。でもそれをさぁ男の人にやられたらもっと傷つくかってそんなもんで傷つかねぇよ。
私のときの助産師さんはたまたま女性だったけど膣奥指でグリィ!は男性にされたこともある。産婦人科医は最初から最後まで男性だった。自分は4人の男性にマンコ見られてるよハッハッハ。
でもそんなもんどっちでもいいわ。向こうも真面目にやってんだから。逆に医療従事者ってすげぇと思ったよ。
自分もさぁお客さんの持ち物とか弄らせてもらう仕事してて、まぁ実際は全然違うモンだけど例えていうならAV満載のHDDやハメ撮りデータ入ってるビデオカメラとか、そういうお客さんからしたら弄られたくないレベルのもん弄る時もあるんだけど弄る人間は内容に関してはマジで無感情なわけ。そんなちゃらんぽらんな方向に意識向かないんだわ。仕事だから。
だから属性だけで気持ち悪い無理無理無理て言うやつ何様のつもりなんだよって腹立つよな。逆に貴女の方が助産師を性的な目線を少しおっ被せて過剰反応してんじゃねぇの〜キショ、て思ってしまう。
まぁ女性助産師に触られるのも嫌でした…てお気持ちはそうかいそうかいそりゃ大変だったなぁとも思わないでもないがそも彼女達は触るのが仕事なんだから「嫌でした…」て思われる助産師からしたらじゃあどうしたらいいんだよって話だよね。
.
一番腹立つのは時々報道される、仕事中にガチで性癖満たそうとして逮捕された奴。強靭な性癖持ちでさぞ苦労されたことでしょう。かわいそうですね。最初から生まれなかったら良かったのにね。
「失礼します」って言えば「失礼していい」なんてことはないだろ。
「失礼します」「どうぞ」のワンリレーあって初めて成立するだろ。
誰がお前に長文を失礼する許可を出したんじゃ。
誰も許可してないのに長文失礼してんじゃねーよ。
礼儀知らずかテメー。
お前の家にいきなり行って「玄関の前でウンコ失礼します」って言ってウンコしても
「ちゃんと失礼しますって言ってるからしょうがないな」ってなるんかボケェ。
お前がやってることはそれと一緒なんだよ。
いきなり「ウンコ投げ込み失礼します」つって、問答無用でウンコ投げ込んでるんだよ。
わかったら今後〇〇失礼しますって一方的に言うような運用はやめろ。
黙ってねじ込め。
私が勤める会社の人間は、生徒会長をやるような優秀な陽キャから学生時代教室の隅でいたような陰キャまで幅広い。
学生時代であれば陽キャ陰キャとの間にかかわりはない。しかし社会人なので同じ会社の人間とはある程度深く関わらざるを得ない。
仕事などで陰キャとかかわるうち、学生時代には知りえなかった”本物”の特徴が分かってきた。
陰キャ全員に共通するのは、【相手の立場に立って相手の気持ちを考えることができない】ということだ。
人の目を見て話さない・お礼や謝罪の言葉が出るべきタイミングで出てこない(←これは特に多い)・挨拶がまともにできない・電話の取次ぎで返事ができない・率先して動くことは一切なく周りが動いてくれるのを待つ…
など、人それぞれ違いがあれどこれらすべてのことは相手の立場にたって気持ちを考えて行動できないということに収束される。
これをしないと相手が不快になるかなとか、相手は困るかなとか、自分が率先してやろうという気づかいは皆無。
例えば30代が会社にミニ丈をはいてくる・謎のニーハイソックスを履いてくるなどだ。(そもそも弊社はミニ丈禁止だが、そうでなくとも周囲の気持ちとオフィスであるということを考えれば履こうという気持ちにはならないはずだ。というか今ってミニ丈流行ってなくてロング丈が主流だしそこもずれてる)
何歳になっても好きな服装していいじゃないとかそういう話ではない。
TPOというのは周りの人への気遣いなのだ。好きな恰好はプライベートですればいい話だ。
また、上記は暗めの陰キャの話をしたが、明るめの陰キャもいる。
女性の場合だと、一昔前に流行ったような(?)サバサバ系といわれるやつである。
そういったタイプは傍若無人だからか、なぜか組織の中で地味に権力を持っている。パワハラも激しかったりする。
なぜこのようなモンスターが誕生するのかというと、私は下記の結論に至った。
