はてなキーワード: 義務的とは
真っ昼間に何てタイトルのエントリーを上げているんだと自分でも思う。
でもここ以外書く場所が思いつかなかったので。
最近自分も嫁も仕事が忙しく、2ヶ月程夜の営みをしていなかった。
またオナニーもする、ということさえ忘れていた。
気がついたら1ヶ月もオナニーをしていなかったので、こりゃまずいと夜のトイレで義務的に慰めた。
そうしたら、射精した瞬間、
「ウワァァ!」
「ウワァァ!」
と叫んでしまった。
その慰めで放出された液体版自分達は、とても勢いよく壁にぶつかった。
あの叫び声は、本当に尿道から聞こえてきたのか?それとも近隣の野郎の叫び声と射精の瞬間が見事に一致したものなのか?
「なぁなんとかいえよ」
今まで私はドラッグストアに売っている安い化粧品しか使ったことがなかった。 敏感肌なのでファンデーションは何を塗っても1時間ほどで痒くなってしまう。そもそも私はソフトウェアエンジニアで、会社には人よりPCやスマホのほうに興味がある人ばかりなので、仕事に行くのにキッチリしたメイクをする必要がない。どうせ誰も見ていない。
社会人としての最低限の身だしなみとして、日焼け止めとパウダーをちょっとはたくくらいで日々のメイクは義務的に終わらせていた。
きっかけは友人の結婚式だった。普段のほぼすっぴん状態で、結婚式のようなフォーマルな場に出ることはできない。
そこで、少ない貯金をおろして初めてデパートの一階にある化粧品売場に出かけた。目的は外資系のとある高級ブランドのファンデーション。なぜかというと、若かりし頃に親戚の結婚式に出たとき、式場でメイクしてもらったのがそのブランドの化粧品だった。そして、そのブランドのファンデーションは、私の敏感肌でもまったく痒くならなかったからだ。その某ブランドなら大丈夫だという確信があった。ただ、そんなに必要と思えないモノに高い金を出すことを渋っていたので、今まで買うことはなかった。
友人の結婚式がなければ一生縁がなかったであろうキラキラした空間に初めて足を踏み入れた。
きっちりメイクした威圧感のある店員さんたち、おしゃれな女性客たち。高級ブランドの化粧品はお金持ちのマダムが使っているというイメージがあったが、意外にも20代、30代が多く、10代の女性たちもちらほら見かけた。
目的のブランドの売り場に近づき、化粧品を眺めていると店員さんに「何かお探しですか?」と声をかけられた。ジーンズにカーディガンとカジュアルな服装で行ったのにちゃんと話しかけてもらえた。それだけで少しうれしかった。
フォーマルな場に出るためのキッチリしたメイクをしたいと伝えると、あれよあれよという間に鏡の前の椅子に座らされた。店員さんが見繕ってくれた、私の肌色に合うファンデーションをその場で試してくれた。コスメカウンターの椅子に座っている間は異様に緊張していた。変な汗が出てくるので店員さんがしてくれたメイクが崩れないかすごく心配だった。結局大丈夫だったけれども。
ファンデーションだけ欲しいと伝えてあったのにチークと口紅も塗ってくれて、あっというまに華やかメイクの見慣れない私が鏡の中にいた。
ほのかに化粧品の香りがする。高級な香りだ。それまで化粧品の匂いは苦手だと思っていたけど、自分で付けてみると案外気にならなかった。満員電車で強烈に香る女性が色々付けすぎなだけなのだろうか。それともブランドが違うだけなのだろうか。自分でつけると気にならなくなるのかもしれないから、それは気をつけたい。
ともかく、一式メイクをしてもらった私は目的のファンデーションを手にして店を出た。お金を使ったあと独特の奇妙な満足感があった。
後日、試しに仕事へ行く時にその化粧品を使ってみた。一日付けていても全く肌が荒れなかった。感動した。今まで1000円〜3000円ほどのファンデーションを気まぐれに買ってはいたものの、どれも痒くなってしまってすぐに落としていた。しかし、この某ブランド化粧品はすごかった。値段もやたらと高いが質もいいということを、その時ようやく理解した。夕方になっても肌が汚くならないし、荒れることもなかった。(でも、どう考えてもパッケージに2000円以上かかってると思う)
