はてなキーワード: あなたのためにとは
別れて一年経ちますが、なんだかんだ2日にいっぺんもしくはそれ以上の頻度であなたのことを未だに思い出します。遠距離だったり同棲だったりでトータル8年ですもんね、長かったから。初恋は特別ということで、たぶん一生引きずっていくのだと思います。私から別れを告げたのに、ずるいよね。
大切な存在には変わりなかったのに、無理やりに近い別れた方をして傷つけてしまって、本当にごめんね。今も罪悪感で、夜目を覚ましてしまうことがあります。他に方法があったのかなぁと思うこともしょっちゅうです。
でもそうでもしないと別れられなかった、私はあなたに甘いし、悲しそうな顔を見るといつも自分を曲げてしまうし、あなたのことがまだ好きだったから。
別れを告げた時あなたにとっては寝耳に水で、楽しく暮らしてた毎日は嘘だったんと言ったよね。泣き顔見るの辛かった。嘘なはず無いじゃん。あなたの色んな部分を好きになって一緒にいると楽しくて、かけがえのない存在だったんだよ。色々あったけど、嫌いになれるわけがないよ。自由で地頭が良くて物知りで穏やかで、マイペースなのに周りの人に好かれているあなた。人の顔色を伺いがちで愚鈍くせにいつも心の中がざわついている私。
社交的なあなたの周りの女性の影にいちいち怯えたり怒ったりすることを、休みが合わずに寂しい休日を過ごすことを、あなたが一人楽しそうにゲームをやってる傍で家事をこなすことを、あなたが私のカードローンで勝手に借金してたことを仕方ないって自分に言い聞かせることを、隠れてギャンブルしてるのを知らんぷりするのを、あなたのために色んなことを我慢することを。
こう書いてみると、なんで付き合ってたんだ?って自分でも思うけど、でもそれでもいいところもたくさんあって好きだった。まぁ私だってあなたを沢山疲れさせたり振り回してるから、おあいこの筈なんだけどね。
あなたはいつもあなたのペースで堂々としてるから、何だか私の方がおかしい気がしてきて、もう少し自分のキャパが広かったらなぁ、私心が狭いなぁて何度も何度も思って、いつのまにか自分を抑えてあなたと暮らすようになってしまって。
あなたといて癒されたり爆笑したり幸せな気持ちになるんだけど、いつもなぜか不安で何で何だろうてずっと不思議だったんだけど、どんどん、その不安は大きくなった。
今日早いからごはん俺が作るよの言葉に軽い足取りで仕事から帰ってきたら、先に帰ってる筈のあなたが散らかった部屋で寝てて、流しにはお茶碗がたまってて、机の上も色んなゴミが乗っていて、私は「あーあ、またかぁ」ってなって、のろのろとご飯の準備をする。
ねぇ私のこと好きって言うけど、本当に大切に思ってる?じゃあもっと、私が喜ぶことしようって思ったりはしないの?と思って、でも彼も仕事で疲れたんだよねと何故か頭の中でフォローして、馬鹿みたいだった。
でもね、何の関係もない時に唐突にうちのこと好き?て聞くと好きだよって返してくれる。
ずっと一緒か?と聞くとずっと一緒やでといつもの返事が返ってくる。ぎゅってしてって言ったらゲームを中断して答えてくれる。それだけで毎回安心できた。
だった筈なんだけど、いつからかなぁ。
あなたの言葉があまり響かなくなってきて自分が不安定になることが前よりも増えた。この先結婚したら、数十年ずっと同じことの繰り返しなのかなとか、子供が生まれたらどうなってしまうんだろうとか考えはじめると漠然と不安になった。出会った頃は煙草吸う姿もかっこいいなぁと思ってたのに、いつからか吸ってる姿を見ると腹が立ってる自分に気づいた。
隣で寝ているあなたの寝顔を見ながら、ああ、やっぱりこれからもずっとは無理かもしれないと優しくできないと思うようになった。
あなたといる時の自分が、あんまり好きじゃなくなってた。あなたは何も変わってないのに自分の変化が悲しかった。
だから一念発起して、無理やりに、頑張って別れたんだ。自己中だけど、あんまり後悔はしてないんだ。あの時別れたおかげで、いい思い出をきれいなまま思い出すことができるから。あなたのことを嫌いにならないまま、あれ以上あなたを傷つけないまま、離れることができたから。
誕生日くらい、連絡してみようかと思ったけどそれはあんまりにも自分勝手だからやらないよ。私とのことは早く忘れて、前を向いて別の誰かと関係性を築いていくれることを本当に心から願ってます。私も勿論そうするよ。
あなたの笑った顔が、声が、厚めの唇が、人に優しいところが、他にも色んなところが(散々伝えてきたからわかるよね)好きだった。
私と同じように、あなたのことを好きになる人はきっといるんだろうね。
でも、これからも毎年、おめでとうって呟くくらいはゆるしてね。
おっさんに言い寄られたくらいで壊れるような豆腐メンタルなら、世の中なんて生きていけない。
そうしたおっさんを非難して世の中から抹殺していくことも弱肉強食の結果なのだから、おっさんに言い寄られて社会的に抹殺されてしまうことも弱肉強食の結果でしかないのだ。
戦うことを諦めた時点で負けだ。
戦い方はいくらでもある。
それでも勝てる見込みがないのなら、相手は自分より強いのだと諦めるしかない。
それが世の中だ。食い殺されないだけましだ。
勝てない戦いに挑んで傷つく必要はない。ましてや命を断つなんてもってのほかだ。
失ってからでは遅い。
強さとはなにか。それを自問自答し続けることが生きるということだ。
生まれたからには生きる。生きるからには強くなる。本当の強さとは何かを考える。
その時初めて大切なものを守ることができる。