陽キャと陰キャは学生時代であれば口もきかなかったような関係だったとしても、会社の先輩後輩という上下関係ができることで、学生時代のカーストでいうところの上下にねじれが生じる。
陽キャの後輩に対して陰キャの先輩がパワハラするというような、学生時代だと絶対起こらないねじれ現象が起こりうるのが会社という組織。
学生時代であれば口もきいてもらえないような陽キャに、先輩というだけでコミュ障の陰キャが口もきいてもらえるし気も使ってもらえるし、なんならパワハラもできる。
そのせいで自分の能力や資質に勘違いが起こり、勘違いした陰キャはモンスターとなる。
こういうふうにしたよーという記録も兼ねて。
女で、今のパートナーと付き合う前までは彼氏はいたものの処女だった。学生だったのもあって妊娠への恐怖が性行為への興味より勝り、そういう雰囲気になって体を触られてもキスをされても気持ち悪さが上回って拒絶して静かにキレられたりした。
今のパートナーと付き合って初めて性行為への興味を素直に受け止められたので、合意を結ぼうと話を持ちかけた。
まずは相手に私とセックスしたい気持ちがあるのが尋ねる必要があった。
正式に交際を開始するにあたり、先にしておきたい話がいくつかある、と場を設けた。酒を飲む前なので、素面である。
セックスの話以外には「将来的に結婚の意志はあるか」「宗教的価値観はどこにあるか」「どうしてもされたくないことはあるか」などを確認している。
※「どうしてもされたくないこと」は例えば私側の場合は「名前を呼び捨てにされたり、お前、と呼ばれること」「俺のことが好きなら○○ぐらいできるだろという好意を元にした強要」が嫌であるという話を先にしている
相手は過去の交際相手ともう経験があったため、セックスに対して抵抗感はなく、あなたが良ければしたいと思うとのことで、両者にその意志があるとして、とりあえず性行為はする方針を立てた。
私は不意の妊娠への恐怖が強かったので、付き合ったタイミングで避妊用ピルの服用を始めることにした。
次のデートの際に「ピルを飲み始めて体の準備がてきるのが○○日後なので、セックスするとしたらこの頃になる」とカレンダーを見せて相手は了承した。
また処女であるので挑戦初日に入る確約はできず、こちらも準備(指で慣らすなど)はするが、無理やりねじ込もうとせず協力してほしい旨も伝える。またピルとコンドームは併用したい旨も伝えた。これも相手は了承した。
結果的には3回目のチャレンジでなんとか挿入が完了した。2回目は普通に痛くて入らず、手か口で処理したほうがいいのか?と聞いたが、2回とも相手はそれを拒否して就寝した。
3回目は、これまでは体位が悪かったのだろうと正常位をやめ、側位というのか、お互い向かい合って寝そべった状態で私が片足を持ち上げた体制だと、多少の痛みはあれど入れることができた。
快感などはなかったが、3回目まで付き合ってくれた感謝と、慣れてくると痛みもない(気持ちよくもないが)ので相手が射精するまで自由にして良いと伝えると、好きに動いていわゆるフィニッシュまで辿り着いた。
こういう流れであった。
相手にこういう同意の流れでよかったのか?とのちのち聞いてみるとさすがに少々面食らったらしい。
とはいえ、付き合うに至る過程の中では酒の力を借りている。「酔った勢い」が必要な場面があったためだ。本来はよくないことなのだが、独身であるか、パートナーはいるか、誰かと交際する意志はあるかなどの探りを入れる段階では酔った勢いで半分冗談なんですよ〜という雰囲気がある方が聞きやすく、酔った相手の失言は大目に見てもらいやすい風潮が未だあるからである。
お互いの好意と交際の意志を確認した上での酩酊状態で相手の家に転がり込んだため、流れでセックスすることになるだろうなと思っていたが相手は全く手を出してこずリビングに敷いた布団に転がされた。一応「付き合うことになったんだし、そういうこと(性行為のこと)しないのか?」と確認はしてみたが、「今はするべきじゃないと思う」と眠気と酔いでベロベロになりながらも自分の部屋に引っ込んでいった。
次の日の朝も特に何もなく別れた。