その後ネットで化粧品に関する情報収集をして、ベースメイクとリップは良いものを使ったほうがいいという意見を多く見かけた。そして、同じブランドの口紅も買うことにした。数週間後に同じ店に行き、店員さんにフォーマルな場でも使える色のリップを探していると伝えて、いくつか見繕ってもらった。二回目なので私も慣れてきた。手入れをまともにしていないカサカサの唇を綺麗にしてくれて、「唇は皮膚の入れ替わりが早いのでこまめにスクラブすると良いですよ」と教えてもらった。知識が一つ増えた。
それまで数百円の安い口紅しか付けたことがなかったが、この高級リップもすごかった。とにかくつけ心地が物凄くいい。スルスルとすべらせるだけで唇に色が着く。リップはベタベタして気持ち悪いと思いこんでいたが全然ベタベタしない。つけても不快感が全くないのだ。そして色が落ちない。安いリップはこまめに塗り直しが必要だが、これは数時間たってもきれいな色のままだった。そして何より、見た目が豪華なので持っているだけで気分が高揚する。(でも、どう考えても半分はパッケージの値段だと思う)
その後、そのブランドのファンデーションとリップでメイクして街に出かけた。お金持ちではないので他の部分は安い化粧品を使った。しかし、一部でもちゃんとしたブランドの化粧品を使っているというだけで気分が高揚し、自信が湧いてきた。人混みは苦手だが、その日は人の多い場所でも気にならなかった。これがメイクの威力なのかと思った。アラサーにして、ようやくそのことに気がついた。これが女子力なのか……。
君のおかげで私は少し、大人になることができた。
同人活動の話。
と、いっても私は同人誌は出してない。
創作活動もしてない。
もっぱらロム専。
なんにも生産はしない、人様の作品を消費だけするタイプの人間。
でも素敵な作品を読むと、その感想を書いた人にいつも伝えたくなった。
実際伝えてた。
私は感想を送るのが大好きだった!
漫画もイラストも小説も、自分が伝えたいと思ったことは創作してくれた人にいつも伝えた。
それでも下手くそなりに一生懸命感想を送った。感想を送る際は何処でそれを見たか、何が良かったか、何処に一番心動かされたか。図々しい時はキャラクターの心情を推測してみたり、続きを想像しては続編を楽しみにしてると素直に言ってみたりもした。
長いと10000文字を越したりする。
気持ち悪いなって我ながら思う。けど書いちゃったし。
誤字はないか、読み手が気分を害するようなことを書いてないか確認して、ドキドキして送信する。
あ、そう!一番好きなのは手紙!これこそ一方的にイベントで渡して逃げれば良いだけ!!
読んでるかなんて知らない。
捨てられても良い。
感想のお返事はいらない。こっちが素敵な作品に触れて勝手にそれについて書いて。自己満足。
それに対し相手に見返りを求めることはしない。してはいけないことだと思ってた。
どういう作品を作るかは書き手の自由。書くのをやめるのも書き手の自由。
でも返信不要とは必ず書いてるけど、時々お返事をくれる人はいた。
拙いながらも私の書いた感想を読んでくれて嬉しい嬉しいって。そう言われるとやっぱりこっちも嬉しくなった。
私が伝えたかったことをきちんと汲んでくれたり続編に意欲的なってくれた人もいた。
友人に「感想を書くのも創作をしてることになるよ」なんて、言われて正直うかれていた。
たまに感想を送ってブロックされることもある。感想なんていらないって言われたこともある。感想送るのが好きすぎて身内から辟易されたりもする。
ブロックされた時は失礼なことを言ったかな?って感想読み返したり、次の人にはそうならないようにしようと気を付けた。感想いらないって人は見かけたら直接の感想は我慢した。
あとで言われたらそれ以降は控えた。
感想です!と送っているのでメールを読むのも好きにしたら良いし、手紙も捨ててくれて構わなかった。さっきも書いた通り自己満足だし、書きたくて書いてるだけで、誰にも強要されたことはなかった。
人に感想を送ることも強要したことはない。感想送るのが良いことって風潮も実はあんまり好きじゃない。
自分が義務的に送ってるように思われたくないから。ただ!好き!ってことを伝えたいだけ!!それだけ!!!