そうやって周りが必死に戦っているのに、自分だけ平和がいいだなんて都合が良すぎる話だと気が付くんだ。
誰も助けてなんてくれない。人間は自分の都合でしか動かない。それを非難することはお門違いでしかない。
人から与えられた平穏にあぐらをかいているから、突然足元をすくわれるのだ。
人や周りのせいにしている以上、あなたの手からは大切なものがどんどんこぼれていくだけだ。
そのことをどれだけ声を上げて嘆いても、大切なものは二度と戻ってこない。
そんな思いを二度としたくないと思ったなら、立ち上がって戦うしかない。
自分のこどもにそんな思いをさせたくないなら、戦うことを教えなくてはならない。
自分たちが牙を抜かれて飼いならされている家畜だということに気づいてから、本当の人生が始まるといっても過言ではない。
間違った戦い方を押し通そうとして疲弊していくばかりの人間ともともにいてはいけない。
ともに背中を預けられるような相手を見つけることができれば、その戦いは大いに有利になるだろう。
今あなたの回りにあるものは、自分が戦って手に入れたものの結果でしかない。
それ以上を望むなら、それ以上の戦い方を身につける以外にないのだ。
戦うことを諦めた人間に足を引っ張られることをよしとしてはいけない。
何もせず周りに文句だけを言っている養分ほど搾取しやすい存在なんてないからだ。
その結果、自らの命が奪われたとしてもそれは本望だ。
ご馳走様の言葉の由来は、
あなたのために走り回って用意してくれたのよ、を地で行くようなウーバーイーツの配達員の人にあるためのような言葉ね!
でもあいにく、私が頼んだ饂飩のお汁が全部無かったのは内緒にしてあげるけど、
汁なし坦坦うどんをと、
これなら汁こぼれることもないわね!って思いつつ
坦坦の部分こぼしちゃってるのかよ!ってもうこれは素うどんを越ええる素うどんならぬ、
もうこれは走り回って汁なし坦坦うどんを持ってきてくれたとしても、
とてもご馳走様とは心から言える見込みはないと思うの。
そう言った意味では
まるで
おはようからおやすみまで暮らしを見つめるライオンや
そういった風に誤魔化されがちな感じに惑わされないようにしなくちゃね。
でも
教訓としては出前持ってきてくれるより、
食べに行った方が美味しいのかも知れない!ってことよ。
ただただ教訓のない悲しいだけのお話のフランダースの犬の物語とは世界名作劇場なのよ。
あのようにただただ悲しいだけの、
はるかに美味しい冷凍饂飩の開発に余念の無い一生懸命な会社が提供する
人類が火を使って肉を焼き始めた料理史の1ページを飾れるぐらいなのよね。
もう汁なし坦坦うどんのことで泣かないわ。
「泣かないで」を歌った後「泣いていいよ」って
泣きながら~破った写真に~
私はそう汁なし坦坦うどんの写真を灰皿の上でちぎっては投げちぎっては投げ、
火を付けて燃やすの。
あの日にかえりたい!ってやかましーわー!って思わずツッコんじゃいそうだけど、
ここでツッコんだら負けなので、
この勝負私の勝ちよ!
まるでルパン三世に宝石盗ませ解いて最後峰不二子ちゃんが美味しいところ宝石かっさらっていく感じとよく似ているわ!
あばよーとっつあーんって
うふふ。
アイスコーヒーだけガブっと飲んだ感じよ。
もちろん無糖!尾藤イサオとは違うわ。
直接食べた方がスイカ美味しいじゃん!って
志村けんさんを偲びながらそう思ったわ、
あれやったらやったで意外と難しそうだしね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
おい、フェミニストがよく言う「被害者がまず声をあげろ」、この考え方がわからないぞ。
そういう人、いますか?
なんらかの被害を受けてしまった場合、まず被害者が責任者側にクレームの声を届けなければ、責任者は加害してしまったことに気づけません。
そして責任者は被害者のクレームに真剣に耳を傾ける義務が生じます。
そのあとどう対応するかは、責任者が判断します。自分の行動を改めるもよし、被害者を見捨てるもよし…
被害者の義務は最大でクレームをあげる事までです。たまに責任者がどうすればいいのかアイデアを提案することはありますが、それはオプショナルな対応で、度が過ぎれば「差し出がましい」態度となってしまいます。
「でもお客様、ウチではマーボー豆腐も販売しております。マーボー豆腐も同じくらい辛いんですが、そちらには何もおっしゃらないのですか」
ダブルスタンダードにならないように対応を考えるのは、責任者である店長の… わたしたち『社会』の側の仕事なのです。
追記・
こんな意見を持つ方も多いでしょう。
彼女たちはレストランに通い続けたいのです。レストランの料理が好きだから、だから改善のためのクレームの声を上げているのです。
思い出してください。少年漫画のときも、ショッピングモールのときも、最初に声を上げたのはそこを使っている素人の女性でした。「これってなんかおかしくないかな🤔」といった感じの拙い表現での疑問を、エキスパートのインフルエンサーが理屈を追加してクレームとして洗練させ賛同者を募ったのです。プロ・フェミニストからすると女性の傷は自分の傷、見捨てる理由がなかったんです。
しかしそのようにして、一見解りにくい構図が出来上がりました。「どんな表現を規制すべきか指図するフェミニストがダブルスタンダードを持っている? しかもワザワザ自分から被害者になりに行ってるだと??」このように捉えてしまうのも無理はありません。私も理解に至るのに五年かかりました。
話を聞けない男、とかよくいうじゃん?