今のところは不満はない。行為後は感想戦をするようにしている。相手は射精に至るまでの時間が日に日に短くなっているのが課題のようで、スクワットを勧めているが効果的な対処法があるのかはわからない。
本業はネットワーク屋なんだけど、無線LAN周りのトラブルで「いや~電波ってそういうものなんでこの環境じゃあムリっすよ」「そういうものって??」みたいなやり取りが客とあってそもそも「電波ってなんなんだ?」と思ったのでぐぐって調べた。高校では物理取ってたはずなのに欠片も記憶にないので深い睡眠学習をしていたのだと思う。
電波法では「3THz以下の周波数の電磁波」を「電波」と呼ぶ。間違っても「電磁波」の略では無いし、電磁波の中の一部を電波と呼んでいるだけ。
導体を電流が流れると磁界が生じる(右ねじの法則)→電流の向きが変わると磁界の強さが変わり電界が生じる→電界の強さが変わると磁界が生じる→…の繰り返しで空間を媒体にして飛んでいくものが電磁波。ただし電界と磁界がリングのように繋がっていく絵(が高校物理の教科書に載っているらしいが全く記憶に無い)は厳密には間違い。電界と磁界は直交して発生し位相が一致するため。
electric fieldの訳語なので同じ。慣習的に工学系は電界、大学の理学系では電場。
コンデンサの応用。コンデンサの電極を棒状にしたイメージ(=ダイポールアンテナ)。アンテナに交流を掛けると電極間で電荷が流れ(ていないが後述の通り流れていると見做す)、電界が生じる→磁界が生じる→電界が生じるのループによって電磁波が空間を伝っていくのが電波の送信。電荷が行ったり来たりする速さが周波数、流れる電荷量(電流の大きさ)が生じる電界の強さになる。
逆に、磁界がアンテナに当たりアンテナ周辺の磁界が変化すると電流が流れる(ファラデーの電磁誘導の法則)ので、それを良い感じに拾い上げるのが受信…なのだと思うが正直この辺は欲しい情報が探せず自信なし。
絶縁体を電極で挟んだもの。絶縁体なので電荷を通さず蓄えることができる。ただし交流の場合、電荷の流れる向きが変わるので見た目上電荷が流れると言える(らしい)。
「電気」のミクロな表現。原子の周りを回っている電子が飛び出すと正電荷、飛び込まれた方の原子は負電荷で異なる電荷同士は反発し合い同じ電荷同士は引き合う(静電気力)。
この静電気力が働く場を「電界」と呼び、電荷から延びる静電気力の働く方向を線にしたのが電気力線。
電荷の移動で磁界に磁力線が生じ、正電荷と負電荷の間で電界に電気力線が生じる。
電波の送信で電界と磁界が生じていくという説明は電気力線と磁力線が生じていくとも言える。磁力線は磁石のNからSへ延びる線。
送信機のアンテナ端子に電力計を繋いで測った電力。送信電力とほぼイコールだが、厳密にはアンテナまでのケーブル減衰を差し引いてアンテナに掛かる電力。よって「送信電力-ケーブル減衰」が空中線電力。
指向性アンテナによって見かけ上、エネルギーをマシマシにしてくれることをアンテナの利得と呼ぶ。アンテナに増幅作用はないので送信電力が増える訳では無い。
等方性アンテナ(指向性を持たず全方向へ等しい強度で放射される仮想的なアンテナ)と同エネルギーのアンテナ利得を基準(0dB)とする利得を絶対利得と呼び 0 dBi とする。あまりよくわかってない。
等価等方放射電力。アンテナからある方向へ放射されるエネルギーを等方性アンテナによる送信電力としたもの。
アンテナ利得 20dBi のある指向性アンテナに送信出力 30dBm(1W) を掛けると送信出力 30dBm + アンテナ利得 20dBi = EIRP 50dBm (=100W) 。これは等方性アンテナ(アンテナ利得 0dBi)に送信出力 50dBm (100W)を掛けたといういう意味になる。
1mW = 0dBm として、1mWより大きいか小さいかを対数で表現した絶対値の単位。
電波の世界ではめっちゃ小さい桁数の数字の数字になるので、常用対数を用いることで使いやすい数字にする。
対数なので 3dBm の増減は2倍または0.5倍、10dBmの増減は10倍または0.1倍。
・23dBm = 10dBm + 10dBm + 3dBm = 10mW x 10mW x 2mW = 200mW