何処が良かった、この表情が好きだった、この言葉はずっと胸に残ると思う、この部分で泣いてしまった、この距離に胸を打たれた。そんなことを書きたいだけいつも書いてた。
そして感想を書くために素敵な作品を何度も何度も読み返す時間がとてもとても好きだった。楽しかった。
あれが私は大好きだった。
むかし拍手と言うのがあって、それはもう感想送りたがりの私は好きな書き手さんの作品が更新されるたびにぱちぱちしてはコメントを送ってた。
そんな感じでたくさん言葉を投げた。
ツイッターでは気軽に感想を欲しいと呟く人が多かったので幸いどんな感想も拒否されることもなかった。
イラスト可愛いです。その色合いがとても好きです。何日前の妄想ツイートとても萌えました。
そんなことを色んな人に毎日暇な時に送ってた。
けど、やっぱり感想欲しい感想欲しいってツイートが多く見られる。あれ?送ったのになって思う。また送る。
前読んだ漫画のあの部分が好きです。あのセリフが本当に印象的で。
伝えたいことなんて山ほどあった。
過去作の感想も送ってしまえと最初は楽しく送ってた。もしかしたら以前書いたようなことを繰り返し書いていたかもしれない。でもそこ好きだし。どうせ匿名だし。
また、送る。足りないのかな?また送る。
だんだん感想を送る場所を見付ける為に作品を読んでる気になってきた。おかしい。義務的に感想を送るのは嫌いなはずだったのに。
でも、どうすれば素敵な作品を生み出して下さる書き手さんの飢餓感のようなものを満たしてあげることが出来るのか分からなかった。いや、満たすなんて烏滸がましいけど。でも、私の送った感想はまるでなかったことのように扱われてる気がした。
書き手の方たちは毎日必ず匿名コメントでいくつか感想を貰ってるのに、私も送っているのに。感想欲しい感想欲しい。そうみんな言っている。
感想を読む読まないは自由だと思っていたのに急に不安になってきた。
何をどうすれば良いのかも分からなくなってきた。
取り敢えず送る、ひたすら送る。
返事が更新されてる。返事なんて求めていなかったはずなのにそれを見て安心する。でも感想が欲しいと言われ、また必死に送る。
そんな風に送り続けているといつしか感想を送る楽しみもわからなくなってきた。
匿名のツール、気軽さ。それによって自分の感情まで消費していくような気がした。
そして今までなんの見返りも求めていないと言いながらいつしか感想を送って相手を喜ばして悦にいる自分の性格の悪さにも気付かされてしまった。
こんな奴が今だれになんの言葉を送ったって駄目だと思う。
もうなんだか言葉が上手く見つからなくて、ふと自分は感想を送ることに疲れているのだと気付いた。
そうだ、もう、感想送るのはやめよう。
感想を書こうと楽しみに積み上げた本を見ながら思った。
次のイベントに参加されるか調べて手紙を書こうと思っていた本たち。どれも素敵な本ばかりだ。
一生懸命感想を書く為に言葉を探すことが好きだった。その私の一生懸命にはなんの価値もないことに、気付いてしまった。
別に私がそれをやめたところで。
老人になってわかったことみたいなのがあがってたので書いてみる。
便意を催した後、脱糞するまでの我慢できるまでの時間がだいぶ短くなる。
もしくは、我慢してたつもりで括約筋を締めていたつもりでも微量の漏洩を許してしまう。
若い頃のつもりで「この便意なら20分は大丈夫」と甘く見積もると大量漏洩に繋がる。
おしっこが一回で出切らない
放尿をし、出しきったと思って収めても実はまだもう少し残ってて、残ってたものがパンツの中でじわっと染み出る。
出したと思っても油断せずに、もう一押しする必要がある。女性は知らん。
男に限っては、ノコギリヤシのサプリを飲み始めたらそれがだいぶ軽減された。
射精は言ってみれば貯まった尿や便を排出するものと同じタイプの快感である。
若い頃、何故そんなにセックスや自慰をしたかったかというと、性欲のムラムラに支配されており、言ってみれば常に膀胱や直腸が尿とうんこで満たされている状態だったからであろう。
しかし歳を経るとそんな性欲自体が薄くなってくる。出すべきうんこや尿が「いや、あるにはあるけどそれほど無理して出さなくていいっス」という状態であり、非常にモチベーションが低い。
うんこも無理して出せば肛門が切れるが、先日私も陰茎を無理して軽擦してたら擦り切れて血が出た。
その排出欲の低さゆえ、射精時の快感も低くなり、射精までになかなか至らずいわゆる中折れも増える。
とはいえ、相手があっての行為の場合はやらねば失礼だし、男性機能を錆びつかせて良いのだろうかという焦りから義務的に自慰をするようになる。
若い頃は10代のアイドル、綺麗どころのエロ動画等を射精のお供にしていたが、歳を経るとその若さが眩しく気後れを感じてしまい、エロを感じなくなってしまう。