男の大半は話を聞けないんじゃなくて、共感力や想像力が低く、テクニックを身に着けていないんだと思うんだよ。
だから、私達の話を聞けないわけ。
今後は以下のような点に注意しながら、言葉や態度を選んでもらいたい
1. 妻が「現在、大変な中で頑張っているという状況だ」ということを理解にする
2. もっと「判断を交えない態度」を基本的姿勢にする。「こっちの方がいいのでは?」「ああしたらいいのでは?」などの言葉は避ける
3. 「俺が何をすれば、妻の役に立てるか」という確認をとるなど、不要な助言を避けるための問いかけの姿勢を徹底する
4. 「あなたのために言ってやっている」と言われながら受ける【望まない支援】がもつ侵襲について、理解する
5. 妻の行動について、短絡的に結論を求めない。たとえば、なにかを決定するまでの紆余曲折の過程を尊重し、その過程に付き合えるようにする
6. 不用意なアドバイスを行うことは避け、一緒に楽しいことをする時間や運動などの気分転換、妻の家事負担の軽減などを積極的に行う
ブレワイと時オカ(途中まで)しかやってないけど、これってあんまりじゃん!!って号泣したので吐き出す。ブレワイはミファーちゃん過激派でゼルダはちょっと…ってなってるおじさんが吐き出すからこの文章読んだだけでもやべー匂いがすると察した人は全速力で逃げろ、いいな。先に警告したからな、もう知らんからな。
好きになった女、実は100年前に死んでた。
そんなオチってある?出会ったら魂だったとかトラウマになるわ。おかしいでしょ…なんで??世の中残酷すぎ。ゾーラ族の寿命こんなもんじゃないでしょ!って喚こうにもガノンを倒すためにはミファーちゃんの祈りがないと敵を倒すことができない、100年前のリンクと厄災リンクに足元にすら及ばない私は常にミファーの祈りが発動できる状態じゃないと何もできないけどさ〜!!!そんな…結婚を申し込むためにサイズぴったりの服まで用意してくれて婚約指輪ならぬ婚約服じゃん…そんな健気で可愛らしい幼馴染の女の子、好きになるじゃん…怪我を治してくれたときから絶対好きだもん…なのにおかしいでしょ…なんで?恋、始まった!と思ったら始めさせてくれねえ…こんなのってこんなのってさ〜!!!ってモヤモヤしつつブレワイ(完)してたらやってきてしまった、時オカ。何となくだけど、予知?察知能力?まあオタクやってると展開が読めるとき、あるじゃないですか。だからサリアちゃんが出てきたときから正直予感はしてた。だってサリアちゃん、めちゃくちゃいい子なんだもの。それに尚且つ幼馴染属性なんだもの。種族が違うんだもの!!!!それにキーパーソン的なストーリー円滑に進めるためのアドバイスとかしてくれるし!!優しいし、かわいいし森から出ていくリンクにオカリナくれるし!!!!お友達…ねえ!!!何?!?!ゼルダの伝説の幼馴染属性になるキャラって制作者たちの家族ガノンドロフに殺されでもした?!私は雷のガノンにめちゃくちゃ殺されましたけど?!?!こんなのって…こんなのって絶対おかしいよ〜;;;サリアちゃん、何でそこでそんな察しちゃった?森の賢者、なりたくなかったならならなきゃいいじゃん…一緒にいられないってわかってたって…異種族に怒りしか湧いてこないなんで?成長してしまってリンクのことを認識できないかつての同胞たちの言葉も悲しいけど一番かなしいのはサリアちゃんのリンクへの恋心を利用されたような気がしてしまうことと、そうやって利用されたと思ってしまう私だけど(ごちゃごちゃしてきた)賢者になれば一緒に救えるもんね、コキリ族で歳を取らずに永遠に子どもの姿のままでいることがサリアちゃんにとっての幸せではなく、森の賢者になることによって好きなリンクの役に立つことができ…できるけどさ〜!!!ね〜なんで???どうして???おかしい私が幼馴染属性に弱いのは認めるけどそれだけじゃないこれかなしい。どうすればいいこの気持ち…ゼルダの伝説でくっついてほしいキャラ、尽く撃沈するお見合いおばさんがお見合いセッティングして失敗した時の気持ちはこんな気持ちなの…?知らんけど
は〜ゼルダの伝説、ミファーちゃんとサリアちゃんの幸せを心から願ってるのにな…こんなのってあんまりよ…
ルト姫も…ルト姫もこんな風に喚く予感しかない…初恋泥棒リンクへあなたのせいでフラグが乱立するのにあなたのために、あなたの役に立つためにとあなたのことを好きになった人たちは皆何かしら代償を払ってあなたとくっつく未来を描けない状態になってしまいます。どうにか責任を取ってください。
Rashomon
それを持っている日の、夕暮れ時の人。
1人の人の研修医GE おお けれどもRashomonと他において、何かの下の雨の暗闇が肩で押しのけることを待っていた。
誰もこの人に加えて広いゲートの下にいない。
1匹のクリケットバッタが、tannuriだけとあちこちにあてはまることのhakuの日本木製木靴および大きい柱MARUBASHIRAにいる。
スザク-oji通りSUZAKUOOJIにRashomonがあるので、法廷貴族のための法廷貴族もみアジア人ヘッドギアのためのさやjuuフォーマル帽子は、この人 他の2または3人の人々 に加えて雨の停止をする女性行商人ランプのかさICHIMEを持っているようである。
誰がそこにいないか この人に加えてそれ どちらも ?