・-60dBm = -10dBm + -10dBm + -10dBm + -10dBm + -10dBm + -10dBm = -0.1mW ^6 = 0.000001mW
といった計算が出来る。
何処まで正しいのか全くわからんが、知識皆無からぐぐって読み比べたらなんとなーくわかったような気がする段階まで持って行くことができるのは単純に凄くねと思った。
便利な時代になったんだなあ。
以下好きな歌詞の曲。
タイトルに「北ウイング」を持ってくるセンスにしびれる。このタイトルじゃなきゃヒットしなかったと思う。
恋人を親友に取られる、よくある主題でありながら過不足なく渦中の女性の気持ちを詩に収めている。最近シティポップのリバイバルで若い子の間でも聴かれてるらしい。
今度は友達の彼氏「アキラ」への横恋慕が主題。特定の名前を登場させることで逆に誰でも感情を代入しやすくなってる。
エスニックな雰囲気に合わせて作られた歌詞がプロの仕事を感じさせる。
サビの最後の、アジアの国の言葉をリズミカルに重ねるところとか、どうやったら思いつくんだろう。
この曲の歌詞もいいよって知ってたら教えて。
どこかに吐き出したいけど、ツイッターでは吐き出せないので、こちらに。
ほんましょーもない話だし、
どう考えても、イラっとするこっちの性根がねじ曲がってるっていう話なんですけど。
ツイッターの相互さんで、なんかもう言動がめっちゃ癇にさわる人がいる。
と言っても、それもほんましょーもない理由で。
フォローを外せば済む話なんですけど、こちらからフォローして相互になった手前、
なんとなく切りづらいなとグズグズためらいつつ、今に至っているという感じ。
何が癇にさわるのかというと、彼女はイラストを描く人なんですが、
・途中経過をちまちまあげ、完成品は数回セルフRTし、微妙な差分もアップする。
・「フォロワーさんの好きなキャラを描きます!」募集をする(若干のリクエストは来てたけど)
・「色塗り素材にどうぞ!」と線画を配る。
っていう、まるでちょっとした絵師並みな振る舞いをしてるとこ。
誰に迷惑をかけてるわけでもなし、放っておいたらいいやんっていうだけの話なんですが。
私も下手なイラスト(ぶっちゃけ彼女よりは上手だと思う)を描くんですが、
恥ずかしくて公開するのも躊躇い、なんなら公開してはすぐツイ消しするという面倒なメンタルをしてるのに、
彼女はそんな私が馬鹿らしく思えるくらいに堂々と自分の絵を公開していて、
そういうとこに、共感性羞恥みたいなのを感じてたのかもしれない。
ただ、彼女は私と違って社交的で、たくさんの人と交流してたし、
イラストにも私より多くの♡がついてたので、そこは素直にすごいなと思っていた。
思ったけど、見かけるたびにイライラするので、ミュートしたw。
そしたらイライラが消え、ツイッター生活が穏やかになり、世界に平和が訪れた。
こんなことならさっさとミュートしといたら良かったって思ったw。
そうして数か月ほど放置したところで、自分もちょっとオトナゲなかったなと反省し、ミュートを解除したのが先日。
彼女の絵は少し上達してるように見えた。
ある日、彼女が「最近、自分の絵が下手だなって落ち込むことがある」とツイートしていて、
いまごろ気付いたんかい!と思いつつ、でも以前に比べたらかなり上達してると思うよ?とも思ったんだけど、
その十分後くらいのツイートに
「さっきのツイに誰かレスつけてくれると思ったのに、誰も反応してくれない。別に反応が欲しくて言ったわけじゃないけど(略)」
はてブは政治家が何かを決め決断をするたびに「これはひどい」のタグで攻撃をする
コロナ禍という、なにもかも未知のもので正解がわからない状態で決断をしつづけなければいけない仕事に
ひどいひどいと言い続ける、なにをやってもこれはひどいで終わる
事が過ぎたら誰もその話をしなくなって逃げるの卑怯すぎるだろ
政治を監視し事実かどうかを検証することをファクトチェックというが、はてブにこそ必要だと思う
ワクチンがそうで、最初は1年で作ったワクチンなんてやばいだろで「これはひどい」「これはひどい」だった