姪や甥などの近い親戚の子供がそれくらいの年齢になってしまう事も大きいかもしれない。
結果、ウブで健康的なガールのエロさより、団地妻的どスケベ熟女ともいうべきエロさ、年齢でいうとアラサーからアラフォーまでに即物的なエロを感じるようになる。
新機軸に挑んでみたくなる
本当にしょうもないことなんだけど、キャラは好きだがただカードの画像を集めるためだけに
リアルマネーを溶かすということにとても躊躇する。課金した後の虚無感もすごい。
ソシャゲにおいて何を今更って感じだけど、課金するたびにいつも死ぬほど後悔するから多分ソシャゲ自体向いてないんだろうな
で、お金を使いたがらない割には担当SRへの物欲は消えないどころか膨らむばかり。
あとこれは自分が勝手に思い込んでるだけかもしれないけど、やっぱり担当SRのイベやガチャがきたら全力で回す!!みたいな暗黙のルールがあるように感じる。
Twitterを検索しても当然のようにガチャの結果画面スクショが大量にでてくるから、自然と自分も回さなきゃ⋯と義務的な気持ちになるのもよくない。
ソシャゲとは程よい距離を保ってストーリーだけ楽しんでいきたいと考えてるけど、やっぱり課金して担当SR1枚は持ってないと白い目で見られたりするんだろうか
レア度なんて関係ない担当への愛があればあればそれでいいじゃないと自分に言い聞かせてるけど、果たしてこんなに悶々考えながら続ける意味がソシャゲにあるのかよと
たとえ数千円かけて10連ガチャをしても、それはほとんどの場合「確定ガチャ」では無い。
お目当てのキャラが出るとは限らない。
それは何となく続けてる人でも、ファンでも、中の人でも一緒だ。
ソシャゲのガチャ報告は、Twitterをしてると日々TLに流れてくる。
その中には、中の人(声優や役者など)によるガチャ報告もたくさんある。
自分の演じたキャラ、そのキャラと親しいキャラ、ゲームをするうちに好きになったまた別のキャラ。
中の人達もまた、ファンと同様にガチャを回している様子を報告する。
たとえ自分の声をしていても、時には課金をしなければ手に入らない、課金をしてさえ手に入らない様子も窺える。
うーん……。
私の財布とは全く関係ないし、本当に楽しんでるなら外野が言うことでも無いんだけど。
その重課金は、中の人達が周囲に期待されて義務的にやっているものになってきてないかな?
だけど白熱したガチャ報告の嵐には、「願えば出るものでもないのに出さなければならない」かのような空気になりやすいソシャゲの怖さを感じてならない。
課金しただけサービスは続く、課金しただけ何らかの形で還元される。
それでもソシャゲガチャがギャンブルの一種であることは忘れちゃいけないし、その数千円を楽しんで使ってるのか・焦りや強迫観念で使ってないかは考えないとな、と中の人の一件からちょっと思った。
そのお金で売り切りのソフトのゲームを買うべきか、この先に期待してソシャゲのガチャに課金するか。
もちろん単純に否定は出来ないし、楽しみ方は人それぞれ。
だけど、何事もほどほどにしないと。
自戒もこめて。
30代半ば男。結婚式に、大学サークル時代の友人を一人だけ呼んだ。返信はがきに「久しぶりにサークルの仲間で集まれるのが楽しみ」と書いてあって、申し訳なくなった。
…俺は悪いことをしたのだろうか。
いつも寝たい僕は今回、嬉々として参加した😎👌
そしてパクチーの種をまいてやった😗
パクチーの種をまいてやった😙
パ ク チ ー の 種 を ま い て や っ た 😇
今回、草むしりで学んだことがある。
ということだ◎
草むしりと聞くと、
今回の僕の目的は
「通りやすくするために、次はあそこを刈り取ろう」
読んでる人の中には「こいつ草むしりするんだな、えらいな。」と思う人がいるかもしれない。
だが、それは少し違う。😓
僕は草むしりで「町内に貢献しよう」など微塵も思っていない。😟「みんなやっているから僕もやろう」なんて一切NEVER EVER Think LIKE THAT😇😇😇😇😇
なぜなら、ぶっちゃけ業者が同じところを刈り取るからだ。😗金払ってやっていることを住民にもやらせるのは意味不明であり、無駄だ。
その意味でこの行事は全く生産性ないし意味わからない。😗😗😗😗😗
しかし、刈り取り道具が貸出されるので、土を整えやすく、大人数が同じことをしているので土を掘っていても目立たない😉😉😉😉😉😉
怪しまれずにパクチーを植える絶好の機会だったのだ😀😀😀👌👌👌👌👌👌👌
しかし僕はちゃんと通り道の草は刈り取ったし、パクチーを植えるところは特に雑草をしっかり刈り取った。
その点でしっかりやることをやっているし、むしろ他の人たちよりも一生懸命働いた◎
つまりこれはwin-winなのだ😇It's like Business,huh?