いくらかの理由 私が言う時 地震 、および通り風TSUJI KAZEが火と飢饉後続を、2またはこれらの3年と京都、およびそれ言うsaiトラブルのために起こった。
従って、どのようにラクチュウRAKUCHUUを辞退するかは普通さではない。
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1人の泥棒NUSU BIがそこに住んでいる。
それが取った私が言うカスタム チャージ of 最後に閉まる でさえおよび手を持たない死んだ人は、このゲートに連れて来られる、そして、それはそれを廃棄し、行き、される。
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--しかし、遅い原因または1羽の鳥は、今日、任命された時間ボディ前兆も見ない。
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研修医は、彼が7つのステップを持っている石ステップの上部のステップで洗い、よく、私はZARA、青色の引き戸のように思われた右のほおを持つことができた大きい吹出物吹出物についての雨が降ること 薄暗く 斧底を置く と悩む時に。
作者は、「研修医は雨の暗闇を待っていた。」を書いた。
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猿猿のkokuボディに入っていることから書かれた雨のためにまだ上がっている風景が全然ない。
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それは、短いmustache. katsuの赤の膿汁膿汁を持つ吹出物吹出物を持つほおであり それを軽く取った 、これにある人は、研修医のための最初から、死んだ人であっただけである。
2の3のステップのそのものが、あなたがトップにいる 火 はしごを見て、 TOBO さらに、それらはそこでここによってその火を変更するようである。
不潔な黄色いライトは、シーリングと屋根の間のスペースでクモクモの巣で震える間、すべてのコーナーに適した。従って、これは直ちにそれによって知られていた。
この雨の夜このRashomonにおいて火が点火されるので、とにかく、私は普通の人ではない。
研修医がヤモリヤモリのような歩みを盗用し、蓋を付けられて、最後に上部の棚まで突然のはしごにおいて彼が最も這うと。
それをし、ボディをなるべく平易なフラットにする間shiが正面への首をなるべく取り出したこと用心深さ、取り除かれること、およびタワーの中ののこぎり。
単に私が、タワーの中の噂においてそれが見られると耳にすると、いくつかの死んだボディ死んだボディが廃棄されるけれども、私が考えたより、火のKoが来るエリアは小さい。
従って、 誰も いくつが数を知っているか?それは薄暗いけれども、それは、それの間に知られるように着物が着られた裸の死んだ体および死んだボディがあることである。
人形netsu練り地球および死んだボディがそれをし、誰もが、それが、以前住んでいた人であったと言うという事実により疑われさえするように作られたように、口、kaiは開き、私は私の手を伸ばし、それ雷鳴、私は、フロアに落ちていた。
さらに、部分 which で薄暗い火のライトを受け取る間永久にそれがoshi押しであったので肩、胸で高価になり、部分の影を作るので、それはより暗い、私は静かであった。
無意識に、enは、研修医GE NINのそれらの死んだボディのフランを振らないされたにおいによって先端をカバーした。
しかし、すでに手が次である 先端 瞬間に、en U事実は忘れられた。
いくらかの強い感覚が、すべてのこの男性的なにおいがほとんど取り除かれたからである。
石盆地はその時研修医の目を開始し、死んだボディにおいてかがむ人に会った。
短いスー銅貨が、誰がイトスギ樹皮屋根板色HIWA DAIROの着物を着たかので、薄くなった酷寒の頭酷寒頭の猿のような年配の女性。
年配の女性は、彼女が、右手の火に点火した松木破片KIGIREで、死んだボディの1つの面をのぞき見するように見ていた。
長い毛を持つ場所が見られる時には、それは、女性の死んだボディである。
研修医は6分および4分の好奇心への心配に移動させられて、しばらく、ZAN JIが、呼吸する生きをすることを忘れさえした。
古いレコードのレポーターの言葉を借りる時 それゆえ、それが触れられた「私が頭について尋ねて、ボディが重量も得る髄の毛」 。
そして、年配の女性は、猿の親が猿の子供のシラミシラミを正確につかまえるように、長い毛のうちのそれぞれを取り除きはじめた床と両方の手の間で松木破片が入れられる時は、これまでに私が見ていた死んだボディの首において賭けられる。
毛は手で出るようである。
私は、毛の出のうちのそれぞれを持つ研修医である 少し消失したことを心から恐れている 。
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この男性の悪をそんなに多く憎悪している心臓は、年配の女性のフロアに置かれた松木破片KIGIREのように力強く燃え上がりはじめた。
研修医は、なぜ、もちろん、年配の女性が、死んだ人の毛を取り除くかを知らなかった。
従って、理性的に 右と間違いのうちのin which 、私がそれを片付けることができた それを知らなかった。
しかし、それは、すでに、それだけによって、研修医のために、この雨の夜、このRashomonにおいて、死んだ人の毛が取り除かれたと伝えていることが許されているべきではない悪であった。