でもそのワクチンの入手が遅れてるという話になると「これはひどい」「これはひどい」と言い出した。
そして目標は1日100万人接種です!と言えばできるわけがないだろ!「これはひどい」「これはひどい」
でも1日100万人ワクチン接種が実現すると、現場ががんばっただけだろと冷笑し、現場の手柄横取りしてるぞと「これはひどい」「これはひどい」
そして総括で「日本は接種では諸外国のなかでまぁまぁ良いよね~」とか言うんだよなw
なに勝手に総括してんだ、まぁまぁ良いよねじゃねーんだよ糞はてブ
勝敗が決してそろりそろりと勝者の側に行こうとしてる糞ダサ日和見野郎の巣窟だよなはてブって
声出し応援の件でも、外国人の入国規制緩和でも、最初は「これはひどい」「これはひどい」だったよなお前ら
1月~2月は5類移行の判断でも、政治家が検討し始めたら、早すぎる!「これはひどい」「これはひどい」だった
以下、非武装中立をぶん殴る、日本共産党: 「1970年の焦点 : 日米安保条約をめぐる30問」 (1968)
社会党の「非武装中立」論は、日本が中立化すれば、外部からの侵略の危険はなくなるという希望的・主観的な判断を前提に、中立日本の安全保障の問題について、真剣な追求を事実上放棄しているのが特徴です。そのことは、安保条約を破棄した独立・民主の日本において、外国からの圧迫や干渉、中立の侵害、さらには侵略の危険などからどうして国の主権と独立、中立を守るかという問題にたいして、説得力のある具体的な解答をもちえないでいることにしめされており、そしてまた、そこに社会党の「非武装中立」論の最大の決定的な弱点があります。現に、一九六八年の参議院選挙にさいして、NTVテレビと『読売新聞」が共同でおこなった立候補者のアンケートでも、「非武装中立で万一日本が侵略を受けたとしたら、あなたは、次にあげる態度のうちどれをとりますか」という質問にたいして、社会党の候補者の回答は、「非力でも抵抗する」十四人、「国連、又は第三国の援助を要請する」十三人、「抵抗しないで連命を甘受する」三人、「その他」十一人、「わからない」四人、「無回答」八人と、まったくばらばらで、社会党が中立日本の安全保障の問題について統一したまとまった見解をもっていないことを、あらためて暴露しました。
ところで、社会党はどのような論拠をもってこの「非武装中立」論を主張しているのでしょうか。
社会党は、同党中央機関紙『社会新報」六八年七月三日付に、「事実を歪め、国民を欺瞞するな、日本共産党の非難に答える」というMなる署名の長論文を発表しましたが、そこでのべられている主張は、さいきんの成田委員長の発言や同党の方針のなかでもくりかえされています。それは、第一に、「日本が断固として非武装政策をとることによって」「いかな国も非武装の日本を攻撃する口実をもてなくなり、日本が侵略される危険がなくなる」と主張しています。これはきわめて無責任な議論です。
だいたい、「侵略がなくなる」というこの断定自体、なんの根拠もないものであり、日本が安保条約を廃棄して中立の道をふみだしたからといって、なお帝国主義が存続する以上、アメリカを先頭とする帝国主義陣営が、そのアジア侵略政策のいっそうの破綻のなかで、日本をもう一度アメリカを盟主とする軍事同盟にひきこもうとして不当な圧迫や干渉をくわだてたり、侵略の挙に出たりする危険は、依然としてのこっています。日本が非武装政策をとれば、どんな国も日本を攻撃する口実がなくなるから、「侵略される危険はなくなる」などというのは、帝国主義の侵略性、凶暴性に目をふさいだ、まったくの主観的、希望的な観測にすぎません。
したがって、帝国主義者の干渉や圧迫、侵略の危険などをどのような手段で防止し、日本の独立と中立を守るかという問題は、日本の平和・中立化の政策を真剣に追求するものにとって、けっしてゆるがせにすることのできないきわめて重大な問題です。まさにこの問題で、「侵略の危険はなくなる」などと勝手にきめこみ、なんら現実的な考慮をはらおうとしない社会党の態度が、独立・中立日本の前途に真剣に責任をおう態度でないこと、さらに、将来にわたって「非武装中立」などを固定的な原則として宣言し、あらかじめ自衛の手をしばってしまうことが、真に日本の主権と中立をあらゆる情勢のなかで守りぬく正しい態度でないことは、まったく明白です。