自分へのメリットを探せば意外と見つかるってことがわかった\(^o^)/
めんどくさい行事の中には自分がしたかったことをやっちゃえるチャンスも入ってることがあるかも。
そんな感じ!
今回のケースは、間違いなく対話で解決できた。ストレッチャーや階段昇降機くらいなら、企業は十分合理的な配慮の中で対応できるんだから。
だからー、今回のケースについては、対話で解決を試みたけど解決できなかった、搭乗拒否されて旅行自体を諦めたっていう同航空会社の同便の利用者の証言があるんだって。ストレッチャーや階段昇降機なら準備できるよ、でも、お願いしてもそれを準備してもらえなかったっていう証言が出てるの。一般論としての対話の価値は置いておいて、少なくとも、証拠がある事は認めようよ。
お前、そんなこと言ってたっけ?「罰則を設けるのはどうかと思う。対話の方が重要」とか言ってはず。意見を自分の論に都合よくコロコロ変えるなよ。俺は、障碍者対策の費用を義務的に企業に負担させる制度があった方がいいね、実際あるよね、他の政策と併せて使うべきだよね、と言っただけ。罰則だけにするべきだ、みたいなことは言ってない。
むしろ、危険な乗り降りを強行したのは障害者の方で、航空会社はそれを禁止してた側。バリアフリー法も障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針も世論も全部味方なのに、誰が障害者を殺すの?
違う。法律では特に危険とは定められていないのに、航空会社が勝手な内規で危険を口実に一律に断っていた。世の中、口実が無いと思ってるの?何でも、それっぽい理由はつけて断れるんだよ。本当に危険かどうかの実地試験とかも、きっとやってないでしょうね。バリアフリー法自体は一見味方に見えるが、努力義務になっているところは、企業は別に守らなくてもいいわけだから、普通に破る企業出て来るでしょう。そういう意味では、実体にあってないと法が逆に敵になることもあるかもね。世論については、お前みたいに、声あげた人叩く奴がいるから必ずしも味方じゃないよねぇ。まぁ、今回の件では殺す殺さないの話にはならないと思うけど、障碍者の移動・活動手段を何かしら口実をつけて奪って、閉じ込めておこうって、それ、結局、障碍者に関わりたくないから生殺しにしておこうっていうのと同じ考え方だよね。
対立する事自体は問題解決に向けて何も悪手じゃない。声を上げないと、少しずつ少しずつ不便になって、そのうち、ひどいことになる。割れ窓理論。現に、俺の病気は、子供のうちに手術しないと必ず死ぬからね。うちの親は手術費用たまたま出せたし、俺が手術した時は手術自体が医学研究上の価値があったから、病院としても経済的困難はさておきとにかく手術させたい方向に動いていたけど、そのうち、研究上の価値も薄れて、世論も味方しなくなり、医療費削減とかで手術費用が高額になるかもしれん。そうしたら、それだけで、俺と同じ心臓障害で生まれてくる子の何割かは死ぬよ。対話による融和にしたって、健常者が他のタイプの障碍者とだけ融和して、うちらだけ仲間はずれ…とかもありえる。結局、健常者ににらまれようが何だろうが、ちょっとでも障碍者が不利になった時に、必死で声を挙げることが重要なんだよ。
ガタガタ書いてるけど、なんでそんなに企業に障碍者対策の金払わせたくないの?企業が無限に障碍者対策できないことぐらい、皆、分かっている。企業は営利組織なので、どこかで線引きしないといけないことは確か。で、線引きをする何らかの仕組みが必要だっていうのは当然の帰結でしょう。
罰金のような義務的な形にするか、あるいは、減税や補助金のような、必ずしも遂行する必要がないかたちにするかは、考え方次第だろうけどさ。多分、ケースバイケースで、どっちも使い分けないといけないだろうけどね。
で、なんか罰金に反対みたいだけど、そもそも、お前が挙げたバリアフリー法の中で、悪質な場合は罰金が規定されているんだけど?つまり、企業が最低限の障碍者対策をサボることがないように、企業に義務を課すことは正当な行為であると、国が認めてるの。障碍者と企業が対話して対立を解消することも大事だろうけど、企業に障碍者対策を義務付けて、ひどい場合は罰金取る形にしなきゃ結局企業は動けないよねって国も認めていて、罰金を認める法が、もう10年以上前から成立してるの。対立解消だけを言い張るのは、結局、問題解決せずに対立がなかったことになって得をする強者側、企業側なの。対話による対立解消だけを言い張るのは、「弱者は黙ってろ」って言うのと事実上同じで、冷静に議論するフリして障碍者をぶっ叩く、差別主義の最悪の形だよ。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO091.html