それが、泥棒 まで 今 である意思を持っていたこともちろん、研修医 すでに彼がここにいることを忘れた 。
従って、研修医は強調を両方の足に置き、突然はしごからトップに飛び、上がった。
そして通りパターンヒジリZUまたは私は、剣で精巧な苦痛を取る間、年配の女性の前で、隔たって広い私の足に増した。
表情研修医が会われた時に銃弾がいし弓いし弓 場合 によりすべて弾き飛ばされさえすると、年配の女性は飛び、上がった。
「 1回の行きをする所。」
年配の女性は、死んだボディが衰えたけれども、研修医は混乱し、とりでが、彼が脱出し which うとするライン手を閉じて、要求するbaを乱用した。
それでも、年配の女性は、研修医 わきに置かれることと行き に突き刺そうとする。
しばらく口もきけない間、死んだボディにおいて2人の人々が組み合った。
研修医は最後に、年配の女性の能力を把握し、そこのねじを力ずくで取りこわした。
正確に、それはチキンチキンの足のように骨だけの能力と皮である。
「何がされていたか?言いなさい。私は言わず、それはこれである。」
年配の女性が押しやられた時には、研修医は突然剣のさやマージンを支払い、GANEの色を白いスチールのための即時性に押し付けた。
たとえ年配の女性がどのように静かでも。
両方の手を震えて振ることおよび肩を持つ切断息の間、目、それは眼球であり、 私 おお、程度に、私は集晶ブタの外でほとんど外出するところで に 、shitsuyou SHUU NEKUは目を広く開き、oshiのような静かになる。
これが見られた明らかにこの年配の女性のライフと死が始まった時、完全なその意志による判決時には、研修医は、彼が言うことに気づいていた。
私は会い、レバーの意識のため、急勾配で、これまでに非常にすぐすべて熱烈な憎悪の心臓がだめになった。
残留ものは、それを持っている仕事をし、後 後 にそれが完全に遂行された時には、平和な長所と満足を持っているだけである。
従って、研修医は声を少し容易にし、年配の女性を軽べつしている間、そう言った。
「自身、回転は、試験的な会議用のKEBII SHIのエージェンシーの役員ではない。しばらく前一緒にこのゲートを受けた旅行への人。従って、ロープロープがあなたにぶら下げられて、どのように あなたが、あなたが言うdon'tをしない ?あなたがし もの 、それのこのゲートでここにあったかどうかにかかわらず、あなたは自身と話すべきである。」
そして、年配の女性は、目を、広くより大きく開かれて、研修医の面が辛抱強く見させられた。
それは、まぶたが赤くなった肉食事鳥のような鋭い目から判断された。
そして、いくつかの物でさえ、しわを持つものになったほとんどすべての先端とくちびるをバリバリと噛んでいた時に、それは動かされた。
それは、薄いのどであり、示されるのどぼとけのどぼとけが動いているとわかった。
そして、カラスカラスが泣く声は、禅あえぎに送られて あえぐ 、研修医の耳 のど および私は来た。
「後に私がそれをかつらランナーにすると思うTAで、後にこの毛を取り除く この毛を取り除く そして 。」
私がそれをし、がっかりすると同時に、前の憎悪は、再び、冷たい軽べつしたBUBETSUおよび1 SHOの精神に入った。
そして、その表情舞台面はまた、他の側に通じている。
年配の女性は、1つの手において、死んだボディがまだ最初から取り除いていた長い落ちた毛を持っていた、私は、ヒキガエル引くことがつぶやく声によってためらう間、そのような事を言った。
「言うために である死んだ人SHIBIを持つ毛 私が 見て、取り除かれる which それが防止悪い物であるかもしれない 。そして 死んだ人 ここにあるけれども とここ、誰〈the〉 事実をすることができる人だけという食事 も。まさに、現在私が毛を取り除き、剣エリア建物の近くで、ヘビ、4寸SHISU Nが、切られて、乾燥したものがである借りることに言うTEが魚HOSHIUOを乾燥させた時にキャンプに販売のou INである女性。AROを、暗闇を測定し、現在〈ou〉のさえ死であるNAN DARAに売る疫病〈おおの〉。それでレイプチャージで場合である それがよい味がし、剣エリアが、乾燥した魚を守ると言うTE この女性も 売り、それが、彼らがリヨにウニを買っていたと伝えていた 。考えるTEINU この女性が私をしたことは悪い。TEが、しない時のkishi、AROをして方法によって負ける。される時には、私は、また、後で私がしたばかりであることが悪いと思わない。どうぞ全然予期されないでくださいようにこれをしない時にkishiをするJA それは 立派に、それを作ってWAIをもっている。JA どうぞ 私が、その方法を寛大にほとんどよく持たないために知っていたこの女性であるとも思うDEARO 。。」
研修医はそれを冷却にし、剣をさやさやに入れる間、この話を聞き、剣のパターンステムの左の手をつかんでいた。
もちろん右手のため、赤において、ほおの膿汁を持つ大きい吹出物吹出物について悩む間、それには聞こえた。
しかし、これを聞く間に、ある勇気が誕生し、私は研修医の中心に来た。
このゲートのトップに近づき、しばらく前再びこの年配の女性をつかまえる時の勇気は、それをし、逆方向に完全に動こうとする勇気である。
kishiがされるかどうかにかかわらず、研修医は、たった今、それが泥棒であるかどうかに躊躇したところである。
それは、考慮された事でさえ、これからそのケースの男性的な自然を言う時に、ki shiを言うためにすることができないように、意識の外で動かされた。
「きっと、あなたのために会をしなさい。」
研修医は、声キャベツ模造品によって終えられることで終えられたその年配の女性の話し合いに思い出させた。