なお、ここでとくに指摘しなければならないのは、社会党の「非武装中立」論が、日米関係についての同党の根本的な誤りと結びついたものであるということです。いうまでもなく、一国の中立政策を問題にするばあい、その国がどんな外国の支配からも解放され、真の独立を確保していることが、その前提です。このことは、第二次世界大戦後の日本のように、アメリカ帝国主義の占領あるいは半占領下におかれている国では、アメリカ帝国主義の対日支配を打破し、真の独立を達成することをぬきにしては、ほんとうの意味で国の中立化や中立政策を語ることはできない、ということを意味しています。ところが、社会党は、「日本がアメリカに本質的に従属関係にあるものとみることはできない」(「旧本における社会主義への道」、一九六六年一月第二十七回党大会)として、日本の対米従属の関係を本質的に否認する態度を公式にとっているのです。帝国主義の存続と侵略性に目をつむるだけでなく、現実のアメリカ帝国主義の対日侵略を否認する立場からは、もちろん、日本の真の独立の達成という課題が提起されることはなく、けっきょく、この課題を軽視あるいは回避する社会党の立場が、真の日本の平和・中立化をめざす態度と両立しえないことは、あきらかだといわなければなりません。
社会党の「非武装中立」論のもうーつの論拠、問題点は、自衛権をめぐる問題です。
結論的にいえば、日本人民が主権者となった独立・中立日本の安全保障問題において、周囲にアメリカ帝国主義のような侵略勢力があるなかでの「非武装中立」という主張は、けっきょくのところ、いっさいの自衛権の発動の手段をみずから否定して手をしばるものである、ということです。さきにあげた『社会新報』のM署名の論文は、独立・中立日本の自衛権についての日本共産党の主張を攻撃して、つぎのようにいっています。
「日本共産党は、……プルジョア国家間の規範である国際法上の自衛権をもちだしている。これを根拠にして自衛軍隊を主張するなら、一国がプルジョア政府であろうと、民主連合政府であろうと、軍隊をもつことができるのであって、主観的にはどうあれ、自民党が進めようとしている自主防衛論、憲法改悪と核武器をふくむ軍備強化に積極的に手を貸すものといわざるを得ない」
まったく乱暴で、おどろくべき議論ですが、独立・中立日本の自衛権を主張した日本共産党の安全保障政策を批判しようとした『社会新報』は、問題の自衛権そのものを、「プルジョア国家間の規範」だという説でどこかにふっとばしてしまっています。しかし、自衛権とは、国家あるいは民族が、外国の圧迫や侵略から自国の主権と独立を守る正当防衛の権利のことです。これはすべての民族がもっている国際法上も広く認められた固有の権利であり、「プルジョア国家」だけにかぎられるものでは、もちろんありません。にもかかわらず、それが『社会新報』がいうように「プルジョア国家の規範」だとするならば、独立・中立日本には自衛権はないことになり、けっきょく、さきに引用したNTVテレビと『読売新聞』のアンケートへの社会党候補者の回答にあるように、「抵抗しないで運命に甘受」しなければならないというようなことになってしまいます。
なお『社会新報』はここで、自衛権についての日本共産党の主張を「自衛軍隊の創設」の問題と同一視し、最近になっても、「共産党は……外交政策における自衛権の主張は武装自衛の方向をとっている」(「一九七〇年安保廃棄をめざす闘争方針案」、六八年十一月社会党中央執行委員会決定)などといっていますが、これは、日本共産党の主張をきわめて一面的にねじまげたものです。自衛権は日本民族が一貫してもっている固有の権利ですが、これを行使する形態は、内外情勢や憲法上の制約などによってちがいます。日本共産党が、現憲法下では、たとえ真の自衛のためであっても国が軍隊をもつことを明確に否定していることは、ここでくりかえすまでもなく、「日本共産党の安全保障政策」および「日本の中立化と安全保障についての日本共産党の構想」にあきらかです。