必ずしも全ての健常者が、障碍者に理解があるわけじゃない。「障碍者死ね」ってこっそり思っている健常者もいると思う。一般人は自殺しないのが道徳的義務であるのと同様、健常者が自分を脅かしそうになった時に抵抗するのも、障碍者に生まれた者の責務なんだよ。健常者が自分を脅かす思想を持っていないかどうかを監視して、自分たちの存在を脅かしかねない思想を喧伝する者には、ちゃんと「人殺し!」と言いまくって社会から排除されるようにしないといけない。戦うのはつらいかも知れないが、それが障碍者に生まれたものの責務なんだよ。国で「障碍者も含めて皆が生きて健康で文化的な生活を送れるように努力することが、皆に安心感を与えて健全な社会を作る」って憲法で規定しちゃったんだから、障碍者が声を貼り上げてそれを守らせることが、巡り巡って健常者の安全を守ることにつながるのだ。
昨年秋の天皇賞で初めて競馬場に行きそこからドップリハマってしまった競馬ですが、本日をもって辞めます。
ので、そこまでに至った経緯などを書いていこうと思います。
簡単にいえば
③勝つことが目的になっている
⑤負けまくった
以下に詳しく書きます
①はそのまま。ラジオの競馬中継に張り付いてるだけの土日を送るのはどうなのかと。他にやりたいことあるのに。平日も仕事中にトイレで地方競馬やるようになったら終わりだと思う。
②、③について。ボーナスの一部を競馬に突っ込んで増やそうと考え、たどり着いた答えが「その道のプロの買い目を買う」でした。
…控除率を考えると期待値75%と言われる(体感もっと低い)競馬で勝つには相当な勉強が必要だと考えています。
(18頭立てなら1/18、約5.5%の確率で単勝は当たるけどそれでは勝てないといった感じ)
予想から確率的な部分をなるべく排除する事で(上のような事が減るので)期待値はより高まると考えています。
プロの馬券師の予想をコピーする事で私もその馬券師の予想のプロセスを手に入れる事が出来ます。
とは言ってもその馬券師の買い目が当たるかどうかは別の話であって。
そして「馬券師の買い目のうちなんとなく外れそうな、のは買わなきゃ良いのでは!?」といった考えに至りました。
賢い方ならお気づきかと思いますが、馬券師の予想は当たるものとしてストーリーが出来ているため、「なんとなく外れそうだから買わない」選択肢は自己矛盾が生じてしまう。
…と長く書いたけど、「ボーナスを競馬に突っ込んで0になったと思うなら自転車グッズが欲しい」と思ったのが正直なところ。
④について。
決断力がなく、機を逃すタイプの人間はギャンブルに向いてないのは周知の事実。
改めてそう感じたし、向いてないし好きでもないことをやるのは仕事などの義務的な事だけで充分だろうと。
⑤。なんだかんだ理由をつけたけど1番大きいのはこれ。勝てないギャンブル楽しいって言うやつおらんやろwwwww
さすがに取り返すのにしばらくかかりそうな額負けたのでここで辞めます。(額を言うとややこしくなるので言いませんが…)
周囲の競馬やってる人が勝ってるから自分も勝てるかといえばそんな甘い話ではなく、勝つために高配当狙いにシフトするのは期待値的に美味しくないので。
でも競馬は楽しかった。ダービーで本命のスワーヴリチャードが直線で上がってきたときの興奮は凄まじいものがありました。そりゃ競馬にハマる人も出てくるわ…といった感じ。
以上。
それが義務的、機械的に行われるのは健全では無い、と言っています。
また権利、例えば基本的人権を当然の権利だと思い込み、それを守ってくれている人が純然といるという事実とそれに対する感謝を忘れた状態も極めて危険だとも思います。有って当然の権利では無いのです。油断すると失われるのです。
権利を「法理屈的に当然だから」という理由で無秩序に使った結果、本来あったはずの権利と自由が失われる事例なんていくらでもあります。特にネット関係などでは。