私がそれをし、前 吹出物吹出物から分離されて、まあまあに言われる MI.を握る間年配の女性の首のえりがかみ合うことができる に1ペアに外出した時に突然右である手
「私がhikihaku日の強奪をすることについてその時自身は不満を言わない。それがであるそれがしない時 kishiをするボディ 。」
そして、shuuは、死んだボディのトップにフィートに乱暴に固執しようとする年配の女性を打ち負かした。
彼らは、5つのステップ として はしごの口と同類である をランク付けし続けている。
研修医は、側で引きはがされたイトスギ樹皮屋根板色HIWA DAIROの着物を持ち、夜直ちに突然のはしごを底に置き、降りた。
そして、それは、すぐ、それが、しばらく私が死ぬと、崩れ落ちた年配の女性が、死んだボディの中から裸のボディを上げたことであることである。
うなる叫び声を上げる間まだ燃えている火のつぶやかれたライトに依存するために、年配の女性ははしごの口において這いさえし、行った。
touはそれをし、短い白髪の白い毛をそこから裏返しにし、私は底をゲートにのぞき見した。
二次創作オタクの道に迷いこんでから、人生の1/3くらいになる。インターネットでは小説らしきものを書き散らかしていたが、同人誌は買うものでしかなかった。
「同人作家には感想を送るといい」という言葉を素直に受け取って、ありがたく読んでは神々に感想を送っていた。全員ではなかったが、買う時点でセレクションをかけていたのもあって半分以上の本には少なくとも原稿用紙1枚相当以上の何かしらをお送りしていた。
それからしばらくして、はまり込んだとある界隈、ある推しカプの威力があまりにも凄まじかった。私はとうとう読み専を卒業し、同人誌を印刷することでサークル参加デビューを果たした。それが、1年程前のことだった。
初めてではあったが、本自体はなんだかんだ出せた。だが、同人活動はそこから先こそが試練だったということを、知らなかった。
最初の本を刊行するのにかかった時間は4ヶ月程。平日は仕事の後、休日は日中の半分程度、原稿に時間をコツコツと割いてきた。そのおかげで、人生で初めて出した本は文庫だが200pを越えたし、まあまあ満足するものができた。そんな本が印刷され、世に出たことによって、自分の想定程度には売れた。だが、感想はほとんど来なかった。
正確には、界隈の中で本当に仲がよい友人ふたり程、それに地方在住のおそらく主婦業をやられているフォロワーさんからは来た。この方々がいなかったらこんなもの書く前にさっさと同人誌のことは黒歴史にして畳んでいただろう。しかし、それ以外の、いわゆる同人仲間やフォロワーからは来なかった。
自分が同人誌を読み捨てるタイプのオタクだったら、まあそんなもんだろうと納得が行ったのかもしれない。
だが、今まで感想は書くものだと思っていたオタクにとって、この状況はまあまあキツい。通話しながらあつ森やポケモンではわいわい楽しんでいたフォロワーは、本は買ってくれたものの「良かったですよ」の一言すら来ない。こっちは付き合いも兼ねて読んで感想を送っているのに……と、最初の感想が来るまでは恩着せがましい感情まで抱く程、ダークサイドに落ちかけた。
私一人が書いていた量よりも、自分で本を出版してもらった感想の方が少ないなんてことがあるのか。自分が良かれと思ってしていた経験に復讐されるなんて、そんなのひどくないか。その思いに苛まれつつ、今日もイベント中止にも負けず本を出してくださった方に感想を書いている。
ただ、この増田で書きたかったことの主題は、むしろ同人活動をしていると表明している人間が実際には「同人誌を描いてくれた方に感想を送る」という責務を果たしていないことにあるかもしれない。
このジャンルを仕切るいわゆる同人ガチ勢がいかにも「わたしら誇り高き同人サークル、インターネットの木っ端とは違うんですよ」みたいな面を下げていながら、同人誌に対する感想についてはサボりまくっていることを臆面もなく表明しているのが、ここ最近の精神的苦痛に拍車をかけている。
この界隈には、いわゆる「ボス」的な立場にいる人間がいる。よくオンリーイベントやアンソロジーなどの色々な企画を取り仕切ったり、学級委員として何かを回したりする立場の人間と言えば、ほどほどの規模の界隈なら心当たりがあるのではないか。オフライン活動がメインだと公言しており、インターネットで描いてた頃は反応すらなかったのに、サークル参加を表明してからは急に「あなたの書くものいいですよね〜ファンでした〜〜」と接近してきた。
「ネットで送るよりも生の感想を即売会で本人に伝えるのが醍醐味だから」を言い訳に、この人が感想を書いているのは見たことはない。そして結局当日打ち上げで伝えてくる感想も「こないだのあの本めちゃくちゃ良かったですよ! やっぱり〇〇はかわいいですよね〜」くらい。
ボス程ではないが、同人活動「ガチ勢」の中にはちょくちょくそのような人間がいる。Twitterでは自分の原稿や界隈の中で行儀が悪い人への愚痴がほとんど。それなのに自分がインターネットに適当なイラストを上げる時は「RTうれしいな」と言っている。もちろん他人のイラスト・小説はほとんどRTしない。
「作者の解釈をきちんと言語化して感想として送れるの、本当すごいですよね」と言いながら、この間まではポケモン(自作の刊行直後、TLはこれ一色だった。わたしのような木っ端な作家よりも世界的タイトルが話題になるのは当たり前だが、それが辛くてミュートした)、最近はあつ森の進捗をTwitterにせっせと上げている。
「同人文化を支えていこう」などとお題目を唱えている割に自身の……率直に言って絵柄やストーリーが大して練られているわけでもない原稿に時間を割いて、お友達以外の他者にはほぼ無関心なのは、彼らの言う「同人文化」もたかが知れているのではないか。