自衛権をめぐる問題で最後にいっておかなければならないことは、さいきんの成田発言でもくりかえされている、日本共産党が自衛権を問題にすることは自民党の「自主防衛」論に手を貸すものだという議論が、ぎゃくに自民党の「自主防衛」、調をたすけてやる結果になっているということです。
日本共産党が、自民党政府の「自主防衛」論や自衛隊増強に反対しているのは、一般に国を守ることそのものに反対だからではなく、自民党の「自主防衛」論が、日本の主権と独立を守るどころか、反対に、アメリカの指揮下にアジア侵略の「日米共同作戦」態勢を強化することをめざしたものであり、自衛隊が憲法違反の対米従属と人民弾圧の軍隊であるからです。自民党のこの「自主防衛」論を粉砕するために必要なのは、「自主防衛」の名による日米軍事同盟強化、自衛隊増強の危険な実態を具体的に暴露するとともに、アメリカ帝国主義の対日侵略と主権侵略を許している日米安保条約のもとでは、一具の自主防衛はありえず、日米安保条約を廃棄し、日本の真の独立をかちとり主権を回復してはじめて、ほんとうの意味で、日本の自衛や安全保障を問題にすることができるという根本の道理を、広範な国民のあいだで明確にすることです。この意味では、日本の主権を侵害し、領土を侵略しているアメリカ帝国主義を日本から追いはらうことこそ、日本民族の正当な自衛権の発動なのです。
これにたいして、もしわれわれが成田氏らの主張のように、自民党の「自主防衛」論に反対しようとして、日本民族の自衛権そのもの、外国の侵略から主権と独立を守る権利そのものを否認する立場にたつならば、それは、日米安保条約をなくす民族的な権利をあいまいなものにするだけでなく、かえってわれわれの立場を道理のないものにし、自民党が「自主防衛」論を欺まん的にふりまわして日米軍事同盟強化の方針をおしすすめるのをたすけてやる結果になることは明白です。このことは、六八年の参議院選挙中、テレビやラジオの政党討論会などで、自民党が中立政策に打撃をあたえようとして、自衛の問題を無視している社会党の「非武装中立」論の弱点に攻撃を集中する作戦をとり、社会党がこれに明確な反撃をおこなえないできたことにも、はっきりとあらわれています。このように、社会党の「非武装中立」論は、自民党との対決という点でもかれらに乗じられる決定的な弱点をもっています。
当然アダルトビデオなんかはモザイクなし含めて見たことがあったけど、AV男優のちんこは特殊なものだと思っていた
男同士で風呂に入るとかそういうのも何度もあるけど、まじまじと比べるみたいなことはしたことがなかった
風呂に入る時も一応前は隠すみたいな感じで、そもそも友達のちんこなんか見たくないのでちゃんと見た記憶はない
初めてセックスしたのは高1で、それから計7人くらいと経験していく
20代まではお互いセックスそのものに夢中で細かいことなんてどうでもいいという感じでやっていた
大学生の頃に、今思えば、ではあるがハッキリと自分のちんこは(相対的に)小さいのだと分かる場面があったと思う
最初にあ、小さいのでは?と思ったのは学生時代に最初に付き合った彼女との行為の時だった
付き合ってそこそこ経ち、セックスもそろそろアレンジ入れていこうか?くらいの時に彼女のほうが責めてきたことがある
いつもはフェラは寝転がって口でパクパクと軽い感じが多かったが、その日は立った姿勢で彼女は膝立ち、そして口に含みながら手でしごく、というのを仕掛けてきたのだ
ちんこを口に入れていく、と同時に片手はサオを握るような形に、、しようとするのだが
手でサオを握ってしまうと、口で含む部分がほとんどなくなってしまったのだ
その時の彼女が見せた(あれ?)という微かな戸惑うような反応を俺は見逃さなかった
そう、彼女はおそらくこれまでの経験から手でしごきつつ口でしてあげる、という技を取得していたのだが、俺のちんこが小さすぎてそれができないことに一瞬戸惑ったのだと思う
俺も思った(あれ?手でしごくたびに指が口に当たってるな・・・)と