ちなみに「だから権利を使うな」とは言っていません。「権利の価値を理解し、それへの感謝と共に、使う場所をわきまえろ」と言っています。
今回の件が、その権利を使うのに当然の場と思っているのなら、ここではもう何も言いません。
神道って実際どうなんだろうな
天皇=神にできない以上は国教として必要ってのは分かるけど既に墓の形態変化を見ていくと
日本人にとってどれだけ拠り所となる宗教が必要なのか疑問なところがある
既に葬式なんて俺の身内まわりだけでもほぼほぼ家族葬であの世とか仏とか文面で使う固有名詞にしかなってなくて
義務的に形式的にやってる感が年代性別問わず、そんな感じの反応
コスパいいし家族葬でいいか的な感じで一族の繋がりとかも年々希薄になっていってる
友人に聞いてもそんな感じらしい
昔俺のおじいさんの葬式っつったら50名くらいは集まってたもんだけど今じゃ10名前後か
完全には要らないとは思わないけど結局今の平成天皇のカリスマ性って平成天皇個人から来てるから
次の代でも保てるかどうか
・何を食べたいのか、自分が欲している味覚
それまで、「お腹が満たされればそれでいい」という考えて生きていて
コンビニに行くこともなければ、食事にこだわることもなかったんだけど
「甘い物が食べたい」「しょっぱいものが食べたい」という感覚が掴めるようになった
・美味しいということ
上記と似ているけど、「食べることが出来ればいい」だったので
何が美味しくて何が不味いとか判断している人の気持ちが分からなかったんだけど
最近ようやく分かるようになってきた
・一緒に食べるご飯は美味しいということ
たかだか1食のご飯でも、店やレシピを調べたりわくわくすることも世の中にあった
・作ったご飯を褒められることは嬉しいということ
殆ど料理もしなくて、得意でもなかったんだけど、作る機会があって、とても褒めてもらった
普段少食なのに、気を使ってくれているのかもしれないけど、おかわりをしてくれた
料理を作って喜んでもらえることはとても大切だった
「頑張らない」がモットーの人なので、「頑張る」と言えば「頑張らなくていいけどね」と言ってくれる
元々「頑張る」が口癖だったので衝撃的だった
「頑張る」を口にしないようにすると肩の荷がスルッと下りた
・嫌なことから逃げること
やりたいことよりやらなきゃいけないことをずっと見ていたので、雁字搦めになることが多かったんだけど
「何とかなるよ」をよく言う人だったので、割と救われた
真面目に全うに生きようとしすぎていた
・世の中の人はそんなに頑張って生きていないということ
世の人々全員ではないだろうけど、今まで誰もが目的意識を持って生きていると思ってた
「死んでないだけ」というフレーズを言われてびっくりした
何のために生きていて、とか何かがあるわけでもなくて
ただ日々を生きて過ごしている人もいた
・行動出来ると楽しいということ
「○○に行きたい」というと、「じゃあ行こう」とすぐに計画が立ったりする
今まで欲はあるけど、体は動かないということがよくあったから、口だけが多かった
割と人生を生きるモチベが低くて、あわよくば積極的に死にたいと思ったいたのだけれど
この人に出会ってから、「もしかしたら幸せってこういうことなのかも」と知り始めた
「食べたいものを食べるまで死にたくはない」と言ってる恋人を見て
行きたいところ、やりたいことリストを作った
「制服を着るような役を卒業したい」と周囲に漏らしている、みたいな記事を見かけた。
よくあるどうでも良い芸能ニュースだ。そもそも嘘なのか本当なのかも分からないし、第一興味もない。
ドラマや邦画も殆ど見ないので、彼に何の思い入れもない。最近人気の俳優で元仮面ライダー、くらいの認識だ。
記事内の年齢の()表記を見ると、どうやら彼は俺と同い年らしい。
調べてみると俺は92年、彼は93年早生まれなので正確には同学年だった。
その彼が制服を着る役、すなわち高校生役をやめたいと漏らしているらしい。
成熟した役柄にステップアップしたいだろうし、何より制服姿に無理が出てきている。
なんか女の子しか出てこなかったけど、なるほど。みんなかわいいけど、高校生役はさすがにしんどい。
彼女らが高校生役という映画・ドラマ・CMも、ここ数年は見聞きしないような気もする。