界隈にとある方がいる。フォロワーは私の30倍以上、ボスの10倍以上いる、いわゆる神絵師だ。でも、物腰は柔らかだし、私がインターネットに投稿していた頃からちょくちょくお褒めの言葉を頂いていた。上で述べた友人……と、本当に今でも言っていいのか分からないが、恐れ多くも自分が出した同人誌に感想をくださった方のひとりでもある。
その方がかつて、原作について非常に深い考察を繰り広げたものをまとめた、商業の単行本並の厚さ・クオリティの同人誌を出したことがあった。ジャンルバレが惜しくなければ所構わず宣伝したいくらい、本当にすごい本だった。当時読み専だった私は、どうしたらいいのか分からずとりあえず長文の感想を送りつけた。その方はいたく感激してくれた……のが、少しずつ仲良くなることができたきっかけだったような気がする。
それから私は初めてイベントにサークル参加し、Twitterで繋がっていた人たち中心に打ち上げに参加した。ボスが企画してくれたもので、カラオケの一室を貸し切って(何故ならオタク女は人目を憚る話を大声でする必要があるため)わいわいと推しについて語りあっていた。
中盤に入ったあたりだった。ボスが思い出したかのように言った。
「〇〇(神)さん、こないだの本読みましたよ! あんなに(原作)をきちんと捉えてこれが出せるの、本当すごいですよね〜私の本でもそういうの大事にしてて〜」
それで終わりだった。後は自分の本語り。その本が出たのは数ヶ月も前のことだったのに。数人が神の本に話を戻したことで、とりあえずしばらくの間はその本について盛り上がることができた。
その方は、それでも微笑みながら受け止めていた。ただ、それ以降あまりボスのイラストをRTすることはなくなった気がする。
最近、神が主催する推しCP(コンビ)アンソロジーへの寄稿を打診されたので喜び勇んで引き受けた。執筆者にはグループDMで連絡が来たが、同じCPがメインのはずのボスは参加していなかった。それを確認した時、私は暗い喜びを内心に感じながらも素敵なメンバーの皆様に挨拶をお送りした。
……と、まとめてみたら「これ、感想を書いて得してるのでは?」と気づいた。どちらかというと、感想書きのシンデレラストーリーとして自慢できることの方が多いかもしれない。それでも界隈でのさばっている奴らへの心象は悪いままなので、記念として増田に投稿しておこうと思う。
猿山のボスへの愚痴が大半を占めてしまったが、逆に言えば感想をコンスタントに書いている人はどれだけ書き手から感謝されているのか、忘れないでほしい。
この間の新刊にも原稿用紙5.5枚の熱い感想をくれた人のおかげで、今も生きている。ご家庭の都合でイベントには来られなくても感想をくれるあなたのために、次の新刊も頑張ろうと思う。
(20200618追記)
放置していたらはてぶに上がっていた。おかえりなさいという気分です。見てくれた人、ありがとう。色々言われているけど、反応してくれた時点で今日もあつ森をやってるフォロワーの100倍マシです。
@pikopikopan 文字書きってなんでこういうタイプ多いんだろ。/私は描く側だけど壁打ち上等だし、読むけど身悶えするほど好きで何度も読み返した本ほど感想送れないし送らない。/感想送ったら活動止まった人が居てな後悔したわ
私は性格悪いとは思いますけど性格のいい文字書きの方も多いので、主語でかくするのやめた方がいいんじゃないですか。私もやりますが。
あと、感想送る→活動止まるは見えるけど、感想送らない→活動止まるはすぐには見えないから気づいていないだけじゃないですか。何もしなければ責任を取る必要はないけど、真面目に考えるなら見殺しにしてきた同人作家の数でも数えた方がいいんじゃないですか。感想を送らないことを正当化する人間が一番腹立つんですよ。
私はしがない字書きだ。ドマイナーなジャンルで細々と字を書いている。比較的男性向けのジャンルだが女性のファンも多く、イベントがあるとサークル参加する人の割合は女性の方がかなり多いと思う。
そしてありがたいことに小説もそこそこ読んでもらえるようで、本を出せばそれなりに出る。小説本を出す人も少なくない。匿名の記事で時たま見かけるような、「字書きには人権がない」みたいなことを感じたことはあまりない。時々絵師の言葉の端々から「あぁ字書きのことを下に見てやがるな」と思うことは全くないとは言わないが、比較的温かい雰囲気の中で書かせてもらっている。
絵師様に挿絵や表紙を依頼しても嫌な顔をされることはあまりないし、光栄なことにコラボをさせてもらうことも時々ある。
そんな中で、私が感じたことをつらつらと書かせてもらいたい。
これに限る。
コラボをさせてもらう。字書きの私からすれば、自分では逆立ちしたって決して描けない神絵がやってくる。
そりゃもう持てる語彙すべてをフル回転してその感動を伝える。いやだってほら、こんな素晴らしい絵を描いてもらってる。しかも自分のために。
自分の話を元に描いてもらった神絵、もしくはその神絵にこれから自分が話を付ける権利を有している。こんなに嬉しいことはない。
テンションも上がる。絵をほめちぎる。なんなら褒めているという感覚はほぼない。自分の心の奥底から湧いてきたこの感動を言葉にしているだけだ。
そしたら、絵師様もとっても喜んでくれる。嬉しい、こんなに褒めてもらえるなんて、と私の書いた感動の言葉に対して感動したと返事が返ってくる。
「こんな細かいところまで見てくださって本当にありがとうございます!」
「ラフを投げただけですごく褒めてくれるので筆が乗りました!」
「もらえた言葉があまりにも嬉しくて、家族に報告しちゃいました!」
……まじか?そんなに喜んでもらえるの??嬉しいのは私の方なのに??