それまで自分はそういうのをされたことがなかったので、それは彼女の不器用さなのかなと思っていたけどそんなわけはない、ちんこが小さすぎてちんこリーチが足りないのだ
驚かせてしまってごめんな、せっかくスキルを駆使して気持ちよくしてくれようとしたのに、俺のちんこが小さすぎたせいでそんな思いさせてしまって・・
その彼女とは後に別れることになるが、最後までちんこの事は言わなかった
大喧嘩したことも何度かあったけどその時もそんなことは口に出さなかった
それどころかなにかの気配りだったのか、今思うとちんこの固さや太さについてやけに褒めてくるところがあった、あれもきっと彼女の優しさだったんだなと今になって気づく
そう、いつだって気づいた時には遅いんだ
性に対して割りと積極的な女の子と付き合っていたとき、その子がAVを見て「強引にフェラされるやつ、私にやってほしい」と言ってきたことがある
どういうのかというと仰向けに寝転がった彼女にまたがって、顔にちんこがくる位置にポジションを取る
そのままちんこを口に入れて、男のほうが腰を動かして入れたり出したりするというやつだ
俗に言うイラマチオというやつで彼女はそういうちょっと強引に責められるみたいなのを体験してみたかったようだった
こちらとしてもそれは是非ということでさっそくやってみることにした
彼女にまたがって腰を顔のほうに近づける、彼女はノリノリで演技をしだして「やだ・・こわいよ」とかロールプレイしはじめる
こちらも興奮してちんこはビンビン、彼女の口にちんこをえいとねじこんでやる
「む、ぐぐg・・」と一瞬苦しそうな表情を浮かべる彼女、しかしその次の瞬間には微かに「ん?」という顔になった
こちらもその違和感に気づくがそれよりも大丈夫かな、苦しいのかな、と心配のほうが勝る、そして少しずつ腰を動かしてみることにする
そのまましばらく俺の腰をぺこぺこ動かすのだが、彼女のほうは「強引にフェラさせられてる私」を演じつつも、目だけが徐々に虚ろになっていくのがわかった、そして
俺はもう根本までぐいぐいやってるつもりだったので焦った。これ以上は速さで勝負するしかないと思った
ピストンのスピードを上げつにつれてこちらは気持ちよくなっていく
しかし彼女の表情は若干苦しそうではあるけどやはりどこか気が抜けたようにも見える
「・・・はぁはぁ、、、おっきくて、苦しかったよぉ」と困ったような顔をして言った
その時俺は思った
「ああ、俺のちんこはイラマチオしても全然余裕のちんこちゃんなんだ」と
これらの出来事は冷静になって振り返ってみれば明らかに俺のちんこの小ささをハッキリ物語っている
しかし俺は自分の気持の中でそこらへんはなんとなくごまかして生きてきた
考えてみれば、付き合ってる人は心の中で思ってはいたとしても自分の恋人にわざわざ「ちんこ、小さいね」なんて言わないだろう(そう言われて興奮する性癖の方もいるとは思うが)
自分の記憶では「すごく固いよ・・」とかそんなのは言ってくれてた
きっとウソにならない範囲で相手が興奮しそうな言葉を選んでいてくれたんだなと思うとその優しさに胸が熱くなる
こちらも(おっぱい小さいな・・)と思いながら「かわいいおっぱいだね」とか言ってたのでその辺はマナーというものだろう
ちなみに自分はおっぱいはそれだけで素晴らしいものなので大きさは問わない派なのでそれもウソではない
女性にとってのちんこの大きさというのもおっぱいと同じようなものなのかもしれない
そりゃ大きいほうがいいだろうが、小さいからといってそこまで大きな問題にはならないんじゃないだろうか、そう思いたい
俺の過去の恋人たちはどんなに辛辣なケンカになったとしても「てめぇチンコめちゃくちゃちっせいくせによ!」とは言ってこなかった
学生時代にそんな事言われてたら、たぶんコンプレックスになっていたと思う
ちなみに自分はちんこは確実に一般的なサイズより(だいぶ)小さいと思われるんだが、その代わりといってはなんだけど手技のほうはけっこう頑張るほうなのだ
特に前戯に関しては一切の手を抜かずひたすら献身的なプレイをする
ただ単にすけべなだけなんだがちんこが小さいことをはっきり自覚した今は、それこそそれ以外のプレイ評価を上げてもらうべく今後も頑張っていこうと思っている