日本中の同学年の中でトップクラスの容姿を持つであろう彼女達ですら緩やかに年を取っていく。
容貌こそまるで違えど俺とて同じ人間。俺の若さも同じように日々着実に目減りしており、刻一刻と失われつつあるのだ。
至極当たり前のことだが、「加齢」という厳然たる事実を胸元にドンと突きつけられて狼狽えてしまった。
そしていつも抱えている焦燥感が更に膨らんでしまって、気分が滅入ってきた。
友達ゼロ、高校もろくに行かず、なんとか受かった大学もつまらなくてすぐ辞めた。5年前の話だ。
でも、紆余曲折を経てホワイト中小企業に潜り込むことができ、なんと正社員登用された。
給料は安いが良い上司にも恵まれたし、残業もほぼ無い。ボーナスも出る。運が良かったとしか言いようがない。
仕事に慣れたころ、「このままじゃ人生ダメだ」と思って義務的に何個か始めた趣味。
ほとんどが長続きしなかったが、1個だけガッチリと自分にハマる趣味もできた。
趣味経由で片手で足りるほどではあるが、親友と呼べるような友達(同性)もできた。
酒も飲めるようになったし、イベントなどにも出向くようになった。
16~20歳の間の自暴自棄だった自分がバラバラに散らかしてしまった人生のパズルのピースを
ここ数年を掛けて一生懸命拾い集めて、この1年でようやく一枚の絵になってきたような印象だ。
そう、恋愛である。この箇所に関しては清々しいほどに真っ白である。
ここで冒頭の話に繋がる。
俺はパズルのピースを必死で拾い集めている間に貴重な若さを随分と消費してしまっていたのだ。
まだまだ若いだろ、と自分に言い聞かせているうちに、20代の折り返し地点に到達してしまった。
冒頭のネットニュースは、その事実を俺にずいぶん遠回しな形で伝えてくれた。
俺はピースを拾う優先度を間違えてしまったのではないか。そんな悔恨がふつふつと涌いて出てくる。
友人や定職といったピースを血眼で探しているうちに出来上がったのが24歳の童貞である。
友人や定職、確かに重要だ。でも、恋愛すらできずに何が人生だ、と考え込んでしまうようになった。
知人にフリーターなのに彼女と婚約しようとしている大馬鹿者がいるが、彼の方が俺より幸せそうに見える。
まずは血眼になって恋愛すべきではなかったのか。とりあえず何事を差し置いてでも。
最愛のパートナーと泣いたり笑ったりしつつ、友人や定職を探しても遅くなかったのではないか。
これは隣の芝生を青く感じてるだけなのか。無い物ねだりなのか。
何度も反芻するたびに、どんどん気分が沈み、胸から喉にかけての辺りがずっしりと重くなってくる。
友人達に女性を紹介してもらえば?もちろん何人か紹介してもらったさ、でも誰とも話が噛み合わなかった。
コミュ障気質は治ったつもりだったんだけどな。数を熟せばいいのかな。どこに出向けばいいんだ?もうよく分からない。
飲みの席でも年を経るごとに「彼女が出来たことがない。」という主張が容認されなくなってきたのを肌を持って感じる。
最近ではヘラヘラしつつ、「ずっと居ないんですよw誰か良い娘いないっすか?」と笑って誤魔化す悪癖ができた。
同僚の中年独身男性の一挙手一投足や悲惨な孤独死のニュースにばかり目がいくようになった。俺もああなるのかね。
もう最近は恋愛を飛び越して結婚したくなってきてしまっている。子供も欲しいなぁ。どうしたものかね。
いやー、何歳なのか知らないが、これだけ相手に身も心ものめりこめちゃうって、ある意味すごい。
私なんかは本当に義務的なセックスしかしてくれない相手ばかりで(私の技量の問題もあったんだろうけど)、
「えっちのときのお互いの心が混ざり合うような感覚」なんて誰も感じてくれてなんてなかったんだろうな、と思う。
「そもそもセックスの好きな女性なんて、実はAVを初めとする男の妄想の中にしか実在しないんじゃないか?」とか
「みんなこんなおざなりなセックスしかさせてくれないなら、風俗に行く方がよっぽど気持ちいいのでは…?」なんて
真剣に悩んだ時期もあった。
まぁそのうちに自分も30歳を過ぎて、そんなにギラギラしなくなったから、淡白な相手と結婚したけどね。
セックスがあんまりなくても、いつでも二人で美味しいもの食べたり、きれいな景色を見たり、
テレビ見ながらゲラゲラ笑ったりしてるだけでそれなりに幸せを感じられるもんだと、今になってみれば思う。