ちなみにこれは私個人に限った話ではない。
過去に複数の絵師と字書きが集まった企画を行った時も、グループDM内では字書き仲間は私と同じように興奮の極みのような感想を送り、絵師はそれに対してこちらが逆に申し訳なくなるくらい、感想ありがとうの言葉が返ってくる。
ここで私は気付く。
……もしかして、絵師様って普段はそんなに褒められてない……?
こんなに素晴らしい絵を描くのに?
日頃から私たちのタイムラインをあんなに素敵に彩ってくれるのに?
確かに『感想くれ!』っていう叫びを書いたお気持ち漫画やお気持ちイラストを見かける。
確かに私たちも、リプライ欄であのテンションで垂れ流すのはどうかと思うので感動をぐっと閉じ込めてふぁぼりつで済ましてしまうことがある。
コメント欄の半分がびっくりマークと三点リーダーで埋まってしまいそうなので、「可愛い」「素敵」と短い言葉で済ましてしまうことがある。
日頃から交流を持ち、長文リプを送り合っているような関係じゃないと、突然ツイッター上で鼻息荒い感想リプライは送りにくい。字数の制限もある。
そうか、絵師様はこんなに絵がうまくて可愛くて最高の作品を生み出すのに、こちらの思いが届いていない。
Twitterという公の場所で絵を投稿している以上、140字以上の感想を貰えることは極端に少ないし、死ぬ気で出した本でも買ってくれる人はいる、直接自分の本を求めてきてくれる人もいる、戦利品報告の中に自分の本はある、……ただ、そこから個別に感想を貰えるかと言われれば、実際そう多くはないだろう。
絵を描くたび、イベントに出るたび、「褒めてもらいたくて描いたわけじゃない、私は自分が描きたいから描いたの!」……と、そう自分に言い聞かせて、満たされない承認欲求をなんとか誤魔化してきた人だっているだろう。
そこで、だ。
タイトルに戻ろう。
そうすれば、私たち字書きはあなたのために全力で話を考えるし、頂いた絵に対しては、持てる力すべてを使ってその感動を伝える。DMというクローズドな場所の中で、字数の制限もなく、他人の目もない状態で、あなたが私のために描いてくれた絵を全力で絵の良さを伝えていく。私とあなたしかいない場所で、まっすぐ100%あなたへの、あなたの作品への言葉を伝えていく。
「絵にお話とかつけてもらいたいな~」「お話に絵をつけてもらいたいな~」と何の気なしに言ってみて、乗ってきた人と組んでみるのも一つだ。
良いなと思った字書きの作品に対して「勝手に絵を付けさせてもらっちゃいました」と先に描いてしまってもいい(そんなことされたら字書きは大抵興奮と感動のあまり死ぬがすぐに生き返るので軽率に殺してほしい)
誕生日を迎えた字書きのおめでとうリプやフォロワーと絡む系のタグでこっそり伝えてみてもいい。
「この人に褒めてもらいたいな」そう思える人に、軽率にコラボを投げかけてほしい。
もしかしたら、「そんなことして迷惑なんじゃ……」と思う心配性な子猫ちゃん絵師がいるかもしれない。
安心して。字書きの99.999%は絵師のことが大好きだ。自分じゃ描けない『絵』を生み出せる人に対して、敬意を払っていないわけがない。(敬意を払っていない字書きがいる?そんなものは燃やしてしまえ!)
悲しいことだが、絵描きが字書きを下に見ることはあっても、字書きが絵描きを下に見ることはあまりない……と私は思う。
でも、それを逆手に取ってしまえばいい。絵師以上に褒めてもらえないのが字書きの世界、自分の話を好きだと言ってきてくれた人が誰であっても字書きは嬉しい。初対面の人でも。それが絵師さんならな尚更うれしい。簡単に字書きは舞い上がる。
絵師が字書きにコラボを持ちかける(字書きはちゃめちゃに嬉しい)
↓
字書きが一生懸命お話を考え、絵師さんもそれを元に絵を描いてくれる(字書き嬉しい)
↓
絵師さんの絵を字書きが最高潮のテンションで褒める(絵師さん嬉しい)
↓
ほら見て。嬉しいと嬉しいことが重なって、ほかの人まで嬉しくなる。これが世界平和。認められた、自分の作品を喜んで受け入れてくれる人がいる。そんなプラスの感情で創作が進む。
創作って一人の戦いだし、やっぱり辛いことだってある。だからこそ、好きな絵やお話を、嬉しい気持ちで創れることってこれ以上ない幸せだと思うんです。
なのでもう一度言います。
うん。わかった。別人だね。それは増田が一番よく分かってるよね。応えてくれてありがとう。信じるよ。
それから、もう話すことはないと言っていたのに戻ってきてくれてありがとう。
そうだね、私が言ったことは侮辱かもしれないね。ごめんなさい。これはあやまるしかないよね。そこの考えを変えることはしないって決めてしまったことはよく分かった。
だから、こう考えてみたらどうだろう。侮辱であることと、それが事実かどうかは別かもしれないと。
例えば、別の所で私は自己愛のためにやっている、と書いた所があったけれど、たぶん投げている人は侮辱のつもりでやっているよね。
だけど、そこには事実を含んでいるから、私はそれを受け止めるし、侮辱はいいことではないけど、それはそれ、これはこれとして取り出して、扱うことができる。
そんな風に考えることはできないかな。
それから、私が侮辱をいいことじゃないと考えているのは、特に匿名の場にとっては、言われる方より言う方の方にネガティブな影響があるからだよ。だからあなたもいろいろな思いはあるのだろうけど「ガイジ」って言葉を侮辱的な意味も込めながらレッテルを貼り続ける、と言うのはやめて欲しいと思っている。もちろんこれの同類のこともね。あなたのために。